2020年1月10日金曜日

フランス人の年金への思い入れ


Image
1月9日、デモが加熱して炎が上がるパリの街中


 昨年、12月5日に始まった、年金改革に反対するストライキやデモは、一向に収束の兆しが見えません。

 年が明けた1月9日でも、未だ、RATP(パリ営団交通)やSNCF(フランス国鉄)のストライキも続いており、フランス全土で、452,000人、パリだけでも、56,000人がデモに参加し、夕刻には、過激化する者も現れ、街中には、物が燃やされて、炎が上がり、けが人や拘束される人まで出て、昨年からの勢いは、衰えては、いません。

 一ヶ月以上も、メトロもバスも電車も満足に動かない、この不安定で、不便な生活を強いてまで、デモやストライキを続けるフランス人にとっての年金への執着は、日本人とは、比べようもないくらい強いように思います。

 殊に、公務員に関しては、職種にもよりますが、給料は安くても、労働条件や、安定した年金を受け取ることができることが、魅力の一つでもあるのです。

 また、フランスでは、この公務員の多いこと・・・。

 日本なら、とっくに民営化している国鉄や郵便局なども国営のままなのですから、公務員が多いのも致し方ありません。民営化どころか、年金制度改革だけで、この騒ぎなのですから、民営化など、夢のまた、夢でしょう。

 実のところ、フランスは、民主主義をうたいながらも、社会主義に限りなく近い国で、その実は、かなり特殊な国なのです。また、たとえ、民営企業であっても、労働組合の力が異様に強いところも、社会主義的なところです。

 フランス政府が主要株主である会社も多く、今、何かと話題のルノーにしても、株式の20パーセント近くをフランス政府が持つ、国の大きな息のかかった企業であり、エールフランスも他者と経営統合して、持株会社を作りましたが、未だ、主導権は、政府が握っています。

 国が守ってくれるからこそ、思い切り、反抗の旗をあげることができる、この悪循環。

 マクロン大統領は、これまでの大統領経験者が受け取ってきた特別年金を辞退して、全国民を対象に提案する新たなルールに自ら従うと表明したものの国民の納得は得られていません。

 フランス人の現行の年金制度への執着は、恐ろしく強いのです。

 私の周りでも、年金に強い関心を持っている人が多く、身近なところでは、主人は、毎年送られてくる年金のポイントの通知を後生大事に眺め、職場の年配の同僚などは、暇さえあれば、年金の計算をして、何かと話題にしています。

 そんな同僚をよそ目に見ながら、「年金は、計算しても変わらないから、今、働けよ!仕事中だろ!」と私は、心の中でひっそりと思っているのです。

 一番、驚いたのは、娘が初めてアルバイトを始めた時に、「年金のポイントに加算される!」と嬉しそうに年金のポイント確保を始めたことでした。「娘よ!お前もか!」と思った衝撃的な出来事でした。

 恋愛を楽しみ、バカンスをゆったりと過ごし、一見、かなり進歩的なイメージのフランス人ではありますが、実のところは、かなり保守的で変化を好まない人たちなのです。

 強いのは、年金に対する執念だけでなく、実のところは、権利を主張するという執念と熱量なのかもしれません。

 

















2020年1月9日木曜日

カルロス・ゴーン会見に見るフランス人流の自己主張の仕方

                                             「カルロス ゴーン」の画像検索結果



 年末の、映画のような、派手な日本からの逃走劇から、年明け、仕事始め早々の機をてらったカルロスゴーンの記者会見を見て、日頃の私の周りのフランス人流の言い訳の仕方をいくつもを連想しました。

 身振り手振りを交えながら、ひたすらに自分の非は、一切、認めないどころか、自分を優れた経営者であることを繰り返し、印象付けながら、自分の言いたいことをひたすら訴えるのです。

 それは、規模もレベルも違いますが、私の日常に度々、遭遇する、自分の非は、おかまいなしに、ひたすら自分の言いたいことを言うフランス人と、基本的な論法は、変わらないなと思ったのです。

 自分の言いたいことをひたすらに言う勢いと熱量で、話がいつの間にか入れ替わって、結果、自分の言いたいことで結論づけて、納得させられそうになってしまうのです。

 その上、彼は、記者会見では、英語を軸として、レバノン、イギリス、アメリカ、ブラジル、フランスと、それぞれの国の記者からは、その母国語で、質問を受け答えし、その間の通訳は、入らないので、アラビア語、英語、フランス語、ポルトガル語が全部、わからない人には、一瞬、煙に巻かれたような感じになります。

 事の真実は、わからないけれど、これだけの言語を難なく使い分けて、どんどん会見を進めていくのは、やはり、さすがと思わざるを得ません。

 これをわざと英語一本に絞らなかったことも、彼の作戦なのだと思います。

 日本の記者会見のように、司会者を置いたりはせずに、自分主導で記者会見を進めて、自分のペースに引き込んで行くのです。もちろん、用意した原稿はあるのでしょうが、日本人のようにそれをただ、読み上げるような熱量とは、まるで違います。

 私は、英語とフランス語しか、わからないので、その他の言語での質問に関しては、わからなかったけれど、やはり、フランス語での応答は、彼自身の話のリズムも良く、記者の質問に対しての答えの間の取り方なども絶妙でした。

 特に、フランス人記者からの「フランス政府に何か期待することは?」という質問に際して、間髪入れずに、「全くありません。」と言い切った返しは、あまりに小気味よく、お見事!と思いました。

 答えたくない質問に対しては、今日は、日本からなぜ逃げたかだけを話しているので、その他のことには、答えません、と逃げるのです。

 自分が日本の司法機関、拘置所でどんなに酷い目にあったかを、切々と訴えるわりには、ベルサイユ宮殿のパーティーの言い訳などは、日産やルノーの人間が参加していないことにも、招待者側なのだから、いなくてもおかしくない、などという意外とお粗末な言い訳なのも、なんだか、日頃、私が耳にするフランス人の言い訳のお粗末さに近いものを感じてしまいました。

 つまり、スピーチの熱量のわりには、中身がないのです。

 しかし、フランス、レバノン、ブラジル以外の記者は、全て英語で質問している中、「テレビ東京の〇〇です。」といきなり、日本語で自己紹介を始めた日本人記者には、呆れました。さすがに、これは、ないでしょ!と思いました。ゴーン氏も苦笑しながら、「英語じゃなきゃ、答えないよ!」と言っていましたが、これだから、舐められるのです。

 日本のマスコミの多くは、この記者会見から排除されたと聞きましたが、せっかく入れてもらえた記者がこんな具合なのには、とても残念です。

 本当なら、日本人の記者が一番、熱量のある質問を投げかける場面であるのに・・。こういう場面は、日本人の苦手とするところなのかもしれませんが、国際的なこんな場面に負けずに切り込んでいける人がいてくれたらと思います。

 これから、ゴーン氏は、どうなっていくのかは、わかりませんが、彼が、そんなに優れた経営者なら、なんなら、フランスに来て、RATP(パリ交通公団)やSNCF(フランス国鉄)をなんとかしてくれないかと思うのです。www

 

















 

2020年1月8日水曜日

空港の荷物検査 異常につまらないことにこだわるわりには結構杜撰




 カルロス・ゴーンの一件で、再注目された、空港の荷物検査。

 他国への旅行の場合は、荷物も大して多くないので、ロストバゲージ以外は、ほぼほぼ、問題は、ないのですが、日本から帰ってくるときだけは、それこそ死活問題とも言えるほどの大荷物なので、私にとっては、スーツケース一つあたり、23キロの荷物を娘と二人で、2個ずつをどれだけ、ギリギリに詰め込むかで、帰国前日から当日にかけては、大わらわになります。

 だいたい、荷造りの時点で、家で計量するのですが、それが、家での計量どおりかどうか、ヒヤヒヤものなのです。

 チェックインを担当してくれるスタッフによって、やたらと厳しい人と、そうでない人がいるのですが、厳しい人にあたると、ほんのわずかなオーバーも許されず、その場で、手荷物の方に少し、移してくださいなどと言われ、仕方なく、チェックインカウンターの前で、荷物を開けて、手荷物に移すという無様なことになるのです。

 最近は、スーツケースをチェックインする前の、X線検査に当たることは、あまりないのですが、以前は、X線検査で、ライターが入っているのを出してくださいとか、子供用の小さな手持ち花火を出してくださいとか、言われて、どうにかやっと、荷物を収めたスーツケースを開けて、荷物をかきまわして、中から探し出して、没収されたりと、えらい面倒なこともありました。

 おかしなことに、電気屋さんのオマケでもらった花火を取り上げられた娘は、悲しそうな顔をするでなく、私の方が、何もそんな子供の花火なんて、取り上げなくても・・と、残念がったくらいでした。

 しかし、帰ってきてみると、もう一つの花火が、娘の手荷物の小さなバッグの方に入っており、こちらの方は、見過ごされて、(私も知らなかったので、帰ってきて、びっくりでした)ちゃっかり、娘は、「もう一つあるから、一つ取られても良かった・・」と、にっこりしており、つまらないことに異常にうるさいわりには、あっさり、見過ごされているものも結構あるものだと思いました。

 フランスに入国の際は、日本からの直行便は、ほとんどノーチェックなのですが、たった一度だけ、止められて、荷物を開けるように言われたことがありました。

 それは、父が亡くなって、葬儀のために帰国した際のことで、帰りの飛行機の中でも、私は、泣いては、寝て、また、泣いて・・という感じだったので、パリに着いた時には、疲れ果てており、きっと、様子が普通ではなかったのでしょう。

 私は、その時に、試験のために、葬儀には、参加できなかった娘に頼まれて、父の遺骨のかけらを小さなフィルムの入れ物に入れて持っており、「これは、何だ?」と言われて、涙ながらに検査官に、「それは、父の遺骨のかけらだ!」と説明したのです。

 その時は、それ以外にも、細かく、持ち物を、もらった物まで、これは、どこで買ったかとか、いくらぐらいするものかとか、問い詰められて、やましいものは、何も持っていないのに・・・と、とても悔しい思いをしました。

 挙げ句の果てに、自分たちがもう帰りたい時間になったのか?(日本からの直行便は、仏、現地時間の夕刻に到着)「今日は、もういいから・・」と、私がスーツケースをしまい終わらないうちに、自分たちは、さっさと帰ってしまう始末。

 空港の税関や荷物検査場は、とかく、いい加減で、弱い人間には、強く出る、極めて横暴で、そのわりには、いい加減な、嫌な印象ばかりです。

 今回のゴーン氏の一件で、また、弱い立場の私たちの荷物検査が、異様に厳しくならないことを祈るばかりです。







2020年1月7日火曜日

フランスの学校の集合写真




 フランスの学校では、毎年毎年、カメラマンが学校に来て、一人一人の個人の写真とクラスの集合写真を撮ってくれます。

 撮影後は、しばらくすると、印刷された写真を子供が持って帰ってきて、希望者は、必要な分だけ、買い取ります。

 個人の写真は、証明写真用のサイズのものや、カレンダーになっているものなどがあり、フランスらしくない、商売っ気たっぷりのサービスでしたが、毎年、プロのカメラマンの撮った写真を娘の成長として、日本の両親に送ったりもしていました。

 個人の写真は、当然、一人一人、カメラマンの注文に合わせて撮るらしく、娘は、持って帰ってきた写真を見せながら、ちょっと微妙な日本語で、「この微笑みが、むずかしかった・・・。」などと言ったりするのを楽しんでいました。

 クラスの集合写真では、もちろん、制服などがないので、皆、バラバラの服装なのは当たり前なのですが、写真撮影というのに、まるで、お構いなしの、普段どおりの飾らない服装で、かなり、ラフな感じです。

 私などは、まず、自分の娘がどんな顔をして写っているのかを確かめた後は、今年のクラスには、ハンサムな男の子、可愛い女の子がいるかな?と思って眺めます。

 小学校、中学、高校と12年間にわたって、彼女のクラスには、びっくりするくらい、ハンサムな男の子がいなかったのは、ちょっと残念な気さえしたものです。

 ところが、そんな私に反して、娘がまだ、小学校の低学年の頃、フランス人の主人が、クラスの集合写真を見て、娘に対して怒ったことがありました。

 主人は、「こんなに目立たない写り方をして、もっと、自分を前に前に、出して行かなきゃダメじゃないか!!こんなことでは、世の中、渡って行けない!」と言うのです。

 娘は、半べそをかきながら、「だって、私が前に出すぎたら、後ろにいる子が見えなくなっちゃうと思ったから・・。」と自分の写真の写り方を説明していたのを聞いて、私は、優しい子だな・・と思ったのですが、フランス人の主人には、納得が行かなかったようです。

 確かに、娘の成績表には、いつも、討論などの場において、もっと積極性が欲しい・・などと書かれていたので、たしかに、前へ前へ・・と出て行くタイプではないと思っていたのです。

 そんなところは、どちらかといえば、日本人である私の血を引いているのではと思っていましたが、それも個性だし、私は、それで良いと思っていました。
 日本であるならば、あまり、人を差し置いて、前へ出て行くのは、美徳としないという、私が無意識のうちに持っている、私の中の日本人の美意識のようなものが娘に伝わってしまっていたのかもしれません。

 たしかに、フランス人は、前へ前へと出て、話したがる人が多く、みんながいっせいに同時に話していたりすることもあるので、そんなフランス人の中では、一歩下がっていては、ダメなのかもしれません。

 主人は、そんな娘の様子を心配して、一時、学校内の演劇の授業に参加させたりしていましたが、それは、演劇自体を学ぶということよりも、人前で堂々と話すということを身につけさせるためだったようです。

 上手に話すことを身につけるために、演劇部に参加させることは、フランスではよくあることで、歴代の政治家なども、学生時代に演劇部に入っていたという人も少なくありません。

 たしかに、フランスの政治家は、日本の政治家と比べて、話すことがとても上手だと思うのです。日本の政治家のように、用意された答弁を恥ずかしげもなく、公衆の面前で、読み上げるような演説をフランスでは、見ることはありません。

 奇しくも、先日、ミシュランで三つ星を獲得した日本人シェフの小林圭さんは、AFPのインタビューに、こう答えています。
「日本人は、大抵、とても無口だ。だが、そんな風では、フランスでは、生き残れない。」と。

 もう成人している娘は、未だに口数は多い方ではありませんが、しかし、言いたいことは、はっきり、有無を言わせずに、きっぱりと言うようになったので、フランスでも、たくましく、生き延びております。

 今はもう、あの、集合写真でパパに怒られていた彼女では、ないのです。










 

2020年1月6日月曜日

ガレット・デ・ロワ ーフランスの新年の風物詩ー




 フランスでは、1月6日は、クリスマスから、年末年始と食べ続ける行事のとどめをさす、ガレット・デ・ロワ(galette des rois)(王様のパイ)というアーモンドペーストの入ったパイを食べる日で、もともと、キリスト教の公現祭に基づいたもので、年明けのフランスの風物詩でもあります。

 シードルやシャンパンなどともよく合います。

 最近は、いささかフライング気味で、スーパーなどでは、クリスマス前から売られたりしていて、売られているのを見つけてしまうと、ついつい手が出てしまったりもするのです。

 もともと、私は、それほど、甘党というわけではないのですが、ねっとりとしたクリームなどを使っておらず、サクッとしたパイ生地と、甘すぎないアーモンドペーストとの相性もよく、非常に食べやすいお菓子です。
 オーブンで軽く温め直すと、ふんわり、サクッとして、いっそう美味しく頂けます。

 また、多少、フライングすることはあるとはいえ、一年で、この時期にしか売っていないので、せいぜい一ヶ月弱の間しか買えないとなると、ガレット・デ・ロワが登場した時には、「おっ!!今年も出てきた!!」という季節感と、今の時期だけしか食べられないという、「今だけ!今だけ!」という、希少価値を高めるような気分が巻き起こり、結果、毎年、欠かさずに食べるお菓子です。

 ガレット・デ・ロワは、その名のとおり、王冠がパイに付いてきて、中に隠されたフェーブと呼ばれる陶製の小さな人形が一つだけ入っていて、切り分けて食べた時に、そのフェーブが当たった人が王冠を被り、その一年は、幸運に恵まれるという軽いお遊びを楽しめるようになっているのです。

 我が家もこれまで、一体、いくつのガレット・デ・ロワを食べてきたことか、そのまま放って捨ててしまったものもあるだろうに、なんとなくテレビの前に置かれ続けたフェーブの数だけでも、間違いなく、一年に一個のペースではなかったことがわかります。



 娘も小さい頃は、本気で真剣勝負のように、フェーブ獲得に挑み、大人気なくもまた、張り合って、フェーブの取り合いをする主人に、まんまと取られて、泣き出す娘を悟しながら、同時に、主人を睨めつけつつ、見つけたフェーブをもう一度、パイの中にもどして、娘の頭に王冠を被せたりしたこともありました。

 我が家においても、娘がまだ、サンタクロースを信じ、ガレット・デ・ロワのフェーブを涙を流して欲しがっていた頃の家族の微笑ましい一場面でもあり、誰もがそんな家族の思い出を蘇らせるのか、大人になっても、ガレットを目の前にすると、一瞬、無邪気なワクワクしたような笑顔を隠しきれなくなります。

 以下の映像は、マクロン大統領が大きなガレットを前にして、隠しきれない嬉しそうな少年のような笑顔でガレット・デ・ロワを切り分ける映像です。

https://www.youtube.com/watch?v=aqSFYjaiXNw

 きっと、フランス人にとっては、子供の頃のそんな思い出をガレットとともに蘇らせ、笑顔にさせる不思議なパイなのです。

 今では、フェーブの取り合いにこそならないまでも、見つけかけたフェーブをなぜか、最後の一切れに残しておくのが、我が家の妙な習慣になっています。

 私にとっては、一月中には、職場で、何度となく、誰かしらが差し入れてくれて、シャンパンを飲みながら食べる習慣のせいで、ガレット→シャンパンが連想され、ガレットを見ると同時にシャンパンの味が思い浮かびます。

 ちなみに、今年のフェーブは、Le Petit Prince (星の王子様)でした。



 

 
 













2020年1月5日日曜日

フランスの美容院は、大雑把で雑・・




 ここ数年は、日本に行く用事が多く、年に2〜3回は、日本に行っているので、美容院は、日本へ帰国時に行くことにしています。

 しばらく、日本へ行けなかった時期もあったので、その間は、ずっと、パリの家の近所の美容院へ行っていたのですが、ひとたび、日本の美容院の心地よさを思い出してしまえば、なるべく、パリの美容院には、行きたくないと思ってしまうのです。

 日本の美容院は、私の帰国時の至福の時間でもあります。座り心地の良い椅子に、頭皮や手のマッサージまでしてくれて、帰国して、長いフライト疲れの私は、ついつい眠ってしまいそうになるくらいです。

 それに比べて、パリの美容院は、自分の好みのヘアスタイルやカラーリングなどのニュアンスを理解してもらえることは稀で、また、趣味もあるので、きっと、感覚が共有できる美容師さんに出会えれば、違うのかもしれませんが、長いことパリにいて、未だに出会えていません。

 超高級なサロンなどに行けば別なのかもしれませんが、一般的なフランスの美容院は、概して、大雑把で雑です。

 雑なだけあって、仕上がりもびっくりするくらい早いのですが、日本のような、何度も細かくブロッキングして、少しずつ切っては、とかしてを繰り返し・・というような、丁寧で繊細なカットではなく、その場は、ブローまでしてもらって、一応、なんとか、格好はつくのですが、少しでも、髪が伸びてくるとすぐに乱れてしまうという、なんとも、不満足な結果になるのです。

 それは、フランス人との髪質の違いもあるのかもしれません。

 以前、イギリスに留学していた頃に、ロンドンにある、ヴィダル・サッスーンの学校に通っている日本からの美容師の留学生に会ったことがあるのです。日本からは、当時、ひとクラス4名以内と人数制限があるほど、人気の学校でした。

 彼が言うには、ヨーロッパの人の髪質は、日本人の髪に比べて、ずっと扱いやすく、また、型もつけやすいので、なんとなく、カッコ良く、出来てしまう。

 サッスーンで学んで、ひとしきり簡単にできるような気になっても、実際に日本へ帰って、日本人の髪を扱うようになると、日本人の髪はずっと手がかかり、型もつけにくいので、逆に日本に帰ってから挫折してしまう人もいるとか・・。

 きっと、フランスの美容院も、髪質などというものは、あまり、考慮に入れずに切ってくれてしまうので、なかなか、満足できる仕上がりにはならないのかもしれません。

 そのくせ、そこそこの値段をとるのです。その上、やたらとトリートメントしましょうかとか、スプレーしましょうかとか、上乗せ料金になるサービスを進め、こっちにしてみれば、「早いのだけが取り柄なんだから、余計なことは、してくれなくて良い!」と思うのであります。

 そんな風だから、いつも日本行きのチケットをとったら、すぐに、日本の美容院の予約をとるのです。

 ああ、早く、日本の美容院に行きたいです。










2020年1月4日土曜日

お国柄が現れるフランスの中華料理




 世界中、どこへ行ってもあると思われるチャイニーズレストラン。類にもれず、フランスにもチャイニーズのお店は、山ほどあります。

 多分、一番多いのは、気軽に食べることができて、テイクアウトもできる中華とベトナム、タイ料理などのアジア系の料理がミックスされたようなお店です。最近は、その中に日本食と思われるものも混ざっていて、エビフライをTEMPURAなどという名前で売っていたりします。

 フランスで、共通する一般的なチャーハン(Riz Cantonais / リ・カントネ)は、なぜか、味の素が大量に使われた、炒り卵とハムとグリンピースを入れて炒めてある、全体的に白いイメージのボヤッとした味のチャーハンで、パエリアと並んで、冷凍食品として売られていたり、学校の給食にまで登場するので、フランス人には、人気のメニューなのだと思われますが、はっきり言って、あまりおススメではありません。

 私は、普段、出不精なので、あまり、外食はしないのですが、中華料理だけは、中華街に買い物に行くついでに、食事に行くことも多いのです。
 何より、中華料理は、家庭の調理器の火力では、できない強火でサッと調理された野菜の炒めものなどが食べたいからです。

 私がよく行く中華料理のレストランは、値段もお手頃で、頃合いを見計らって行かないと並ばないと入れない、中国人シェフが腕を振るう人気のお店で、中国人のお客さんが多い中、フランス人のお客さんも結構いて、入れ替わるお客さんや、お料理のオーダーや配膳の人が慌ただしく行き交う中、ロゼのワインなどを飲みながら、悠々と食事をしています。

 フランス人が中華のレストランで必ずと言っていいくらい注文しているのは、鴨料理(Canard laqué / カナール・ラッケ)(うっすら甘い五香粉の香りのするソースをつけながらじっくり焼かれた鴨)なのです。

 うちの主人なども、中華料理に行けば、必ず、カナール・ラッケを食べます。

 皮がパリッと焼けていて、五香粉の香りと、鴨のしっとりとした、それでいてなかなか食べ応えのある肉がフランス人には、人気なのでしょう。もともと、鴨は、フランス料理でも、マグレ・ド・カナールなどでも親しまれている料理でもあり、フランス人の味覚には、合うのかもしれません。

 中華料理を食べに行っても、取り敢えず、フランス料理にも近いメニューを選ぶところも、フランス人らしさを感じ、同時に、フランス人の味覚は、かなり保守的なのだなあと思わされます。

 そう考えてみると、カナールラッケは、デコレーション等を変えて盛りつければ、ヌーベルキュイジーヌとして、フレンチにも出てきそうな気さえします。

 そして、私には、もう一つ、中華料理を食べるフランス人に関して、不思議に思っていることがあります。
 
 中華料理といえば、ある程度以上の人数で食事に行けば、みんなで小皿に取り分けて、分け合って食べるイメージがあるのですが、フランス人は、みんなで分け合って食べたりせずに、一人一人が注文して、それぞれが、自分の注文したものを別々に食べるのです。

 自分の食べたいものを自分が注文して、自分のものを自分で食べる。

 中華料理の食べ方にもフランス人の気質が見えるような気がするのです。