2019年9月22日日曜日

フランス人の嫉妬心と日本人の嫉妬心 一時帰国の際の娘の日本の小学校への編入時のいじめ




 日本に一時帰国した際は、日頃、日本人と関わる機会があまりないので、親戚や友人に会うのも、必ず、娘を一緒に連れて歩きました。

 行く先々で、娘は、まるで、誕生日か、クリスマスのように、みんなから、色々なプレゼントを頂くので、連れて歩いている私としては、これでは、まるで猿回しのようだと思ったものです。

 その中で、ぼんぼりのついたキティちゃんの毛糸の帽子を頂いたことがありました。

 フランスに戻って、その帽子を、学校にかぶって行ったら、それを羨ましく思った同級生の子に無残にも、ぼんぼりを引きちぎられて帰ってきたことがあるので、それ以来、キティちゃんのものは、学校に持って行くことができなくなってしまいました。

 余計なことで、周りの子の嫉妬心を煽ってはいけないと思ったからです。

 正直、私は、フランスの子供の嫉妬心というのは、ずいぶんとダイレクトに行動に現れるものなのだと驚いてしまいました。しかし、まあ、帽子が羨ましくて、思わず、帽子を引きちぎってしまうなどということは、乱暴ではありますが、ある意味、わかりやすくて、シンプルです。

 娘が小学校、3年生くらいまでは、日本へ帰国する度に、私の実家の近所の小学校に、ほんの2週間程度でしたが、一時的に編入させて頂いていました。

 最初の1〜2年目くらいまでは、まるで、動物園にやってきたパンダのような感じで、娘は、日本の小学生にとっても、珍しい存在だったようです。

 2年目に、最初の日に学校に挨拶に行った際には、校長室で教頭先生と娘と三人で話をしていると、校長室の前には、”また、あの子が来てる!”と、校長室の前には、人だかりができるほど、一部の子供たちからは、珍しいパンダのようにチヤホヤされていました。

 そうして、チヤホヤされたりしていると、また、一部の女の子の中には、嫉妬して、娘をいじめようとする女の子も出てきたりしました。

 取り巻きを集めて、いつも同じ靴を履いているとか、ランドセルをもっていないとか、しょうもないことを影でコソコソと言い始め、娘を仲間ハズレにしようとしていた女の子がいたのです。ハッキリと本人には、告げずに、周りからジワジワと追い詰めていくような感じです。

 もともと、せいぜい、2週間程度の通学ですから、大したイジメに発展することもありませんでしたが、帽子が羨ましくて、取り合いになって、終いには、帽子を引きちぎってしまうフランス人に比べると、どうにも、日本人の子供の嫉妬心の方が、陰湿な気がします。

 状況と立場を変えて考えれば、それは、日本のママたちや、大人たちに、起こっていることと同じなのかもしれません。

 私自身は、日本の小学校でのママ友の世界に顔を出すことはありませんでしたので、巷に流れているニュースなどでしか、状況を知ることはできませんが、子育てにおいても、また、その他のことに関しても、自分と違うもの、自分がこうするべきだと思うことから外れている者を影からじんわりと攻撃して、自分の正当性を保とうとするやり方が子供のイジメと、とても似ているなあと思ったのです。

 これらのことも、自分と違うことを堂々とやろうとしている人への嫉妬心の裏返しで、陰湿で、結果的には、お互いの首を絞めあっているように思えてならないのです。

 日本人の美徳であるはずの、言わずとも相手の気持ちを読み図るとか、慎ましく、感情を露わにしないということや、個性的であることよりも、人の和を重んずる日本の教育が、逆に、日本人を息苦しくさせてしまっているように思えてならないのです。

 海外生活が長くなって、意見の違う人に対しても、はっきりと言うべきことは言い、他の意見をそのまま受け入れずとも、一応、相手を尊重はし、他は、他であるということを受け入れ、たとえ、意見が違ったとしても、とりあえず、放っておくということが習慣になってきてしまっている私としては、日本のお互いが首を絞め合うような息苦しさが、なんだか、とても、辛そうに思えて、ならないのです。

 

 








 

2019年9月21日土曜日

突如、現れた金融警察に衝撃!




 通常、朝の出勤時には、警備上、二人以上で鍵を開けることになっていました。私は、時間に遅れるのが、とても嫌いなので、パリのメトロなどの交通事情を信用していないこともあり、だいたい、20分前には、到着して、もう一人がやってくるのを待っていました。

 会社の鍵を開ける時には、まず、1枚目のドアを鍵で開けると、内側にもう一つの扉があり、暗証コードを入れて、もう一つの鍵を開けるようになっていました。

 暗証コードを間違えて、鍵を開けようとすると、サイレンのような、警報機が響き渡り、すぐに、警備会社から電話がかかってきます。私も一度、バカンス明けで、ボケっとしていて、間違えて、自分の銀行の暗証ナンバーを押してしまい、サイレンを鳴らしてしまったことがありました。

 警備会社からの電話では、合言葉のようなものが決められていて、どうして、サイレンが鳴ってしまったのかを話して、合言葉を言えば、警備会社の方で、すぐにサイレンを止めてくれるようになっていました。

 その日は、たまたま、会社の鍵を開ける時に、3〜4人いたでしょうか? はっきりとは、覚えていませんが、2枚目のドアを開けたところで、ものものしい4〜5人の制服姿の銃を持った一団がドーッとなだれ込んできて、” Police Financiere (金融警察)です。みなさん、すぐに、IDカードを出してください。” と、周りを取り囲まれました。

 鍵を開けている時には、まるで、その存在にも気付かなかった、ものものしい一団の突然の登場に、その場にいた者たちは、皆、騒然となりました。

 言われるままに、それぞれが、IDカードを提示して、それぞれの役職などを聞かれました。何の目的でその人たちが突然、やってきたのかは、わかりません。会社の責任者は誰か?と尋ねられましたが、ちょうど、その週は、社長も出張中で、パリを不在にしていたので、代わりに、社長の直属であったフランス人の女性が同行を求められ、一緒に出かけて行きました。

 映画のような、衝撃的なシーンに一同、何ごとだろうかとざわつきましたが、結局、その日は、彼女は、会社に戻ることなく、皆、彼女も直接、自宅に戻ったのだろうと思っていて、会社の業務は、通常どおりで、一日が終わりました。

 翌朝になって、出勤すると、連れていかれた彼女のパートナーの男性が、彼女が昨晩、帰って来なかった。連絡も全く取れない・・と、会社に駆け込んできました。携帯も持っているはずなのに、外と連絡を一切とらせてもらえないなんて・・怖い・・。

 結局、翌日になって、彼女は、げっそりとした顔をして、出勤してきましたが、何を聞かれたのかは、一切、口にすることは、ありませんでした。

 その翌週になって、社長がパリに戻った頃には、すっかり騒ぎは、落ち着いたようで、まるで、何もなかったかのように、金融警察の突入事件は、忘れ去られて行きました。

 私たち、下々の者には、結局のところ、何だったのかは、わかりませんでしたが、あの金融警察の突入の様子は、未だに忘れることはできません。

 普段、街で見かけるスリや泥棒を捕まえる警察とは違う、もっと、威圧的な感じの圧倒的な存在感のある警察もあるのだと、日常では、なかなか見ることのないフランスの一面を見た思いでした。

 





















 

2019年9月20日金曜日

ケタ外れに負けず嫌いな娘の話 親が心配すること




 娘が、10歳くらいのことだったでしょうか?

 いつもの通り、学校へ娘を迎えに行き、帰り道を、二人で、歩いていると、何やら、うつむきがちに歩いている娘の様子がおかしくて、顔を覗き込んでみると、ポロポロと泣いているではありませんか!

 娘は、比較的、情緒が安定している子で、娘が泣くことは、それまで、ほとんど、ありませんでした。なので、学校の帰り道に一人でうつむきながら、ポロポロと泣き出してしまったのには、とてもびっくりしました。

 これは、いじめにあっているのではないか? 先生にキツく叱られたのではないか? 私の方もハラハラしながら、娘に尋ねました。” どうしたの? " と。
すると、娘は、” 思っていた成績が取れなかった・・。” と答えたのです。

 それで、泣くのかい!と思いながら、その答えを聞いて、内心、私は、ホッとしていました。

 正直、私は、テストの点数よりも、学校でイジメにあったり、先生や、周りのお友達とうまくいかなくなってしまうことの方が、断然、心配なことだったからです。

 私は、娘の成績について、とやかく言ったことは、一度もありませんし、それでも、彼女は、いつでも、成績には、問題なかったので、何も言うことはありませんでした。

 私自身は、その子、その子に合った道があるのだから、成績は良いには越したことはないけれど、成績自体が何よりも重要だとは、思っていません。

 しかし、彼女は、点数が振るわないことを親や先生に叱られるからと言って、泣いているのではなく、自分が思っている点数を取れなかったこと、自分が思う実力を発揮できなかった自分が許せなくて泣いているのです。まだ、10歳なのに・・。

 何しろ、その負けず嫌いは、小さい頃から、今の今まで続いています。
これは、その子の個性としか言いようがありません。

 むしろ、彼女は、競争のある世界でなければ、面白くなくて、やる気が起きないと言うのです。

 彼女が高校まで、通っていた私立の学校は、これがフランス?と思うくらい、かなり、教育熱心な学校で、また、こまごまとテストのたびに点数や順位をネット配信で通知するような学校で、皆、休み時間には、自分の成績が 0.1上がったとか下がったとかを一喜一憂するような感じだったので、その学校の方針に見事に煽られた結果、娘の負けず嫌いは、ますます加速したとも言うことができるかもしれません。

 しかし、同じ学校に行きながらも、できないことをさほど気にせず、ほどほど(とは言っても、一般的にはかなり上のレベルではありますが)のところで満足している子もたくさんいます。

 彼女の負けず嫌いは、決して勉強だけではないのです。
スポーツにしても、日常生活の些細なことでも、できないと言うことが悔しくてたまらないのです。

 できないことは、できるまでやる。このしつこさ、まあ、よく言えば、粘り強さは、相当なものです。これは、彼女の個性です。

 高校卒業時のバカロレアの試験の際には、もうすでに、次の進学先は、決まっていましたので、” まあ、落とさなければ、良いから、気楽に行ってらっしゃい!" とプレッシャーを与えないように声をかけたのですが、娘は、大真面目に、” 私が落とすくらいなら、バカロレアをパスする人はいないから! どのランクで受かるかが問題なのであって、受かるかどうかは、心配してない!” と軽く交わされてしまいました。

 今となっては、彼女の、この自信過剰と過信が何よりも心配です。

 社会に出れば、本人だけの努力では、どうにもならないこともたくさんあります。
何もかもできる人など、いないのです。

 人は、己の力を過信して、慢心した時、ろくなことにはならないことを、これからの彼女がどうやって学んでいけるのか、今は、そんなことを心配しています。

 




2019年9月19日木曜日

フランス人は、小学生から万年筆を使う





 現代は、ボールペンだろうと、万年筆だろうと、もはや、手書きをすること自体が少なくなっている時代ではありますが、娘の通っていたフランスの学校では、小学生から万年筆を使わせていました。

 もちろん、ボールペンや、鉛筆なども使っていましたが、メインは、万年筆なのでした。その話を以前、弟にしたら、”さすが、おフランス!小学生から万年筆!” とからかわれたことがありますが、まさに、これも、おフランスの一部分なのではないかと、私は、思っています。

 万年筆を重用し、小学生から授業に使わせたりするのは、きっとフランス人の美学の一つでもあると思うのです。フランス人でも、年長になればなるほど、その類の美学は強いのではないかと思います。我が家にもその年長者が約一名。

 カッコいいスーツに身を纏った男性が、胸元からスッと万年筆を出して、サラサラ〜ッとサインする・・なんか、スマートで素敵ではありませんか?

 もちろん、女性とて同じです。私のかかりつけの美しい女医さんも革張りの下敷きにペーパーを乗せて、処方箋を万年筆で書いてくれています。

 しかし、ことさら、女性と比べて、アクセサリー類をつけることが少ない男性にとって、また、特に、ある一定の年齢以上の男性の間では、万年筆は、ひとつのおしゃれなのではないかと、私は、思っています。

 まあ、実際には、それがピッタリと似合う人にも、なかなかお目にかかれないのも事実ですが・・。

 でも、たまに見かけると、ちょっと気を引かれます。

 私の主人などは、仕事にはパソコンを使って、資料を作ったりは、していますが、大事な人に書く手紙やカードなどは、万年筆の手書きです。主人が使っているのは、そんなに高級でおしゃれな万年筆ではありませんが・・万年筆で書くということに、こだわりがあるようなのです。

 しかも、色にもこだわりがあり、ブルー、ブルーブラック、黒、濃い紫色など、相手や、手紙の内容などによって、色まで使い分けています。しかも、主人の外観には、およそ似つかわしくない、繊細で綺麗な字を書くのです。

 まったくもって、字は体を表してはいないのです。

 主人は、SNSも使いますが、敢えて、手書きで手紙を書くことも少なくありません。

 特に子供には、下手くそな絵などを混じえて、よく手紙を書いています。

 また、本を買ってくると、必ず、本の裏表紙に日付と子供の名前を入れて自分のサインも残したりもします。これも万年筆です。

 このITの時代に、なんともアナログな話ですが、私は、決して嫌いではありません。

 

 




2019年9月18日水曜日

一人暮らしのフランス人の若い世代は料理をしない




 娘が一人暮らしを始めて、一年が過ぎました。

 家では、ほとんど家事らしいことは、してこなかった娘ですが、一人となると、何から何まで、自分でやらなければなりません。

 家にいれば、何もしない娘で、全く一人暮らしなど、憧れていたわけでもなかったようですが、いざとなれば、仕方ありません。

 特に、食い意地の張ったDNAを受け継いでいる彼女は、一人暮らしを始めても、何をおいても、食べ物には、決して、妥協せず、(もともと彼女は、ファーストフードなどが嫌いなのです)自分の好みにあったものを栄養のバランスを考えながら、月々のやりくりをしながら、頑張ってやっているようです。

 娘は、シェアハウスのようなところに住んでいるので、部屋はそれぞれ独立してはいるものの、キッチンやテラス等は、共有なので、必然的に、周りの同居人の食事にも度々、遭遇するのです。

 彼女が驚いているのは、フランス人の若い子の一人暮らしは、ほとんど、料理らしい料理をせずに、野菜などは、ほとんど食べずに、非常にバランスの悪い食事をしているということでした。

 若い子に限らず、フランス人の一般家庭の食事は、とても、質素なのです。

 日本人の食卓は、世界的にもレベルも高くて、非常にハイスペックだということが話題にもなっていますが、彼女は、それを家の外に出て、目の当たりにしたようです。

 私が最初に、引っ越しの際に大家さんに挨拶がてらに、そのシェアハウスを見に行った時も、キッチンや冷蔵庫の中をのぞいて、???と思った印象が実際にそのとおりだったわけです。

 私がのぞいた時には、みんなの共有だという冷蔵庫には、たくさんのペットボトルに入った水と、中をくり抜いたスイカの皮と(なぜ、これを取っているのだろうかと思いましたが)リンゴがいくつか入っているだけでした。

 娘によれば、みんな、朝は、パンかセレアル(シリアル)、夜もハムかパンとスープ、作ったとしても、パスタ、パスタを茹でて、バターかチーズをかけるだけ、良くて、市販のソースをかけるだけ、たまに、見かけるとすれば、カルボナーラ(フランス人の好きなベーコンとバターや生クリームまみれにしたもの)なのだそうです。

 あとは、テイクアウトのファーストフード、(そうは言っても、日本のように、ちょっと出れば、コンビニやお弁当屋さんがあるわけでもない)や、ウーバーイーツ頼り。

 彼女曰く、みんな、あまり、食べることに興味がないみたい・・なのだそうです。

 「美食の国、フランス」などと言われていますが、実際は、こんなもんです。

 

2019年9月17日火曜日

隣人のフランス人のおばさん




 そういえば、私は、彼女の名前も知りません。
お隣のおばさん。うちでは、彼女のことを、そう呼んでいます。

 私たちが、今のアパートに引っ越してきたときには、彼女は、もうすでにそこに住んでいましたが、その時に、初めて見かけた女性は、彼女ではありませんでした。

 引っ越してきて、早々に、エレベーターの前で、たまたま鉢合わせした女性は、" ここには、3人の女性が住んでいるのよ!" と言っていましたが、それは、彼女ではありませんでした。

 しかし、実際の家主の隣人は、パリ市内の病院に勤務しているという年配の女性でした。彼女は、離婚していて、もうすでに独立している息子さんが、時々訪ねていらっしゃるのですが、ちょっと風変わりな息子さんで、とても、優秀ではあるらしいのですが、メンタルな問題で入院歴があるとかいう話を主人がどこからか、聞きつけてきて、少し、気をつけた方がいいなどと言うので、あまり、近づかずに適当な距離をとっていました。

 一方、彼女の方は、そんな様子は、微塵も見せずに、なぜか、私と朝の出勤時間や帰宅時間がかち合うことも多く、世間話をする機会が度々ありました。

 彼女は、独特なオリエンタルな感じのファッションに身を包み、部屋着はサテンか何かでできたアジアティックな着物のようなものを着て、不思議な雰囲気を醸し出している人でしたが、これまで彼女に対して、嫌な感じを抱いたことは一度もありません。

 人の好き嫌いが激しく、大変、気難しく、家を出たがらない猫のポニョは、お隣だけは、別のようで、まるで、自分のセカンドハウスのように、ベランダ伝いにお隣の家に勝手に上がりこんだりしていて、ポニョだけは、頻繁にお隣に出入りしていました。

 おばさんも猫好きで、結構、ポニョのことを可愛がって下さっているようでした。

 ある、日曜日に、我が家は、主人と娘と三人で、ヴァンセンヌの森に散歩に出かけて、手漕ぎボートに乗っていた時のことでした。

 池にかかった橋の上から、「ヴォアザーン(お隣さ〜ん)!」と大声で誰かが叫んでいるではありませんか? 
 振り返ると、橋の上から、彼女が友達と一緒に大きく手を振っていました。

 改めて、彼女の大らかさに、なんだか、ほっこりとした気持ちになりました。

 何年かすると、3人いると言っていたお隣の住民の女性二人はいなくなり、彼女だけになっていましたが、彼女には、頻繁に訪れてくるお友達が何人かおりました。その中には、ボーイフレンドもいたようです。

 たまに、私が気が向いて、ピアノを弾いたりしていると、お友達ともども、ベランダに出てきて、弾き終わると、”ブラボー!!” などと、声をかけてくれたりしました。私としては、子供の頃のお稽古事の延長のようなピアノのレベルなので、とても恐縮したものです。

 そんな彼女が数ヶ月前に、突然、引っ越すことにしたと言いにきました。もう、リタイアするので、ノルマンディーの方に持っている家の方に移るとのことでした。

 長いこと、付かず離れずで、良い関係を保ってきたので、とても残念でしたが、これも仕方ありません。彼女は、私たちがバカンスに出ている間に引っ越して行きました。

 そして、夏のバカンスが終わってまもなく、新しい隣人が引っ越してきました。
どうやら三人家族のようですが、顔を合わせれば、たまに挨拶をする程度で、まだ、詳しいことは、わかりません。

 初めは、もしかしたら、動物嫌いの人かもしれないし、ポニョが今までのように、図々しくお隣に入り込んだりしては大変と思って気をつけていたのですが、予想に反して、ポニョは、パッタリと隣の家には、行かなくなり、ベランダにさえ、出ないようになってしまいました。

 ポニョが何を察知しているかはわかりませんが、ポニョの様子を見て、私まで、なんか少し警戒してしまっています。

 隣人は選べないので、ご近所トラブルは、ご免被りたいのです。

 こうなってみると、あのヴァンセンヌの橋の上から”ヴォアザーン!(お隣さーん)”と手を振ってくれた大らかなお隣のおばさんが懐かしく思えてくるのです。












2019年9月16日月曜日

アカの他人の外国人のオッサンと暮らしている不思議




 私は、今でも娘によく言われます。「ママは、どうしてパパなんかと・・・。」と。

 その人の娘にして、パパなんか・・と言わせるのには、理由がいくつか思い当たりますが、まずは、主人が私とは、けっこう年の離れたオッサンだということがあるのだと思います。

 先日、「アカの他人のオッサンと暮らす人」という記事のタイトルを見て、ああ、そう言えば、私もアカの他人のオッサンだった人と暮らしている・・と思ったのです。

 まあ、言い方は悪いですが、大抵の場合、誰でも最初は、アカの他人です。
それが、オッサンかどうかは別として・・。
 
 私が主人と出会ったのは、青山で行われていた在日の外国人が集まるパーティーでのことで、私は、イギリスから戻った後に、英語を使う機会を持ち続け、何とか、英語のレベルを落とさないようにと思って、時々、顔を出すようにしていました。

 そこで、私が驚いたのは、来ている外国人たちが、あまりにも日本語が上手なことでした。その中でも主人は、ひときわオッサンで、ガタイも良く、派手で、最初は、” このオッサン、マフィアかい!”と思ったほどで、日本語が下手、というよりも日本語をほとんど話しませんでした。

 パーティーがお開きになって、その中の数名と、次へ行こう!という話になり、何人かと出かけたうちの一人だったのです。

 周りのイングリッシュネイティブの人に比べて、英語もあまり上手でもなく、英語圏の人ではないなと思っただけで、(自分の英語のことは、棚あげにして。)(後から考えれば、フランス語訛りの英語でした。)どこの国の人かということも、私は、あまり興味もなく、ただ、顔を合わせたら、話すという程度でした。

 しかし、何回か話すうちに、そのオッサンとは、英語で話しているにも関わらず、話が次から次へと出てきて、いくらでも話すことができたのです。

 普段、あまり、饒舌でもない私が、見ず知らずのアカの他人の外国人のオッサンと、こんなに話が弾むことが、だんだんと楽しくなっていったのです。

 主人は、別に、特にブサイクと言うわけではありませんでしたが、なんといってもオッサンでしたから、私が主人と親しくなったのも、私が特に面食いでもなかったこともあったかもしれません。

 その頃は、私は、フランス語の知識は、ほぼ、ゼロに等しいくらいだったので、電話をしてきて、”アロー”(フランス語は、Hを発音しないために、ハローではなく、アローと発音します)とかいう主人に、”この人、ハローも言えないんだ・・”などと思っているくらい、フランスにも、フランス語に関しても、無知でした。

 むしろ、私は、フランス語は、どんな言語よりも苦手で、フランス語だけは、絶対やるまいと思っていたくらいです。最初から、主人がフランス人だとわかっていたら、あまり、話すこともなかったかもしれないくらいです。

 最初のきっかけは、そんなでしたが、紆余曲折を経て、私は、アカの他人のオッサンだった主人と一緒に暮らすようになり、結局は、フランスで今も暮らしているのです。

 今、冷静に考えれば、どこの国の人かもわからない、アカの他人のオッサンと海外暮らしをするなんて、私もどうかしていたとも思うのですが、その時点では、アカの他人であることも、その人がオッサンであることも、気にならなくなっていたのですから、人生は、わかりません。

 娘が改めて、不思議そうに言うことが、もうひとつあります。
” パパは、自分のことが、すごくカッコいいと思っているよね。どうしてだろう?” と。

 娘にとっては、私が、アカの他人の外人のオッサンをパートナーとして選んだのと同じくらい、不思議なことのようです。