夫が急死したのは、日本にいる母が亡くなった約2年後のことで、母の死から、ようやく立ち直りつつあった私には、本当に辛いことで、「こんなに悲しく辛いことは、もうこれ以上、この世にはないだろう・・」と思いました。
母が生きていてくれたら、おそらく何をおいてでもかけつけてくれただろうに、そんな母はもうおらず、(父は、そのような人ではない)、日本に行けば、とても優しく親しくしている叔父や叔母たちも、さすがに腰が引けたのか、すぐには、誰も来てくれませんでした。
それでも、私にはまだ、当時10歳の娘がいたし、娘もそうそう学校を休むのもいけないし、私も仕事があったので、むしろ、夫がいなくなってしまった家に一日中ふさぎ込んでいるよりも、それぞれ、学校や職場に行った方が気が紛れて助かったのです。
そのうえ、夫の死後にしなければならない公的手続きなどは、山積みで、夫の同僚の人が手伝ってくれたものの、私が直接、提出しなければならない書類などもけっこうあり、また、さすがのフランスのお役所・・その必要な書類をバラバラ、後から追加してきたりするので、(もう!一度に言ってよ!と思ったけど、その時はそんなことを言い返す元気もなく・・)、ひたすら、淡々とその日、やらなければならないことをこなしながら、時を過ごしていました。
当初から、「でも、娘ちゃんがいてくれて、よかったね・・」となぐさめてくれる人もけっこういましたが、そんなことを思うのは、それからしばらく落ち着いてから言える話で、異国の地で、子どもを一人で育てていかなければならなくなったことは、正直、とても不安なことでもありました。
しかし、当時は、これ以上悲しいことはもうないだろうと思ったけれど、これ以上悲しいことは、娘にもしものことがあった時ということがあったわけで、そんなことがあったら、今度こそ、本当に私は立ち直れないだろうな・・と思ってしまいます。
ところが、その子どもに先立たれるということは、全くない話ではなくて、数年前に、「そういえば、彼女、どうしてるんだろう?」と、仕事関係で(あくまで仕事上でのつきあいだけでしたが、)けっこう親しくしていた人に連絡してみたら、なんと、数年前に息子さんを亡くされたそうで、しかも、自ら命を絶ってしまった・・ということで、それ以上は、あまり彼女も話したがらなかったし、深く聞くのも憚られたし、彼女もその時点では、もう受け入れられたからもういいの・・と言っていたので、あまり詳細は聞きませんでしたが、どんなに辛い思いをされただろうか?ということは想像に難くないところでした。
彼女も私も一人ずつ子どもがいて、顔を合わせれば、息子さんはお元気?などと、お互い子どもの話をすることも多く、男の子を持つママにはありがちな感じで、もう夫よりも息子の方が恋人みたいな感じで、とても可愛がっていたという記憶があり、男の子の親と女の子の親っていうのも、微妙に違う感じなんだな・・と思っていました。私と娘は、どちらかといえば、恋人というより、友だちみたいな感じです。
その話を聞いて、また数年が経ちましたが、つい最近、友人から、元同僚の一人が息子さんを亡くしたという話を聞いて、正直、驚きました。彼女とはそれほど親しかったわけではないので、直接、話を聞いたわけではないし、あまりここぞとばかりに、連絡を取るのも空々しい感じなので、詳しい事情はわかりませんが、お悔やみのメッセージだけ送りました。
月並みだけど、「やっぱり逆さはいけないよな・・」と思い、最も痛ましいことの一つだと思いました。
しかし、この話は別としても、「逆さはいけない・・」とか、「順番が違う・・」とか、言いますが、この高齢社会、親が90や100まで生きていても不思議ではない時代、その「逆さ」もさぞかし増えてることだろうな・・と妙なことも思いました。
うちは、両親ともに、すでに他界しているので、もう私の実家においては、「逆さ」はあり得ないことですが、親が長生きすればするほど、それは、充分にあり得る話になってきます。
今の私などの世代での「逆さ」であるならば、その子供の年齢もあまりにも若いことによる悲劇という要素もあると思いますが、親が90歳とか100歳の逆さの場合でも、やっぱり、そんな風に思うのだろうか?と、私は、そんなことにならないように、逆さにならないようにほどほどの年齢でお暇したいと思っています。
逆縁
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