2020年5月25日月曜日

コロナウィルスの第一線に駆り出されたインターンシップの医学生のトラウマ・PTSD

  
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 今回のコロナウィルスの感染爆発により、フランスでは、医療崩壊が起こり、多くの地域の病院では、満床状態になり、病院のベッドだけでなく、医療機器、医薬品、医者、看護師も足りなくなる非常事態が起こりました。

 次々に運ばれてくるコロナウィルス感染患者が病院の廊下にまで溢れ、少しでも余裕のある地域に、TGVや軍用ヘリコプターなどで、患者を搬送したり、足りない呼吸器の補充に動物病院から呼吸器を回収して使用したり、潜水用のマスクを改良して使ったりしていた時期もありました。

 当然、医療に関わる人員も不足し、すでに引退している元医療従事者に呼びかけたり、医学部や看護学部の学生やインターンも多く動員されました。引退している元医療従事者でさえ、そのほとんどは、こレほどの危機的状況に立ち会ったことはないわけで、ましてや、まだ経験のない学生たちにとっては、いきなり、最初の壊滅的な第一線の現場での体験が衝撃的でないはずは、ありません。

 フランスで一番悲惨な状況であった3月末から4月の初めにかけての期間から、一ヶ月以上が経った現在は、イル・ド・フランス(パリ近郊地域)以外は、病院も満床状態からは、回復していますが、少し落ち着き始めた今、いきなり第一線に駆り出されたインターンの学生の3人に1人が心的外傷後ストレス・トラウマの症状を訴えています。

 Intersyndicale Nationale des internees(Isni)が金曜日に発表した調査によると、回答に応じたインターンの学生の47.1%が5月中旬に不安症状を、29.8 %はPTSDの症状を示し、18.4%は抑うつ症状を訴えています。

 医学を志し、勉強中だった学生たちが、突然、コロナウィルスでの危機的状況の中で、目に見えないけれど、強力な威力を持った未知のウィルスと戦う第一線の戦士となり、目の前で、たくさんの人が苦しみ、亡くなっていく場面に遭遇し、足りないベッド、足りない呼吸器、足りない医薬品の現場に時には、命の選択を余儀なくされていた場面もあったことでしょう。

 「悪夢」「怒り」「悲しみ」「恐怖」が連続した日々は、学生たちに、その後の不安症状、トラウマ、PTSDの傷を残したとしても、なんら不思議は、ありません。日常でさえ、医師になって、患者の死に遭遇することは、敗北感に苦しみ、辛いことに違いありませんが、それが、いきなり毎日毎日、得体の知れないウィルスのために、大勢の人が苦しみ、亡くなっていく現場は、彼ら自身をも、精神的に追いつめ、傷つけてしまったに違いありません。

 この学生たちのストレス症状は、非常に重いため、「悪夢、対処できない、それについて話すことができない。イライラ、怒り、不安、悲しみ・・」に苦しみ続け、この症状は、現場に駆り出された学生の間では、一般的な症状として、確認されています。

 フランスは、医療崩壊を起こした結果、将来の医療従事者に深い傷を残してしまっているのです。

<関連>「コロナウィルスによる命がけという体験」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/04/blog-post_2.html

 












2020年5月24日日曜日

コロナウィルス対応と結果 フランスと日本の差 誹謗中傷による個人攻撃と自粛警察




 昨日の日本でのツイッターのトレンド1位が、「誹謗中傷」で、どうしたことか?と思ったら、テラスハウスに出演中の22歳の女性がSNSでの誹謗中傷から?亡くなったということに端を発しているらしいことがわかりました。

 SNSでの誹謗中傷は、どこの国でもあることですが、日本での社会の目による攻撃は、なかなか、強烈なのではないかと感じています。明らかな犯罪者ならば、ともかくも、マスコミや社会のムードに煽られる感のある個人攻撃は、当事者になってしまったら、堪え難いことかもしれません。

 今回のコロナウィルスの感染防止に関わる件に関しても、自粛警察なる人々が、あちこちに現れ、開店しているお店に張り紙をしたり、ごくごく身の回りでは、マスクをせずにいたり、感染防止のためのモラルに外れることをしている人がいたりしたら、周囲の人が非難するとか、白い目で見るとか、そんな感じであったのではないかと思っています。

 こと、コロナウィルスの感染に関しては、そんな日本の社会の風潮で、結果、日本は、感染の被害も、フランスなどとは、桁違いの被害で抑えられ、プラスの結果をもたらしましたが、この「個人を集団で非難し、攻撃する風潮」は、時に、行き過ぎであることが、気になります。

 フランスで、コロナウィルスの感染爆発が起こり、フランス全土がロックダウンになった頃、日本政府は、2020年のオリンピックを開催するかどうか?ということを盛んに議論していて、世界は、オリンピックどころではない!この世界的なパンデミックに、日本だけが、避けられるわけがない! フランスでの感染の急激な広がり、死亡者がうなぎ登りに増えていき、医療崩壊を起こしていく様子を見ていた私は、本気で、日本の悠長な状況が心配でなりませんでした。

 しかし、オリンピックの延期が決まってからは、フランスのような完全なロックダウン状況には、ならなかったものの、緊急事態宣言が発令され、フランスのような被害には、ならないまま、緊急事態宣言もそろそろ解除されることを聞いて、少しホッとしています。

 日本の状態も深刻な状態ではありましたが、結果、数字を見れば、日本は、やはりフランスとは、雲泥の差です。

        人口   感染者      死亡者
<日本>   126515903  16536     808       

<フランス>    65258400    182469    28332

 日本の人口は、フランスの約2倍なのに、フランスの感染者数は、日本の約11倍、死亡者数は約35倍にも及んでいます。

 これには、日本の医療体制や(日本は日本で問題はあるにせよ)、衛生観念や国民の意識やモラルの高さなど、つくづく、海外にいると、日本は、やっぱりスゴい国なんだなぁと感じています。

 しかし、このSNSの「誹謗中傷」のトレンドを見ながら、この日本のモラルの高さや、正義を振りかざして、個人を攻撃する感じが、時として、危険な事態を生んでしまうことにも、怖さを感じたのです。
 
 フランスは、ロックダウンが解除になって、もうすぐ2週間が経とうとしていますが、ようやく1日の死亡者数が100を切ったか???という状況にも関わらず、先週末のパリのマスクの着用率は、10%と、絶望的な数字が発表されています。国民の自粛警察どころか、各地では、デモが起こりはじめ、本物の警察が国民を抑えるのに必死な状況です。

 国民同士の自粛監視が、時に、キツすぎる日本と、緩すぎるフランス、バランスの良い世界は、不可能なのか?と、どうにも、もどかしい思いにかられているのです。


<関連>「コロナウィルス対応 日本人の真面目さ、辛抱強さ、モラルの高さ、衛生観念はやっぱり凄いなと思う」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/04/blog-post_28.html

 

2020年5月23日土曜日

フランスのロックダウン解除後・クラスターが続々と発生している

Urne bureau de vote lors du premier tour des élections municipales dimanche 15 mars 2020


 昨日のニュースでは、ロックダウン解除後にフランス国内で、30件のクラスターの発生が確認されたと発表されていました。それが、翌日には、46件に跳ね上がっています。

 確認された感染源となった場所には、病院、学校、企業、食肉処理場、障害者施設、宗教コミュニティ施設などが挙げられています。フランスは、これらのクラスター発生の確認を「クラスターを少しでも多く発見できる事は、感染者を隔離することができ、感染拡大を抑えることができることに繋がる。」と、非常に前向きな受け止め方をしていますが、ロックダウン解除前に公言していた一週間に70万件のPCR検査も達成できていません。

 ということは、発表されているクラスターも、病院、学校、企業など、追跡できる範囲内での追跡可能な場所での数字が発表されているだけで、ロックダウン解除後に全国でいくつも起こっているデモや、ピクニックのためにサンマルタン運河やセーヌ川岸やサクレクール寺院やアンヴァリッドに集まった人の間で起こっているであろうクラスターは、追跡できていないので、現在、確認されているクラスターは、氷山の一角で、実際には、もっと多いと思われます。

 ロックダウン後の国民への対応は、細かくは、市町村ごとに、委ねられており、マスクの義務化なども、グリーンゾーンであるボルドーやニースなどは、公共交通機関だけでなく、街中での着用も義務付けられているのに、レッドゾーンであるイル・ド・フランス、パリなどでは、義務付けられてはいません。

 感染の蔓延がおさまらない状況での綱渡りの状態のロックダウン解除には、少なくとも、マスクくらいは、義務化すればいいものを、(フランス人は、義務化しなければ、マスクをどんどんしなくなってしまう。)ロックダウン解除からの開放感から、せっかく、ほとんどの各市町村が無料で配布しているマスクも、あまり意味をなしていません。つまり、どんどん、マスクをしない人が増えているのです。

 毎日の1日の死者数、重症患者数の発表もここのところ、減少してきているものの、発表される数字にもエラーが多く、明らかに政府も経済再開の方に重心が傾き、警戒が緩んでいると思わざるを得ません。

 そして、一ヶ月後のことになりますが、ロックダウンのために中断されていた全国統一地方選挙の第二ラウンドが、6月28日に行われることが決定しました。もちろん、感染状況が悪化していない場合という条件付きではありますが、多くの人が密閉状態に集まる選挙というクラスターになりうるリスクを取る決定を現在の段階ですることに、私は、甚だ疑問です。

 そもそも、その選挙の第一ラウンドは、ロックダウンになる2日前に行われており、その段階で、すでに政府は、2日後にロックダウンをする事は、決定していたわけで、選挙のタイミングから、ロックダウンを遅らせたのです。

 危険な状況である事は、わかりつつも(そのために投票率もフランスにしては、とても低かった)、ロックダウンになるほど深刻な状況とは知らなかった国民が選挙に行き、おそらく、多くの投票所でクラスターが起こってしまったことは、明白です。

 現在、感染状態が沈静化しつつあるように見える(とはいえ、現在も100人近くの人が毎日亡くなり、重症患者は、1700人以上もいるのです)のは、ロックダウンの効果によるものであり、逆にロックダウン解除後の結果は、フランスでの最初の感染が昨年の11月であったことを考えれば、感染が爆発するまでに3ヶ月以上が経過しており、ロックダウン解除の影響は、まだ、先にならないと見えない状況なのです。

 ロックダウンをして、せっかく感染が鎮まりつつあるのに、この際、せめて、選挙は、可能な人にはネット投票ができるようにするとか、革新的な対策を取らないのは、とても
残念です。

 フランスは、現在は、税金の申告等もほとんどネットで可能な状態になっており、ロックダウンになった途端に、政府から、国民、各自の携帯にロックダウンの情報が送られてくる国です。選挙がネットでできないはずは、ありません。ネットを利用できない人だけが投票に行くようにすれば、随分と危険は、軽減できるはずです。

 選挙における感染防止対策が、アルコールジェルの設置や投票に使うペンは、自分で持ってくること・・というだけなのは、どうにも情けないことです。

 

 

2020年5月22日金曜日

ロックダウン解除後、フランス各地に起こる不穏な動き・フランスのデモ




 フランスといえば、デモ・ストライキ、と、すぐに連想されるくらい、フランスは、デモやストライキが多い国です。さすがにロックダウン中は、デモもストライキもありませんでした。

 ロックダウンが解除されて、晴天にも恵まれて、街に人が出始め、場所を見つけては、集まり、ピクニックを始めたり、ビーチにも、解き放たれた空間を楽しむ人があふれ始めていますが、解き放たれたのは、平和に?友人や家族との時間を過ごす人ばかりではありません。

 ロックダウン解除が解除になり、日常生活を取り戻しつつあるということは、フランスに、デモやストライキが戻ってくるということでもあります。

 ロックダウン解除後、最初の週末から、さっそく黄色いベスト運動のデモが各地で起こり、その他、昨日は、数百人の抗議者がパリの公立病院を守るためのデモが行われました。

 また、アルジャントゥイユ(パリの北西10kmに位置するイル・ド・フランスにある街)では、4夜連続で、バイクの事故で亡くなった青年の死(警察の取り締まりの際の事故)に抗議する人が集まり、夜中に、警察官270人が動員される騒ぎとなり、18本の火炎瓶が見つかったことから、4人が逮捕されました。

 そして、グランエスト(フランス北東部)のミュールーズでは、無許可の車両を使用したヘルメットを着用していない自転車に乗った17歳の少年が、過大な速度で追いかけた警察から逃げようとして、別の車に衝突する事故を起こし、彼は軽度の頭部外傷で病院に運ばれましたが、数時間後、近隣に約50人が集まり、道路をバリケードし、監視カメラが破壊され、警察署の隣でゴミが焼け落ちる騒動が起きています。

 ロックダウン解除になったことから、夜中までも、街には人が出て、それをいつも以上に警戒する警察の追跡から、交通事故が起こり、その事故に対する抗議のデモが起こる。
コロナウィルスの蔓延がおさまらない状況下では、最悪の悪循環です。

 フランス人にとって、デモは、日本に比べると、ずっと身近なもので、日常生活の一部のようなものです。ともすると、フランス人は、デモなどの抗議行動をすることに誇りを持っている感さえあります。約2ヶ月間、外出もできず、不満は溜まる一方で、抗議活動もできなかったフランス人にとって、日常が戻ってきたということは、抗議活動=デモやストライキが再開するということでもあるのです。この状況下にも関わらずです。

 先週末の黄色いベストのデモの一部は、デモ禁止に抗議するデモという妙な構図。実際に、デモを禁止することはできませんが、10名以上の集まりが禁止ということで、デモもいつも以上に警戒されています。

 普通の日常的な社会生活も、経済の疲弊から、コロナウィルスと共存しながら、経済を再開させる道を模索しているところですが、フランスでは、デモでさえも、一部の過激な暴動に発展するようなデモは、別として、デモに参加する人もマスク着用、ソーシャルディスタンスを取りながらのデモになり、コロナウィルスとの共存の道を取っていくのかもしれません。

 しかし、今のところ、フランス各地で起こっているデモはまだ、その道に辿り着くには、遥か遠いところにあり、もともと、デモといえば、何かに抗議する怒りから発しているもので、ついついヒートアップする性質のもの、しかも、これまでの監禁生活での鬱憤も蓄積されているため、はっきり言って、荒れています。


<関連>「ストライキ大国・フランス」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/10/blog-post_46.html















2020年5月21日木曜日

ロックダウン解除・祝日と晴天とで外に出たい若者たち


   

 今週のフランスは、晴天に恵まれ、気温も30度近く上がり、まさに、家にいるのがもったいないような陽気です。日も長くなり、夜9時近くまで、明るい季節です。

 フランスの5月は、日本のようなゴールデンウィークではありませんが、祝日が多い月でもあり、今週も21日(木)が祝日(昇天祭)で、金曜日1日を休めば、週末を含めて水曜日の夜から5日間の連休になるため、例年、プチバカンスに出かける人も多いのです。

 今年は、ロックダウン解除になってから、初めての祝日ということで、また、水曜日の夜から、セカンドハウスなどに出かけようとする人や帰省する人を警戒する体制(現在は、100キロ以上の移動は禁止)が敷かれています。

 ロックダウン中でさえも、網の目を潜って、意外なところに人混みが出来るたびに、警察や軍隊が出動して、取り締まりが行われてきましたが、(食料品を扱うマルシェが混雑したり、ジョギングのために、ヴァンセンヌやブーローニュの森などに人が集まったり、18区の路上で、大音量で音楽をかけて大勢の人が踊りだしたり・・)ロックダウンが解除されてからは、当然の事ながら、より、たくさんの人が街に出るようになり、サンマルタン運河やセーヌ川沿いで祝杯をあげる人々が集ったり、モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院の前の階段に多くの人が集まり、退去させられたり、いたちごっこが続いています。

 今回は、祝日を控えた連休モードからか、夕刻になって、パリ、アンヴァリッドの前庭に、大勢の若者たちが、食べ物を持ち寄ってのピクニック状態になり、再び、警察官が出動しました。

 屋外でもあり、禁止されているのは、10人以上の集まりという事で、簡単に退去させることもできずに、強制退去はさせられない警察。しかし、それぞれの集まりが10人以内でも、それがたくさん集まれば、大勢の人で群がる状態です。

 コロナウィルス騒ぎがなかった日常から、フランスの若者たちは、レストランやカフェなどよりも、こうして屋外で食べ物を持ち寄り、友人たちと解放的な場所で、時間を過ごすことが多いので、コロナウィルス感染の心配さえなければ、ごくごく普通のことなのです。天気も良く、長い監禁生活の後の状況で、ロックダウンが解除されたとなれば、気持ちは痛いほどわかるのです。しかし、時が時、パリは、まだレッドゾーンなのです。

 しかも、マスクは携帯しながらも、飲み食いするために、また、この暑さも手伝って、マスクは、していない人が圧倒的に多く、(もともと、フランス人は、マスクが大嫌いなのです。)注意を促しながら警戒を続ける警察官でさえもマスクをしていない人も少なくなく、意識の低さが垣間見れます。

 現在は、レストランもオープンされておらず、公園さえも解放されていない状態なので、友人たちと集いたければ、このような場所を見つけては、人が集まり、集まった場所には、警察が出動する、そんな、モグラ叩きのような繰り返しが続いているのです。

 ロックダウンが解除されて、10日が経ちますが、今のところ、クラスターは、いくつか発生しているものの、感染爆発の第二波は、起こっていません。しかし、クラスターが起こっているのもイル・ド・フランスのような未だ危険とされているレッドゾーンばかりではなく、依然として、全国的な感染爆発の危険も孕んでいるのです。

 ロックダウン効果で、1日の死亡者数も100名前後に減ってきてはいますが、(死亡者131名・重症患者1794名・5月20日現在)、ロックダウン解除の影響が見られ始めるのは、少なくとも2週間から3週間後、特に未だICUの空き病床にも余裕のないパリ(イル・ド・フランス地域)は、また、いつ、あの恐ろしい状況に戻ってしまうかもわからない危険な状態が続いています。

 また、コロナウィルスのクロロキン治療で一躍、有名となったマルセイユ大学のラウルト教授がマルセイユに比べて、パリは、圧倒的に死亡率が高いことなどを発表し、波紋を呼んでいます。

 晴天と祝日が続くフランスに、自粛モードが吹き飛ばされそうな勢い。このまま、感染が収まって、私の心配が杞憂に終わってくれれば良いのですが、今のところは、どうにも楽観的にはなれないのです。


<関連>「フランスの貧乏大学生の質素な生活」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/09/blog-post_23.html






2020年5月20日水曜日

フランスのコロナウィルスの流行は、いつから始まっていたのか?




 フランスでの感染爆発の感染源の一つとなったのは、グランエスト(フランス北東部の地方)ミュールーズにある教会での、今年の2月中旬に、一週間にわたる全国から大勢の信者の集まる集会であったことがわかっていますが、(そこから感染が広がり、いよいよフランス中が危機的状況に陥ったのが、それから約一ヶ月後の3月中旬のことです。)ここのところ、そもそも、最初の感染は、いつから始まっていたのか? ということをフランス中の医師たちが突き止めようとする動きが見られています。

 2週間ほど前だったでしょうか? 2月の中旬のグランエストでの集会よりも、かなり早い段階、昨年の12月27日の段階で、原因不明とされていた患者が、実は、コロナウィルスに感染していたことが、発覚しました。

 その患者が感染して、症状を発症していた段階では、コロナウィルスの症状も具体的に知れ渡っておらず、病名がつけられていなかったのです。幸いにも、その患者さんが回復して、かなり経って、コロナウィルスが全国に蔓延した後に、担当していた医師が、もしかしたら、あの患者は、コロナウィルスに感染していたのではないかと、この患者のPCRサンプルを再分析したところ、実は、コロナウィルスに感染していたことがわかったのです。

 その男性の感染経路を調べると、彼の行動範囲には、感染経路は、見つからず、どうやら、その男性の妻が空港近くのスーパーマーケットで働いており、旅行用のキャリーバッグを転がしながらやってきた旅行者を応対した経過があり、彼の妻が最初に感染していたことが突き止められています。

 ところが、フランス・フィガロ紙によれば、ここにきて、多くの医師たちが、昨年の10月まで遡って、病院で対応した患者のレントゲン写真をはじめとする詳細なデータの再確認を始めたところ、コロナウィルスの流行が中国でさえ確認されていなかった、昨年の11月16日以前のデータにコロナウィルスと見られる症例が2件、確認されたことが、発表されています。

 2019年11月16日からのコロナウィルスの2つのケースから、その後1月16日の段階での12人への感染を特定し、それは、 2020年に入ってからの、本格的なフランスでの流行の段階まで続いていると、コルマール病院の医用画像部門の責任者であるミシェルシュミット博士は、プレスリリースで詳しく述べています。

 今後、これらの研究は、臨床的、生物学的歴史や、どのような人、どのような場合に感染したのか、しなかったのか、感染は、どういう経路を取りやすいのか?などなど、今後の感染予防環境とライフスタイル、可能な旅行などの方法を再構築することに大変、有効な研究と見られています。

 コロナウィルスの感染の経緯や状況を遡って研究することで、今後、しばらくは、続くと思われるコロナウィルスとの共存する生活への新しいアプローチの試みが始まっています。


 

 

2020年5月19日火曜日

コロナウィルス・ロックダウン生活と海外生活 




 フランスで続いたロックダウンは、2ヶ月近く続きました。これから気候が良くなっていく時期に、急に監禁生活が始まって、コロナウィルス感染の恐怖もあり、日々、変わっていくフランス国内や、世界の状況に、ハラハラしながらも、淡々と家の中での生活を送ってきました。

 日頃から、私は、どちらかというと家にいるのが好きな方なので、娘がまだ、小さい頃などは、学校やお稽古事の送り迎えや仕事が忙しくて、一日でいいから、どこにも出かけずに、家にいたいと、よく思ったものでした。

 一週間前に、ロックダウンは、一応、解除されましたが、結局、ロックダウン中の外出は、2回、買い物に出かけただけで、ほぼ、ずっと、家の中で過ごしました。

 長いこと、連絡を取れていなかった友人とも、今なら、お互いに、絶対に家にいる!と、連絡が取れて、久しぶりに話をしたり、思わぬ人との繋がりを再確認できたりもしました。

 インターネットが繋がらなくなった二日間は、さすがに、一瞬、少し、不安になりましたが、それ以外は、規則正しい生活を心がけ、買い物にもできるだけ出かけたくなかったので、この際、家の中にあって、忘れ去られていた食材の整理をして、こんなことでもなければ、そのまま忘れ去られていたかもしれない食材を、多少の賞味期限切れには、目をつぶって、救済しました。そんなことにも不思議な達成感があるものです。

 そして、同時に、ベランダで種まきをして、日本の野菜を毎日、少しずつ育ててきました。天気がよかったこともあり、まさに太陽の恵みで、野菜は、スクスク育っていきました。水菜、春菊、小松菜、小かぶ、紫蘇、三つ葉、スナックえんどう、きゅうり、にら、小ねぎなどなど、狭いベランダに所狭しと置かれたプランターや鉢が、今は青々と広がっています。


狭いベランダにごちゃごちゃに置いてある野菜の鉢

 植物が芽を出して、少しずつ育っていく様子は楽しくもあり、美味しくもあります。限られた食材でなんとか工夫してお料理をするのも、贅沢な食材を買い集めてするお料理とは別な楽しみがあります。春菊がやたらに採れるので、おひたしにしたり、天ぷらにしたり、ネットで春菊を使うお料理を探したら、春菊のチヂミなるものが出てきて、それを作ってみたり、餃子を作りたくて、ニラを植えたのに、なかなか育たないので、待ちきれずにニラの代わりにネギとニンニクを多めに使って、餃子を作ってみたり、(餃子の皮も自分で作る)贅沢なものに満たされ過ぎずに、なんとか自分で工夫して、自分なりのものを作り出す喜びは、なかなかなものです。採れた野菜をなんとか使って美味しいものを作り出すのが、楽しいのです。




採れた三つ葉を使いたいがために作ったカツ丼と水菜のお漬物

 考えてみれば、海外生活を始めてから、これに近いウォーミングアップのようなことを私は続けてきたのではないかと、次第に思うようになりました。日本から、たくさんの食材を持ってきている私が言えることではありませんが、それでも、日本から持ってこれる食材にも限度があり、こちらで手に入る食材にも限りがあります。ですから、その限られた、なんとか手に入る食材で、なんとか工夫して、日本食、あるいは、自分の感で、これは、代用できるものかもしれないとか、こうしたら、美味しいものができるかもしれないと自分でアレンジした、名前のないお料理を作り続けてきたのです。
 
シソを使いたくて作った名前のない鶏肉料理

春菊のチヂミ

 こちらでは、手に入りにくい日本の野菜をタネから育て始めたのも、海外生活を始めてからです。これまでは、忙しさに紛れて、それを、あまり楽しいと感じる余裕がありませんでしたが、今回のように、閉ざされた環境になると、何でも簡単に手に入る便利な生活とは、また別の意味で、自分で作り出す喜びは、自分の内側を満たしてくれる感じがするのです。それだけ、歳を取ったと言うことかもしれません。

 また、会いたい人に会えないのも、海外にいれば、日本にいる友人や家族に会えないのは、日常です。海外生活は、ある意味、自分の祖国である日本には、そうそう行けるものでもなく、ロックダウンされた状況とも少し似ているかもしれません。

 未だ、いくつかの規制はあるものの、ロックダウンは、解除されましたが、やはり、まだまだ、一日中、救急車やパトカーのサイレンが聞こえ続ける状況に、やはり、やみくもに外に出るのは、怖くて、私は、ロックダウン中とほぼ変わらない生活を続けています。

 不自由ではあるけれど、新たに再確認した楽しみや喜びは、私にとっては、今まで続けてきた海外生活の経験が土台となっており、これからも、しばらく続いていくと思っています。


<関連記事>「便利な生活がもたらすもの フランスへの修行ツアーのススメ」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/10/blog-post_17.html