2020年9月11日金曜日

海外生活と兄弟関係

 


 私の両親は、兄弟姉妹が多く、父は4人兄弟の末っ子で、母は、5人兄弟の長女でした。両親ともに、結婚後も兄弟とは、それぞれの兄弟は、とても仲が良く、自ずと私は、小さい頃から親戚づきあいがとても多い家に育ちました。

 私の実家は、同じ敷地内に2軒の家が建っていて、隣には、父の兄家族が住んでいました。なので、隣には、従姉妹も二人いて、そのうちの一人は、私と同い年だったので、小学校までは、毎日、一緒に学校に通いました。

 母の実家も車で10分くらいのところにあり、そこにも祖母をはじめ、2軒の家が同じ敷地内に建っていて、母の兄弟、2家族が住んでいました。私は、祖母が誰よりも好きだったので、運転免許をとった時には、まず、一人で運転して、祖母の所に行けるようになるのが目標でした。私も車で買い物に出かけた帰りなどに、祖母のところに寄れば、叔父や叔母が頻繁に顔を出し、おしゃべりをしたりして、楽しい時間を過ごしました。

 小さい頃から、誰かの誕生日、敬老の日、お正月などなど、何かとみんなで集まって食事をしたりする機会が多く、子供の頃は、「また〜〜??」と、少々、気が重かった時期もあるくらいでした。

 しかし、そんな積み重ねがあったこともあり、祖父母が亡くなる時には、みんなで交代で看病し、特に祖母の時には、最期の半年間は、ほんとうに家族一丸となって、祖母を看取り、その時の結束から、その後も一段と皆が仲良くなったような気がしています。

 我が家の場合は、父との確執もあり、弟は大学の途中からほとんど、家にいないような状況でしたし、就職と同時に地方勤務を希望し、さっさと家を出て行きました。彼は私より少し前に結婚したのですが、子供ができるまでは、仕事の都合で弟夫婦は別居状態、私が結婚したのは、弟に子供ができて、すぐの頃で、弟は子供のこともあって、東京勤務になりましたが、私は海外に出てしまったので、弟とは、彼が就職した頃から、滅多に顔を合わすことはなくなりました。

 その後、弟はアメリカに転勤になり、ますます会わなくなりました。アメリカとフランスでは、学校のお休みの時期もずれていて、弟も私もそうそう自分の都合の良い時に日本に帰国できるわけでもなく、滅多に一緒の時期に帰国していることもなかったので、ほんとうに弟に会うのは、何年かに一度、オリンピックなみの頻度でした。

 しかし、決して弟とは、仲が悪いわけでもなく、一度、私の家族に一大事が起こった時は、忙しい中、週末だけの短い期間でしたが、弟がアメリカからわざわざパリまで来てくれたこともありました。あの時ほど、本当に弟がいてくれてよかったと思ったことはありません。

 男女の兄弟の場合、そんなものなのか・・とも思っていますが、彼の奥さんは、親戚づきあいを嫌っているのか、儀礼的に皆で集まる時以外は、一切、関わりを持とうとしません。以前、私は、何かのお礼だったか?何度か彼女宛てに手紙を書いたこともあるのですが、いつも返事は弟からで、そのうち、こちらから彼女に連絡を取ることもやめてしまいました。

 彼には、女の子が一人いて、うちの娘の2つ年上なのですが、聴覚障害を持っていて、同じ年頃の女の子、そんなことにも、少々、複雑な思いがあるのかもしれません。

 そんな調子だったので、母は、看病する間もないくらいにあっという間に亡くなってしまいましたが、父の最期の時にも、私たちもそうそう帰国もできず、父の病状と看護については、時々、メールで連絡をとったりしていましたが、結果的には、隣に住む叔母と従姉妹にとても、負担をかけてしまった上に、父の気難しい性格も災いして、弟の奥さんと親戚の間で揉めてしまい、弟から、なんとか、一週間でもいいから、日本に帰れないか?と電話があって、慌てて帰国したこともありましたが、それ以降、さらに、距離が遠のいた感があります。

 弟は、今も別の国で、海外生活を送っており、父が亡くなった後も、父の葬儀と一周忌の際に顔を合わせて以来、ほとんど会っていません。彼は、海外にいるといっても、日本企業に勤めているので、それなりに日本に行く機会も多いと思うのですが、仕事も結構な要職にあり、うちの両親は二人とも亡くなってしまいましたが、彼の奥さんの家族も抱えているので、それなりに忙しくしていると思って、あまり連絡をとることも、ありません。

 このコロナ渦の中、日本に帰っているのかどうかもわかりません。フランスがロックダウンになった直後くらいに、「仕事の関係のヨーロッパ支社の人から、アジア人がコロナ扱いされて辛い思いをしているという話を聞いたけれど、大丈夫? なんなら、日本にしばらく帰っていたらどうですか?」というメールをもらいましたが、その頃は、すでに簡単に動ける状態ではなく、「心配してくれて、ありがとう。でも、こちらは、そう簡単に動けそうにありません。」という返事を送ったきりです。

 彼が小さい頃は、気が弱くて、何かあると、すぐにお腹が痛くなってしまった弟。隣に住む同い年の従姉妹と、つきまとってくる年の離れた弟をからかって遊んだ話を今でも、二人にイジメられて大きくなったと大きく話を盛って笑い話にしている弟。

 私には兄弟は、一人だけなので、娘にとっては、従姉妹は日本に、一人だけです。私には、従兄弟・従姉妹が13人います。全員と密に付き合いが続いているわけではありませんが、従姉妹とは、今も弟以上に仲良くしてもらっています。

 色々な事情もありましたが、娘のためにも、私が弟家族とそのような関係を築いて来れなかったことをとても残念に思っています。


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「日本にいる親の介護問題」

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「親子関係・家族関係 私が海外生活をしている理由」

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「義兄夫婦のフランス人の家族」

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2020年9月10日木曜日

フランスのインターネット・携帯電話の乗り換え

 



 我が家のインターネットを引いてから、かれこれ15年(いや、もっとかも??)くらいが経つのですが、その時は、どこの会社のインターネットにしようかと、当時、会社に出入りしていたネット整備をしてくれていたエンジニアの人に、「どこの会社のものがいいですか?」と、聞いたら、「少し高いけど、一番、故障やトラブルが少ないのは、圧倒的にフランステレコムのやっているオランジュ(Orange)」だというので、トラブルはごめんだ!と思って、それ以来、ず〜っと我が家はオランジュを利用してきたのです。

 フランスでは、何かの修理とか工事などを頼んで予約しても、まず、時間どおりに来てくれるか? たとえ時間どおりではないとしても、来てくれるだけまだマシで、時には、すっぽかされることもあり、さらに来てくれた人がちゃんと仕事ができるかというリスクもあるので、できるだけ、故障等のトラブルは少ないに限るのです。

 たしかに、この15年間で故障は一度だけ、それも、ほぼボックスの寿命のようなものだったので、致し方なく、その一度でさえ、1回目に来てくれた人は、問題が何かがわからず、結局、2回分の時間を割くことに・・。

 それでも、故障はその一回だけだったので、マシな方だったのだと思います。

 ところが、ロックダウン中に一度、ネットが繋がらなくなったのですが、問い合わせの電話さえ留守電のメッセージのみで、一体、いつ復旧するのやら、途方にくれました。

 まあ、2日ほどで、いつの間にか復旧したのですが、それ以来、「ん〜〜??」と思うようになったのです。

 だいたい、トラブルがないから少々高めなのはわかっていたのに、そのまま継続してきたのに、同じようにトラブルがあるのでは、あまり意味がありません。

 この15年の間に随分と色々なインターネットサービスの会社もでき、後続のネット会社のシステムもサービスも向上し、ほとんど、フランスでは先発で、独占状態であったオランジュとも遜色のない状態になってきました。

 しかも値段は、圧倒的に安く、これでは無駄な高額を支払う必要はなく、娘が一人暮らしをしていた際に使っていたSFR(フランスの携帯・インターネットの会社・フランスではオランジュに次いで国内シェア第2位に成長している会社)に乗り換えることにしました。

 今のネットは、家の電話・インターネット・テレビサービス・携帯と全てが連携しており、これまで私は、ネット会社を変えることは、家の電話番号から何から全てが変わることで、それはそれで、厄介なことと尻込みをしてきました。

 正直、家の電話はいらないも同然なのですが、住所の証明の他、すでに色々な機関に家の電話番号で登録している機関がたくさんで、ほとんど使わないながらも、なぜか、家の電話を全く、切ってしまうのもちょっと躊躇われるのです。

 ところが、現在は、携帯もネットも乗り換えても、電話番号をキープすることも可能で、しかも、ネットを通じての電話なので、家の電話からなら、フランス国内はもちろんのこと、国際電話でも(どこの国でもというわけではありませんが、主要な国・例えば日本への固定電話への電話料金などは、)無料なのです。

 今は、電話自体をあまりすることもなく、LINEやWhat's upやメッセンジャーなどで済んでしまうのですが、それらを使わない人もいるので、やっぱりいざとなると電話が無料で使えることは便利です。

 ということで、乗り換えの工事を予約して、「朝8時から12時までの間に行きます」というざっくりとした予約。(工事などの場合、このようなざっくりした予約がフランスでは普通です)

 朝8時から待って、9時、10時になっても来ません。10時半くらいになって、やっと来てくれて、はて?どこの誰だかわからない他人が家に来る場合は、家の中でもマスクをしなくてはいけないことに、改めてビックリしながら、慌てて、自宅にいながらにして、マスクをして、工事をしてくれるお兄ちゃんをお迎えしました。

 果たして、工事自体は、ほぼ20分ほどであっさり終わり、ネットもこれまで以上に家の中、広範囲に亘って通じるようになり、大満足。(今のところはですが・・)実際に新しいものに変えれば、当然のごとく、最新のボックスになるわけですから、いいに違いありません。

 ざっくりな予約でしたが、一応、予約どおりの時間内に、しかも、ちゃんと仕事ができる人が来てくれてラッキーでした。フランスでは、決してこれは当たり前のことではないのです。当然、一度では済まない覚悟もしていました。

 これで、解約の手続き(電話でOK)をして、これまでの電話番号をキープするためのナンバーのようなものをもらい、新しいネット会社に連絡すれば、電話番号の問題は解決。これまで使っていたボックスは、返却しますが、返送先は、ネットでラベルをダウンロードして、梱包した箱に貼り付けて送るだけで完了です。

 今は、なぜ、もっと早く乗り換えなかったのだろうか?と思っています。

 これまで月40ユーロ(5000円位)以上払っていたネット+電話料金が23ユーロ(2875円位)になりました。セット価格で携帯料金は、50Gで、月15ユーロ(1875円位)、家族携帯月3ユーロ(375円位)です。

 新規ユーザー獲得のために、フランスたりとも、乗り換えには、特典がたくさんつけられています。

 そういえば、私は、以前にミューチュエル(健康保険でカバーしきれない分を保証してくれる保険)の乗り換えしたことがありました。その際も乗り換え前の保険会社に契約解除の手続きの書類や面倒な手紙などは、全部、乗り換え先の会社の人がやってくれました。

 ついつい既存のものを使い続けてしまいますが、ちょっと見直してみれば、ずっと好条件の乗り換え先があり、結構、お得になるかもしれません。


<関連>「基本、信用しないことで成り立つフランスでの生活」

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2020年9月9日水曜日

娘には幼少期の記憶がほとんどない! 小さい頃は可愛かったのに・・

 

             ペコちゃんと同じサイズだったのに・・


 最近、このコロナ渦の中、娘もスタージュがリモートワークになったりして、彼女とこんなに一緒にいるのは、幼少期の頃以来のことです。私は、娘が1歳になると同時に仕事を始めたこともあり、彼女の幼少期には、仕事以外の時間は、ほとんど彼女と一緒の時間を過ごしてきました。

 私にとっては、初めての子育て、しかも海外で仕事をしながら・・。私のような人間が、子供を持ってしまった・・出産の時に、まさに赤ちゃんの頭が出ようにもなかなか出なかった時くらいから、もしかしたら、私は、大変なことをしてしまった・・一人の存在しなかった人間が私から生まれて、この子をどうにかまともに育てるまでは、重大な私の責任だ・・。

 そんなことをまず、思ったものでした。

 娘が生まれた頃には、なんだか青少年犯罪が多く、わけもわからず、小さい子を誘拐して殺してしまったり、家で暴れて家族を殺してしまったとか・・そんなニュースばかりが目につきました。「とにかく、身体を動かして、発散させること・・」そんな助言を叔母からもらって、とにかく私は、彼女のエネルギーを発散させることに懸命でした。

 同時に、日本語を教えることにも一生懸命でした。私が休みの日は、出来るだけ一緒に時間を過ごして、日本語での時間を出来るだけ増やすように、やることもいっぱいで時間を惜しむような気持ちでしたし、預かってくれる実家も遠く、とにかく、どこへ行くにもず〜っと一緒だったような気がします。

 思い返せば、彼女は、かなり変わった子供で、おかしな逸話が山ほどあります。よく言えば、個性的なのですが、やけに調子よく自分を納得させて、世渡りしているかと思えば、強情で、こうと思ったら、なかなか譲らないところもあったので、今から思えば、型にはまりがちな日本の学校に行っていたら、反発していたりしたかもしれません。

 いわゆる子供用のおもちゃには興味がなく、石を集めてみたり、ボールで遊ぶよりもビニール袋を自分で膨らまして遊ぶのが好きだったり、子供用の電動の乗り物(遊具)を怖がったり、遊園地が嫌いだったり・・負けず嫌いで、競争することが好きで、別に競ってないのに、駅などでは、私がエスカレーターに乗っているところを隣の階段を駆け上って、私が上に到達した頃には、得意げな顔をして、上で待ち構えていたりしました。

 ブランコが好きで、好きで、日本に行くと近くの公園に毎日でもブランコに乗りに通いました。(フランスには、あまりブランコがないのです。)

 とにかくピンクが好きで、洋服のコーディネートは自分でしないと気が済まず、パンツの色まで合わせないと気が済まないので、出かけてみたら、パンツを履いていなくて、「どうしてパンツはいてないの??」と聞くと、この服に合うパンツがなかったから、履いてこなかった・・などなど・・。

 そんな逸話がいくつもある娘ですが、このところ、彼女の小さい頃のことを話すと、彼女は、自分の幼少期をほとんど覚えていないことに驚きます。彼女には、5歳以下の記憶がほぼ、ないのです。

 日本行きの飛行機の話をしていて、昔は、JALのファミリーサービスとかで、子供を連れていると、優先搭乗をさせてくれた・・という話をしたら、「飛行機にさっさと乗る人の気持ちがわからない・・狭いところで長い時間待つだけでしょ!」と娘が偉そうに言うので、「一体、誰のおかげで早く乗らなければならなかったか? 飛行機に乗ってシートベルトをすれば、あなたがチョロチョロもう動かないからでしょ!」と、こんな具合です。

 考えてみれば、私自身も自分の幼少期をそれほど覚えているわけでもないので、当然のことかもしれませんが、親として、色々なことをやらせてあげようと、頑張ってやってきたことを彼女がほとんど覚えていないことは、なかなかガッカリなことです。

 あくまで記憶があるのは、写真やビデオの記憶ですが、そんな写真やビデオもめったに見るわけではないので、本人もまるで別人のビデオを見るような気分で見ているようです。

 小さい頃は可愛かった・・ので、ほんとうにみんなに可愛がってもらったし、「あなた、小さい頃だけでも可愛くて、みんなに可愛がられてよかったね・・」と言っても、「そんなに可愛がられた覚えがない・・」と言う・・。

 親というのは、こんなに不甲斐ないものなのか・・と思いますが、これも順番、実際に私自身もそんなに自分の子供の頃のことを覚えているわけではありません。

 幸い娘は、横道に逸れることも犯罪者になることもなく育ち、今では、偉そうな顔をしていて、腹立たしい事ばかり言いますが、ドキドキしながら、時には怒りながら、思いがけないことを言ったりやったりする娘に笑わせられながら毎日を必死に過ごしていた頃が懐かしいなと思うのです。

 小さい頃は、可愛かった・・雰囲気が、今となっては微塵もない娘ですが、今でも、本当はブランコが大好きで、人目さえなければ、ブランコに乗りたくてたまらないし、嬉しいことがあるとついスキップしてしまう癖だけは残っていることに、どこか、ホッとさせられるのです。


<関連>

「フランスの保育園で・・」

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「パピーとマミーの愛情」

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「娘の寝相と寝言」

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2020年9月8日火曜日

恩師との別れ 死生学のすすめ アルフォンス・デーケン教授

       


 偶然、その前日に、普段はあまり思い出すこともなくなっていたのに、ふと、デーケン先生に、「使命感を持って頑張ってください!」と言われた時のことを思い出していました。あの頃の私は、先生がおっしゃっていた本当の意味の「使命感」ということを全然、わかっていなかったなぁ・・と、なぜか、ふと先生の言葉が心に浮かんで、ぼんやりとその時のことを考えていたのです。

 そんなことを考えていた翌日に、先生の訃報を目にすることになるとは、なんだか虫の知らせとでもいうのか、とても不思議な気持ちでした。

 アルフォンス・デーケン先生は、日本で、死を忌み嫌うものとしてではなく、死ぬことを見つめて、生きることを学ぶ、「死生学」を広め、「死の準備教育」を提唱し、当時、日本では数少なかったホスピスを広めていった上智大学の教授でした。

 おそらく彼は、私の人生に最も大きな影響を与えてくれた恩師でした。

 私は、ちょうど、初めて身近な人を亡くしたばかりの頃で、それまで人の死に接したことがなかった私は、死について、考えるようになりました。世の中に絶対ということはない・・絶対おこることは、誰もがいつかは必ず死ぬということ、人間の死亡率は100%です・・・言われてみれば、当然のことなのに、当時の私は、大発見をしたような気分になったものです。

 いつか訪れる死をどうやって迎えるかを考えることは、とても大切なことですし、死について考えることは、生きることについて考えることでもあるのです。死は恐れるものではないことも彼の講義から学びました。

 死についての話となると、どこか怪しげな宗教と誤解されがちなこともあり、実際に先生は、大学の教授であったとともに、カトリックの神父様でもあったのですが、死生学の講義では、宗教色を強く出すことはありませんでしたし、彼の講義は、ところどころに必ず、ユーモアが組み込まれていて、思わずクスッと笑ってしまうようなジョークまでが含まれているのです。

 私は、どの宗教にも属していませんが、デーケン先生にかなり傾倒して、彼のキリスト教の講義も受講しました。若かった私は、今よりもずっと繊細?で、迷うことも多く、何かを信じることができたら、どんなに楽だろうか?と思ったこともあったのです。

 当時、日本では、オウム真理教などの新興宗教が拡大していた時期でもあったので、私が持っていた漠然とした不安も、当時の若者の多くが抱えていたものと似ていたかもしれません。私は、先生の講義を聞いたり、本を読んだり、実際に先生とお話ししたりすることで、ずいぶんと救われていました。

 先生は、忙しい中、個人的に面談の時間も設けてくださり、漠然とした私の悩みなどもずいぶん聞いて下さいました。キリスト教を信じたくても、信じられない・・という私に、先生は、「大丈夫、自然に信じられる時が来るまで、無理に信じようとしなくても良いのです」と優しくおっしゃり、張り詰めていた私を静かに抱き寄せて下さいました。

 私は、キリスト教を信じることはできませんでしたが、デーケン先生は信じることができる・・今は、それで、充分ではないか? そんな風に思えたのです。

 なぜか、その時、ルサンチマンについて話したことも覚えています。こうして書いていると、次から次へと色々なことを思い出します。

 彼は、とても聡明で、努力家で、穏やかで、かといって、堅苦しくもなく、懐の大きな、ちょっと可愛らしいところもある、とても優しい先生でした。

 彼の死生学の講義を受け、当時、動き始めた日本でのホスピスムーブメントに関する研究会などにも軒並み参加して、私がとうとうイギリスのホスピスを自分の目で見てみたいとイギリスへ行くことを決意した時は、先生がホスピス宛の推薦状を書いて下さいました。

 その時に言われたのです。昨日、ふと思い出した「使命感を持って頑張ってください!」を・・、そして、昨日の結婚式で頂いたものですが・・と、きれいな花束を下さいました。

 私の海外生活も長くなりましたが、そのきっかけを作ってくださった方です。

 デーケン先生は、ドイツ人でしたが、私は、先生が外国人であるということを全く意識をしていませんでした。先生は、心は日本人、日本に骨を埋めるつもりだと仰っておられましたが、実際に先生自身のアイデンティティーに関する考察には、外国人として日本に住むに当たって複雑なものもおありになったと思います。しかし、私にとっては、先生は、一人の人間であって、国籍などは、全く関係ありませんでした。

 今、私が海外で生活し、日本にいる時以上に自分が日本人であることを意識しますが、デーケン先生を思い出してみると、どこの国の人というよりもその人の本質的なところで人と関わることの大切さを再確認させられます。

 講義の最初には、「日本の寿命は世界一・・だから、私は、日本に来たんですね・・」と仰っていたデーケン先生、88歳、見事に日本人の平均寿命を超えられた旅立ちでした。

 そして、講義の際に、よく話されていた「私は、アイジンバンクに登録しています。アイバンクと腎臓バンクです。私が死んだら、私のこの美しい目を差し上げます。」というオチのついた話も実現したのかな? と、先生のその時の口調などを思い出しています。

 死は、終わりではなく旅立ちだと説かれていた先生の死は、悲しくはありません。

 いつかまた、次の世界で先生と再会できる日を私は、とても楽しみにしています。


<関連>「イギリスのホスピスにいた、ある青年とお母さんの話」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_25.html

 





2020年9月7日月曜日

フランスのPCR検査 感染者を責めないフランス人のラテン気質

 



 フランスの新規感染者数は、8月に入って以来、ウナギ登りに上昇し、9月に入ってからは、さらに拍車がかかり、先週末には、9000人に迫る勢いになっています。毎日、8000人、9000人の新規感染者がいれば、自ずと身近なところにまで、感染の渦が迫ってきていることを感じずには、いられません。

 実際に、友人が・・または、友人の家族が・・などと言う話を頻繁に聞くようになってきました。このウィルスの厄介なところは、感染しても、最低5日間は、待たなくては、検査に陽性として表れずに陰性として判定されてしまうことが多く、例えば、自分の友人が感染したとして、その友人に会っていたとしても、一定の期間がたたなくては、検査を受けても無駄なわけで、その整合性も決して高くはないところです。

 フランスでは、PCR検査を広範囲で行うようになってからは、予約なしで費用もかからないことから、比較的、積極的に検査を受けようとする人が増えたため、パリ市内でも検査をしている試験場では、どこも長蛇の列で、検査が間に合わずに、本当に検査が必要な人が検査ができなくなっている状況が起こっています。

 ロックダウン中ならば、いざ知らず、通常の社会生活を送っていれば、今、感染していなくても、もうその次の日には、感染している可能性もあるわけで、それでも、このキリがないような検査をずっと続けなくてはならないことには、もどかしさを感じますが、それでも、検査を少しでも多くして、感染者を隔離していく以外は、方法がないのです。

 フランスでは、ここまで感染状況が悪化しているわりには、全体的に危機感が薄く、ここのところは、さすがにほとんどの人がマスクをするようになりましたが、それは、マスクが義務化され、マスクをしていないと罰金を取られるからであり、こんな状況になっても、まだ、マスクの必要性の有無を語り続けています。

 この時期の感染拡大の大きな原因は、バカンスであるのは、間違いないのですが、皆がバカンスに出ていたために、バカンスに出ていたことを非難するような風潮は全くなく、したがって、感染したからといって、感染した人を責めるようなことも全くありません。

 どんなに気をつけていても(大して気をつけていない人が多いのも問題ですが)、かかる時にはかかるもの・・長期戦になることを考えれば、息抜きは必要だから、バカンスにも行くし、カフェにも行く。ポジティブにコロナと付き合って行くしかない・・と、深刻になりすぎることは、ありません。

 良くも悪くもコロナによる閉塞感というものも、あまりありません。

 今回のコロナウィルスの大災害のさなかにフランスにいて、フランス人を見ていると、改めて、彼らはラテン気質の人たちなんだということをつくづく思い知らされます。

 3月から4月にかけての大惨事を経てきたにも関わらず、これだけ、切り替え?が早く、バカンスに出かけられるのも、ある程度、気をつけて、それでも感染してしまったら、その時は、その時のことだと思っているようなところがあり、たとえ感染してしまったとしても、それは、その人のせいではないと鷹揚な態度なところも、彼らの根っこには、ラテン気質が備わっていることをまざまざと感じるのです。

 これまで私は、ラテン系というと、どちらかといえば、イタリアとかスペインとか、南米とかのイメージがあり、フランス人は、ちょっと格好つけたがりで、一見、小難しいことを理屈っぽく、滔々と語って、ラテン系ど真ん中の感じとは、少し違うように感じていたのですが、今回のパンデミックを見ていると、この深刻な状況でも、お祭り騒ぎをしたり、怒りに震えてデモに集合したり、しかも、その感情の発散の仕方がまさに血が騒ぐという感じの桁違いのものであったり、なるようになるしかないと、深刻になりすぎることなく、あくまでも緩い感じでいるのも、彼らの根っこには、ラテンの血が流れていることを感じずにはいられません。

 フランス人は、よく、「C'est la vie(セ・ラ・ヴィ)(それが人生よね・・)」と、相手も自分をも納得させるように言うことがありますが、まさに、「セ・ラ・ヴィ」は、彼らのラテン系の気質を表す言葉であったことを今さらのように感じています。


<関連>「フランス人のプライド」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_6.html

2020年9月6日日曜日

娘のフランス人のDNAが活性化するとき・・生ハムの塊が消えた・・

消えた生ハムの塊

 

 冷蔵庫・冷凍庫というのは、厄介なもので、中のものが減ってくると、補充しなければと思うし、満杯になっていれば、なんとか、消費していかなければと食材に追い立てられるような気持ちになります。

 我が家の冷蔵庫は、きれいに整頓されてはおらず、そもそも冷蔵庫には、調味料に近い瓶詰めの調味料やお味噌、ピクルスやお漬物、佃煮等、また、冷凍庫にも日本から持ってきている大切な日本食の一部など(明太子や塩辛、しらす、うなぎなどなど)の長期保存の食料がかなりの割合を占めていて、まずまず大きな冷蔵庫でありながら、少し買い物をすれば、あっという間に満杯状態になってしまうのです。

 特に肉類などは、まとめて買って、小分けにして冷凍したり、作り置きしたお料理を冷凍してあったり、おまけに、たまにPICARD(ピカール・冷凍食品店)に行ったりすれば、場所を取ることはわかっていても、ついつい買ってしまうと、かなり、満杯状態であることが多いのです。

 約2年間、時々、バカンスの時期には、帰ってくることはあっても、しばらく家を出て、一人暮らしをしていた娘が帰ってきて、しかも、リモートワークで一日中、家にいて、我が家の食料のサイクルが大幅に崩れ、なんだか、冷蔵庫の中身を満たしたり、減らしたりするペースがせわしなくなって、日頃から乱雑な我が家の冷蔵庫は、ここのところますます酷いことになっていました。

 そんな言い訳をしつつ、我が家の冷蔵庫の中は、とても人様には、お見せできるような状態ではなく、しかも、夏の終わりに、ベランダで育てていたきゅうりも、もうそろそろ終わりに近づいて、去りゆく夏の日本のきゅうりを惜しむ気持ちから、パンとビールと昆布を使ってぬか床などまで作ったことから、ますます冷蔵庫は、混雑状態なのです。

 現地の食材をできる限り使いつつも、和食に偏りがちな我が家の食卓ですが、フランスのものが、全く嫌いなわけでもなく、ここのところ、しばらく食べていなかった18ヶ月のコンテ(チーズ)やカマンベール、ミモレット、サラミなどを買ったりしていました。

 そんな、俄かに起こっている我が家のフランス食品フェアの中でのハイライトは生ハムの塊でした。

 いつもは、生ハムは、薄切りになっているものを買うのですが、大きな生ハムの原木に憧れがあったものの、さすがにまるまる原木を買うのは少々ためらわれ、単行本ほどの塊を買ってきたのです。

 少しずつ自分で削るように切って食べる生ハムは、赤ワインにもよく合い、切りたてのものを食べられるので、風味もよく、しかも、薄切りのものを買うより、結局は割安なのではないか?と大変、満足していました。

 毎日、食べたくなる気持ちを抑えつつ、(ということは毎日、飲むことになるので・・)今日は、もう夜は、お料理したくないから、冷凍のピザでも焼いて、あとは、生ハムとサラダ、あとは、ミモレットがあったね・・と言いながら、ごちゃごちゃの冷蔵庫の中、生ハムの発掘作業に取りかかったのです。


             久しぶりのミモレット・・美味しい


 切りかけの少し小さくなった生ハムの塊は、ラップに包んで、ジップロックに入れて、冷蔵庫に入れておいたのです。ところが、どこに埋まってしまったのか? いくら探しても見つかりません。とにかく、満杯の冷蔵庫、もしかして、場所がなくて、野菜室に入れてしまった? と野菜室まで探しました。(だいたい、自分の記憶にも自信がない)

 まさか??と思って、娘に問いただしたところ、あの生ハムの塊は、いつの間にか全部、彼女が食べてしまったとのこと!「えっ??全部??」「ソースィソン(サラミ)もあったよね! あれも?全部、食べちゃったの??」

 楽しみにワインを用意していた私は、呆然・・娘は、少々、ばつが悪そうにしていましたが、あの塊をいつの間にか(といっても一週間もたってない)食べてしまった娘のガッつきぶりに、ちょっとヤバい主人のDNAを感じるわ、私自身、楽しみにしていた生ハムが消えていたことにあまりにガッカリして、動揺する自分の気持ちの持っていきように困った夜でした。

 常日頃は、フランス料理嫌いで、フレンチと言えば嫌な顔をする娘ですが、美味しいフレンチ食材に、ひとたびスイッチが入った時には、一気に主人のDNAが活性化したような状態になることに、少々、恐怖を感じたのです。

 小さい頃には、幼稚園で夜中に冷蔵庫を漁る主人のことを「家にはねずみが出るんです!」と先生に言いつけた娘です。

 まさか彼女自身がねずみになるとは、DNAとは恐ろしいものです。しかし、考えてみれば、生ハム一つにこれだけ気持ちをかき回される私のガッつきぶりも相当なものなのです。


<関連>「パパのダイエット メガネをかけた大きなねずみ」

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2020年9月5日土曜日

新規感染者が9000人に迫るフランス フランスにやってきたバカンスのツケ


 

 昨日のパリは、マスクをしていると、少し汗ばむくらいの晴天で、朝のうちは、それでも涼しいので、今の季節は、真夏のようなサンダル履きの人から、早々にマフラーをしたり、ダウンを着ている人までいる、多分、一年のうちで一番、街を歩く人のファッションがちぐはぐで、様々な格好をしている人がいる季節です。

 銀行から頼んでおいた小切手ができたという連絡をもらったので、銀行の用事に加えて、いくつかの用事を済ませるために、久しぶりにパリの中心に出かけてきました。私もすっかり、最近は、今までバスに乗っていた区間も歩くようになり、メトロに乗らなければ行けない最低限の区間だけに限って、メトロを利用するようになりました。

 久しぶりのパリの街は、お天気がいいこともあってか、とてもきれいで、街中には、本当に自転車やトロチネット(キックボード)などがどこに行っても置いてあって、すっかり交通手段の一つとして、定着したな・・そして、ものすごく増えた・・しかも電動のものも増えた!!すごい!!と思いました。


                        前にはカゴ、後ろには子供が乗せられるママチャリベリブ


 昨日は、ベリブ(パリの貸出自転車)に、ハンドルの前にはカゴ、後ろの荷台には子供の座席?が備え付けられた、まさにママチャリ仕様のベリブまでできていて、ビックリしました。

 さすがに義務化されただけあって、街中はもちろんのこと、メトロの中は、ほぼ全ての人がマスクをしていました。メトロの中もあまり話をしている人はいなくて、皆、俯いて、携帯をいじっていて、なんだか、東京の地下鉄に似てきたな・・とも、思いましたが、やはり、東京の地下鉄のようなピカピカした清潔さは感じられません。

 ロックダウンが解除になってすぐには、RATP(パリ交通公団)は、一日、数回の消毒作業を行うと言っていましたが、車内の様子を見るに、とても、1日、数回の消毒作業をしているようには、見えません。

 その上、なんのつもりか、地べたに自分の荷物を置いてしまっている人をその日1日だけでも、何人も見つけて、やっぱり、フランス人の衛生観念・・やっぱり、まだ発達していない・・このご時世、地べたに荷物を置く神経がわかりません。土足で家に入るのと同じ感覚なのでしょうが、いくらマスクマスクと騒いでも、やっぱり、もともとの衛生観念が欠けていると思わざるを得ません。

 
                                    理解できない地べたに荷物を置く神経


 普段はバスに乗っていた道のりを歩きながら、気持ちの良い天気に映えるきれいな景色を眺めながら、これで、コロナさえなければ、どんなに気持ちが晴れ晴れとしたことか・・とちょっと思いました。

 夜になると、ニュースで1日の新規感染者が8975人というのが発表されていて、あまりの数字の上がり方にちょっと声を出しそうになるほど驚きました。だって、先週は、6000人を超えてビックリしていたばかりですから、それが一週間でほぼ9000人って・・。

 今やフランスは、1日の新規感染者に関しては、インド、アメリカ、スペインに次いで、世界第4位に跳ね上がってしまいました。さすがに1日に9000人も感染者がいれば、無症状の人ばかりではなく、入院患者も重症患者も確実に増えています。

 現在、フランスのコロナウィルスによる入院患者は4653人、(そのうち1日に入院した患者は292人)ICU(集中治療室)には464人、1日に46件のクラスターが発生しています。

 始まったばかりの学校も、すでにこれまでに22校が閉校になっています。

 長引くパンデミックに失敗を繰り返しながらも、前に進んでいかなければいけないことはわかりますが、この感染拡大の仕方は、いくらなんでも酷すぎるのではないかと心配でならないのです。

 なんだかんだ言いながらも、結局、皆、盛大にバカンスに出かけていたツケが今、フランスには、来ているようです。おまけにバカンスも終わったからと、やたらと家族や友人と集まったり、ほんとうに、なめくさってるな・・と、私は、苦虫を噛み潰すような気分でいるのです。


<関連>「フランスのゴミの収集 フランス人の衛生観念」

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「フランスの駅とトイレの先進国とは信じ難い臭さ」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_27.html

「フランス(ヨーロッパ)でコロナウィルスが広まる理由」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/03/blog-post_19.html