2024年12月8日日曜日

ノートルダム大聖堂再開の記念式典を見て感じたこと

  



 ノートルダム大聖堂の再開の日は、日中は晴れていたものの、夕刻から雨が降り出しました。この日は、午後から多くの局がノートルダム大聖堂についての報道を行っていましたが、この記念式典にアメリカ次期大統領であるトランプ氏が参加することや、それに加えて、ウクライナのゼレンスキー大統領までやってきて、この式典が始まる前に、マクロン大統領も交えて3者会談が行われるということで、中継はノートルダム大聖堂と同時にエリゼ宮の生中継が行われ、ノートルダム大聖堂という宗教的施設の再開というには、なんとも政治色の強いものになりました。

 エリゼ宮にトランプ氏が表れたのは、午後17時少し前、マクロン大統領がお出迎えして、彼らはすぐに中へ、その40分後くらいにゼレンスキー大統領が到着して、彼も急いでエリゼ宮の中へ、3者会談は、45分程度でそんなに長時間ではありませんでしたが、このスリーショットはかなりインパクトの強いものでした。

 その後、彼らは大勢の招待客とともに、大聖堂の最前列に座して記念式典に参加しました。ちなみに最前列は各国からの要人とフランスの政治家の面々。大勢が招かれたとはいえ、限られた招待客の中には、イーロンマスク氏の顔も見えました。

 セレモニーそのものは、宗教的な儀式ですが、5年前の大聖堂の火災の際に消火活動に参加した消防士たちの一部も招かれており、彼らの命がけの救済を讃える場面などもあり、大聖堂正面のライトアップには、「MERCI(ありがとう)」の文字が浮かびあがりました。

 ノートルダム大聖堂は、1789年11月以来、宗教的施設ではあるものの、国の所有物ということになっているのですが、それにしても、あまりにも政治色が強く、フランスの象徴的な建築物であるノートルダム大聖堂の再開という喜ばしい瞬間ではあるものの、あまりに国(政治家)が前面に出過ぎていて、げんなりする感じがありました。

 このセレモニーの前のセンセーショナルな3者会談も、この機会だからこそ集まった機会を利用したのは合理的といえば、合理的なのかもしれませんが、どうにもスッキリしません。

 マクロン大統領がこのセレモニーの始まる前から、終始取り仕切っている感じだったのも国の所有物であれば、当然なのかもしれないとも思いつつ、そこが宗教施設であることを考えると「政教分離」はどこへ?と思わずにはいられません。

 この感じを見ると、式典の招待を断ったと言われるカトリック教会の大司教の想いがわからないでもない気がしますが、それでも、「フランスにおける教会再生の預言的なしるしを期待している」とのメッセージが届いています。

 また、イエズス会も「ノートルダムへの訪問者を無料で歓迎し続けることを期待している」と訴えています。

 それもこれも、このノートルダム大聖堂再開を前にフランス政府(文化大臣)から、ノートルダム大聖堂に入場料5ユーロを徴収する・・などという提案があったりしたことがある経緯からのことで、宗教施設としての本来の位置づけへの危機感をこのカトリック側が感じているということでもあります。

 政教分離に関する1905年以来の法律では、ノートルダム・ド・パリなどの歴史的建造物に分類される教会や大聖堂へのアクセスは「無料」のままでなければならないと規定しており、この法律の第 17 条には、「建物の訪問および機密の動産の展示は公開され、いかなる税金や料金も発生することはない」となっていますが、政治家の手にかかれば、法律自体を変えてしまうこともできるわけです。

 この修復工事に関しても、ステンドグラスは火災の被害に遭っていなかったにもかかわらず、現代的なデザインのものに取り換えて、既存のものは博物館に移動させるというプロジェクトが多くの専門家の反対にもかかわらず、フランス政府によって、強引に進められていた経緯もあり(結果的にどうなったのかはわかりません)、力関係のバランスが政府に偏っている感じがあります。

 それに加えて、今回の外交の場と化したような式典になんだか素直に感動できないところがありました。

 ほんの2日前には、首相の辞任に際して、厳しい表情でスピーチをしていたマクロン大統領、この日は得意満面の笑顔で大変、満足そうでした。


ノートルダム大聖堂再開


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