2019年12月9日月曜日

パリはフランス人に嫌われている




 私は、パリに住んでいるし、職場もパリなので、日頃は、フランス人といっても、パリ、あるいは、パリ近郊に住む人としか、付き合いがないので、パリがフランス人に、疎まれているということを、あまり感じることは、ありません。

 しかし、パリの人は、感じ悪いな、と思うことは、多々あります。
 特に、サービス業に関しては、特に、お客様は、神様の国、日本から比べたら、天と地ほどの差があります。

 「お待たせいたしました。」とか、「申し訳ありませんでした。」とか、たとえ、相手が客であっても、自分の方が下手になるようなことは、まず、言いません。

 常に、自分の方が上から目線な物言いをすることが多く、何か、問題が起こって、苦情の電話をしたりしても、まず、謝ることは、しません。

 最初は、あまりの感じの悪さに、いちいち腹を立てていた私ですが、そのうち、慣れてしまい、それが、当たり前になり、ムッとはするものの、特に驚くこともなくなりました。

 ある時、仕事で、取り扱いのある、フランスの新製品に関する説明会が、大々的にパリの一流ホテルで行われ、朝食のビュッフェから始まり、昼食には、フルコースのランチを挟み、まる二日間、フランス全土からの参加者と一緒に過ごす機会を持ったのです。

 そこで、私は、初めて、パリ以外に住むフランス人と接する機会があったのです。

 私が、最も驚いたのは、「パリはフランス人にこんなに嫌われているのか・・」ということでした。

 地方から来ていたフランス人は、口々に、「パリなんか、人間の住むところじゃない!」とか、「パリジャン・パリジェンヌは冷たい!」「パリは、公害で、空気が汚い!」「せかせかしていて疲れる!」「お高くとまっている!」などなど、パリの悪口が止まらないのです。

 日本人である私が、パリに対して、あれこれ不満を感じることは、あっても、それを同じフランス人同士で、地方の人が、パリをこれほど毛嫌いしているのには、驚き以外の何ものでもありませんでした。

 地方の人が都会を嫉妬しての感情というのも、多少は、あるにせよ、それだけであるとは、とても思えません。

 フランスでは、パリ以外の街に行く機会があまりない私ですが、それでも、たまに地方に行く機会がありますが、悉く、パリほど評判の悪い街はありません。

 例えば、東京が日本の中で、これほど、地方の人に嫌われているとも思えないのです。

 東京を知っている私としては、パリの暮らしが、せかせかしているとは、決して思わないのですが、パリジャン・パリジェンヌの感じ悪さは、フランス人がフランスを特別な国と思っている以上に、フランスの中でもパリが特別の場所だという、フランス人のプライドを凝縮させたような、パリジャン・パリジェンヌのプライドの一面が見え隠れするせいではないかと思っているのです。

 
























2019年12月8日日曜日

フランス人の結婚観




 先日、久しぶりに、歯医者さんに行ったら、彼女に孫ができたという話をしていたので、「え〜? そんなに大きなお嬢さんがいらっしゃったのですか? お嬢さん、おいくつなんですか?」と驚いて、聞いたら、お嬢さんは、23歳で、まだ学生なのだそう。

 「学生なのに??」と驚く私をよそに、余裕で、「人それぞれのタイミングと生き方があるから・・」と、孫の誕生を喜ぶ彼女に、私は、なんだか、懐の大きさ、大らかさを感じました。

 彼女のお嬢さんのカップルが、結婚しているのか? また、子供を持つタイミングや順序などには、あまり、頓着していないのです。

 フランス人には、日本のような、結婚に対する適齢期のような観念が薄いように思います。それが、早かろうが遅かろうが、その人、その人のタイミングだと考えているのです。

 フランスでは、そもそも、結婚の形態自体が、いわゆる日本の結婚という形態だけでなく、Concubinage (コンクビナージュ・内縁、同棲関係)や、PACS (パックス・コンクビナージュよりも、もう少し正式な関係で、税金、児童手当、相続なども認められる内縁以上、結婚未満の関係)といった事実婚のような形態があるのです。

 結婚の形態をとった場合、離婚の手続きも大変になるため、カップルになって、しばらくは、様子を見て、子供ができたら、せめて、パックスにし、それから、何年か経ったのちに、ようやく結婚するというカップルも少なくありません。

 ですから、家庭を持っていて、子供がいても、その結婚の形態が、正式な結婚の形態なのか? あるいは、パックスなのかは、いちいち尋ねることもありませんし、それほどのこだわりもなく、それがどのような形態であるにせよ、結婚と同様に見なされているのです。

 とはいえ、パリでは、3人に1人が離婚すると言われるほど、離婚率の高い国であるにも関わらず、再婚もまた多いのにも、生涯現役、懲りない人たちだなあと感心させられます。

 実際に、私の主人も再婚ですし、私の同僚にも、よくよく話を聞くと、今のご主人とは、再婚で、子供もその度に産んでいるので、子供も異母兄弟という場合も少なくありません。

 結果、兄弟の年齢差も大きくなり、数も増えるので、はたから、子供の話を聞いたりしても、一体、どの結婚の際の子供だったのか、わからなくなるくらいです。

 また、フランス人には、「結婚と仕事のどちらかを選ばなければならない。」という、観念もありません。結婚しても、働くことは、当然のことだからです。

 おそらく、多くの親世代の人たちが子供に望むのは、結婚の形態がどうであるかということよりも、「良い相手、パートナーを見つけること」や、「充実した仕事につけること」「子供を持つこと」であるように思います。

 ですから、それらは、そのうちのどれを選択するかではなく、それらをどう、うまく組み合わせていけるかということを考えるのです。

 私の若い頃、いわゆる結婚適齢期には、親は、うるさく結婚しろ、結婚しろとうるさくなり、お見合いの話が回ってきたり、母などは、「とにかく、一度でいいから結婚してちょうだい!」などと、結婚するように、急き立てていた時期がありましたが、当時から、母のそのような考え方は、私には、全く理解できないものでした。

 「とにかく、一度でいいから・・」などと、世間体だけを気にしたような物言いは、実際には、何の意味もないのです。

 私は、娘には、なにが何でも結婚して欲しいとは、全く思っていません。クズ男に当たって、人生がめちゃくちゃになる場合だってあるのです。

 だったら、まず、結婚よりも、まず、自分で自立して、生活できるような仕事を持ち、その上で、もし、良いパートナーが見つかり、子供が持てれば良いと思っています。

 ですから、結婚の形態は、パックスであろうと結婚であろうとどちらでも構わないと思っています。

 もっとも、フランスでも、保守的な家庭では、正式な結婚へのプレッシャーは、強いかもしれませんが、それは、少数派だと思われます。

 









2019年12月7日土曜日

母の英語教育




 私の母は、英語が好きで、小さい頃から、私に、英語を教えてくれていました。

 小さい頃のことでしたから、私には、特別に、英語を覚えるとか、学ぶとか、そういった感覚は、まるでありませんでした。

 生活の基本は、日本語でしたが、子供の頃から、母は、私に、遊ぶように英語に触れさせてくれて、自然になんとなく、耳に入ってくる英語に、少なくとも抵抗のようなものは、微塵もありませんでした。

 一番最初は、何だったのかは、覚えていませんが、英語の単語カードで、かるたのように遊んだり、絵本を見ながら、お話のテープを聞いたり、歌を歌ったり、ゲームをしたりしているうちに、アルファベットもいつの間にか覚えていました。

 夜、寝る時には、必ず、英語のお話のカセットテープを聞きながら、寝るのが習慣になっていました。頭が柔軟な子供の時期には、英語版の「ぐるんぱの幼稚園」や「だるまちゃんとカミナリちゃん」などのお話を英語で諳んじることが、無理なくできていたのです。

 やがて、小学校に入った頃に、母は、私一人だけでなく、近所の子供を集めて、家で英語を教えるようになりました。その頃には、英語の読み書きをすることが嬉しくて、楽しくて、初めて買ってもらった、英語のノートの表紙を今でも覚えているくらいです。

 そして、後から、英文法なども、教わりましたが、母は、おかしな英語の場合は、きっと、文章を読んだり、聞いたりしたときには、違和感を感じるはずだから、その感覚に頼りなさいと言いました。

 それでも、私は、英語がネイティブのようにできるわけではありませんが、英語に関しては、少なくとも、苦労して覚えたという記憶がありません。

 かねてから、母は、「私は、英語の音が好きなの。」と言っていて、私は、その時は、あまり、意味がわかりませんでしたが、今は、私にとっても、いつの間にか、英語が耳ざわりの良い言語になっていることに気付かされるのです。

 そして、私に、娘ができた時には、状況は、少し違っていて、生活の基本は、フランス語の環境にいたために、今度は、私は、まず、母が私に英語を教えてくれたように、娘に日本語を教えることになりました。

 それでも、私が娘に日本語を教えるにあたっては、母が私に英語を教えてくれた時のように、日本語のカードを作ったり、絵本を読んだり、カセットテープではなく、ビデオやDVDになっていましたが、日本の幼児番組やアニメを見せて、育てました。

 母は、私に英語を教えることで、私に、自分の子供に外国語を教えるということも教えてくれていたのだと思います。いいえ、英語ばかりではなく、母が私にしてくれた教育を私は親として当然すべきことと思い、娘にも同じことをするのが当然のことと思っていました。

 しかし、私が当然のことと思い込んでいた母が私にしてくれていた教育は、いざ娘に私が同じことをしようとしていると、それは決して、当然ではなく大変なことだったことが身に染みました。英語だけでなく、最初にピアノを教えてくれたのも母でした。ピアノに関しては、娘があまりに嫌がるため、私は、早々に断念してしまいましたが、子供の頃に母が私に英語を教えてくれた英語の単語のカードを使って、娘に英語も教えました。

 そのカードは、今も大切に持っているので、今度は、娘に子供ができた時に、そのカードで娘が自分の子供に英語を教えてくれたら嬉しいなと思っています。


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2019年12月6日金曜日

フランス人のパパの教育




 うちの主人は、パパとして、娘に対しては、怒るとなると、もの凄く怖く、また、ガタイがよくて、声も大きいので、それは、それは、迫力があるのです。 

 私も最初は、あまりの迫力に、緊迫した空気が流れ、こちらまで、なんとなくピリピリした気分になり、憂鬱だなあ・・などと思っていると、それから、まもなくして、二人のケラケラ笑う声が聞こえてきたりして、暗い雰囲気を全く引きずらないので、どうにも、ラテン系の人たちには、付き合いきれない、などと思ったりしたものです。

 怒ると、とても怖いパパですが、普段は、甘々なパパなのです。

 うちの主人には、前の奥さんとの間に、娘よりも、かなり年長の子供が3人いたのですが、いずれも男の子だったので、女の子の扱いに慣れていませんでした。

 誰でも、初めての子育ては、男、女に関わらず、初めてなのですから、子供をどうやって育てていくかは、手探りでやっていくしかありません。

 ところが、逆に、主人の場合は、ヘタに3人分の男の子の子育ての経験があったため、主人は、まるで、男の子を育てるように娘を育てようとしました。

 毎週のように、主人は、娘をグラウンドに連れて行き、トラックを走らせたり、ダンベルのようなものを使った、筋トレのようなことまでさせて、まるで、マッチョを養成するかのごとく、彼女を鍛えました。

 幸い? 彼女は、エネルギー溢れる子供でしたので、主人のトレーニングにへこたれることもなく、主人の期待どおりに、小さい頃から、自分で腕をまくって、拳を握りあげ、自分の力こぶが盛り上がるのを自慢するような子になっていました。

 私は、内心、小さな女の子が力こぶ自慢をするのも、どうかと思っていましたが、まあ、年頃になれば、変わるだろうと口をつぐんでいました。

 やがて、彼女が成長するにつれ、ちょっと洒落た格好をするだけで、「シャネルのデフィレ(ファッションショー)じゃないんだから・・」と、顔を曇らせました。

 主人は、娘がチャラチャラした女の子になることを極度に嫌っていました。

 しかし、そんな男まさりな筋トレから、多少、方向転換の兆しが見えたのが、私が望んで、始めさせたバレエのレッスンでした。

 バレエは、私自身の憧れでもあり、また、近くのバレエスタジオにパリのオペラ座の先生がいらしたりしたこともあり、女の子には、人気のお稽古事でもあり、クラスの半分くらいの女の子が来ていました。

 ピンクのチュチュを着た小さな女の子たちは、小さなナルシストの集まりのような雰囲気で、それまでの筋肉自慢のパパの教育とは、別世界でもありました。

 バレエのレッスンを重ねることによって、彼女の力こぶ自慢の路線からは、少しは、軌道修正できたかに思われましたが、基本的には、小さい頃に主人が鍛えた路線が未だに彼女の根底に根付いています。

 しかし、あたりを見回してみると、フランス人の女の子には、日本人の若い女の子のような、いわゆる女の子らしい、か細く、ふわっとした感じの子というのは、あまり見当たらず、どちらかというと、キリッとしていて、強いイメージです。

 ファッションも、どちらかというと、カジュアルで、シンプルです。

 主人の教育は、少し極端な例だったのかもしれませんが、周りの女の子の仕上がりを見てみると、必ずしも、まるで例外というわけでもないような気もするのです。



 









 

 

 











 

2019年12月5日木曜日

いつの間にか死語になっていた言葉と新しい言葉




 私が、日本で最初に就職した会社は、ある大手メーカーの本社で、研究部門のトップが集まっている、会社全体の研究を企画、運営しているセクションで、若い男性の存在は、皆無で、かなり年輩の男性が多く、平均年齢が50歳以上という、社内恋愛には、絶望的な環境でした。

 年齢的なものに加えて、理系出身者が多く、浮世離れした人が多かったせいもあるかもしれませんが、当時、彼らの口から発せられた、いくつかのワードに驚かされたことが、ありました。

 私が、「夏休みをとって、海に行くのです。」という話をした私に、「ほ〜っ!海水浴ですか〜!」と言われ、「海水浴」・・なかなか言わないなあ・・と驚かされた覚えがあります。

 また、雨が降ってきて、「今日は、コウモリ持ってきてない・・」と呟くおじさんもいて、「コウモリ」・・って・・と、苦笑させられたこともありました。

 つまり、意味がわからないことは、ないけれど、普通、今は、あまり使わない言葉、「死語」だったわけです。

 海外生活も長くなり、今となっては、きっと、立場が逆転し、私の方が、「死語」を使っている可能性が高いですし、新しい言葉で、日本語にも関わらず、意味がわからない言葉に遭遇して、慌てて、調べる・・ということもあります。

 また、これは、死語ではありませんが、ある時、娘に「レコードって何?」と聞かれて、明らかに世代の違いを感じて、愕然としたことがありました。

 考えてみたら、彼女が生まれた時には、レコードというものは、ほとんと一般的には、存在しなくなっており、恐らく彼女は、レコードを見たこともないのです。

 しかし、死語は、海外で使っていても、自分自身で、あまり気付くことも、気付かれることもありませんが、新しい言葉がわからないことには、ちょっとショックだったりすることもあります。

 私の友人で、30年以上、パリに住んでいる日本人の女性がいますが、彼女は、普段、ほとんど、日本人との接触もなく、ある時、ふと私が、口にした、「イケメン」という言葉に、???「イケメン」ってなに??と問われて、これまた、長いこと彼女が日本語に接していないのだなあ・・と、これは、これで、新鮮な驚きでした。

 私は、ある日本の雑誌で、パリのお店の商品を紹介している記事を見ていて、その中で、「ガーリー」(女の子っぽい、girly )という言葉が使われていて、日本語なのに、わからない言葉との遭遇で、ちょっとしたショックを受けました。

 日本にいたとしても、あまり使う機会がなさそうな言葉ですが、こうして、日本を離れている間に、死語になっていく言葉と新しく生まれる言葉があることに、いつのまにか、積み重なる日本との距離に感慨深いものがあるのです。

 

 

 










2019年12月4日水曜日

アフリカのアパートにいたケチケチな外交官




 私たちがアフリカに住んでいた頃に、わりと、家族ぐるみで、行き来をしているフランス人の外交官がいました。

 私たちが住んでいたのは、フランス人の公務員専用のレジデンスで、高い塀に囲まれ、レジデンスの入り口には、常に警備員が数名おり、気軽に外の人が出入りできるような所ではありませんでした。

 しかし、庭やプールなどを含めると、相当、大きな敷地でしたので、多分、かなりたくさんの人が住んでいたと思うのですが、正直、ほとんど、他の住民には、会ったこともない、今から考えると、不思議な空間でした。

 アパート自体も、ワンフロアに一家庭、しかも、それぞれがメゾネットになっているので、建物の大きさの割合にしては、住民は少なく、出かけるときは、誰もが大抵、車なので、顔を合わせるということもあまりありませんでした。

 そんな中で、同じ、アパートの中に住む、主人が唯一、付き合いのある、主人よりも少し年上のフランス人の外交官がいました。

 彼は、主人の同僚の外交官で、奥さんは、ラオスの人でした。

 アフリカも初めてだった私に、彼ら、特に、奥さんは、色々とアフリカでの生活について、親切に教えてくれました。

 しかし、少しずつ、慣れていくに従って、彼らが異常にケチであることに気づき始めました。フランス人というのは、概してケチで、締まり屋の人が多いのですが、今から考えると、彼らは、異常にケチでした。

 反対に、うちの主人は、フランス人なのに、もう少し、気をつけてよ!というくらい、大盤振る舞いをする人で、うがった見方をすれば、主人は、カモられていたのかもしれません。

 彼らは、主人より年上でもあり、海外生活も格段に長く、色々な国を転々としている人たちだったので、それなりの収入は、あったと思うので、なぜ、彼らがあれほどまでにケチケチな生活をしていたのか? 今から考えれば、とても妙な人たちでした。

 今なら、ネットもスマホも誰でも持っているので、そんな問題も起こらないと思うのですが、当時は、まだスマホもなく、携帯はありましたが、通信手段の大部分を家の電話やファックスに頼っていた時代です。

 彼らは、自分の家に電話もファックスも置かず、電話が必要な場合は、必ず、我が家に電話を借りに来ていました。しかも、その多くが国際電話です。

 また、夜に一緒に、カクテルパーティーをしたりすることがあっても、必ず、場所は、我が家で、彼らの家は、絶対に提供しないのです。

 外で、主人と二人で飲んでいたりして、彼らと偶然出くわしたりしても、支払いは、必ず主人です。

 また、アフリカでは、外国人に対して、現地人の使用人を置くことが義務付けられていますが、彼らは、週3日だけ、しかも半日の最小限に留めていました。

 うちにいたボーイさんは、ほぼ毎日、来てくれていましたが、それでも彼らの月給は、月2万円程度でした。それを半分以下に抑えるのですから、なかなかです。

 現地のボーイさんは、大体が、前任者から、そのまま引き継がれて、雇用されることが多いので、彼らの家に来ていたボーイさんは、雇い主が彼らに変わって以来、収入が半分以下になってしまったわけですから、大変な痛手であったとボーイさん連中の間でも彼らのケチぶりは、有名であったようです。

 ところが、そんなケチな二人は、自慢話が大好きで、特に、パリの16区にアパートを持っているというのが、たいそうご自慢なようで、これまで、転々としてきた任地で買い集めたお宝を16区のアパートに飾っているのだそうで、どれだけ、パリのアパートの話を聞かせられたかわかりません。

 考えてみれば、ケチな人ほど自慢話が多いような気がします。

 当時は、主人との生活自体も、アフリカでの外交官の生活にも不慣れだった私は、自分自身が生活に慣れることに必死で、彼らの振る舞いにも、あまり、疑問を感じませんでしたが、今、思い返してみれば、ツッコミどころが満載です。

 定年を迎えたら、パリの16区で暮らすのだと言っていましたので、彼らの人生設計どおりに行っていれば、彼らは、今、パリに住んでいると思うのですが、私たちがアフリカを離れた時に、彼らは、また、アフリカの別の国に転勤になったので、それ以来、会ったことはありません。

 彼らが今、パリの16区で相変わらずケチケチな暮らしをしているのか? ちょっと覗いてみたい気もします。


 














2019年12月3日火曜日

基本、信用しないことで成り立つフランスでの生活




 我が家の近所には、大きな passerraile (パスレール)(歩道橋、陸橋のようなもの)があって、その陸橋には、かなり高い階段とともに、エスカレーターがついていました。

 私が現在の住まいに引っ越してきた頃から、そのエスカレーターは、動いたり、動かなくなったり、修理を繰り返して使われていたので、運が良ければ、動いているかな?という感じでした。

 それが、5年ほど前に、とうとう、エスカレーターは、撤廃して、新しくエレベーターが設置されることになりました。

 壊れたエスカレーターには、工事中の柵がかけられたまま、工事は、なかなか始まらず、2年くらい放置されたまま、これなら、せめて、エスカレーターの上を歩かせてくれる方が遠回りしなくて済むのに・・と思いながら、陸橋を渡るときには、長い階段を登っていました。

 そして、ようやく工事に取り掛かり始めてから、さらに、また約2年、工事は、何回も中断しながら、ゆっくりゆっくり進み、つい最近、ようやくエレベーターの様相が現れ始めました。

 これから、また、どれだけかかるかと、もはや、期待さえ、しなくなっていましたが、つい先日、どうやら、完成したようで、通りかかった時に、恐る恐るエレベーターのボタンを押してみると、エレベーターが降りてくるではありませんか?

 最悪、途中でエレベーターに閉じ込められることを覚悟で、携帯電話を握りしめながら、エレベーターに乗って、陸橋の上にすんなりと着いた時の感動といったら、ありませんでした。

 エスカレーターが壊れて、エレベーターが設置され、それが普通に動くことに、こんなにも感動する自分に、改めて、いかに、フランスでの生活の一つ一つの事柄を信用しないことを前提に暮らしていることに気付かされたのです。

 それは、もう20年以上にもなるフランスでの生活の一つ一つに、少なからず、痛い目にあってきた結果なのです。

 たとえば、駅で、切符を買うのに、今は、自動券売機が主流ですが、私は、必ず、券売機で切符を買うのにも、駅員がいることを確認してから買います。

 券売機には、問題があった時に、問い合わせのできる呼び出しボタンのようなものが着いていますが、呼び出しボタンに応答してくれる人が出てくれるとは、限らないからです。

 問題が起こった時には、その場で、苦情を訴えなければ、泣き寝入りすることになる可能性が大です。

 以前、券売機にカードを通して、カードが通ったことが確認されてから、切符が途中で、出てこなくなってしまったことがありました。

 幸い、駅員さんが窓口にいたので、返金の手続きをしてくれたので、よかった・・と思っていたのですが、後日、お金は、落とされていないので、返金の必要がないと確認されましたという通知がパリの営団交通から通知が届きました。

 人を介してでさえ、そんなことがその場で確認できない、いい加減さには、もうお手上げですが、トラブルをできるだけ、回避し、トラブルに遭った時には、どう対処するのか、また、対処しやすい方法で生活することをいつの間にか、悲しいかな、身につけてしまっているのです。

 ネットで注文した商品が届かない、紛失する、家の中の工事を頼んでも、約束の日時に来ないことなど、普通です。

 いつか、インターネットが故障した際にネット会社に問い合わせの電話をして、ある程度、色々なことを試みて、やっぱり修理が必要だということになり、修理の担当の人が来てくれたことがありましたが、要領を得ない人で、色々といじった挙句に、「わからない・・、次回、別の人に来てもらいますから・・」と言って、帰って行ったことがありました。

 修理の人が来ただけで、出張料金が取られます。お金だけでなく、こちらもそのための時間をまた、割かなければならないし、何より、その間、インターネットは、使えません。

 フランスでは、修理ができない人も修理に来る可能性があることをその時、学びました。

 果たして、次回は、優秀な人が修理にやってきてくれて、難なく、修理は、完了しました。私は、次回、もし、また、修理が必要になった時のために、その人に頼み込んで、次回は、個人的にお願いしたいからと、連絡先を聞きました。

 彼は、会社には、絶対に言わないことを約束してくれるなら・・と連絡先を教えてくれました。

 幸い、それ以来、インターネットが故障することはなく、彼に連絡したことは、ありませんが、トラブルが起こった時に、少しでも痛手を最小限にする生活の仕方を常に何重にも用意して暮らしているのです。

 「信用しない」「期待しない」「黙って諦めない」これが、私のフランスで生活していくためのモットーのようなものです。

 こうして生活していると、5年がかりで、やっと完成したエレベーターがすんなり動くことに感動するようになるのです。

 正直、こんなことに感動している自分に気づいた時は、とても、微妙な気持ちになりました。