国際結婚の場合、子供はハーフでバイリンガルになる・・と、簡単に思われがちですが、バイリンガル教育は、考えているほど簡単なことではありません。
二つの国(あるいはそれ以上)の国籍を持っており(日本の場合は22歳までにどちらかの国籍を選択しなければなりません)、両親の母国語が二カ国語に渡る場合でも、生活の基盤は、どちらかの国(あるいは、それ以外の国)に置くことになるわけで、どうしても生活の基盤のある国の言語に引っ張られます。
我が家の場合は、主人がフランス人、私が日本人で、フランスで生活しています。普通のフランスの学校に通っている娘にとって、フランスで生活する上では、娘にとって、日本語は全く必要はありません。
現在はフランスも以前より、少しはマシになりましたが、フランス人は愛国心旺盛なあまりに外国語に対して排他的な感じもあり、娘が小学校入学の面接の時などは、私が日本人と知って、「うちはフランス語だけですよ!」と念を押されたことがあり、「そんなこと!わかってるわい!」とムッとした覚えがあります。
ですから、余程、親が心して、日本語を教えようとしなければ、容易に日本語は切り捨てられてしまいます。実際に、フランスにいる日仏ハーフの子供でも日本語がほとんどできない子供もたくさんいます。
しかし、一般的に普通に外国語を習得しようとするよりは、日仏家庭(国際結婚の家庭)やはり恵まれた環境であることは間違いありません。
私は、娘が生まれた時から、「必ず娘が日本語を理解し、話し、読み書きまでできるようにする!」と強く思っていたので、私は、娘が言葉を覚え始める頃から、娘とは、一切、フランス語は使わず、日本語だけを押し通し、娘はパパとはフランス語、ママとは日本語、三人で話す時には、それに英語も混ざったごちゃごちゃの言語の中で育ってきました。
もちろん、小さい頃は、彼女は英語は理解できていませんでしたが、パパとママが内緒話をする英語をいつの間にか彼女も理解するようになり、その話にフランス語で参加するようになりました。やはり、彼女は日本語もできるとはいえ、彼女の母国語がフランス語であることを私は、その時に思い知らされることになりました。
それはバイリンガルとはいえ、どちらかの言語に軸を置くということは、その子のアイデンティティの形成上にも必要なことでもあります。
しかし、絶対に娘にしっかり習得させると考えていた私は、母が私が子供の頃に英語を教えてくれたように、日本語のカードなどを作って、日本語を教え、毎晩、毎晩、寝る前には、日本語の絵本を読み聞かせることを続けていました。
そして、日本語の読み書きを億劫に感じ辛くするために、フランスの学校に就学する前に、まず日本語の読み書きを教えようと、娘が2歳になった頃から、公文に通わせ始め、鉛筆の持ち方から、公文の先生に教えて頂きました。それは、私以外の日本人に接する機会を作りたかったこともありました。
家では、10歳くらいまでは、テレビは日本語のビデオ・DVDのみ(私も仕事をしていたので、家で過ごす時間は限られていたので・・)、娘は、日本のテレビ番組(ドラマやアニメ、バラエティ番組など)で多くの日本語を覚えました。
少し字がわかるようになってからは、日本のバラエティ番組は、話していることが字幕テロップのように入るので、わかりやすく、これはこんな字を書くのか〜などと勉強になると言っていました。(まあ、それらしいことを言ってテレビをゲラゲラ見ていることを正当化していたのかもしれませんが・・)
小さい子供のスゴいところは、気に入ったドラマなどは、何回も何回もセリフごと覚えてしまうほど、飽きずに見続けることができることです。
そして、毎日、毎日、学校が終わり、家に帰ってくると、私は食事の支度をしながら、公文の宿題を毎日5枚ずつ、やらせ続けました。毎年、夏には日本に娘を連れて行っていましたが、娘には、「日本語の勉強をしない子は、日本には行けないよ!」と夏の日本行きを人参のように目の前にチラつかせながら、どうにか、小学生のうちは、それを続けてきました。
フランスの小学校では、学校の授業が終わった後に、親がお迎えに行く時間まで、エチュードといって、学校の宿題は、その時間に見てもらえるので、ある程度の年齢までは、娘はほとんど学校の勉強は、家ではせず、夜は日本語の時間にあてることができたのです。
とはいえ、毎日毎日のこと、あまり興味のない題材のこともあれば、面倒になってしまうことも少なくありませんでした。そこは、ひたすら、親の根気です。褒めたり、宥めたりしながら、忍耐の毎日でした。
小学校に入った頃には、夏の帰国の際には、こちらの学校がお休みになってすぐに日本へ行き、毎年、2週間ほどですが、日本の小学校に編入させていただいてもいました。同年代の日本人の子供と接することや、日本の学校の様子を体験させたかったこともありました。
中学生になった頃、こちらの(フランスの)学校も忙しくなり、また、他の事情も多少あり、一時、公文はお休みしていた期間がありましたが、その間も、ずっと日本のテレビ番組を見ることだけは続け、変わらず私とは日本語だけの生活をしていました。
そして、やがて、バカロレア(高校卒業資格試験)が近くなり、オプションの科目に日本語を選択することにした娘は、日本語の勉強を再び再開し、公文ではない他の日本語学校に週一回通い始めました。
バカロレアのオプションの日本語の試験は、ある程度、日本語の下地のある子供にとっては、満点をとり、点数稼ぎができる絶好の科目でもあるのです。
その頃になると、親がやいのやいの言わなくても自分で勉強するようになっていましたので、それから先は、彼女自身の点取虫根性が追い風となってくれました。
そして、そんなこんなで、どうにか娘は、バイリンガルになりました。
親の私としては、思い返せば、色々工夫したりした楽しい思い出ではありますが、同時になかなか険しい道のりでもあった、大変だったな〜と思うのに、当の本人は、日本語を覚えるために、大した苦労をしたとは全く思っていません。
実際にある程度の年齢になってから、外国語を習得するのは、大変な努力が必要ですが、物心つく前から覚え始めた言語に関しては、あまり苦にすることなく、習得することができるのです。
現在進行形でバイリンガル教育を続けていらっしゃる方も多いと思いますが、時には、くじけそうになることもあると思いますが、そんな時は、テレビやYouTubeでも、今はいくらでも日本語に楽しく触れることができるツールがあります。
とにかく、どんな形でも、たとえ、ほんの少しずつでも、継続することはとても大切です。
それは、その子にとって、一生の大変な財産になります。
そして、一つ理解できる言語が増えることで子供の世界は広がります。
私自身は、バイリンガルと言い切れる程ではありませんが、母が子供の頃から英語を教えてくれていたことで、英語を苦労して覚えたという記憶はありません。そんな母が私にしてくれた英語教育が私が娘に日本語を根気強く教えることを自然に植え付けてくれてくれたのかもしれません。
いつか娘が子供を持った時、同じように子供に複数言語を教えてくれるようになることを私は、心から祈っています。
バイリンガル教育
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