2023年10月19日木曜日

フランス国内の空港、相次ぐ避難勧告で強制退避

  



 フランス国内のリール、リヨン、トゥールーズ、ボーヴェ、ナント、ビアリッツ、ポー、ストラスブール、ブレスト、タルブ空港では、爆弾の脅威のために乗降客が空港から退避、避難をさせられるという異常事態が起こっています。

 長年、フランスで空港を利用している人ならば、一度や二度はこの爆弾騒ぎに遭遇したことがあると思いますが、フランス各地で、同じ日にこれだけの数の空港が避難勧告を出し、一時、空港を閉鎖するという事態は、さすがに、そうそうあることではありません。

 そもそも、普段、メトロの駅などでも、不審物が発見されたために、メトロが止まるとか、駅が閉鎖されるということは、あり得ることで、ましてや空港ともなれば、忘れ物、置き去りにされたスーツケースなどは、不審物として判断され、スーツケースもろとも、爆破されてしまうところに遭遇したことがあります。

 ある時、空港で銃声のようなものが聞こえたので、何ごとか?とギョッとしていたら、「大丈夫、不審な荷物を爆破しただけだから・・」と軽く言われて、ビックリしたことがありました。

 もちろん、万が一にもそれがホンモノの爆弾などの危険物であることもあり得るからやっていることとはいえ、どちらかというと、その時の私にとっては、うっかり、荷物を置き忘れたら、爆破されちゃうんだ・・と、「えっ?そっち?」と思われる方を心配していたのです。

 今回、避難勧告が出された空港は、不審物が発見されたことによる場所もありますが、リール、ストラスブール、ボーヴェの空港などは、SNSにより、爆破予告を受けたものであり、とりあえず、乗降客を非難させ、空港施設内をくまなくチェックするわけで、当然のことながら、空の便は大混乱。

 フランス全土の空港の様子を統括している民間航空総局によると、あちこちの空港に爆破予告が来ていることは、把握しており、あわや同時多発テロ?と緊迫した空気が流れたと言われています。

 空港内の人々は非難し、フライトはストップし、着陸直後の機内にいる人々は、とりあえずは、空港内には立ち入れないために、機内で待機させられるという異常事態。

 結局、一日が終わってみれば、どの空港でも爆発は起こっていないということは、爆破予告もいたずらや脅しにすぎなかったわけではありますが、しかし、爆破予告を受けながら、乗降客を避難させないわけにはいきません。

 こんなことが一体、いつまで続くかと思うと、心底ウンザリしますが、それがホンモノのバック団である可能性がゼロではない限り、特に現在のような情勢下では、致し方ありません。

 しかし、こんなことを言うのもなんなんですが、フランスの人々、わりと、避難勧告というか、爆弾騒ぎとか、そういうのに慣れているのか、わりと平然としているのもこれはまた、微妙なものです。

 私も直近では、この夏、娘を空港まで送っていった時に、不審物のためにターミナルの一つが閉鎖、もう一つのターミナルまで歩かなければならなかったけれど、「え~~また??」と思いつつも、これはこれで通常運転な感じ。

 昨日もメトロに乗ろうとして駅に行ったら、ちょうど、メトロが停まっていたので、ラッキーとばかりに飛び乗ろうとすると、すれ違いざまに歩いて行くおばさんが、「動いてないわよ・・」と・・。それでも、乗って待ってよう!と思って、周囲を見渡すと、まわりは平然と何もなかったように静か・・。まもなく、なんの説明もアナウンスもなく、メトロは発車。

 まあ、空港となれば、ちょっと規模も違い、また、国内の空港が同時にいくつも閉鎖となれば、かなり焦る気持ちにもなるのですが、もともと通常運転でさえも、オンタイムということがあまりないわけで、いざ、爆発となれば、そんなことも言っていられないのですが、フランスにいたら、ちょっとゆるく構えているくらいがちょうどいいかもしれない・・などとも思うのです。


フランス 空港爆破予告 避難勧告


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2023年10月18日水曜日

パリはハロウィンカラーになってきた・・

  


 またまた、予約してから、3ヶ月近く待たされた心臓専門医の診察の日がようやくやってきて、数ヶ月前に行った検査の結果を持って行ってきました。パリの街はすっかりハロウィンの飾りつけが増えてきました。

 もともと、イベントごとに興味が薄い私は、あまり、ハロウィンなどは、特にやったことがありません。

 子供の頃に母がかぼちゃをくりぬいたりして、飾りものを作っていたりしたことがありましたが、自分としては、一回くらいは、娘が小さかった頃にかぼちゃをくりぬいて、同じようなかぼちゃおばけみたいなものを作ったことがあったかな~?という程度で、ほとんどといっていいくらい興味がありませんでした。

 そもそも、このハロウィンの時期は、フランスではハロウィンというよりもトゥーサンというカトリックの祝日(バカンス)で、亡くなった人を追悼する日であり、家族とともにお墓参りをするという色が強く、この時期になると、墓地がたくさんのお花で埋め尽くされます。

 しかし、ここ最近は、このトゥーサンのお墓参りはそこそこで、それよりも、ハロウィン=仮装大会のような色が強くなってきた気がします。

 スーパーマーケットなどに行っても、ハロウィン仕様のお菓子や、仮装のための衣装などがたくさん並んでいて、フランスも変わったな~と年寄りのようなことを思います。 

 

     


 一番、びっくりしたのは、心臓専門医の診療所までハロウィンの飾りつけがされており、お菓子などがおいてあったことです。



 お祭り好きなフランス人、これに乗らないはずもないのですが、場所が場所、それでも、診察が終わったあと、会計の際に受付のお姉さんが、「お菓子持って行って!」と楽しそうにいうので、チョコレートを物色していると、魔女が大声をあげてガブッと私の手にかみつきそうになる仕掛けになっていて、私は、年がいもなく、悲鳴をあげてしまいました。

 おもしろがる受付嬢をよそに、私の悲鳴をききつけて、診察室からみんなが出てきて、魔女以上に私がみんなを驚かせてしまいました。

 「これって、心臓によくないんじゃない?」と言いながらも、みんな楽しそうで、私も余計にチョコレートをもらってきました。

 トゥーサンからハロウィンに移行しつつあるフランスを実感した一日でしたが、私は、もう少ししたら、ご無沙汰している夫のお墓参りに行こうと思っています。


ハロウィン


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2023年10月17日火曜日

やっぱり私は日本人・・

  


 常日頃から、私には、「日本に行ったら、買いたいものリスト」があって、思いついたら、メモするようにしています。そのほとんどが食料なのですが、日本に行く予定が決まると、今度は、フランスの家に大事に備蓄してある日本食材を再チェックして、うんうん、これは、今度買ってくるから・・と、いつもよりは気前よく、消費し始めます。

 たいていの日本食は、パリでも手に入るので、何も日本に行かなければ手に入らないものばかりではないし、なくなると、パリで買い足したりすることもあるのですが、やっぱり日本で買うよりは、数段、高いのでケチ根性が働いて、「う~ん・・こんなにするんだったら、今度、日本に行った時に買ってくることにして、やめとこ・・」となるのです。

 パリにも日本食以外にも美味しいものは、たくさんあり、日本が遠くなればなるほど、パリで食べられる他の美味しいものを探して歩いたり、食べ歩いたりもするのですが、いざ日本行きの予定を決めると、フランスのものには、食指の動きがパッタリと止まるとまではいかなくとも、魅力が半減してしまうことを感じます。

 いくら、日本食屋さんもけっこうあるとか、他の美味しいものもたくさんあるとかいっても、結局は、日本で食べることができるたくさんの食べ物には、かなうわけもなく、極端な話、おにぎりと卵焼きとお味噌汁・・みたいな質素なものでも、本当は私は、こういうのが一番好きなんだな・・と思うと、つくづく私は日本人なんだな~と痛感します。

 もうフランスでの生活も長くなって、多少のトラブルは日常茶飯事だとしても、これといって、耐えられないようなこともなく、フランスも居心地がよくなっているのですが、現在のような世界情勢が不安な事態になってみれば、やっぱり、一番に守られるのは自国民なので、こういう事態になったら、自分の国(日本)にいた方がいいのかな?と思うこともあります。

 しかし、最近の日本を見ていると、フランスの方が全然、いいじゃん!と思うこともけっこうあって、以前ほどに、日本の方が絶対いいに決まってる!と思うことは少なくなっているのも事実です。

 しかし、今もなお、日本の方がぜったいいいに決まっているのは、食べ物で、「日本に行ったら、食べたいものリスト」と「日本に行ったら、行きたいお店(そのほとんどがレストラン)リスト」も同時に存在します。

 それは、私が日本で生まれ育った日本人で、私の味覚が日本仕様に育っているからなのかはわかりませんが、日本に行く気持ちになっているだけで、もうすでに、他のものへの魅力を失いかけているのは、本当に自分でもビックリするほどです。

 そんなに日本の食べ物が好きなら、日本に住んだらいいじゃないか?と言われるかもしれませんが、でも、それがあたりまえで、いつでも簡単に手に入るようになったら、それはそれで、魅力も半減するわけで、こんな感動を味わえなくなると思うと、今のこの日常があってこそ、大好きな日本の食べ物への感動があるとも思うのです。

 これを他のものに、置き換えて考えれば、あまり満ち足りすぎる生活は、感性を鈍らせ、感動することが少なくなるような気さえしてくるのです。


日本食 日本人


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2023年10月16日月曜日

パリ・オペラ通りの3軒のパン屋さん 

  


 以前は、職場が近かったので、オペラ界隈は、自分のテリトリーというか、庭同然のような気分でいたのですが、かつては、日本人エリアなどと言われていたこともあり、日本食屋さんが多かったり、日本食材のお店が多かったり、日本の銀行などもあったし、日本人としては、便利な場所でもありました。

 しかし、オペラ通りという有名な通りの名前がついているわりには、なんだか、代わり映えのしない、正直、今一つパッとしない印象もありました。

 今では、日本食人気から、オペラ通りから一本入ったサンタンヌ通りなどには、軒を連ねているラーメン屋さんには、行列が絶えなくなり、別の意味で有名にもなりました。

 ただ、しばらく足が遠ざかっていて、数年たった今、少しずつオペラ通りも変化していて、特に、大人気パティスリー・セドリックグロレなどの進出に加えて、新しく、日本式チーズケーキのお店・匠(TAKUMI)などもできたりして、一気に高級な感じのお店が増えてきました。

 日本人からしたら、なにもパリで日本式チーズケーキを食べなくてもいいかな?と思いつつも、ちょっと覗いてみると、チーズケーキはもちろんのこと、日本のような食パンやお弁当やおにぎり、お弁当まで売っていました。

 日本のパン屋さんAKIが近く(サンタンヌ通り)に出店して、大人気を博して以来、AKIは店舗を広げ、今やサンタンヌ通りには、AKIカフェ、AKIもちなど、何店舗も販路を広げていますが、そのAKIの高級バージョンといった感じです。

 最近、甘いものを食べすぎているので、ケーキはやめておくけど、せっかく来たのだから、食パンくらい買って帰ろうかな?と思って、食パン1つを頼むとなんと1本10ユーロ(約1600円)と言われて、びっくり! よく見てみれば、1本というだけあって、およそ2斤分の大きさなのですが、それにしても、いくらなんでも高すぎないか?と、「では、半分で・・」というと、なんと半分だと6ユーロ。



 10ユーロの半分は5ユーロではないか?とセコい考えが頭をもたげたものの、まあ、一度は食べてみたいし、まあいっか・・と食パン半分を買って帰りました。

 同じオペラ通り沿いには、セドリックグロレがあり、そちらは、さらにいっそうお高いわけで、ちょっと金銭感覚がおかしくなりそうな感じですが、そのTAKUMIとセトリックグロレの間には、日本でもおなじみのPAULというパン屋さんがあって、そこは、通常運転というか、まあ通常価格でなんとなく、ホッとさせられたのでした。

 日本にもPAULのお店はあるようで、以前、日本に行った時、日本のPAULがあまりに高くてビックリしたことがありましたが、オペラ通りのPAULは、扱っているパンやケーキ、サンドイッチなどの種類も多くて、しかも、気持ちを平静に保てる範囲内のお値段。

 これまでは、正直、PAULでさえも、パリでも(日本ほどではないにせよ)、少々、ふつうのパン屋さんに比べてちょっと高めかも?などと思っていたのですが、このインフレで、一気に普通の他のパン屋さんも値上げしているせいか、そんなに高く感じなくなっているうえ、この常軌を逸した2軒のパン屋さんのお値段に挟まれていることを思えば、ずいぶんと庶民的なお店のような気もしてしまいます。


 中でもブリオッシュ2本で5ユーロ・・などと書かれているのを見て、思わず買ってしまいそうになりました。



 今までパッとしないと思っていたオペラ通りにこうした超高級店が並ぶようになって、なんだか、その華やかさが嬉しいような悲しいような・・。

 オペラ通りは、言葉どおりにオペラ座からも近くて、ルーブル美術館やチュイルリー公園、ヴァンドーム広場やコンコルド広場などにも歩いて行ける場所で観光地といえば観光地? ゆえに、高級なものでも、けっこう売れていくことに、驚かされているのです。

 そんな中でも懸命に頑張っているPAULが愛おしいです。

 ちなみにオペラ通りには、パリならどこにでもあるスーパーマーケット・MONOPRIX モノプリがありますが、ここのモノプリは観光客をターゲットにしているのか?おみやげにしやすいような、ちょっと可愛いパッケージのお菓子類など、他のモノプリにはないような商品も扱っています。


オペラ通り パン屋さん セドリックグロレ TAKUMI PAUL


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2023年10月15日日曜日

最大級 テロ対策警戒警報発令のフランス プラン・ヴィジピラット ルーブル・ヴェルサイユから避難退去

  


 イスラエルでの大惨事に続いて、フランス国内、パ・ド・カレ(フランス北部オードフランス)のアラスの高校が襲われるという凶悪テロ発生を受け、ボルヌ首相は、プラン・ヴィジピラット(Le plan Vigipirate)に基づき、フランス国内のテロ警戒レベルを緊急に最大級に引き上げることを発表しました。

 ヴィジピラットとは、フランスのテロ対策の一環であり、テロ行為の脅威を可能な限り早期に防止または発見するために、社会全体に警戒と安全を目的とし、フランスの国民、領土、利益をテロの脅威から適切に保護することを掲げています。

 具体的には、フランス国内および海外のフランス国民および国益に対するテロの脅威を評価し、リスクレベルに応じたセキュリティシステムを決定するとしています。

 今回の場合は、その警戒態勢がMaxと判断されたようです。

 諜報機関はテロリストの脅威を評価し、その分析により国防国家安全保障総事務局 (SGDSN) は一般的な ヴィジピラット(Vigipirate )のセキュリティ態勢を確立するというもので、テロ攻撃の主な潜在的ターゲットの脆弱性を探求し、それらを軽減することを目的としています。

 日本に比べると、格段にテロに遭遇する機会が多いと思われるフランスでは、このようなシステムがあるのは、当然といえば当然なのですが、いざ、このような警戒警報のようなもの・しかもそれがMax!などと発令されれば、心穏やかではありません。

 パ・ド・カレの高校で起こったテロ事件の発生は、現在の世界情勢を鑑みれば、このような警戒レベルになるのは、わかるのだけれど、いざ警戒警報ともなれば、さすがに緊張感も上がり、外出はしないようにしていました。

 ここ数日は、テレビをつけても、ずっとイスラエルの悲惨な映像が流れていて、だんだん気が滅入ってくるので、テレビはあまりつけないようにしているのですが、それでも、昨日は、一日中、遠くから聞こえてくるパトカーだか救急車だかのサイレンの音が途切れることはなく、家にいても、なかなかなストレスでした。

 私が一日外出しなかったその日、外では何が起こっていたかというと、あちこちで爆弾騒ぎがあり、お昼頃には、ルーブル美術館で入場者に避難命令が出て、1万5千人が退去、その後、ヴェルサイユ宮殿、パリ・リヨン駅などでも次々と避難命令が出たようで、それは、そのたびに警察や消防隊などが駆け付け、行き来していれば、一日中、サイレンが鳴りやまなかったのも当然だな・・と思ったのです。


 これらの避難勧告は、moncommissariat.frというサイト上の匿名メッセージで届いた爆破予告によるものであると後になって、発表されています。

 ルーブル美術館には、1万5千人もの人が入っているのか?などと、そこじゃないでしょ?というところに、ビックリしたりしていたものの、サイレンのなり続けるルーブル美術館内のパニック状態は、想像するだけでも恐ろしいことです。

 こう世界情勢が不穏な雰囲気になってくると、やっぱり、日本の方が安全なのかも?などと、不安にもなるのでした。

 あまり聞きなれなかったプラン・ヴィジピラット・・などというものを調べてみたら、つまりはテロ対策の計画で、その中には、防御だけでなく、いざという時の攻撃レベル(防御のための攻撃)などという項目もあって、ますます、戦々恐々とした気持ちになります。

 しかし、結果的には、ルーブル美術館もヴェルサイユ宮殿も何ごともなかったようではありますが、一日中閉館となり、追い出された観光客には、本当にお気の毒なことです。

 パンデミックがおさまりつつあって?年金改革反対デモや警察官発砲事件の暴動などもようやく過ぎ去って、と思ったら、またテロ騒ぎで、動乱の日々は続きそうです。

 明日は、どうなるんだろう?と思っていたら、夜中にヘリコプターまで飛んでいました。

 フランスは、この問題に関してのデモを禁止していますが、そんなの簡単に言うこと聞く国民ではありません。イスラエル問題は、他人事ではないフランスです。


テロ警戒警報最大レベル


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2023年10月14日土曜日

あの怖いおばさんたちは、どこへ行ったのか?

  


 フランスで私がいいな・・と思うことのひとつに、何気なく目があった人が、ニッコリ笑顔で微笑んでくれるところがあります。

 私の偏見かもしれませんが、これには、特に美しい女性が多い気がして、全然、知らない人でも、笑顔でニッコリされると、なんとなく、ほわっと暖かい気持ちになって、おこがましくも、見習いたいなぁ~などと思います。

 それとは真逆で、私がフランスに来たばかりの頃、なんとなく、今よりも、もっと日本人を見かけることが多かったような気がするのですが、場所にもよりますが、それでも、やっぱり、日本人を見かける(観光客ではない在仏日本人)ことは、あんまり多くなくて、たまにメトロの中などで、ふと、「あっ!あの人、きっと日本人だ!」などと思われる人を見かけると、私としては、なんとなく同胞という気がして、嬉しかったりもしたのですが、けっこう高い確率で、怖い顔をして、睨みつけられることが多く、そのたびに、「なんでなの??」と悲しい気持ちになったものでした。

 当時といっても、もう20年以上も前の頃のことなので、あの頃、私が「怖い!」と思ったおばさんたちは、団塊の世代と言われる年頃の人が多く、あの頃のパリにいる日本人には、独特なアクの強さがあったような気がします。

 パリに住んでいる理由はそれぞれに色々な理由があるでしょうが、当時は、けっこう日本に住んでいる日本人に比べたら、比較的地味めで、あまり化粧っ気もない人も多かったり、かと思うと、その服装などから、昔の日本人のパリのイメージをそのまま自ら体現し続けているような、つばの広い帽子をかぶっていたり、ボブにきつめのメイクをしていたりする様子は明らかに浮きまくっているような感じだったり、とりあえず、ふつうの人はあまり見かけないような気もしていました。

 現在は、パリで日本人を見かけても、あんなに怖い顔で睨みつけられることもなく、すごくナチュラルな感じになったな・・などとも思うのですが、当時を思い出すと、あのおばさんたちは、なんで、同じ日本人に対して、あんなに怖い顔で睨みつけたりしていたんだろうか?と不思議な気持ちで、今でもよくわかりません。

 知らない人に対して、にっこり笑顔を見せるというフランス人とは対照的だっただけに、当時はすごく残念な気がしたものです。

 しかし、最近は、そういうこともなくなったということは、あの怖いおばさんたちは、どこに行ったんだろうか?と思いますが、年齢的にすでに引退しているか、日本に帰国してしまったのか?わかりませんが、同じ日本人から嫌な思いを受けることはなくなりました。

 みんながみんな同じではありませんが、知らない人とも目が合ったら、なんとなくにっこりして見せる・・ということは、国籍関係なく、決して、悪い気はしないわけで、よい習慣であると思うのですが、また、同時にニッコリと笑顔を向けられるたびに、あの怖いおばさんたちのことをうっすらと思い出すのです。


笑顔


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2023年10月13日金曜日

繋がりを絶った友人

  


 私は、もともと、そんなに友達が多い方ではないのですが、よく言えば、どちらかというと、本当に心の許せる人と深く付き合うタイプです。

 たくさんの友達が欲しいとも、あまり思いません。そうそう気の合う人というのも、そんなにいるわけでもなく、なんとなく、いつの間にか友達になって、だんだんとその友人関係が凝縮されていく感じで、離れていても、付き合いが続いている人とでも友人関係が続く場合もあるし、意図的ではなくとも、なんとなく、知らず知らずのうちに疎遠になっているという場合も少なくありません。

 もういい加減、いい歳になって、無理して付き合うのは友達ではないし、私は、一人の時間もとても好きなので、仕事上などならば、仕方ないとしても、それ以外で、無理をするつもりもありません。

 ましてや海外にいれば、日本の友人とは疎遠になりがちになってしまいますが、それでも、今はネットがあるので、繋がり続けて、時々、思い出したように連絡を取り続け、日本に一時帰国した際には久しぶりに会って、一緒の時間を過ごしたりもします。

 そんな日本の友人は、学生時代の友人や、職場で知り合った人、また、留学中に知り合った人やフランスに来てから知り合った人もいます。

 いつも日本にいるわけでもないこともあって、私は同窓会のようなものには、行ったことがないし、特に行きたいとも思いません。

 いくら友人が多くはないとはいえ、限られた一時帰国の期間に友人や親戚など、会える人も限られてしまい、あっという間に予定がギチギチに詰まってしまうのも、楽しい反面、ちょっとしんどかったりもします。

 先日、同い年の従妹から、連絡があって、高校の同窓会に行ったら(彼女とは同じ高校に通っていました)、私が仲良くしていた友人に会って、連絡をとりたいって、言ってたよ!よかったら、連絡してあげて!と言われて、気が重くなりました。

 彼女(高校の時の同級生)とは高校を卒業して、お互い別々の大学に進み、別々の会社に就職してからも、付き合いは続いていて、時折、一緒に飲みに行ったりしていて、フランスに来てからも、たまにメールをしたりもしていて、ある時期までは、一応、付き合いは途絶えずにいました。

 しかし、夫が突然亡くなってしまった時、その直後は、もう呆然自失というか、悲しみのどん底にいた私は、とりあえず、日本で付き合いが続いている友人たちにもメールで連絡をしました。

 本当に、あの時ほど気持ちが落ち込んだことは、なかなかなく、まだ小さい子供を抱えて、海外でどうやって暮らして行こうか?と途方に暮れてもいました。

 そんな時、今では、もうはっきり覚えていないのですが、突然の訃報に彼女から、一応、お悔やみのようなメールが来て、お悔やみの言葉とともに「足るを知る・・」というような説教じみたことが、書かれていて、私はその瞬間に彼女との間に大きな鉄の扉が降りるような気がしたのでした。

 夫を亡くした直後の人間に「足るを知る」ってどういうこと?と。もう怒りという気持ちよりも、心が反応しない感じでした。しかし、とりあえずは、「このような状況に、この内容は私には、受け入れられない・・もう、連絡しないでください・・」というような返事を送り、彼女からのメールの履歴もアドレスも全て消し去り、繋がりを絶ったのでした。

 その後は、こちらでの生活も仕事と子育てと忙しく、日本に一時帰国する際にも、期間限定であれこれと用事をこなしたり、他の友人や親戚と会うのにいっぱいいっぱいで、正直、彼女のことを思い出すこともありませんでした。

 もう、あれから、ずいぶんと時間が経ったので、もうどうでもいい・・という気持ちもあるものの、今でもあの時のヒリヒリした気持ちを忘れることができません。

 トラウマというほどのことでもないかもしれませんが、あの時の気持ちが蘇えると未だに心がヒリヒリしてしまうので、今さら、繋がりを再開する気持ちにもなりません。今後、日本に住むことがあって、時間が有り余るほどあったらば、また、違うのかもしれませんが、私の気持ちは解けずにいるのです。

 間に入らせられてしまった従妹には、申し訳なく、事情を話して、ごめんね・・と謝ったのですが、「どおりで、彼女、やけに必死だった・・」と言っていました。

 今さら、彼女を恨む気持ちもありませんが、一時期、一緒の時間を過ごした時があったというだけで、もういいじゃないか・・と思いつつ、久しぶりに浮上した彼女の話にちょっとモヤモヤしたのでした。


学生時代の友人


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