事件が起こったのは、2003年の1月9日。パリの西、約30キロにあるセーヌ・エ・マルヌ県ゲルマントの住宅街でした。パリ通勤圏ののどかな街です。9歳の少女エステルちゃんは、小学校からの帰り道、家から750m離れたパン屋さんの前で、午後6時15分頃に通行人に目撃されたのを最後に忽然と姿を消してしまいました。
当時、フランス、特にイル・ド・フランスに住んでいた人で、彼女の顔写真を見たことがない人は、いないだろうと思われるくらい、長いこと彼女の写真は、至るところに貼られ、長い間、捜索が続けられてきました。
その頃は、うちの娘は、まだ学校へ通う年齢ではありませんでしたが、同じ年少の女の子の失踪?誘拐?事件として、特に強く印象に残っています。
実際に、事件の捜査の規模から考えても、過去20年間での最悪の事件とされてきたことがわかります。
犯人と見られるミシェル・フルニエという男は、エステルちゃんが失踪した?年の同年6月にベルギーで13歳の少女を誘拐しようとして、少女が車から逃げ出したことから、逮捕されるに至りました。
彼は、1987年から2003年までの間にアルデンヌを中心にフランスとベルギーの間を行き来しながら、12人を殺害したことを自白していますが、これまでエステルちゃんの事件に関しては、捜査員がこの事件に関心を持っていることを面白がる様子を見せたりしていましたが、彼の事件への関与に関しては、一切、認めることはありませんでした。
捜査は、難航し、2010年には、エステルちゃんが16歳になっているであろうモンタージュ写真を再び公開して、再捜査にあたっていて、その頃にも、その写真を見かけて、エステルちゃん、まだ見つからないんだ・・と思っていました。
2018年には、彼女の父親が操作上の重大な過失について、国に対して申し立てをし、これまで17年間、捜査がお蔵入りになることは、なかったのです。
ここへ来て、ミシェル・フルニエの元妻が、元夫がエステルちゃんを下校時に誘拐し、そこから200km離れたヴィルシュルルムの彼の姉の家に連れて行き、強姦して殺害したことを証言したのです。ヴィルシュルルムの家から押収されたマットレスから、エステルちゃんのDNAが発見され、17年間未解決であったこの恐ろしい事件は一気に解決へと向かい始めたのです。
ようやく本人も犯行は認めたものの、一切、彼の起こした犯罪を微塵も後悔することはなく、むしろ誇らしげな様子で、「まだ、遺体を見つける仕事が残っている・・」などと、言っているという異常者です。
17年間探し続けていた少女は、その日のうちに連れ去られ、暴行されて、殺されていたと思うとやりきれない気持ちです。
日本では、小学校入学と同時に子供同士で通学したり、また私立の小学校に通う子供などは、長距離を電車やバスで通学しているのを見ると、日本は、いいなぁ・・と思ったりしたこともありましたが、フランスでは、小学校卒業までは、送り迎えが常識です。こんな事件もあったりして、何かあったりしたら、悔やんでも悔やみきれない・・と思いながら、仕事が終わってバタバタと娘のお迎えに通った保育園、幼稚園、小学校の10年以上。
幸い、何事もなく、娘は無事に成長しました。
フランスには、死刑制度はないので、彼のような人は、たとえ何人殺しても終身刑です。フランスは、治安は決して良くありませんが、これだけ多くの犠牲者を出した事件はなかなかありません。
この事件が再び、世間を賑わせているのを見ながら、何事もなく、生き延びることは、当たり前ではないと改めて思わされます。
<関連>「決死のお迎えである日、気付いたこと・・フランス人は走らない」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/01/blog-post_58.html
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