いじめの犠牲者となった少女が自らの命を絶ったのは、2019年のことで、彼女は当時11歳でした。前年から始まっていた学校での彼女への嫌がらせに彼女の両親は、何ヶ月もの間、学校とも掛け合い、救いの手を差し延べようとしていました。
しかし、この状態は改善されることなく、両親は娘を転校させましたが、彼女は再び、嫌がらせの標的となり、ついに彼女の心は折れて、最悪の事態に至ってしまいました。
学校でのいじめや嫌がらせの被害者が陥る、「いじめを両親が学校に相談する」→「学校は、満足な対応をしない」→「子供を転校させる」→「転校先でも嫌がらせを受ける」→「心が折れる」→「最悪の選択をしてしまう」という最悪のシナリオは、このような話でお決まりのようなストーリーである気がします。
今回の話がよくあるシナリオとは違っているのは、その嫌がらせ行為を行っていた主犯が2人のクラスメートであったと同時にこの行為の引き金を引いたのは、彼女のクラスを担当するフランス語教師だったという点です。
いや、少なからず、クラス内でいじめ問題が発生していた場合、教師が加担しないまでも、その事実を意図的に見過ごしたり、見てみないふりをしたりすることは、珍しいことではないかもしれません。
しかし、この教師は、単に見てみないふりをしたどころではありませんでした。
このフランス語教師に関しては、すでに2020年9月に「15歳未満の未成年者に対する嫌がらせ」の罪で起訴され、訴訟の続行まで、未成年者への指導禁止と注意義務を課せられ司法監督下に置かれていました。
今回、再び、話題に上がっているのは、この件に関して、両親が再び訴訟の声をあげたことによるものです。
不幸な事件から5年経って、被害者の両親は苦しみ続けた挙句、「再び、このようなことが教育界に起こってはいけない!」と立ち上がったのです。
すると、このクラス内でのいじめが、なんと「いじめに関する授業」をきっかけにアクセルがかかったことが明らかになりました。「いじめに関する授業」がさらにいじめを悪化させるとは、皮肉の一言では片付けられない重いものがあります。
この「いじめに関する授業」において、この教師は、クラスの全員の前で、いじめられている少女に対して、いじめられる原因などを問い詰め、彼女がみんなの前で泣き出してしまうと、さらに「泣くな!」と叱責するという出来事があり、それ以来、彼女は、その教師の繰り返しの標的となり、怒鳴りつけられたり、席を孤立させられたりしていたことから、周囲の生徒が「こいつに対してはやってもいいんだモード」(いじめ行為に対して先生のお墨付きをもらったような雰囲気になった)に突入してしまったと、インタビューを受けた生徒の大半が証言していたことが明らかになりました。
この教師の彼女に対する叱責や、ふるまいを機に、周囲の子供たちの嫌がらせ行為はか加速していったと見られていますが、そこは、11歳の子供です。彼女が最悪の悲劇的な選択をした直後に、このことを告白していたようです。
しかし、おかしなことに、この教師の管理ファイルには、彼女は「経験豊富で真面目で行動的な教師」であると示されており、この事件の調査とは全く異なる人物像が描かれているというのです。
事件が起こってから、再度、訴訟を起こすまでの5年の間、彼女の両親はどれだけ苦しんできたかと思うと胸が潰れそうな思いですが、この教師は、「告発されている事実には断固として異議を唱える」と述べています。つまり、認めていないということは、反省もしていないといいうことです。
5年後の今、検察庁は、問題の教師と生徒2人に対する裁判を請求したと発表しています。裁判が行われる場合、教師は刑事裁判所に、青少年2人は児童裁判所に送られます。
検察庁は2月12日、未成年者に対するモラルハラスメントの疑いで、61歳のフランス語教師に懲戒解雇を求めている・・と同時に発表していましたが、逆に、「その先生、まだ、辞めてなかったの?」とビックリ。しかし、学校というもの、当事者だった生徒は次々に卒業していってしまうわけで、問題は風化しやすい場所であるのかもしれません。
一緒になっていじめに加担していた子供たちもあまりに衝撃的な結末に、事実は、子供たちによっても明らかになっていたというのに、問題の教師が「経験豊富で真面目で行動的な教師」として居すわり続けていたというその後の事実には、学校や教育アカデミーが構造的におかしいと思わざるを得ないのです。
いじめ問題
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