2022年5月31日火曜日

フランス人ジャーナリスト ウクライナの戦地で取材中に撃たれて死亡

  


 週明けの月曜日、フランスBFMTV(フランスのニュース専門チャンネル)のジャーナリストがウクライナ東部のセベロドネツクでBFMTVの取材中に榴散弾に当たって死亡しました。彼はBFMTVに入社して6年目の32歳のフランス人フォトジャーナリスト、ウクライナ戦争勃発以来、ロシアの侵攻を取材するためウクライナに赴き、2回目の任務で走行中の車両がロシアの爆撃の標的になり、首を撃たれて致命的な傷を負って死亡したということです。

 彼はパートナーのマキシム・ブランドシュテッターとともに、できるだけ前線に近い東部での紛争を取材していました。当日も彼は民間人の避難を記録中にロシアの榴散弾で首を撃たれたとのこと。

 BFMTVの局長によると、「彼は熱血漢ではなく、冷静着実に勤務を遂行してきた人で、この戦場という危険な取材において、彼は任務の一分一秒を秤にかけて行ってきた」と彼の行動が決して無謀な行動ではなかったことを語っています。

 彼に同行していた同僚も脚を負傷して、すぐにフランスに送還されることになっています。



 このフランス人ジャーナリストの死亡の報せに、マクロン大統領は、自身のツイッターを通じて、「人道的救助のバスに乗り、ロシアの爆撃から逃れるために逃げざるを得なかった市民と並んで、彼は致命的な傷を負った」と説明。「フレデリック・ルクレール・イムホフ氏は、戦争の現実を伝えるためにウクライナに滞在していた」「戦地で情報提供という困難な任務を遂行する人々に対して、フランスの無条件の支援を改めて表明したい」と記し、「ルクレール・イムホフの家族、友人、同僚の悲しみを共有する」と追悼の意を表明しました。 

 他の報道には、載っていませんでしたが、マクロン大統領のツイートによると、彼が取材していたのは、ウクライナ民間人の人道的救助のバスでの出来事。民間人の人道的救助に使用されているバスがなぜ、標的になっているのか?

 献身的に真摯に仕事に取り組んでいた若者の死は衝撃的で、この悲劇は、3ヶ月以上前からこの紛争を命がけで報道しているすべてのジャーナリストが直面している危険をあらためて再確認させられます。

 彼が2014年にボルドー・アキテーヌ・ジャーナリズム学院(IJBA)を卒業したのは、そんなに昔の話ではありません。同時に卒業したジャーナリスト仲間からも悲しみの声があがっています。


 添付したツイートの写真は、5月21日、ミコライフの町で周囲で「大爆発」が起こっている中、廊下でレポートを編集している姿です。彼の仕事に向きあう真摯な姿勢がみえる貴重な写真です。

 彼の親の立場からしたら、なぜ、そんなに危険な仕事に就く学校に進ませてしまったのか?と後悔の念にかられそうなところですが、彼の母親は、BFMTVに対して、「彼は確かにとても献身的で、私は彼の選択を誇りに思います」と短いメッセージを送っています。

 BFMTV報道局長は、記者が2回目のウクライナ訪問をしたのは「本人の希望によるもの」、「これは、私たちの汚名を晴らすためではなく、彼の決意を表明するために発表したのです」と述べ、フレデリック・ルクレール・イムホフの母親と電話で話をした模様を「彼女は明らかに涙を流していた。彼女は明らかに、私たちBFMTVと同じようにプライドを持って、息子の仕事が何であるかを知っていたのです」と静かに語っています。

 この戦争は、報道戦などとも言われていますが、私たちは、彼らのような使命感をもったジャーナリストのおかげで、この悲惨で卑劣な戦争という状況を知り、考えることができるのです。

 ウクライナ戦争開始以来、ジャーナリストの死亡はこれで8人目です。NGOが発表した数字によると、他に9人のジャーナリストが負傷し、13人が拉致または恣意的に拘束され、そのうち4人が拷問や虐待の犠牲になっています。

 キエフに滞在しているフランスの外務大臣は、彼の死は「深く、衝撃的であり、透明性のある調査を要求する」と述べました。

 今日は、彼の取材した映像がBFMTVで流れ続けています。


フランス人ジャーナリスト死亡


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