2023年10月14日土曜日

あの怖いおばさんたちは、どこへ行ったのか?

  


 フランスで私がいいな・・と思うことのひとつに、何気なく目があった人が、ニッコリ笑顔で微笑んでくれるところがあります。

 私の偏見かもしれませんが、これには、特に美しい女性が多い気がして、全然、知らない人でも、笑顔でニッコリされると、なんとなく、ほわっと暖かい気持ちになって、おこがましくも、見習いたいなぁ~などと思います。

 それとは真逆で、私がフランスに来たばかりの頃、なんとなく、今よりも、もっと日本人を見かけることが多かったような気がするのですが、場所にもよりますが、それでも、やっぱり、日本人を見かける(観光客ではない在仏日本人)ことは、あんまり多くなくて、たまにメトロの中などで、ふと、「あっ!あの人、きっと日本人だ!」などと思われる人を見かけると、私としては、なんとなく同胞という気がして、嬉しかったりもしたのですが、けっこう高い確率で、怖い顔をして、睨みつけられることが多く、そのたびに、「なんでなの??」と悲しい気持ちになったものでした。

 当時といっても、もう20年以上も前の頃のことなので、あの頃、私が「怖い!」と思ったおばさんたちは、団塊の世代と言われる年頃の人が多く、あの頃のパリにいる日本人には、独特なアクの強さがあったような気がします。

 パリに住んでいる理由はそれぞれに色々な理由があるでしょうが、当時は、けっこう日本に住んでいる日本人に比べたら、比較的地味めで、あまり化粧っ気もない人も多かったり、かと思うと、その服装などから、昔の日本人のパリのイメージをそのまま自ら体現し続けているような、つばの広い帽子をかぶっていたり、ボブにきつめのメイクをしていたりする様子は明らかに浮きまくっているような感じだったり、とりあえず、ふつうの人はあまり見かけないような気もしていました。

 現在は、パリで日本人を見かけても、あんなに怖い顔で睨みつけられることもなく、すごくナチュラルな感じになったな・・などとも思うのですが、当時を思い出すと、あのおばさんたちは、なんで、同じ日本人に対して、あんなに怖い顔で睨みつけたりしていたんだろうか?と不思議な気持ちで、今でもよくわかりません。

 知らない人に対して、にっこり笑顔を見せるというフランス人とは対照的だっただけに、当時はすごく残念な気がしたものです。

 しかし、最近は、そういうこともなくなったということは、あの怖いおばさんたちは、どこに行ったんだろうか?と思いますが、年齢的にすでに引退しているか、日本に帰国してしまったのか?わかりませんが、同じ日本人から嫌な思いを受けることはなくなりました。

 みんながみんな同じではありませんが、知らない人とも目が合ったら、なんとなくにっこりして見せる・・ということは、国籍関係なく、決して、悪い気はしないわけで、よい習慣であると思うのですが、また、同時にニッコリと笑顔を向けられるたびに、あの怖いおばさんたちのことをうっすらと思い出すのです。


笑顔


<関連記事>

「美しく歳を重ねる同じアパートのフランス人のマダム」

「フランス人は、女を捨てない! パリのジムでの大らかなパリジェンヌたち」

「パリに住む変な日本人」

「フランスでは知らない人に話しかけられる確率が高い私」

「パリのバス停で・・喋る喋るフランスのおばちゃん」




 

2023年10月13日金曜日

繋がりを絶った友人

  


 私は、もともと、そんなに友達が多い方ではないのですが、よく言えば、どちらかというと、本当に心の許せる人と深く付き合うタイプです。

 たくさんの友達が欲しいとも、あまり思いません。そうそう気の合う人というのも、そんなにいるわけでもなく、なんとなく、いつの間にか友達になって、だんだんとその友人関係が凝縮されていく感じで、離れていても、付き合いが続いている人とでも友人関係が続く場合もあるし、意図的ではなくとも、なんとなく、知らず知らずのうちに疎遠になっているという場合も少なくありません。

 もういい加減、いい歳になって、無理して付き合うのは友達ではないし、私は、一人の時間もとても好きなので、仕事上などならば、仕方ないとしても、それ以外で、無理をするつもりもありません。

 ましてや海外にいれば、日本の友人とは疎遠になりがちになってしまいますが、それでも、今はネットがあるので、繋がり続けて、時々、思い出したように連絡を取り続け、日本に一時帰国した際には久しぶりに会って、一緒の時間を過ごしたりもします。

 そんな日本の友人は、学生時代の友人や、職場で知り合った人、また、留学中に知り合った人やフランスに来てから知り合った人もいます。

 いつも日本にいるわけでもないこともあって、私は同窓会のようなものには、行ったことがないし、特に行きたいとも思いません。

 いくら友人が多くはないとはいえ、限られた一時帰国の期間に友人や親戚など、会える人も限られてしまい、あっという間に予定がギチギチに詰まってしまうのも、楽しい反面、ちょっとしんどかったりもします。

 先日、同い年の従妹から、連絡があって、高校の同窓会に行ったら(彼女とは同じ高校に通っていました)、私が仲良くしていた友人に会って、連絡をとりたいって、言ってたよ!よかったら、連絡してあげて!と言われて、気が重くなりました。

 彼女(高校の時の同級生)とは高校を卒業して、お互い別々の大学に進み、別々の会社に就職してからも、付き合いは続いていて、時折、一緒に飲みに行ったりしていて、フランスに来てからも、たまにメールをしたりもしていて、ある時期までは、一応、付き合いは途絶えずにいました。

 しかし、夫が突然亡くなってしまった時、その直後は、もう呆然自失というか、悲しみのどん底にいた私は、とりあえず、日本で付き合いが続いている友人たちにもメールで連絡をしました。

 本当に、あの時ほど気持ちが落ち込んだことは、なかなかなく、まだ小さい子供を抱えて、海外でどうやって暮らして行こうか?と途方に暮れてもいました。

 そんな時、今では、もうはっきり覚えていないのですが、突然の訃報に彼女から、一応、お悔やみのようなメールが来て、お悔やみの言葉とともに「足るを知る・・」というような説教じみたことが、書かれていて、私はその瞬間に彼女との間に大きな鉄の扉が降りるような気がしたのでした。

 夫を亡くした直後の人間に「足るを知る」ってどういうこと?と。もう怒りという気持ちよりも、心が反応しない感じでした。しかし、とりあえずは、「このような状況に、この内容は私には、受け入れられない・・もう、連絡しないでください・・」というような返事を送り、彼女からのメールの履歴もアドレスも全て消し去り、繋がりを絶ったのでした。

 その後は、こちらでの生活も仕事と子育てと忙しく、日本に一時帰国する際にも、期間限定であれこれと用事をこなしたり、他の友人や親戚と会うのにいっぱいいっぱいで、正直、彼女のことを思い出すこともありませんでした。

 もう、あれから、ずいぶんと時間が経ったので、もうどうでもいい・・という気持ちもあるものの、今でもあの時のヒリヒリした気持ちを忘れることができません。

 トラウマというほどのことでもないかもしれませんが、あの時の気持ちが蘇えると未だに心がヒリヒリしてしまうので、今さら、繋がりを再開する気持ちにもなりません。今後、日本に住むことがあって、時間が有り余るほどあったらば、また、違うのかもしれませんが、私の気持ちは解けずにいるのです。

 間に入らせられてしまった従妹には、申し訳なく、事情を話して、ごめんね・・と謝ったのですが、「どおりで、彼女、やけに必死だった・・」と言っていました。

 今さら、彼女を恨む気持ちもありませんが、一時期、一緒の時間を過ごした時があったというだけで、もういいじゃないか・・と思いつつ、久しぶりに浮上した彼女の話にちょっとモヤモヤしたのでした。


学生時代の友人


<関連記事>

「そういえば、同窓会というものに行ったことがない私」

「海外に出ることで離れてしまった家族と友人」

「同い年の隣の従姉妹 海外在住者の日本での家族・親戚関係」

「日本から、また訃報・・」

「パリから来ている友達という括り」


2023年10月12日木曜日

未成年強姦容疑のフランスの人気ユーチューバーの捜査打ち切り

 



 フランスの人気ユーチューバー・ノーマン(Norman Thavaud)(当時フランス3位の登録者数1200万人)が、複数の10代の少女や若い女性を巻き込んだ未成年者強姦の容疑でパリ検察庁に身柄を拘束されたという衝撃的なニュースが走ったのは、昨年末のことでした。

 事が公になったのは、被害に遭った少女がInstagramで被害を告発したことがきっかけでした。

 このインスタでの告発を見かけた同様の被害を受けていた少女、女性たちが次々に我も我もと、まさにMe too運動のような現象が沸き起こり、その動向を、さらに影響力を持つ、フランス第1位のユーチューバーSqueezieが「特定のユーチューバーが若い女性登録者の心理的脆弱性につけこんで性行為を強要する不適切行為を行っていること」を非難する内容のツイートしたことから、さらに騒ぎが大きくなり、検察が始動することになったのです。

 当時は少なくとも30人の女の子が声をあげており、うち9名が告訴し、中には当時、未成年であった少女も含まれていたため、事はより一層、深刻な色が濃くなっていました。

 彼の行為は、フランス国内にとどまらず、SNSで繋がりのある他の国の女の子(カナダやアメリカなど)にまでにも及んでおり、捜査には、なかなか時間がかかっていた模様です。

 しかし、先日、パリ検察庁は、「事件当時の少女たちの年齢が特定できなかったこと、被告人が特別に未成年・子供の身体に魅力を感じていることを示唆する話し方や態度が確認されなかったこと」また、「被害者とのやり取りが多分にセンチメンタル、感傷的であり、多くの場合において、性的なことに関しても明白なやりとりがあったため、レイプ、または、性的暴行と認めることはできなかった」と捜査を打ち切ることを発表しています。

 現在、日本で大騒動になっているジャニーズ性加害問題とは、少々異なるものではありますが、未成年への性加害、ユーチューバーを芸能人と呼ぶかどうかは別として、有名人であることを利用したと思われるこの行為には共通するものがあります。

 とかく、この未成年への性加害ということに関しては、欧米なら、絶対に許されないことと(今回の日本のジャニーズ問題などでは)、ことごとく言われていますが、」このように捜査打ち切りになってしまうこともあるのか・・」と、ちょっと別の意味でビックリしています。

 つまり、今回の被害に対しては、過去に行われていた性加害の具体的なことの証明がはっきりなされなかったということなのでしょうが、被害者は被害に遭ったと訴えている・・しかも、同様の被害に遭った人が複数に及ぶ・・というだけでも、無罪とは考え難い気がします。

 しかし、今回の告訴が却下されたとしても、原告側は、今後、民事で争うことも充分に考えられ、すっかりカタがついたわけではありません。

 当然のことながら、彼のYouTubeの広告は、すべて停止され、現在も、広告はもどっていませんが、びっくりすることに、登録者数は若干の減少は見られるものの、依然として1160万人というすごい数の登録者を抱えています。

 捜査中ということで、彼のチャンネル自体は、削除されてはいないのだとは思いますが、広告なしのまま、忘れ去られないようにということなのでしょうが、ペースダウンしているものの、彼は動画の配信を続けています。

 彼のファンからしたら、むしろ、広告なしにYouTubeが見られるわけですから、都合がよいのかもしれませんが、これほどのスキャンダルを抱えながらも、ファンが離れないということは、表向き、倫理的には、未成年への性的虐待は絶対に許さない!と言いながらも、それとこれとは別・・とけっこう節操のない?人も多いのかもしれません。

 彼ほどの大物ユーチューバーとなれば、YouTubeの広告収入以外のビジネスを展開しているのだろうし、YouTube自体は、彼自身の広告のような役割を果たしているのでしょうが、この事件の捜査が打ち切られてしまうことには、私としては、どうにもモヤモヤがおさまらないところです。

 しかしながら、ジャニーズ問題に比べれば、少なくとも検察が動き、捜査がなされたことで、大々的なニュースにもあがっているだけでもまだマシなのかもしれませんが・・。


フランスの大人気ユーチューバーの性加害問題


<関連記事>

「登録者数1200万人のフランスの人気ユーチューバー 未成年者強姦で身柄拘束」

「未成年強姦容疑で身柄拘束されたフランスの人気ユーチューバー YouTube広告収益撤廃」

「人気ユーチューバーとの約束を果たしたマクロン大統領のユーチューブ出演 1日で750万回再生突破」

「フランスの大人気ユーチューバー Mcfly et Carlito(マクフライとカーリト)燃え尽き症候群 休業宣言」

「フランスの大人気ユーチューバーのマクロン大統領独占インタビュー 24時間で100万回再生突破」


2023年10月11日水曜日

パリの歴史的建造物でもある行列の絶えないパン屋さん メゾン・ベルジュロン Maison Bergeron

  


  パリには、パン屋さんが当然?のことながら、たくさんあります。パン屋さんは、一般的に、ブーランジェリー(パン屋)とパティスリー(ケーキなどのお菓子類)とに分類されますが、実際には、その両方を扱っているお店が圧倒的に多いです。

 しかし、どちらにしても、このパン屋さんの類がたくさんあるということは、それだけの需要があるということでもありますが、一方では、それだけ競争が激しいとも言うことができます。

 今回、ご紹介するお店は、パンもお菓子も扱っているという意味で、メゾンと名乗っていますが、このお店は、いつ通りかかっても、時間に関係なく行列ができています。

 大々的に広告をしているわけでもないにもかかわらず、また、同じ通りには、いくつものパン屋さんがあるにもかかわらず、このお店には、いつも行列ができているのには、いくつかの理由があると思われます。

 比較的、エッフェル塔というパリの一大観光地に近いということもあるとは思いますが、この通り沿いにあるパン屋さんは、ここだけではないので、必ずしもこの立地条件が人気の第一の理由とも思えません。

 私が思うにこのお店の人気の理由の一つは、このお店自体が歴史的建造物であることもあるような気がしています。店内に入るとそのクラッシックな華やかさに圧倒されます。店内の装飾や壁面や天井の壁画などは、なかなか見事です。


 そして、パンにせよ、ケーキ類にせよ、とにかく種類が多くて、どれも美味しく、美しく、また、回転が速いため、できたてのものを味わえるということ、そして、そのうえ、何よりも価格が適正、妥当であるということではないかと思います。

 あまり売れていないパン屋さんなどだと売れ残ったクロワッサンなどは、翌日加工して、クロワッサン・オ・ザマンド(クロワッサンにアーモンドやお砂糖をまぶしてある)になり変わっていたりするという話も聞いたことがありますが、このお店の場合は、そんなこともなさそうです。

 最近のパリのパン屋さん、特にパティスリー関係の有名店、人気店のお店は、とかく、ちょっと目を疑うような、にわかに信じがたい値段のお店が多くなっている中、これだけのクォリティでこのお値段、だからといって、すごくお安いというわけではありませんが、クォリティに見合った適正価格、これなら、この価格でも納得できるな・・というような感じです。

 また、サンドイッチ、ピザ、フガス、フォカッチャ、キッシュ、ハンバーガー、サラダなどの軽食になるようなものの品揃えも多く、また、ピザやフガス、ハンバーガーなどに関しては、オーブンで温めなおしてくれたり、フライドポテトなども頼めばついてくるという他のパン屋さんではあまりお目にかかれないサービス、心遣いがあります。




 もちろん、ドリンクとセット(サンドイッチとドリンクがセットで 6.2ユーロ~、デザートも追加で 9.5ユーロ)になっているものもあります。

 とかく外食は高めなパリで、10ユーロ以下での食事というのはなかなかありません。下手なレストランに行くよりも、ランチなどだったら、パン屋さんでパンやケーキを買って、緑の広がる公園などでピクニック気分で食べる方がよっぽどよかったりする場合も多々あります。







 とにかく、サンドイッチにしても何にしても、パン屋さんなので、まず何よりもパンが美味しく、サンドイッチの中身なども他のお店ではお目にかかれないような珍しいものもあるのも魅力です。しかも、けっこうお手頃価格で一食、楽しめると思います。

 私は、今回はジャンボン(ハム)のフガスを買って帰って、家で温めなおおして、食べましたが、しっかりたべごたえもあって、とっても満足でした!

 

サイズ感が伝わらなさそうですが、実はけっこう大きいです。


パリの美味しいパン屋さん メゾン ベルジュロン Maison Bergeron

Maison Bergeron 112 Rue Saint-Dominique 75007 Paris 


<関連記事>

「2023年パリ・バゲットコンクール グランプリ受賞のバゲット オー・ル・ヴァン・デ・ピレネー」

「ガレット・デ・ロワはカロリー爆弾」

「パリで最も古いパティスリー 「ストレー」Stohrer のババ・オ・ラムとピュイ・ダムール PATISSIER STOHRER」

「2022年パリ・クロワッサンコンクール優勝のお店 Carton カルトン」

「ファラフェル激戦区 パリ・マレ地区の美味しいファラフェルのレストラン2選」



 

2023年10月10日火曜日

埼玉県の児童保護に関する法案とフランスの児童保護

  


 私は、日本で子育てをしたことがないので、正直、日本での子育てについては、よくわかりません。

 しかし、埼玉県の自民党県議団により、子供だけでの留守番や外出を「置き去り」として禁ずる虐待禁止条例改正案というものが提出されたという話を聞いて、ちょっとギョッとしてしまいました。

 対象年齢は小学校3年生までで、4年生から6年生は努力義務として、子供だけでの留守番や外出を禁止し、県民に対しては、禁止行為の通報を義務付けるというものです。

 日本の場合は、多くの場合、小学生になれば、送り迎えもいらなくなるし、子育ても一段落という感じがあるような気がしていて、フランスでは、小学校を卒業するまでは、送り迎えをすることがふつうなので、日本はいいな・・などと思ったこともあります。

 うちの場合は、小学校高学年になった時点で、リスクを負うのであれば、送り迎えもしなくてもよいということでしたが、リスクを負うのであれば・・などと言われれば、喉元にナイフをつきつけられているようなもので、そんなリスクを負うのはゴメンです。もしも、何かあったら、取り返しがつくものではないと思い、結局、小学生の間はずっと送り迎えをしていました。

 そんな感じでもあるので、子供だけでの留守番や外出は、フランスでは、基本的にあまりないことだし、しかし、その代わりに、通常の学校の授業が終わった後には、希望者にはエチュード(宿題などを見てくれる時間)の時間があったり、これだけ多いバカンス期間なども、必ず地域ごとに子供を預かってくれる場所が設けられていて、様々なアクティビティをさせてくれたりする受け皿があります。

 日常は、エチュードの時間は18時半までだったので、仕事を切り上げて、18時半までにお迎えに行くのは大変なことでしたが、それでも、このエチュードの時間には大変助けられたし、バカンス期間中の子供の居場所も、設けられていたので、一応、安心して、子供を預けることができていました。

 基本的に児童保護については、かなり厳しい面もあるフランスでは、もし、この義務を怠っていれば、通報されることもあります。

 一度、パリに引っ越してくる前に、ご近所の誰だかわかりませんが、嫌がらせに、「あの家は子供を学校に行かせていない!」などと、通報されて、児童保護機関の人が家にやってきたことがありましたが、こちらとしては、学校に問い合わせてもらえば、すぐにわかること、なんなら、学校以外にも公文やバレエなどのお稽古事の送り迎えもあって、目が回るほど忙しく、他の子よりも違う学びの場にも行かせている!と、憤慨し、そんな通報にひるむことはありませんでした。

 しかし、夫が亡くなって、我が家が外国人の母子家庭として児童裁判所の監督下におかれてからは、目をつけられたら、下手をすると子供を取り上げられてしまうため、この子供の置き去りに関しては、それまで以上に神経質になり、18歳になるまでは、子供を一人にすることは、決してありませんでした。

 娘も成人して、子育てを終わった今、日本よりも治安が数段悪いと思われるフランスでも、無事に子育てができたことは、ヤレヤレという気持ちもある一方、厳しい児童保護の法律があるとはいえ、これらの子供を預かってくれる受け皿があったことには、とても感謝しています。

 埼玉県の事情はよく知りませんが、埼玉県の虐待防止条例改正案というものに対して、その条例の前に、埼玉県には、私がフランスで利用させてもらってきたような、子供を一人にしないための受け皿というものがあるのだろうか?と、現役で子育てをしている人々がちょっと気の毒になってしまいます。

 これでは、女性に働くな!といっているようでもあり、また、子供を作るな!といっているようでもあり、子供を守るつもりがその家庭の生活そのものが成り立たなくなってしまう場合もあるのではないか?と、歪なものを感じます。

 そして、県民に通報を義務付けるというのも、ただでさえ、周囲の監視の目がキツそうな日本で、他人を責める格好の材料となりかねないような気もします。

 フランスでは義務と補償はセットのようなものところがあり、小さい子供を一人にしてはいけないという親の義務がありますが、それとセット補償?として、子供を預かってくれる場所が存在しています。

 子供を一人にしないということは正論ではあるかもしれませんが、そのために、国が何かの受け皿を同時に用意しない限り、それは単に子育てを苦しめるものにしかならないと思うのです。


埼玉県虐待禁止条例改正案 


<関連記事>

「決死のお迎えで、ある日、気付いたこと・・フランス人は、走らない」

「子供が一人で歩いて通学できる・「はじめてのおつかい」の番組が成立することは驚異的な治安の良さ」

「おたくのお嬢さんが刺されそうになりました!?・・バカンス中のサマーキャンプでの話」

「フランスのベビーシッターと子供のお迎え」

「フランスでの児童保護、親権などに関する怖い話」


2023年10月9日月曜日

露天のクレープの生地はマンホールに保管されていた・・

  


 パリのシャン・ド・マルス(エッフェル塔近くの広場)の露天商が販売していたクレープの生地がマンホールに保管されていたと聞いて、驚愕しています。

 そもそも、多くの露天商は無許可営業が大部分を占め、怪しい存在でもあり、ふつうの飲食店ならば、パリ市によって、定期的にアトランダム、あるいは、通報により行われている衛生検査は結構、厳しいものであると聞いていますが、無許可営業ゆえ、そのような食品管理の検査などを受けているわけでもなく、考えてみれば、なんでもありの状態で、そのようなことも充分、あり得るのだろうな・・と思うのです。

 食べ物に限らず、この手の無許可の露天商などは、警察の取り締まりが来ると、すぐに逃げられるように、下に布地を敷いていたりして、すぐにそれを抱えて逃げられるようにしているために、その場にそんなに大量のストックは抱えていないのです。

 私も以前にオペラ通りだったか?パリの街中を歩いていた時に、若い青年が走ってきて、おもむろにマンホールをあけて、ペットボトルの小瓶を大量に持っていくところを目撃したことがあり、こんな場所を勝手に保管場所に使っているのか?と仰天したことがありました。

 ふつうの日常生活ではあまり、お目にかかることがないマンホールですが、パリ市内?は、特に地下には、思いがけないような地下道(道というほどでもないかもしれない)が入り組んでいて、たしかに、気温も低いだろうし、ある意味、冷蔵庫のような役割を果たすということもあるのかもしれませんが、問題なのは、ネズミもここを行き来している・・というか、ネズミの大運動上でもあるわけで、衛生上は大いに問題があります。

 パリ市は、来年のオリンピックに向けて、この露天商の摘発に力を入れ始めたようで、これらの露天商はもちろんのこと、そのストックの保管場所として使用されているマンホールのチェックに警察が介入し始めているとのことです。

 ここ一ヶ月ほど、一回の警察の介入でおよそ、30キロの商品を押収して廃棄していると言われており、9月のある1週間には、マンホールから、水380本、ワイン50本、ビール200本、トウモロコシ90本を押収したと報告されています。

 これらの商品は衛生的に大変な問題を抱えているため、パリ市は、多くの消費者、観光客に露天商の飲食物への注意の呼びかけを始めています。

 考えてみれば、パリの街中には、びっくりするほど多くの露天商が存在し、ましてやクレープなどといえば、直接、口に入る食べ物。クレープの場合、その場で焼いてくれるものもあれば、冷凍の生地を温めなおしているだけのものもあり、マンホールの匂いをお砂糖や、チョコレートクリームなどで、ごまかしているとさえ言われているものもあります。

 パリの街をクレープ片手に歩く・・などと、若い女の子が憧れそうな絵ではありますが、ちゃんとしたお店で買わないと、マンホールで保管されていたクレープを食べるハメになる危険性があるようなので、充分にご注意ください。

 パリ市は来年のオリンピックに向けて、多くの観光客を迎える準備をあちこちで、していますが、このマンホールクレープの摘発もそのリストに加えられた模様です。


パリ露天商 マンホール クレープ


<関連記事>

「フランスの年末年始にかけての食事」

「クレープの本場フランス・パリにある原宿のクレープ屋さんをコンセプトにした逆輸入バージョンのクレープ屋さん」

「パリ・チャイナタウンの露天商摘発」

「マルセイユではパン・オ・ショコラを買うようにカラシニコフを買うことができる マルセイユ14歳少年銃殺事件」

「パリ市庁舎前のストリートフードフェスティバル」

2023年10月8日日曜日

日本への一時帰国の移り変わり

  



 私が海外生活を始めて以来、といってもフランスに来て以来のことですが、日本へは、定期的に一時帰国をしていますが、考えてみれば、その一時帰国もずいぶん、移り変わってきたものだと、思い返します。

 イギリスに留学中だった頃は、期間限定ということもあり、この限られた期間中にわざわざ日本に帰国するのはもったいないと思い、日本ではなく、その分、ヨーロッパを旅行して歩きました。

 日本に定期的に一時帰国をするようになったのは、本格的にフランスに落ち着いて生活を始めてからのことです。

 最初の頃は、子供に少しでも日本に触れる機会をもたせたい、孫の存在をことのほか喜んでくれていた両親に孫を合わせたい、ほんの短い期間でも、子供に日本の学校生活を体験させたいなどというものでした。

 そんな子供のためという理由とともに、特に最初に母の体調が悪くなり始めてからは、日頃は、両親のために何もできないから、日本にいるうちにできるだけのことはやっていかなければ・・と、介護手続きに奔走したり、家の中を生活しやすいように整えたり、その合間を縫って、友達に会ったり、買い物をしたりと超絶忙しい日本滞在でしたが、両親と過ごす時間はかけがえのないものでした。

 両親ともに他界してしまった今では、日本に待っていてくれる人がいるというのは、どんなにか嬉しく、温かい気持ちにさせてくれるものだったか?と思い知らされます。

 その後は、母が急に入院した際とか、危篤状態になって、急に帰国したこともありました。連絡が来て、すぐにチケットをとって、翌日には日本へ・・なんてことも、何回かありました。

 その後、今度は夫が急に亡くなったりして、やたらと多いフランスの学校のバカンスと私のバカンスを調整して、この学校のバカンスをどうにか乗り切っていくために、しばらくは、日本に全く行けなかった数年間もありました。

 その後、しばらくしてから、日本への一時帰国は再開しましたが、それからまもなくして、今度は、父の具合が悪くなり、その介護施設の下見をしに行ったりしたこともあったし、とうとう、父が亡くなった際には、お葬式のために帰国、それからしばらくして、父の死後の手続きのための帰国、その後は、空き家となった実家の片付けに定期的に日本に帰国していましたが、パンデミックのために、2年近く中断していました。

 日本への入国もそろそろ厄介なこともなくなりつつあるかな~?と思っていた頃に、今度はウクライナの戦争が勃発し、一時は日本への直行便もなくなってしまいました。

 その後、娘が日本で就職することになり、しばらく、空き家にしていた家のこともあり、最初ぐらいは・・と思い、娘が日本へ行くときに一緒に同行し、私一人で帰仏しました。

 当時は、直行便がなく、迂回運行で、長距離フライトもずっとマスクをしたままというキツいフライトに思いっきりウンザリして、本当に身体が本当にキツくて足が遠のいていました。

 こうして、考えてみると、これまでは、日本への一時帰国はバカンス感はほとんどなく、ゆっくり過ごすということは全くできず、おまけに、その短期間に会う友人や親戚へのお土産探しだけでも、はっきりいって、大変なストレスで、もう20年以上、度々、フランスから日本へ持っていくお土産には、もう、ありとあらゆるものを持っていき尽くした感もあり、また、数も半端な数ではないため、これを買い集めるだけでも大変なのです。

 そんなわけで、だんだんと日本への一時帰国は楽しい反面、大変、気が重くなりつつあるのも事実なのです。

 若い頃(日本に住んでいた頃)は、海外旅行ばかりしていて、国内旅行は歳をとって、長距離の旅行がきつくなってからにしようなどと思っていたため、ほとんど日本国内を知らずに結局、年齢を重ねつつある今、そろそろ国内旅行にシフトするつもりであったのに、日本の国内旅行は遠いものになってしまったままです。

 今年は、年内には、一度、帰国する予定にしていますが、今は、介護する親もなく、空き家だった家には、娘が住んでいるので、片付ける必要も今のところはなくなり、日本へ帰っての特命事項はあまりなく、運転免許の書き換えや銀行などの用事が多少あるくらいで、自分の好きに過ごすことがようやくできるようになったので、今度は、念願の日本国内を少し旅行しようと思っています。

 そうなってくると、現金なもので、億劫だった日本行きも俄然楽しみになってきて、あそこに行ったら、あれを食べたい、ここも行ってみたい、あそこのあれも食べてみたいと思い始め、一人で夜中に興奮状態になり、眠れなくなるほどです。

 また、そんなことを考えていると、普段はパリで美味しそうなレストランなどを探しては、行ってみたりしているものの、全く興味が失せてしまう自分の変わりようにもびっくりするほどです。

 本来ならば、フランスと日本で半々くらいの生活をするのが理想ではあるのですが、実際に生活していれば、そんなに長く家を空けるわけにもいかず、また、こう航空運賃が爆上がりしてしまえば、そうたびたび、行き来するのも大変なことで、長距離フライトでは体力的にもキツいです。

 また、以前は、「フランスに住んでいるなんていいなぁ・・」などと言う人に対して、「フランスなんて、たまに来るくらいがちょうどいいよ・・」と答えていたのですが、なんとなく、今の自分は、「日本の方がたまに行くくらいがちょうどいいかな?」と思い始めてもいるのです。

 しかし、今回の一時帰国で、少し日本を観光することをとても楽しみにしています。


日本への一時帰国


<関連記事>

「夏の一時帰国時の日本の学校への編入体験 バイリンガル教育の生体験」

「海外生活と日本の家族 母からの最期の手紙」

「海外在住者の本人確認はパスポートではできない不思議」

「コロナ禍と戦時下の一時帰国 長いフライトの後の羽田空港での書類チェックとコロナ検査」

「死ぬ覚悟と死なせる覚悟」