2024年9月10日火曜日

言語のスイッチはキープし続けることができるか?

  


 ここ数日、また体調がすぐれなくて、もう無理は一切しないことにして、あがらわずに、家でおとなしくしていました。家にいればいたで、色々とやることはあるのですが、具合が悪いときは身体を休めなければいけないので、横になって、本を読んだり、ベッドサイドにタブレットをたてて、YouTubeを見たりしていました。

 YouTubeは、時々、どういうわけで出てきたのかわからないものが急に表れたりもするのですが、そんな時、急に、私が子どもの頃によく見ていた「奥様は魔女」が出てきて、ついつい見入ってしまいました。

 私が昔、見ていたのは日本のテレビでの吹き替え版だったのですが、その後、母が仕事で東北新社の方とお仕事をする機会があり、なぜか「奥様は魔女」の話になり、私がこのドラマが大好きだと話したら、ビデオをダビングさせてくれたことがあって、今もずっとそのビデオを大切に持っていたくらいでした。

 思いがけなく、YouTubeにあがっていた「奥様は魔女」は、吹き替え版ではありませんが、私が見たことがないストーリーのものまでたくさんあって、私は、ものすごく楽しく懐かしく、この体調不良の2日間を「奥様は魔女」を見て過ごしました。

 以前、フランスのテレビでも、「奥様は魔女」をフランス語吹き替えでやっていたのを見たことがあったのですが、フランス語版のものは、サマンサの旦那様のダーリンがジャンピエールになっていて、「ジャンピエールってなんだよ!」と苦笑した覚えがあります。

 話は逸れましたが、今、YouTubeにあがっている「奥様は魔女」は、「Bewitched」というチャンネルで見ることができますが、もちろん、英語のままで、まあ、そもそものストーリーを知っているものがけっこうあるとはいえ、英語で見ていても、なんの不自由も感じず、すっと頭に入ってくることが不思議でもあり、なんだか心地よくもありました。

 最近では、当然のことですが、あまり英語を使うことはないので、英語で話しかけられると戸惑ったりすることもあったのですが、なんだか英語がスムーズに理解できることが嬉しくもあったのです。

 そして、ちょっと体調が上向きになって、外に出かけて、自分が思わず英語で話しかけそうになって自分でもドッキリ!・・あらら、この2日間も、家でテレビのニュース等でフランス語は聞いていましたが、英語にどっぷりの生活で、頭が英語になっていました。

 とはいえ、私はそこまでネイティブのように英語が話せるわけでもなく、フランス語にしても同じことで、今は、フランス語が中心の生活ではあるけれど、本を読むのは日本語で、自分で考え事をしたりするのも日本語です。

 娘などは、完全にバイリンガルになっているし、若い時から英語、フランス語、日本語を器用にスイッチングしながら、仕事をしているのは、見事なものだと思うのですが、私は、そこまで器用に切り替えができるわけではなく、かなり意識的にスイッチングしている感じです。

 そこで、ふと不安になったのは、私がもっと歳をとって(あるいはとらなくても・・)、いつまでも、このスイッチングがちゃんとできるだろうか?ということです。

 海外生活で多くの人が不安に思うことの一つは、歳をとって、あるいはとらなくても健康を害したりした場合、長期で医者にかかったりした場合、やっぱり母国語が安心なのではないか?ということがあるように思います。

 実際に、こちらに来てから、日本人の知り合いで末期ガンを宣告されて、日本に引き上げて本帰国した人を数人知っています。

 こちらにいる友人にそんな話をしたら、どっちにしろ、医学用語なんて日本語でもよくわからないんだから、自分の症状を訴えることができれば大丈夫でしょ・・と彼女はかなり楽観的な感じでしたが、入院したりしなくとも、少しずつボケてきたら、そんなスイッチングがいつまでもできるだろうか?と、少々、不安を感じたのでした。

 まあ、そんなことばかり考えて生活しているわけにはいかないので、良いように考えれば、いつも、意識的にスイッチングしているということは、それだけ脳を使っているということで、ボケにくいかも・・などと都合よく考えたりもしています。

 しかし、語学というものは、ある程度の基礎知識さえあれば、継続的にドラマや映画などを見続けることでも、けっこう上達できるものであるだろうな・・とも思います。

 考えてみれば、私が娘にしていた日本語教育の一部は、この日本のテレビのビデオやDVDを見せ続けることで、少なくとも、小学生の間は、テレビは日本語だけしか見せないと決めており、また、子どもの頃は、同じものを(好きなドラマなど)何度も何度も繰り返して楽しんで見れる時期で、娘の日本語教育は、日本のテレビドラマに助けられてきたことを思い出しました。

 なんだか話が逸れっぱなしではありますが、好きこそものの上手なれ・・自分の好きなドラマや映画を習得したい言語でとことん見続ける・・というのは、言語習得の一つの手段かもしれません。


バイリンガル 奥様は魔女


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2024年9月9日月曜日

パラリンピック閉会式も雨・・PARIS 2024

  


 パラリンピックの閉会式をもってPARIS2024 パリオリンピック・パラリンピックは終了しました。オリンピックの開会式も雨、そして最後のパラリンピックの閉会式も雨とは、なんだか、どちらも残念でしたが、ひとまず、そのどちらも大きな事故も事件も起こらず、概ね滞りなく全てが終わったことにホッとしています。

 自分の人生の中で自分の住んでいる場所でオリンピックが開催されることなど、そうそうあることはなく、本来なら東京オリンピック開催の時も日本に行って、そして4年後のパリオリンピックもパリで見よう!と思っていたのですが、残念ながら、東京オリンピックの時は、パンデミックのために無観客のうえ、渡航も簡単ではなく、行けませんでしたが、パリオリンピックは、競技そのものの観戦はしませんでしたが、ひととおりの会場を見て歩き、それなりに、美しくオリンピック・パラリンピックに彩られた街を楽しみました。

 本当だったら、パンデミックのような異常事態であったのですから、東京オリンピックも無観客などでは行わず、いっそのこと、東京オリンピックを2024年、そして、その4年後にパリオリンピックと、ずらして行うようにはできなかったのだろうか?と本当に残念に思います。

 パリの住民にとっては、この PARIS 2024は、決して、この開催期間中だけのことではなく、このために行われたメトロなどの工事のために、ずいぶん長い間、「オリンピックのため・・」という工事が行われてきました。

 特に様々な工事に関しては、通常、フランスに工期というものはあるのか?と思うほど、工期は守られないのがふつうなのですが、このオリンピックのための工事だけは、いかにしてもオリンピックに間に合わせるためにと、必死であったことがうかがえます。

 おかげで、いくつもの路線延長や新車の導入や駅の整備、街の整備などが、いつもとは考えられない速度で進みました。

 オリンピック・パラリンピック期間中は、警備も厳重で、いつになくパリも治安がよく、また、駅や街中もきれいで清潔・・しかも、ボランティアをはじめとする多くの人々がとても親切でフレンドリーで、これがオリンピック期間中だけでなく、ずっと続くといいのに・・と思いますが、あっという間にもとに戻ってしまうことと思います。

 けっこうな雨量の中の閉会式は、大会委員長の挨拶等が長い長い・・雨の中の観客も開会式の大雨に学んだのか、雨合羽のようなものを着ている人が多い感じでした。

 開会式もそうでしたが、もはやオリンピックやパラリンピックのセレモニーというよりは、長い長いショーみたいです。

 フランスのエレクトロニックシーンから24人のDJアーティストが集結し、パリの夜へのオマージュというかたちでショーが構成されました。

 最後にこのオリンピック・パラリンピックを締めくくるオリンピック聖火はチュイルリー公園で最後の飛行を終えると、次回開催地のロサンジェルスに受け渡されました。

 今回のPARIS 2024 パリの様々な場所、コンコルド広場やグランパレ、ヴェルサイユ宮殿まで利用されたことも、とても美しいものでしたが、今回、このために設置されたチュイルリー公園の聖火台となった気球は、想像以上に美しく、これで見納めというのだけは、少々残念な気もします。

 この気球を残してほしいという声も多いようですが、この決定は国に委ねられているものの、元来、長期間維持するように設計されていないということで、これを維持するためには、技術的な問題で今のままでは不可能で、作り変える必要があるようです。

 しかし、これを作り変えるにしても、少なくとも気球のボールだけでも保管しようという声もあるそうです。

 いずれにしても、これで一段落、来週末には、フランスのオリンピック・パラリンピックの選手たちを讃えるパレードがシャンゼリゼであるそうですが、そこでPARIS 2024は終了です。

 ライブでこのオリンピック・パラリンピックを味わえたのは、やっぱり楽しかったけど、お祭り騒ぎがあまり得意でない私としては、やっと終わってホッとするところでもあります。


パリ・パラリンピック閉会式


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2024年9月8日日曜日

マクロン大統領 ノートルダム大聖堂の現代ステンドグラスプロジェクト再始動

  


 2019年4月に起こった火災のために、閉鎖されているノートルダム大聖堂が再開されるまであと3ヶ月という最終段階に入っている中、9月に入って、文化相は、ノートルダム大聖堂の現代的なステンドグラスの窓を創造する責任を負う選ばれた8人の芸術家の名前を発表し、このノートルダム大聖堂の現代ステンドグラスプロジェクト問題が再浮上し、炎上しています。

 昨年12月にマクロン大統領がノートルダム大聖堂の修復工事現場を視察した際に「身廊の南側、セーヌ川側にある6つの礼拝堂に、19世紀のものから現代的なステンドグラスの窓に取り換えてを設置する」「大聖堂の現代的なステンドグラスの窓が「21世紀の象徴」となるように作られる」と発表。

 このプロジェクトはすぐに、文化遺産界や建築界からの大きな反発を引き起こし、国家遺産建築委員会(CNPA)は、40名の専門家委員会を招集し、全会一致で反対意見を表明しているにもかかわらず、政府はこれを全く無視した感じでこのプロジェクトを諦めるつもりは全くない模様です。

 国家遺産建築委員会(CNPA)は、1965年にフランスが署名したヴェネツィア憲章として知られる記念碑や遺跡の保存と修復に関する国際憲章に基づくもので、同憲章は歴史的建造物の修復に関する規則を定め、よく保存されている古い要素を現代の作品に置き換えることを禁じていると説明しています。

 マクロン大統領は、文化遺産の専門家のアドバイスにもかかわらず、ノートルダム大聖堂に現代的なステンドグラスの窓を設置したいと主張し続け、強引に推し進めようとしていると、反発の声は激しくなっています。昨日、X(旧Twitter)のトレンドにマクロンがトップを飾っていたので、首相任命の話かと思ったら、もちろん、その話もあるのですが、このステンドグラス反対の声もかなりあって、なんか、あらゆる場面で彼の強引さが国民に受け入れられていない感じがしました。


 「怪しげなシンボルだらけのオリンピック式典の後、同じ妄想で大聖堂を汚したいようだ!」、「それは歴史的記念碑であり、フランスのキリスト教徒の魂の一部であり、目覚めた悪魔崇拝者の気まぐれのため​​の絵画ではない!」など、かなり辛辣な声が上がっています。

 しかし、このプロジェクトのために実際に火災の影響を受けなかったステンドグラスは機密扱いになっており、これらは、将来建設される大聖堂の歴史を専門とする博物館に展示される予定になっていると言われています。

 この現代ステンドグラスに置き換わるためにはずされたステンドグラスに対して、国家遺産建築委員会(CNPA)は、「こんな不合理は受け入れがたい!これらのステンドグラスは大聖堂建築全体の不可欠な要素として、その場にあるからこその価値であり、他の場所で保存すればよいというものではない!」と怒りをあらわにしています。

 この現代ステンドグラスプロジェクトに反対するのは、国家遺産建築委員会(CNPA)だけではなく、彼らが提出している嘆願書には、15万人の署名が集められています。

 私もこの現代ステンドグラスには、反対、フランスの歴史的建築を現代アートで塗り替えるのは、どう考えてもおかしい話。もしも21世紀の象徴を表現したいのなら、別に作ればよい話で、文化遺産を崩してよいことでもなく、また、何より、国家的文化遺産であるとともに、ノートルダム大聖堂は宗教的な場所でもあり、それに政府が強引に介入するのも異様な気がします。何よりもこんなに多くの専門家の意見を全く無視して・・。

 このステンドグラスプロジェクトだけではなく、最近のマクロン大統領・・突然の国民議会解散や選挙、そして、誰もが想像しなかった首相任命など、どうにも他の意見を無視して独走している感が拭えないことが不安です。


マクロン大統領 ノートルダム大聖堂ステンドグラス


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2024年9月7日土曜日

慈善団体アベ・ピエール財団 新たな性加害発覚で名称変更、記念碑撤廃へ

  


 フランスでの慈善活動の大きな柱の一つとなっているエマウスやアベ・ピエール財団を設立したアベ・ピエールの50年以上にもわたる性加害・性暴力事件が表沙汰になったのが、今年の7月の半ば頃のことでした。

 アベ・ピエールは、貧しい人々の救世主的な存在であっただけに、この性加害・性暴力の犠牲者がこの貧しい人々や子どもたちであったことは、さらに衝撃的な話でした。また、これまでも被害者が訴え出たことが少なからずあったにもかかわらず、この財団内で揉み消しのようなことが行われ続け、公にならなかったことも問題を長期化、深刻化させたとして、大きく問題視され、現在のアベ・ピエール財団の代表は、この問題に対して、激しい怒りを表明し、独立した調査委員会を立ち上げ、問題追及、事態の解明に努めることを宣言していました。

 最初の暴露から、ほぼ2ヶ月後、財団は、さらに17件の新たな被害者の証言が認められ、アベ・ピエール財団の名称を変更し、アベ・ピエールが埋葬されている村、エステヴィル(セーヌ・マリティーム県)にある記念碑を撤廃することを発表しています。

 なんといっても、アベ・ピエールはすでに亡くなっているため、本人を告発することはできませんが、このさらなる17件の証言では、「胸への一方的な接触」、「強制的なキス」、「強制的なフェラチオ」だけでなく、「弱い立場の人への性的接触の繰り返し」、「性的挿入の繰り返し」、さらに「子供との性的接触」などの、なかなか重たい内容で、報告書では、50年近くこの行為が続けられてきたとしており、被害者女性は、子どもから成人までに及び、本人が90歳を過ぎて、車椅子で生活するようになっていた時でさえも続いていたとされています。

 これらの証言によると、被害は1950年代にまで遡り、そのほとんどはフランス国内で起こったことでしたが、時には米国、モロッコ、スイスなどでも被害が報告されているとのことで、もう言葉を失う感じです。

 アベ・ピエール財団、エマウス・フランス、エマウス・インターナショナルは「犠牲者に対する全面的な支援」を再確認し、証言者の勇気に敬意を表し、彼らの味方であることを保証することをプレスリリースで発表、サポートシステムは年末までオープンで利用可能であるとしています。

 しかし、逆に、50年も続いたこの性加害行為に対してのサポートシステムが、年末まで利用可能・・ということは年末にはクローズしてしまうとは、どういうことかと思ってしまいます。

 日本のジャニーズ問題は、今、どうなっているのかわかりませんが、長い間、内部で隠蔽されてきたことや、生前は、やたらと本人を奉りあげるような感じがあったり、その実、本人がやってきたことは、えげつないことこのうえなくて、また、アフターケアーや補償についても、どうにもすっきりしないことまで、なんだかよく似ているような気がします。

 そのうえ、アベ・ピエールに関しては、慈善事業の創始者・カトリックの司祭というのですから、つくづくウンザリさせられる話です。

 それでも、彼の作った貧しい人々を助けるためのこの団体やエマウスなどの仕組みは、今でもフランスの中で機能し続けているもの・・、とはいえ、今となっては、おぞましさしか連想できないこの彼の名前の入った団体名を変更するとのことで、それは当然と思いつつ、これまた、ジャニーズを連想させるのでした。


アベピエール


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2024年9月6日金曜日

ようやく首相任命 史上最年少の首相の後は・・73歳 ミシェル・バルニエ氏

  


 突然の国民議会解散選挙から、2ヶ月間、空席になっていた首相の席。ようやく任命されたのは、史上最年少の首相とは正反対?の1951年生まれの73歳という最近の人事からしたら、かなり年長(第5共和政では最年長)のミシェル・バルニエ氏に任命されました。

 フランスの首相は、大統領によって任命されますが、通常、国会の過半数に属する政党の出身の者が選ばれるのが通例です。大方は、大統領陣営の人間が務めることが多く、任命もスムーズにいくのですが、今回は、選挙の結果、過半数に達する政党が不在となり、そのうえ、過半数には達しないとはいえ、第一党となったのは、新人民戦線(NFP)であり、少なくとも、最大勢力となったこの党から首相が任命されるものと思われていました。

 パリオリンピックを理由になかなか首相任命に踏み切らなかったマクロン大統領は、オリンピックが終わるころには・・と、当初は説明していましたが、オリンピックが終わっても、ずるずると決まらず、新人民戦線(NFP)はルーシー・カステッツという女性を首相に推薦しており、これには、マクロン大統領も依存はなく、エリゼ宮は彼女を首相に迎える準備ができている・・などという報道が流れましたが、結局、マクロン大統領はこの提案を却下。

 その後、次から次へと様々な人の名前が挙がっていましたが、噂ばかりで、マクロン大統領は、口を閉ざしたままで、もうニュースを追うのも疲れてきた・・と思っていたところでした。

 前任のガブリエル・アタル氏が任命された時は、彼はマクロン学校のミルクを飲んで育ったマクロンベイビーなどと言われるほどのマクロン直結の人物で、当時、甘いマスクで人気者だった彼の人気に乗っかり、そのうえ史上最年少の首相ということで、話題を呼びました。史上最年少の首相は、8ヶ月間でその任務を終えました。

 しかし、今回は最年少とか、人気に乗っかるとか、そんな悠長な話が通用するような政情ではなく、考えてみれば、これほどやりにくいタイミングというか立場の首相というのもそうそうない気がします。

 結局、マクロン大統領が選んだのは、第一党の新人民戦線(NFP)でも、マクロンの政党でもなく、議会選挙で最下位だった政党の議員です。

 ミシェル・バルニエ氏は、ここ最近には、あまり前面に出て話題をさらうことはなかった人物ではありますが、1993年にエドゥアール・バラデュール政権の環境大臣として初の大臣職に就き、その後、シラク大統領とサルコジ大統領の下で大臣を3度務めた経験豊富な人物とのこと。

 英国のEU離脱の時には、ブレグジットの交渉担当者として、難しい交渉に臨む非常に難しい仕事が注目されネゴシエーターとしての力量が注目され、今回の任命もそのあたりの能力に期待がかけられたのかもしれません。

 しかし、常識的に考えれば、第一党である新人民戦線(NFP)から、首相を任命するのがまあまあ、妥当なところと思いきや、それをしないことで、当然、新人民戦線(NFP)は「マクロン大統領は議会選挙の結果を公式に否定した!」と真っ向から否定、このミシェル・バルニエ氏本人の評判は、そこそこなのに、この首相任命については、かなり炎上しています。

 とはいえ、首相は大統領が任命することになっているため、首相が任命された以上、その首相を中心に内閣が組閣されていくものとみられます。

 それでも、「マクロン大統領は、独裁を続けようとしている!」とか、「マクロン大統領は「ジュラシック・パークをやっている=化石を探しに行っている」とか、「化石であるだけでなく、政界の化石となった人物を首相に任命した!」などと非難の声も上がっており、73歳で化石扱い・・と、ちょっと啞然としてしまいました。

 もう、話がヒートアップしすぎて、話は2027年の大統領選の話まで出てきて、まだ3年先のことなのに、今後のマクロン政権、どうなっていくのか?全く先が見えないどころか、いつもは、饒舌すぎるくらい国民の前に出て話すマクロン大統領が全く出てこないのは、どうしたことなのか?と思います。


フランス首相任命


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2024年9月5日木曜日

突然の停電の理由

  


 昨日は、午前中に仕事を済ませて、食事してから外出しようと思っていました。

 ところが、仕事が一区切りついたところで、突然、ネットが繋がらなくなり、「えっ??」と焦ったのですが、まあ、ネットがなぜか繋がらなくなることは、そんなに珍しくもなく、しばらく待っていれば、勝手に復旧するので、「またか・・」と思って、余裕で構えており、じゃあ、続きは食事の支度をしてからにしようと思っていました。

 ところが、食事の支度をしようと冷蔵庫を開けてみたら、冷蔵庫の中が真っ暗で、その時、初めて停電していることに気が付きました。

 昼間なので、部屋の電気をつけていたわけでもなく、テレビをつけていたわけでもないので、まさか停電とはすぐには、気が付かなかったのです。

 そこで、ブレーカーが落ちているのか、見て見たら、そういうわけでもなく、特に電気を使っていたわけではなかったので、何で突然、停電したのかがわからず、アパートのどこかで工事でもしているのか?とか、地域の停電?なのか?とそれでも、まだ、少し、様子を見て見ることにしました。

 幸いにも、急ぎの仕事は片付けていたので、焦ることもないか?と思いつつも、停電となると、とりあえず一番、心配なのは冷蔵庫の中身で、今はそんなに暑くないとはいえ、やっぱり、そうそう余裕で構えているわけにもいかず、すぐに管理人さんにSMSを送りましたが、すぐに既読になりません。

 少しベランダの野菜の手入れなどをしたりして待ちながら、それでも連絡がないので、今度は、彼女に直接、電話をして、それでも留守電になったので、メッセージだけ残して、待ちました。

 平日の日中なので、夜までにはなんとかしなければ・・と少々、焦り始めると、やっと、「OK!あと15分で行きます!」と返事がきて、一安心。

 うちのアパートの管理人さんは、とっても感じのよい女性で、これまでも幾度か助けてもらってきました。彼女が来ると、ブレーカーを確認し、キッチンの電源タップコンセントをチェックすると、「たぶん、これだと思う!」と、そのコードを外して、電気をつけてみると、あら不思議、あっという間に電気は繋がりました。

 問題だった電源タップコンセントが古くなり、汚れなどで、危険な状態になると、電気が繋がらなくなるそうで、すぐに、カーフールかルロワメルランにいって、新しい電源タップコンセントを買ってきなさい・・できれば、赤いランプをつけたり消したりできるものの方がよい・・と。Action(アクション)はやめておいた方がいいと・・。つまり、この類のものは安物は避けた方がよいという意味だと思いますが、あまりに具体的に店名を言うので、少々、笑ってしまいました。

 電気製品は、壊れたら、仕方なく買い替えるし、どのくらい使っているか、だいたいの記憶はあるのですが、電源タップのコンセントは、壊れていることに気が付かないので、気をつけないと、火事になったりするから、気を付けて、時々、意識的に取り換えたほうがよいとのこと。

 電気のコードなど、そういえば、もうずっと取り換えていないし、おおもとのコンセントがどこだったかも家具に隠れてわからなくなっているくらいで、慌てて、コードを買いに行って取り換えようとすると、もうそれは、恥ずかしいほど埃だらけで、このタイミングに掃除しないでどうするの?という感じで、2ヶ所のコードを変えるのに家具をずらしたりしながら、大格闘して埃まみれになりながら大掃除。

 彼女のおかげで電気は復旧し、午後半ばの時間には、どうにか、もと通りになりました。

 電気系統などのトラブルには、めっぽう弱く、今までは夫や娘に頼りきっていたのですが、二人ともいなくなってしまったので仕方ありません。

 こうして、電源タップコンセントにも寿命があることをまた一つ、学んだ・・と思い、これからは、定期的に交換し、コンセントの電源まわりも、こんなに埃だらけにならないように掃除しなければ・・と思わせられたのでした。

 この電源タップコンセントというの名前が日本語でよくわからなかったので、ネットで調べてみたら、この電源タップコンセント・・日本のものは、そもそも電源のコンセント自体も小さくてスッキリしていることもあり、実にスマートで便利そうなものがたくさんあって、「へえ~~さすが日本!いいなぁ~」と思いました。

 しかし、それにしても、結果的には大したことをしたわけでもないのに、ハプニングでグッタリ疲れた一日でした。


停電 電源タップコンセント


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2024年9月4日水曜日

治安のよい日本におぼれている娘

  


 フランスで育った娘が日本で就職して、早や2年が経ちました。生まれた時から、日本語はしっかり教えようと、私としては、かなりしつこく娘への日本語教育だけは諦めずにずっと続けてきたので、その日本語も使えて、フランス語も英語も使いながら、現在、彼女が仕事ができていることは、私にとっては、何より嬉しいことです。

 小さい頃から、学校の長いお休みの時には、毎年、日本に連れて行っていたので、ある程度は、日本のことをわかっていたとは思いつつ、日本で生活を始め、しかも日本で仕事をするとなると、フランスとは習慣も文化も違うことがたくさんあり、さぞかし、困惑することもあるかも? そして、日本人の生活に馴染めるのだろうか?と親としては、心配なこともありました。

 彼女の仕事は、リモートワークが多いのですが、会議などで、「「お疲れ様でした・・」と言われるけど、何と答えればいいのかな?ほんとに疲れてはいるんだけど・・」などと聞かれて、「ああそうそう・・それは、挨拶みたいなもので、本当に疲れているかどうかの問題じゃないよ・・お疲れ様でした・・と言われたら、同じようにお疲れ様でした・・と言えばいいよ・・」と答えながら、そういえば、そういった、日常では何気なく使う言葉というか習慣のようになっている言葉があるんだな・・と苦笑した覚えがあります。

 最初に日本で生活を始める時には、家のことやら、最初に生活を始める最低限の手続き等のお手伝いをして・・と思って。一瞬だけ、ついていったのですが、習うよりは、慣れろ・・と言う感じで、彼女は仕事をしながら、そして、少しずつ友人を作りながら、遊びながら、少しずつ日本の生活に慣れていき、短い間に彼女は、転職までして、さらに良い条件の仕事を見つけ、日本での生活を存分に楽しんで、また、しっかり仕事もしているようです。

 彼女とは、たまに電話で話をしますが、そんな時、一応、尋ねることがあるのですが、「最近、なにも失くしていない?」ということで、我が娘ながら、本当にしっかりしている子なのに、なぜか、以前から、物を失くすことが多く、もう「え~~また~~??」ということが、時々、あります。

 まあ、人生の大事な部分がしっかりしていれば、よいのですが、やはり、日本に行っても、たまに思い出したように、「最近は、なにか失くしてない?」と聞くと、まあ、相変わらずやらかしているようで、ため息をつくしかありません。

 ただし、日本の場合だと、それが見つかる可能性が高いため、だいたいは、お財布だったりするのですが、最後に使った場所はどこだったか?を思い出して、聞きに行ってみると、たいていはでてくるため、もう慣れてしまって、最近では、「また、やっちゃった!」と思いつつも、「えへへ・・」くらいな感じになっていて、自分でも全然、焦っていないことに気が付いて、「えへへ・・じゃないよな・・」と自分で自分に突っ込みを入れているのだそうです。

 本当に「えへへ・・」じゃないです。そんなことがまかりとおるのは、世界広しと言えども日本だけ、「もうフランスでは生活できないよ・・」と。フランスだったら、失くさなくても盗られたりして失うこともあるというのに、そんなフランスで育った娘が今や日本の治安モードにどっぷり浸かってしまっているようです。

 もちろん、ふつうに日本人がそんなに娘のように忘れ物などをするというわけではないでしょうが、忘れ物を見つけても、ちゃんと取っておいてくれたり、しかるべきところに届けてくれるという・・こういうところは、日本人の倫理観の高いところです。

 日本の生活にしっかり馴染んでるかと思いきや、そんな慣れ方をしてしまっているとは、まったく想像外の慣れようです。

 私はフランスでも、落とし物を見つけたら、受付等に届けに行くようにしていますが、「えっ?なんで?」というような顔をされることさえあるので、届けたところで、後から探しに来た人の手に渡るかどうかも微妙な気がしてしまいます。まったくそんなフランスで育ったというのに、娘ときたら・・。


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