2025年2月23日日曜日

冬の山荘で凍る でも想い出が蘇ってきて、心が温かくなりました 想い出も心を満たしてくれる


 娘が小さい頃は、日本の小学校に体験入学させたかったり、また、学校のおやすみの都合などもあったので、自ずと夏に一時帰国することが多く、一時帰国中には、一度は、山荘に数日間滞在することが多くありました。

 しかし、一時期を境に、両親が一緒に旅行するのが難しくなってきたり、また、我が家の山荘は避暑のために利用することが多かったので(夏は湿度が低く、涼しい代わりに冬は寒い)冬に日本に来た場合には、行く気にならず、本当に長い間、一時帰国をしていても、山荘に行っていませんでした。

 我が家の山荘は、両親が夏の間には、暑い東京を避けて、少なくとも1ヶ月以上は、滞在していたのですが、母が最期に、山荘で倒れ、その後、東京の病院に転院したものの、助からなかったこともあり、父はその時以来、結局、最期まで山荘に行くことはありませんでした。

 それでも、私が夏に日本に帰国していた際は、たいがい一度は山荘を訪れ、家の中の空気を入れ替えたり、掃除をしたりして、手入れをし、通常は管理事務所におまかせしているのですが、私も弟も海外で生活しているために、ほぼほぼ利用することがありませんでした。

 それが、娘が日本で暮らすようになってから、近くにスキー場もあることから、彼女は冬でもたまに行くようになりました。ただ、何人かの人がその山荘の鍵を持っていたはずなのに、私以外の人間は、鍵が見つからないというとんでもない事態になっていました。

 娘は、山荘に行くたびに、管理事務所に行ってから、鍵を借りて、帰るときに、鍵を返しに行くということをしており、今回、私が一時帰国をしている間に私の鍵でスペアキーを作りました。

 しかし、その鍵がちょっとややこしい特殊な鍵であるために、スペアキーを作ったところで、私の持っている鍵自体がすでにスペアキーであったために、そのスペアキーをもとに作った鍵が使えるかどうかわからないと言われ、私の滞在中に鍵を試してみる必要がありました。

 我が家の山荘は、東京の祖父母の家を建て替える際にそのドアやサッシ、家具などをそのまま利用して建てた家で、その東京の家にいた頃から、私が祖母にもらった鍵であったために、私は、大好きだった祖母にもらった形見というか、お守り代わりに大切に持っていたかったのです。

 そんなこんなで、今回は、この冬の寒い時期に山荘に行くことになりました。

 夏は避暑のために使うほど涼しい?場所であるだけに、日常的に使っていない山荘は凍りつくような寒さで、一応、薪を使う暖炉があるのですが、そうそう簡単に家は温まりません。

 凍りつくような寒さの中で、必死に暖炉に薪をくべて、家を温めようとするも、入れたお茶があっという間にキンキンに冷えるような寒さ、娘はわずか、空気がぬるみかけたところで、早々に断念して、電気毛布にくるまって寝てしまいました。

 私は、久しぶりに訪れる山荘にあるひとつひとつのものが懐かしく、そんな空間にひたりながら、暖炉に薪をくべつづけましたが、だんだん時間が経つと、薪が燃えて、パチパチいいながら、薪が燃える色の変化や炎を見つめて、一心に薪をくべていくのが、どんどん楽しくなりました。

 山荘ゆえ、周囲との家も東京とは比べ物にならないくらい離れているし、あまり来ている家もないので、あたりは闇の中で、驚くほど静か。家の中のひとつひとつのものには、想い出があり、もちろん、この家が建てられた頃のこと、両親とこの家で過ごした日々のこと、また、夏の期間に友人たちと来たことなどをぐるぐると思い出し、不思議だけど、ジンと心が温まっていくような時を過ごしながら炎を見つめていました。

 そんな炎を見つめながら、想い出が次々と蘇って湧き出てくるのに自分でも驚き、こんな時間の過ごし方もいいな・・と思い、今回は、長期間、山荘に滞在することはできませんでしたが、今度、日本に来たときには、もう少し、長く滞在できる予定を組もうと思いました。

 温泉旅行もよいけれど、こんな静かな時間の過ごし方もいいな・・と。

 薪に火がついて、その炎を見つめるというのは、不思議に心がシンとするもので、そういえば、暖炉の火が燃える様子だけを延々と流すYouTubeなどがあったな・・こういうことか・・と、それを実感できた時間でした。

 私自身、この山荘ができてから、冬にその地域を訪れるのは、初めてで、冬の景色というのも、また全然違うな・・とか、周囲(といっても広範囲ですが)も、すっかり整備されて、リゾート地になりつつあるな・・と思ったり、一晩だけの短い滞在でしたが、十分に堪能できた夜でした。

 果たして、娘のために作った合鍵は、しっかり使うことができて、これからさらに娘は、この家を利用することができるようになるわけで、私が若い頃、楽しんできたこの家を娘がまた、利用して青春?の1ページを刻んでくれることをとても嬉しく思っています。

 反面、もう結構、家ができて時が経っているというのに、日常的に生活しているわけではないので、中はけっこうきれいなままで、もしも、私が日本に本帰国するようなことがあれば、ここに住むのも悪くないな・・などとも、一瞬、頭をかすめたりもしたのです。

 しかし、現在のところは、まだ、しばらくは、パリで楽しみたい気持ちも捨てきれず、まあ、将来、そんな選択肢もあるかな?と思うくらいです。

 昔、両親と山荘を訪れていた頃、周囲が「もう暑いってば!・・」と言っていたにもかかわらず、父は暖炉に薪をくべ続けていたのを今では、ちょっと父の気持ちがわかる気がするな・・と思うのです。


山荘 暖炉 炎


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2025年2月22日土曜日

日本のランチタイムは早くて驚く

 


 日本に一時帰国の際には、友人たちと会って、一緒に食事をしたりするのは、このうえない楽しみのひとつです。季節柄ということもあり、夜だと寒いし、出歩くのがなんだか億劫で、大方、友人たちとの食事は、ランチタイムということがほとんどです。

 今回の帰国では、幸いなことに、寝心地の良いマットレスのおかげでほぼほぼ時差ボケというものがなく、とはいえ、夕方に急激に眠気が襲ってきたり、比較的、朝、早くに目が覚めてしまうということはあるのですが、前回の帰国の時と比べれば、格段に身体は楽です。

 少々、話はズレましたが、私の友人たち、「類は友を呼ぶ」で、私の友人たちは誰もが食べることに対して、真剣で、ましてや、そうそう頻繁には日本に来れない私のために、久しぶりの再会の場に美味しいお店を選んでくれます。

 ただ、その予約となると、ちょっとびっくりするのが、ランチなのに、時間が11時とか、かなり早い時間であることで、もちろん、お昼真っ只中の12時くらいになると、お店も混んで予約がとりにくかったりもするのかもしれませんが、ランチ・お昼ごはんが11時??というのが、ちょっとびっくりします。

 だいたい日本の飲食店は昼のオープンが11時というところが多いらしく、下手をすると、予約できないお店だったりすると、第一陣のお客さんが11時にどっと入るので、その少し前の時間に・・ということになるので、そんな時間からランチに取り組む?というのが、びっくりします。

 そもそも、私が日本に住んでいた大昔?は、私は仕事をしていたので、そんな時間にランチに行ったことはなかったのですが、もちろん、今だって、ふつうに仕事をしている方々は同じなのだと思いますが、そうではない人々は、お昼となると、この時間帯にどっと押し寄せているわけで、なんだか、そこのパワーはすごいな・・と思います。

 なるほど、お店の側からすれば、11時からオープンして、それだけお客さんが来てくれれば、一巡、余計にできるので、お店側からしても、お客さんの側からしても、ウィンウィンの関係です。

 パリの場合は、たいてい12時からというのがふつう?で、お客さんが最もランチに押し寄せる時間帯は13時です。そこからすると、11時の開店と同時にお客さんがとりあえず埋まって満員になる日本とは、2時間の時差があることになります。

 どちらがいいというわけでもなく、少しでも多くのお客さんに来てもらうために11時からお店をあける日本はやっぱり働き者なんだな・・と思います。

 現在は、軽く時差ボケしているままなので、11時にランチといっても、まあまあ大丈夫なのですが、これが日常だったら、なかなかキツいかな?とも思うのです。


日本のランチタイム


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2025年2月21日金曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その②「天童荘」

 


 山形2泊目に選んだお宿は、「天童荘」。ここも「お食事が絶品!」という強い推奨を受けて、選んだ旅館でした。

 ここは、前泊した「名月荘」に比べると、内装などにしても、もっと洗練された感じで、お金がかけられている感じ(もちろん「名月荘」も充分に豪華です)で、調度品やライティング、生けられているお花などにもセンスの良さが感じられます。


 お部屋にもよるのだと思いますが、私たちが泊まったのは、この旅館の中では、スタンダードなお部屋だと思いますが、部屋風呂と半露天風呂がありました。

 ここは、お食事は部屋食ではなく、食事時には、別のお部屋に出向くようになっていますが、これもまた個室(かなりゆったりとした広めの空間)で、専任?の給仕の方がお世話してくださって、ゆったりとお食事ができます。

 お食事に関しては、全く文句なしどころか、出てくる一品一品が否のつけようのない全てが絶品、しかもまた、品数の多いこと、器から盛り付けなども最高。

 季節の素材をふんだんに使い、立春過ぎたタイミングということから、春を感じさせる献立でした。そもそもこの旅館の前身は、「鰻屋さん」であったそうで、これでもか!というほど献立が出てきた最後には、見事な鰻が登場します。



 最初に出てくる様々な器を使ったいくつもの小鉢と一合桝に入った桝寿司、お椀、お造り




 そして、この旅館がこだわりを持って提供している「米沢牛」を使ったすき焼き、ただし、お品書きに「天童ワインすき鍋」とあったので、「えっ??ワイン??」ワインのすき焼きはちょっとな〜〜と正直、思ったのですが、このワインが主張が強過ぎず、このすき焼きを温泉卵でいただくようになっています。




 すき焼きとなれば、白いご飯が欲しくなり、本来は、後で登場するはずのご飯をこのタイミングでもお願いしてしまいました。とにかく、お肉はもちろんのこと、添えられている野菜も最高でした。



 そして、この後、お口直し?のソルベの代わり?のような存在のようなゆず風味のサラッとした葛湯が登場、これがまた、爽やかでなかなかよく、そして、最後に堂々と鰻が登場します。

 この鰻はさすが、前身が鰻屋さんとしての誇りを汚すことが微塵もないというか、素直に言えば、見事なもので、鰻そのものは、もちろんのこと、その焼き方が素晴らしい。



 側面がカリッとしていて、それでいて、身はふんわり、正直、私がこれまで食べた鰻の中でも、余裕で3本の指に入るくらい美味しい鰻でした。本当に、その場で一緒に食事をしていた娘も従姉妹も3人揃って、美味しすぎて、困り顔・・。

 人はあまりに美味しいとなぜ、困った顔になるのかも不思議です。

 そして、デザートには、苺ゼリーと練乳アイスにあんこがちょっと添えられています。


 

 なにか、言いたい私は、苺は苺だけで、わざわざゼリーに包まなくてもいいのに・・などと口走ったのですが、それまた、大きな間違いで、こんなに苺を食べやすく、苺の味を引き立ててくれるゼリーの包み方を私はこれまで知りませんでした。

 そして、朝食は、わりとふつう・・だと思ってしまったのですが、後から、あらためて、写真を見ると、これをふつうの朝食と勘違いしてしまった私もちょっとどうかしていたと思うのですが、文句のつけようのない充実したお食事でした。




 難を言えば、というか、どうしても難をつけたいみたいな感じがしないでもありませんが、たまたま私たちのお部屋がそうだっただけかもしれませんが、部屋(2部屋)と洗面所、部屋風呂と半露天風呂などの導線がいまいちな気がして、また、細かいようですが、コンセントや電気のスイッチの位置などが、少々使いづらい気がしたのと、大浴場がそれほど大浴場でもなく、洗い場に3人用の場所しかなかったりするのが、少々、使い勝手が悪い気がしました。


 まあ、それぞれのお部屋にお風呂がついているので、あまり利用する人がいないのかもしれませんが、それでも、これまで少々、温泉旅館に泊まってきて、この微妙な大きさの大浴場は、初めてだな・・と思いました。

 しかし、ここのお料理は、本当に素晴らしく、だいたい、ふつうすき焼きの後に鰻が出てくるって、ちょっとおかしいでしょ!と思うところが、堂々と出てきて、しかも、その両方がものすごくレベルが高いので、私の中では、この旅館では、まったくもって、お食事がメインで、食事に温泉付き・・という受け止めをしています。

 このお食事、絶対におススメなので、ご興味がある方は是非、行ってみてください。


山形 天童荘 

山形県天童市蒲田2−2−18


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2025年2月20日木曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その① 「かみのやま温泉 名月荘」

  


 今回の山形旅行は温泉はもちろんのこと、食事が美味しいことで有名な旅館を紹介してもらい、まさに食事が素晴らしく、感激してきたので、ここにご紹介したいと思います。

 私は、ここ数年、日本に一時帰国するたびに、温泉旅行に行くようになったのですが、以前は、ほとんど日本国内の旅館というものに泊まったことはなく、正直、そんなに詳しいわけではありません。



 しかし、ここ数年で周囲から勧められる宿に行くようになったのですが、年々、そのお料理のレベルが向上している感じで、今回もまた、すばらしいお料理に出会ったので、ご紹介したいと思います。

 ただ、外観に関しては、現地の人も驚くような何十年ぶりかの大雪で雪景色だったため、私個人としては、趣のある素晴らしいものでしたが、いつもの景色とは異なると思います。

 まず一泊目に泊まったのは、「名月荘」という旅館でしたが、お部屋にも露天風呂がついていて、大浴場、そして家族風呂、貸切風呂などもあり、丘から外を見渡せるような作りの独創的なお風呂もあって、ひととおり、お風呂にはいってみるだけでも、とても楽しく、お風呂の合間にお茶を飲んだり、本を読んだりするスペースに加えて、たまこんにゃくが煮えているお鍋が置いてある場所もあり、からしまで置いてあって、ついついつまみたくなります。




 そして、お食事は各お部屋に食べているタイミングに合わせて、運んできてくれるのですが、スタッフの対応がとても温かく、とてもリラックスしてお食事ができます。




 冷たいものは冷たく、熱いものは熱く、お品書きに合わせて、さまざまな種類のお料理を少量ずつ、品数はかなりな量ですが、地元の山の幸、海の幸を生かし、旬の味わいを感じさせてくれ、その野菜の火の入り具合なども、どれも絶妙なもので、見た目にも美しく、これといって存在感がガツンとくるお料理は多くないのですが、とても丁寧に作られていることがわかります。





 私は、ここで初めて食べた「赤根ほうれんそう」もとっても美味しかったし、鰹と蟹の出汁にその場で卵を溶き入れてくれるスープなども、うなるほど美味しかったです。




 終盤には、山形牛のステーキが出てきますが、これもちょうどいい焼き具合、ちょうどいい大きさ、ちょうどいい量で、このあと、もちもちうどん(中に入っているお揚げがふわふわで超絶美味しい)と、こしひかりにお漬物がついてきます。





 最後のデザートをいただいている頃に「お夜食用におにぎりをお作りいたしますが、いかがでしょうか?」と言われ、満腹にもかかわらず、誘惑に負け、3人で5個(具材が5種類だったため)のおにぎりをつくってもらい、夜食どころか、ひとつはその場でたべてしまったほどです。とても美味しいお米でした。



 そして、朝ごはんは、もちろん、ご飯にお味噌汁、焼き魚にまぐろの山かけ、なめ茸、だし巻き卵、サラダ、ぜんまいの煮物、黒大豆、お漬物に梅干し、そして、焼き海苔も温めてくれるという心遣いには、感動。ご飯はおひつで出してくれますが、食べきれない分は、お持ち帰りをさせてくれます。



 なにせ、美味しいお米、そして、見事な炊き上がりなので、何もおかずがなくとも充分に美味しいご飯です。

 こうして、山形一泊目は、大満足、満腹状態で終わり、私自身は、そんなに簡単には、また来るということは、難しいと思いますが、娘は、すっかり気に入った様子で、スキーに行った帰りに是非、一泊したい・・「ここは、おひとりさまの宿泊も受け付けてくれますか?」などと聞いていて、「あまり、ハイシーズンだとお断りさせていただくこともあるかもしれませんが、だいたいは、大丈夫、というよりも割高になるかもしれません」と言われていました。

 母としては、一人ででも来ようとしている、彼女のこの旅館への惚れ込みっぷり、そして、彼女は、きっと本当に一人ででも来るんだろうな・・と彼女の行動力のパワフルさを感じながら、娘を眺めていたのでした。


山形 かみのやま温泉 名月荘 山形県上山市葉山5−50


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2025年2月19日水曜日

山形 佐藤牛肉店に大興奮!

  


 今回の日本一時帰国の温泉旅行第二弾に山形を選んだのは、従姉妹のおススメの旅館が山形にあったためで、温泉旅館を選ぶ際に、温泉はもちろんのこと、旅館で提供されるお食事が大きな位置を占めている私(たち)は、その旅館のお食事が素晴らしいということで、山形行きを決めたのでした。

 この温泉旅館とともに、山形には、従姉妹が「山形に行くなら是非、行くべき!買って帰るべき!」というお肉屋さんがあり、それが「佐藤牛肉店」でした。

 このお肉屋さん、従姉妹はもう20年以上のおつきあいとかで、日常的にも東京から注文して送ってもらっているというお肉屋さんで、私が日本に一時帰国した際に、以前にも従姉妹がそのお肉屋さんからお肉を送ってもらい、彼女の家ですき焼きをご馳走になったりしていたので、そのお肉が美味しいことは、私も知っていました。

 ただ、そのお肉の値段がどの程度なのか?彼女のことだから、きっと高価なお肉なんだろうな・・と、漠然と思っていました。

 ただ、お店に直に出向いて、そこのおじさんに話を聞きながら、買う場合は、全然、違うとのことで、私もそのお店に行くのを楽しみにしていました。

 山形には、2泊3日の予定だったので、そのお肉屋さんには、最終日に寄るつもりにしていました。しかし、山形に到着とほぼ同時にその従姉妹から、「重大事件発生」と連絡があり、私は、てっきり高齢の叔母に何か起こったのかと真っ青になりました。

 しかし、従姉妹の言う「重大事件」とは、私たちの旅行の最終日にあたる日が例外的に休みになるということで、正直、私は「なんだよ・・」と拍子抜けしました。

 実際に、その「佐藤牛肉店」は、けっこう現在は有名になっているお店らしく、山形駅にも支店が入っており、本店に行けなくても、買えないことはありません。

 でも、私たちは、当初の予定を変更し、2日目に「佐藤牛肉店 本店」に行きました。行ってみると、その店舗は、そこまで、大きなお店でもなく、また、他の食料品店がならぶ商店街のようなところでもなく、「えっ?ここ?」と思う感じでもあります。

 しかし、ひとたびお店に入れば、その充実度はすばらしく、なにより、ひと目で「間違いない!絶対に美味しい!」とわかるお肉が並び、なにより、値段がそこまで高くない(決して安くはありませんが、東京のスーパーマーケットなどに並んでいるお肉(といっても、ものによりますが・・)の値段と大差ありません。



 そして、なによりも、ものが確かなうえに、特に、「切り落とし肉」として売っているお肉が全然、切り落としではない・・つまり、安い(このお店の中では)お肉でも、全然、余裕で素晴らしいお肉なわけで、従姉妹の言っていたように、おじさんのアドバイスによれば、「山形牛」よりも「米沢牛」、この部位のお肉は、軽く炙ってワサビで食べるのが美味しい・・とか、これは、うっすらと片栗粉をふって炙るのがよいとか・・色々と教えてくれます。

 こうなってくると、もう私は興奮状態で、あれもこれも欲しくなってしまったのですが、結局、通称黒タン(牛タン)、焼き肉用、切り落とし肉を購入。山形から帰るとすぐに、さっそく家でいただきました。

 ここのお肉は美味しすぎて、焼き肉にしても、焼き肉のタレなど使うのは、もったいない感じで、もうお肉そのものの油、肉の旨味が強烈で、お肉を焼くと、家中が肉の焼ける匂い、となりの家からも、「昨日、お肉、焼いてたでしょ!」と言われるほどで、おかげさまで、東京に戻ってしばらくは、旅行の興奮が冷めることはありませんでした。

 東京へ戻る際、山形駅でたまたま隣合わせたおばさんたちと、ふとしたことから、美味しいもの話になり、なんと、そのおばさまたちも、佐藤牛肉店でお買い物してきたとのこと。彼女たちは、自分では持ち帰らずにお店から送ってもらう手配をしてきたと言っていましたが、偶然にしても、なかなか有名なお店のようでした。

 しかし、これまで山形県というところ、全然、軽く見ていたのですが、この牛肉をはじめ、山形にしかない野菜などもけっこうあり、美味しいものがたくさんあるところだったんだ・・ということを初めて知りました。

 まだ、山形県に行ったことがない方々、旅行先に迷ったら、また、美味しいものを求めていらっしゃる方は、山形県、そして佐藤牛肉店は、なかなかおススメです。


山形 佐藤牛肉店 山形県山形市諏訪町 1-3-11


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2025年2月18日火曜日

日本が本当に年々、厳しくなっている現実を肌で感じる・・

  


 私がフランスで生活し始めた頃は、「日本だったら、こんなことあり得ないのに!」と憤慨することに多々、遭遇し、「ここは日本じゃないんだから、しょうがない・・日本という国はやっぱり、さすがなんだな・・日本のレベルをフランスに要求してはいけない・・」と諦めて、フランスではそれなりの対応が必要なことを学び、なんとか、トラブルに遭遇することを避けるように生活する術を見つけていきました。

 しかし、フランスでの生活も長くなるにつけ、このフランスでの対応を身につけはじめたことから、また、フランス自体も色々とデジタル化などが進み、いつのまにか進歩してきたことから、以前よりは生活しやすくなった気がしています。

 でも、ここ数年、いや、10年くらい?、相変わらず、日本は便利で快適ではあるのですが、逆に、おや?日本どうしちゃったんだろう?と思うことが目につき始め、最初は、駐車場や工事現場の交通整理?や警備に年配の男性の姿が見えるようになって、失礼ではありますが、こんな年齢の人がするのは、体力的にもさぞかしキツいだろうに、にもかかわらず、働かなくちゃいけないんだろうか?と思ったのが最初でした。

 少子高齢化が問題になり始めて久しく、世界的に少子高齢化の話といえば、もれなく日本の例が挙げられるほど、日本は、その意味での先進国となっていますが、ふだんは、フランスのニュースに話題にされている日本の少子高齢化の現実を日本に来るたびに、目の当たりにすることは、ショッキングなことでもあります。

 今回、感じたのは、ある意味、高齢化とは別の問題なのかもしれませんが、その高齢者が姿を見せ始めいていた(過去形ではない)工事現場などで交通誘導などを行なっている人々の中に、けっこう中年(40〜50代)の女性が混ざっているのを多く見かけるようになったことで、ちょっと主婦が時間があるから、空き時間にバイト・・という仕事でもなさそうだし、偏見的な見方ではありますが、あまり女性に推奨される仕事という感じでもないのに、彼女たちは、なぜ?その仕事を選んでいるんだろう?ということです。

 人は、基本、お金のために仕事をしているので、そこを否定するつもりはありませんが、少なくとも、以前には、見かけなかった光景です。

 また、同時に感じるのは、工事現場にやたらとこの類の交通誘導員?警備?の人が増えたこと・・。実際の工事作業をする人以外の人が多いこと。以前はこんなにたくさんの人がいなかったと思うし、正直、こんなにたくさんの交通誘導や警備?必要かな?と感じます。

 こんなに人がいたら、さぞかし、経費もかかるだろうし、工事もさぞかし高くつくんだろうな・・と思いながら、見ています。

 なんだか、こういう現場で働く人に女性まで進出してきたことや、やたらとこの種の仕事に多くの人員が割かれていることがなんとなく、アンバランスな感じを受けてしまいます。

 フランスの工事現場、こんなふうに交通誘導をする人は、あまり見かけない気がします。

 しかし、こう言う仕事は、軽作業や比較的簡単な事務作業などよりも給料が高いのか?そこまでガッツリ、ほんとにひと昔前のいわばガテン系の仕事に近い感じ・・。続々とそこに女性が加わりつつあることも、日本は本当に年々、厳しくなっているのかな・・と、ちょっと思ってしまいます。


日本が厳しくなっている現状


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2025年2月17日月曜日

日本は駅で忘れ物をしてもすぐに見つかるが、思わぬ落とし穴もある・・

  


 日本に一時帰国して以来のプチ温泉旅行の第二段。今度は、娘と従姉妹と3人でのちょっとだけ贅沢な珍道中は、私にとって、中学生の時以来の東北旅行でした。

 東北新幹線というものにも初めて乗り、今回は、たまたま、東北地方が大雪と強風のために、数日前まで運休や遅延が相次いでいた最初から、出発できるかどうかも危うい感じのスタートでした。

 当初、娘は、前日にスキーに行くことになり、現地で合流することになったために、一度、予約していた新幹線の予定を変更していたものの、スキー場が強風のためにリフトも動いていないということで、再び私たちと一緒の新幹線に変更しなおしに行った時、本来ならば、2回目の変更には、手数料がとられるものの、実際に、変更後の新幹線も運行されるかどうかが定かではなかったために、手数料なしで変更してもらえたという、なんだかラッキーなんだか?アンラッキーだったのか?微妙な気分で、出発当日まで行けるかどうか?また、新幹線が運行停止・・なんていうことになったら、予約している旅館もキャンセルにしなくては?その際のキャンセル料をとられるんだろうか? いやいや天候のために行けないという場合だったら、キャンセル料はかからないでしょう!などと言いながら、ひとまず新幹線が運行するかどうかも当日にならなければわかりませんでした。

 結果的には、1時間の遅延となりましたが、無事に目的地に辿りつくことはできました。

 新幹線が遅延とはいえ、無事に到着。

 1時間近く遅れたものの、私にとっては、ほぼ初めて見る大雪の景色、雪に覆われた山の稜線の美しさに感動しました。

 一日目は、ただただ雪景色の露天の温泉とお料理を堪能し、翌日は次の宿へ移動。

 駅に着くと、とりあえずは、駅ビルの食料品売り場でさっそく、東京(パリ)へ買って帰りたいものを次から次へとお買い物。そして、乗り継ぎの電車を駅の待合室で少し待機したのちに、次の電車に乗って、目的地の駅に到着。

 目的地の駅の改札を抜けるところで、従姉妹が買い物をしたものを乗り換え地点の駅の待合室に置き忘れてきたことに気づいて、すぐに到着した駅に連絡し、忘れ物をした駅に連絡をとってもらいました。

 けっこうな人であふれていた駅の待合室には、そのまま彼女の荷物がおかれていたようで、すぐに、その忘れ物を保管しておいてくれることになり、翌日、再び、戻った際に受け取れるように手配してくれました。

 さすがに日本、忘れ物をしても、誰も勝手に持って行ってしまう人もいなくて、すぐに駅の人が探しに行ってくれて保管しておいてくれるなんて、やっぱりすごいな!日本!と誇らしいような、安心したような気持ちになりました。

 そして、楽しい温泉旅館滞在を終えて、その翌日、まず、忘れ物を受け取りに行けばよかったものの、まずは、食事をしてからにしよう・・なにも、それまで荷物は増やすことはないでしょ・・と、お蕎麦屋さんに直行。

 そして、お蕎麦屋さんから、駅の忘れ物センターへ行くと、まさかの昼休みで14時までがクローズ!私たちの予約している新幹線の出発時刻は14時4分発。忘れ物係の人が14時に戻ってくるのを待っていたら、予約している新幹線に間に合わせるのは絶望的。

 迫ってくる時間と周囲の駅員のたらい回しに合いながら、遠目から見ても、従姉妹は、電話片手に大激怒。とりあえず、私たち親子は、ホームに降りて待機し、従姉妹が間に合うかどうか、ギリギリのタイミングまで待つことに・・。

 日曜日の午後のことで、もう新幹線も満員の状況。ドタンバで変更しても、3人分など、席があるかどうかもわかりません。

 新幹線がホームに滑り込んできて、「やっぱりダメか・・もう間に合わない・・」と思いかけたところで、なんと従姉妹が階段をかけ降りてきて、滑り込みセーフ。

 係の人が少し前に戻ってきてくれたとかで、ようやく荷物を受け取れたんだとか・・。途中、「では、配送しましょう・・」などと提案もしてくれたようなのですが、今回はギリギリまで粘った従姉妹の粘り勝ちでした。

 駅の忘れ物センターは昼休みでクローズしてしまうということを知り、今後は時間を確認しておくべきということを学びました。

 しかし、幼い頃から、隣に住んで、一緒の学校に通っていた時期も長かった彼女・・あんなに怒っているのを見たのは初めて、はっきり言って、すごい迫力でした。


駅の忘れ物


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