2019年9月30日月曜日

アフリカにいた日本人の美容師さん

 私がアフリカで、生活をしていた中で、困ったことの一つが美容院でした。  なぜならば、一度、アビジャン市内の美容院に行ったら、どういうものか、カットの前のシャンプーで、シャンプーをひと瓶まるまる使い切るが如く、髪をゴシゴシと何度も洗われて、髪の毛からは最低限必要な油分も全て洗い落とされて、頭皮はカサカサになり、髪の毛がガビガビになってしまい、カットの出来がどうとかいう以前の問題で、これなら、自分で、切った方がマシ!二度と行くまい!と思ったからです。  そこで、知り合いのツテをたどって、自宅に出張で髪を切りに来てくれるという日本人の美容師さんを知り、それからは、彼女に来てもらうこ...

2019年9月29日日曜日

イクメンと家族サービス

 最近、日本では、「イクメン」という言葉が生まれて、フランスで子育てをしてきた私には、とても、妙な印象を受けます。  だいたい、「イクメン」という、育児という当然のことをしている男性のことを褒め称えるような言葉自体に、とても違和感を持っています。  少なくとも、フランス語で「イクメン」に当たるような言葉はありません。  私が、「イクメン」と同じくらい嫌いなのが、「家族サービス」という言葉です。  たとえ、女性が働いていたとしても、家族に対してすることを「家族サービス」という言い方はしないと思います。それを男性側から「家族サービス」などと言われたら、気分が悪いことこの上ないで...

2019年9月28日土曜日

ハーフの娘の祖国 アイデンティティーの帰属

 アフリカで生まれ、フランスで育ち、フランス人の父を持ち、日本人の母を持つ娘の祖国は、どこなのでしょうか?  祖国を生まれた国とするならば、アフリカですが、育ってきた国とするならば、フランスです。  祖国と母国という言葉は、似ているようで、微妙にニュアンスが違います。    彼女の母国はフランスです。    母国語という言葉がありますが、彼女はバイリンガルではありますが、彼女の母国語は、フランス語です。  それに対して、祖国というのは、その人の家族である祖先も含んだ歴史的、文化的な背景も多く含みます。  フランスでは、主人の両親がすでに他界していたこともあり、彼女が物心つい...

2019年9月27日金曜日

子供の可能性を遮る親になってはいけない

 私には、一緒に、イタリアを旅行した友人で、イタリアが大好きで、イタリア語も独学で勉強してマスターし、イタリアの文化や歴史も熟知してる人がいます。  でも、彼女は、イタリアに留学経験や長期滞在の経験があるわけでもないのです。  彼女は、日本で仕事をしながらも、あまりに頻繁にイタリアへ旅行するので、彼女ほどのイタリアへの愛情と、イタリア語のレベルをもってしたら、イタリアでの生活もありえるのではないか?と思い、それをしない理由を尋ねたことがありました。  すると、彼女は、自分自身を吹っ切るように答えたのです。 ” うちの母親は、私がいないとダメになってしまうから・・” と。  一度、彼女がせっせと貯金をして、イタリア留学を試みた時のこと、彼女の母親が半狂乱になって、彼女を止めたのだそう。彼女曰く、その時の母親の反応から、母親の人格崩壊への恐怖と懸念を抱いたのだそうです。  それ以来、彼女は、留学や移住の長期の海外滞在は、母親のために、諦めて、代わりに短期の旅行は、思う存分することにしたのだとか・・。  ですから、彼女は、自分の境遇の中での彼女の道を選んで、彼女なりの人生を歩んでいるのです。それもまた、彼女の生き方ですし、何が正解なのかは、わかりません。  私自身も、なんだか、他人事ながら、モヤモヤとしたのを覚えています。  というのも、そんな話を聞くのは、彼女が初めてではなかったからです。  そういう親というのは、結構、いるものなのです。  私が最初に留学したいと母親に話した時、私の母は、自分自身も、若い頃に、留学願望があったため、”...

2019年9月26日木曜日

海外在住の日本人の子供には優秀な子が多い

 パリに住んでいる、私の知っている日本人の子供は、なぜか、進学先も軒なみレベルのかなり高い学校に進んでおり、結果、医者、法律家、エンジニアなどのいわゆるエリートになっている場合が多いのです。  フランスで生まれ育ち、フランスで大学を出てから、日本の大学や、大学院を卒業した子供(もはや子供ではないが・・)も数名、知っています。日本の大学や大学院に入学できるということは、日本語のレベルも日本に住んでいる日本人と変わりないほどなのでしょう。  日本人は、あまり、努力を表に見せないので、はたからは、一見、その努力がわかりづらいのですが、その努力は、相当なものだったと思います。  これ...

2019年9月25日水曜日

子供の急病

 娘は、幸いにも、とても健康に生まれて、健康に育ち、どんなに動いても疲れるということを知らず、虫歯の一本もなく、どちらかというと、溢れるエネルギーを発散させるのに苦労するほど元気に育ちました。  ただ、一度だけ、あわや、入院!?という病気にかかったことがありました。  それは、娘がまだ5歳くらいの頃でした。  そのころ学校では、なわとびが流行っていて、暇さえあれば、ぴょんぴょんと家でも、なわとび、また、学校でも大流行していたようで、なわとび片手に通学し、休み時間になると、こぞって、みんなで、なわとびをやっているようでした。  ある朝、起きたら、娘が足が痛いと言いだして、私たちは、てっきり、なわとびのやり過ぎだろうと思っていましたので、なわとびは、いい加減にしておきなさい!と注意して、そのまま、学校へ行かせました。  ところが、なわとびをやめても、娘の足の痛みは治ることなく、治るどころか、翌朝、起きた時には、まるで、小児麻痺の子供のような、独特な足の引きずり方で歩くようになっていたのです。  娘の歩き方を見て、焦った私たちは、慌てて、近所のかかりつけのお医者さんに連れて行きました。すると、彼女は、厳しい顔をして、”これは、救急で、病院に行った方がいいから・・”と言って、パリの12区にある小児病院への紹介状を書いてくれました。  救急で、小児病院へなどと、思ってもみないことを言われて、私たちは、ビックリして、娘を車に乗せて、慌てて病院の救急へ向かいました。  症状を見たお医者さまが、検査のために、軽い麻酔をしますからと、娘の口に、プラスチック性の簡易マスクを当てた時には、私よりも主人の方が動揺していました。  私も、それなりにショックでしたが、娘の病状とともに、大きななりをして、娘が麻酔用のマスクを当てられただけで、卒倒しそうになってしまう主人にも、情けないと思う気持ちと、心底、娘を大切に思っている主人の気持ちの深さとが交錯する複雑な気持ちでした。  結局、娘は、リュームダンシュという、日本語にすると腰風邪という病気で、風邪のウィルスが体内の腰の部分に入って引き起こされる病気で、投薬治療と、できる限り安静にということでした。  お医者さまに、入院しますか?ご自宅に帰られますか?(まあ、どちらでもいいですよということだったのだとは思いますが・・。)と聞かれて、当然、私は、病院で見ていただいた方が安心だと思っていたのですが、主人が、まるで、不本意に娘を取り上げられるとでも言わんばかりに、半ば、強引に家に連れて帰ると言い張り、お医者さまも、”それでは、薬をちゃんと飲んで、できるだけ、歩かせないように・・。”とおっしゃって下さり、その日のうちに、娘を連れて、家に帰ってきました。  タダでさえ、動き回ることが好きな娘も、さすがに、なわとびどころではなく、学校も一週間は、休み、家の中でさえ、できるだけ、歩かない生活を強いられました。  私と主人も交代で休みを取りながら、なんとか、娘についていましたが、1日だけ、どうしても、数時間、娘が一人でいる時間ができてしまったのです。  その日は、休みを取るはずだった主人が、どうしても空けられない仕事が入り、午後の数時間、私が早めに退社するまでの時間だったので、まあ、大丈夫だろうと思いつつも、私が、急いで、家に帰ってみると、珍しく、娘は、リビングの大きなソファに座って、”...

2019年9月24日火曜日

フランス人と日本人のハーフの青年

 私がフランスで仕事を始めた時に、同じ日に入社した青年がいました。  その青年は、当時、20代後半くらいだったでしょうか? お母さんは、日本人で、お父さんは、フランス人のハーフの青年でした。  お母さんが日本人で、お父さんがフランス人のハーフということで、私は、最初、どこか、娘の将来をダブらせるような目で彼の様子を見ていました。  彼は、親元を独立して、パリで一人暮らしをしているということでしたが、予想に反して、なんだか、ふらふらした青年で、日本語も、ほとんど話せず、(まあ、ここは、フランスなので、別に日本語ができないことは、本当は、問題ではないのですが、)忘れ物をしたら、母...

2019年9月23日月曜日

フランスの貧乏大学生の質素な生活

 フランスでは、18歳で成人となるので、高校を卒業と同時に、これまでの全面的な親の庇護のもとでの生活から、少しずつ、巣立ちのステップを歩み始めます。  進路によっては、さらに厳しい学業が控えている場合もありますが、多くは、大学に進むか、専門の道を進むか、いずれにせよ、大人への階段を登り始めます。  フランスでは、よっぽどの良家の子女ならいざ知らず、一般的な家庭は、親は、学費は、負担しても、大学生以上の子供に対して、必要最低限以上のお金を出すことはありません。  よって、フランスでは、学生は、概して、お金がなく、質素な暮らしをしています。  大学にもよりますが、時間的には、少...

2019年9月22日日曜日

フランス人の嫉妬心と日本人の嫉妬心 一時帰国の際の娘の日本の小学校への編入時のいじめ

 日本に一時帰国した際は、日頃、日本人と関わる機会があまりないので、親戚や友人に会うのも、必ず、娘を一緒に連れて歩きました。  行く先々で、娘は、まるで、誕生日か、クリスマスのように、みんなから、色々なプレゼントを頂くので、連れて歩いている私としては、これでは、まるで猿回しのようだと思ったものです。  その中で、ぼんぼりのついたキティちゃんの毛糸の帽子を頂いたことがありました。  フランスに戻って、その帽子を、学校にかぶって行ったら、それを羨ましく思った同級生の子に無残にも、ぼんぼりを引きちぎられて帰ってきたことがあるので、それ以来、キティちゃんのものは、学校に持って行くこと...

2019年9月21日土曜日

突如、現れた金融警察に衝撃!

 通常、朝の出勤時には、警備上、二人以上で鍵を開けることになっていました。私は、時間に遅れるのが、とても嫌いなので、パリのメトロなどの交通事情を信用していないこともあり、だいたい、20分前には、到着して、もう一人がやってくるのを待っていました。  会社の鍵を開ける時には、まず、1枚目のドアを鍵で開けると、内側にもう一つの扉があり、暗証コードを入れて、もう一つの鍵を開けるようになっていました。  暗証コードを間違えて、鍵を開けようとすると、サイレンのような、警報機が響き渡り、すぐに、警備会社から電話がかかってきます。私も一度、バカンス明けで、ボケっとしていて、間違えて、自分の銀行の暗証ナンバーを押してしまい、サイレンを鳴らしてしまったことがありました。  警備会社からの電話では、合言葉のようなものが決められていて、どうして、サイレンが鳴ってしまったのかを話して、合言葉を言えば、警備会社の方で、すぐにサイレンを止めてくれるようになっていました。  その日は、たまたま、会社の鍵を開ける時に、3〜4人いたでしょうか? はっきりとは、覚えていませんが、2枚目のドアを開けたところで、ものものしい4〜5人の制服姿の銃を持った一団がドーッとなだれ込んできて、”...

2019年9月20日金曜日

ケタ外れに負けず嫌いな娘の話 親が心配すること

 娘が、10歳くらいのことだったでしょうか?  いつもの通り、学校へ娘を迎えに行き、帰り道を、二人で、歩いていると、何やら、うつむきがちに歩いている娘の様子がおかしくて、顔を覗き込んでみると、ポロポロと泣いているではありませんか!  娘は、比較的、情緒が安定している子で、娘が泣くことは、それまで、ほとんど、ありませんでした。なので、学校の帰り道に一人でうつむきながら、ポロポロと泣き出してしまったのには、とてもびっくりしました。  これは、いじめにあっているのではないか? 先生にキツく叱られたのではないか? 私の方もハラハラしながら、娘に尋ねました。” どうしたの? " と。 すると、娘は、”...

2019年9月19日木曜日

フランス人は、小学生から万年筆を使う

 現代は、ボールペンだろうと、万年筆だろうと、もはや、手書きをすること自体が少なくなっている時代ではありますが、娘の通っていたフランスの学校では、小学生から万年筆を使わせていました。  もちろん、ボールペンや、鉛筆なども使っていましたが、メインは、万年筆なのでした。その話を以前、弟にしたら、”さすが、おフランス!小学生から万年筆!” とからかわれたことがありますが、まさに、これも、おフランスの一部分なのではないかと、私は、思っています。  万年筆を重用し、小学生から授業に使わせたりするのは、きっとフランス人の美学の一つでもあると思うのです。フランス人でも、年長になればなる...

2019年9月18日水曜日

一人暮らしのフランス人の若い世代は料理をしない

 娘が一人暮らしを始めて、一年が過ぎました。  家では、ほとんど家事らしいことは、してこなかった娘ですが、一人となると、何から何まで、自分でやらなければなりません。  家にいれば、何もしない娘で、全く一人暮らしなど、憧れていたわけでもなかったようですが、いざとなれば、仕方ありません。  特に、食い意地の張ったDNAを受け継いでいる彼女は、一人暮らしを始めても、何をおいても、食べ物には、決して、妥協せず、(もともと彼女は、ファーストフードなどが嫌いなのです)自分の好みにあったものを栄養のバランスを考えながら、月々のやりくりをしながら、頑張ってやっているようです。  娘は、シ...

2019年9月17日火曜日

隣人のフランス人のおばさん

 そういえば、私は、彼女の名前も知りません。 お隣のおばさん。うちでは、彼女のことを、そう呼んでいます。  私たちが、今のアパートに引っ越してきたときには、彼女は、もうすでにそこに住んでいましたが、その時に、初めて見かけた女性は、彼女ではありませんでした。  引っ越してきて、早々に、エレベーターの前で、たまたま鉢合わせした女性は、" ここには、3人の女性が住んでいるのよ!" と言っていましたが、それは、彼女ではありませんでした。  しかし、実際の家主の隣人は、パリ市内の病院に勤務しているという年配の女性でした。彼女は、離婚していて、もうすでに独立している息子さんが、時々訪ねていらっしゃるのですが、ちょっと風変わりな息子さんで、とても、優秀ではあるらしいのですが、メンタルな問題で入院歴があるとかいう話を主人がどこからか、聞きつけてきて、少し、気をつけた方がいいなどと言うので、あまり、近づかずに適当な距離をとっていました。  一方、彼女の方は、そんな様子は、微塵も見せずに、なぜか、私と朝の出勤時間や帰宅時間がかち合うことも多く、世間話をする機会が度々ありました。  彼女は、独特なオリエンタルな感じのファッションに身を包み、部屋着はサテンか何かでできたアジアティックな着物のようなものを着て、不思議な雰囲気を醸し出している人でしたが、これまで彼女に対して、嫌な感じを抱いたことは一度もありません。  人の好き嫌いが激しく、大変、気難しく、家を出たがらない猫のポニョは、お隣だけは、別のようで、まるで、自分のセカンドハウスのように、ベランダ伝いにお隣の家に勝手に上がりこんだりしていて、ポニョだけは、頻繁にお隣に出入りしていました。  おばさんも猫好きで、結構、ポニョのことを可愛がって下さっているようでした。  ある、日曜日に、我が家は、主人と娘と三人で、ヴァンセンヌの森に散歩に出かけて、手漕ぎボートに乗っていた時のことでした。  池にかかった橋の上から、「ヴォアザーン(お隣さ〜ん)!」と大声で誰かが叫んでいるではありませんか?   振り返ると、橋の上から、彼女が友達と一緒に大きく手を振っていました。  改めて、彼女の大らかさに、なんだか、ほっこりとした気持ちになりました。  何年かすると、3人いると言っていたお隣の住民の女性二人はいなくなり、彼女だけになっていましたが、彼女には、頻繁に訪れてくるお友達が何人かおりました。その中には、ボーイフレンドもいたようです。  たまに、私が気が向いて、ピアノを弾いたりしていると、お友達ともども、ベランダに出てきて、弾き終わると、”ブラボー!!”...

2019年9月16日月曜日

アカの他人の外国人のオッサンと暮らしている不思議

 私は、今でも娘によく言われます。「ママは、どうしてパパなんかと・・・。」と。  その人の娘にして、パパなんか・・と言わせるのには、理由がいくつか思い当たりますが、まずは、主人が私とは、けっこう年の離れたオッサンだということがあるのだと思います。  先日、「アカの他人のオッサンと暮らす人」という記事のタイトルを見て、ああ、そう言えば、私もアカの他人のオッサンだった人と暮らしている・・と思ったのです。  まあ、言い方は悪いですが、大抵の場合、誰でも最初は、アカの他人です。 それが、オッサンかどうかは別として・・。    私が主人と出会ったのは、青山で行われていた在日の外国人が集まるパーティーでのことで、私は、イギリスから戻った後に、英語を使う機会を持ち続け、何とか、英語のレベルを落とさないようにと思って、時々、顔を出すようにしていました。  そこで、私が驚いたのは、来ている外国人たちが、あまりにも日本語が上手なことでした。その中でも主人は、ひときわオッサンで、ガタイも良く、派手で、最初は、”...

2019年9月15日日曜日

フランス人の離婚と再婚 ママ母の気持ち

 フランスは、離婚率の高い国で、約30%、3組のうち1組、パリでは、約50%、2組に1組が離婚すると言われています。  しかし、その離婚した人たちの四分の一は再婚するとも言われているのです。  つまり、離婚もするが、再婚もする、懲りない人たちなわけです。  そう言われてみると、私の知っているフランス人女性にも再婚組の人が何人かいて、それぞれの結婚で、子供を産んでいます。話を聞いていると、一回目の結婚での子供だったか、2回目の結婚での子供だったか、わからなくなることさえあります。  ただ、よくよく聞いていると、子供の年齢に年の開きがあったりするので、そこで、何んとなく、わかる...

2019年9月14日土曜日

パリのガイドさんのリッチな生活

私は、パリの日本人のガイドさんを少し、知っています。  といっても、私の知っているガイドさんの多くは、すでに引退されている方が多いのですが、その世代のガイドさんは、日本のバブル期の日本からの観光客を一手に担っていた方々なので、大きな財産を築かれました。  もともと、パリのガイド料金は、高いことでも有名です。  それが、大きなツアーでは、ひとグループ30人くらいのグループが1日に、何十本もひっきりなしに来て、ガイドさんもパリ市内観光を午前、午後のダブルヘッダーで働いていたのですから、パリの日本人観光業界も、それは、それは、バブルに湧いていたのだと思います。  実際のガイド...

2019年9月13日金曜日

子育ての不安

 初めてのお産、子育てとなれば、誰でも不安なことがいっぱいあるのは、当然です。  私も少なからず、不安はありました。  ましてや、私の場合、お産は、アフリカでしたし、実家も遠いし、病院も、日本のように、母親学級や、詳しいお産の説明もなく、一応、万が一に備えて、一応、遺言めいたことまで書いたりしました。  しかしながら、私は、妊娠中は、ひたすら眠くて、寝てばかりいましたので、あまり、深刻に考え込むということもなく、ひたすら、お腹の子供に話しかけていました。  そして、実際に産まれてみれば、赤ちゃんというものを触るのも初めてだった私は、おっかなびっくりで、うっかり落としたら大変!などと思いつつも、アフリカで天気も良いし、洗濯してくれるボーイさんもいるのだから布のオムツにしよう!などと、思いついてしまって、特に、最初の一ヶ月は、そのオムツとミルクのルーティーンに慣れるだけでも必死でした。  しかし、慣れてくると、うるさく言う外野もいないので、かえって、自分のペースで、周りの赤ちゃんやお母さんとも比べることもなく、まあ、こんなもんかな〜?と構えていました。  そして、何よりの私の強い味方は、偶然、知り合いになった助産師さんをしていた日本人の女性の存在でした。  彼女が必要なことだけを的確に教えてくれたおかげで、私は、余計な心配はせずにいられたのです。大らかな彼女がゆったりと構えていてくれたおかげで、当事者である私もなんだか、ゆったりしていられたのだと思います。  まあ、育てる環境や子供の個性にもよるので、人それぞれではあるとは思うのですが、あまりに、情報が多すぎると、少しでも、その情報と違ったりすると不安になるものです。  子供があまりミルクを飲まないとか、寝ないとか、体重が何キロ増えたとか減ったとか、極端な場合は、別として、お腹がすけば、ミルクも飲むし、疲れれば、眠くなって寝るのです。  もう少し、大きくなってからも、娘は、なぜか、なかなか髪の毛が伸びず、歯も2歳になるまで一本も生えてきませんでした。  それでも私は、髪の毛は、伸びなければ切らずに済むし、歯に関しては、生えてくるまでは、虫歯にもならないし、歯はなくとも娘は、ワシワシと何でも食べていたので、まあ、いつか生えてくるだろうと全く心配しませんでした。  案の定、娘の歯は、2歳になると同時に一気にドバッと生えてきました。  また、娘は、寝るのが何よりも嫌いで、お昼寝もしたことがありませんでした。何とか疲れて寝てもらうために、日中にエネルギーを発散させるのに苦労しました。結果、それが、ますます彼女を鍛える結果となり、生半可なことでは、疲れて寝ないようになってしまいました。  育児と仕事に疲れ気味で私の方がお昼寝をしたくても、”娘に寝ないで〜!寝ちゃダメ〜!”...

2019年9月12日木曜日

パパのダイエット メガネをかけた大きなねずみ

 私の主人は、体格が良くて・・というのは、かなり、控えめな言い方ですが、要するに、ダイエットが必要な体型です。  とにかく食べることが大好きで、また、好きなものが高カロリーのものが多く、そして、フランス人らしく、ことさら好きなものがチーズとパンで、食べるとなると、半端ない量を食べてしまうので、チーズの買い置きなどは、全くもって出来ません。  私は、自分の父が食べ物に関しては、とても、うるさくこだわる人で、自分の口に合わないものがあると、クソミソにけなすので、一緒に食卓についていた私たちまで、嫌な気持ちになるような環境で育ったので、とにかく、何でも、美味しい美味しいと言って、楽し...

2019年9月11日水曜日

義兄夫婦のフランス人の家族

 主人には、血の繋がりのない歳の離れた兄がいて、パリ郊外に暮らしています。  血の繋がりがないというのは、主人のご両親に長いこと子供ができずにいたため、養子縁組をしたお兄さんだからなのです。  ところが、養子を迎えて、しばらくした後に、ひょっこり子供ができたのだそうです。それが、主人です。ですから、主人とお兄さんは、全く似ていません。  主人は、大きくて、体格も良く、(良すぎて多少問題あり)どちらかというとイカつい感じなのですが、お義兄さんは、小柄で優しい感じの人です。  フランスでは、子供のいないカップルが養子を取るケースは、日本に比べると、少なくありません。娘の高校まで、仲良くしていたクラスメイトにも、養子として引き取られて育った女の子がいます。  お義兄さんの奥様、つまり、お義姉さんは、彼女が若い頃に、彼のお母様に見初められてお義兄さんと結婚したのだそうです。  ですから、主人は、学生の頃から、独立するまでの間、ご両親とお義兄さん夫婦と、長いこと、一緒に暮らしてきたので、ある意味、お義姉さんは、主人にとっては、お母さんのような存在で、歳をとってもなお、お母さんに対して、わざと偉そうに振る舞いながらも甘えているダメ息子のようでもあり、また、お義姉さんの方も何かと主人を甘やかすようなところがありました。  私が主人と出会った頃には、もう、主人のご両親は亡くなられていたので、私にとっても、お義兄さん夫婦の家は、主人の実家のような存在でもありました。  お義兄さんは、主人と顔かたちが似ていないだけでなく、生活の仕方もまるで違っていました。  主人と義兄が歳がかなり離れていた上に、主人と私もわりと歳が離れているので、主人の甥や姪が私と同じ年頃でした。  海外を飛び回って仕事をしていた主人とは違って、義兄は、工場勤めで、フランスをほぼ出ない生活で、お義姉さんは、事情で親が育てられない子供を家で預かる仕事をしていました。  二人で広い庭のある大きな家を構えて、今はもう独立している自分の子供たち4人を車ですぐの場所に住まわせて、日曜日や事あるごとに、家族みんなが子供を連れて、集まってくるというような生活を送っていました。  子供たちは、皆、学校を卒業とともに、地元の銀行やRATPや警察官といった手堅い安定した仕事につき、早々に結婚し、子供を持ち、それぞれの家を構え、両親を囲むように、さらに大きな家族になって幸せに暮らしています。  私たちも、フランスに来て、しばらくの間は、彼らの家の近くに住んでいました。  フランスに来たばかりで右も左もわからなかった私も、まだ赤ちゃんだった娘を抱えて、主人も体調が悪かったりもして、辛かった頃、何かとお義兄さん夫婦の家にお邪魔しては、ご馳走になったり、お料理を教わったりして、どれだけ彼らに救われたかわかりません。  特にお義姉さんは懐が大きく、とても暖かい人でした。  いつも、たくさんの食事を用意して、淡々と家事をこなし、いつも笑顔で、少しも威張ることがなく、私たちが行くと、いつも、”...

2019年9月10日火曜日

外交官生活の後にうつ病になったフランス人の夫 普通のおじさんになれなくて・・

 私の夫は、長いこと外地勤務をしていたフランス人の外交官で、私が主人と出会った時も、彼は、日本のフランス大使館に勤務していました。  とはいえ、外務省からの外交官ではなく、財務省から派遣されている一人の公務員で、いつかは、フランスに戻らなければならない身でした。  と言っても、外国勤務の間の肩書きは、外交官なわけで、外交官待遇の生活を長くしてきていたのです。  日本勤務を終えた後は、アフリカの勤務になったわけですが、数年のアフリカ勤務の後には、元のフランスの財務省に戻ることになったのです。  私自身が、大使館勤務をしていたわけではないので、詳細は、はっきりとは、わかりませんが、大使館というのは、外国にありながら、本国同然の治外法権の領域であり、その中での外交官特権と言われるものは、外国にいながら、かなり、特別な位置付けになるのです。  また、本人も仕事に対しても、かなりの力の入れようで、日本にいる間などは、本当に日本人以上に昼夜なく働き、自分の仕事にもやりがいと誇りを持っていたのだと思います。  パスポートも一般人とは違い、車も日本で言えば、ブルーのナンバープレートを付けている車は、外交官の特権で守られた車で、税金などの扱いも違っています。  アフリカにいた頃には、DIP(DIPLOMA)SHOPという外交官専用の、食料品から食器、電気製品などの広範囲にわたる外国の製品を多く扱うお店があり、一般の人は、買い物をすることが出来ません。  とにかく、そんな生活を長くしてきた主人は、フランスの財務省に戻ることがショックなのと同時に、普通の一般人に戻るのに酷く抵抗があり、側にいる私としては、”...

2019年9月9日月曜日

パリに住む外国人の同僚たち

フランス、特にパリには、もはや、純粋なフランス人よりも、外国人の方が多い気さえするほど、外国人の多い国ではありますが、あえて、ここでは、国籍というよりも、出身としてお話しすることにさせて頂きます。  ちなみに、やたらとフランス国籍を取りたがる外国人が多いのにも、驚きでした。 (特に中国人は、フランス国籍を取ることが前提、当たり前というような感覚なのには、驚きました。)  もちろん、フランスに住んでいれば、確かに、フランス国籍を持っていた方が暮らしやすいということもあるのですが、私は、国籍、パスポートは一つで充分です。  日本は、二重国籍が認められていませんし、日本で充分に満足しています。  私の職場には、フランス人だけではなく、やはり、多くの外国人が働いていました。 ですから、みんなの共通語はフランス語ですが、一緒に仕事をしていると、それぞれのお国柄が垣間見れることが、多々ありました。  ロシア人は、比較的、大人しくて、日本人と遠くないものがあるなという印象を持ちました。彼らは、意外にもフランス語が上手な人が多いことと、(これは、ロシアの学校教育によるものらしい)反面、英語があまり得意ではないこと、美しい人が多いこと、DVの被害にあっているらしい人がいたことが印象に残っています。 (これは、たまたまかもしれませんが、何人か同じ会社にいたロシア人の中で数人見かけたので、そんな印象を持ってしまいました。)  中国人に関しては、入れ替わりも激しかったので、特に印象に残っている人たちに関してですが、私が一緒に働いていたのは、いわゆる中国での一人っ子政策時代の人たちだったためか、とても大切に育てられてきた感じで、優秀でもありました。  とても前向きで、我慢強く、頑張り屋さんのイメージです。  ブラジル出身の人は、大らかで、姉御肌の人で、とにかく明るく、感情表現が派手。  そんな、色々な国から来ている人たちが集まる職場では、お昼どきになると、皆、ランチを、持参してくる人が多かったので、各国のお料理にもずいぶんとお目にかかる機会がありました。  日頃、レストランでは、お目にかかれないような、各国の家庭料理のようなものにお目にかかれて、とても楽しい時間でした。  だいたい皆、忙しく働いているので、持参するのは、前日の食事の際に多めに作ったものが多いのですが、やはり、フランスに住んでいても、自分の国の食事を食材などを、何とか苦労して手に入れたり、工夫したりしながら、自分たちで作っているのだということを目の当たりにして、何だか、ほっこりするような気持ちでした。  それぞれが、”それ何? ちょっと、それ、味見させて! どうぞどうぞ、食べてみて!”...

2019年9月7日土曜日

入学式も卒業式もないフランスの学校

 フランスの学校の新年度は、9月に始まります。  8月に入ると、スーパーマーケットなどでは、新年度用の学用品売り場のコーナーが設けられ、子供連れの親たちが、学校から、配られている学用品のリストを片手に買い物する光景が見られます。  フランスでは、ノートや筆記用具等の文房具類を学校で一律に揃えるということはなく、各自が○ページある○行のノートとか、マス目が○ミリの用紙だとか、○色のボールペンだとか、それは、細かく指定されている新年度の学用品集めは、ひと仕事です。    一定の量の同じものが必要ならば、まとめて学校が仕入れるか、業者が参入しても良さそうなものに思いますが、いつまでも変わらない、長い間のフランスのしきたりのような行事の一つです。  そんな、フランスの学校には、入学式も卒業式もありません。 しれ〜っと、始まって、いつの間にか終わっている・・。そんな感じです。  娘の小学校の入学のときは、私は、そんなことも知らずに、学校が始まる当日の朝に、主人と学校まで娘を送って行って、ちょっと顔を出して、そのまま、仕事に行くつもりでいました。  学校の門の前には、先生が数名、”...

2019年9月6日金曜日

フランスの雇用問題

 昨年末、フランス全土に拡大した黄色いベスト運動(gilets jaunnes ジレ・ジョンヌ)と呼ばれるデモが世間を騒がせ、一部は、暴徒化し、大問題となりました。  もともとは、自動車燃料税の引き上げに反対するものでしたが、次第に反政府デモへの様相を呈したデモへと変貌していきました。  失業率の高い事でも有名なフランスですが、特に、若者の失業率が高いのもまた、特徴的で、このデモの暴徒化の中心となっていったのも、その若年層であるとも言われています。  フランスでは、雇用形態や労働者の処遇、賃金、労働時間、解雇に至るまで、厳しい労働法の規制があります。  この厳しい労働法の...

2019年9月5日木曜日

宅配便をしてくれていた大学教授の叔父

 うちの家族は、両親ともに兄弟が多く、それぞれに、なかなか結束も硬く、仲が良く、皆、都内のそれほど遠くない距離に住んでいることもあって、親戚の集まりも多く、子供の頃には、けっこう、それが煩わしくもありました。  父の兄弟は、ほぼ、全滅してしまいましたが、その下の世代の従姉妹たちとも、相変わらず仲良くお付き合いが続いています。  母の兄弟姉妹の方は、母以外は、まだ、全員、なんとか健康で暮らしており、叔父、叔母とも、変わらずにお付き合いを続けて頂いています。  特に、母方の親戚は、私の祖父母が存命の頃から、祖父母の兄弟に亘ってまでの、付き合いがあり、子供の頃は、もう誰が誰だか...

2019年9月4日水曜日

フランス人の夫のヤキモチ

 以前、同じ会社に勤めていた30代半ばくらいのロシア人の女性の同僚がいました。  彼女は、結婚していましたが、まだ、子供はおらず、退社時刻になると、毎日、毎日、少し年の離れたロシア人のご主人が会社までお迎えに来るのでした。  普通なら、子供がいてもおかしくない年代で、もし、そうなら、普通は、自分が子供を迎えに行く立場です。  まあ、子供もいないことだし、ご主人が毎日毎日、お迎えに来ると言うことは、さぞかし夫婦円満で、ラブラブなのかなあと思っていました。  でも、日を重ねるに連れて、周りのみんなも、いくらラブラブでも、毎日、お迎えって、なんか、ちょっと、じと〜っとしたものを感じるね・・と言い始めました。  私も、家に帰って、彼女のお迎えの話を主人にしたところ、”...

2019年9月3日火曜日

フランス人は、不器用なのか?

子供が小さい頃は、やたらと頻繁にお呼ばれするお誕生日会。 その度に、プレゼント持参で、何かと気も使うし、お金も使います。  ある、お誕生日会に行く時に、娘のお友達と、そのママ友と一緒に行こうということになり、私たちは、すでに、プレゼントは、用意していたのですが、そのママは、まだプレゼントを用意していなかったので、プレゼントを買いに寄りたいから、一緒に付き合って!というので、おもちゃ屋さんに一緒に寄りました。  プレゼントを選んで、会計を済ませて、急いでいるから(プレゼント用に包装を頼むとすごく時間がかかって、待たされるので)自分で、包むからと言って、包装紙をお店でもらって、プレゼント用の包装を始めたのです。  (日本は、とかく、包装過剰と言われますが、フランスでは、特別に頼まないと包装はしてくれません。)  そのおもちゃ屋さんには、自分でパッケージする人のためのスペースも設けられていました。  一応、子供用とはいえ、プレゼントなのですから、私は、家で、工夫して、可愛いリボンなどをつけて、パッケージをしてきていました。  ところが、そのママさん、(ちなみに彼女の職業はお医者さんです)、なんとも、雑! ハッキリ言って、キタナい!とりあえず、包む・・という感じなのです。  せっかくのプレゼント、紙は歪んで、テープも斜めにはみ出しでいます。  それでも、本人は、さっぱりしたもので、”...

2019年9月2日月曜日

フランス人特有のジェスチャー

 以前、日本人だけれど、お父様が外交官だった関係で、世界を転々と暮らし、ほとんど日本に住んだことがない、海外暮らしの長い、従兄弟の奥さんに会った時、彼女は、日本語が苦手で、あまり、周りの日本人と話そうとしませんでした。  彼女の両親は日本人なので、日本語もわかるは、わかるのですが、どうも、話す方は、あまり、自信がなかったようです。  しかし、うちの娘が相手だと、娘も似たような立場だったこともあって、まだ小さかった娘を相手に、日本語で話をしてくれていました。  彼女は、普段は、英語圏で暮らしているので、母国語は、英語なのですが、フランスでも暮らしていたことがあったらしく、そんな...

2019年9月1日日曜日

ピンクのお年頃

ピンクが何より好きだった頃の娘  3〜4才くらいの女の子にありがちの、とにかく可愛くしたい願望。  髪の毛を結んで欲しいとか、こんな洋服が欲しいとか、こんな組み合わせにしたいとか、とにかく世界で一番、かわいくしたいと思っている、ちょっぴりナルシストが入った微笑ましくも厄介なお年頃です。  そんな中でも、彼女は、色へのこだわりが強く、色の組み合わせにもうるさく、とにかく、基本、ピンク色のものがお好みで、また、あま〜い、日本にいるマミー(おばあちゃん=私の母)などが、娘がピンクが好きだということを知ると、ピンク色のものをせっせと送ってくれたりしていたので、娘のピンク狂に拍車がかかることになりました。  なにかというと、”...