2020年1月3日金曜日

フランス人は、イタリアを下に見ている





 日本では、フランスもイタリアも、きっと似たような位置付けで、どちらも、おしゃれで、ヨーロッパの中では、きっと、比較的、印象の良い国の部類に入っているのだと思います。

 フランス料理もイタリア料理も人気があり、フレンチやイタリアンのレストランも日本には、たくさんあり、ちょっとおしゃれなデートなどでは、フレンチやイタリアンは、きっと同じレベルで存在しているのではないかと思います。

 日本人に人気の観光地としても、フランスは、安定の人気の国の一つですが、イタリアも同様に人気があり、どちらかというと、今や、イタリアの方が人気があるくらいです。

 ところが、フランス人は、なぜか、イタリアを下に見ているのです。

 これは、私が、フランスに住み始めて、初めて気が付いた意外な事実でした。

 まあ、誇り高く、愛国心旺盛なフランス人ですから、フランス人は、フランスが好きだということが、一番の理由だと思うのですが、同じ、ヨーロッパの隣国の中でも、ことさら、イタリアを下に見ていることがフランス人の言葉の端々に垣間見れます。

 きっと、ドイツやイギリスなどには、経済的にも、社会的にも、大きく出ることもできず、国民性も明らかに異なり、大っぴらに嫌ったり、バカにしたりすることはできないのでしょう。

 フランス人からすれば、イタリアは、経済的にも、ずっと下で、貧しく、貧しいがゆえの狡猾さを嫌悪し、警戒もし、脳天気でルーズで・・・となるのです。

 フランス人が第二外国語として、選ぶのも、ドイツ語かスペイン語が主流で、イタリア語は、大きな選択肢の中には、入っていません。学術的にも特視する点も見当たらず、フランス人がドイツやイギリスに留学することはあっても、ファッションなどの特別な業界以外で、イタリアに留学するなどという話も聞いたことがありません。

 私にしてみれば、表面的には、気難しく、気取って見えるフランスも、イタリア同様、基本的には、ラテン系で、ルーズで、気分屋で、似ているところも多いと思うのですが、そんなことをフランス人に言おうものなら、大変です。

 似ているからこそ、鼻につき、経済的に下で貧しいからこそ、ここぞとばかりにイタリア人を下に見るフランス人も、実は、イタリア人ほどには、陽気にもなりきれず、楽観的に人生を達観することもできない愛国心とジェラシーの裏返しなのかもしれません。

 しかし、意外と日本人には、知られていない、このフランスとイタリアの微妙な関係。
改めて、観察してみると面白いかもしれません。

 













2020年1月2日木曜日

お正月は、元旦のみ。フランスに、三が日はない




 フランスは、クリスマスをイブからクリスマス当日にかけて、盛大に祝いますが、祝日自体は、25日のみで、御用納めのような年末の区切りはなく、(実際には、クリスマスの期間にバカンス休暇を取る人は多いですが)31日には、新年へのRéveillon (レヴェイヨン)=カウントダウンは、あるものの、休日でもなく、年が明けて、1月1日の元旦のみが祝日で、2日からは、あっさりと仕事も始まります。

 ですから、この時期に、バカンス休暇を取らない限り、この、主には、食べるのに忙しい行事を乗り切るのは、大変です。タダでさえ、日頃から、食べることばかり考えている私にとっては、この食の一大行事の年末年始は、いつも以上に食べ物のことばかり考えています。

 12月の24日のクリスマスイブの日も、家族間で、人を招いたり、招かれたりが多い中、仕事を終えてからのディナーの準備に気忙しく、実際に慌ただしい時を過ごすことになります。

 24日、25日のメニューをあらかじめ、考えて、24日までに買い物を済ませ、下準備を済ませて、クリスマスイブ、クリスマスとのアペリティフから始まるディナーをせっせと用意します。

 自分自身も食べながら、常に満腹状態での次の食事を作り続ける二日間を過ごし、26日には、仕事です。

 日本人の私としては、大晦日の年越しそばや、お正月のお雑煮やおせち料理も、娘に日本の文化を伝えたい気持ちや、自分自身も一年の区切りを感じたいことから、フランスに来てからも、欠かしたことはありません。

 きっと、海外在住の日本人の多くの人が同じようなことをしているのではないかと思います。海外にいるからこそ、より、日本のお正月を感じたいという気持ちが湧いてくるのです。

 日本なら、お正月の三が日くらいは、ゆっくりして・・という感覚が染み付いていた私には、お正月早々、1月2日から仕事、お正月早々に仕事が始まることに最初は、なんだか、しっくりこない感じが拭えませんでした。

 実際には、私自身は、仕事上、元旦の日から出勤していましたので、元旦のお雑煮は、夜に・・となっていましたが、しかし、そんな生活も、いつの間にか習慣になっていました。

 ですから、きっと、年末年始の特別な食事のスケジュールは、年越しそばとお雑煮、おせち料理が加わる分だけ、フランス人以上に忙しい気忙しい、特別な一年の食の行事がたて込む時期なのであります。

 食いしん坊の私としては、忙しいけれど、楽しくもあり、クリスマスを盛大に食べて過ごしながらも、年越しそばとお雑煮と少しのおせちを欠かせない日本人なのであります。

 そして、たとえ、三が日が休みでなくても、年越しそばと、お雑煮と、少しのおせち料理、最悪、特におせち料理でもないものをお重箱に詰めて食べれば、お正月を迎えた気持ちになるのです。

 考えてみれば、私にとっては、宗教心も行事の意味も何もなく、ただ、ひたすら、食べることで、一年の区切り区切りを感じている超単細胞なのです。

 

 

2020年1月1日水曜日

パリの年越しと、シャンゼリゼのカウントダウン 日本語のオーシャンゼリゼ





 フランスの大晦日の年越しは、17時から、メトロなどの交通機関が無料で解放されることから、始まります。

 昼過ぎにちょうど駅にいた私は、17時からパリ市内の交通機関が無料で解放されるというアナウンスを聞いていましたが、これは、毎年と同じことながら、今年は、一ヶ月近くものストライキが続いているため、今さら、ほんの一日、無料でメトロを解放することをどこか、シラけた思いで、聞いていました。

 これだけ、一般市民を困らせておいて、今さら、偉そうに無料開放のアナウンスとは・・間引き運転で、通常では、考えられないような混雑したメトロに乗りながら、ますます、腹立たしい気持ちになりました。

 夜には、これも、毎年のことですが、大統領の2019年を振り返りつつ、新年に向けての国民向けのスピーチが流され、すぐさま、大統領のスピーチを聞いた街の人々や、スタジオに招かれたコメンテーターが喧々囂々とコメントする様子が流されます。

 昨年は、黄色いベスト運動で、今年は、年金改革に反対するデモやストライキがおこり、混乱の最中ですが、マクロン大統領がある程度は、歩み寄るが、年金改革に関しては、譲らないと声明を発したこともあり、気の毒なほど、マクロンが嫌われている様子が流されていました。

 それ以外の大晦日のトップニュースは、カルロスゴーンが日本からレバノンに逃げたことが報じられていました。

 シャンゼリゼでの年明けのスペクタクル(ショー)は、23時半頃から始まりますが、多くの人が、17時頃から集まり始め、シャンゼリゼは、あっという間に人で埋め尽くされます。
 

 今年は、ストライキの影響で、例年に比べると、若干、人出は少なかったものの、それでも、30万人の人出で賑わっていました。

 ストライキのイライラから、見事に気持ちを切り替えられるものだと感心しますが、この凱旋門、シャンゼリゼの大晦日のショーは、4ヶ月前から準備された、やはり、壮大なショーでした。
 
凱旋門、シャンゼリゼのショーの演出をする人々


音楽と映像を駆使したスペクタクルは、なかなか見応えもあり、シャンソンや現代的な音楽も使われ、最後は、凱旋門の背景に壮大な花火が打ち上げられて終わります。

 ショーを紹介するニュースでは、世界一美しいシャンゼリゼのスペクタクルをご覧くださいと、相変わらずのフランス人らしい、自信満々のキャスターの紹介で始まります。

 今回は、途中、日本人にも広く知られるオーシャンゼリゼの歌が流され、歌詞の2番は、なんと日本語訳の歌が流されるというサプライズな演出もありました。


オーシャンゼリゼの歌が日本語で流された動画

 2019年は、前年から続いていた黄色いベスト運動が記録更新のように続く中、ノートルダム火災や42℃という記録的な暑さを更新し、年末には、また一ヶ月を越そうとしているストライキやデモで大混乱満載のフランスでしたが、2020年は、少しでも、良い年となりますようにと祈っています。

 




2019年12月31日火曜日

フランスの年末年始にかけての食事




 フランスで、一番、季節感が味わえるのは、やはり、クリスマスから年末年始にかけての食事だと思います。

 明らかにクリスマスが一年の一大イベントと見なされている様子がその食料の豪華さや、豊富さ、圧倒的な量からもわかります。

 12月に入ると、スーパーマーケットやデパートの食料品売り場などは、莫大な量のフォアグラや、鴨肉、シャポン(普通の鶏よりもひとまわりもふたまわりも大きな去勢鶏)、キャビア、トリュフ、生ガキ、生ハム、スモークサーモン、テリーヌ、タラマ、いくら、オマールなどのエビやカニ、貝類が盛り合わせてあるシーフードのプレート、たくさんのチーズがのったプレート、シャンパン、ワイン、山積みにされたチョコレート、ブッシュ・ド・ノエルと呼ばれる丸太の形をしたケーキ、などなど、高級な食材で溢れかえります。

 日頃は、スープにハムにチーズとパン・・などという、かなり質素な食生活を送っている家庭が多いフランス人も、クリスマスや、年末年始には、ここぞとばかりに贅沢な食事を楽しみます。

 クリスマスイブとクリスマス当日、大晦日、元旦と続く、パーティーメニューに何を作るか? 何を食べるか?のテーマは、毎年のことながら、皆が楽しみながら、思考を凝らします。

 日本だと、クリスマスには、チキンという印象があるかもしれませんが、フランスでは、クリスマスの時期にしか、あまりお目にかかれないシャポン(大きな去勢鶏)が登場します。

 赤ワインの煮込みなどもありますが、多くは、栗やレバーなどをコニャックで風味付けしたものをお腹に詰め込んで、丸焼きにします。

 チキンよりも見た目にも立派で大きく、食べ出もあり、テーブルを華やかに飾るので、カッコつけたがりのフランス人には、好まれます。

 クリスマスは、家族で過ごし、大晦日から元旦にかけては、友人と過ごす人が多いのですが、どちらにしても、ただでさえ、食事に時間をかけるフランス人、ほぼ、数日、食べ続ける生活が続き、ほとんど、フォアグラのために飼育されている鴨のような状態になります。

 しかし、このフォアグラ状態は、まだまだ続きます。

 元旦もようやく終わり、クリスマスのバカンスも終わって、ヤレヤレという頃にまた、ガレット・デ・ロワという、アーモンドペーストを包んだパイ菓子を食べるという公現説(1月6日)の行事が控えています。

 ガレット・デ・ロワは、中にフェーブと呼ばれる陶製の小さな人形が一つ入っており、家族で切り分けて食べ、フェーブが当たった人は、ガレット・デ・ロワを買うと、必ず付いてくる王冠をかぶり、祝福を受けて、一年間、幸運が継続すると言われています。

 この時期になると、しばらくの間、家庭だけでなく、会社や友人などの間でも誰かしらが、ガレット・デ・ロワをシャンパンやシードルなどとともに買ってきては、王様ゲームのようにして食べるということが続きます。

 これで、一区切りではあり、ようやく落ち着きますが、2月2日には、ラ・シャンドゥルール(キリスト教の行事)でクレープを食べる日もあります。

 とにかく、年末年始にかけてのこの食事に、私たち、日本人は、海外在住といえども、大晦日の年越しそばや元旦のおせち料理やお雑煮をなんとか、挟み込みます。

 おせち料理などは、揃えるのも難しいのですが、そこは、なんとか出来るものだけでもとお重箱に詰めたりもしてみます。

 私は、今年は、誘惑に負けて、フライングで、年もあけていないのに、ガレット・デ・ロワを食べてしまいました。

 こうして、毎年毎年、年明けには、深く深く、ダイエットを決意するのであります。

 

2019年12月30日月曜日

理解できないストライキの続行



今年の12月に始まった年金改革に反対するストライキは、一向に解決の兆しが見えません。ストライキが始まって以来、もうそろそろ、一ヶ月が経とうとしています。

 今日も、買い物に行こうとして、トラムウェイ(パリ市内を走る路面電車)に乗ろうとしたら、通りを黙々と歩く人々がやたらといて、嫌な予感・・・やっぱり、電車は、来ないのです。

 なんとか、歩くことはできても、買い物をして、帰り、荷物を持って、延々と歩く元気はなく、敢え無く、断念しました。

 もはや、数々の記録更新を目指していると言わんばかりの長期戦で、これだけ大規模なストライキが続くのは、30年ぶりとのことで、パリ市内、パリ近郊の交通機関、メトロなどは、自動運転の2線を除いては、何本かに一本の間引き運転のみという状態がずっと続いています。

 公共交通機関が使えないことから、車は大渋滞で、パリ市内と郊外を結ぶ環状線は、600キロの大渋滞を記録し、ひたすら困って、足を求める人が押し寄せ、Uber(ウーバー)などの価格も急上昇し、ストライキとは、関係ありませんが、今年の夏の42℃という異常な暑さの新記録更新とともに、2019年は、フランスでは、暮らし辛い記録が次々と更新された一年となりました。

 昨年の11月から続いていた黄色いベスト運動がようやく下火になってきたところに、再び開始された感のある今回の年金改革のデモやストライキ。

 フランスの年金制度の赤字は、明らかで、今後も赤字は膨らみ続けるのは、明白なのにも関わらず、時代とともに改革していかなければならないのは、必須なのに、既得の優遇された権利にしがみつき、反抗を続けるのには、全く納得がいきません。

 だいたい、ストライキというもの自体、気に入らないから働かない・・という、まるで、駄々っ子のような振る舞いが、私には、理解できません。

 この間に、働きたくても働けない人がどれだけいることか、クリスマス、年末年始のシーズンの観光客が、どれだけ足止めを食っていることか? 今後の観光客がどれだけ二の足を踏むようになるか? 経済的な損失は、計り知れません。

 この間に、払い戻されたチケットは? 働きたくても働けずに利益をあげられなかった会社や、観光収入等のこの損失は、誰が払うのでしょうか?

 毎年毎年、いや、日常茶飯事のように行われているフランスのデモやストライキで、都市機能が麻痺し、経済が停滞していることは、必須です。

 逆にこんな状態が毎年毎年続いて、フランスが先進国の地位を保っているのが不思議なくらいです。逆に、こんなことが毎年毎年、日常のように、続いても経済が回っているフランスという国の持久力というのは、相当なものなのかもしれません。

 しかし、一般庶民の私としては、多くは望みませんので、普通の生活を普通に送れるような生活が1日も早く、戻ってくれることを祈りながら、新しい年を迎えることになりそうです。

 







2019年12月29日日曜日

絶対に入院したくないフランスの病院




 以前に、フランスの病院の救急外来でひどい目に遭った話を書きましたが、ひどいのは、救急外来だけではありません。

 私自身は、フランスの病院に入院をしたことはありませんが、家族や友人で、入院をした際のトラブルは、色々と耳にします。

 ひどい話だから、広がりやすく、話題にも登るのかもしれませんが、それにしても、日本では、聞いたことがなかった話なので、やはり、トラブルは多いのかと思ってしまいます。

 いくつか聞くのは、手術のミスです。
 実際に、私の主人も、私と出会うより、ずっと前に遭った大きな交通事故の手術の際の輸血の際に肝炎にかかり、その上、体内にガーゼを置き忘れたまま、閉じられてしまうという目に合い、事故のために、脾臓を切除された上に、肝炎にかかって、肝臓にも負担がかかり、その後、長いこと苦しむハメになってしまいました。

 また、私の友人もガンで数度にわたる入院をし、一度は、完治したように思われ、約一年後に仕事にも復帰していたのですが、ちょうど5年目ほどに再発してしまいました。

 定期的に検査を行い、5年間は、異常は認められなかったのですが、ちょうど5年目に入った頃の検査で、病院からは、一応、完治という診断を受けたのですが、血液検査の中のある数値の変化に彼女は疑問を感じ、再検査を彼女の方から依頼したところ、再発していることがわかりました。

 彼女自身が検査結果を注意深く見ていなければ、再発は、見過ごされていたわけです。

 それから、放射線療法や、化学療法、数回にわたる手術など、長期間にわたる彼女の闘病は、壮絶なものでした。そのうちの一回は、うまく縫合されておらず、長時間にわたる手術のやり直しなどもありました。

 ガンの疼痛も激しく、度々、医者や看護師が呼びつけられるのを避けるためなのか、モルヒネが点滴で常に繋がれているようになり、痛みを感じれば、自分の判断で、モルヒネは、好きなだけ、自分で投与できるようになっていました。

 痛みに耐えられなくなり、モルヒネを投与していくうちに、彼女は、幻覚を見るようになり、痛みよりも、自分自身を失っていくことが耐えられなくなり、モルヒネの投与は、断るようになりました。

 自分自身もこの治療をしたら、身体がどのような状態になるという説明が詳しくされておらず、治療に関しては、後から考えてみれば、まるで、実験材料にされたとしか、思えない状況でした。

 治療についての説明と話し合いは、とても重要で、この治療・手術をしたら、どのような、結果になる可能性があるかということは、しっかりと医者と話し合って、納得して、治療は、選ばなければいけないと、彼女のケースを見ていて、深く思い知らされました。

 治療に関してだけでなく、病院には、泥棒までいて、彼女が眠っている間だったのか、いつの間にかは、わかりませんが、彼女が病室に持ってきていた、お財布やカード、アパートの鍵などの入ったバッグが盗難にあったこともありました。

 病院にいながら、彼女は、クレジットカードを止めたり、保険のカードの再発行をしたり、アパートの鍵をつけなおしたりと、ただでさえ、体調が悪く、苦しんでいる彼女を狙うなんて、許せない!!ホトホト気の毒になりました。

 結局、苦しい闘病の末、彼女は、亡くなってしまったのですが、それから、意味のわからないことに、入院の記録があり、退院をした患者さんに対して、病院が事務的に送っていることなのかもしれませんが、これまた杜撰で、彼女の死後、しばらくしてから、その後の経過は、いかがでしょうか?というようなレターが彼女宛に届き、さすがに、あまりに失礼で呆れ果てました。

 こんな場面に、数々、遭遇してしまうと、たとえ、病気になっても、フランスの病院には、絶対に入院はしたくないと思うのです。

 

 









2019年12月28日土曜日

絶対に謝らないフランス人と謝ってばかりいる日本人




 昨日の午前中、携帯に複数の保険会社から電話がかかって来ました。どうやら、誰かが数社の保険会社に対して、自動車保険の見積もりを出すように頼んで、電話番号を伝えたところ、間違えたらしく、私の電話に立て続けに保険会社からの間違い電話が入り、最初は、「マダム〇〇ですか?」 と言われて、「違います・・」と言って、切っていたのですが、あまりに立て続けに何件も電話がかかるので、しまいには、うるさくなり、「今朝から、何件も同じ間違いでかかってくるけど、この番号は違うので、番号を記録から消してください!」と頼んだら、「それは、本当にすみませんでした!」と、間違い電話をかけて来た人が謝ったので、うわ!謝る人もいるんだ〜と、とても、びっくりしました。

 次にかけて来た人に、同じことを言ったら、「OK!」と言って、ガチャンと電話を切られました。こちらは、普通の応対ですが、いくら慣れても、やっぱり、感じの悪いものです。

 フランス人の接客、サービス業に関しては、とかく、間違いが多く、しかも、絶対に謝らず、常に、高飛車なのです。

 これに反して、日本は、とにかく、どんなに些細なことに対しても、すぐ謝るのが、当たり前で、もはや、謝罪があまりに日常的で、フランスのような、絶対に謝らない国に住んでいると、それは、それで、ちょっと妙な感じすらします。

 ほんのちょっとの間であっても、「お待たせして申し訳ございません。」、工事現場などで、よく見かける、黄色いヘルメットをかぶったおじさんがお辞儀をしている看板「工事中につき、大変、ご迷惑をおかけしております。」、何かミスでもあろうものなら、平身低頭で平謝りです。

 新幹線や、電車などの交通機関であっても、たとえ、数分間の遅れであっても、「大変、ご迷惑をおかけいたしました。」などと、必ず、アナウンスが入ります。

 それは、サービス業だけには、とどまらず、ごくごく日常の友人、知人関係などにおいても、知らず知らずのうちに、自分でも、「ごめんね。」とか、「すみませんでした。」とか、気づかないうちに、挨拶がわりのように、ちょっとのことでも、口癖のように、ついつい謝っていることに気づきます。

 フランスにいれば、ちょっとでも、謝ってくれたら、気分も和らぐのにと思うこともしばしばですが、逆に考えれば、ミスに対して、寛容だと考えることもできます。ですから、日本だと、どんなに少しのミスに対しても、厳しく、ミスを許さない厳格な社会なのだと考えることもできます。

 以前、日本に住んで長くなったアメリカ人の友達が、久しぶりにアメリカに帰って友人に会った時に、「どうして、おまえは、そんなに謝ってばかりいるんだ!?」と言われたと、苦笑していたことがありました。

 日本に長くなると、外国人でさえも、すぐに謝る習慣がつくようです。