2024年12月7日土曜日

再開前日のノートルダム大聖堂に行ってきました

 


 約5年ぶりに再開するノートルダム大聖堂、当日は4万人の人出が見込まれており、おまけに天気予報は雨・・みたいなので、その前日、中には入れないだろうけど、まあ、近くに行く用事もあるので、ついでに見てきました。

 この週末は、むしろ、簡単にはアクセスできないのはわかっていましたが、前日もすでに、人出は大したことがありませんでしたが、すでに正面の広場には立ち入れなくなっており、祝賀会?が行われる仮設の会場が建てられていて、その周囲は立ち入り禁止、多くの警察官が周囲を取り囲んで警備していました。


 この囲いの中には、すでにフランステレビジョンの大きな車が控えていて、もうすでに、色々な国のテレビが取材に来ていて、私が通りかかった時には、スイスのテレビ局のジャーナリストがマイクを片手に撮影していました。

 警察官は警備とはいえ、けっこう愛想のよい人が多くて、写真撮影している人に笑顔で加わったりしているので、声をかけやすく、このバリケードみたいなの・・いつまであるの?と聞いてみたら、来週からは、このバリケードは取り払われるとのことでした。

 これまで5年間の工事期間中、そんなに度々ではないけれど、近くに行く用事があった時には、だいたい、どのくらい工事が進んでいるのかな?と覗いて見たりしてきたので、正面の部分はずいぶんきれいになったな・・と思うのですが、(中は見ていないので、全く実感がわきませんが・・)実のところ、セーヌ川とは反対の面から北側の壁面に関しては、正直まだ、絶賛工事中です。


 それにしても、工事中でも、いつ行っても、ノートルダム大聖堂から観光客がいなくなることはなく、中に入れなくても、ずっと人気を維持し続け、一時(夏の期間だったと思う)は、正面の広場に観客席みたいなものまでが設けられ、また、工事中の様子をパネルにして、外壁に飾ったりして、工事中でさえも、あくまでも見せ続ける姿勢を崩さなかったのは、見事なものです。

 パリには、モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院もありますが、立地的には、ノートルダム大聖堂の方が立ち寄りやすく、やっぱり人気があるのだと思います。

 この週末のセレモニーは大混雑が予想されるために、周囲には、大きなスクリーンがいくつも設置されており、多くの人はこのスクリーンから中の様子を見ることになるのかもしれません。


 海外からも、アメリカの次期大統領のトランプ氏やイギリスのウィリアム皇太子、ウクライナのゼレンスキー大統領など、多くの要人が招かれているようで、なにやら、これが政治的な色合いを帯びる気がして、ちょっと嫌な感じがするためか、カトリックの総本山の教皇はいらっしゃらないようです。

 しかし、オリンピックの時と比べると、警備の人々も慣れたものという感じで余裕が感じられますが、パトカーのライト部分に鉄格子が設置されていたりするのには、「うわっ!すご!」と思わせられます。




 個人的には、中に入れるのはいつになるかわかりませんが、「あのマクロン大統領がゴリ押ししていた現代的なステンドグラスはいったいどうなったんだろうか?」ととても気になります。

 5年前の火災の少し前に、たまたま従姉妹がパリに来てくれていたので、一緒に中を見て歩いたのが、今となっては昔のノートルダム大聖堂の最後(私にとっては)でした。

 これは、実際に身を置いてみないと実感できないと思うので、予約がとれたら、今度はぜひ、中に入ってみたいと思っています。


ノートルダム大聖堂 再開前日


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2024年12月6日金曜日

内閣不信任採択に際してのマクロン大統領の演説と特別財政法案

  


 衝撃的な内閣不信任案採択により、首相の退陣が決定した翌日、マクロン大統領は、国民に向けての演説を行いました。

 正直、彼が何を言い出すのか?まるで見当がつきませんでしたが、今回の衝撃的な内閣不信任について、自分に責任があると述べたうえで、ミシェル・バルニエ氏が国のために尽力してくれたことに感謝の意を述べ、彼が全ての議会グループに譲歩したにもかかわらず(現実的には、どうかとも思うけれど・・)、フランスを統治した?勢力の支援を受けて、極右と極左が反協和党戦線で団結した結果であったと語りました。

 「RNの議員らは、自分たちの綱領に反することを述べ、自国の有権者を侮辱した問責動議に投票することを選択し、NFPのメンバーの他のメンバーも共謀し、無秩序を選択した。彼らは大統領選挙のことしか考えていない」と痛烈な批判も展開しました。

 新首相は、ここ数日のうちに任命するが、これには、「分裂も無策も許されない!私は、彼に全ての政治勢力を代表して、一般利益政府を樹立する責任を負わせるつもりである」と宣言しました。

 そして、彼自身は、大統領の任務を全うする意思を伝え、国民に向けて「あなたがたが民主的に私に託した任務は5年間の任務である」と自身の辞任の可能性を否定しました。

 そのうえで、「私の責任は、国家の継続と諸制度の適切な機能を確保することである」としたうえで、「現在の最優先事項は2025年の国家予算であり、国の機能が継続できるために、12月中旬までに特別財政法案を提出すること」を発表しました。

 「特別法ってなに?」とまた、ギョッとしたのですが、この「特別財政法案」とは、憲法第47条第4項及び財政法に関する本法第45条に規定されているもので、これは、財政法案が可決できない場合、「政府は直ちに国会に特別法案を提出し、その年の財政法の投票まで既存の税金を徴収し続けることを許可する」というものです。

 この特別法案が可決されると、政府は投票されたサービスのみに適用される歳出を解放する法令を発行することになります。これらの投票によるサービスは、前年に議会で承認された条件の下で公共サービスを継続させるために、政府が不可欠と考える最小限の支出に相当すると考えられています。これを実施することで国の機能がストップせずに維持できるようになるということです。

 しかし、この特別再生法案も1979年に一度しか使用されていない法律で、正確には、財政法に関する2001年の基本法の規定以来、交付以来一度も適用されていないもので、前例のないシナリオに、不透明な部分も多く、容易な話ではなさそうな気配でもあります。

 演説の最後には、パリ・オリンピック・パラリンピックの成功や週末には再開するノートルダム大聖堂を祝い、「一人一人が我々全員よりも偉大な大義のために重要な役割を担ってきたこと」を思い起こし、「私たちは、不可能を可能にする方法を知っています。私たちは、国家のために同じことをしなければなりません!」と呼びかけて演説を締めくくりました。

 10分ほどの演説でしたが、なんだかすっきりしない感が残り、バルニエ首相が辞任した今、怒りの矛先はマクロン大統領に向きつつあるところ、この演説はあまり、国民には響かないのではないか・・と思ってしまいました。

 今回の不信任案についてもギリギリまで、「あり得ないこと」と信じて疑わない様子だったマクロン大統領。「あと30ヶ月、彼が大統領でい続けることは民主的な選挙によって決められたこと、国民の民意である」という部分も、今となっては、少々、ムリがある感じ(民意は確実に変化している)が拭えないのが正直なところです。

 マクロン大統領・・今年の春の欧州議会選挙後の突然の国会解散あたりから、どうにも迷走状態に入っている感じがしてなりません。

 この演説直後、「なんの意味もなかった演説」・・などという話をテレビでしています。

 こうしている間にXにて、翌日のリベラシオン紙の表紙が回ってきて、表紙を飾るマクロン大統領に、タイトルが「鮮やかな否定」とあり、「マクロン大統領は、この危機を選挙で選ばれた役人や有権者のせいにしながら、国民を安心させようとした!」と痛快な皮肉を一面に掲載。

 リベラシオン紙ということもありますが、「フランスのマスコミ、全く忖度なしだ・・」などと思うのでした。

 

マクロン大統領演説 特別財政法案


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2024年12月5日木曜日

内閣不信任決議案可決 首相辞任 大混乱は避けられないフランス

  


 フランスは時に政治的に激しい動きを目にすることも少なくありませんが、今回は内閣不信任案が可決して、内閣が崩壊するという、いつもにも増して激しい出来事に、言葉は汚いのですが、「すげー・・」と思いました。

 これは、私のような外野だけでなく、フランスでも驚くべき歴史的な出来事として、大騒ぎで、1962年以来の歴史的な出来事だそうです。

 バルニエ首相が就任して、わずか3ヶ月、そもそも首相任命の段階から、揉めに揉め、首相不在の期間が例外的に長く、バルニエ首相が就任したのは、選挙の結果が出てから約2ヶ月後のことでした。

 過半数を占める党が不在となったために、政権運営が難航し、それでも第一党となった新人民戦線(NFP)から首相が選出されると思いきや、選ばれた首相は議会選挙で最下位だった政党のバルニエ首相でした。

 彼は、就任後に来年の予算案作成に取り組み、600億ユーロの財政赤字を埋めるための法案を次々と提案し、緊縮財政の金メダル政府などと揶揄されてきましたが、社会保障融資法案に関して、これが議員らによって、大幅に修正されたうえに、11月の初めに否決された結果、禁じ手の憲法第49条3項(通称49.3)(首相の権限において、議会で採決をとらずに法案を採択する法律)を使って、採択したことから、国民議会が大反発して、新人民戦線(NFP)が問責動議(不信任案)を提出、これに極右などが同調して一気に盛り上がり、あっという間に政権は崩壊してしまいました。

 そもそも49.3は、過半数を維持していない政権においては、とても危険なやり方で、そうでなくても、昨年、発令された年金改革においての49.3条発令の際でも、もう国民議会がストップできなかったとはいえ、そうなると、国民全体が黙っておらず、パリだけではありませんが、街中はゴミの山で溢れかえり、それが燃やされる日がどれだけ続いたことか・・。

 今回は、国民が騒ぐ前に国会が半旗を翻して内閣が崩壊しました。もうSNS(X)のトレンドも圧倒的1位で(#MotionDeCensure)(問責動議)が占められ続けています。

 この問責動議、不信任案の採択の前には国会で各党が長々とスピーチを行ったうえで、投票に進むのですが、もうほぼバルニエ首相の辞任が確実視されている中、なんだか公開処刑のようで気の毒になりました。

 49.3を使わずに、話し合いで折り合いをつけていく方法がとれなかったのか?とも思われますが、今となっては後の祭りです。就任当時は、EUのブレグジットの際のハードネゴシエーターを務めたツワモノとの評判だったのですが・・なんと在任期間3ヶ月の史上最短命を記録したようです。

 こうなってくると、年末が近づいていく中、全ての法案がストップし、ストライキが目白押しに予定され、反政府の勢いが増してきます。怒りの矛先がマクロン大統領に向くことは必須です。

 外交のためにサウジアラビアに滞在中のマクロン大統領は翌日20時にエリゼ宮から国民に向けてお話をなさるそうですが、当分の間、フランスは不安定な状態に陥るのは必須です。

 週末には、パリ・ノートルダム大聖堂の再開で次期アメリカ大統領に就任するトランプ氏がやってくるのに、フランスは無政府状態ってどうなの??などと、心配する声もあがっています。そういえば、前回の年金改革の際の49.3条発令の際には、デモが暴動になり、予定されていたチャールズ国王のフランスへの公式訪問が延期になりました。

 まさかノートルダム大聖堂の再開が延期になるなんてことは、ないだろうか・・などと余計なことまで考えてしまいます。

 この日は、一日中、各局が特番を組み、実況中継をしながら、大討論会を放送していましたが、どうにも皆が興奮している様子が画面からも伝わってきます。

 今後は、次期首相は誰か?という話題で、しばらくは落ち着かない日が続きます。

 しかし、すごい国だ・・。


フランス内閣崩壊 首相辞任


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2024年12月4日水曜日

初めて食糧配給所に遭遇して・・

  


 パリ11区にちょっと気になっていたブーランジェリーがあって、そこへ向かう途中、ちょっと脇道にものすごい行列ができていて、何の行列だろうか?と、ちょっと様子を見てみました。

 わりと、黒っぽいコートを着込んだ人が多くて、いわゆる高級ブランド店などにできている行列とは全然、違う感じの行列で、こんな感じの行列を見たのは、エアアルジェリーの代理店の前にできていた行列にちょっと近いの窓にはブラインドがさげられているので、入口からちょっと中の様子が見えるだけなのですが、どうやら、そこは食糧配給所のようでした。

 よく、スーパーマーケットなどで、「食料を寄付してください!」と慈善団体が食料を集めているのは見かけるのですが、それを配っている場所に遭遇したのは初めてのことでした。なんだかものすごく独特な気配を感じます。

 テレビの報道などで、このような食糧配給所や学生用の1ユーロ食堂などに長蛇の列ができている・・などというのは報道ベースでは見たことはあったのですが、その場に遭遇したのは初めてのことで、なんだかとても、ざわざわした気持ちになりました。

 あまり、じろじろ眺めているのも失礼な気がして、気を取り直して、私は、あまり長居せずに、すぐにお目当てのブーランジェリーに行ったのですが、想像以上にキラキラなお店で、なんだかちょっと私の好みとは違う感じで、その代わりにというか、たまたま見つけたもう一軒のブーランジェリーにとっても魅入られて、いくつかのパンを買いました。

 食糧配給所は、そのキラキラなブーランジェリーとは徒歩2分くらいの距離なのですが、無事にキャディーやショッピングバッグにパンパンになった、たくさんの食料をゲットした人々が、もう顔なじみなのか?けっこう楽し気に話しています。



 彼ら・彼女らは近所の人たちなのだろうか?と思ったら、けっこうわざわざメトロに乗って遠くからやってきている人もいるようで、彼女たちは朗らかに「じゃあ、また来週ね!」などと言いあって、少し話したのち、それぞれの帰途に散っていきました。

 良さげなお店をみつけたりして、ふだんは行かない地域に行ってみたりすると、思わぬ良いお店をみつけたりするのが楽しいのですが、今日は良いお店も見つけたと同時に、食糧配給所というものに初めて遭遇して、キラキラなお店のすぐ近くにこういう場所もあることが想像以上にショッキングで、まさにパリの光と影を同時に見た気がしました。

 しかし、食糧配給所に来ている人々は、想像していたより、全然、暗い雰囲気でもなく、わりとそれなりに朗らかなのは、救われる感じだったのですが、全く、私など、いい歳をして、長いことパリで暮らして、ほんの一面しか知らない世間知らずのおばさんなんだな・・とかえって、情けない気がするのでした。


パリ 食糧配給所


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2024年12月3日火曜日

ノートルダム大聖堂の再開には厳重警戒体制が敷かれるらしい・・

  


 約5年ぶりのパリ・ノートルダム大聖堂の再開は、「混雑するだろうな・・」くらいに軽く考えていたのですが、どうやら、「混雑するだろうな・・」くらいでは済まないようで、パリ市はこのために厳重警戒体制を敷くことを発表しています。

 この厳重警戒体制には、6,000人の警察官・憲兵隊が動員され、高所からの狙撃兵を要するBRI(調査介入旅団)も出動する予定です。周囲一帯の道路・駅などが閉鎖され、このゾーンへの通行する人々も制限される非常に高いレベルのテロ警戒体制になるようです。

 もっともこれは、12月7日(土)と8日(日)の祝賀行事のためのもののようですが、それにしても、周囲の交通規制などは、早いところでは、水曜日から始まります。

 水曜日の午後12時から規制が始まるのは、ポン・ドゥ・ラ・トゥルネ橋とポン・ヌフ橋の間の左岸岸壁での自動車の通行が禁止され、迂回になります。自動車道も通行止めになりますが、歩行者のみが自由に通行できます。

 土曜日からはさらに制限が強化され、国内安全保障テロ境界線が設けられ、これは、シテ島全体といくつかの橋が含まれます。

 また、シテ島の全ての店舗は全店休業、左岸の高岸壁では、土曜日の午後3時以降はテラス席は禁止。地雷撤去のためブキニストは水曜夕方から休業。

 右岸の岸壁では道路通行は維持されますが、土曜日の午後5時から午後5時まで、コンコルドからアレクサンドル3世橋からポンヌフまでの国家元首の行列の通行を警備するため、時折通行止めが計画されています。

 パリ市警察は日曜日の午前9時から午後2時まで警察本部はパリ市内中心部での運転を避けるよう勧告しています。

 また、このゾーン内にバスが通らなくなります。

 4号線とRER B:サンミッシェル駅とシテ駅は土曜日は終日閉鎖され、日曜日は午後8時まで閉鎖されます。電車は走りますが、これらの駅には止まりません。

 7 号線: ポンヌフ駅は土曜日の午後 5 時から午後 11 時までと日曜日の午前 9 時から午後 2 時 30 分まで閉鎖されます。

 RER C: オーステルリッツ駅とオルセー美術館間の交通は土曜日の午後 12 時から午後 10 時まで完全に遮断され、日曜日には通常に戻ります。

 なんだか、この厳重警戒体制の様子を見ると、ずいぶん閉鎖的な感じがしないでもありませんが、そんな印象を払拭するためか、式典の様子を一般の人が見られるよう、左岸の岸壁に複数の巨大スクリーンが設置されます。

 ホームに設置されたボックスには 40,000 人が収容可能です(オリンピックの開会式に設置されたボックスと同様)。土曜日の午後 3 時からは空き状況に応じて無料でアクセスできます。(空いてるわけないと思うけど・・)

 どちらにしても、以前は気軽に行けていたノートルダム大聖堂ですが、当分の間は大混雑が予想され、お目にかかれるのは、当分、先のことになりそうな気がしてきました。

 パリ・オリンピックの厳重警戒体制ですっかりこの手の警備には自信を持った感じのパリ市、ただし、今回はオリンピックの時に比べれば、規制される範囲もずっと狭いので、そこまで、混乱することはないとは思います。

 しかし、土日にかけて閉店しなければならない店舗などは、この年末の稼ぎ時の週末終日休業は痛い話・・と嘆きの声をあげています。たしかに12月に入り、パリ市内は街中もキラキラしてきて、いつもよりも人出が多い感じで、やっぱりノエル前はみんながお金を使う時期だなぁと感じるので小さな商店などは12月の週末終日休業はけっこう辛い話かもしれません。

 ただし、このノートルダム大聖堂周辺の店舗に関しては、これから大聖堂の再開で、これまでの何倍ものお客さんを期待でき、おそらく、長いかき入れ時が続きそうな気もします。

 人混みが大嫌いな私は、当分、無理かもしれません。


ノートルダム大聖堂のための厳重警戒体制


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2024年12月2日月曜日

大炎上しているマクロン大統領夫人の発言

  


 ル・モンド紙の紙面に掲載されたブリジット・マクロン(マクロン大統領夫人)の発言が俄かにSNS上で大炎上しています。

 X(旧Twitter)上のトレンドにマクロン大統領ならばともかく、「Brigitte Macron」が入っていたので、「何ごと?」と思って見てみたところ、どうやら彼女の発言が物議を醸し、フランス人を怒らせている模様。

 これは、この発言をしている映像が流れているわけではなく、真偽のほどは確かではない気もするのですが、一応、フランスでは一流紙の「ル・モンド紙」の記事で、そこまでいい加減な話は書けそうもない気もしますが、話の流れのうえでの誤解でしょうか?

 この記事によると、この発言は2024年6月にミシェル・サルドゥ(フランスのシンガー)に国家功労勲章の記章を授与する際になされたものとされていますが、6月の出来事がなぜ?今ごろ?と思わないでもありません。この授与式にはサルドゥを含めて8人のゲストが招かれていました。

 本来ならば、国家功労章を授与するような席だったら、この賞を受賞する人々を讃えるような発言が飛び出すだろうし、実際に、マクロン大統領自身は、彼らにこの賞を授与しながら、一人一人に彼らの業績を讃える言葉を投げかけていたようです。

 その中で、どういう文脈で彼女のこの発言が出てきたのかわかりませんが、「フランス人は夫(有能な)に値しない」と言い放ったとのことで、これだけ聞くと、大統領夫人としては、ちょっと唖然とさせられるような発言です。

 もしかしたら、なにかの話の文脈の中での「切り取り」がなされたもの?と考えられないわけでもありませんが、どう切り取られたとしても、やはり、大統領夫人として公の場で言うべきことではありません。

 これでは、国民のための大統領であるはずが、大統領のためのフランス国民で、その国民が大統領のレベルにふさわしくない・・と受け取られても仕方ありません。

 どうにも今年に入って、雲行きの怪しいマクロン政権、マクロン大統領を嫌う人が増えていると思われる中、この彼女の発言により、「火薬に火がつけられた」と評する人も少なくありません。

 この類の発言は、2022年にマクロン大統領の父親が地方紙のインタビューに答えて、「息子(マクロン大統領)の働きに対して、フランス人はあまりにも恩知らずだと思うが、これは今に始まったことではない・・」と発言し、これまたプチ炎上しましたが、さすがにこれは、地方紙のインタビューでの話で、公の席でもありません。(それでさえも、地方紙のメディアとはいえ、公表されることを知ってのうえでなかなかな話だとは思う・・)

 そのうえ、父親というのは、どんな家庭でも、まあ、まだ親バカ・・ということで、少々、薄められる感じを受けなくもありませんが、大統領夫人となると、なぜか反感はさらに強くなります。

 マクロン大統領のような超エリートでやり手?の人々は、多かれ少なかれ、内心は似たようなことを思っているのではないかと感じないでもありませんが、口にしていいこと、悪いこと・・というよりも、こんなことを言って、プラスになることは一つもないのに・・と思います。

 案の定、SNS上では、これに反発する声が溢れていて、「親愛なるマクロン大統領夫人、たしかに私たちには、これほど傲慢で無能な大統領を迎える資格はありません!」などという言葉が飛び交っています。

 ちょっとした発言の大炎上・・。

 まあ、炎上には慣れているであろうけど、あまり良い話ではありません。


マクロン大統領夫人発言 大炎上


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2024年12月1日日曜日

最近、とみに思うことの一つ 母と話したい・・

  


 私の母親との関係は、そんなにべったりした親子関係ではなかったけれど、かといって、全く、冷たい関係などではなく、むしろ、特に幼少時は母はしっかり私を教育してくれていたし、その最たるものは母が私にしてくれた英語教育で、本当に私が幼稚園くらいの時から母は自分が英語好きであったということもあって、母自らが私に英語を教え、英語に慣れ親しめる生活を送らせてくれていました。

 母は私に英語を教え始めたことをきっかけに、近所の子どもたちにも英語を教えるようになり、その後は英語のワークブックを出版したりまでして、しまいには、英語教育をする人向けの講演会などまで開催するようになり、主婦業、家事とともに忙しい生活を送っていました。

 しかし、結局のところ、母の本業?というか、もっとも大事にしていたのは、自分自身が子どもに英語を教えることで、それは晩年まで続けていました。

 母は心臓病を抱えていたので、晩年は、入院さえしなかったものの、家で安静にする生活をしていたものの、子どもに英語を教えることだけは続けようとしていたのですが、他の生活を制限までしているのに、自分の仕事を続けるのは無理だろうという周囲の意見もあって、本当に最後の2~3年は、その仕事も諦めてしまいました。

 我が家は母が幼少期から私たち子どもに英語を教育してくれたおかげ?もあって、私たちは二人とも海外生活をすることになり(といっても私はフランス語圏なのですが・・)、結果的に母は寂しかっただろうと思う反面、私が職場で「英語、上手だね(フランスでだけど)・・とほめられたよ!おかげさまで・・」などと報告すると、とてもうれしそうに満足気にしていました。

 私は、現在はあんまり英語を使う生活ではありませんが、弟などは、ほぼ英語で仕事をしているので、やはり母にはとても感謝していると思います。

 歳を重ねるにつけ、女性特有?の体調の変化や体力の衰えを感じ始めると、たびたび、母がいてくれたら、色々と聞いてみたかったな・・そういえば、母が体調について、こんなことを言っていたな・・などということを思い出したりすることが増えてきました。

 先輩の女性としたら、私にはけっこう今でも仲良くさせていただいている叔母たちもいて、話そうと思えば話はできるのですが、そこはやっぱり母の方がいいな・・と思ってしまうのは、年がいもないことですが、やっぱり今さらながら親子の距離感なんだな・・。

 母が亡くなってしまってから、もうそろそろ20年近くなるし、その2年後には、夫が急逝してしまったので、特に夫が亡くなってしまったときなどは、「母が生きていてくれたら、絶対に何をおいてもかけつけてくれただろうに・・」などと恨みがましく思ったりもしました。私にとっては、あの時の2~3年は本当にダブルチョップを受けた感じでボロボロでした。

 あれから徐々に更年期やら、体調の変化に気付くたびに、たぶん、あの時、母が言っていたことは、こういうことだったんだろうな・・と思うことが度々ありましたが、最近は、また別の意味で、最後まで母が子どもに英語を教えることをやめたくなかったことがわかるような気がする・・というより、やらせてあげればよかった・・と思うようになりました。

 最近、自分の体調がいま一つであったりすることもあるのですが、一応、夫が亡くなって以来、一人で子育てしてきた娘もどうにか自立し、これまで娘のことを第一に暮らしてきたので、しばらくはなんだかぽっかりとした気分でもいましたが、自分のためだけの生活というものの心地よさも、すっかり、しっかり楽しめるようになりました。

 しかし、これを死ぬまで続けていくのかと思うとなんとなく虚しい気もしないこともなく、これで夫でもいれば、まだ、二人で何かするということもあったのでしょうが、本当に半分余生のような気がしないでもありません。

 まあ、考えてみれば、高齢の人々はたいていそんな感じなんでしょうが、みんなどんな感じで暮らしているんだろう?などと思ったりもします。

 そんなとき、母が最後まで体調を押してまで子どもに英語を教えることを続けたかった気持ちが今では、なんとなくわかる気がするし、そばに私がいたら、それに協力してあげることもできただろうに・・とそんな気持ちになっています。

 母は、今の日本人の平均寿命からするとかなり早くに他界してしまったので、余計に母との時間は短かったとは思いますが、海外生活をしていた分も母との時間が少なくなってしまいました。

 最後の数年間は、今のようなネットでいつでも電話できるというわけではなかったのですが、それでも一週間に一度は必ず母に電話するのが習慣になっていて、もしかしたら、下手に同じ日本にいるよりも話はしたかもしれません。

 私は父とは、険悪とは言わないまでも、あまり良い関係とも言い難い分、母方に傾く傾向があったかもしれませんが、母娘というのは、やっぱり特別な関係でもっともっと一緒の時間を過ごしたかったな・・もっともっと話をしたかったな・・と年齢を重ねた今、とみに思うようになっています。


母との時間


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