ローマ教皇といえば、全世界のカトリックの頂点であり、カトリック教徒にとっては、神のような存在であるとともに、大変な権力者でもあります。
そのローマ教皇(フランスではパップ・フランソワと呼ばれている)のご逝去に接し、パリ・ノートルダム大聖堂では、彼の死を悼み88回の鐘が鳴らされました。
宗教を否定するつもりはありませんが、どちらかといえば、派手なイメージのあるカトリック教会の在り方は、無宗教の私にとっては、宗教としては、あっさり受け入れ難い部分もありました。
とはいえ、カトリックとは、ある種のご縁を感じないこともなく、私が大変お世話になった大学の恩師もカトリックの神父様でもありましたし、娘は小学校から高校までフランスの私立のカトリックの学校に通っていましたし、夫が突然、亡くなった後は、ただちにカトリックからご援助をいただき、学費はカトリックの教会(協会)が負担してくださいました。
私も若い頃にその自分のお世話になっていた教授から、ずいぶんカトリックについての講義なども受けましたが、信仰には至りませんでした。私はその教授(研究)に神髄していたので、できるなら、教授の導かれる信仰を持ちたいと思ったこともあったのですが、どうにもそれ以上、踏み込むことはできませんでした。
当時、そんな信仰にいたらない自分の気持ちを教授に一対一でお話したことがあったのですが、「大丈夫、信仰は無理に持つものではなく、必要なときは自然に訪れますから・・」と諭されたことを今でも覚えています。
話は逸れましたが、恐らく多くの人々と同じように、ヨーロッパに長く住んで、どこかに旅行すれば、その地の大聖堂などを訪れたりもしましたし、昨年末に再開したノートルダム大聖堂にもたまに、思い出したように入ってみたりもしますが、私にとっては、観光地のひとつのようなもので、しかし、そのいくつかには、中で、突然、不思議な感覚に襲われることもありました。
今回のローマ教皇のご逝去に関してのように、亡くなってから、多くの報道を見たりして、あらためて、「あ~こんな方だったんだ・・もっとご存命中に色々、知りたかった・・」と思うことは少なくありませんが、まさに今回、同じことを思いました。
お加減が良くないことは、ここ数日、イースターを控えたミサの様子などで、聞いてはいたのですが、お辛そうではありながらも、前日まで公のミサでお話をしていたりされていたので、まさか・・と驚きました。
彼は、カトリックの過度な権力支配的、腐敗した構造を嫌い、その改革に取り組み、もっとも貧しい人々に手を差し延べ、移民の運命や環境問題についても、強い問題意識を持ち、極めて人道的なヒューマニストであったそうで、没後すぐに、彼の功績を讃える声が多くあがっています。
思えば、昨年12月のパリ・ノートルダム大聖堂の再開セレモニーには、カトリックの大司教として当然、参加すると思いきや、「自分は社交行事の教皇ではない」と、マルセイユとコルシカ島を訪問していたというのですから、ここにも、彼の強い意志と毅然とした態度が表れており、私は、このことにもっと注目すべきだったと今になって思っています。
ノートルダム大聖堂は、あなたはいったい何者?と思うほどに、マクロン大統領が前面に登場し、ウクライナからゼレンスキー大統領や就任直前のトランプ大統領まで招いて、まさに政治・外交の場と化していました。多くの政治的だったり、商業的な思惑が見え隠れし、ノートルダム大聖堂の入場料を取るなどという話まで浮上し、この際も「祈りの場であるはずのカトリックの大聖堂で入場料などもってのほか!」とパップ・フランソワが大反対していると聞いていました。
無信仰者が増えたとはいえ、それでも29%近くはカトリック教徒(多宗派を含む)というフランスでは、この大教皇のご逝去のニュースはその日のトップニュースで大変、大きな扱いでした。
奇しくも、彼の命日になったのは、イースター(復活祭)の祭日だったのは、なにか、とてもドラマチックであったような気もします。
その日は、パリ・ノートルダム大聖堂では、夜通し祈祷が行われました。
ローマ教皇逝去 フランシスコ大教皇 パップフランソワ
<関連記事>
「マクロン大統領 ノートルダム大聖堂の現代ステンドグラスプロジェクト再始動」
「当分、無理だと諦めていたノートルダム大聖堂 あっさり入れました!」
0 コメント:
コメントを投稿