2020年4月2日木曜日

コロナウィルスによる「命がけ」という体験




 フランスのコロナウィルスの勢いは、一向に止まりません。一日の死者は、500人を超え、(509名・4月1日)、これまでに4000人以上(4032名)が亡くなり、集中治療室にいる患者は、6017名(+452名)に膨らんでいます。

 入院患者の数は、24639名ですが、発熱、倦怠感が3日間続き、胸の痛みを訴え、呼吸が苦しくなり始めたという患者でも、医者の診察の上で、まだ、危険な状態だと判断されなければ、自宅で静養という状況での数字です。

 すでに、飽和状態の病院では、その程度?の病状では、受け入れができず、その時点で、治療できれば、快方に向かう患者が、重篤な状態に陥ってしまう悪循環です。

 飽和状態の地域からは、少しでも余裕のある地域へ、TGV、軍用機、ヘリコプターでの搬送に加えて、さらに、医療機器を設置されたバスでの搬送も始まりました。

 足りない呼吸器の代わりに、フランスのスポーツメーカー、DECATHLON(デカトロン)は、潜水用のマスクを大量に供出して、酸素吸入器の代用品として、使われています。

 このような状況の中、働いて下さっている医療関係者、病院の清掃、洗濯業者、警察官、交通機関、スーパー、薬局、葬儀社、などなど、病院はもちろんのこと、人との接触を避けられない仕事をしている方々は、感染の危険を侵して、まさに「命がけ」で仕事に当たってくださっています。
 本当に、いくら感謝してもしきれないほどです。

 日本語には、「命がけでやります!」という表現がありますが、ごくごく普通の日常には、本当に「命がけ」のことなど、そうそうあるものではありません。今の状況を見ていると、今後は、気安く、「命がけ」などとは言えないような気がします。

 私が子供の頃は、「戦争を知らない世代」などと、よく言われましたが、「死」が隣り合わせにある今の状況は、まさに戦争体験です。家の中に閉じこもることを余儀なくされている子供たちにとっても、「外出すれば、死ぬかもしれない!誰かに移して殺してしまうかもしれない!」という体験は、それぞれの人生に大きな影響を与えている体験であることに違いありません。

 身近な人の「死」に接する時、改めて、「死」について、また、「生きること」について、改めて、深く考えたりしますが、日常に「死」が溢れる、死と隣り合わせの体験もまた、人々の人生観や死生観に大きなものをもたらすと思うのです。

 まだ、医学部、看護学部の学生も、インターンとして、最前線の現場に駆り出されている状況で、多くの学生たちは、いきなり深刻な現場で、慣れない人の死にいくつも直面しています。
 彼らが、戸惑いながら、身体的にも、精神的にも、どれだけキツい状況で、必死で働いているかと思うと、心が締め付けられるような気持ちです。

 今はまだ、皆が、一人でも多くの命を救うこと、生きること、生き残ることに必死な状態ですが、ただただ、何もできずに家に閉じこもっている私でさえも、いつか、ロックダウンが解けて、外に自由の身で歩けるようになった時には、世界が変わって見えるような気がしているのです。

 

 
 

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