2023年6月13日火曜日

フランスードイツ鉄道パス 18 ~ 27 歳の若者向けの無料鉄道チケット6万枚

  


 エリゼ条約およびフランスとドイツの和解 60 周年を記念して、フランスとドイツの若者・居住者(フランスもしくはドイツに居住する1996 年 7 月 1 日から 2005 年 12 月 31 日生まれ)に両国の鉄道を無料で利用できるパス 60,000 枚が提供されます。

 「えっ??ほんと?」と一瞬、図々しくも思いましたが、私は18歳~27歳でもなく、また、このチケットは発表から数時間で完売?(無料なのだから完売というのもおかしいが・・)してしまったようです。

 エリゼ条約とは、1963年フランスのシャルル・ド・ゴール大統領とドイツ連邦共和国 (FRG) のコンラート・アデナウアー首相の間で結ばれたドイツとフランスの間の協力条約で、この条約は、特に防衛、教育、青少年の分野における両国間の協力を強化するものだそうで、仏独協力条約とも呼ばれています。

 6万枚のチケットの内訳はフランス3万枚、ドイツ3万枚で、さらにフランスの3万枚のチケットのうち、半分の1万5千枚は、奨学生 10,000 人、職業訓練中の若者 4,000 人、機会の少ない若者 1,000 人 (JAMO) に割り当てられ、一般公募には1万5千枚というさらに狭まった枠だったようです。

 このチケットでは、1ヶ月以内の自分の好きな7日間、ICE 高速鉄道を含む、ドイツのすべての鉄道にアクセスが無料になり、この間、一度は隣国にも無制限に旅行できますが、TGV を利用する場合は、追加料金 20 ~ 30 ユーロが必要となります。

 とはいえ、TGVを使ったとしても20~30ユーロの追加料金のみで旅行できるなど、このバカンスシーズンに魅力的なチケットに違いありません。

 しかし、これは、単純に先着順ということであったため、アクセスが殺到し、サイトにはなかなか通じずに、やっと通じたと思ったら、もう締め切りになっていたという人が大多数だったようで、そんなに上手い話には、なかなかありつけないのが普通なのかもしれません。

 この発表は、フランスとドイツ間の鉄道網の発展を背景にした一種のキャンペーン的なものでもあり、パリとベルリンを結ぶ夜行列車が2023年12月から再び運行され、2024年には新たな直通高速鉄道リンクが両首都を結ぶことになるにあたっての序章のようなキャンペーンです。

 パリとベルリンの間に TGV と夜行列車の 2 本の直通路線が開設されることにより、フランスとドイツ間の鉄道接続は改善される見込みで、どちらも 2023 年 12 月に予定されています。

 私は何かと言えば、すぐに飛行機での移動手段をまず考えてしまうため、鉄道での旅行はあまりしたことがなく、フランス国外への旅行で鉄道を使ったのは、ユーロスターでロンドンに行くか、TGVでベルギーに行った時くらいですが、たしかに鉄道での旅というのも、趣きがあって楽しいかもしれません。

 先日、イタリア国内で、一部、鉄道で移動しましたが、全くアナウンスがないうえに、急にプラットフォームが変わったりもするので、ちょっと慣れないとドキドキではありましたが・・。

 また、あまりに早く締め切りになってしまった人々のために、運輸省は、大金をかけずにドイツを旅行する別の方法も紹介しています。

 それは、2023 年 5 月に導入されたドイチュラント チケットというもので、月額 49 ユーロで国内のすべての鉄道と公共交通機関を無制限に利用できます (ICE 高速鉄道を除く)。 ただし、国境を越える場合には使用できないそうです。

 また、逆に考えれば、フランスには、少なくとも3万人の若者がドイツからやってくるということで、何もパリとは限りませんが、こんなカタチで若者が行き来する機会が増えるのも、良いことかもしれません。

 旅が若者の成長を促すことはよく知られていますし、 友情を育むと付け加えることもできます。 仏独関係を祝うため、両国政府は若者向けに無料チケットサービスを設定することで両国間での鉄道旅行を促進したいと考えています。

 こんなキャンペーン?もなかなか粋な計らいではありませんか? 日本でも、どこかの国との共同で、若者向けのこんなサービス、あってもいいんじゃない?と思いました。


フランスードイツ間 若者向け無料チケット6万枚


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2023年6月12日月曜日

15歳の少女をメッタ刺し、生きたまま火をつけた未成年の男子に懲役18年の判決は妥当か否か?

  


 フランスに死刑制度がないのは、知っているし、私は死刑制度がよいことだとも思っていません。しかし、今回の判決には、被害者を全く知らない私でさえも、どうにも納得がいきません。思わず、「日本なら死刑だろう・・」と思ってしまったほどです。

 事件が起こったのは、2019年10月クレイユ(オワーズ県)でのできこと。当時15歳だった少女は、彼女のボーイフレンドに刺され、生きたまま火をつけられ死亡しました。彼女は妊娠しており、事件の2年前の2017年に最初の性的暴行を受けた被害者でもあり、そのうえ、その時の映像がネット上で流され、「軽い女」という評判を植え付けられ、モノのように扱われ続けていたと遺族の弁護士は語っています。

 事件の2日後にクレイユのプラトー地区にある庭の小屋の中で少女の焼死体が発見されたことで捜査が開始されましたが、犯行現場付近の目撃者の証言により、彼女のボーイフレンドであった当時17歳であった男性が逮捕されました。

 逮捕、拘留後、「自分の売春婦であったガールフレンドを殺害した」と自白。事件の2日前に彼女が妊娠したことを告白したため、それを受け入れることができなかったと語ったと言われています。

 検死の結果、遺体には少なくとも8~14ヶ所の刺し傷が確認され、直接の死亡の原因は、生きたまま顔を中心にガソリンをかけられ、火をつけ、焼かれたことに起因することがわかっています。ちょっと想像するのもおぞましいほどの残酷な殺人事件です。

 この事件は、容疑者が当時17歳という未成年であったことから、裁判もオワーズ県の未成年向け裁定裁判所において、非公開で行われました。裁判が開始すると、容疑者である男性は、一転して無罪を主張したそうですが、過去の自白や周囲の証言、状況証拠、また、事件の際に負傷したと思われる足の火傷などから、彼には懲役18年の刑が言い渡されました。

 事件の凶悪性、残酷性から、検察側は被告に対して、未成年者のための減刑措置を却下するように求め、懲役30年を求刑していましたが、これは却下されています。通常、フランスでの未成年者への懲役は最大20年とされているそうで、判決が18年ということは、その最大拘留にも達していないことになります。

 裁判は、非公開で非常に緊迫した状況の中での激しい双方の弁論により5日間にわたって行われ、陪審員の4時間にわたる審議の結果、判決陳述には報道陣や一般の人々にも公開されました。

 裁判が始まって以来、被告は事実を否認しており、「自分は無実だ!これは間違っている!」と主張して、18年の判決を不服としているようです。

 しかし、被告以上に不服なのは、被害者の家族の方で、「この犯罪で18年!これがフランスの正義なのか?」と憤りを通り越して、被害者の兄弟である男性は、被告とのあまりに緊迫した話し合いの最中に倒れ、救急車で搬送されています。

 同氏はソーシャルネットワーク上で「フランスの司法を恥じている!」と表明し、未成年者は成人と同様に処罰されないという未成年という言い訳が解除されていないことに憤慨する意見を発信しています。

 そもそも未成年とはいえ、17歳というギリギリの年齢(18歳で成人)のうえ、犯罪自体は成人も真っ青になるくらいの凶悪さと狂暴さと残酷さ。未成年として裁かれるべきかどうかは、甚だ疑問でもあります。

 この判決には、様々な意見が上がっていますが、犯罪そのものは、充分に成人の犯した犯罪となんら変わることない(なんなら、一般的?な殺人事件以上にずっと狂暴)にもかかわらず、未成年扱いの求刑。

「司法は女性に対する暴力を甘く見ており、被告が未成年であるという言い訳を却下することを恐れたにせよ、最大20年にも及ばない判決は不当である」などと、否定的な意見も多く、また、被告がすでに3年半の公判前拘留中であり、今後の更生が認められるなどの恩恵を受ければ「8年以内に釈放されるだろう」という見方もされています。

 この見方が正しければ、現在、20歳の彼は28歳には、出所してくることになります。怖い怖い・・。

 公式統計によると、フランスでは3日ごとに女性が配偶者や元配偶者からの暴力で死亡していると言われており、「フランスはヨーロッパで一番、殺人事件が多い国」というのも、残念ながら納得してしまいます。

 

未成年の凶悪殺人事件に判決18年


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2023年6月11日日曜日

日本に帰っていった娘 親離れ・子離れ

 


 転職を機に、パリに一時帰国?していた娘が日本に帰っていきました。2週間程度の滞在でしたが、その間、彼女は時間を惜しんでパリにいる友人と会ったり、私とも一緒にパリで買い物して歩いたり、食事に行ったり、イタリアに旅行したりと私にとっても、楽しい時間でした。

 私は子育ての過程において、かねてから、子供は、ある程度の年齢になったら、家を出て、独立した生活を経験するべきだと思っていたし、娘の場合は、彼女のエコールがボルドーにあったために、以前にも1人暮らし(といってもシェアハウスのようなところでしたが・・)をしていた期間がありました。

 途中、パンデミックで予定が狂ったりして、海外への留学がキャンセルになったりして、その間は、ボルドーを引き払って家に帰ってきて、パリでスタージュをしたりしている間は、家に戻っていましたが、就職先に日本にある会社を選んだことで、パリの家からは、出ていくことになりました。

 彼女が最初にボルドーで一人暮らしを始めるときは、親元を離れて生活するということが初めてだったので、日本っぽいとか、少々、親バカかとも思いつつ、どんなところで彼女がこれから生活するのかも見ておきたかったし、大家さんにも一応、挨拶をしておこうと思って、日帰りですが、一緒についていったし、また、日本で生活を始めるにあたっても、日本には何度も行ったことがあるとはいえ、日本で生活するのは初めてのことなので、住民票のこととか、銀行のこと、また、空き家になっていた私の実家で生活するために、家に不具合はないかとか、周囲の親戚や、私の友人など、色々な人に一応、声をかけておこうと、親として、私が彼女にしてあげられる最後のこと・・と思って、最初だけ一緒に日本に行き、その後、私は1人でパリに帰ってきました。

 彼女が日本で仕事をし、一人暮らしを始めて、1年とちょっとが経ち、今回、彼女がパリに帰ってきて、普段、時々、電話で話したり、メッセージを送りあったりしているものの、ゆっくり話をするのは、久しぶりで、彼女の様子から、日本とフランスの違いを肌で感じながら、着々と1人での生活を確立していっている様子が見えて、もともとしっかりした娘ではありましたが、またワンステップ、人として、成長した様子が見えて、やっぱりよかったな・・とそんな気持ちでいます。

 経済的にも、今の彼女はけっこう稼いでいるにもかかわらず、旅行などはけっこうしているらしいものの、実生活は、かなりガッチリとしていて相変わらずのケチケチ生活をしているようで、そんなところも、自分の生活を自分で営んでいるところが垣間見えて、微笑ましい限りです。

 正直、夫が亡くなって以来、親一人子一人の生活をずっと続けてきて、私は、これまでは何よりも娘のことを優先に生活してきたし、当初は、私も自分だけのために何かをするというリズムをすっかり忘れていましたが、今では、すっかり自分のリズムで生活することに慣れてしまいました。

 多少、寂しい気もすることはありますが、やっぱり、ある程度の年齢になったら、親から独立することは、必要なことだと思っています。

 私が彼女くらいの年齢の時は、時代も国も違うので、必ずしも、比較の対象にはなりませんが、父親がうるさくて、女の子が一人暮らしをするとか、あり得ない感じだったし、夜、出かけるにも、旅行に行くにも、いちいち親がうるさくて、かといっても、なんだかんだいって、自分は親がかりの生活を抜け出す勇気もなかなかなくて、どこか不満に思いながらも中途半端だったなぁと思います。

 日本は成人しても親元に居続けることが珍しくもないし、親の方も子供を独立させたがらないので、その時は、そのことをあまり、おかしいとも思っていなかったのですが、こうして海外に出てみると、子供が成人したら、わりと普通に独立していくのを見るにつけ、ある程度の年齢になったら、男女問わず、親離れ・子離れしていくことは、親にとっても、子供にとっても、人間として大事な成長の過程であると思うようになりました。

 海外での子育ては本当に大変でしたが、思い返すと本当に楽しかったし、子供がいなければできなかったであろう、このうえない経験を沢山させてもらいました。本当に楽しかったし、子供を産んで育てるという経験ができて、本当に有難い経験でした。

 しかし、この先もズルズルと親も子も、もたれかかりあう生活はどちらのためにもならないとも思い、区切りをつけることも必要だと私は自分に言い聞かせるようにしています。

 私の両親はもう他界してしまっているので、私は親の介護という問題からも卒業?し、今のところは、私が介護してもらうような状態でもないので、今は私は一応、子育ても卒業し、自分自身の生活を有意義に過ごせるように楽しみながら生活し、娘は娘でこれから彼女が自分自身の家庭を持つまでは、独身生活を謳歌しながら送っていくと思います。

 もともと、私は、彼女が生まれた時から、娘には国際人になってほしいと思っており、彼女には、日本にも海外にも共通に存在する名前をつけました。日本語も必死で一生懸命教えてきたし(英語はほんの少しだけだったけど・・)、こうして、今、色々な国の人々と仕事をし、海外を自由自在に行き来している彼女の姿は私の理想にかなり近かったかもしれないとも思います。

 彼女の今回の来仏は、できるだけ安いチケットを探したと言っていて、ベトナム経由のフライトを選び、ついでにベトナムにも数日、滞在するとかで、その体力とバイタリティには、感心するやら羨ましいやら・・。今、私にもそんな自由はあるものの、とても体力的に無理になってしまいました。

 とはいえ、離れて生活している以上、いつ何があるかもわからないし、「あれが最後だった・・」なんてことにもなりかねないため、空港までは送って行って、「次は私が日本に行くね・・元気でね・・」とお見送りをしてきました。

 今回、彼女がパリに着いた時に、エスカレーターが壊れていて、「フランスに帰ってきたなぁ・・」と実感していた彼女でしたが、彼女を見送って、早々に電車で帰ろうとした私は、不審な荷物があるとのことで、空港の駅が閉鎖・・。

 どうにか、違う駅まで移動して、もう娘の飛行機は出ている頃だろうな・・ヤレヤレ・・と家に帰ってくると、娘からメッセージで「飛行機が遅れていて、まだ出ていない・・」と。飛行機は結局1時間半も遅れて離陸し、彼女は、行きも帰りもフランスらしさを満喫することになったようです。

 彼女の選んだフライトは、ベトナムエアラインで日本への直行便ではないのに、「日本人観光客がいっぱいで、乗り継ぎに間に合わなくなると日本人が騒いでいる!」と・・。

 多くの日本人観光客も同じエアラインを選んでいるということは、やっぱり今、ベトナム経由が安いのかも??などと、思ったりしました。

 そんなわけで、彼女は今、フランス、イタリアに次ぎ、ベトナムでのプチバカンスを楽しんでいます。パリを出る時にスーツケースの計量とともに、自分の体重を測りながら、「ヤバい!4キロも増えてる!」と焦っていた娘・・ベトナムに着いても、「食べ物が美味しくて、しかも安い!これで4ユーロ!」などと写真を送ってきています。

 彼女のダイエットは日本に帰ってからになりそうです。


親離れ 子離れ


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2023年6月10日土曜日

一日にして、フランス中のヒーローになったバックパックの男

 


 アヌシーの平和な公園で突如、ナイフで小さい子供4人を含む6人を襲った凶悪事件にフランス中が震撼とした翌日、この凶行の様子は、居合わせた人々が撮影していた動画がテレビやSNSで拡散されました。

 この動画は、犯人の動向とともに、犯人を追いかけまわし、持っていたリュックサックでナイフ男を払いのけ、犯人に立ち向かう若者の姿が映されていて、この「バックパックの男」は、瞬く間に有名人になりました。

 この犯人は、犯行時に「キリストの名のもとに!」と叫びながら、子供にナイフで襲い掛かったと言われており、自らをキリスト教徒であると名乗っていたそうですが、皮肉なことに? この犯人に立ち向かっていった24歳の男性もまた、敬虔なカトリック教徒で、哲学と国際経済学を専攻していた彼は2ヶ月間にわたり、バックパックを背負って、フランスの大聖堂巡りをしている最中でした。




 恐らく事件現場は、異常な緊迫感と恐怖に包まれていたと思われますが、彼は、「自分自身の身の危険は全く思いもせず、飛び散る血を見て、何もせずにはいられなかった・・自分自身の命よりも、危険にさらされている人々の身の危険を恐ろしく感じた・・」とインタビューに答えています。

 ちょっと美談すぎる気もするのですが、動画を見ると、最初、彼は非常に大きなバックパックを背負ったまま、犯人を追いかけていっているので、彼があまり深く考える間もなく、行動を起こしていたことがうかがえます。

 彼は、途中でバックパックをおろしてから、もう一つのリュックサックで犯人を攻撃?回避しながら、彼がベビーカーに近付こうとするのを追い払いながら、闘っています。

 彼自身は、自分のとった行動が自分の身に危険が及ぶことであったと気が付いたのは、犯人が逮捕されて、ストレスから解放された後だったと話しています。

 この男性は、瞬く間にフランス中のヒーロー・英雄となり、事件の翌日に犠牲者の病院を訪れたマクロン大統領にも対面し、直接、称賛の言葉を受けています。大聖堂マニア?の彼は、マクロン大統領に来年行われる予定のパリ・ノートルダム大聖堂の再建祝賀式に招待してほしいと頼み、マクロン大統領は「私が個人的に手配します」と快諾の返事をもらっています。このあたりは、なかなかちゃっかりした面も持ち合わせているようです。

 もしも、自分がこのような現場に遭遇した場合、後になってみれば、犯人は一人であったことがわかりますが、事件が起こっている現場では、はっきりとした状況は把握することは難しかったはずで、自分の身の危険を考えたら、まず逃げることを考えてしまうのが普通で、逃げたところで誰も攻めはしないと思うのですが、そこで、彼のような行動に出ることは、なかなかできないことです。

 また、このような動画が残されているということは、その緊迫した状況で、襲われている子供を助けずに、自分自身も逃げずに動画を撮り続けていた人もいたということでもあります。

 しかし、この動画のおかげで、彼の勇敢な行動はフランス中から称賛の声を受けることになったのです。

 彼がバックパックで犯人と闘っている間に警察が到着した模様ですが、警察とて、ナイフを持った犯人が暴れていれば、パリなら、警察が現れた時点で犯人は射殺されてしまいそうなところですが、彼は撃たれることなく、逮捕されています。犯人が射殺されてしまわなかったのも、ちょっと不思議といえば、不思議でもあります。

 逮捕された犯人は、英語、アラブ語を話すのみで、フランス語が話せないそうで、あまり多くを語らず「kill me」とつぶやいたという話も上がってきているくらい、取り調べも難航しているそうです。

 後から出てくる犯人についての目撃証言では、彼が大人しく、礼儀正しい?ホームレスであったということもあるのでしょうが、けっこう、周囲の人々も彼に食べ物や薬を差し入れようとしていた模様で、結局は、大変なしっぺ返しを受けたとはいえ、そういうところ、困っている?人に対して、フランス人って優しい人が多いな・・などと、妙なところに感心したりもしています。

 バックパックの彼はインタビューの中で、「私はフランス人らしく行動し、最も弱いものを守るという本能に従いました。 襲われた子供を守りたかった。誰でもできることをしただけだ・・」と語っていますが、彼ほどの勇敢さはなくとも、彼が言っている「フランス人らしく行動し、最も弱いものを守る・・」という点については、たとえ、彼ほどの勇気がなくとも、最も弱いものを守ろうとする・・というところは、たしかにフランス人らしいところだ、私も感じます。

 今回、思わぬ事件に遭遇してヒーローとなったこの男性もまた、これを機に人生が変化していくかもしれません。

 とりあえず、彼が大聖堂めぐりをしながらアップしているInstagramのアカウントは、あっという間に、フォロワーが10万人に迫る勢いで増えており、ハッシュタグ#MerciHenri(アンリーありがとう)がネットを駆け巡り、多くの著名人が称賛のメッセージを送り、特に極右活動家の間で人気になっているのも、これはこれで、微妙な気持ちにさせられます。


フランスのヒーロー 英雄 バックパックの男


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2023年6月9日金曜日

フランス全土が震撼とした のどかなアヌシーの公園で起きた難民による子供を狙った襲撃事件

 


 事件は朝の9時45分頃に起こりました。アヌシー(オー・サヴォア県)にあるのどかな湖のほとりの公園で、ナイフを持った男が22ヶ月から3歳の子供たちに襲いかかる(成人1人を含む7名が負傷・子供たちは生死をさまようほどの重症を負った)という、ちょっと信じられない事件に誰もが震撼とさせられました。

 襲われたのが、まだヨチヨチ歩きの子供ばかりというのも余計に恐ろしく不気味な事件で、その日は、一日中、フランス全土はそのニュースでもちきりで、少しずつ判明していく犯人のプロフィールに最も過激に反応し始めたのは、移民を叩き出したい極右政党の政治家と過激派でした。

 犯人は、迅速な警察の介入で、その場で逮捕されていますが、この男性は、1991年生まれ、31歳のシリア国籍で、スウェーデンで難民認定を取得し、10年間スウェーデンに住んでいたものの、昨年秋からフランスに入国し、このアヌスの近辺にホームレスとして?滞在しつつ、フランスでも亡命申請を提出していましたが、すでにスウェーデンで難民認定を取得していたために、フランスはこれを却下しており、その通知を彼が受け取ったのがこの事件の4日前であったと言われています。

 この衝撃的なあまりに狂暴な事件の知らせに当日、開催されていた国民議会も議事を中断して1分間の黙とうが行われています。

 この犯人からは、麻薬などのドラッグやアルコールの反応は出ておらず、また、彼には精神病歴もありませんでした。付近の住民によれば、彼はフランス入国以来、この事件を起こした公園を根城にしていたのを目撃されていましたが、彼は非常に礼儀正しく、周囲の人々の邪魔にならないように、午後7時半頃になるとやってきて、朝8時頃になると公園を出ていき、清潔な身なりで、挨拶をすれば、それに応えて挨拶をし、まるで軍隊生活をしているようにきちんとしていたため、彼が公園に留まっていることを通報する必要は感じていなかったという証言もあるようです。

 彼に対して、毛布や食べ物を提供しようとしても、彼はこれをいつも拒否していたそうです。

 事件後になってみれば、あの彼の行動は周囲を油断させるものだったのだろうか?とその証言者は、ホームレスとしては、あまりに礼儀正しく、清潔にひそやかに暮らしていた彼の様子を逆に不気味に思い返しています。

 また、彼は亡命申請の際にシリア出身のキリスト教徒であると宣言しており、今回の襲撃事件においても、子供たちに襲い掛かる際に「イエス・キリストの名において!」と数回、叫んでいたと言われており、スウェーデンでは、一時、教会で生活していたこともあったと言われています。

 彼は、スウェーデンでは、結婚歴があり、信じられないことに、今回襲った子供たちと同じ年ごろの3歳の子供がいるそうですが、8ヶ月前に離婚しており、元妻が電話でのインタビューに回答しています。

 彼はスウェーデンでの生活も決して順調ではなかった模様で、スウェーデンの新聞によると、スウェーデンにおいて、彼には、研修中に失業手当と奨学金の両方を受け取ったとされる給付金詐欺の前科があり、執行猶予付きの有罪判決と罰金が課せられていたそうで、そんなことも影響してのことか、スウェーデンにおいて取得したかった国籍取得に失敗し、スウェーデンを出国することを決意したと元妻が証言しています。

 彼の今回の襲撃事件の本当の理由は解明されてはいませんが、スウェーデンに亡命し、腰を落ち着けるつもりが、それに失敗し、イタリア、イスラエル、マレーシアなどでも亡命申請をしようとしていたものの、フランスでの亡命申請の結果、すでにスウェーデンでの難民認定があることを理由に却下されたために、今後も他国で亡命申請が認定されないことが予想さたことに失望したとも考えられます。

 しかし、なぜ、彼が襲ったのが自分の子供と同年代の小さな子供であったのか?  一見、冷静そうに見えていたこの男の狂気は何に起因しているのか?

 いずれにせよ、この不可解かつ、狂暴な子供を中心に狙った襲撃事件は、単に恐ろしいだけでなく、再び移民問題に大きな波紋を呼ぶことは間違いありません。

 現段階では、アヌシーでは、この件に関するデモを禁止していますが、いつまでも禁止というはずもありません。この事件に多くの人が憤りを覚えていますが、この事件を間違った方向で騒いでほしくはありません。


アヌシー ナイフによる子供襲撃事件


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2023年6月8日木曜日

モンサンミッシェル1,000周年 自然と融合した神秘的な芸術

 


 モンサンミッシェルの修道院が1000周年を迎えたそうで、週明けにマクロン大統領が夫人を伴い1000周年記念祝賀のために予告なしに訪問しています。

 フランスでは、モンサンミッシェルはミッテラン大統領以来、歴代大統領、あるいは、大統領候補者が何らかの決意、メッセージを伝える場所として、この地を訪れるのがある種の習わしのようになっています。

 年金改革問題を機に数ヶ月にわたる強い不信感を経て支持率が回復しつつある中、マクロン大統領が1000周年を迎えたモンサンミッシェルで何を語るのか?と思いましたが、1,000周年ということ以外に特別な意味はなかったみたいです。

 彼は「私たちが風景が消えていくのを恐れるこの時代に、モン・サン・ミッシェルは不可能なことは何もないということを証明しています。 私たちの国には再び希望を抱く十分な理由があります。モンサンミッシェルに象徴されるように、回復力と抵抗力を兼ね備えているこの国を作り上げていきます」と、マクロン大統領の口から出てきたのは、具体的な話ではなく、強いてあげれば「遺産の修復を支援したい」といった程度の話でした。

 モンサンミッシェルといえば、日本人にも人気のフランスの代表的な観光地の一つで、ユネスコの世界遺産にも登録されているフランスの文化遺産です。ノルマンディーの潮の干満の激しい地にそびえ立っていることから、満潮時には、海の上に浮かんでいるように見える自然と融合した神秘的な芸術であると言われています。

 現在は、すでに工事が完了していますが、一時は、車や観光バスを通すことを目的とした道路が岩の周りの水の循環を妨げ、泥が堆積する恐れがあり、この災害を避けるために、1億8,400万ユーロを費やして、大規模な工事を行い、駐車場を押し戻し、道路を作り直しましたが、このために、モンサンミッシェルの修道院の岩山に到達するために2km歩くか、シャトルバスを使わなければならなくなることについての賛否が分かれ、ゴタついていた時期もありました。

 私がモンサンミッシェルに行ったのは、そんな工事が行われる前だったので、モンサンミッシェルの中にいて、うっかり満潮になる時間にかかってしまい、靴をぬいで、足を海の水につかりながら、戻ってきた覚えがあります。

 その時は、家族で何日かかけて、車でノルマンディー地方を旅行した時に立ち寄ったのですが、その時は、駐車場はそこまで遠くではなかったのですが、周囲約 960 メートル、標高 92 メートルのこの岩山の上にそびえ立つモンサンミッシェルの修道院に上って観光するのは、けっこうな脚力が必要で足がガクガクになった記憶があります。

 一時は、日本人のフランスツアーなどには、必ずといっていいくらいモンサンミッシェル観光が組み込まれていて、そうでない場合は、日本の大手旅行会社がやっているオプショナルバスツアーが毎日のように出ており、しかも、その大半が1日の日帰り観光だというのに、フランス人は目を丸くしていました。

 どうやら、ツアーに参加する人々は東京ー横浜くらいの気分で参加しているのではないか?と思いつつ、実際は、普通は車で日帰りするような場所ではなく、朝7時過ぎにパリを出発し、パリに戻ってくるのは、早くて夜9時過ぎで、モンサンミッシェル滞在時間よりもバスに乗っている時間の方がずっと長い耐久レースのようだ・・とフランス人からは嫌みがましく言われていました。

 当時は、モンサンミッシェルに一番多いのは、日本人観光客だと言われるほどで、日本人は、ずいぶん、この地方の観光業界に貢献してきたのではないかと思います。

 現在は、まだ、日本人観光客が以前ほどは戻ってきていないので、以前ほどは、モンサンミッシェルに日本人が多いとは思えませんが、とにかく観光客が多く訪れる場所であることは間違いなく、色々な言語が聞こえてきます。年間約300万人が訪れるというモンサンミッシェルは、周囲のホテルやレストラン、土産物店など、地域を潤し続けています。

 話は少々、逸れてしまいましたが、そもそも何かの○○周年記念ということは数あれど、1,000周年などという機会はめったにあることではなく、歴代大統領ゆかりの地?であるモンサンミッシェル1,000周年の年に在位しているマクロン大統領というのも、「この男、持ってるな~」と妙な感心をするのでした。


モンサンミッシェル1,000周年


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2023年6月7日水曜日

ユニクロがプリンセス・タムタムとコントワー・デ・コトニエの店舗を大幅閉鎖

  


 ユニクロ・フランスがプリンセス・タムタム (Princesse Tam Tam (ランジェリー)とコントワー・デ・コトニエ(Comptoir des Cotonniers (婦人服)の国内店舗を大幅縮小することを発表したというニュースを聞いて、最初は意味がわかりませんでした。

 この2つのフランスのプレタポルテのブランドは、ユニクロの子会社だということを私はこのニュースを聞くまで知りませんでした。

 ユニクロ・フランス本体は、街を歩いている人が持っているユニクロの紙袋の数や、お店に買い物に行った時の様子などを見るにつけ、どう考えても業績は悪くないと思うのですが、ここのところ、カマイユ、kookai、ピンキー、サンマリーナなどフランスの中堅どころのプレタポルテのブランドは、軒並み倒産が続いています。

 たしかに、フランスのファッション業界は、いわゆるハイブランドか、そうでなければ、かなり思い切った低価格帯のブランドか?両極化しつつある気がします。「フランス人はもはや中堅どころのブランドの名前では買い物をしなくなり、価格で買い物をするようになった・・」とも言われていますが、その中間のところを綱渡りしていけるブランドはそんなに多くなくなってきた気がします。

 今回、ユニクロ(ファーストリテイリング)は、「流通戦略の抜本的見直しプロジェクト」と「販売拠点ネットワークの再編計画」をかかげ、フランスにおける厳しい中堅どころのファッションメーカーのポジションを維持していくために、子会社の中でも、もはや回復の見込みのない、この2つのブランドの55店舗(136店舗中)の閉鎖を検討すると発表し、また、多くの雇用が失われると話題を呼んでいます。

 そもそも、ユニクロがなぜ?この2つのブランドのオーナーになったのか?ということも疑問といえば、疑問でもありますが、そもそもフランスにユニクロが進出した当時は、ユニクロは、その品質には、絶対的な人気があったものの、ファッション的、デザイン的には今一つという評判であったことも否めません。

 そんな中、これらのブランドを買いとることでデザイン性やフランスのファッションブランドの香りを吸収していくことは、彼らにとって一定の狙いがあったのかもしれません。

 しかし、ここ数年の中堅どころのファッションメーカーの急降下の勢いは想像以上に早く、業績不振にあえぐ中堅ブランドは、彼らの顧客層の認識の変化に追いつかず、気が付いた時には、店舗数だけがやたらと過剰に増えており、それと反比例するようにオンライン上での存在感が薄すぎて、それを凌駕する戦略を打ってこなかったことが敗因です。

 おそらく、今回の発表は、現時点では店舗縮小に留まっていますが、すでにユニクロ本体の足を引っ張る存在になりつつあったということだと思います。

 この子会社ブランドの縮小とともに、ユニクロは、パリ・リヴォリ通り店で、アフターサービス、カスタマイズ ワークショップ(リペア・カスタマイズ・リフォーム)を組み合わせた「お直しサービス」を開始すること(3ユーロからの価格で、ボタンの縫い付け、破れの修理、裾上げを依頼できる)、また、使用済のアイテムのリサイクルへの取り組みを開始することも同時に発表しています。

 ユニクロはさらに、NGOと協力して、状態の良い古着を世界中の困っている人々に配布するプロジェクトも開始しています。

 常に何か新しい試みを催し、他のブランドにはないサービスという付加価値をつけることで、他のブランドとの差別化をはかり、また、世界的にも環境問題に積極的に取り組む姿勢をアピールしているあたり、さすが!とうならせられます。

 労働組合が強いフランスでは、店舗の縮小、それに伴う解雇などは、生易しいことではありませんが、会社全体が生き残るためには、不要な人材や店舗を抱え続けるのは命とりです。

 ユニクロがフランスに進出したのは2007年のこと、ラ・デファンスに1号店ができると聞いて、日本人の私は、なんか嬉しくてワクワクしたのを覚えています。当初から、ユニクロは日本式に店員を教育するとかで、お客さんが手に取った洋服はすぐにたたんで棚に戻すとか、レジでは人を待たせないような工夫をするとか、日本人から見たら、当然のサービスを提供するために、フランスでも日本風の店員の教育をしていたため、フランス人がその厳しさに耐えられずに、人がすぐ辞めてしまい、常に求人広告が出ているようでもありましたが、それも店舗が増え、ユニクロがフランスに浸透していくにしたがって、そんな店員の教育も浸透していき、最近では人を待たせないレジどころか、レジ自体の多くがオートレジになってしまいました。

 世の中の変化や流行、人々のショッピングの形態の変化についていけない限り、企業も生き残れないので、ユニクロとしては当然のことをしていると思うのですが、中には、この縮小されるブランドの店舗贔屓の側からすれば、「ユニクロはなぜ、プリンセス・タムタムとコントワー・デ・コトニエを犠牲にするのか?」などという批判じみたタイトルをつける新聞もあったりで、全くそのあたりは、フランスだな・・とも思うのです。

 ただ、現時点では、店舗数縮小を検討するということで、対象店舗の実質的な閉店は2024年7月の予定と1年以上の猶予期間をとっているあたりも、フランスでの解雇の難しさを物語っています。

 それにしても、ユニクロがこんな世界的なブランドになるとは・・。


ユニクロ フランス プリンセス・タムタム  コントワー・デ・コトニエ


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