2020年1月19日日曜日

フランス人にとっての夫婦の寝室





 主人は、大変な暑がりで、冬でも寝室の窓を開けて寝ようとするので、私は、寒くて寒くて、「じゃあ、違う部屋で寝るから・・」と、言ったことがありました。

 すると、主人は、まるで、私が離婚を申し出たかのごとく、「違う部屋で寝ることは、ありえない!」と言って、血相を変えて、それを拒否したのでした。

 私は、同じ部屋で寝るかどうかということよりも、同じ部屋で寝るということにそこまで、こだわっていた主人にビックリしました。

 私たちは、日頃、別段、仲が悪いわけではありませんが、かといって、そんなにラブラブなわけでも、ベタベタしているわけでもなく、まあ、普通の感じの夫婦の関係だと思っていたのです。

 しかし、彼にとっては、夫婦が別の部屋で寝るということを、とても深刻な問題として、受け止めていたのです。

 彼がフランス人代表とは言いませんが、なんとなく、主人のその言動から、フランス人の夫婦、カップルの関係について思いを馳せたのです。周りのフランス人のカップルの寝室事情は、わかりませんが、やはり、どこか、夫婦がいつまでも男と女の部分を失くさないように思うのです。

 いつか、別のブログでも書きましたが、スポーツジムで見かける女性たち(けっこうな歳のオバサンも含む)の下着の派手さから、フランス人は、女を捨てない!と感じたこととも通ずるところがあるのかもしれません。

<フランス人は、女を捨てない!>https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/07/blog-post_14.html

 そして、主人は、娘が私たちの寝室で寝ることも、頑なに、決して許さず、川の字になって寝るなどということは、一度もなく、時間になると、娘は、子供の部屋に一人で寝る習慣をつけさせていました。

 日本では、夫婦が寝室を別にするという話は、よく聞きますし、夫婦の寝室に子供を一緒に寝かせるという話もよく聞きます。

 なので、私は、それほど、「窓を開けて、寒いから、別の部屋に寝るよ!」と言ったことが、それほどの重大問題とは、思わなかったのですが、彼にとっては、寝室を別にするということは、大変な重大事だったのです。

 たしかに、夫婦が二人で過ごす時間を大切に考えているがゆえの、フランス人にとっての夫婦のあり方、そして、夫婦の寝室へのこだわりに、私は、改めて、文化の違いを思い知らされた出来事でありました。

 




















2020年1月18日土曜日

香水を楽しむフランス人




 我が家は、私だけでなく、弟も海外生活が長く、アメリカに長いこと駐在した後、今は、シンガポールに駐在しています。そんな海外にも慣れている彼が、初めてパリに来てくれた時、パリは、街中がDUTY FREE SHOP の匂い、つまり、香水の匂いに溢れているというのです。

 私は、自分自身も香水(といっても、parfum(香水)ではなく、オードトワレか、せいぜい、オードパルファムですが、)を使うことが習慣になっているので、あまり、街中の香水の匂いが気になることは、ありません。

 しかし、日本に比べれば、きっと香水を使っている人は、多いと思いますし、特に、男性の香水の使用率は、日本と比べたら、かなり高いのではないかと思います。

 例えば、何か、プレゼントをするときに、日本人なら、香水は、好みもあるし、使わない人も多いので、避けることが多いと思うのですが、実際のところ、好みがあるのは、香水だけに限ったことではなく、単に、あまり使う習慣がないからだと思うのです。

 好みがよくわからない人にプレゼントするなら、比較的、万人向けの、軽い香りのものを選べば良いわけで、フランス人に香水をプレゼントして、嫌な顔をされたことは、ありません。嫌な顔どころか、大仰に喜んでもらえます。

 また、香水のフラコン(瓶)のデザインも楽しめて、コレクションをしている人などもいて、蚤の市などでは、空のフラコンでさえ、売られています。

 実際に、香水メーカーも一流どころは、そのデザインにも、かなり力を入れています。
 ニナリッチの L'AIR DU TEMPS(レールデュタン)などは、生産性の悪いことに、同じ香水でいくつもの種類のフラコンを出していますし、シャネルの香水のフラコンは、どれもシンプルですが、洗練されていて、嫌味がありません。

 シャネルの5番のフラコンのキャップは、長方形を加工した形になっていますが、それは、上から見ると、パリの Place Vandome(ヴァンドーム広場)の形になっているのをご存知ですか?

 そんな、デザインの小さなことを楽しんでいるのも、フランスならではのエスプリのような気もするのです。

 しか〜し!!この香水の香りをぶっ飛ばす、激しい体臭の持ち主が、時折、いることも事実です。特に夏場になると、街中、特にメトロの中などで、強烈な体臭に遭遇する確率は、高くなります。

 この時ばかりは、フランスに香水が溢れかえる理由がわかる気がするのです。














  










2020年1月17日金曜日

フランス人は、意外とエシレバターを知らない


エシレバターの写真があるかと思ったら、なかったので、家にあった使いかけのエシレバターの写真で失礼!



 日本に帰国する際に、一番、「買ってきて!」と頼まれるのが、エシレバターです。
帰国の際は、近所のMonoprix(モノプリ・スーパーマーケット)で、山ほど、エシレバターを買うので、レジのお兄さんに、「バター、好きなんですね・・」と唖然とされるほどです。

 日本でのエシレバターの値段は、驚異的に高く、フランスで買う10倍近い値段です。
今どき、フランスと日本の間で、これだけ値段の違いがあるものも、そうそうありません。フランスの乳製品は、本当に日本で高く売られているので、一体、誰が買っているのか、一度、見てみたいと、いつも思います。

 エシレバターを使ったクロワッサン、エシレのクリームを使ったソフトクリームなど、「ECHIRE」「エシレ」という名前がつくと、たちまち、行列ができるほど、日本では、確固たるブランドを築いています。

 たしかに、エシレバターは、美味しいですが、それほど、フランスでも有名かというと、意外にも、それほどでもないのです。

 フランスでは、1秒に、14.3 kg、年間にすると、450,000tのバターが生産されています。一人当たり、年間8㎏のバターを消費するという、世界一バターが好きな国民なのです。(ちなみに日本人のバターの消費量は、一人当たり、0.6kgです。)

 一般的な、フランス人の日常は、大して、手の凝ったお料理をしないわりには、わりと、頻繁にケーキなどのお菓子づくりは、マメにします。ケーキを作る方は、ご存知のことと思いますが、ケーキの材料となるバターやお砂糖の量を改めて知ると恐ろしいほどの量です。

 フランス人は、毎日、食べるパンにもバターを塗るというより、塊のようなバターを乗せ、ステーキを焼いてもバターを乗せ、炒め物にもバターを使い、下手をすると、パスタまで、バターまみれにします。

 エシレバターは、たいていの普通のスーパーマーケットにも売ってはいますが、日本よりは、安いとはいえ、他のバターに比べると高く、高級品で、大量にバターを消費する家庭では、そんなに高いバターは選ばないのです。

 ・・・というより、エシレバターという名前さえも知らないフランス人は、意外にも多いのです。(若い子は特にです。)

 娘の高校のクラスメートは、私立ということもあり、比較的、経済的にも恵まれている家庭が多いのですが、それでも、エシレバターを知っている、家で使っているという人は、意外にも中国人の家庭だけだったとのことで、その話を聞いて以来、他の人にもそれとなく、聞いてみると、知らない人、食べたことがない人が多いのです。

 エシレバターの値段が高めといえども、所詮、バターですから、高いといってもしれています。(フランスでは、)
 思うに、そこまでのこだわりがバターにないのかもしれませんし、エシレでなくとも、美味しいバターはたくさんあります。そして、我が家や、中国人の家庭などでは、恐らく、バターを使う量がフランス人の家庭に比べて圧倒的に少ないからこそ、こだわってバターを選んでいるのかもしれません。

 エシレバターは、フランスより、日本での方が有名で、人気なのです。


<エシレバター>











2020年1月16日木曜日

フランス人は辛いもの、熱いもの、かたいものが嫌い




 私は、およそ、胃に悪そうなものが好きです。

 熱いものは、アツアツで、冷たいものは、とことん冷たく、(例えば、グラスまで凍らせて、キンキンに冷えたビールを注いで飲む)そして、辛いものが好きです。

 主人に関しては、その真逆です。
 そして、それは、フランス人全般に共通する味覚の特徴のようです。

 熱いものは、出来立てのアツアツで食べたい私ですが、主人は、熱いものが嫌い・・というより、苦手、つまり、ねこ舌です。

 せっかく、出来立てのものを温かいうちにと思っても、わざわざ冷ましてから食べます。冷ましながら、待ちきれずに、「何とか、熱くしないで、お料理ができないのかな?」などと、言います。

 最近は、パリにもラーメン屋さんがたくさんでき、オペラ近辺にある日本食屋さんが並ぶ、Rue Saint-Anne(サンタンヌ通り)や、その近辺には、昼時などは、フランス人の行列ができるほど、人気です。

 現地の人に人気になれば、料理も、その国の人の好みに寄っていくのは、世の常ではありますが、それは、日本人には、到底、満足のできないものになる可能性があります。

 お店の名前は、差し控えますが、中には、熱すぎないラーメンを出すお店があります。
日本人の観光客が旅行中にラーメン食べたさに、飛び込んだお店に憤慨していたことがありました。

 「湯気のたたないラーメンってありえますか???」と。

 つまり、そのお店は、フランス人向けに、ラーメンを熱すぎない状態で、出しているのです。日本人からすれば、それこそ、湯気のたたないぬるいラーメンなどありえません。

 それこそ、お店からすれば、故意に、サービスで、熱すぎないものを提供し、しかも、熱い状態で、出せば、冷ます時間がかかるわけですから、それだけ、お客の回転も悪くなるわけです。

 また、日本には、やたらとあるカレー味のものも、フランスには、少なく、カレーソース、あるいは、カレー煮込み・・などと書いてあっても、およそ、カレーの味は、自らが、一生懸命、口の中で探さなければ、みつからないほど、あさっての方向で、カレーをどこかにかすかに感じることができる代物で、もちろん、辛くもありません。

 それは、カレーだけではなく、タコスのソースなど、他のスパイシーな食べ物に関しても同じです。「HOT!!」とか、「PIQUANT !(ピーカン)辛い」などと表示してあっても、全然、辛くなく、どこかに、唐辛子やチリパウダーの香りを感じるだけです。

 そして、彼らは、柔らかいものが好きです。
 野菜などは、形が崩れそうになる程、茹でます。最近は、健康志向で、サラダなどを食べている人も見かけるようになりましたが、概して、生野菜は、あまり好きではありません。

 主人の息子が家に遊びに来た時に、茹でたブロッコリーを出したら、主人が、「日本風だから、少し固いよ!」と息子に注意しました。その時、初めて私は、彼が野菜が固いと思っていることを知りました。

 茹で野菜や、炒めた野菜などは、微妙な火加減で、火が通り過ぎないように気をつけるのですが、どうやら、歯ざわりとか、歯ごたえとかいうものを彼らは、楽しまないのです。

 ですから、外食などで、パスタを頼んだりすると、下手をすると、茹で過ぎの、アルデンテとは、程遠いものが出てきたりします。

 味覚は、嗜好ですから、人それぞれですが、ぬるいラーメンを好み、グニョグニョになった野菜やパスタを好み、寝ぼけたような味のカレーを好む、彼らの国が、美食の国と呼ばれることに、私は、納得がいかないのです。












 











 

2020年1月15日水曜日

フランスのソルド・バーゲン




 フランスでは、Soldes ソルド(バーゲン)の時期が決められていて、

  2020年の冬のソルドは、1月8日(水)〜2月4日(火)まで、
                夏のソルドは、6月24日(水)〜7月21日(火)まで、となっています。

 なぜか、毎年、水曜日に始まって、火曜日に終わります。

 昨年のソルドは、黄色いベスト運動が加熱する中、デパートなども土曜日なのに、閉店したり、今年も年金改革反対のストライキやデモが現在進行形の中でのソルドになっています。

 ですから、きっと、一年のうちのかなりの売り上げを占めるソルドがこう毎年、ストライキやデモに邪魔されては、経済的にも大打撃を受けていることと思います。

 特に欲しいものがある場合は、1〜2日前に下見をして、品物と値段をチェックして、狙いを定めておきます。お店によっては、前日の夕方には、ソルドの札をつけ始めるので、前もって、はっきりした値段をチェックできます。

 しかし、酷いお店だと、例えば、40%offなどとなっていても、定価をあげて、割引していて、実際には、それほど安くはなっていなかったりするので、注意が必要です。

 また、同じ商品をネットで検索すると、意外とネット上の方が安かったりもするので、試着、あるいは、商品を見るだけはお店で見て、ネットで買う方が良いこともあります。

 全部で4週間のソルドですが、ソルドの初日が当然、品物が揃っていますが、最初の土日には、お客さんの出足を見込んで、大抵のお店は、土日のために商品を取っておいて、追加しますから、最初の土日も狙い目です。

 ソルドの2週目からは、2eme demarque、(2回目の値下げ)、週を追う毎に、3eme demarque、最後には、dernier demarqueと、売れ残った商品は、どんどん値段が下がっていきます。

 私にとっては、この最後の週が、意外と面白く、中には、思ってもみない値段に値下げしている掘り出しものなどがあるので、なかなか見応えがあるのです。

 3週めの終わりから最後の週になると、nouvelle collection(春夏物の新作)が混ざって展示されているので、いいなと思っても、結局は、ソルドになっていない商品だったりするのに、春物ということで、冬物に比べると値段も安かったりするので、うっかり、勢いにのって、買ってしまうという失態を演じます。

 娘が一緒の場合は、大抵、「調子に乗らない!」と言って、たしなめられます。

 また、ソルドで、買った商品でも、フランスでは、レシートと買った商品を持っていけば、返品、返金は、しっかりとしなければならないことが、法律で決められていますので、買ってみたけど、やっぱり・・と言う場合は、返すこともできます。

 返品、返金に関しては、なぜか、フランス人は、嫌な顔をせずに、あっさりと、返してくれるので、遠慮することは、ありません。

 むしろ、相手(お店側)に非があって(頼んだものと違うものが入っていたり、靴が右と左とサイズが違ったり・・フランスの買い物には、いえ、フランスには、常に気が抜けません。)、品物を返品、あるいは、交換してもらう時の方が、感じが悪い場合が多いというフランスならではの、法則があります。

 自分側に非がある場合は、自分の非を認めるのが嫌で、自然と感じ悪くなるのだと思われます。逆に、何の非もない場合は、「どうぞどうぞ・・返品させてあげるわよ!」と、大きな顔をできるので、ことさら感じ悪いことはないのです。

 この辺りもフランス人の気質が垣間見えます。

 一度、電化製品でしたが、頼んだものと違うものを渡されたのをお金を支払ってから気付き、その場で、品物の交換を頼んだら、その品物がなく、返品・返金を頼んだら、カードで購入したにも関わらず、カードへの返金の仕方がわからないと言われ、閉店間際だったこともあり、結構な量の現金、しかも、全て小銭で返金されたことがあり、頭に来たことがありました。

 後日、私が頼んだはずだった商品の代わりのものを買いに行った際には、その小銭をそのまま持って行って、買い物した私に、主人がビックリして、「そんなこと、思いつかなかった・・」と、ちょっと怯えていました。

 フランスに住んでいると、どんどん、性格が悪くなります。

 ちょうど、冬のソルドの時期は、日本からのエアチケットも比較的安い時期で、格安ツアーなどでは、5万円程度のツアーもあったりするので、以前、5万円のツアーで30万近いエルメスの靴をソルドで買いに来たという日本人に会ったこともありました。

 その辺の金銭感覚の極端なところが、日本人だなぁ・・と変なことに感心した覚えがあります。

 たしかに、同じ商品を安く手に入れることができる、このソルドの期間、魅力的ではありますが、フランスでのお買い物には、ソルドとはいえ、やはり、注意が必要なのです。

 

 


 






2020年1月14日火曜日

娘の真夏の成人式




 フランスは、18歳で成人を迎えます。

 娘が18歳になった時は、6月生まれの彼女は、ちょうど、バカロレア(高校卒業認定試験)やプレパー(グランドエコールの準備のための勉強をする学校)の試験の真っ最中で、成人のお祝いどころではありませんでした。また、フランスでは、全国的に「成人の日」なるものもありません。

 滅多に試験に動じることもない娘も、さすがにこの時ばかりは、緊張気味で、少なからず、ナーバスになっていて、とても、お誕生日のお祝いなどというムードではなかったのです。

 しかし、私としては、少なからず、フランスにおいては、成人した、いうことで、ヤレヤレこれで、一応、法律的にも一応、大人として彼女が認められ、保護者としての責任も、ひとまず、最低限は、果たせたという思いで、ホッとして、嬉しかったのですが、特にお祝いをするでもなく、試験が終わると同時に、試験の結果もわからないまま、夏休みでバタバタと、日本へ行ったりしたので、なんとなく、すぎてしまいました。

 私の知り合いの中には、セーヌ川の船を借り切って、18歳の息子の成人のお祝いをした・・などという話を聞いたこともありましたが、我が家は、そんなわけで、フランスでは、何もしないで終わってしまったのです。

 日本人の私としては、やはり、日本での成人、二十歳というのが、さらなる区切りで、日本で成人式の1月には、学校の都合で日本へ行く事ができないために、夏の帰国の際に、振袖だけでも着せて、記念写真を撮りたいと思っていました。

 実家の片付けをしながら、着物の入っている箪笥を探したら、私が成人式の際に着た振袖は、なぜか見当たらず、(おそらく、年下の従姉妹のところに行ってしまったと思われます。)代わりに、母がどうやら結婚式の時に着たと思われる振袖が見つかり、娘には、それを着せることにしていました。

 着物好きだった祖母が特別に仕立てさせたという振袖は、何十年もたった今でも、色褪せることなく見事な状態で、保存されていました。

 娘が二十歳になった年の日本の夏は、ことさら暑く、普通の服を着るだけでも暑いところを何重にも重ね着するような着物を、帯の間にいくつもの保冷剤を仕込みながら、娘に着せました。

 メイクも前の晩にネットで検索しながら、どうやら、人に頼むとおかしなことになりそうだ・・などと言いながら、二人で練習し、当日も、自分で、メイクをし、髪の毛と着付けだけをお願いし、写真館で写真を撮ってもらいました。

 真夏の写真館は、日本では、ちょうど、小学校のお受験用の写真撮影で、予約がいっぱいの時期で、カメラマンも混乱していたのか、二十歳の娘に対しても、小学校のお受験の子供にするように、黄色いヒヨコの人形などを片手に娘から笑顔を引き出そうとする様子がおかしく、そばに付いていた私は、そのカメラマンの方を撮影してドキュメンタリームービーを作ったら面白いのに・・と思ったほどです。

 美容院で着付けと髪をセットしてもらい、写真館で写真を撮ってもらい、娘の振袖姿を見せようと、私の最愛の祖母が眠る九品仏でお墓詣りをし、親戚の家を二軒周り、娘の成人式は、終わりました。汗だくの成人式でした。

 でも、本当に娘の振袖姿を一番、喜んでくれたであろう、私の祖母と両親には、見せられなかったことは、とても残念でした。

 しかし、自分の成人式の際には、母の望み通りに、大した感慨もなしに、振袖を着て、やたらと嬉しそうにしていた祖母や母を、ちょっと不思議な気持ちで見ていましたが、ようやく、自分が母親になって、なぜ、あんなに彼女たちが喜んでくれたのか、娘の成人式を通して、ようやく理解できた気持ちでした。

 あの時の母は、こんな気持ちだったのか・・と。

 そして、人生のある節目に、日本の着物を着る習慣は、日本の美しい文化のひとつなのだと、しみじみと思いました。

 今の現代的な世の中で、このような文化的な習慣がある国ってそうないと思うのです。

 しかも、それが、祖母、母、孫へと、引き継がれたものであれば、自分の祖先の思いに触れる機会であり、素敵なことだと思うのです。

 いつか、娘が着た振袖を娘の娘が再び、着てくれることがあったら、どんなにか、嬉しいことかと思っています。

 

 





























2020年1月13日月曜日

食いしん坊の家系





 私の父は、とても、わがままな人でしたが、特に食べ物に関しては、うるさいことこの上なく、良く言えば、亭主関白というか、いわゆる昭和の時代の父親で、お膳をひっくり返したりすることは、なかったものの、家の中で、父が家事をしたりすることはなく、仕事?で夜が遅い事も多く、早く帰って来れば、母と私とが、せっせと、父のための食事を用意し、父は、晩酌をしながら、食事をするのが常でした。

 父は、自分の口に合わないものは、たとえ、母が一生懸命に作ったものでも、ひと口、箸をつけただけで、クソミソにけなして、お皿をよけて、決して食べようとはしませんでした。

 しかし、そんな父の味覚は、大したもので、ちょっとでもごまかしのあるものは、すぐに見破られ、良いものは、その素性を知らせなくとも、「これは、美味い!」と言い当てるのでした。

 ですから、せっかく用意しても、不機嫌な顔をされるのが嫌で、母もせっせと父の好きな食材を買い集めるようになっていました。

 例えば、牛肉なら、シェルガーデン、とか、鶏肉なら、ここの店・・とか、毛蟹は、紀伊国屋、蕎麦はここ、など、食べ物、一つ一つこだわりがあり、(こだわりというよりも、それなら父も文句を言わないという感じ・・)買い物一つをとっても、母は、とても苦労していました。

 私は、食べ物が口に合わないからといって、(といっても、母も、そんなに酷いものを出していたわけではありません。)父の不機嫌さに、家族中に嫌な空気が蔓延する家庭をすごく不快に感じていましたので、結婚するなら、楽しく食事ができる人が良いと思っていました。

 結果、主人は、何でも美味しい美味しいと言ってくれて、楽しく食事ができる人で、私の作るものに文句を言ったことは、ただの一度もありませんし、日本食に対しても、とても寛容で、大げさと思えるほど、喜んで食べてくれていました。

 しかし、食いしん坊であることには、変りなく、分野は違いますが、とにかく、チーズとパンとワインが好きで、特にチーズに関しては、娘への食育と称して、度々、珍しいチーズを数種類買ってきては、「フランスには、何千という種類のチーズがあるんだから、それを知らなければ・・」などというタテマエで、私たちに振舞っては、渋い顔をされて、結局は、そのほとんどを自分で食べていました。

 私と娘も、日本に帰国すれば、ここぞとばかりに食べまくり、従姉妹たちや、結局のところ、友人に至るまで、食べ物に対するこだわりと執着は、凄まじく、日本で一緒に旅行などしても、まさに食べるための旅行であり、天ぷらやとんかつなどの揚げ物を食べに行くと言えば、お店の選抜はもちろん、油も一番油をめがけて、開店と同時の時間に行くという徹底ぶりなのです。

 あまりに食べ物にうるさかった父が疎ましかった私ですが、結果、悲しいかな、私や弟にとって、それは、大変な食育となっており、普通の家庭では、多分、食べないであろう珍しい食品や、料理などを子供の頃にたくさん食べており、いつの間にか、味覚も育っていたと思わざるを得ません。

 結果、気付いてみると、結局のところ、私も、フランスでも、誰に強制されるでもなく、バターは、これ・・とか、チーズなら、これ・・、生ハムなら、ここ・・とか、同じことをやっているのです。

 そして、何より、恐ろしいのは、娘は、驚くほど父にそっくりで、敏感な味覚の持ち主で、さすがに、父のように周りに当たり散らすことはありませんが、どんなにお腹が空いても、不味いものは、決して食べずに水を飲んで過ごすという、一切、食べ物に妥協を許さない姿勢の持ち主なのです。

 娘は、私の用意するものに関して、文句を言うことは、ありませんが、出汁をとれば、「え?お味噌、変えたね・・」とか、「今日は、昆布が違う昆布だね・・」とか、言い当てられるのを、過去の父から受けたトラウマからか、ドッキリさせられるのです。

 半分は、フランス人でありながら、日頃、概ねのフランス料理や、乳製品などが嫌いな娘ですが、ちょっと良いものが家にあったりすると、涼しい顔をして、「美味しいものなら、食べる。」と言って食べるその様子は、父を彷彿とさせます。

 娘は、私とは、全く違った環境で育っているのに、この感じ・・これは、「食いしん坊の家系」「食に取り憑かれた遺伝子」としか言いようがありません。