2019年12月12日木曜日

フランス人の子供のしつけ





 日本に帰国した際に、ちょうど、その時にアメリカから帰国していた従兄弟家族と娘を連れて、水族館に行ったことがありました。

 その時に、驚いたのは、子供が水族館の中で、騒々しくはしゃぎ回ることでした。そして、一緒についている親たちは、館内で騒ぐ子供たちを野放しにしているのです。

 夏休み中の水族館ですから、子供連れで賑わっているのはわかりますが、その騒々しさが、なんだか、フランスの水族館とは、違うなと思ったのです。

 普段、フランスでの暮らしは、サービスも悪く、感じも悪く、不便なことも多く、ダメダメな国だと思っていましたが、こと、子供のしつけに関しては、悪くはないのかな?と思ったのです。

 フランスでは、子供が公の場で騒ぐという場面は、見たことがありません。
 子供とはいえ、私は、それは、公の場での最低限のマナーだと思うのです。

 それが、家庭の教育であるのか、学校の教育なのかは、わかりませんが、少なくとも、家族連れで出かけている場所でのことですから、家庭の教育の一面なのだと思います。

 フランスでは、レストランなどでも、そのお店のランクにもよりますが、子供連れで行くことが躊躇われるようなお店もありますし、そういうレストランには、夫婦だけで出かけます。

 子連れで出かけられるレストランなどでも、子供が騒げば、レストランの人、あるいは、周りのお客さんから、注意されるでしょうし、それ以前に、親が許しません。

 我が家でも、娘には、めっぽう厳しく、怖いパパが控えているので、娘の方も心得たもので、たまには、親子ゲンカをすることがあっても、駄々をこねたり、公の場で、騒いだりすることはありませんでした。

 私も普段から、あまり、娘に対して、うるさいことは言いませんでしたが、ダメなものはダメ、ということに関しては、決して譲りませんでしたので、こちらが、拍子抜けするほど、あっさりと、娘も、すぐに気持ちを切り替える習慣がついていました。

 例えば、買い物に行って、欲しいものがあって、「これ買って〜!」と娘が言ってきても、私が、ダメ!と言えば、すぐに、「じゃあ、今度、日本に行った時に、買おうか!」
などと返されて、こちらも苦笑してしまいました。

 ある時期、NINTENDO のゲームが大流行した際も、主人も私も、そういったゲームで遊ぶことよりも、他のことをして欲しかったので、娘にどんなにせがまれても、買うことは、ありませんでした。

 すると、娘は、せっせと日本にいる、私の父に、さっさと自分でメールをして、ゲームを買ってもらう約束をとりつけ、(当時は、予約しないと買えないほどでしたので)私たちが帰国するタイミングにしっかりと予約して、日本に着くなり、二人でゲームを買いに出かけたりしていました。

 まあ、たまに会う孫と私に内緒で楽しそうにコトを進める父に免じて、私もその時は、目をつむりましたが、親がきっぱりとダメだと言うことは、ダメなんだと言うことは、娘には、通じていたのだと思います。

 それぞれの家庭で、何を大事にするのかは、その家庭次第のことです。

 ただ、なんでも、かんでもうるさく注意していると、子供には、響かないのです。

 大人が子供に、ダメなことは、ダメときっちり言い効かせることは、どこの国にいても、大切なことなのだと思うのです。

























 

 












 

2019年12月11日水曜日

外国人になる体験





 私は、海外での生活を始めて以来、外国人として、ずっと生活しています。

 フランスでは、たとえ、フランス国籍を持っていたとしても、純粋なフランス人という人の方が少ないくらいで、外国人も多いので、フランスで外国人として生活することは、きっと、日本に住む外国人よりは、抵抗が少ないのではないかと思います。

 それでも、フランスでの選挙権はないし、ビザも10年に一度ですが、書き換えをしなければなりません。何か、交渉ごとがあったりしても、フランス人が出て行けば、スムーズに行きやすい場合も、なかなか、すんなりと、ことが運ばなかったりすることもあります。

 日本では、二重国籍が認められていないし、フランスに住んでいるからといって、私は、日本国籍を捨ててまで、フランス国籍を取ろうとは思いませんが、二重国籍が認められている国から来ている外国人は、フランス国籍を取りたがります。

 フランス国籍を持っていないと就けない職業や、同じ職業でも、フランス国籍を持っていないことによって契約形態が異なり、待遇が違ったりすることもあるのです。

 外国人であるということは、不便なことも多いのです。

 それでも、長年、生活していれば、だんだんと図々しくなって、ある程度の処世術は、身につき、こういう風に話を進めれば、ことは運びやすいとか、仕事や公の場に出るときは、ある程度の身なりというか、武装をして、出かけると良かったりもします。

 私自身は、海外に出て以来、日本にいる時よりも、ずっと、気軽に、知らない人とも話すようになりました。一見、冷たいように見えるフランス人の中での生活は、実は、コミニュケーションをある程度、取ることで、ずっと暮らしやすくなるからです。

 また、人から、話しかけられることも意外にも多いのです。

 日本では、普通、あまり知らない人に話しかけることも、話しかけられることもありませんよね。

 日本に住んでいれば、改めて、自分が日本人であると自覚することすら、あまり、ありませんでしたが、海外に住んでいると、逆に、日本人であると自覚させられることは、多いです。

 特に、海外に出て、当初は、いちいち日本と比べては、日本だったら、とか、日本人だったら・・と思うことばかりでした。

 最近、日本にも外国人が増えたとはいえ、一般的には、日本人には、外人を特別視する人が多いような気がします。外国人が増えたとはいえ、「あっ!!外人だ!!」と、構えてしまうようです。

 例えば、日本に帰国した際に、娘を連れて、実家の近所のスーパーマーケットに行ったりすると、娘は、「あっ!!外人だ!!」という視線で見られると言います。

 二度見されるというか、ちょっと遠巻きに見られる感じだそうです。

 娘も私も、ここぞとばかりに日本の食料品の物色に必死になっているので、そんなことは、気にせず、買い物を続けますが、日本にいる外国人には、さぞかし煩わしく、生活していくとなったら、ちょっと神経質な人なら、なかなかなプレッシャー、ストレスになりうるのではないかと思います。

 文化の違いや、言葉とコミュニケーションの問題は、ありますが、なんだか、日本にいる外国人は、どんな気持ちで日本で生活をしているのだろうかと、ついつい、話しかけたくなるフランスでは、外国人の私です。
















2019年12月10日火曜日

フランスの保育園で・・・




 私が、仕事を始めたのは、娘がちょうど、一歳になった頃でした。

 幸いなことに、保育園には、すぐに入れることになりましたが、それまで、娘が生まれて以来、1日たりとも娘と離れて過ごすことがなかったので、娘が保育園に順応できるかどうか、少なからず、不安がありました。

 最初の2日間は、別の保育施設に、半日だけ、預かってもらうことから、少しでも、他人と過ごすことに慣れさせようと、娘を連れて行きました。

 初めての場所に、娘を連れて行って、保育士さんに、娘を手渡して、置いてこようとすると、娘は、火が付くように泣き出し、焦りました。こんな様子でいては、これから先、娘を預けて働きに行くことができるのだろうかと私自身も不安になりました。

 しかし、ここで、負けてはいけないと、心を鬼にして、娘を置いてきました。
二日目になっても、娘は、また、グズグズと泣き始めましたが、前日よりは、あっさり、娘も諦めたようでした。

 そして、次の週になって、保育園への通園が始まりました。

 前の週の予行演習が役立ったのか、もう、その時点で、娘は、泣きだすことは、ありませんでした。娘は、日に日に保育園に慣れていき、お気に入りの先生を見つけて、保育園に行くと、彼女の姿を見つけては、駆け寄って行くようになりました。

 私も初めてのフランスでの仕事に緊張の連続でしたが、なんとか、彼女の保育園生活は始まりました。

 でも、さすがに、保育園は、風邪を引いたり、熱を出したりすると、預かってもらえません。私も仕事を始めたばかりで、そう簡単に仕事は休みづらく、それからというもの、娘が鼻をちょっと垂らしていたりしても、すぐに医者に連れて行くようになり、結果、私がお休みの日には、ほとんど毎週のように医者に連れていって、早め早めに薬をもらっては、娘に飲ませて、なんとか、保育園に預かってもらえるようにしてきました。

 今から考えると、フランスでは、子供が病気の時は、親に対しても、休暇を取れる書類を書いてもらえるので、それを書いてもらえば、公然と、大腕を振って休むことができるので、堂々と大きな顔をして休めばよかったのですが、その頃の私は、そんなことも知らずに、ひたすら、なんとか、娘が病気にならずに、保育園に行けるように、必死になっていたのです。

 まだ、オムツ持参で保育園に通わせていた頃です。
ある朝、ちょっと、娘の体調が怪しいかな?と、思ったので、座薬を入れて、なんとか、一日、乗り切ってくれますようにと祈るような気持ちで、出してしまったのです。

 心配していたとおり、オムツを変えた際に、座薬が出てきてしまったと、保育園から電話があり、娘は、発熱し、迎えに行かざるを得なくなったこともありました。

「お嬢さんは、もう一人の女の子と一緒に、お昼寝をしないで、周りの子供たちを起こして回るから、これからは、お昼寝の時間は、その子と一緒に、別の部屋にいてもらいます!」などと、怒られたこともありましたが、概ね、娘の保育園生活は、順調でした。

 色々、大変なこともありましたが、迎えに行くと、それまで、遊んでいたおもちゃを放り出して、「ママ〜!!」と駆け寄ってきてくれていた娘の姿が、今でも、忘れられません。

 
















2019年12月9日月曜日

パリはフランス人に嫌われている




 私は、パリに住んでいるし、職場もパリなので、日頃は、フランス人といっても、パリ、あるいは、パリ近郊に住む人としか、付き合いがないので、パリがフランス人に、疎まれているということを、あまり感じることは、ありません。

 しかし、パリの人は、感じ悪いな、と思うことは、多々あります。
 特に、サービス業に関しては、特に、お客様は、神様の国、日本から比べたら、天と地ほどの差があります。

 「お待たせいたしました。」とか、「申し訳ありませんでした。」とか、たとえ、相手が客であっても、自分の方が下手になるようなことは、まず、言いません。

 常に、自分の方が上から目線な物言いをすることが多く、何か、問題が起こって、苦情の電話をしたりしても、まず、謝ることは、しません。

 最初は、あまりの感じの悪さに、いちいち腹を立てていた私ですが、そのうち、慣れてしまい、それが、当たり前になり、ムッとはするものの、特に驚くこともなくなりました。

 ある時、仕事で、取り扱いのある、フランスの新製品に関する説明会が、大々的にパリの一流ホテルで行われ、朝食のビュッフェから始まり、昼食には、フルコースのランチを挟み、まる二日間、フランス全土からの参加者と一緒に過ごす機会を持ったのです。

 そこで、私は、初めて、パリ以外に住むフランス人と接する機会があったのです。

 私が、最も驚いたのは、「パリはフランス人にこんなに嫌われているのか・・」ということでした。

 地方から来ていたフランス人は、口々に、「パリなんか、人間の住むところじゃない!」とか、「パリジャン・パリジェンヌは冷たい!」「パリは、公害で、空気が汚い!」「せかせかしていて疲れる!」「お高くとまっている!」などなど、パリの悪口が止まらないのです。

 日本人である私が、パリに対して、あれこれ不満を感じることは、あっても、それを同じフランス人同士で、地方の人が、パリをこれほど毛嫌いしているのには、驚き以外の何ものでもありませんでした。

 地方の人が都会を嫉妬しての感情というのも、多少は、あるにせよ、それだけであるとは、とても思えません。

 フランスでは、パリ以外の街に行く機会があまりない私ですが、それでも、たまに地方に行く機会がありますが、悉く、パリほど評判の悪い街はありません。

 例えば、東京が日本の中で、これほど、地方の人に嫌われているとも思えないのです。

 東京を知っている私としては、パリの暮らしが、せかせかしているとは、決して思わないのですが、パリジャン・パリジェンヌの感じ悪さは、フランス人がフランスを特別な国と思っている以上に、フランスの中でもパリが特別の場所だという、フランス人のプライドを凝縮させたような、パリジャン・パリジェンヌのプライドの一面が見え隠れするせいではないかと思っているのです。

 
























2019年12月8日日曜日

フランス人の結婚観




 先日、久しぶりに、歯医者さんに行ったら、彼女に孫ができたという話をしていたので、「え〜? そんなに大きなお嬢さんがいらっしゃったのですか? お嬢さん、おいくつなんですか?」と驚いて、聞いたら、お嬢さんは、23歳で、まだ学生なのだそう。

 「学生なのに??」と驚く私をよそに、余裕で、「人それぞれのタイミングと生き方があるから・・」と、孫の誕生を喜ぶ彼女に、私は、なんだか、懐の大きさ、大らかさを感じました。

 彼女のお嬢さんのカップルが、結婚しているのか? また、子供を持つタイミングや順序などには、あまり、頓着していないのです。

 フランス人には、日本のような、結婚に対する適齢期のような観念が薄いように思います。それが、早かろうが遅かろうが、その人、その人のタイミングだと考えているのです。

 フランスでは、そもそも、結婚の形態自体が、いわゆる日本の結婚という形態だけでなく、Concubinage (コンクビナージュ・内縁、同棲関係)や、PACS (パックス・コンクビナージュよりも、もう少し正式な関係で、税金、児童手当、相続なども認められる内縁以上、結婚未満の関係)といった事実婚のような形態があるのです。

 結婚の形態をとった場合、離婚の手続きも大変になるため、カップルになって、しばらくは、様子を見て、子供ができたら、せめて、パックスにし、それから、何年か経ったのちに、ようやく結婚するというカップルも少なくありません。

 ですから、家庭を持っていて、子供がいても、その結婚の形態が、正式な結婚の形態なのか? あるいは、パックスなのかは、いちいち尋ねることもありませんし、それほどのこだわりもなく、それがどのような形態であるにせよ、結婚と同様に見なされているのです。

 とはいえ、パリでは、3人に1人が離婚すると言われるほど、離婚率の高い国であるにも関わらず、再婚もまた多いのにも、生涯現役、懲りない人たちだなあと感心させられます。

 実際に、私の主人も再婚ですし、私の同僚にも、よくよく話を聞くと、今のご主人とは、再婚で、子供もその度に産んでいるので、子供も異母兄弟という場合も少なくありません。

 結果、兄弟の年齢差も大きくなり、数も増えるので、はたから、子供の話を聞いたりしても、一体、どの結婚の際の子供だったのか、わからなくなるくらいです。

 また、フランス人には、「結婚と仕事のどちらかを選ばなければならない。」という、観念もありません。結婚しても、働くことは、当然のことだからです。

 おそらく、多くの親世代の人たちが子供に望むのは、結婚の形態がどうであるかということよりも、「良い相手、パートナーを見つけること」や、「充実した仕事につけること」「子供を持つこと」であるように思います。

 ですから、それらは、そのうちのどれを選択するかではなく、それらをどう、うまく組み合わせていけるかということを考えるのです。

 私の若い頃、いわゆる結婚適齢期には、親は、うるさく結婚しろ、結婚しろとうるさくなり、お見合いの話が回ってきたり、母などは、「とにかく、一度でいいから結婚してちょうだい!」などと、結婚するように、急き立てていた時期がありましたが、当時から、母のそのような考え方は、私には、全く理解できないものでした。

 「とにかく、一度でいいから・・」などと、世間体だけを気にしたような物言いは、実際には、何の意味もないのです。

 私は、娘には、なにが何でも結婚して欲しいとは、全く思っていません。クズ男に当たって、人生がめちゃくちゃになる場合だってあるのです。

 だったら、まず、結婚よりも、まず、自分で自立して、生活できるような仕事を持ち、その上で、もし、良いパートナーが見つかり、子供が持てれば良いと思っています。

 ですから、結婚の形態は、パックスであろうと結婚であろうとどちらでも構わないと思っています。

 もっとも、フランスでも、保守的な家庭では、正式な結婚へのプレッシャーは、強いかもしれませんが、それは、少数派だと思われます。

 









2019年12月7日土曜日

母の英語教育




 私の母は、英語が好きで、小さい頃から、私に、英語を教えてくれていました。

 小さい頃のことでしたから、私には、特別に、英語を覚えるとか、学ぶとか、そういった感覚は、まるでありませんでした。

 生活の基本は、日本語でしたが、子供の頃から、母は、私に、遊ぶように英語に触れさせてくれて、自然になんとなく、耳に入ってくる英語に、少なくとも抵抗のようなものは、微塵もありませんでした。

 一番最初は、何だったのかは、覚えていませんが、英語の単語カードで、かるたのように遊んだり、絵本を見ながら、お話のテープを聞いたり、歌を歌ったり、ゲームをしたりしているうちに、アルファベットもいつの間にか覚えていました。

 夜、寝る時には、必ず、英語のお話のカセットテープを聞きながら、寝るのが習慣になっていました。頭が柔軟な子供の時期には、英語版の「ぐるんぱの幼稚園」や「だるまちゃんとカミナリちゃん」などのお話を英語で諳んじることが、無理なくできていたのです。

 やがて、小学校に入った頃に、母は、私一人だけでなく、近所の子供を集めて、家で英語を教えるようになりました。その頃には、英語の読み書きをすることが嬉しくて、楽しくて、初めて買ってもらった、英語のノートの表紙を今でも覚えているくらいです。

 そして、後から、英文法なども、教わりましたが、母は、おかしな英語の場合は、きっと、文章を読んだり、聞いたりしたときには、違和感を感じるはずだから、その感覚に頼りなさいと言いました。

 それでも、私は、英語がネイティブのようにできるわけではありませんが、英語に関しては、少なくとも、苦労して覚えたという記憶がありません。

 かねてから、母は、「私は、英語の音が好きなの。」と言っていて、私は、その時は、あまり、意味がわかりませんでしたが、今は、私にとっても、いつの間にか、英語が耳ざわりの良い言語になっていることに気付かされるのです。

 そして、私に、娘ができた時には、状況は、少し違っていて、生活の基本は、フランス語の環境にいたために、今度は、私は、まず、母が私に英語を教えてくれたように、娘に日本語を教えることになりました。

 それでも、私が娘に日本語を教えるにあたっては、母が私に英語を教えてくれた時のように、日本語のカードを作ったり、絵本を読んだり、カセットテープではなく、ビデオやDVDになっていましたが、日本の幼児番組やアニメを見せて、育てました。

 母は、私に英語を教えることで、私に、自分の子供に外国語を教えるということも教えてくれていたのだと思います。いいえ、英語ばかりではなく、母が私にしてくれた教育を私は親として当然すべきことと思い、娘にも同じことをするのが当然のことと思っていました。

 しかし、私が当然のことと思い込んでいた母が私にしてくれていた教育は、いざ娘に私が同じことをしようとしていると、それは決して、当然ではなく大変なことだったことが身に染みました。英語だけでなく、最初にピアノを教えてくれたのも母でした。ピアノに関しては、娘があまりに嫌がるため、私は、早々に断念してしまいましたが、子供の頃に母が私に英語を教えてくれた英語の単語のカードを使って、娘に英語も教えました。

 そのカードは、今も大切に持っているので、今度は、娘に子供ができた時に、そのカードで娘が自分の子供に英語を教えてくれたら嬉しいなと思っています。


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2019年12月6日金曜日

フランス人のパパの教育




 うちの主人は、パパとして、娘に対しては、怒るとなると、もの凄く怖く、また、ガタイがよくて、声も大きいので、それは、それは、迫力があるのです。 

 私も最初は、あまりの迫力に、緊迫した空気が流れ、こちらまで、なんとなくピリピリした気分になり、憂鬱だなあ・・などと思っていると、それから、まもなくして、二人のケラケラ笑う声が聞こえてきたりして、暗い雰囲気を全く引きずらないので、どうにも、ラテン系の人たちには、付き合いきれない、などと思ったりしたものです。

 怒ると、とても怖いパパですが、普段は、甘々なパパなのです。

 うちの主人には、前の奥さんとの間に、娘よりも、かなり年長の子供が3人いたのですが、いずれも男の子だったので、女の子の扱いに慣れていませんでした。

 誰でも、初めての子育ては、男、女に関わらず、初めてなのですから、子供をどうやって育てていくかは、手探りでやっていくしかありません。

 ところが、逆に、主人の場合は、ヘタに3人分の男の子の子育ての経験があったため、主人は、まるで、男の子を育てるように娘を育てようとしました。

 毎週のように、主人は、娘をグラウンドに連れて行き、トラックを走らせたり、ダンベルのようなものを使った、筋トレのようなことまでさせて、まるで、マッチョを養成するかのごとく、彼女を鍛えました。

 幸い? 彼女は、エネルギー溢れる子供でしたので、主人のトレーニングにへこたれることもなく、主人の期待どおりに、小さい頃から、自分で腕をまくって、拳を握りあげ、自分の力こぶが盛り上がるのを自慢するような子になっていました。

 私は、内心、小さな女の子が力こぶ自慢をするのも、どうかと思っていましたが、まあ、年頃になれば、変わるだろうと口をつぐんでいました。

 やがて、彼女が成長するにつれ、ちょっと洒落た格好をするだけで、「シャネルのデフィレ(ファッションショー)じゃないんだから・・」と、顔を曇らせました。

 主人は、娘がチャラチャラした女の子になることを極度に嫌っていました。

 しかし、そんな男まさりな筋トレから、多少、方向転換の兆しが見えたのが、私が望んで、始めさせたバレエのレッスンでした。

 バレエは、私自身の憧れでもあり、また、近くのバレエスタジオにパリのオペラ座の先生がいらしたりしたこともあり、女の子には、人気のお稽古事でもあり、クラスの半分くらいの女の子が来ていました。

 ピンクのチュチュを着た小さな女の子たちは、小さなナルシストの集まりのような雰囲気で、それまでの筋肉自慢のパパの教育とは、別世界でもありました。

 バレエのレッスンを重ねることによって、彼女の力こぶ自慢の路線からは、少しは、軌道修正できたかに思われましたが、基本的には、小さい頃に主人が鍛えた路線が未だに彼女の根底に根付いています。

 しかし、あたりを見回してみると、フランス人の女の子には、日本人の若い女の子のような、いわゆる女の子らしい、か細く、ふわっとした感じの子というのは、あまり見当たらず、どちらかというと、キリッとしていて、強いイメージです。

 ファッションも、どちらかというと、カジュアルで、シンプルです。

 主人の教育は、少し極端な例だったのかもしれませんが、周りの女の子の仕上がりを見てみると、必ずしも、まるで例外というわけでもないような気もするのです。