2022年4月7日木曜日

京都 山城産の朝掘りたけのこと叔母の突然の訪問

 


 

 私の両親はすでに他界していますが、彼らの生前から、彼らの兄弟姉妹とのつながりは強く、父方、母方の両方の親戚(叔父叔母や従姉妹たち)と我が家はとても親しい関係を保ち続けてきました。

 私の実家は、父の兄弟一家と同じ敷地内にあり、母の兄弟は、家から車で10分ほどのところに2家族がやはり、同じ敷地内にそれぞれの家を建てて暮らしています。

 父方の兄弟姉妹、母方の兄弟姉妹は、他にもいて、彼らは都内から少しだけ外れた場所に住んでいます。

 当然、家が近い叔父・叔母とは、行き来も頻繁で、隣の叔母・従姉妹は、本当に庭先から出入りが見えるような場所のため、「今、帰ってきた・・今、電気がついている・・じゃぁ、ちょっと、これ、渡してこよう・・」など、わたしたちが帰国している間は、顔を合わさない日はないくらいなのですが、それほどではないにせよ、車で10分圏内の叔父・叔母たちも、なかなかの頻度で連絡したり、一緒に出かけたりするので、帰国すれば、わりと頻繁に連絡をとっているのです。

 母の妹にあたる叔母は、母方の親戚の窓口のようになってくれていて、彼女に話しておけば、だいたいのことは、親戚中に伝えてくれるという、私には、とても近く、とても大切な存在の叔母でもあります。

 今回の帰国に関しては、数度にわたり、フライトがキャンセルになったり、羽田に到着しても、コロナウィルス検査で陽性になれば、しばらく隔離しなければならないので、それまで、一喜一憂させて、心配をかけたくないという思いから、隣に住む従姉妹にだけは、ヒースロー空港から、「予定どおりならば、明日、日本に到着します」と知らせ、母の妹である叔母には、家に着いてから、電話して、「実は、今、日本に帰ってきている」と驚かせてしまいました。

 彼女には、今回の帰国の事情や滞在日程、また、どうしてもやっていかなければならないことなどを説明して、「ちょっと、やるべきことを滞在中に済ませなければならず、それがどの程度の時間がかかり、日程を組んでいけるのかわからないので、だいたい目処がついたところで、また連絡するね・・」と伝えました。

 この叔父と叔母には、私が子供の頃から大変、お世話になり続けてきて、いつもは帰国のフライトを予約すれば、誰よりも一番に知らせる二人、たいてい叔父は羽田まで迎えにきてくれていました。

 それが今回は、何も知らせずに来てしまい、コロナ禍ということで日本国内での親戚の集まりなどもしていなかったようで、私たちが帰国したからといって、いつものようにみんなで集まって・・などということも無理で、今回は、ごくごく近い親戚に運がよければ会えるか、そうでなければ、電話では話せるかな?くらいに思っていました。

 一番近しい叔母に連絡した時点で、皆が知っていることはわかっていましたが、その叔母を通じて、別の叔母が、「忙しそうだから、電話も時間をとらせてしまうので、遠慮しておくね・・」と話していたということを聞きました。

 そこまで言われて、電話の一本もしないのも失礼だと思い、こちらから電話をすると、その少し遠いところに住んでいるその叔母はとても喜んでくれて、電話でお互いの近況などを話し、「今回は、コロナということもあるし、忙しそうだから会うのは諦めることにして、次回、帰国の際には、会えるようにしましょうね・・」ということで、電話を切ったのです。

 それから数日して、ある程度の優先的な用事は済み、どうにも今回は終わりそうにないことには、見切りをつけて、帰仏の日も迫ってきて、比較的、近くに住んでいる叔父・叔母と都内にあるお墓参りをして、一緒に食事し、しばしのおしゃべりの時間を過ごしていました。

 そこに、食事だけ一緒にして、仕事のために家に戻っていた娘から「今どこ? 叔母さんが急に家に来たから、もし、すぐに帰って来れるようなら、待っていてもらうし、無理なら帰ると言っているけど・・」と電話があり、仰天。

 「えっ?遠いのに、在宅を確認もしないで、突然?二人とも留守だったらどうするつもりだったのだろうか?」とびっくりして、また、叔父に頼んで急に家に送ってもらい、叔母と数分、対面したのでした。

 以前から猪突猛進型の叔母ではありましたが、すでに80歳という高齢で、足も悪く、杖をつきながらの突然の訪問に、私も少々動揺し、家から、電車とバスを乗り継いで、悠に2時間はかかると思われる道のりを連絡もせずにやってきてくれた叔母に不安を覚えて、少し話をした後に、送ってきてくれた叔父に、このまま叔母を乗り継ぎのよい駅まででも、送ってあげて・・」と頼んだのです。

 叔母は、私と電話で「今回は諦めよう」と話していたにもかかわらず、「今朝、京都から山城産の朝掘りたけのこが届いて、どうしても、これをあなたたちに食べさせてあげたいと思ったら、居ても立っても居られなくなって・・」とそのたけのこを茹でて、他の食糧とともに届けに来てくれたのです。

 結局、叔父は2時間近くかけて、彼女の自宅まで送って行ってくれたようで、なんだか、私たちの帰国がみんなを巻き込んで、振り回しているようで、申し訳ない気持ちになりました。

 コロナ禍でずっと会っていなかった叔父と叔母は、久しぶりに道中、車の中でゆっくり話したようで、怪我の功名でもあったかな?とちょっとだけ、良い機会であったかもしれない・・と思うことにしたのですが、夜になって、娘と共に、叔母の持ってきてくれたたけのこを食べて、ちょっとびっくり!こんな美味しいたけのこを食べたのは、初めてで、ちょっとありえないくらい感動しました。

 茹でただけで、柔らかくて、ちょっとトウモロコシにも似た香りのこんなにほっくりした味のたけのこを食べて、この京都の朝掘りたけのこが叔母を突き動かしたことにちょっと合点がいくような気もしたのでした。

 最初は、電話することさえも「邪魔しちゃいけないから・・」控えておくと言っていたはずの叔母を、この「京都山城産の朝掘りたけのこ」が突撃訪問モードにスイッチを入れたのです。

 しかし、80歳という高齢にもかかわらず、2時間以上もかかる道のりを杖をつきながら、たけのこを届けてくれた叔母。嬉しいやら、申し訳ないやら、心配やら・・。

 少なからず、私たちの一時帰国はいつでも、お騒がせでもあるのですが、結果的に今回は、さらにお騒がせになってしまったことや、叔父や叔母たちも、ずいぶん、おじいさん、おばあさんになってしまったんだな・・と、このパンデミックの間の失われた時間を実感するのでした。

 それにしても、父方、母方の親戚ともに、食べ物に並々ならぬ情熱を持った家系であることも、あらためて実感させられたのでした。私たちが一時帰国の際には、食べたいものと食事の回数が足りなくなって焦るのも、そういう家系・一族なのだ・・と思うのです。


京都山城産朝掘りたけのこ 一時帰国


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2022年4月6日水曜日

2年ぶりの日本 街を歩いていて気付くフランスとの違い

  

もう散り始めてしまった・・けれど、都内の桜並木は美しい



 一時帰国中の日本滞在もカウントダウンに入った感じで、もうこの期に及んで、到底、やりきれないことは諦めて、久しぶりに友人と食事をしに、都内の中心地にでかけてきました。

 話には聞いていたし、当然そうだと思っていましたが、日本のマスク率はものすごく高くて、たとえ、屋外で誰も人がいないところでも、飲食店内でさえも、食事をする時以外は、マスクをしている人がいるのに、あらためてびっくりしています。

 また、駅構内とビルとが繋がる地下道が知らないうちにたくさん増えていて(私が知らなかっただけで、もうとっくの昔からあるのかもしれない・・)、その地下通路などが、きれい、美しいというよりもまず、どこもがとても清潔で、おかしな言い方ではありますが、どこも臭くない・・。

  

これがパリだったら、すんごい臭いことになっている・・


 逆に言えば、もし、これがパリの地下通路だったら、どんだけ臭いことになっているかどうか?と、ちょっと想像してしまったくらいでした。

 久しぶりの東京の地下鉄内に流されているオンタイムのニュースや位置情報や天気予報にどうしても視線が上の方に偏ります。また、車内のアナウンスなども、駅で停車する度に乗り換えの情報などがあり、黙って止まって、黙って発車するパリのメトロに最初は驚いたことを思い出しました。

 また、駅で停車するにあたっても、この駅では「1分停車します」などと、断わりを入れるあたりも「日本だ!東京だ!」とびっくりさせられるのでした。 

 そして、2年前に比べて、日本人って小さくなった?なんだか私が巨人になった気がするのも妙な感じでした。もともと日本人は小柄で華奢(特に若い女性)なのは、わかってはいましたが、なんだかみんなとても小さくなった・・まさか、本当に小さくなったのだろうか?などと考えてみたのですが、2年で小さくなるはずもなく、よくよく観察してみると、その秘密は足元にありました。

 ほぼ、大多数の人がヒールのある靴ではなく、スニーカーを履いているために、ひとまわり小さく感じられるのです。逆にパリではスニーカーを履いている人も多いには、多いのですが、ブーツなどヒールのある靴を履いている人も少なくないのです。

 このスニーカー履きが今の日本の流行なのかな?と思ったりもしました。

 そして、何よりこの季節の中で、あらためて驚かされるのは、洗練された都会の高層ビルの間に上手く調和している桜の木が、都内には、こんなにもあったのか?と驚かされるのでした。

 この近代都市に桜の花が見事に開いている様子は、世界には大都市がたくさんあるとはいえ、日本ならではの風景で、これが、まるでビルだけが聳え立つ景色だったらば、ずいぶんと違ったものに映るのだろうと、あらためて、日本の美しさを感じるのでした。

 桜の花が咲く時期は、本当に短いですが、都内どこの桜もほぼ一斉に咲き乱れ、ほぼ一瞬にして散ってしまうのに、この桜を育て続ける、またこれを楽しむ日本の文化をあらためて、「いいなぁ・・」と思うのです。

 日本には、桜前線とか、桜予報とか、そんなものがありますが、一時帰国した際にこの時期にあたるのは、なかなかないことで、今回、コロナや戦争で色々なトラブルが重なりましたが、ラッキーな面もあったのです。

 今は、フランスから日本への観光客はパンデミックを皮切りに激減していますが、一時は、フランスから日本への直行便などは、ほぼフランス人で埋まっていた時期もあり、フランス人が日本を「一度は行ってみたい国」と思う人が増えたのも、この近代化された空間に歴史と日本の文化を感じられる点でもあったことを、この都会の中に、ところどころに神社仏閣などがあり、どこに行っても桜の花が見事に調和して見られる風景を見て、「なるほど、なかなか美しい」と感じたのでした。

 パリの街並みは、その建物や街並みなどは、おしゃれで美しいのですが、どちらかというと公園は公園、東京のように近代的な空間の中に調和した桜・・という景色とも違います。

 どちらもそれぞれに美しいのですが、その双方を気軽に行き来できる時が早く戻って、フランス人にも再び、こんなに美しい日本を訪れてほしいな・・と思うのです。


日本の桜


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2022年4月5日火曜日

ちょっとひと段落と思ったら、もう帰国の心配 帰国便欠航

 


 

 トラブル続きの今回の一時帰国も、あっという間に半分以上が過ぎてしまいました。今回は、往復チケットを予約した時に、往きは、直行便がなかったので、他に選択の余地はなく、ロンドン経由ロシア上空回避迂回便を取りました。

 もうすでに、一度、キャンセルをしているので、キャンセルする可能性のあることを念頭において、JALの予約サイトで直接、往復便を予約していました。

 そもそも私は、フランスに居を移してから、これまで数十回、フランスと日本を往復してきましたが、一度、エアフランスのストライキのために、勝手に予約していたフライトを変更されて、慌てたことがありましたが、それ以外はただの一度も予約したフライトを変更したり、されたりすることはなく、一度予約すれば、予定の日が来れば、行って帰ってくるのが普通で、フライトのことで、こんなに一喜一憂することはありませんでした。

 エアフランスのストライキは、ストライキ大国のフランスの航空会社ということで、コロナ、戦争がなくとも、欠航や予約した便の変更は、いつでもあり得ないことではないため、直行便とはいえ、避けていたくらいだったのです。

 それが今回、まさかのウクライナ戦争のためにJALやANAでさえもパリ直行便は欠航。往復のチケットを予約する際には、往きはもう選択肢がなかったにせよ、帰りの便は、直行便という選択をすることもできたので(しかも、直行便も経由便も同額だった)、戦争の状況が改善される見込みは薄かったにもかかわらず、「それなら、普通、直行便でしょ!」と、一縷の望みを託して、直行便を予約してしまっていたのです。

 しかし、案の定、パリ行きの直行便は欠航のままで、昨日、JALから「ご予約内容変更のお知らせ」というメールが届き、やはりロンドン経由の便に変更に・・。しかも、予定より1日前に帰仏することになりました。

 今回の誤算は、返す返すも超長時間フライトが今ひとつピンときておらず、日本滞在期間が想像以上に短くなって(まぁ、今から考えてみれば当然なのですが・・)、結局、帰りの便も前倒しになってしまったことで、ますます最後の予定をギチギチに入れざるを得ない結果となりました。

 その中でも幸いだったことは、日本からフランス、イギリスに帰る便に関しては、入国先でのワクチンパス(ワクチン3回接種済み)(ワクチン証明書)を持っていれば、日本でPCR検査がいらないということで、日本でのPCR検査は高額だと聞いていたし、当然、必要だと思い込んでいたPCR検査を受けにいく必要がなくなったので、日程的には、その分が少しだけ楽になったことです。

 ただ、JALのサイトでは、羽田→パリ便のフライトの変更にもかかわらず、羽田→ロンドン区間の予約しか、表示されていなかったので、まさか・・とは思いましたが、やはり、あまりに直前になる前に確認したくて、結局、繋がりにくい予約確認の電話を延々と繋がるまでトライすることになり、電話で予約を入れ直してもらうという気が揉めることになりました。

 結果的には、延々、電話が繋がるのを待って、やっとどうにか電話がつながり、予約をとることができましたが、もう、今回の帰国に関しては、最初の最初から二転三転と状況が変わり、もういいかげん、振り回されるのも疲れて、逆に少々早くなってしまったとはいえ、これではっきり決まっただけでも、少し気楽になった感じもするくらいです。

 正直、もういいから、無事に帰ってこのドタバタから解放されたいという気もしているのです。

 考えてみれば、一時帰国の際には、いつも、帰仏が差し迫れば日程がギチギチになって、あっぷあっぷになるのは、いつものこと。これに加えて、コロナや戦争のためのフライト変更。

 このところ、帰国の度に年齢を実感していますが、今回は色々なハプニングも重なって、一段とそれを深く思い知らされることになりました。多少、最後の数日を無理して乗り切ればなんとかなると思ってはいたものの、今年に関しては、無理は無理なんだということを実感しています。

 フランスに戻るまで、あと1週間を切りましたが、どうか無事に過ごせて、パリの家にたどり着きますように・・と願っています。

 しかし、一先ず、一番大切な用事の何件かは済み、念願だった日本の美容院にも行けて、美味しいものも食べられて、何人かの大切な家族や友人とも会うことができ、パリに持って帰る日本食材の買い物もできて、このコロナ・戦争のさなかにしては、上出来であったのかもしれません。

 とりあえず、パリからの直行便が回復するまでは、日本への一時帰国はもうしないと思っています。


航空券予約変更 直行便欠航


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2022年4月4日月曜日

一時帰国の楽しみ 日本での食事 やっぱり日本は美味しい

  


 海外生活をしていて、日本へ一時帰国をする際に、最も楽しみにしていることの一つは、日本での食事です。いつもなら、本当に一時帰国する前に「食べたいものリスト」、「買い物(主に食品)リスト」を用意して、それを元にスケジュールを組んでいくといっても過言ではないのですが、今回ばかりは、コロナ禍、戦時下ということもあり、大幅に予定が狂わされています。

 そもそも今回の一時帰国の日本入国後直後に娘が機内濃厚接触者になって、1週間近く行動制限をかけられたことで、外出、外食がほぼできなくなったことで、もう予定はぐちゃぐちゃで、その他の予定も押し押しの状態。

 それでも、その行動制限から解放されたら、友人との会食の約束があったにもかかわらず、今度は友人の方のコロナウィルス感染者濃厚接触に伴いキャンセル。もう、今回は一時帰国をしたにもかかわらず、入国後もトラブル続き・・。

 しかし、それ以外にもやらなければならないことを着々と進めていく中の救世主は、やはり、毎回、帰国するたびに、極上の食事を用意してくれる従姉妹の一人です。

 彼女は、本当に食べることに関して、並々ならぬ情熱を持っている従姉妹。(先日ご紹介した従姉妹のお姉様)彼女が季節によって、用意してくれる食卓は、もはや素人のレベルを遥かに超えた、ちょっとそこらのレストランとは比較にならないほどのクォリティー。

 青森から魚を取り寄せ、山形から米沢牛を取り寄せ、季節の野菜、ふきやたけのこ、そら豆などを使って、丁寧にとった出汁でいくつものお料理を用意していてくれていました。

 それらは、パリでは決して手に入らないものばかり・・娘などは、前の晩からエクササイズをして体調を整えて臨むという力の入れよう。

 彼女が用意してくれた数々のお料理は、どれ一つをとっても、微塵も手をぬいていないことがわかる絶品で、私だったら、せいぜいそのどれかを作るといっても1日一つが精一杯。

 もう食卓を目にしただけで、私たちは興奮状態。ひと目見ただけで、味は絶対に間違いないことでこんなに一度に日本ならではの食材を最高の状態で、気のおけない親族で食べる食事は、これまでの数々のトラブルを一瞬でふっとばしてくれるほどの楽しい時間でした。

 青森産のまぐろ、ほたて、いか、あわび、ひらめなどのお刺身を日本酒とともに、一つ一つ丁寧に味わい、食事の時間が過ぎていくのに追いつかない気持ち。

 しかも、このクォリティーにして、この量??とあり得ないほどのお刺身は、あっという間になくなったかと思うと、今度は米沢牛。もう彼女は、青森や山形と直にやりとりをしていて、この山形の佐藤牛肉店というお店は、山形の人でも知る人ぞ知るという名店だそうで、そんなお店とも、個人的につながっているために、後日、確認の電話がかかってくるとか・・。

  


 今回は、食事が終わった頃にまさかの山形からの電話。電話をかわってもらって、直接、お礼を申し上げたのでした。

 今や和牛といえば、パリでも今や一つのブランドのようになっているものの、それは、もうパリのそれとは、別の動物の肉ではないか?と感じてしまうほどのもの・・。

 ここ2年間、日本に来れなかった時間を一瞬で、取り戻したような気持ちになりました。

 ここのところ、あまり量を食べられなくなって来た・・と感じていた私ですが、この日ばかりは、「もうお腹いっぱい・・」と感じる満腹中枢が私の「食べたい!」という食い意地に破壊され、なぜだか永遠に食べ続けることができる感じで食べ続け、普段なら、もう絶対無理なはずの最後の白いご飯(土鍋で炊いて、おひつに保存)まで、ペロリと平らげてしまったのでした。

 おまけに、一昨日に、パリに持ち帰るための買い出しを始めていて、どうしても持って帰りたかったけど、見つけることができなかった食材を彼女は見事に網羅して揃えてくれており、お土産まで持たせてくれるというまさに神。

 帰宅途中、車の中から夜桜を見ながら、幸せな気分で家に戻った頃に、私の食い意地のために壊れていた満腹中枢がようやく働き出し、一瞬、動けないのではないか?というお腹いっぱいの状態になったのでした。

 ともかくも、長距離フライト、その後の突然の行動制限などの数々のトラブルも彼女の用意してくれた絶品ディナーがすべて取り戻してくれました。

 いつもいつも、ありがとう。

 私も誰かがパリに来てくれた時には、彼女ほどはできなくとも、精一杯のホスピタリティーで迎えなければ・・と思うのでした。


一時帰国の日本の食事


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2022年4月3日日曜日

同い年の隣の従姉妹 海外在住者の日本での家族・親戚関係

  


 

 私には、従姉妹、従兄弟がたくさんいて、長く海外で生活していても、付き合いはそれぞれに続いています。我が家は、父方も母方も兄弟姉妹が多くて、また、親戚同士の集まりも多く、引っ込み思案だった私は、あまり、そのつきあいが好きではありませんでしたが、そんな長年の付き合いが、のちのち、大切なものになっていっていたのだということを年々、歳を重ねるごとに感じています。

 特に隣の従姉妹は、私と同い年、彼女が小学校の頃に引っ越してきて以来、いつもお隣同士、小学校には、毎日、一緒に通っていましたし、学校から帰って来てからもずっと一緒に遊んでいた、謂わば幼なじみのようでもあります。中学校は、私が私立の学校へ進学したために別々の学校に通っていましたが、誘い合わせたわけでもないのに、どういうわけか高校はまた同じ学校に行くことに・・。

 毎日、バスで渋谷まで、そして渋谷から歩いて一緒に学校に通っていました。今では、その頃、話していたことは、なに一つ思い出せませんが、一体、何があんなにおかしかったのかと思うほど、ゲラゲラ笑いながらの通学でした。俗にいう、箸が転がってもおかしい年頃だったかもしれません。

 それから、大学、就職と私たちは、私たちは、全く違う道を進み、お互いの交友関係も全く異なり、まるっきり接点はなさそうでもあるのですが、それはそれで、長い時を経ても、彼女はいつも、お隣に住む同い年の従姉妹として、特別な存在で、こうして私が海外生活を始めても、決してつながりが絶たれることはなく、関係が続いてきたのです。

 特にここ10年ほどは、父の容態が悪くなっても、彼女がいてくれたからこそ、父もギリギリまで家で頑張り続けてこれたし、父の没後も私たちが一時帰国する時は、本当に頻繁に食事を差し入れてくれたり、時間の空いている時には、買い物につきあってくれたり、なにせ、隣なので、どこかで待ち合わせをして・・などということもなく、ラインなどで、じゃあ30分後に出かけよう・・ということになるので、時間を無駄にすることなく、彼女のおかげで、なんとか、今は空き家となっている実家にしばらく滞在することができているのです。

 明日は、燃えないゴミの日だから、ゴミ出すのを忘れないで・・このゴミは○○時ごろまでに出しておけば大丈夫・・などと、細やかに連絡してくれるのです。

 彼女の運転で出かけて、車で近辺を通りかかっても、「あぁ〜このあたりもこんなに変わったんだね・・」とか、逆に「ここは全然、変わらないんだね・・」その場所にまつわる思い出も何かと共有できて、ホッとできる時間でもあり、彼女との年月をしみじみと有り難く思うのです。

 「今日は、どうするの?そこに行くんだったら、こんなお店ができてるから、行った方がいいよ・・(大抵、食料品の話ですが・・)」とか、オンタイムの情報も教えてくれて、住み慣れたはずの東京で、今ではすっかり浦島太郎状態になっている私を助けてくれるのです。

 同い年で、しかも隣に住んでいて、もちろん、親戚のことや、私たちの紆余曲折あった人生もほぼ全て知っていてくれ、おまけに自分自身の子供の頃の思い出を共有できる彼女の存在は、一緒にランドセルを背負って通学した頃以上に貴重なものになっているのです。

 幸いにも? この家、この場所に住み続けてくれているからこその関係なのかもしれませんが、兄弟そろって海外生活を送っている私にとっては、彼女は弟以上に深いつながりがあるかもしれません。

 現在では、全く違う人生を送っていますが、生い立ちや、育った環境は似ていて、価値観も似通っている・・私には、こんな最高な従姉妹がいて、本当に幸せだなと日本に一時帰国するたびに思わせられるのです。

 親戚付き合いはあまりしないとか、従兄弟、従姉妹なんてあんまり付き合いがないという話も聞いたりもしますが、この家族が築いて、受け継いでくれた貴重な関係に、歳を重ねるごとに深く感謝を感じるようになってきています。

 両親が他界してしまった今、海外にいれば、下手をすると根無し草のようになりかねないと思いますが(パリの日本人の知人には、そういう人も結構います)、私は、彼女たち、また、まだなんとか元気でいてくれる母の兄弟姉妹たちに支えられて、日本に帰ってくることができているのです。

 ほんとうにありがたいことです。


海外生活 一時帰国 根無し草



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2022年4月2日土曜日

コロナ禍の一時帰国のストレス再び トラブルはまだまだ続く・・

   


 今回の日本への帰国は一難去って、また一難、もともと、新型コロナウィルス感染の水際対策の厳しさから、見合わせていた日本への帰国。日本側の対策が少し緩んだところで、チケットをとったものの、今度はウクライナ戦争のためにパリー羽田便の直行便のフライトがキャンセル。

 2度変更して、今度は、ロンドン経由便を予約し、実際に出発するまで、いつキャンセルになるとも限らないと心配しつつ、ようやくパリを出発。20時間近いフライトは想像以上にキツく、この長時間の間にも感染しないでもないので、ヒヤヒヤ・・。

 羽田到着後の検査も結果が出るまで、もしかしたら・・と、どうにもホッとすることはできませんでした。

 羽田到着後の検査もどうにか、クリアし、ようやく入国できて帰宅。想像以上に辛かった長距離フライトの疲れがあるものの、そんなにゆっくり休んでいるわけにも行かずに翌日から始動。

 ところが、移動先で突然、娘の携帯に機内で陽性になった人との濃厚接触者の通知が来て、なんと行動制限をされる状況に・・。

 しかし、3月末から規則がかわったとかで、数日後には行動制限が解除になり、日本での活動?は再始動し、一体、これに振り回された時間は何だったんだろうと思いながら、外食なども帰国後、数日経ってから、ようやく開始。

 だいたい、食べることが何より大事な私たち、日本に来ているのに、外食ができないなんて、日本での楽しみが半減したといっても決して過言ではありません。

 そして、週の前半を行動制限で過ごし、後半から食事に出かけたりし始めました。

 週末には、ウィークデイは仕事で忙しくしている親友と食事をして、2年ぶりのおしゃべりの時間を楽しむつもりでいました。

 ところが、今度は、彼女の方が、職場で長時間一緒に引き継ぎをしていた同僚がまさかの発熱、コロナ陽性となり、濃厚接触者に・・。海外からの入国者ではないので、濃厚接触者という括りはなく、特別な行動制限等はないようですが、(これもまた不思議な話・・)たとえ、制限されていないとはいえ、かなりリスクは高い状態に・・。

 彼女からは、「大丈夫だとは思いますが、気になるようだったら、お約束を延期しますか?」というお知らせ。私も考えた末に、現在、日本にいる私の周囲は、伯父・叔母などを含めて高齢者が多く、やはり彼女と約束しているのも食事の場ということもあって、今回は約束を延期、というか、今回、会うのは諦めることにしました。

 さまざまなハードルを乗り越えてやってきたのに、これでもか・・というくらい、まだまだある落とし穴。今回の帰国は、他に大切な用事もあって来ているので、仕方ないといえば、仕方ないのですが、やはり、「え〜〜??まだ、こんなことが起こるんだ!」と思う事件が勃発。

 普通にチケットをすんなりとって、直行便にのって、パスポートのチェックだけで入国し、時差ボケはあるものの、どこにでも自由にでかけられ、会いたい時に、会いたい人に会える、そんな一時帰国がどんなに気楽だったかと思い知らされています。

 海外からの入国、水際対策、機内感染などなどに直面して来ましたが、今度は、まさかの日本国内での感染からの余波を喰らうとは・・、まだまだ油断ができなかったのでした。

 こうなったら、日本にいる間、できることを精一杯やるのみ・・。ですが、今度は自分自身が感染しないように、気を引き締め直し、できる範囲で日本滞在を楽しみたいと思っています。


濃厚接触者


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2022年4月1日金曜日

パリから来ている友達という括り

   


 学生時代からの友人の職場が、たまたま私の日本の実家の近所に移転してきて、そして、たまたま、彼女の職場に私も公的な手続きをしに行く必要があり、一時帰国中でバタバタとあちこちを奔走中、ちょっと時間が空いたので、そうだ!今、行っちゃえ!と、突然の思いつきで、その手続きがてら、友人を訪ねて行ったのでした。

 まあ、私は私の用事で行くので、ちょっと、そのついでに友人の顔を見ていこうと、手続きの途中に担当の人に「〇〇さんは、いらっしゃいますでしょうか?」と聞いてみたのです。

 その場で長話をするわけではなく、ちょっと顔だけ見て、もし、今夜の予定が空いているようだったら、夜、一緒に食事でもしようよ・・と、そのことを伝えるつもりでした。

 本当に、偶然にも偶然、彼女が転職してそんなに時間が経っていない職場が、私の家から歩いて2分とかからないところに移転してくるなんて!そんな偶然は、奇跡的です。

 そして、私は思ったよりも手続きは簡単に済ませることができ、(さすが日本!早かった!)友人との数年ぶりの再会を果たし、夜には一緒に食事をしに行く約束をして、次の予定にとりかかったのでした。

 夕方になって、彼女から、「仕事、終わったよ〜」とLINEをもらって、まだ、少し夕食の時間には、早かったので、少しおしゃべりしてからと思い、「じゃぁ!とりあえず、家に来て!」と頼んで、5分後には、彼女は家に来てくれました。

 もう、片付けの途中でとっちらかった我が家でも、いまさら取り繕ってカッコつける間柄でもなく、家でしばらくおしゃべりをしてから、近所に食事に出かけました。

 話は次から次へと湧き出すように出てきて、本当に楽しい時間を過ごすことができました。海外生活が長くなって、それでも付き合いがこんなに長く続いている友人というのは、本当に貴重なもので、しばらく会わなくても、一瞬で時間を取り戻せるような感覚は、本当に心が躍るものです。

 過去、日本に帰国した時、娘にも数回会っており、「わぁ〜大きくなったね〜〜!」と・・。母が生きていた頃も、すでに母は、心臓が悪かったので、小さい子供を母に預けて私一人が友人に会いに行くということもできなかったために、日本の友人に会いに行く時には、いつも娘も一緒だったために、私の日本の友人は全て、娘の小さい(可愛かった頃)時をよく覚えてくれているのです。

 一緒に食事をしながら、友人は、「さっき、あなたが事務所に来てくれた時、実は周囲の人々は、あなたに興味津々だったんだよ!」と教えてくれました。彼女が、職場の人に、ちらっと、「私の友人の実家がここからほんの数分のところにあって、でも、彼女は今、そこには住んでなくて、パリにいて、近々、パリから帰ってくるんだよ・・」と話していたというのです。

 こっちは、そんなに注目を浴びているなどつゆ知らず、朝からバタバタと銀行に行ったり、買い物に行って、汗だくになりながら、ひたすら、友人との再会にじんわりと、懐かしさを噛み締めていたばかりでした。

 何が?そんなに注目されるのかといえば、思い当たるといえば、「パリから帰ってきている・・」という括り、もちろん私と友人の間には、私がアフリカにいようとパリにいようと同じ友人であることには、変わりないのですが、この世間の「パリ括り」には、あらためて、驚かされたのでした。

 思いおこせば、昔、パリに引っ越したばかりの頃、私には、「パリ」という街には、特別の思い入れはなく、「パリに引っ越すんだ・・」と話したところ、「いいじゃない!私も嬉しいよ!パリに知り合いがいるなんて、かっこいいじゃない!」と言われたことを思い出しました。

 そういえば、以前も一時帰国中に、近所の商店街で娘と買い物をしていたりすると、おしゃべりな母が私たちのことを話していたのでしょう「〇〇さんちのパリに住んでるお嬢さんとお孫さんね・・」などと度々、言われることがあり、苦笑したことがありました。

 この世間の目の「パリから来ている・・」という括り、おそらく華麗なイメージを抱かれているような気がするのですが、帰国時には、化粧もろくにせず(パリでも大してしないけど・・)に汗だくになって、用事を済ませ、家に戻れば、このとっちらかった家に住んでいることは、およそかけ離れたイメージであるのではないか?と思い知り、「せめて、マスクをしていて良かった・・」と思わぬマスクの効用にホッとさせられるのでした。


おフランス パリ帰り


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