2020年9月14日月曜日

フランスでの日常の食料品の買い物 ② フランスのチーズ等 料理せずに簡単に食べられる食品

 



 食べることが大好きながら、断然、日本食党の我が家は、普段からあまり外食をしないのですが、ロックダウンに引き続き、ロックダウンが解除になっても、圧倒的に家で食事をすることが多く、限られた食材で、色々と工夫しながら、食事の支度をしているのですが、さすがに、もう自分の作るものにも飽きてきて、お料理にも飽き飽きしてきて、そうなってくると、フランスで簡単に買えて、簡単に食べられるもの・・を買ってくることが多くなってきました。

 フランスで美味しいものといえば、パン、チーズなどの乳製品が一番、お手軽で簡単に食べられる食品ですが、今日は、お料理をしたくない時のために我が家で買いおきをしているフランスならどこでも買えるだろう食品をご紹介します。

 パンは、バゲットが一番、シンプルで食べやすいのですが、長期保存ができないため、買い置きはできません。そこで、我が家の買い置きのパンの代用品は、こちら↓です。


 

 左は、全粒粉のハードタイプのパンでうっすら自然の甘みが感じられて美味しいです。中央は、スウェーデンのクリスプブレッドで素朴でシンプルな味、物足りないと感じられる方もいるかもしれませんが、スモークサーモンやタラマなどとよく合います。右は、まさにクラッカーですが、このTUCのチーズ味は不思議なことに日本のスナック菓子カールのチーズ味の味に似ています。


 これらのパンに塗って食べるのが、こちら↓です。

        


 左がタラマといって、魚卵(鱈)の塩漬けを菜種油やクリーム、物によってはカラスミ等を混ぜて作られたディップのようなもので、簡単に言うなら、たらこクリームのようなものです。パスタに混ぜたり、茹でたジャガイモと和えてサラダのようにもできます。

 右は、コンコイヨット(カンコイヨット)という常温でもとろーっととろけた状態のチーズで、比較的、しつこくない、日本人にも食べやすいチーズです。これには、ナチュールとガーリック風味のものがあります。私のオススメはナチュールです。


 そして、肉類は、こちら↓

 
           

 左は、生ハムの塊(少しずつ削りながら食べるので切ったものよりも経済的だと思ったら、この間、あっという間に娘に食べられてしまったので、実際のところは経済的かどうかは検討中)、中央は、ソフトサラミソーセージのようなもので、これも少しずつ切ってサンドイッチなどにもできるので、便利で美味しいです。また、このソフトサラミ(に限ったわけではありませんが)によく合うマイーユのバルサミコ味のマスタードが私は、好きです。

 そして、保存食の野菜はこちら↓


         

 左のピクルスは、日本でも売っているのを見かけましたが、酸味がキツ過ぎずに歯ざわりも良いので気に入っています。右のブラックオリーブは、缶詰の物の中では、クレスポのタネを抜いていないブラックオリーブが塩味が濃過ぎず、実もしっかりしていて、グニョグニョになっていないので、美味しいです。

 チーズのお気に入りはこちら↓

  

 左が、カマンベール、中央はコンテ(本当は、18ヶ月が好きです)くせがあまりないわりにはコクのあるとても美味しいチーズです。右は、ミモレット、ハードタイプの味の濃いチーズで、熟成具合にもよりますが、カラスミのような味のものもあります。

 他にも、常備食は、まだまだありますが、とりあえず、目についたものをご紹介しました。私がお料理をしたくない時には、これらのものをちょっとずつ、つまみながら、ワインを開けて、食事がわりです。

 これらの食品は、フランスでは、特別に高価なものではなく、どこのスーパーマーケットでも、普通に売っているものばかりです。

 もしも、フランスに来られることがあれば、(当分、無理そうですが・・)お料理する必要のないものばかりなので、ピクニックのような食事をしてみてはいかがでしょうか?


<関連>
「フランスでの日常の食料品の買い物 ① フランスの野菜」

2020年9月13日日曜日

新規感染者1万人突破・フランス人のコロナウィルスへの危機意識が低いのはなぜか?

 

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 すでに、先週の段階で、1日の新規感染者数が9000人を超え、限りなく1万人に近づいていたフランスでは、この週末、夏のバカンスの間の約2ヶ月間、中断していた黄色いベスト運動が再開を宣言し、土曜日のデモには、6000人が参加。うち2500人はパリ。300人が逮捕、165人が拘留されました。

 それでも、午前中の段階から、デモで23人逮捕・・と報じられていたので、どうなることやらと思っていたら、デモに乗じての暴徒化を防ぐための早い時間からの警察の取り締まりは、かなり厳しかったようで、シャンゼリゼ(今週末は、デモ禁止になっていたけれど・・)をはじめとする、これまでデモから参考にした被害が大きくなる危険性の高い地域では、通行人に身分証明書の提示を求めるなどの警戒体制が敷かれ、大きな被害は、避けられたようです。

 バカンス明けの最初のデモということで、盛大に盛り上がることが予想されたデモも厳重な警察の警戒により、甚大な被害にはならず、(とはいっても、燃えている車も2台は見ましたし、催涙ガスの応酬の現場もなかったわけではありませんが・・)人数も全国で6000人、パリで2500人のデモというのは、フランスのデモとしては、それほど多くの人出ではありません。

 しかしながら、昨夜には、とうとう新規感染者数も1万人を突破し、10561人とコロナウィルスが蔓延し始めて以来(ロックダウン時の最悪の状態も含めて)最高記録を更新しています。

 現在、フランスでは、ツール・ド・フランスというフランス全土にわたる23日間に及ぶ自転車のロードレースが開催中で、フランス全土に渡り、ツール・ド・フランスの通過地点には、多くの人が沿道に集まり応援する、フランスでは、大きな行事の一つでもあります。

 本来は、毎年7月に開催されるレースですが、今年は、コロナウィルスの影響で9月に延期されていました。結果的には、7月の感染状況よりもずっと悪化した現在にこのレースが開催されていることは、なんとも皮肉な愚策であったと言わざるを得ません。

 このツール・ド・フランスには、多くの企業がスポンサーとして参加しており、経済復興の意味もあったと思われますが、屋外とはいえ、多くの人が集まり、歓声をあげて応援するような行事の開催になぜストップをかけなかったのかは、甚だ疑問です。

 実際に、このツール・ド・フランスの視察に行ったカステックス首相は、このツール・ド・フランスの幹部と車に同乗し、後日、その幹部がコロナウィルスに感染していたことがわかり、現在、自粛を余儀なくされ、毎日のように検査を受けています。(現在のところ、首相の感染は認められていませんが・・)

 昨日、急激な感染拡大の対応策として発表された項目の一つにあった、なぜかこの時点で、無症状感染者や感染者との接触があった者に対する自粛期間を2週間から1週間に短縮したのも、実際には、その必要がないということよりも、2週間の自粛では長すぎて国民が規則を守らないからという、「子供かよ!!」という理由であり、本当に開いた口が塞がらないとはこのことです。

 また、フランス人は、家族、親族、友人間では、まるで感染しないかの如く勘違いしているかのように、友人、家族間の集まりを避けません。私は、個人的には、フランスでは、実は、この比較的、小さな集まりの間での感染が少なくないのではないかと思っています。

 自分の主張はしたいだけして、義務を果たさないのが、フランス人ですが、マスクを義務かといえば、家計を逼迫するなどと言って騒ぎ、今やマスクは、さすがのフランスでもどこでも手に入り、バカンスに出かけるお金はあっても、マスクは家計を逼迫するという甚だ身勝手な理屈を振りかざすのです。

 自分がしたいようにするために、それを正当化するために屁理屈をこね、いちいち抵抗する。駄駄を捏ねるできの悪い子供を甘やかす親・・禁止して罰金・罰則を設けなければ言うことを聞かない子供に手を焼く親・・。

 国民を褒めることが大好きで、「我々は、マスクもしているし、手も洗っている!すごく努力をしている!」とテレビで大威張りのジャーナリストを見ると、「それ、威張るところ?」と、もはや、ため息も出ません。

 そんな国民と政府の関係がコロナウィルスの感染拡大を深刻にしているような気がしてなりません。

 「パニックを起こさないで!」と盛んに言うマクロン大統領を見て、「パニックを心配してロックダウンのタイミングが遅れて、どれだけ被害が大きくなったと思ってるの?少しは、危機感を持てよ!」と言う私に、フランス人社会の中で育ってきた娘は、「フランス人が本当にパニックを起こしたら、どうなると思ってるの?」と娘は言います。

 検査数が増えているから、感染者数も増加しているとも言えますが、フランスの検査数は、他のヨーロッパ諸国と比べても、決して飛び抜けて多いわけではなく、感染者数だけが飛び抜けている事実は、深刻な現実として受け止めなければなりません。

 ダメな子供に甘々な対応をいつまで許しているのか? 政府の対応がもどかしくてなりません。


<関連>

「権利を主張するわりには、義務をちゃんと果たさないフランス人」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/07/blog-post_61.html

2020年9月12日土曜日

新規感染者が1万人に限りなく近づいたフランスの政府の対応


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 一昨日のフランスの新規感染者数は、9843人と限りなく1万人に近づき、当日夜には、マクロン大統領は、「感染拡大回避の対策案を翌日、発表します。くれぐれもパニックは起こさないでください」とだけ声明を出していました。

 まさか、再びロックダウンということはないにせよ、何らかの措置が発表されるものと私も注目していました。ところが、感染拡大回避の対策発表は、大統領からではなく、カステックス首相からのもので、しかも、思ったほどのインパクトのあるものではありませんでした。

 内容は、

 ●パリ・イル・ド・フランスを始めとする42の地域がレッドゾーンに指定されたこと

 ●逼迫してきた検査体制に関して、症状が出ている人、感染者と接触が認められた人、症状が悪化するリスクが高いと考えられる人、医療従事者を優先して、時間帯によって予約制をとり、感染追跡のための人員2000人を新たに追加すること

 ●検査の結果、陽性と診断された人、感染者と接触した可能性のある人の隔離期間をこれまでの14日間から7日間に短縮すること

 ●今後も引き続き、マスク着用義務、ソーシャルディスタンス、手洗い等を守ること

という、何とも拍子抜けな内容でした。

 現在のフランスは、感染者が増加しているのは、決して無症状の感染者ばかりではなく、入院が必要な患者、さらには、重症患者も着々と増加しており、ICUの患者は、ここ一週間で150人以上増加しており、地域によっては、ICUの空きがほとんどなくなっているところもあり、とても深刻な状況です。

 実際に、家にいても、救急車のサイレンの音が再び、頻繁に聞こえてくるようになり、現在は、ロックダウン中とは違って、交通事故等も考えられるわけですが、それにしてもなかなか騒々しく、夕方には、何やら、ヘリコプターまで飛び出したので、何か起こったのではと慌ててテレビをつけたくらいです。

 実際に、コロナ以前の救急車のサイレンがどの程度だったか思い出せないのですが、救急車がかなり忙しく稼働しているらしいことは、家の中からでも感じることができます。

 そんな中、カステックス首相の発表に比べて、よっぽどインパクトがあったのは、夏のバカンス中は、中断していた黄色いベスト運動が活動復帰を宣言したことです。12日(土)から、各地でデモが再開されます。

 パリでデモが予定されているのは、黄色いベスト運動だけではなく、VTC運転手によるデモ、青少年の非行に関するデモ、人種差別に関するデモ、クルド人に関するデモなど少なくとも5つのデモが予定されています。

 パリ警視庁は、すぐにシャンゼリゼ、ポルトマイヨ、コンコルド広場、サンラザール駅、大統領府、内務省、国民議会、オテルマティニョン、ノートルダム人、パリ警視庁、トロカデロ広場、シャンドマルスなどでのデモを禁止する旨、発表しました。

 デモに乗じて暴徒化して、店舗等を破壊する人が現れるため、前日の夜からシャンゼリゼの多くのお店は、シャッターを降ろして、バリケードを張る警戒体制を取っています。経済復興のために、感染拡大の危険を侵して営業している店舗もせっかくの土曜日が再び台無しになります。

 まったく、1万人近い感染者が毎日出ている国で、デモをやろうとしている人がいることは、ほんとうに理解に苦しみます・・というか、はっきり言って、やっぱりこの人たちは、バカなんじゃないかと再び、呆れています。

 ヨーロッパの中でも特に感染拡大が広がっているフランス(とスペイン)です。

 今、自粛した生活を送らなければ、いつまでも延々とこの生活が続くのです。もう既にみんなバカンスで発散してきたのではないのですか? 本当に、いい加減にしてほしいです。

 これから、秋が深まり、気温も下がり、インフルエンザなどの流行も始まれば、プラスに働く材料は少ないのです。

 フランス政府は、コロナウィルスの対応だけでなく、デモ対応に追われています。

 主にシャンゼリゼ、バスティーユ、シャンドマルスを囲んだ広範囲に渡り、デモが禁止されていますが、必ずしもそれをおとなしく守るような人たちではありません。

 コロナウィルスと闘い、デモと闘い、同時にいくつもの相手と闘うフランス。

 ひとまず、コロナウィルスという全世界共通の敵と闘っている間は、他は勘弁してもらいたいです。

<関連>

「フランスは、いつも誰かが何かを訴え、戦っている フランスはデモの国」

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「パリ・アンヴァリッドでの介護者のデモ・1万8千人を震撼させた暴力・ウルトラジョンヌとブラックブロック」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/06/blog-post_17.html








2020年9月11日金曜日

海外生活と兄弟関係

 


 私の両親は、兄弟姉妹が多く、父は4人兄弟の末っ子で、母は、5人兄弟の長女でした。両親ともに、結婚後も兄弟とは、それぞれの兄弟は、とても仲が良く、自ずと私は、小さい頃から親戚づきあいがとても多い家に育ちました。

 私の実家は、同じ敷地内に2軒の家が建っていて、隣には、父の兄家族が住んでいました。なので、隣には、従姉妹も二人いて、そのうちの一人は、私と同い年だったので、小学校までは、毎日、一緒に学校に通いました。

 母の実家も車で10分くらいのところにあり、そこにも祖母をはじめ、2軒の家が同じ敷地内に建っていて、母の兄弟、2家族が住んでいました。私は、祖母が誰よりも好きだったので、運転免許をとった時には、まず、一人で運転して、祖母の所に行けるようになるのが目標でした。私も車で買い物に出かけた帰りなどに、祖母のところに寄れば、叔父や叔母が頻繁に顔を出し、おしゃべりをしたりして、楽しい時間を過ごしました。

 小さい頃から、誰かの誕生日、敬老の日、お正月などなど、何かとみんなで集まって食事をしたりする機会が多く、子供の頃は、「また〜〜??」と、少々、気が重かった時期もあるくらいでした。

 しかし、そんな積み重ねがあったこともあり、祖父母が亡くなる時には、みんなで交代で看病し、特に祖母の時には、最期の半年間は、ほんとうに家族一丸となって、祖母を看取り、その時の結束から、その後も一段と皆が仲良くなったような気がしています。

 我が家の場合は、父との確執もあり、弟は大学の途中からほとんど、家にいないような状況でしたし、就職と同時に地方勤務を希望し、さっさと家を出て行きました。彼は私より少し前に結婚したのですが、子供ができるまでは、仕事の都合で弟夫婦は別居状態、私が結婚したのは、弟に子供ができて、すぐの頃で、弟は子供のこともあって、東京勤務になりましたが、私は海外に出てしまったので、弟とは、彼が就職した頃から、滅多に顔を合わすことはなくなりました。

 その後、弟はアメリカに転勤になり、ますます会わなくなりました。アメリカとフランスでは、学校のお休みの時期もずれていて、弟も私もそうそう自分の都合の良い時に日本に帰国できるわけでもなく、滅多に一緒の時期に帰国していることもなかったので、ほんとうに弟に会うのは、何年かに一度、オリンピックなみの頻度でした。

 しかし、決して弟とは、仲が悪いわけでもなく、一度、私の家族に一大事が起こった時は、忙しい中、週末だけの短い期間でしたが、弟がアメリカからわざわざパリまで来てくれたこともありました。あの時ほど、本当に弟がいてくれてよかったと思ったことはありません。

 男女の兄弟の場合、そんなものなのか・・とも思っていますが、彼の奥さんは、親戚づきあいを嫌っているのか、儀礼的に皆で集まる時以外は、一切、関わりを持とうとしません。以前、私は、何かのお礼だったか?何度か彼女宛てに手紙を書いたこともあるのですが、いつも返事は弟からで、そのうち、こちらから彼女に連絡を取ることもやめてしまいました。

 彼には、女の子が一人いて、うちの娘の2つ年上なのですが、聴覚障害を持っていて、同じ年頃の女の子、そんなことにも、少々、複雑な思いがあるのかもしれません。

 そんな調子だったので、母は、看病する間もないくらいにあっという間に亡くなってしまいましたが、父の最期の時にも、私たちもそうそう帰国もできず、父の病状と看護については、時々、メールで連絡をとったりしていましたが、結果的には、隣に住む叔母と従姉妹にとても、負担をかけてしまった上に、父の気難しい性格も災いして、弟の奥さんと親戚の間で揉めてしまい、弟から、なんとか、一週間でもいいから、日本に帰れないか?と電話があって、慌てて帰国したこともありましたが、それ以降、さらに、距離が遠のいた感があります。

 弟は、今も別の国で、海外生活を送っており、父が亡くなった後も、父の葬儀と一周忌の際に顔を合わせて以来、ほとんど会っていません。彼は、海外にいるといっても、日本企業に勤めているので、それなりに日本に行く機会も多いと思うのですが、仕事も結構な要職にあり、うちの両親は二人とも亡くなってしまいましたが、彼の奥さんの家族も抱えているので、それなりに忙しくしていると思って、あまり連絡をとることも、ありません。

 このコロナ渦の中、日本に帰っているのかどうかもわかりません。フランスがロックダウンになった直後くらいに、「仕事の関係のヨーロッパ支社の人から、アジア人がコロナ扱いされて辛い思いをしているという話を聞いたけれど、大丈夫? なんなら、日本にしばらく帰っていたらどうですか?」というメールをもらいましたが、その頃は、すでに簡単に動ける状態ではなく、「心配してくれて、ありがとう。でも、こちらは、そう簡単に動けそうにありません。」という返事を送ったきりです。

 彼が小さい頃は、気が弱くて、何かあると、すぐにお腹が痛くなってしまった弟。隣に住む同い年の従姉妹と、つきまとってくる年の離れた弟をからかって遊んだ話を今でも、二人にイジメられて大きくなったと大きく話を盛って笑い話にしている弟。

 私には兄弟は、一人だけなので、娘にとっては、従姉妹は日本に、一人だけです。私には、従兄弟・従姉妹が13人います。全員と密に付き合いが続いているわけではありませんが、従姉妹とは、今も弟以上に仲良くしてもらっています。

 色々な事情もありましたが、娘のためにも、私が弟家族とそのような関係を築いて来れなかったことをとても残念に思っています。


<関連記事>

「日本にいる親の介護問題」

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「親子関係・家族関係 私が海外生活をしている理由」

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「義兄夫婦のフランス人の家族」

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2020年9月10日木曜日

フランスのインターネット・携帯電話の乗り換え

 



 我が家のインターネットを引いてから、かれこれ15年(いや、もっとかも??)くらいが経つのですが、その時は、どこの会社のインターネットにしようかと、当時、会社に出入りしていたネット整備をしてくれていたエンジニアの人に、「どこの会社のものがいいですか?」と、聞いたら、「少し高いけど、一番、故障やトラブルが少ないのは、圧倒的にフランステレコムのやっているオランジュ(Orange)」だというので、トラブルはごめんだ!と思って、それ以来、ず〜っと我が家はオランジュを利用してきたのです。

 フランスでは、何かの修理とか工事などを頼んで予約しても、まず、時間どおりに来てくれるか? たとえ時間どおりではないとしても、来てくれるだけまだマシで、時には、すっぽかされることもあり、さらに来てくれた人がちゃんと仕事ができるかというリスクもあるので、できるだけ、故障等のトラブルは少ないに限るのです。

 たしかに、この15年間で故障は一度だけ、それも、ほぼボックスの寿命のようなものだったので、致し方なく、その一度でさえ、1回目に来てくれた人は、問題が何かがわからず、結局、2回分の時間を割くことに・・。

 それでも、故障はその一回だけだったので、マシな方だったのだと思います。

 ところが、ロックダウン中に一度、ネットが繋がらなくなったのですが、問い合わせの電話さえ留守電のメッセージのみで、一体、いつ復旧するのやら、途方にくれました。

 まあ、2日ほどで、いつの間にか復旧したのですが、それ以来、「ん〜〜??」と思うようになったのです。

 だいたい、トラブルがないから少々高めなのはわかっていたのに、そのまま継続してきたのに、同じようにトラブルがあるのでは、あまり意味がありません。

 この15年の間に随分と色々なインターネットサービスの会社もでき、後続のネット会社のシステムもサービスも向上し、ほとんど、フランスでは先発で、独占状態であったオランジュとも遜色のない状態になってきました。

 しかも値段は、圧倒的に安く、これでは無駄な高額を支払う必要はなく、娘が一人暮らしをしていた際に使っていたSFR(フランスの携帯・インターネットの会社・フランスではオランジュに次いで国内シェア第2位に成長している会社)に乗り換えることにしました。

 今のネットは、家の電話・インターネット・テレビサービス・携帯と全てが連携しており、これまで私は、ネット会社を変えることは、家の電話番号から何から全てが変わることで、それはそれで、厄介なことと尻込みをしてきました。

 正直、家の電話はいらないも同然なのですが、住所の証明の他、すでに色々な機関に家の電話番号で登録している機関がたくさんで、ほとんど使わないながらも、なぜか、家の電話を全く、切ってしまうのもちょっと躊躇われるのです。

 ところが、現在は、携帯もネットも乗り換えても、電話番号をキープすることも可能で、しかも、ネットを通じての電話なので、家の電話からなら、フランス国内はもちろんのこと、国際電話でも(どこの国でもというわけではありませんが、主要な国・例えば日本への固定電話への電話料金などは、)無料なのです。

 今は、電話自体をあまりすることもなく、LINEやWhat's upやメッセンジャーなどで済んでしまうのですが、それらを使わない人もいるので、やっぱりいざとなると電話が無料で使えることは便利です。

 ということで、乗り換えの工事を予約して、「朝8時から12時までの間に行きます」というざっくりとした予約。(工事などの場合、このようなざっくりした予約がフランスでは普通です)

 朝8時から待って、9時、10時になっても来ません。10時半くらいになって、やっと来てくれて、はて?どこの誰だかわからない他人が家に来る場合は、家の中でもマスクをしなくてはいけないことに、改めてビックリしながら、慌てて、自宅にいながらにして、マスクをして、工事をしてくれるお兄ちゃんをお迎えしました。

 果たして、工事自体は、ほぼ20分ほどであっさり終わり、ネットもこれまで以上に家の中、広範囲に亘って通じるようになり、大満足。(今のところはですが・・)実際に新しいものに変えれば、当然のごとく、最新のボックスになるわけですから、いいに違いありません。

 ざっくりな予約でしたが、一応、予約どおりの時間内に、しかも、ちゃんと仕事ができる人が来てくれてラッキーでした。フランスでは、決してこれは当たり前のことではないのです。当然、一度では済まない覚悟もしていました。

 これで、解約の手続き(電話でOK)をして、これまでの電話番号をキープするためのナンバーのようなものをもらい、新しいネット会社に連絡すれば、電話番号の問題は解決。これまで使っていたボックスは、返却しますが、返送先は、ネットでラベルをダウンロードして、梱包した箱に貼り付けて送るだけで完了です。

 今は、なぜ、もっと早く乗り換えなかったのだろうか?と思っています。

 これまで月40ユーロ(5000円位)以上払っていたネット+電話料金が23ユーロ(2875円位)になりました。セット価格で携帯料金は、50Gで、月15ユーロ(1875円位)、家族携帯月3ユーロ(375円位)です。

 新規ユーザー獲得のために、フランスたりとも、乗り換えには、特典がたくさんつけられています。

 そういえば、私は、以前にミューチュエル(健康保険でカバーしきれない分を保証してくれる保険)の乗り換えしたことがありました。その際も乗り換え前の保険会社に契約解除の手続きの書類や面倒な手紙などは、全部、乗り換え先の会社の人がやってくれました。

 ついつい既存のものを使い続けてしまいますが、ちょっと見直してみれば、ずっと好条件の乗り換え先があり、結構、お得になるかもしれません。


<関連>「基本、信用しないことで成り立つフランスでの生活」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/12/blog-post_3.html








2020年9月9日水曜日

娘には幼少期の記憶がほとんどない! 小さい頃は可愛かったのに・・

 

             ペコちゃんと同じサイズだったのに・・


 最近、このコロナ渦の中、娘もスタージュがリモートワークになったりして、彼女とこんなに一緒にいるのは、幼少期の頃以来のことです。私は、娘が1歳になると同時に仕事を始めたこともあり、彼女の幼少期には、仕事以外の時間は、ほとんど彼女と一緒の時間を過ごしてきました。

 私にとっては、初めての子育て、しかも海外で仕事をしながら・・。私のような人間が、子供を持ってしまった・・出産の時に、まさに赤ちゃんの頭が出ようにもなかなか出なかった時くらいから、もしかしたら、私は、大変なことをしてしまった・・一人の存在しなかった人間が私から生まれて、この子をどうにかまともに育てるまでは、重大な私の責任だ・・。

 そんなことをまず、思ったものでした。

 娘が生まれた頃には、なんだか青少年犯罪が多く、わけもわからず、小さい子を誘拐して殺してしまったり、家で暴れて家族を殺してしまったとか・・そんなニュースばかりが目につきました。「とにかく、身体を動かして、発散させること・・」そんな助言を叔母からもらって、とにかく私は、彼女のエネルギーを発散させることに懸命でした。

 同時に、日本語を教えることにも一生懸命でした。私が休みの日は、出来るだけ一緒に時間を過ごして、日本語での時間を出来るだけ増やすように、やることもいっぱいで時間を惜しむような気持ちでしたし、預かってくれる実家も遠く、とにかく、どこへ行くにもず〜っと一緒だったような気がします。

 思い返せば、彼女は、かなり変わった子供で、おかしな逸話が山ほどあります。よく言えば、個性的なのですが、やけに調子よく自分を納得させて、世渡りしているかと思えば、強情で、こうと思ったら、なかなか譲らないところもあったので、今から思えば、型にはまりがちな日本の学校に行っていたら、反発していたりしたかもしれません。

 いわゆる子供用のおもちゃには興味がなく、石を集めてみたり、ボールで遊ぶよりもビニール袋を自分で膨らまして遊ぶのが好きだったり、子供用の電動の乗り物(遊具)を怖がったり、遊園地が嫌いだったり・・負けず嫌いで、競争することが好きで、別に競ってないのに、駅などでは、私がエスカレーターに乗っているところを隣の階段を駆け上って、私が上に到達した頃には、得意げな顔をして、上で待ち構えていたりしました。

 ブランコが好きで、好きで、日本に行くと近くの公園に毎日でもブランコに乗りに通いました。(フランスには、あまりブランコがないのです。)

 とにかくピンクが好きで、洋服のコーディネートは自分でしないと気が済まず、パンツの色まで合わせないと気が済まないので、出かけてみたら、パンツを履いていなくて、「どうしてパンツはいてないの??」と聞くと、この服に合うパンツがなかったから、履いてこなかった・・などなど・・。

 そんな逸話がいくつもある娘ですが、このところ、彼女の小さい頃のことを話すと、彼女は、自分の幼少期をほとんど覚えていないことに驚きます。彼女には、5歳以下の記憶がほぼ、ないのです。

 日本行きの飛行機の話をしていて、昔は、JALのファミリーサービスとかで、子供を連れていると、優先搭乗をさせてくれた・・という話をしたら、「飛行機にさっさと乗る人の気持ちがわからない・・狭いところで長い時間待つだけでしょ!」と娘が偉そうに言うので、「一体、誰のおかげで早く乗らなければならなかったか? 飛行機に乗ってシートベルトをすれば、あなたがチョロチョロもう動かないからでしょ!」と、こんな具合です。

 考えてみれば、私自身も自分の幼少期をそれほど覚えているわけでもないので、当然のことかもしれませんが、親として、色々なことをやらせてあげようと、頑張ってやってきたことを彼女がほとんど覚えていないことは、なかなかガッカリなことです。

 あくまで記憶があるのは、写真やビデオの記憶ですが、そんな写真やビデオもめったに見るわけではないので、本人もまるで別人のビデオを見るような気分で見ているようです。

 小さい頃は可愛かった・・ので、ほんとうにみんなに可愛がってもらったし、「あなた、小さい頃だけでも可愛くて、みんなに可愛がられてよかったね・・」と言っても、「そんなに可愛がられた覚えがない・・」と言う・・。

 親というのは、こんなに不甲斐ないものなのか・・と思いますが、これも順番、実際に私自身もそんなに自分の子供の頃のことを覚えているわけではありません。

 幸い娘は、横道に逸れることも犯罪者になることもなく育ち、今では、偉そうな顔をしていて、腹立たしい事ばかり言いますが、ドキドキしながら、時には怒りながら、思いがけないことを言ったりやったりする娘に笑わせられながら毎日を必死に過ごしていた頃が懐かしいなと思うのです。

 小さい頃は、可愛かった・・雰囲気が、今となっては微塵もない娘ですが、今でも、本当はブランコが大好きで、人目さえなければ、ブランコに乗りたくてたまらないし、嬉しいことがあるとついスキップしてしまう癖だけは残っていることに、どこか、ホッとさせられるのです。


<関連>

「フランスの保育園で・・」

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「パピーとマミーの愛情」

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「娘の寝相と寝言」

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2020年9月8日火曜日

恩師との別れ 死生学のすすめ アルフォンス・デーケン教授

       


 偶然、その前日に、普段はあまり思い出すこともなくなっていたのに、ふと、デーケン先生に、「使命感を持って頑張ってください!」と言われた時のことを思い出していました。あの頃の私は、先生がおっしゃっていた本当の意味の「使命感」ということを全然、わかっていなかったなぁ・・と、なぜか、ふと先生の言葉が心に浮かんで、ぼんやりとその時のことを考えていたのです。

 そんなことを考えていた翌日に、先生の訃報を目にすることになるとは、なんだか虫の知らせとでもいうのか、とても不思議な気持ちでした。

 アルフォンス・デーケン先生は、日本で、死を忌み嫌うものとしてではなく、死ぬことを見つめて、生きることを学ぶ、「死生学」を広め、「死の準備教育」を提唱し、当時、日本では数少なかったホスピスを広めていった上智大学の教授でした。

 おそらく彼は、私の人生に最も大きな影響を与えてくれた恩師でした。

 私は、ちょうど、初めて身近な人を亡くしたばかりの頃で、それまで人の死に接したことがなかった私は、死について、考えるようになりました。世の中に絶対ということはない・・絶対おこることは、誰もがいつかは必ず死ぬということ、人間の死亡率は100%です・・・言われてみれば、当然のことなのに、当時の私は、大発見をしたような気分になったものです。

 いつか訪れる死をどうやって迎えるかを考えることは、とても大切なことですし、死について考えることは、生きることについて考えることでもあるのです。死は恐れるものではないことも彼の講義から学びました。

 死についての話となると、どこか怪しげな宗教と誤解されがちなこともあり、実際に先生は、大学の教授であったとともに、カトリックの神父様でもあったのですが、死生学の講義では、宗教色を強く出すことはありませんでしたし、彼の講義は、ところどころに必ず、ユーモアが組み込まれていて、思わずクスッと笑ってしまうようなジョークまでが含まれているのです。

 私は、どの宗教にも属していませんが、デーケン先生にかなり傾倒して、彼のキリスト教の講義も受講しました。若かった私は、今よりもずっと繊細?で、迷うことも多く、何かを信じることができたら、どんなに楽だろうか?と思ったこともあったのです。

 当時、日本では、オウム真理教などの新興宗教が拡大していた時期でもあったので、私が持っていた漠然とした不安も、当時の若者の多くが抱えていたものと似ていたかもしれません。私は、先生の講義を聞いたり、本を読んだり、実際に先生とお話ししたりすることで、ずいぶんと救われていました。

 先生は、忙しい中、個人的に面談の時間も設けてくださり、漠然とした私の悩みなどもずいぶん聞いて下さいました。キリスト教を信じたくても、信じられない・・という私に、先生は、「大丈夫、自然に信じられる時が来るまで、無理に信じようとしなくても良いのです」と優しくおっしゃり、張り詰めていた私を静かに抱き寄せて下さいました。

 私は、キリスト教を信じることはできませんでしたが、デーケン先生は信じることができる・・今は、それで、充分ではないか? そんな風に思えたのです。

 なぜか、その時、ルサンチマンについて話したことも覚えています。こうして書いていると、次から次へと色々なことを思い出します。

 彼は、とても聡明で、努力家で、穏やかで、かといって、堅苦しくもなく、懐の大きな、ちょっと可愛らしいところもある、とても優しい先生でした。

 彼の死生学の講義を受け、当時、動き始めた日本でのホスピスムーブメントに関する研究会などにも軒並み参加して、私がとうとうイギリスのホスピスを自分の目で見てみたいとイギリスへ行くことを決意した時は、先生がホスピス宛の推薦状を書いて下さいました。

 その時に言われたのです。昨日、ふと思い出した「使命感を持って頑張ってください!」を・・、そして、昨日の結婚式で頂いたものですが・・と、きれいな花束を下さいました。

 私の海外生活も長くなりましたが、そのきっかけを作ってくださった方です。

 デーケン先生は、ドイツ人でしたが、私は、先生が外国人であるということを全く意識をしていませんでした。先生は、心は日本人、日本に骨を埋めるつもりだと仰っておられましたが、実際に先生自身のアイデンティティーに関する考察には、外国人として日本に住むに当たって複雑なものもおありになったと思います。しかし、私にとっては、先生は、一人の人間であって、国籍などは、全く関係ありませんでした。

 今、私が海外で生活し、日本にいる時以上に自分が日本人であることを意識しますが、デーケン先生を思い出してみると、どこの国の人というよりもその人の本質的なところで人と関わることの大切さを再確認させられます。

 講義の最初には、「日本の寿命は世界一・・だから、私は、日本に来たんですね・・」と仰っていたデーケン先生、88歳、見事に日本人の平均寿命を超えられた旅立ちでした。

 そして、講義の際に、よく話されていた「私は、アイジンバンクに登録しています。アイバンクと腎臓バンクです。私が死んだら、私のこの美しい目を差し上げます。」というオチのついた話も実現したのかな? と、先生のその時の口調などを思い出しています。

 死は、終わりではなく旅立ちだと説かれていた先生の死は、悲しくはありません。

 いつかまた、次の世界で先生と再会できる日を私は、とても楽しみにしています。


<関連>「イギリスのホスピスにいた、ある青年とお母さんの話」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_25.html