2020年8月3日月曜日

コロナウィルスで日本が遠くなった




 正直、ここ数年は、日本に行くのは、少々、億劫になっていました。何より、両親ともにもう他界してしまったことが大きいのですが、長時間のフライトもキツいし、時差ボケも年々酷くなってきました。そして、残された家のこと、普段、あまり合わない人に目白押しに会うために、どうしてもスケジュールがキツキツになってしまうこと、限られた時間の中でフランスに戻るまでにやらなければならないこと、それぞれの人のために用意するお土産のこと・・などなど、年々、腰が重くなってきてしまっていたのです。

 とはいえ、一年に一度くらいは、だいたい行っているのですが・・。

 実際に行ってしまえば、美味しいものもたくさんあって、友人や親戚に会えるのも嬉しいし、楽しいし、こんなゆったりとした気分になれるのも、昔からお互いを知っている人と時間を過ごせるかけがえのない時間だなぁ・・とも思うのです。

 昨年末に、日本へ行くことは、考えていたのですが、年末には、フランスではストライキやデモがあり、帰ってきたら、電車もタクシーもバスでさえもない・・なんてことになるのが嫌で、(実際にそういうことがあったので・・)ぐずぐずと躊躇しているうちに年が明けて、結局、今年の2月にようやく重い腰をあげて行ってきたのです。

 結局のところは、大満足で、楽しい時間を過ごし、山ほどの食料品を持って帰ってきました。

 あれから約半年、みるみる世界は変わり、そう安安と日本に行くことはできなくなりました。半年前に行ったばかりなのに、なんだかもうずっと行っていないような気分になっているのです。

 これまでは、日本とフランス、遠いとはいえ、その気になれば、チケットさえ取れば、翌日に急に行くことにした・・明後日、着くから・・なんてこともあったので、パスポートとチケットさえ取って、飛行機に乗れば、一晩、飛行機で寝て、翌日には、日本・・と、さほど遠いとも思っていなかったのですが、今は、コロナ渦のおかげですっかり遠く感じられます。

 遠距離での飛行機の移動での感染の心配、そして、2週間の自宅待機生活を考えると、そうそう簡単に行くこともできません。

 ここのところ、私自身もそう若くもないし、両親はもういないとはいえ、周りの叔父や叔母は軒並み後期高齢者ばかり、行くたびに私も含めて、もしかしたら、これが最後かもしれないとどこか思いながら、日本を発つときに、「ありがとう、元気でいてね!」という言葉にも、どこかに真剣な思いがこもることを感じずにはいられません。

 「この人たちがいなくなったら、私は、もう日本には行かなくなるかもしれない・・」そんなことさえ、時々、考えます。実際に、私の周りでパリに住む日本人で、両親が他界して実家もなくなり、「私には、もう帰るところがないから・・」と言っている人たちもいるのです。

 それは、母が最後に家の玄関先で見送ってくれた時の姿を今でも忘れられないことにも起因しているような気がします。あの時、娘もまだ小さくて、出発時でバタバタしていて、私は、「じゃあね!また!」と、まさか、あれが最後になるなど露ほども思わずに、ろくな挨拶もしなかったのですが、母の方は、自分の病状から(心臓病でした)かなりの覚悟をしていたようで、いつもは、「またいらっしゃ〜いね〜!」などと娘と抱き合ったりして別れるのに、背筋を伸ばして、娘と握手したりしていた場面を今でも鮮明に覚えているのです。

 後から思えば、あれが最後の瞬間だった・・と思うことは、多々ありますが、今、日本に気安く行けなくなってみると、そんな瞬間を私は、いくつも逃してしまっているのかもしれない・・と思ったりもするし、海外に住むということは、こういうことだと妙な覚悟をしたりします。

 いつでも行ける時には、あまり気が進まないくせに、簡単に行けなくなってみると、行きたくなる厄介なあまのじゃくな性格です。そして、今はやたらとコロナ渦のためにさらに遠く感じられる日本に、早く行けるようになったらいいなと思っているのです。

 とはいえ、前回日本に行ってから、まだ半年、そんなに時間が経っているわけでもないのです。要は、なんとなく、コロナウィルスという世界的な危機に瀕して、ちょっとセンチメンタルになっているのかもしれません。

 日本に行って、「あの時は、本当に大変だったね〜」なんて言えるような日が早く来てくれないかな〜と思う今日この頃です。



<関連>「海外在住者が母を看取る時」

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