2020年5月20日水曜日

フランスのコロナウィルスの流行は、いつから始まっていたのか?




 フランスでの感染爆発の感染源の一つとなったのは、グランエスト(フランス北東部の地方)ミュールーズにある教会での、今年の2月中旬に、一週間にわたる全国から大勢の信者の集まる集会であったことがわかっていますが、(そこから感染が広がり、いよいよフランス中が危機的状況に陥ったのが、それから約一ヶ月後の3月中旬のことです。)ここのところ、そもそも、最初の感染は、いつから始まっていたのか? ということをフランス中の医師たちが突き止めようとする動きが見られています。

 2週間ほど前だったでしょうか? 2月の中旬のグランエストでの集会よりも、かなり早い段階、昨年の12月27日の段階で、原因不明とされていた患者が、実は、コロナウィルスに感染していたことが、発覚しました。

 その患者が感染して、症状を発症していた段階では、コロナウィルスの症状も具体的に知れ渡っておらず、病名がつけられていなかったのです。幸いにも、その患者さんが回復して、かなり経って、コロナウィルスが全国に蔓延した後に、担当していた医師が、もしかしたら、あの患者は、コロナウィルスに感染していたのではないかと、この患者のPCRサンプルを再分析したところ、実は、コロナウィルスに感染していたことがわかったのです。

 その男性の感染経路を調べると、彼の行動範囲には、感染経路は、見つからず、どうやら、その男性の妻が空港近くのスーパーマーケットで働いており、旅行用のキャリーバッグを転がしながらやってきた旅行者を応対した経過があり、彼の妻が最初に感染していたことが突き止められています。

 ところが、フランス・フィガロ紙によれば、ここにきて、多くの医師たちが、昨年の10月まで遡って、病院で対応した患者のレントゲン写真をはじめとする詳細なデータの再確認を始めたところ、コロナウィルスの流行が中国でさえ確認されていなかった、昨年の11月16日以前のデータにコロナウィルスと見られる症例が2件、確認されたことが、発表されています。

 2019年11月16日からのコロナウィルスの2つのケースから、その後1月16日の段階での12人への感染を特定し、それは、 2020年に入ってからの、本格的なフランスでの流行の段階まで続いていると、コルマール病院の医用画像部門の責任者であるミシェルシュミット博士は、プレスリリースで詳しく述べています。

 今後、これらの研究は、臨床的、生物学的歴史や、どのような人、どのような場合に感染したのか、しなかったのか、感染は、どういう経路を取りやすいのか?などなど、今後の感染予防環境とライフスタイル、可能な旅行などの方法を再構築することに大変、有効な研究と見られています。

 コロナウィルスの感染の経緯や状況を遡って研究することで、今後、しばらくは、続くと思われるコロナウィルスとの共存する生活への新しいアプローチの試みが始まっています。


 

 

2020年5月19日火曜日

コロナウィルス・ロックダウン生活と海外生活 




 フランスで続いたロックダウンは、2ヶ月近く続きました。これから気候が良くなっていく時期に、急に監禁生活が始まって、コロナウィルス感染の恐怖もあり、日々、変わっていくフランス国内や、世界の状況に、ハラハラしながらも、淡々と家の中での生活を送ってきました。

 日頃から、私は、どちらかというと家にいるのが好きな方なので、娘がまだ、小さい頃などは、学校やお稽古事の送り迎えや仕事が忙しくて、一日でいいから、どこにも出かけずに、家にいたいと、よく思ったものでした。

 一週間前に、ロックダウンは、一応、解除されましたが、結局、ロックダウン中の外出は、2回、買い物に出かけただけで、ほぼ、ずっと、家の中で過ごしました。

 長いこと、連絡を取れていなかった友人とも、今なら、お互いに、絶対に家にいる!と、連絡が取れて、久しぶりに話をしたり、思わぬ人との繋がりを再確認できたりもしました。

 インターネットが繋がらなくなった二日間は、さすがに、一瞬、少し、不安になりましたが、それ以外は、規則正しい生活を心がけ、買い物にもできるだけ出かけたくなかったので、この際、家の中にあって、忘れ去られていた食材の整理をして、こんなことでもなければ、そのまま忘れ去られていたかもしれない食材を、多少の賞味期限切れには、目をつぶって、救済しました。そんなことにも不思議な達成感があるものです。

 そして、同時に、ベランダで種まきをして、日本の野菜を毎日、少しずつ育ててきました。天気がよかったこともあり、まさに太陽の恵みで、野菜は、スクスク育っていきました。水菜、春菊、小松菜、小かぶ、紫蘇、三つ葉、スナックえんどう、きゅうり、にら、小ねぎなどなど、狭いベランダに所狭しと置かれたプランターや鉢が、今は青々と広がっています。


狭いベランダにごちゃごちゃに置いてある野菜の鉢

 植物が芽を出して、少しずつ育っていく様子は楽しくもあり、美味しくもあります。限られた食材でなんとか工夫してお料理をするのも、贅沢な食材を買い集めてするお料理とは別な楽しみがあります。春菊がやたらに採れるので、おひたしにしたり、天ぷらにしたり、ネットで春菊を使うお料理を探したら、春菊のチヂミなるものが出てきて、それを作ってみたり、餃子を作りたくて、ニラを植えたのに、なかなか育たないので、待ちきれずにニラの代わりにネギとニンニクを多めに使って、餃子を作ってみたり、(餃子の皮も自分で作る)贅沢なものに満たされ過ぎずに、なんとか自分で工夫して、自分なりのものを作り出す喜びは、なかなかなものです。採れた野菜をなんとか使って美味しいものを作り出すのが、楽しいのです。




採れた三つ葉を使いたいがために作ったカツ丼と水菜のお漬物

 考えてみれば、海外生活を始めてから、これに近いウォーミングアップのようなことを私は続けてきたのではないかと、次第に思うようになりました。日本から、たくさんの食材を持ってきている私が言えることではありませんが、それでも、日本から持ってこれる食材にも限度があり、こちらで手に入る食材にも限りがあります。ですから、その限られた、なんとか手に入る食材で、なんとか工夫して、日本食、あるいは、自分の感で、これは、代用できるものかもしれないとか、こうしたら、美味しいものができるかもしれないと自分でアレンジした、名前のないお料理を作り続けてきたのです。
 
シソを使いたくて作った名前のない鶏肉料理

春菊のチヂミ

 こちらでは、手に入りにくい日本の野菜をタネから育て始めたのも、海外生活を始めてからです。これまでは、忙しさに紛れて、それを、あまり楽しいと感じる余裕がありませんでしたが、今回のように、閉ざされた環境になると、何でも簡単に手に入る便利な生活とは、また別の意味で、自分で作り出す喜びは、自分の内側を満たしてくれる感じがするのです。それだけ、歳を取ったと言うことかもしれません。

 また、会いたい人に会えないのも、海外にいれば、日本にいる友人や家族に会えないのは、日常です。海外生活は、ある意味、自分の祖国である日本には、そうそう行けるものでもなく、ロックダウンされた状況とも少し似ているかもしれません。

 未だ、いくつかの規制はあるものの、ロックダウンは、解除されましたが、やはり、まだまだ、一日中、救急車やパトカーのサイレンが聞こえ続ける状況に、やはり、やみくもに外に出るのは、怖くて、私は、ロックダウン中とほぼ変わらない生活を続けています。

 不自由ではあるけれど、新たに再確認した楽しみや喜びは、私にとっては、今まで続けてきた海外生活の経験が土台となっており、これからも、しばらく続いていくと思っています。


<関連記事>「便利な生活がもたらすもの フランスへの修行ツアーのススメ」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/10/blog-post_17.html

2020年5月18日月曜日

ロックダウン解除後、フランス国内 100キロ以上移動して帰ってきた娘



 学業のために、親元を離れて、シェアハウスで一人暮らしをしていた娘が、2年間のエコールでの生活を終えて、自宅に帰ってくることになりました。あと、最低でも1年間は、学生生活が続くのですが、ここから先、一年間は、実際には、海外へのスタージュ(インターンシップ)や、留学の予定になっているために、コロナウィルスとは、関係なしに、シェアハウスは、引き上げてくることになっており、そのタイミングを見計らっていました。

 シェアハウスの契約が学校の授業と試験が終了する5月の半ばまでにしていたため、どちらにしても、その前には、帰って来なければならない状況でしたが、最初にロックダウンになることが決まった段階で(3月半ば)、すぐにパリに帰ってくるという選択もあったのですが、どちらにしても、学校の授業は、リモートに切り替わりましたが、その時点では、ロックダウンがいつまで続くかも不明でしたし、ウィルスが蔓延する中、公共交通機関を利用して、感染が一番、蔓延しているパリに戻ってくる危険を侵す必要もなく、そのままシェアハウスに留まることにしていたのです。

 それから約2ヶ月間は、結局、彼女は、パリに戻ってくることはなく、2月の末に冬休みの際にパリに帰ってきた段階では、ロックダウンになるなどとは、夢にも思っておらず、5月までの間に2回くらい帰ってくるから、その都度、荷物は、少しずつ運ぶことにするつもりでいました。

 ところが、コロナウィルスの蔓延で、事態は、急変し、結局、その間に帰って来れないことになってしまったので、少しずつ持って帰ってくるはずの荷物は、結局、最後に引き上げる時点では、持ち切れないハメになり、送ることになってしまったのです。

 結局、彼女が帰ってくる一週間ほど前に、ロックダウンが解除になりましたが、それでも、原則として、100キロ以上の移動は、禁止の状態で、仕事、家族の介護等の特別な事情以外は、今のところ、認められていません。

 引越しは、認められるかハッキリわからないまま、一応、移動証明書をダウンロードして、彼女は、シェアハウスの仲間に送ってもらって、駅に向かったのです。その時点では、「いざとなったら、病気の母が・・」と言い訳をしようか?・・などと話していました。

 しかし、出発地点の駅には、改札以外は特別なチェックはなく、TGV(フランスの新幹線)に早めに乗りこんで、席について、ホッとすると、間もなく、彼女は、自分が買っていたチケットとは、違う電車に間違って乗ってしまったことに気づきましたが、時はすでに遅しで、電車は、発車した後でした。その上、ダウンロードしたはずの証明書がちゃんとチャージされておらず、青ざめて、慌てて、電車の中で、証明書を手書きしたようです。

 TGVの車内は、30%くらいの乗車率で、出発前に、全車両、消毒済みというアナウンスがあったとか・・皆、マスクをしていたし、あまり人も乗っていなかったので、緊張が緩んで、なんと、TGVの中ではすっかり寝入ってしまったというのですから、驚きです。

 朝、早くから荷造りや、部屋の片付けで疲れていたのはわかりますが、私だったら、危険な移動・・きっと、緊張してピリピリして、車内で寝入ってしまうことなど考えられないことです。とはいえ、パリまでは、直行の電車だったからか? 車内の人の移動を抑えるためか? 車内での検札もなく、無事に、パリ・モンパルナス駅に到着したのでした。

 しかし、パリのモンパルナス駅では、改札の前には、多くの警察官のバリアができており、パリ市内には、チェックなしに入ることはできない状態になっていました。

 彼女は、余計なことは、言わないようにしようと心に決め、自分で手書きした証明書とアパートの期限が終了した契約書を見せると、めんどくさそうに書類を一瞥し、難なく警察のチェックを突破して、無事に帰宅したのでした。

 しかし、たとえ、警察のチェックに引っかかったとしても、また、現地に戻されるわけでもなく、罰金を払えば済むわけで、なんか、腑に落ちない話です。それならば、罰金は、パリへの入場料のようなもので、正当な理由がなくとも移動できることになってしまっているわけです。

 本来、感染拡大防止を目的とするならば、長距離移動をする出発地でのチェックを強化して、正当な移動でない場合は、そこで、引き返させるのが妥当だと思うのです。

 まあ、現在のところは、ロックダウンが解除になって、間もないことで、バカンスの時期ともズレているので、それなりの理由がない場合は、長距離移動をする人もあまりいないと思うので、問題にならないのかもしれませんが、それにしても、今は、ただでさえ、人手の足りない警戒対策の人員の配置の仕方がどこか、的外れな感が拭いきれません。

 しかし、初めて親元を離れて暮らした彼女のシェアハウス生活も、最後に、色々と現地を見て歩こうと思っていたのに、最後の2ヶ月は、まさかのロックダウン生活。呆気ない最後になりました。

 しかし、初めての一人暮らしがどうなるかと心配していましたが、シェアハウスでは、まさかの寮長のような存在になり、親しい友人もでき、自分の希望していた専攻のエコールで学び、いくつかのアルバイトも経験し、あっという間の2年間でした。

 本来は、6月からは、イギリスの大学でのインターシップが決まっていて、ロンドンに行くことになっていましたが、幸い、キャンセルにはなりませんでしたが、当面は、リモートでの仕事ということになったようで、実際にロンドンへ行けるかどうかは、今のところは、不明です。

 それでも、ひとまず、無事に帰ってきてくれて、ホッとしていますが、寮長のように、しっかりと生活を送っていた娘は、家に帰ってくると、寮長の面影は微塵もなく、また、以前、家で暮らしていた時のようにすっかり戻ってしまっていることを微妙な気持ちで眺めています。


<関連>「フランスのシェアハウスで、いつの間にか寮長のようになっていた娘」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_64.html
 

 

2020年5月17日日曜日

ロックダウン解除後、最初の週末・さっそく、黄色いベスト運動が再開


     Un passant portant un masque aux couleurs des Gilets jaunes à côté de membres des forces de l'ordre, ce samedi à Nantes.

 ロックダウン解除後の最初の週末を迎えたフランス。気候の良いシーズンでもあり、これまで2ヶ月間にわたって閉ざされていた店舗やビーチも次々と再開され、人混みのできる人出が心配されていました。

 政府は、未だ、コロナウィルスの感染は蔓延しており、多くの人が集中治療室で治療を受けている状態なのだから、皆が感染の危険が高いことを繰り返し、注意喚起の報道を流す一方で、パリから100 km以内(現在のところは、100 km以上の移動は禁止されています)で行ける場所・・などという報道や、各地のビーチの風景などが流され、国民の外出を煽っているのではないかと感じるところもあります。

 実際に、サン・マロ(ブルターニュ地方)などのビーチは、監視下とはいえ、結構な人出でした。

 ところが、実際には、ロックダウンから解放された人がショッピングや観光などで街やビーチを出歩く以上に警戒すべき事態が起きています。

 昨年から、続いていた黄色いベスト運動の団体が、政府に抗議するために、フランス各地、ストラスブール、モンペリエ、ナント、ボルドーで集結し始めまたのです。

 現在は、コロナウィルス感染下による制約により、10人以上の集まりが禁止されているため、本来ならば、デモは不可能です。しかし、今回の抗議は、まずは、デモ禁止に抗議するデモという妙な構図になっています。

 ボルドーでは、約50人がデモに参加し、ナント、トゥールーズでは、市内中心部で散らばった小さな集まりが開かれ、警察部隊との衝突が起こりました。

 モンペリエでは、さらに大人数の約350名の黄色いベストが集結し、警察に取り囲まれ、負傷者も出て、救急車まで出動する騒ぎとなり、その場で7名が逮捕され、リヨンでは、ローヌ川のほとりに約300名が集結、大多数は、マスクを着用していたものの、社会的距離を取ることは、困難な状況で、警察、憲兵隊が出動しました。

 サン・ナゼール(ロワール・アトランティック)では、約130人がデモの禁止の違反に対して、ほぼ半数が罰金を科されました。

 これまで2ヶ月間のロックダウンの鬱屈と、コロナウィルス以前からの政府に対する反発、コロナウィルスの国の対応等、国民の怒りが雪だるま式に増えた結果の捨身とも思える、フランス各地で同時に起きている現象です。

 先日、病院視察中にマクロン大統領に食ってかかった医療従事者だけでなく、国民全体に不満が高まっていることが、ロックダウン解除とともに溢れ出した結果となっています。国民の怒りは、コロナ以前以上の状態に達していることは、間違いありません。

 ロックダウンを解除後に、感染の第二波が心配される状況で、国民の怒りの爆発が、第二波の心配に追い討ちをかけるような警戒すべき状況を政府は、どのように乗り切れるのか? コロナウィルスの感染をおさめていくとともに、国民の怒りをどうやって鎮めていくことができるのか、さらなる大きな課題が持ち上がりました。















2020年5月16日土曜日

マクロン大統領のパリ病院訪問での医療従事者との衝突・コロナウィルスと戦う医療従事者と大統領の直接対決


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 久しぶりにマクロン大統領のマスク姿を見たと思ったら、金曜日は、パリ13区にある l'hôpital de la Pitié-Salpêtrière (ピティエサルペトリエール病院)を訪問していました。ピティエサルペトリエールは、パリにある国立の、大学(医学部)、研究施設等も併設した大きな病院です。

 この病院視察の最中に、マクロン大統領と病院の医療従事者との間で、まさかの緊迫した衝突が起こりました。それは、二人の看護師との会話から始まりました。

 最初は、看護師から病院の労働条件と、コロナウィルスの危機の真っ只中にある病院の医療物資についての質問から始まりました。「政府が公言したコロナウィルスの第一線で働いている医療従事者に対するボーナス1500ユーロも未だ支払われておらず、スタッフ不足、病床不足、医療物資不足のために、たくさんの救える命が失われた! 医療物資も足りない!私たちが2011年で使用期限の切れたマスクを使用しなければならないのは、なぜですか!?」 話しているうちに、看護師たちも、エスカレートし始め、マスクをしているとはいえ、なかなかなテンションでの言い争いになりました。

 そもそも、フランスの病院では、その労働条件の悪さ等を訴えて、昨年から、度々、あちこちの病院で、ストライキが起こっていたり、退職者が続出したりしていたところが、コロナウィルスの騒ぎで、それを訴える機会を失っていたのです。

 看護師たちは、「私たちが欲しいのは、メダルではない!(政府は、革命記念日に、コロナウィルスと戦ってくれた人を労うメダルの授与したいと発表しています)、実際の労働条件と報酬の改善だ!これまで、あなたが何かを公言するたびに、私たちへの負担は、増すばかり!私たちは、絶望的な状態なのです。もはや、私たちは、あなたを信用していない!」最初は、少人数で始まった口論が、大人数の声になっていきました。

 マクロン大統領は、冷静を保とうと努めていましたが、語気は、荒くなり、「私は貴方がたが持っていたすべての不満、動きを私は見ています。仰っていることについては、物事が十分に速く進んでいないこと、そして私たちがそれに応答しなかったことは、わかっています。ボーナスについては、期日を約束したことがないのでがっかりしたとを言わないでください。」と言い返しました。(約束したんじゃなかったのかよ???もう2花月だろ!?と思いましたが・・)

 ロックダウン解除後の病院視察がとんだ騒ぎを引き起こしてしまいましたが、それでも、マクロン大統領は、余裕を装ってか、帰りの車の中からは、笑顔で手を振っていました。

 この騒動に関して、パリのポンピドゥ病院の救急責任者も、「フランスは、もっと謙虚にフランスの医療体制の現実を見るべきです。何でも、フランスが最高だ!と思うのは、大きな間違いで、今や、フランスは、多くの他の国から学ばなければならない。それは、被害者の数が物語っているではないか?」と語っています。

 愛国心が強く、何でもフランスが一番だと思っているプライドの高いフランスも、コロナウィルスの危機に直面して、現実を見ないわけにはいかない局面に立たされています。



<関連>「フランス人のプライド」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_6.html


 


 


2020年5月15日金曜日

フランス国内の7〜8月のバカンス予約解禁 政府のアクセル加速・コロナウィルス・ロックダウン解除


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 フランス政府のロックダウン解除モードには、国民が戸惑うほどに、アクセルがかかっている感があります。もともと、ロックダウンの解除は、地域ごとに段階的に行うはずだったのが、まさかのレッドゾーンまで含めた全面解除。

 しかし、ロックダウン解除の際は、レッドゾーンには、いくつかの条件がつけられ、レストラン、劇場、映画館、ホテル等の営業は、解禁されず、それ以上の解禁は、6月2日の段階で、感染状況を検討しつつ、追って発表するとしていたはずが、まだ、ロックダウン解除から一週間もたたないうちに、ここ数日、堰を切ったように新たな解禁が発表されています。

 一昨日は、ビーチの解禁が始まったと思ったら、昨日は、7〜8月のバカンス予約(フランス国内のみ・・とはいえ、フランスは、海外にも領土があり、それも含まれています)が解禁され、国民に向けて「7〜8月には、バカンスに行ける!」と発表したのです。

 バカンスのために生きていると言っても過言ではないフランス人にとって、これは、朗報には違いありませんが、感染の不安の残るこの状況でのバカンス解禁に国民は、どう反応するのでしょうか?

 今年の4月に旅行代理店Locatourが実施した調査によると、ロックダウンが解除されたら、フランス人の21%がバカンスに出ると答えており、ほぼ半数が30日以内にバカンスの予約をする予定と発表しています。

 今回のバカンス解禁の際には、「Plan Marshall(マーシャルプラン)」が同時に発表され、これにより、コロナウィルスの影響を大きく受けた観光業部門に180億ユーロが充てられることになりました。この連帯基金は、ホテル、レストラン、観光業の補填に年末まで続けて援助が行われ、ローンのメカニズムも強化されます。

 同時に、グリーンゾーンに関しては、カフェ、レストランが6月2日に再開されることになりました。

 これだけ、バカンスの解禁、観光業の援助に政府が力を入れるのも、単にフランス人がバカンス好きだからだけではありません。フランスは、世界でも有数の観光大国で、観光旅行者数が世界一多い国であり、観光収入は、国の収入の10%以上を占めています。

 それだけの観光収入があるということは、レストラン、ホテルなども含めて、それだけ観光業に携わる人が膨大な数に上るということです。

 現在の状況では、海外からの観光客を望むことはできませんが、観光業を再開することは、国の経済を大きく動かすことでもあるのです。

 とはいえ、こう毎日のように、たたみかけるように、解除モード満開で煽られれば、ただでさえ、2ヶ月間の監禁生活でストレス満載の国民が浮き足立つのは、目に見えています。

 現在、ICUの重症患者が減少傾向にあるのは、ロックダウンの成果であり、ロックダウン解除の結果が出るのは、少なくとも2週間後です。これが杞憂に終われば良いのですが、治療薬もワクチンもない今の段階では、不安は、拭えません。

 それにしても、ここのところ、学校の視察の様子の報道や戦勝記念日のセレモニーなどには、現れたものの、ロックダウンの解除の発表には、マクロン大統領が出てこなかったことを私は、少し疑問に感じています。

 ロックダウンの宣言は、国民に向けて、直接、大統領が発表したのに、なぜ、ロックダウン解除の発表は、彼が行わなかったのか? 日を追う毎の、リスクの高い、かなり大胆な急激な政府の決断に、マクロン大統領が表に出てこないことを、私は、訝しく、不可解に感じているのです。












 

 

 















 

2020年5月14日木曜日

楽観的な政府と悲観的な国民のチグハグな関係 コロナウィルス・フランスのロックダウン解除


Accès à la plage à Soulac sur le littoral Atlantique


 フランスのロックダウンが解除になって、まだ、数日しか経っていないのに、解除が、どんどん進んでいく様子が、伝わってきます。私の携帯にも、いくつものお店から、「再開しました!」とメッセージも来ているし、家の外では、工事が始まったらしく、機械を動かす、ドドドドド〜ッという音が聞こえてきます。

 しかし、工事の音とともに、反対側の窓からは、相変わらず救急車のサイレンが一日に何度も聞こえてくる、微妙な状況なのです。

 街が解放されるにしたがって、ロワールアトランティックのラボールとポルニシェのビーチ、およびヴァンデのサブルドロンヌとイルデューのビーチなどが、条件付きで営業が始まりました。後に続けと、その他の多くのビーチも営業解禁を求める動きが始まっています。

 これから気候が良くなっていき、バカンスシーズンに突入するに当たって、それぞれの地元も必死なのは、わかりますが、2ヶ月間の監禁生活が開けた、数日後にもう、ビーチの解禁とは、少々、面食らいます。

 また、クロロキン(本来は、マラリアの治療薬)を使ってのコロナウィルスの治療に成果をあげて、一躍、ヒーローのような存在になった、マルセイユの大学病院で、感染症専門医として研究を続ける Prof.DIDIER RAOULT(ディディエ・ラウルト教授)が、ロックダウン解除の翌日に、「ウィルスの感染は、じき、収まる」と再度、発表したり、政府も、ますます、楽観的な体制に入り、解除になる前の週から、明るい見通しのアピールのつもりか、マクロン大統領も一切、マスクをしなくなり、7月14日の革命記念日(パリ祭の行われる日)には、コロナウィルスと現場で戦った人に、メダルを捧げて、その貢献に感謝を捧げる、革命記念日は、その労いの場にもしたいと発表しています。

 そんな政府の対応とは裏腹に、13日に行われた世論調査では、国民の68%は、感染拡大の第二波が来ると答えており、もっぱら悲観的な意見が多くを占めています。

 政府がそこまで強気の姿勢でいるのは、ある程度のデータからの科学的な分析に基づいているものであるに違いないと思いつつも、サンマルタン運河での人出に続いて、マスクもせずに、サクレクール寺院の前の階段広場に多くの人が集まったりしているニュースを見ると、どうにも心配な気持ちは、拭いきれないのです。

 この政府の強気な姿勢と国民の悲観的な世論、それでも外に出て、人と集まることをやめないパリジャンのチグハグさが現在のフランスの微妙な状況を物語っています。