2019年6月30日日曜日

海外生活中、もし、ガンにかかったら、あなたは日本に帰りますか?

 私は、フランスに来て以来、ほとんど、仕事場と娘の学校、お稽古事の送り迎えの繰り返し、おまけに仕事も忙しかったので、時間もあまりなく、もともと、人付き合いも良い方ではないので、友人も多くないし、知り合いも主人の友人関係が少しと、娘の学校やお稽古事の関係の方や私の仕事上での付き合いがあった方くらいで、私がパリに来て以来の知り合いは、そう多くはありません。  それでも、20年もいれば、そこそこの知り合いはそれなりには、いるので、日本人の知り合いの中にも、残念ながら、亡くなられた方も数名おられます。事故などの場合は、別として、ガンで亡くなった方が多いです。(これは、あくまで私の周囲での話ということですが・・)  まあ、今までのところ、日本人の平均寿命からするとかなり早い旅立ちの方が多いので、海外生活は、寿命を縮めるのかも!?などと思ってしまいます。  やっぱり、海外生活ならではの緊張や、日本に住んでいたら、決してないであろうストレスも結構ありますから・・そんなことの積み重ねもあったりするのかな?・・となどと、思ったりもします。  また、家族がいるかどうかも大きく関係しているような気もします。  実際に、亡くなった方々は、一人を除けば、皆、独身の方だったのは、偶然だったのでしょうか?  自分がガンだと宣告されて、日本に帰られた方も、中には、何名かいらっしゃいます。やはり、いざとなると、言葉の問題もあるし、こちらの病院では、不安なので、日本で・・と思う心情も、とてもよくわかります。その方々も最初は、治療のために帰られたのに、結果、亡くなられたというものです。  一度、私が怪我をして、病院の救急に行った時、延々と待たされて、怒った主人が、いつまでも放っておくなら、ここから、電話して、救急車を呼ぶぞ!!と怒鳴って、ようやく見てもらえたことがありました。でも、これが命に関わるような病気だったらと思うとちょっと考えてしまうところもあります。  ちょっと、話は逸れてしまいました。  私が親しかったある女性は、ガンが見つかって、手術をして、5年後に再発して、それから、放射線治療、抗ガン剤、そして、さらに2回の手術。(フランスの場合、ガンの場合は、セキュリテソーシャル(国の健康保険)が100%カバーしてくれます。)プラス、失敗してやり直した手術が一回。  そして、とことん、ガンと闘いましたが、結局、彼女は、亡くなりました。  彼女は、とても強い女性で、痛みを感じたら、自分でボタンを押して、点滴でモルヒネをどんどん打つことができるようになっていたのですが、その結果、何度か、幻覚を見てしまい、私は、自分自身を失いたくないからと、痛み止めの点滴も断り続け、痛みに耐えながらも頑張っていました。  そんな中、病院内での盗難事件などもありました。(検査中に病室に置いてあった彼女のバッグが盗まれたのです。病気で苦しんでいる人にこんなことってある!?)    彼女は、最後の最後まで、決して諦めずに、こんなに苦しんだから、絶対に治らなくちゃ!と頑張っていましたが、とうとう最期には、力尽きてしまいました。  彼女の訃報を聞きつけて、ちょうど、その日が、お休みだった私は、病院に飛んでいき、日本から、いらしていたご家族が色々な準備をなさる間、その時の霊安室の係のおじさんが、とても優しい方で、”...

2019年6月29日土曜日

娘の初めてのボーイフレンド 

 私たちは、パリに引っ越してくる前は、RER(パリの郊外線)でパリまで一時間ほどの郊外に住んでいました。例えば、日本だったら、通勤圏一時間以内なら、御の字でしょうが、こちらは、交通事情が日本のように、正確でもなく、四六時中、故障だのストライキだのと問題が多いため、一時間の通勤は、長い方ではないかと思います。(電車の連絡が悪かったりすると、最悪です。)  実際、この通勤時間で、小さい子供がいるとなると、職探しにも、なかなか、苦労しました。  それでも、私たちが住んでいた場所自体は、緑も多く、パリより少し、離れているだけで、のどかで、人も少し、ゆったりした感じの方々が多く、娘の行っていた保育園などは、家の近くの巨大な公園の中にある、空気も良い、自然環境抜群の保育園でした。  エコールマテルネル(幼稚園)に入った時も、学校のフェット(お祭りのような催し物)があると、みんなが大きな親戚のように、親しく集まって、みんながお菓子を焼いてきたり、私も巻き寿司を作って持って行ったりしました。  中には、バンドをやっているミュージシャンのお父さんなどがいたりして、フランス人のある程度の年代の人なら誰でもが知っているであろう、ジョルジュ・ブラッサンスの...

2019年6月28日金曜日

日本はフランス人になぜ愛されるのか? フランス人は日本をどう見ているのか? 

 多くのフランス人にとって、日本といえば、世界に名だたる先進国でありながら、実際には、フジヤマ、サムライ、ハラキリ、トヨタ、くらいのイメージしかなかった時代が長く続いていましたが、今や、日本の印象は、ここ数年で、うなぎ登りで急上昇中です。  ちょっと前までは、圧倒的に、日本の知名度の根源は、漫画とアニメ、NINTENDO などのゲーム類が主流でした。いわゆるオタクと呼ばれる人たちを中心に広まり、日本のアニメは、フランスの一般家庭でも、テレビで見られる身近な存在となり、19歳以下のフランス人の51%は少なくとも1日に一時間は日本のアニメを見ていると言われており、おそらく、ポケモンを知らない子供はいないでしょう。  ラーメンなどの日本食の流行も日本の漫画に登場した食べ物を実際に食べてみたいというところから、火がついたようです。  年に一度、フランスで開催されるジャパンエキスポなどでは、アニメの主人公などのコスプレをしたフランス人で溢れかえり、昨年の来場者数は24万人を超えています。  しかし、現在の日本ブームの圧倒的なきっかけとなったのは、YouTube...

2019年6月27日木曜日

国際結婚の家事・育児の分担ーフィフティフィフティ

 夫婦の役割分担として、よく、フィフティーフィフティーという言い方をしますが、客観的に見ると、フィフティーフィフティーという関係は、なかなか、あり得ないもので、やはり、どちらかに偏ってしまっているように思います。  とはいえ、これは、客観的に見たらの話であって、もちろん、それぞれの夫婦には、それなりの分担と、それぞれにできることと、できないことがあるので、何を基準にそのパーセンテージを測るかは、その夫婦にもよるので、一概に言うことはできませんが・・。  まあ、お互いに納得していれば良いのですよね・・。  海外で暮らしている国際カップルの様子を見ていると、(夫が外人で、妻が日本人...

2019年6月26日水曜日

国際結婚の夫婦喧嘩

 国際カップルの家庭は、どちらの言語で会話しているのでしょうか?    私と主人は、日本で出会ったので、その頃から、基本、英語で会話していました。 そして、その後、アフリカに転勤になり、私がフランス語の勉強を始めてからは、フランス語も少しずつ混ざるようになりました。  そして、娘が生まれてからは、さらに複雑になり、娘は私とは、日本語、パパとは、フランス語、主人と私は、英語。基本、娘は、フランスの学校に行っているので、フランス語は良しとして、娘の日本語、英語の習得を基本に考えていました。    ですから、5〜6才の頃からは、私と主人の英語での会話にも、娘はフランス語で参加する...

2019年6月25日火曜日

フランス語力ほぼゼロだった私のフランス人外交官の夫とのアフリカ生活 

 フランス人の外交官とアフリカのプール付きのアパートで、フランス語でボーイさんを使う生活? なんだか現実感がわかなくて、想像もつかない!?。私がアフリカに行ったばかりの頃、友人からの手紙に書いてありました。(外交官といっても、財務省からの派遣外交官)  確かに、その言葉面からは、なんだか、一瞬、優雅な響きに感じられるかもしれませんが、実際は、とんでもありません。  何といっても、私にとっては、初めてのアフリカ。私たちの生活していたコートジボアールのアビジャンという街は、西アフリカの中心のようなところで、アフリカのパリなどと呼ばれています。  しかし、パリはパリでもアフリカのとい...

2019年6月24日月曜日

子供が生まれて思ったことーアフリカでの出産 

 母は、私に常々、言っていました。一度は、子育てを経験した方がいいわよ・・と。  子供を持つことで、自分の中の欠落している部分が少しずつ埋まり、今まで知らなかった世界が広がるから・・違う視点でものごとを見ることができるようになるから・・と。  その母の言葉は、常に私の中のどこかにいつも潜んでいました。  私が、子供を産むなら、これくらいまでかな?と思っていた年齢に出会ったのが、主人でした。それは、私にとっての大きな人生の転機でした。  そして、私が、子供を出産したのは、よりにもよって、主人の転勤に付いて行った先、アフリカでのことでした。  分娩台の上で、あまりにも痛くて、...

2019年6月23日日曜日

シャンゼリゼで起きていたマカロン戦争

 久しぶりにシャンゼリゼに行ったら、結構な、珍しいものを見つけました。もう、このお店がオープンして、一年以上経っていたようですが、私は、全然、気がついていませんでした。昨年から、続いている黄色いベスト運動もあり、なんとなく、シャンゼリゼから、足が遠のいていたのです。  なんと、ピエールエルメとロクシタンのコラボショップがオープンしていたのです。しかも、シャンゼリゼで、その上、道路を挟んで、ラドュレの真ん前の場所に!  これは、なんとも挑戦的というか、ピエールエルメのしたたかさを感じずにはいられませんでした。しかも、ロクシタンとコラボするとは・・。  ...

2019年6月22日土曜日

子供なりの涙ぐましくも笑える危機への対応 ママが死ぬときにはパパはとっくに死んでいるでしょ!

 娘がまだ、3歳くらいの頃、主人が自宅で、呼吸が苦しくなって、救急車を呼び、病院に搬送されたことがありました。娘は、その時、大した反応もせずにおとなしく、その様子を見守っていました。しかし、それ以来、救急車を見ると、”voiture de papa" ヴォアチュードウパパ(パパの車)!" と呼ぶようになりました。  それからしばらくたって、二人で、日本へ行った時、娘は、メモを片手に私の従姉妹たちに、電話番号を聞いてまわっていました。”◯◯ちゃん、電話してくれるの〜!?”という彼女たちに、娘は、”ママが死んじゃったら、電話するから、私のこと、迎えに来てくれる?” と頼み歩いていました...

2019年6月21日金曜日

海外生活も長くなると性格がキツくなる!?

 ”おまえは、いつから、そんなにキツい性格になったんだ!” パリに住むようになって、5年くらい経った頃だったでしょうか? 日本に帰国した折に、父に言われたことがありました。  そう言われてみれば、そうなのかもしれません。私は、無意識のうちに、以前の私より、ハッキリものごとを言うようになっていました。  日本人の美徳として、言わずとも察する、とか、そんな文化があり、正面きって、ものごとを言うのは、あまり良しとされないところがあります。本音とタテマエも、その分、多いような気がします。  しかし、海外では、言うことは、ハッキリ主張しないと生活していけません。生活していく上での色々なト...

2019年6月20日木曜日

子供を預けて働くということ 子供を預けることは育児放棄ではない

 私が子供を預けて仕事を始めたのは、娘が一歳になったばかりの頃でしたが、それは、私が、子供を預けて女性も仕事をするというのが、当然のフランスという国に住んでいたので、あまり、抵抗がなかったのかもしれませんが、これが、日本だったら、もしかしたら、違ったかもしれないなとも思います。  とはいえ、私は、子供を預けて働くという道を選択しました。私は、子供に日本語をどうしても習得させたかったので、子供とは日本語のみで会話していたので、逆に娘には、保育園に行って、フランス語、フランスの社会をしっかり学んでほしいと思っていたので、そのための機会、場所と思っていました。  子供を単に預ける...

2019年6月19日水曜日

できる女性ほど、ダメ男に引っかかる説 フランスでの離婚

 離婚となると、どこの国でもしんどいことには変わらないのでしょうが、フランスでの離婚で、結構、エグい話を耳にします。まあ、とにかく、フランスでの離婚話は、多いです。聞くところによると、何とパリの離婚率は50%なんだとか・・。ホントかしら?   フランスでは、子供の送り迎えは、小学校を卒業するまでは、当たり前のこととなっていて、しかも、学校側にきちんとお迎えに行く人の名前を登録しておく必要があります。  もちろん、それは、危険な人物から、子供を守るためではありますが、これは、離婚調停中の親権争いの最中、または、離婚後に夫婦の間で子供の取り合いになり、親権を持たない親が子供を連れ去る...

2019年6月18日火曜日

フランス人の子供の進路の選択 女性も社会の一員として働くことが前提

 フランスの子供の進路の選択において、というか、教育において、日本と大きく違うことがあります。それは、女性もひとりの人間として社会に出て、働くことが前提だということです。  これは、とても大切なことだと思います。フランスの大変、良いところです。フランスの女性は、結婚して、家庭を持っても、仕事を持ち続けるのが一般的です。  これは、一人の人間として、家庭の中だけでなく、社会と関わり、何らかの形で社会に貢献できるということです。そのことを前提として、教育を受けられるということは、何と素晴らしいことなのだろうかと思います。  フランスの進路の選択は、大まかには日本でいう高校2年生...

2019年6月17日月曜日

海外生活のススメ 海外に出るはじめの一歩

 現在、海外生活を送っている方々の最初のきっかけは、何だったのでしょうか?   日本から旅行で来られる方は、初対面でお話しする機会があると、たいてい、”もう長いんですか?”と会話を始められます。”もう、長いんですか?” の一言の裏側には、”どうして、海外に住んでいるのですか?” ”海外生活って、どうなんですか?”という意味の興味が感じられます。  海外生活には、憧れもあるけど、やっぱり、なかなか踏み込めない・・というのが、正直なところでしょう。  私自身も、子供の頃は、私がもしや、海外で長く生活することなど、想像すらしていませんでした。  ただ、私の場合、母が小さい頃から英語...

2019年6月16日日曜日

パリ・オペラ座出身のバレエの先生 フランスの子供に人気のお稽古事

 フランスの学校の新年度が9月に始まって、まもなくすると、お稽古事の申し込み受け付けが、一斉に始まります。  娘の小学校でのお稽古事の一番人気は、女の子はバレエでした。  男の子は、なんと、柔道かサッカーなのです。  柔道は、意外にも、フランスでは、なかなかの人気のあるスポーツで、日本からも全日本の柔道の選手が度々、柔道振興のため、遠征などにフランスにも訪れており、私も日本でも有名な柔道の監督やコーチ、選手も大勢、ヤワラちゃんなどにもお目にかかる機会がありました。  娘は、私の希望で、(私自身が小さい頃にバレエをやりたかったのです。)小学校に入る前からバレエを始めていましたが、小学校の低学年では、ほぼクラスの半数以上がバレエのお稽古に来ていました。  なので、学年末(6月)の学校の行事とバレエの年末の発表会のリハーサルが重なったりした時は、クラス中の女の子たちが、学校とバレエの発表会が行われるステージとの間を行ったり来たり、発表会の当日は、学校のお友達も家族揃って見物に来ていて、学校との境界線があまり感じられないほどでした。  ラッキーなことに、私たちの住むエリアにあるバレエスタジオには、元オペラ座のバレエのソリスト(ソロで踊るダンサー)であった男性の先生がバレエを教えに来て下さっていて、その小顔でスラッとした華麗ないでたちと優雅な身のこなしに、私も娘のバレエの送り迎えが楽しみでした。  年度末の発表会には、先生の後輩であるパリのオペラ座のバレリーナがゲストとして、バレエを披露しに来て下さっていて、そのリハーサルから見学できるのも、なかなか普通では、見ることができない貴重なもので、ビデオ片手に私も思わず前のめりになっていました。  オペラ座のバレリーナたちは、まじかで見るだけで、もうその体型だけでも彫刻のような美しさでした。  小さい女の子たちが、舞台用のメイクをうっすらと施し、華やかな衣装を身にまとってはしゃいでいる様子は、小さなナルシストの集まりそのもので、発表会の最後に全員が揃って現れるデフィレ(出演者が最後に次々と舞台に登場するシーン)などは、小さなフランス人形がたくさん並んでいるようで、圧巻の華やかさでした。    親バカな主人は、娘がバレエを始めてすぐに、パリのオペラ座の募集要項を調べたりしていましたが、「厳しい基準の中の一つに近親の人に肥満体型の人がいる場合は、失格。」というのがあり、「パパのせいで、オペラ座のバレリーナには、なれない!」(パパ、失笑。)などと、主人自ら、墓穴を掘ることとなりました。  私は、レッスンのたびに、娘のレッスンの様子をビデオに撮っていました。  先生は、ビデオの撮影にも協力的で、娘の場所を工夫したりしてくださいました。  日本にも公演に行ったことがあるよ! プリンスホテルに泊まったよ!  YouTube...

2019年6月15日土曜日

現地の食材で作る日本食

 海外生活をしていると、日本食が食べたくなりますよね。パリだと、まあ、結構な種類の日本食材も手に入りますが、高いです。しかも、どこでも手に入るわけではありません。なので、私は、なんとか、現地で普通に手に入る、それほど高価ではないもので作れる、なんちゃって日本食を作ります。    例えば、この写真にある春巻きまがいのものは、BRICKの生地で作っています。春巻きの生地と比べると、どこか、頼りないところもありますが、ほぼほぼ、似通ったものができます。  コロッケやハンバーグ、とんかつ、エビフライなど、日本の洋食の類いも、食材を調達するには問題はありませんので、良く作ります。時々、うちに来るフランス人の友人にも大好評です。  また、ひき肉をとても便利に使っています。だいたいこちらでは、薄切り肉、細切れなどのお肉は普通のスーパーでは売っていないので、肉じゃが、野菜炒めなどにもひき肉を使います。かえって、ひき肉の方が肉の味が出やすくて、子供にも食べやすくていいくらいです。    クルージェット(ズッキーニ)なども簡単な我が家の定番です。下手だけとって、まるのままレンジでチンして、冷蔵庫に冷やしておいて、食べるときに縦に切って、お酢とお醤油、鰹節なんかをかけるとさっぱりとした一皿になります。  また、ナスも海外では、大きなナスですが、生のままブチブチ穴を開けてそのままオーブンで焼けば焼きナスができます。これは、簡単です。  きんぴらは、人参やセロリで作ります。  最近のうちのデザートのブームは豆乳で作る杏仁豆腐です。これも簡単です。レンジで豆乳を温め、お砂糖少々とゼラチンを溶かして、最後にアーモンドエッセンスを垂らして混ぜます。容器に移して冷やせば、もっちりとした食感の杏仁豆腐風のデザートができます。 これは、絶対におススメです。アーモンドエッセンスやゼラチン、豆乳は普通にスーパーで買えますから。そして、美味しい!  そして、何と言っても、日本食風のお料理には、薬味です。小ねぎ、しそ、三つ葉などは、ベランダでスクスクと育っています。これらをちょっと加えるだけで、グッと引き立ちます。全くもって色気のない話ですが、うちのベランダには食べられるものしかありません。  あとは、カレー・・日本人は好きですよね。カレーはさすがに日本のカレーのルーを使ってしまいますが、カレーにらっきょう・・欲しいですよね。これは、パリにお住いの方の強い味方、パリのチャイナタウンにある...

2019年6月14日金曜日

バイリンガルのスイッチ

 娘が二歳から十歳までは、毎年、夏休みには、日本に行っていました。そして、日本でいう小学校就学の年齢からは、ほんの1〜2週間でしたが、実家の近くの公立の小学校に通わせていただいておりました。  やはり、どんなに絵本を読み聞かせようと、ビデオを見せようと、テキストをやらせようと、実際の日本語社会に浸ることには叶いません。 実際の生の日本語の世界に2〜3週間浸ることで、娘の日本語は、格段に上達しました。  短期間の日本滞在にもかかわらず、娘の日本語は、みるみる上達し、私の日頃の努力がバカバカしく感じられ、母に嘆いたこともありました。母は、”あなたが頑張ってきた下地があるからこそよ・・...

2019年6月13日木曜日

パリの幻想

 さすがフランス!さすがパリ!と、どれだけフランスは思われていることでしょうか?  娘が小さい頃、彼女が着ていた洋服を見て、”まあ、可愛い!さすがパリ!”と良く言われました。ところが、実際は、娘が小さい頃、私は、ほぼほぼ、彼女の服をパリで買ったことは、ありませんでした。    娘の着ていた洋服は、日本にいる母や叔母が送ってくれたものがほとんどだったのです。それでも、私たちがパリに住んでいると知っている人たちは、娘の洋服を見て、”さすがパリ!”と言うのです。これには、苦笑してしまいました。  日本のデパートに行く度に思います。どれだけ、フランス語を使った名前のお店が多いことか!?しか...

2019年6月12日水曜日

バイリンガルに育てる方法

 娘は、フランスに育ちながら、日本が大好きな子供に育ってくれました。娘が初めて日本に行ったのは、彼女が二歳になったばかりの頃でしたが、それまでは、私とは、日本語のみで会話していましたし、その他は絵本とビデオで日本語を覚えていきました。  ビデオは、お母さんと一緒などの子供用の番組やサザエさん、ちびまる子ちゃん、そして、私が見ていた日本のドラマなども一緒に見ていました。    ちょうど、二歳くらいだったでしょうか? ある日、番組の最後に流れるスポンサーの告知、”この番組はライオンの提供でお送りしました。”というフレーズを聞いて、娘が一瞬固まったように、”ラ・イ・オ・ン・・”と呟いて...

2019年6月11日火曜日

パリでは、日本ではあり得ないことが沢山起こる・・ 

   パリに来たばかりの頃は、日本のサービスが自分の中の基準となっていた私は、いちいち腹が立つことばかりで、何かにつけて、憤慨していました。  メトロはしょっ中、テクニカルプロブレム・・とかで止まり、止まっても動くだけでもまだましで、ストライキも多く、すぐに間引き運転になってしまいます。  それが長く続けば、さすがのフランス人も怒り出し、ストライキのすぐ後に検札に回ってきた営団の職員がみんなに囲まれて怒られて、次の駅で降りて行ってしまったこともありました。  話はそれましたが、ストライキといえば、学校のストライキにも参りました。一ヶ月近く続いて、仕事を休めない私は途方に暮れました。  スーパーマーケットで買い物をすれば、レジの店員同士がおしゃべりをしながら、グズグズ、値段がわからなくて電話で問い合わせなどして、なかなか進まないし、銀行でも郵便局でも、とにかく時間がかかります。  あるスーパーマーケットでの買い物の際には、野菜の名前を聞かれ(そんなに特別な野菜ではありません。レタスです!!...

2019年6月10日月曜日

海外在住者が母を看取る時

 私の母が、亡くなったのは、私が海外生活を始めて、10年くらい経った頃でした。母は、拡張型心筋症という心臓病を患っており、年々、少しずつ弱っていきました。  毎年一度は、娘を連れて日本に行っていたので、娘もマミー(フランス語でおばあさんのことは、マミーと言います)が大好きでとても懐いており、母は、何よりも娘の一挙手一投足が楽しく、嬉しいようで、私の一番の親孝行は孫の存在だったように思います。  母は、私にも弟にも小さい頃から、英語をしっかり教えてくれていました。おかげで、私も弟も英語には、あまり苦労を感じずに来れたと思っています。  そんな、母の教育が基盤にあるのか、私も弟も海外生活をしており、母には、寂しい思いをさせてしまったと思いつつも、母は、私たちが海外で生活している事を喜んでくれていました。    発病してから、年々弱っていく母が心配で、日本に行った時には、帰って来た時くらいはと、介護保険の申請や障害者手帳の申請、介護施設との交渉など、区役所や社会保険事務所などを巡りました。  その頃は、介護保険の適用の初めの頃で、家の階段やお風呂、トイレには、手すりなどがつけられ、しばらくは、少し安心していました。  しかし、晩年は、母はお医者様から階段の上り下りは、避けるようにと言われ、2階にあった自分の寝室から一階の部屋にベッドを移して、寝たり起きたりの生活になっていました。  しかし、自分のことは自分でできる生活で、最後の夏は、母と父の年中行事になっていた山荘に滞在しており、(お医者様の許可は一応、頂いていたようですが、何が起こっても不思議はない状態でそれは自宅にいても同じこと。覚悟しているなら、やりたいことをやりなさいという意味だったのだと思います。)そこで、倒れたのでした。  母が倒れたのは、夏休みが終わって、ちょうど学校が始まった頃でした。母が倒れた報せを受けて、当時、アメリカに転勤になったばかりの弟がすぐに日本に帰りました。私は心配で、心配で毎晩、泣きながらも学校が始まったばかりの娘のことや仕事を無期限では休めないとか、ぐずぐず迷いながら、数日が経ちました。  すぐに山荘から近くの病院に入院した母でしたが、そこでできるのは強心剤の投与のみとのことで、弟が病院と相談して、東京のかかりつけの病院に転院させる手はずを整え、付き添ってくれました。  母の容態も少し落ち着いたところで、弟はアメリカに帰って行きました。それでも、親戚から入る報せを聞きながら、心配で心配で、夜には泣いてばかりいる私に娘が言いました。”そんなに心配なら、どうして行かないの?”と。  その言葉で私は、娘を連れて日本へ行くことにしたのです。そして、偶然にもそれは、ギリギリの決断で、恐らく私たちが飛行機に乗っている間に母は、入院中の病院で心筋梗塞を起こしたのです。  成田に着くと、空港アナウンスが入りました。メッセージは、”もう時間がないので、空港から直接、タクシーで病院に来るように”...

2019年6月9日日曜日

お誕生日会で見たフランスの子供たちの逞しさ

 この写真は、娘のお誕生日会の時の際に起こった騒動の発端になった、思わず苦笑いしてしまう思い出の簡単な食事、アペリティフのデコレーションに使ったりする楊枝の先に紙でできた傘がついたようなもので、別になんら特別なものでもありません。  しかし、娘のお誕生日会の際に何気なく、なにかスナックの傍らに添えたこの傘で、集ってくれた女の子の間で、猛烈な争奪戦が起き、しまいには、手に入らずに、泣き出す子まで出る始末で、思わぬことにあきれて、苦笑いした思い出がありました。娘が小学生の時でした。  フランスでは、(まあ、日本でもあるのでしょうが・・)小学校の頃は、毎月、毎月、お友達の誰かしらのお...

2019年6月8日土曜日

フランスの教育・学校・バイリンガル教育 ②

 私立の学校といっても、日本と違って、特別な私立の場合は、別として、フランスの場合は、日本のように学費が飛び抜けて高いということもありません。小学校などは、特にキャンティーンの料金が多少、高いかな!?と思った程度でした。  ただ、一年おきくらいに学校で行く、classe de ferme (郊外農場へ行く合宿の)ようなものとか、classe d'equitation (乗馬の合宿)とか、そういった、エクストラな行事に多少は、かかりましたが、それも自分で連れて行くことを考えれば、ずいぶんと安上がりです。  小学校1年生の時に初めての合宿に行くためにモンバルナスの駅に送りに行った時、大きな...

2019年6月7日金曜日

フランスの教育・学校・バイリンガル教育 ①

 私の娘は、運よく、カトリック系の私立の学校に小学校から、高校まで通わせて頂きました。そもそも、私たちが今のアパートに引っ越して来てすぐは、近所の事情もあまりわからずに、ひとまず、公立の ecole maternelle エコール・マテルネル(日本でいう幼稚園の年齢ですが、こちらでは、学校扱い)に通わせていました。  ご存知の通り、フランスは、ストライキの盛んな国で、それは、学校までにも及び、その年は、学校で一ヶ月にもわたるストライキがあり、働いている私としては、学校がというよりも、託児所がなくて、途方に暮れるという感じでした。  また、私の職場の近くに、たまたま、かなりレベルの低いと思われる学校があり、その学校の子供たちの様子を見るにつけ、こんな学校に入ってしまったら、大変だ!!という危機感が常にありました。  そんな、きっかけもあり、家の近くの私立の学校(私立の学校はストライキをしません)を探したところ、私たちの住む地域には、一つしかなく、せめて、ecole...

2019年6月6日木曜日

パリの盗難被害 パリの泥棒は、なかなか捕まえてもらえない

 この無残な自転車の姿を見かけるのは、パリでは、そんなに珍しいことではありません。うちも、娘が買ったばかりの自転車を盗まれたことがありました。この写真のように一部ではなく、丸ごと盗まれましたが・・。ちゃんとかなり、太い鎖で繋いでおいたのに、鎖をバッサリ切られて盗られたようです。  これだから、日本のように気軽で自転車で買い物に行く。なんてことはできません。  一台、丸ごとならともかく、このようにタイヤやサドルを手間暇かけて盗んで、一体、どれだけの儲けになるのか?甚だ疑問ではありますが、まあ、それを生業としている人たちがいるのでしょう。  今は、わりとVelib (ベリブ)といっ...

2019年6月5日水曜日

MADE IN AFRICA

 私の娘は、アフリカのコートジボアールという国で生まれました。 よく、日本人には、コート・ダジュールと勘違いされますが、英語では、アイボリーコースト、日本語では象牙海岸共和国というそうです。  写真に写っているパイナップルやトマト、バナナ、マンゴー、ココナッツ、カカオなどなど、アビジャンのココディマルシェで全部、まとめて2000CFA(セーファーフラン)=20FR (フラン)ユーロに換算すると3ユーロくらい、つまり、日本円で370円くらいでした。安いでしょ!  そばに写っている木彫りの置物なども全てコートジボアールで買ったもので、娘も入れて、当時、Made in Africa....

2019年6月4日火曜日

香取慎吾 ルーブル美術館 パリ個展

 香取慎吾の個展がパリで開催されてから、もう既に、かなり時間が経ってしまっているので、いささか、ちょっとタイミングがずれてしまっているのですが、この際、一度は話題にあげたいと思ったので、話題として、遅いことは、ご容赦ください。  そもそも、私は、アートに関して、何かを語れるような知識もなく、ただ、自分の感性で好きか嫌いか、綺麗だとか、その作品から感じる何かエネルギーのようなものとか、そんな事を個人的に感じることしかできないので、ここで、偉そうに何かを語ることはできません。  そもそも、私は、海外で長く生活していることもあって、それほど、SMAPを追いかけていたわけでもありませんでした。それでも、娘が小さい頃は、今ほどネットも発達してもおらず、少しでも、日本語に触れる機会を持つようにと、日本のテレビ番組等をビデオに撮って送ってもらっていました。ジャンルは様々でしたが、SMAP×SMAP...

2019年6月3日月曜日

パリのランチ、お弁当、外食、日本食事情

 MON REPAS と書いてある、このバッグ、MON REPAS とは、フランス語で私の食事、という意味です。つまり、お弁当を入れるバッグです。メトロの中でこのバッグを持っている人がいて、かわいいな・・と思ったので、つい写真を撮ってしまいました。  今は、フランスでも、こんなお弁当用バッグがあるんです。    フランスの外食事情は、日本のようにワンコインで・・というわけにはいきません。ワンコインでは、簡単なサンドイッチも危ういくらいです。クウォリティと値段、つまり、コスパを考えると、日本に比べてとても高いです。気軽に安く食べられるものが、あまり、ありません。    逆に私たちが日本に...

2019年6月2日日曜日

パリで時々、目にする光景

 例えば、メトロの駅で、時々、目にする、観光客の外人に向かって、”ここは、フランスなんだから、フランス語で話しなさい!” と言っている駅の職員。以前に比べれば、フランス語しか喋ってくれない人は、随分と減ったとはいえ、未だに、パリでは、時々、目にする光景です。  しかも、メトロのような公共交通機関の人間が・・。しかも、パリのような世界的な観光都市でのことです。せめて、カタコトでもいいから、英語くらい話してほしい・・というか、わかろうという努力、姿勢を見せてくれたっていいじゃない!?と思ってしまうところですが、”ここは、フランスなんだから、フランス語を話せ!”というまさかの逆ギレ...