2024年3月29日金曜日

長距離フライトの座席の移動のチャンス

  


 私は長距離フライトに乗る際には、必ずチェックインの時に、この便は満席ですか?と聞くようにしています。もともとできるだけ航空運賃は抑えたいために、よっぽどのことではない限り、別料金を払って座席指定をしたりすることはしないので、基本、割り振られた座席を受け入れて、あとは運次第です。

 個人的には、長距離フライトの間は、私は過去に怪我の後に足に血栓ができたことがあったために、フライト中、座りっぱなしというのは良くないようで、定期的に歩かなければならないので、できれば通路側がありがたいのです。

 しかし、セコいやり方ではあるのですが、そのフライトが満席ではない場合、離陸後にあたりを見回して、もし、通路側に空席があるのであれば、席を移動させてもらうこともできるので、その最後のチャンスを狙っているのです。

 今回の日本からフランスへの帰国のフライトの際にも、チェックインの際に「今日は満席ですか?」と聞いてみたところ、「今日は若干、空席がありますよ!」とのことだったので、内心は、「やった!チャンスあり!」と思っていたのですが、グランドスタッフの方は、「プレミアムエコノミーにグレードアップしますか?」とおっしゃり、「いえいえ、そういうわけではないんです!」と言ったのに、「すぐに追加料金を確認します」と仰るのでで、「まあ、一応、金額だけは聞いておこうか・・」と思っていると、「48,000円です」とのことだったので、やはり辞退。マイレージが貯まっていれば、それで・・ということもできたりもするのでしょうが、今回は、数年ぶりのエアフランスでマイレージも貯まっていないので、断念。

 それよりも、私は、もしも通路側出なかった場合は、離陸後に同じエコノミー席の中で席を移動させてもらえる可能性があるな・・と思っていたのでした。

 飛行機に乗ると私の座席は通路側で、しかも真ん中3席の間は空席で、隣が空席ということはだいぶ楽、一つの空席をおいた向こう側には、フランス人の若い男性が大きなお魚の抱き枕を抱えて乗っていて、「それ、可愛いですね・・」と声をかけると、ちょっと照れ臭そうに、「隣が空いているのは、ずいぶん楽ですね・・」と。

そして、飛行機が離陸後、まずトイレに行きがてら、ちょっとだけ歩こうと思い、席を立つと、思っていた以上に空席があり、となりの列の中に3席まるまる空いている席を発見。即刻、フランス人のCAの男性に「空いている席に移動してもいいですか?」と聞くと、「もちろん!」と快諾を頂き、即刻、お引越し。

 もともとの席の一席あいたお隣の男性にとっても私がいなくなれば、彼もまるまる3席使えるようになるために朗報であるに違いなく、その男性に、「私は別の席に移りますから・・」と声をかけて席を移動しました。

 3席確保できるとは、本当にラッキーで、さっそく窓際の席に枕を積み重ね、座席間のひじ掛けをあげると、もうフライト中の私のベッドが完成。さっそく両足を座席の上にのばして座ってストレッチをしたりして、身体をほぐし、万全の態勢になりました。

 長距離フライトの後に必ず思うのは、「両手両足をのばして眠りたい」ということなのですが、今回ははからずもそれが機内で叶えられることになりました。

 最初は、度々、歩かなければならず、うとうとすることはあっても、なにやかやと用意していた雑用をこなしたりしていたのですが、フライトも3分の2が過ぎた頃には、いつのまにか爆睡。途中、食事が配られていたのも気付かず、もう着陸30分前というアナウンスで目が覚めました。

 機内でそこまで爆睡するのも稀なこと。今回は、日本時間で昼過ぎに出るフライトだったために、朝、自宅を出て、時差の関係で、フランス時間の同日の夜に到着する予定だったので、そこまで本気で寝なくてもいい(夜、到着したら、そのまま家に帰ったら寝ればいい)と思っていたのですが、機内でしっかり寝てしまいました。

 日本滞在中は、最初の1週間強くらいは、時差ボケのためにあまり眠れない日が続き、その後、温泉旅行をしたりした際には、時差ボケはほぼ解消されていたものの、朝食前に朝風呂を楽しみたいために早起きをしていたために、全般的に寝不足の日が続いていたので、まず長距離フライトの機内で眠れたことはとてもよかったかもしれません。

 こんなに寝ちゃって、夜、眠れないかも?といらぬ心配をしてもいたのですが、帰りのタクシーの中では、最初は運転手さんとおしゃべりをしたりしていたのですが、次第に眠くなってきて、夜もしっかり眠れました。

 しかし、時差ボケは単に睡眠の問題だけではなく、翌朝は、私の腹時計が先に目をさまして、眠いのにお腹がすいてすいて起きてしまいました。

 本当ならば、あれだけ日本で食べすぎの日々が続いていたので、フランスに戻ってきたら、ダイエットが開始される予定ではあったのですが、そこは帰国ホヤホヤ・・日本から持って帰ってきた食料が山のようにあるために、もうボーっとしながらもまた、食べてしまうのでした。

 日本の国内移動のLCCで嫌な思いをしたこともあり、エアフランスのグランドスタッフもCAさんたちも、ものすごく感じがよい気がしました。日本からのフライトだというのに、日本人スタッフはゼロ(しかも半分くらいは男性)。帰途につくときに、内心、「ああ~またフランス語の生活か・・」とちょっと億劫な気がしたにもかかわらず、機内アナウンスのきれいなフランス語を聞いていると、どこか心地よさを感じたりもして、自分でも意外でした。

 ともあれ、長距離フライト、大変ではありましたが、不幸中の幸い?というか僥倖で、目覚めたときには、もう少し寝たいから、もうちょっと飛んでくれていてもいいのにな・・などと思ったほどです。


機内座席移動


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2024年3月28日木曜日

人の寿命はわからない・・

  


 今回は、日本にある家のことで、急遽、一時帰国することになり、その家は、父が亡くなった後に相続した段階で、私と弟の共同名義にしたために、家に関わる大きな案件については、私と弟との二人が揃っていなければならず、姉弟ともども海外生活を送っている我が家は、二人が日程を合わせなければなりませんでした。

 日本に到着するまでにも、色々と打ち合わせたり、決めたりしなければならないことも多く、いまだかつてないほど、ほぼ毎日のように弟とはLINEやメールで連絡をとりあったり、意見をかわしたりしてきたので、姉弟で色々と話せるよい機会だったと思います。

 弟は、日本の企業で働いているので、日本には仕事も兼ねて帰国することが多いのですが、今回は、100%プライベートということで、かといって、私のようにその間に旅行の計画をたてたりはしていなかったようなので、比較的、日本滞在中は自由に動ける感じでした。

 なので、肝心の要件に臨む前に、姉弟で顔を突き合わせて、色々と段取りをしておく方がよいと思い、家で一緒にゆっくり食事しながら話そうと母が昔、よく作ってくれたお料理などを久しぶりに作ったりして、弟を迎え、弟もリラックスした感じで昼間から飲みながら、食べながら、途中で叔母が顔を出したり、娘が加わったりしながら、延々と楽しい時間を過ごしました。

 夕方になった頃、そこそこ酔っ払い始めた弟が今日は、「泊まっていってもいい?」と言い出し、「もちろん!ここは、あなたの家でもあるんだから・・」と言いつつ、弟は、いよいよ本腰を入れて飲み始めてしばらく経った頃でした。

 弟の携帯に突然、電話着信が・・バカンス中のことでもあり、最初は彼も無視していたのですが、あまりに執拗に鳴り続けるので、電話に出るとそれは彼の勤務先のシンガポールからで、彼の部下である日本人スタッフの女性が仕事先のマニラで急に脳出血をおこして、病院に運ばれて意識不明とのこと。

 シンガポールならばともかく、場所はマニラ。マニラでも一番よい病院に運んだとのことでしたが、かなり状況は厳しそうだということで、一瞬で酔いも覚めるような出来事でした。

 病人に同行していた他のスタッフはかなり動揺していて、パニック状態。彼は部下にとにかく、「費用は全部会社が負担するから、落ち着いて、できる限りのことをひとつひとつやっていくように、そして、彼女の家族に即刻、連絡をとるように」と指示していました。

 しばらくすると、また、彼には連絡が入り、「手術するには、家族の同意が必要で、現在の病院の状況だと早くて手術は2日後くらいであろうと・・また家族は、鹿児島にいて、誰もパスポートすらもっていない・・」と。

 この倒れた彼女、とても有能な方のようでバリバリの叩き上げのキャリアウーマンとのことで、39歳独身とのこと。本人の意識はないので、そのご家族と連絡をとりながらのことを進め、翌日には、なんとか手術に漕ぎ着けたのですが、結局、それも上手く行かずにその翌日には、亡くなってしまったそうです。

 今回、日本に帰国して以来、明らかに急に老化が進んだように見える叔父や叔母の様子を見たり聞いたりするなか、あっけなく突然、まだまだ将来もあるはずの若い命が突然、絶たれてしまうこともあるのだと、なんだか他人事ながら、呆然とする思いでした。

 私としたら、いつ、それが弟であってもおかしくないような、人の寿命はいわゆる歳の順ではないのだとなかなか身につまされる思いでした。

 その間に家の要件は無事片付き、私は、予定していた旅行などに行っていたりしましたが、弟の方は、今回の帰国は仕事は関係のない帰国だったにもかかわらず、現地で荼毘にふされた彼女の遺骨が東京に届くと、部下とともに彼女の遺骨を届けに彼女の実家のある九州へ。

 たまたま同時期に九州の温泉でのんびり過ごしていた私とは、あまりの違いで気の毒になりました。一緒に同行した彼の部下は、涙ながらに遺族に遺骨を渡しつつ、ことの経過を説明したとかで、どんなにか辛い思いをしただろうと思います。

 私の夫も病気で突然、職場で倒れてから、病院に運ばれて数日後に亡くなり、母も病を患っていたとはいえ、発作をおこしてから、10日ほどで亡くなり、どちらも平均寿命には及ばない早逝だったと思いますが、今回の話はまさかの30代ということで、つくづく人の寿命は決して歳の順ではないのだということをあらためて思い知らされました。

 結局、彼女は倒れてから、一度も意識を取り戻すことなく亡くなってしまったようで、何の前触れもなく、何の言葉も残さず、ある日、突然にいなくなってしまいました。

 歳若いうちは、死は身近には感じづらいものですが、やはり、日々、死は隣り合わせにあるもので、日頃から私も死については、考えておこうとあらためて思ったのでした。


人間の寿命


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2024年3月27日水曜日

LCCはもう嫌だ・・最悪の東京への帰り道

  


 楽しかった九州旅行も最終日、帰京する日は朝からさんざんでした。

 まずは自業自得とはいえ、娘がお腹が痛いと言い出し、また、天気も悪いこともあって、予定を変更、まあチェックアウトの時間までゆっくりして、最後の最後までお部屋の露天風呂を堪能しようということになり、それなりに最後の最後まで温泉を堪能したのです。

 その後、湯布院の駅がなかなかよいというので、駅周辺をぶらぶらし、農協のスーパーでちょっとだけ買い物をして、かなり余裕を持って空港へ出発したのです。

 しかし、空港への高速道路が閉鎖されており、一般道を行かなければならなくなったために、大幅に時間がかかり、かなりチェックイン、ギリギリの時間になってしまいました。

 チェックインは無事にできたのですが、問題は荷物で、LCC(ピーチ)は荷物の機内持ち込みの荷物の重量制限がタイトで、それをオーバーする分は、もう初めから、お金を払って預けることにしていたのです。ところが、すんでのところで、時間切れになり、「もう荷物は預けることはできません」と言われて、途方に暮れたのです。

 だって、自分が飛行機に乗るのに、荷物は預けられませんって、ふつう、どうします?

 そのあたりでピーチ航空の職員がどうしようか?となんとか善処しようとしてくれていたにもかかわらず、急にANAの地上職員がやってきて、それを遮るカタチだったのです。

 それなら、どうすればいいの?と焦る(というより怒る)と、「預けられない荷物は、宅急便で別送してください」とのこと。だいたい、ただでさえ、時間がギリギリなのに、そんなことしている時間がある?とちょっと、いやかなり唖然とし、それなら、「もうこのフライトキャンセルしようか?」というと、「キャンセルについては、ご自分でご確認ください・・」と言う。

 時間がギリギリだったことはこちらの落ち度ではありますが、もう少しその説明の仕方や物言いや対応の仕方でかなり印象が違ったと思うのですが、もう私たちは怒り心頭。前代未聞に感じの悪いANAの職員は40代後半くらいの女性でいかにもお局的な感じ・・。

 結局、ギリギリでなんとか荷物を宅配便に預け、慌てて出発ゲートへ走り、保安検査場へ。そこでも、出発便ギリギリの時間だと言っても、保安検査場の人は、全く意に介してくれずにさらにバタバタと飛行機の入り口までなんとか駆け込むと、今度は、さきほどのチェックインの際にいたANAの職員の女性が立ちはだかり、通してくれないうえに理由も説明なし。

 これまで数十回、いや数百回以上飛行機を利用してきましたが、こんなに感じの悪い航空会社の職員は初めてで、もはや嫌がらせのレベル。

 いかに安い航空券だとしても、料金を払っているのだから、こんな嫌がらせを受けるのは、到底、理解ができません。

 日本のサービスは世界一。どこへ行っても日本人は本当に感じがよいので、余計、こんなことがあるとは、腹立たしいやら残念やら・・。

 フランスやヨーロッパだったら、あり得ることだという印象があるのですが、前回、ハプニングのために慌てて取り直したチケットがトランサビアというLCCだったのですが、そこですら、こんなに感じの悪いことはありませんでした。

 また、宅配便で送った荷物は九州からだと最低でも2日かかるということで、帰仏直前の私にとっては、フランスに帰る荷物の調整に大きなハンディを背負うことになりました。

 結局のところ、もとを正せば、大分空港への道路が閉鎖されていたことから始まったハプニングだったのですが、LCCと一般の航空会社ではここまで違うのかと思わせられる職員の対応の違いに心底うんざり。

 個人的には、もう二度と日本のLCCは利用したくない気持ちになりました。


LCC ピーチ航空


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2024年3月26日火曜日

ついに旅先で腹痛に襲われ苦しむ娘

  


 私は普段はある程度、食事には気をつけて、控えめにしているつもりですが、日本に一時帰国している間は、そんなことはおかまいなしに、とにかく食べたいものは、食べる! 少々、大袈裟ではありますが、これがもしも日本に来る最後の機会になったとしても、思い残すことがないように、欲望に率直に食べることにしています。

 ダイエットは、フランスに帰ってから、ゆっくりやればいいと、とにかく、食べたいものを食べる毎日を送っています。

 しごく前のめりになって、でかけるたびに食べたいものを買ってきては食べているのですから、巻き添いを被っている娘ともども、食べ過ぎの日々が続いていました。

 ましてや、今回は娘と二人で九州旅行に出かけ、温泉宿に泊まれば、これまた朝から普段では考えられないほどの料理が並び、ふだんはともすると朝食は食べなかったりもするところを朝からしっかりと食べ、昼は昼であそこのお店に行ってみたいとか、あれが食べてみたいから・・と食べてみたり、また、夕食は夕食で、旅館で豪華な食事がずら〜っとならび、二人で「うわぁ〜すご〜い!美味しそう!美味しい!」とはしゃぎながら食べてきました。

 そんなふうに、母娘で旅するのは、このうえもなく楽しいことなのですが、とにかく旅先での移動は車で、今回は、特にあまり天候がよくなかったために、あまり歩くこともできず、次の旅館に着くなり、とにかく旅館内の温泉巡りでひたすら温泉に浸かるだけなので、運動量も不十分。

 とにかく温泉にだけは、とことん入っているのですが、それで山ほど食べている食事が消化しきれるものではなく、日々、蓄積されていくうちに、あまり空腹を感じなくなってきて、しかし、どうにか少しこなれたかな?というくらいの時間に次の食事。

 それでも美味しそうな食事を見ると、食い意地から空腹を感じ、食べるとびっくりするくらい美味しいので、それにつられて結局はとことん、もう苦しい!と言いながらも、食べてしまう・・しかも、これをこうしたらもっと美味しいだろう・・などと、自ら手を加えてみたりして、ああでもないこうでもないと言いながら、夢中で食べてしまうのです。

 もうほとんど病気です。

 今日は、あんまりお腹もすいていないから、お昼は軽めにお蕎麦くらいにしておこう!と良さそうなお蕎麦屋さんを探して出かけると、結局、メニューを眺めて二人とも真剣に悩み、周囲の人々が食べているものと照らし合わしながら、真剣に悩んだ結果、結局は、天せいろという、ちっとも軽くない食事を美味しく平らげ、挙句の果てはデザートに葛切りまで食べてしまいました。

 それでも、娘は、この日の夕方に、このままでは、夕食が美味しく食べられないからと、旅館の近くを1時間ほど歩いてきたりもしていたのですが(私の方は、もうダウンして、昼寝)、夜は、肥後牛のすき焼きとかで、またなかなか立派な食事を完食。そして一晩あけて翌朝は、またいわゆる旅館の和朝食をいつもの調子で完食しました。

 しかし、ついには、朝食後、娘はお腹が痛いと言い出し、お腹をさすりながら、暗い顔。どんな様子か聞いてみると、とにかくお腹がパンパンでお腹が張って痛いと・・。いわゆる食べ過ぎでお腹をこわす・・というのとも違って、食べ過ぎでお腹が本当にいっぱいの状態でお腹の皮が張って痛いというのには、心配を通り越して、我が娘ならば苦笑するしかありません。

 もっとも、ほぼ同じ量の食事をしている私のお腹はパンパンにいっぱいになっていないことも別の意味でなかなかヤバい状態でもありますが・・。

 彼女は、日本に住んでいて、何も私に合わせてがっつかなくてもよさそうなところですが、そこが、私と一緒になって、ひとつひとつの食べ物に真剣に向き合い、がっついてくれるのは私としては嬉しくもあり、楽しいことなのですが、どうにも美味しいものをみると満腹にもかかわらず、興奮してしまい、お腹の皮が張って痛くなるまで食べてしまうというのは、もうそういう血筋?としか言いようがありません。

 結局、しばらくして、彼女の腹痛はおさまってくれたのですが、私の日本滞在も残すところ、あと数日で、最後のラストスパートで、この後も帰仏するまでは、一食たりともおろそかにはできないところです。

 それこそ、私の方もかなりヤバいのですが、もう腹をくくってダイエットはフランスに帰ってから・・と思っています。

 娘よ、こんな母につきあってくれてありがとう!


食べ過ぎ 


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2024年3月25日月曜日

従姉妹夫婦の食と旅に徹した羨ましい人生

  


 私には、6歳年上の従姉妹がいて、子供の頃はそれこそ隣に住んでいながら、あくまでも同い年の従姉妹のお姉ちゃんという少し離れた存在でした。もっとも考えてみれば、子供の頃の6歳の年の差は大きく、子供の私からみれば、彼女の存在は、実際の年齢以上に年の開きを感じていて、ずっと、すごく大人だと思っていました。

 私が小学生の頃には、彼女は中学生、高校生だったのですから、そのくらいの年頃の子供にとっては、やっぱり別世界です。

 彼女は、イギリスに留学していた時期もあり、わりと海外にも抵抗なしに出かける人なので、彼女と少しだけ、行き来をするようになったのは、私がフランスに来て10年以上経ってからのことです。

 彼女がお友達とパリに来たときに家に寄ってくれたり、私が日本に帰ったときには、美味しいものを届けてくれたり、家に呼んでごちそうしてくれたり・・現在は、日本の家はそんなに近くないのですが、ことさら食べ物に関して、何かにつけてお世話になることの多い従姉妹です。

 彼女は、結婚していますが、日本でDINKS(Double Income No Kids)という言葉が日本に出回り始めた頃のまさにDINKS夫婦。彼女は長年にわたり会社を経営しているし、ご主人は、歯医者さんで子供はいません。

 それなりの高収入ではあるとは思いますが、彼女たちのお金の使い方は、いわゆる銭ゲバ成金的なお金持ちのような生活をしているわけではなく、その収入の多くを「食と旅」に費やしている私からみれば、理想的な生活をしています。

 日本に住んでいながら、一食も無駄な食事をとらないという姿勢は尊敬すべきものであり、それなりにお金だけでなく手間暇もかかっていると思います。コンビニのお弁当やカップラーメンなどで食事をすませることはせず、毎日、美味しい食材で作ったお弁当を持参しています。

 少しまとまった休みがとれるタイミングには、かなり前もって旅行の予定が入っていて、その土地で美味しいものを見つけると、その土地の頑固なお肉屋さんやお魚屋さんと仲良くなるまで通い詰めて東京まで送ってもらったりもしています。

 私はその全てを把握しているわけではありませんが、食いしん坊の家系の中でも彼女夫婦はダントツで群を抜いた存在、その味覚に関しては、私も娘も絶対的な信頼を置いています。

 今回の私の九州旅行はそもそもが日本への一時帰国自体をかなり急に決めたものでもあり、その間の旅行については、もともとの用件が住みそうな頃合いを見計らって、娘と二人だけで決めたものでした。

 それが、日本に到着したあとに、私がこの日からはちょっと九州に行くんだ・・と話したら、なんと、その期間に少々、日にちはズレるものの、似たような地域を彼女たち夫婦が旅行する計画になっていて、じゃあ、この日に予定が合うようだったら、一緒に食事しようということになり、彼女たちおススメの美味しい鶏料理のお店で食事することになったのでした。

 これまで日本に帰国した際に親戚のおじさんや他の従姉妹たちも含めて一緒に旅行したことは何回かあったのですが、こんなに偶然に日本の他の都市で居合わせて食事をするなどということは、初めてのことで、なんだかとても新鮮でした。

 彼女は今回以外にも私がここに旅行するとかいうと、必ずその土地の美味しいものや美味しいお店を教えてくれて、それが絶対に間違いなく、とびきり美味しいのです。

 今回は彼女たち夫婦とのランチということで、そこで何を注文すべきかの指南を受けながら、食事ができるのですから、こんなに嬉しいことはありません。

 そこは、しゃもの専門店で、もともとそんなに豊富なメニューがあるというわけではないのですが、そのしゃもの美味しさを活かした、ただしゃもをシンプルにジンギスカンのような鍋で焼き、塩で食べるというものなのですが、これがまあ、同じ鶏肉と分類するのがおこがましいほどの絶品。



 それなりに人気店のようで、行列ができた時のためにお店の入り口には、名前を記入しておく台まで用意されていて、人気のほどがうかがえます。

 ただ、地元の人や知る人ぞ知るという感じのお店であろうことは、その立地条件からもわかります。まさにこんなところにこんな店が・・という感じです。

 また、彼女たちは、メニューには載っておらず、注文を取りに来た店員さんでさえも知らなかったようなモツを注文してくれたあたりはさすがの常連。う〜んとうなったり、ひゃ〜っ!美味しい!と感激したりして、美味しく楽しいひとときを過ごしたのでした。

 食後には、少し離れたところに美味しいソフトクリームのお店があるとデザートにジャージー牛乳の食べ応えのあるソフトクリームを食べながら、もう止まらないおしゃべりの時間を過ごしました。

 その間にも、話題の中心は食べ物のこと、こんなものが美味しいとか、これを買っていくといいとか・・そんな話です。こんな場所においても彼女はすでに買い集めている果物やお菓子などを持ってきてくれていました。

 子供の頃はずっと年上のお姉さんという感じだったのですが、考えてみれば、結局のところ、現在においても面倒見のいいお姉さんです。

 また、彼女のご主人も飄々としたよい人で、もう従姉妹の夫さんという本来ならば少しとっつきにくい関係でもありえるところ、まったく垣根が感じられず(一方的なことかもしれませんが)、とっても温かい人です。

 彼女たちのすごいところは、しっかりと自分の本業をこなしつつも、仕事オンリーではなく、自分達の楽しみを夫婦でしっかりと持っていて、それに専心して、もはや美味しいものに関してはプロなみの知識を蓄えつつ、楽しんで生活していることです。

 そろそろ引退を考えはじめてもよさそうな年齢ではあるとは思うのですが、この食と旅に徹した生活を送るためには、働かなくちゃ・・とか冗談のように話しています。

 私の場合は、もうずいぶん前に夫を亡くしてしまったので、夫婦でそのような生活を送ることはできませんが、そんな生活をずっとずっと続けている彼女たちを本当に理想的な夫婦だと見ています。

 ちょっと残念なのは、彼女たちには子供がいないことで、もしも彼女たちに子供がいたら、すごく良い子に育っていただろうに・・とも思います。彼女たちの食の信者と化している娘はなんなら養女にしてほしいくらい・・と冗談のように言っています。

 昨今、周囲を見ていると、夫婦の在り方や生き方、特に引退後の生活など色々と思うところはありますが、彼女たちを見ている限り、老後もとても楽しそうだ・・と思えるのです。




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2024年3月24日日曜日

九州旅行2泊目の高級旅館がより魅力的に感じたポイント

  


 今回の九州旅行のための旅館の予約は、私もいくつかの希望は伝えていたものの、最終的には、娘に一任していました。最近の旅行の際の宿泊先の予約については、だいたいは、サイトを検索するか、YouTubeなどでの紹介を参考に決めています。

 おおよその予算と、全工程を上手く回れるための立地、今回は何よりも温泉なので、その温泉に関する施設、また、外せないのが提供されるお食事の感じで選んでいます。

 信頼のおける身近な人が実際に宿泊して、「ここ良かったよ〜!」などという情報がある場合は別として、多くの場合は、少々大げさな言い方をすれば、まあ一種の賭けというか、当てずっぽうでもあるため、実際に旅館に宿泊する際には、ドキドキします。

 これまで、そんなに「ハズれた!」という経験はないのですが、逆にちょっと意外なポイントに感動することもあります。

 今回の九州旅行2泊目の旅館では、意外なポイントに感動しています。それは、黒川温泉の「奥の湯」という旅館なのですが、かなり良い旅館で、文字どおり、黒川温泉の奥にある渓谷の間にある旅館で、その温泉施設も充実していて、館内には、複数の露天風呂や大浴場、家族風呂などがあり、温泉プールまであります。旅館内の調度品なども古いものを上手く使って、逆にモダンな感じに仕上げていて、美しく、落ち着いた雰囲気を醸し出しており、館内やお部屋にも多数、美術品や絵、置物などで飾られている重厚な印象のある落ち着いた雰囲気の旅館でもあります。

 それが、いざ、お部屋に案内されてみると、最初に驚いたのは、その旅館の印象からは、一見ふさわしくないような、いかにも昭和というか、レトロな感じを受ける昔、よく見かけた気がするビニールのスリッパです。



 思い切り昭和な世代の私にとって、そのいつのまにか、あまり目にすることがなくなっていたペタペタな感じのスリッパに感動。そして、お部屋の中の円形のドーナツ型の木の蓋のついたゴミ箱。お部屋の中の冷蔵庫を開けてみると、シンプルに湧水のいれてあるポットが一つ。



 もちろん鍵は、カードキーなどではなく、ごくごくふつうにガチャガチャあける鍵です。

 お部屋に置かれているお茶などは、市販のティーバックなどではなく茶葉がお手製のティーバックの中に入れられたものがいくつか茶筒の中に入っています。

 館内のいくつもの温泉施設を堪能したのは、もちろんのことですが、この古いものを多く用いながら、モダンに作り上げられている旅館はもちろんのこと、昭和な感じのペタペタなビニールスリッパや円形のドーナツ型の木の蓋がついているゴミ箱や端々に感じられる質実剛健な感じに、とってもホッコリさせられていることを自分の中で発見して、ニマニマしてしまい、同世代の友人たちと共有したいな〜という思いにかられました。

 もちろん、お食事などもすばらしく、品数も豊富で豪華そのもの、一つ一つの料理が丁寧に作られていることが感じられ、感動的に美味しく、そのクォリティーについては今さら言うまでもありませんが、絶対的に食べ過ぎの日々が続いています。



 しかし、前日に別府の街を歩いていて見かけたどこか昭和な風景が嬉しかったり、昭和の片鱗に触れたとき、私の中に眠っている「昭和」が目を覚ましてどこか懐かしさに感動するという新しい感動ポイントを発見しました。

 豪華な温泉旅館に来て、感動ポイントズレてない?と思われるかもしれませんが、その優雅な感じを喜びつつも、そのどこか質素で懐かしい部分に自分が喜びを感じているのは、事実です。

 意外なところで意外なものに触れることは、そのギャップやミスマッチにより、実際のものをよりチャーミングにしてくれるものだ・・と、妙なところに感心した温泉旅館体験でした。


高級旅館の中の昭和 黒川温泉 奥の湯


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2024年3月23日土曜日

日本の温泉地 別府の街

 


 

 今回の一時帰国は、日本にある家の件でどうしても帰国しなければならなかったのですが、長距離フライトに耐え、時差ボケに耐え、そして、安くはない航空運賃をはたいて、日本に来たからには、厄介なことだけでなく、少しでも楽しいこともやっていきたいと思い、前回に引き続き、温泉旅行の計画も盛り込んでいました。

 私は、東京で生まれ、東京で育ったために、東京から遠い地方に行く機会はあまりなく、また、親戚なども全て東京で、バカンス?(夏休みなど)時も東京から車で行ける範囲くらいが関の山で、自分で旅行するようになってからは、むしろ、海外旅行ばかりで、国内ではあまり旅行することはありませんでした。

 以前は、日本で遠方に旅行するのは、けっこう高くて、むしろ、海外旅行の方が割安だったりもしたために、なんか海外旅行の方がお徳感があって、国内旅行は長距離の旅行が体力的に厳しくなってきてからのことにしようと思っていたのです。

 ところが、どういうわけか、年齢を重ねた今、日本に来ること自体が遠くなってしまい、このままでは、日本国内での旅行は、少し強引にでも計画をたてなければ、結局、行けず仕舞いになってしまうので、前回から、日本に一時帰国した際には、どこかに旅行する予定を入れようと欲張っています。

 しかし、いざ、今まで知らなかった東京から遠く離れた日本を訪れてみるにつけ、日本の自然の豊かさに感動します。

 世界一の観光地といわれるパリなどにいると、言い方は悪いのですが、過去の遺産で潤ってるな・・と感じることがなきにしもあらずなのですが、こうして、日本の地方の大自然に触れると、それはそれで、日本は大自然の恵みと美しさ、広大な山々(連なる山々や木々のグラデーションなど)や温泉、河川、海、そして、地方地方で採れる海の幸、山の幸に恵まれているのだなとひしひしと感じます。

 日本のこの素晴らしい自然は、フランスの過去の遺産に勝るとも劣らない大変な財産です。

 なぜ?私は、これまでの長い間、日本人でありながら、この日本国内の素晴らしい土地に注目してこなかったのか?と、なんだかとってももったいないことをしてきた気がして、こんな機会をできるだけ作って、少しでも取り戻さなければ・・という気持ちなのです。

 前回は、鹿児島県霧島温泉に行って、温泉はもちろんのこと、山並みなども、やはり関東地方の景色とは違って、より広大でダイナミックな印象があり、すっかり魅せられました。

 今回は、その九州熱が引き続いていて、九州のどこか・・と娘にリクエストを出しておいたら、娘が希望したのは、別府温泉、どうやら最近、日本にいるフランス人の友人が行ってよかったよ・・と言う話を聞いていた様子。

 ところが、私の周囲の人からの話によると、関東圏?でいう清里のような、昔は繁栄したけれど、すっかり寂れてしまった感じ・・という話もあり、「えっ?」とちょっとギョッとしつつも、まあ、今さら予約しちゃったし・・という感じで恐る恐るやってきたのでした。

 いざ、別府に行くとなると、ここはまた我が親戚のネットワーク恐るべし、従姉妹の息子が別府の大学に通っていて別府のことなら、と案内してくれることに・・。

 夜、予定していたお店が急遽、早い時間に閉店してしまっていたために市内の商店街が連なるような場所を歩いたのですが、これがなかなか面白い。古い昭和チックな映画館や建物やお店を残しつつ、まるで映画のセットに潜り込んできたような独特な趣があり、思わぬ喜びを楽しみました。

 泊まった宿は、山というか丘の中腹にあり、遠方には山も海も見渡せる場所にありましたが、逆に市内からもそんなに遠くないところに山並みが見える・・とにかく山が近い!という関東圏にはあり得ない光景がどことなく、のどかな感じでもありました。

 宿には、海外生活を送る身としては、憧れの露天風呂や泥風呂、蒸し風呂などまであるお風呂三昧、お部屋のベッドは限りなく寝心地が良く、ずっと温泉に浸かっていたい気持ちとずっと寝ていたい両方の気持ちで身体が一つでは足りない気持ち・・。

 広いベッドに両手両足を大きく開いて大の字になってみたり・・もうただ眠るのがもったいない貧乏性。

 あ〜こんなに素晴らしい自然環境、資源があるのに、日本にいないのは、なんてもったいないんだろう?と思わずもう日本に帰ってこようか?という気持ちが頭をかすめたりもしました。

 しかし、日本にいたところで、毎日、温泉三昧の生活ができるわけではなく、たまに帰ってくるからよいのだということもわかっています。

 これから数日、九州の温泉地をちょっと巡ってみるつもりです。


別府温泉


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