2020年1月28日火曜日

決死のお迎えで、ある日、気付いたこと・・フランス人は、走らない






 フランスでは、小学生の間は、送り迎えをするのが普通です。小学校低学年のお迎えは、必須ですが、高学年になれば、保護者が承諾している場合は、一人で通学できることになってはいます。しかし、実際には、ほとんどの人は、小学校卒業までは、送り迎えをしています。

 日本ならば、子供が小学校に上がった時点で、親は一段階、子供の送り迎えがいらなくなって、手が離れる感があると思います。

 私立の小学校に通う小学生が、制服を着て、ランドセルを背負って、電車やバスに一人で乗っている姿は、今、思うに、日本独特の光景なのではないかと思います。

 日本の感覚であれば、娘の小学校は、充分に、彼女が一人で通学できる距離ではあったのですが、やはり、皆が送り迎えをするのは、それだけの理由があるのだと思い、もし、何か起こってしまったら、後悔してもしきれないと思い、小学校卒業までは、送り迎えを続けたのでした。

 朝は、主人が娘を送って行ってくれましたが、お迎えは、私がしていました。

 仕事が終わって、お迎えに行くのは、本当に決死の覚悟で、業務終了後、お迎えの時間までは、ギリギリで、少しでも仕事が立て込んで、会社を出るのが遅れてしまったり、メトロがテクニカルプロブレム・・とかで、途中で止まってしまうことも少なくありません。その場合は、スゴい勢いで、走ることになるのです。

 ものすごい勢いで駅を駆け抜け、エスカレーターを駆け上り、エスカレーターの途中で、転んで、無様な格好のままで、上に辿り着いたこともありました。

 自分たちは、時間にルーズなくせに、学校のお迎えの時間だけは、やたらときっちりで、遅れてゼイゼイしながら行くと、怖い顔をした、子供の受け渡しをしている先生に、「C'est pas possible ! Madame ! (セ・パ・ポッスィーブル・マダム!ありえない!)と怒られるのです。

 元来、私は、日本人であり、時間には、かなり、きっちりしている方で、交通機関のトラブルを考えて、出勤の際には、かなり余裕を持って出かけているので、長年、パリで働いていて、一度も遅刻したことは、ありません。

 しかし、お迎えの場合は、出られる時間がギリギリのために、トラブルが起これば、もう決死の覚悟で、ひたすら、走るしかないのです。

 でも、ある日、私は、そういえば、駅でも、街中でも、走っている人を見かけたことがないことに気付いたのです。

 例えば、朝など、みんな出勤時間が決まっているだろうに、メトロが度々止まって、しばらくメトロの中でカンヅメになっても、慣れていることもあり、みんな携帯で会社に連絡を入れるだけで、誰も急ぎません。

 駅では、メトロの遅延証明書を発行してくれますが、そんなものをもらおうと長蛇の列を並んでいれば、さらに遅くなるわけです。

 私は、時間に遅れないように、ひたすら、急いで、走るのです。

 そういえば、主人が駅まで車で迎えに来てくれたりした時も、車を見つけて、駆け寄って行こうとする私を見つけた、車の中にいる主人は、手のひらを広げて、下に向けておろし、「ゆっくり、ゆっくり、走らないで・・」と、合図するのです。

 フランス人にとって、急いで走ったりすることは、はしたないことだと思っているところがあります。

 年間10万本以上を運行する東海道新幹線の年間平均遅延時間が50秒を超えたことをJRが謝罪したことで、話題になったことがありましたが、これは、フランスに住む人間からしたら、嫌味としか思えない謝罪です。

 宅急便のお兄さんでさえ、走って配達をする日本。

 そんな日本を、さぞかし息苦しいだろうと思いつつも、未だに、その部分を引きずっている私は、何があっても急がず、走らないフランス人を少し、うらめしく思いつつ、遅れそうになれば、ついつい走ってしまうのです。

 









 

2020年1月27日月曜日

エステルのパパの浮気





 「エステルのパパ、帰ってきたんだって!!」と娘から聞いて、私もびっくりしました。エステルは、娘の高校までの同級生の女の子で、フランス人にしては、おっとりとした、わりと裕福な家のお嬢さんなのです。

 フランス人の家庭に多い、三人兄弟の長女で、若い頃は、モデルさんをしていたというスタイル抜群で美しいママは、今は、バリバリに、フランスの大手企業で管理職についています。才色兼備のパーフェクトウーマンで、どちらかというと、パパの方が冴えない感じでした。

 エステルの家では、小さい子供のベビーシッターを雇っていましたが、お料理は、パパがやるの・・と言っていたし、フットワーク軽く、子供の送り迎えなどもしていて、さぞかし、優しく、家庭的なパパなんだろうと思っていました。

 それが、どうも、見かけによらず、エステルのパパは、浮気ぐせがあり、「女の人ができて、家を出て行ってしまった・・」と最初に聞いた時には、びっくり!!家を出て行ったのか、浮気が見つかって、追い出されたのかは、定かではありませんが、とにかく、家からいなくなっていたのです。

 ほとぼりが冷めて、その時は、わりとすぐに帰ってきたパパですが、それから、一年くらいして、また、再び、女の人ができて、今度は、本格的に他にアパートを借りて出て行ったというのですから、周囲も子供たちも、当然、今度ばかりは、離婚するだろうと思っていたのです。

 それにしても、浮気するにも相手がいることで、他人事の私は、「意外にもエステルのパパは、モテるんだな・・、外の女性にもマメなんだな・・」などと、思っていました。

 フランス人の離婚は、多いので、周りにも、母子家庭は、少なくなく、子供たちも、度々、浮気するパパには、愛想をつかして、もう、パパとママは、離婚するものと、わりと、あっさりと腹をくくっていたようです。

 夏には、娘は、エステルや他の友人とともに旅行に3週間ほど旅行に出て、パリに帰ってくると、なんと、「パパが帰ってきていた!」と、またまた、びっくり!!

 あんなパーフェクトウーマンのママが、度々のパパの浮気をなぜ許すのか? 子供たちも理解不能なようでしたが、そこは、ママが許せば、パパが戻ってくることも、黙認するしかありません。

 とかく、フランスでは、離婚の話をよく聞くのですが、懲りずに、再婚するという話もよく聞きます。

 離婚は、せずに、家を出たり入ったりというこのケース。

 なかなか、タフな人たちです。

 












2020年1月26日日曜日

フランスの学校の飛び級と落第






 娘が小学生の頃、主人は、度々、娘に飛び級をさせたいと言い出して、その度に私は、反対して主人を止めました。

 飛び級というのは、成績が優秀で、一般的に定められている学年を飛び越して進級することで、フランスでは、学校と相談して、IQテストの結果や日常の学校の成績などを参考にして、希望する生徒は、飛び級をすることができるようになっています。

 現に、娘の友人で、飛び級をしてきた子がクラスに何人かいましたので、彼らは、実際には、娘より一つ年下だったわけです。

 また、希望者には、飛び級をさせてくれると同時に、落第の方も容赦なく、成績が芳しくない場合は、同じ学年を再びやることになります。

 実際に、娘の口から、あの子は、ソテ(sauter la classe 飛び級)してきている子だとか、あの子は、ルドゥーブレ(redoubler la classe 落第)しちゃったとか、わりと良く聞くことがあったので、飛び級や落第は、小学校の時点から、そんなに珍しいことではありませんでした。

 主人は、娘の成績がわりと良かったこともあり、やたらと飛び級をさせたがりましたが、娘が学校の授業が簡単すぎて、退屈すぎるほどに優秀とも思わなかったし、何もそんなに急がなくとも、勉強だけでなく、その年齢にできる、一見、無駄と思えるようなことをするのも必要だと思っていたので、私は、頑なに反対しました。

 「一体、どうして、そんなに、飛び級をさせたいの?」と、主人を問い詰めると、彼からは、信じられない答えが帰ってきました。

 「落第したときのために、飛び級できる時にさせておいたほうが良い。」と。

 はっきり言って、私は、主人が娘に過大な期待をしすぎているのではと心配していたのですが、彼の回答は、私にとっては、あまりにズッコケたものでした。

 落第するのは、その必要があるからするわけで、そこで、一年、余計に時間がかかろうと、構わないと、私は、思うのです。

 その落第したときのために、本来、娘が過ごすはずの学年で体験できるはずのことを一年飛び越えてしまうなど、あまりにナンセンスで、即、却下しました。

 娘の成績の良し悪しに関して、ほとんど、私は、口出しすることはありませんでしたが、一応、年度末には、「進級できる?」とだけ、娘に確認していました。

 娘の方もまた、傍若無人というか、自信過剰なところがあり、「私が進級できなかったら、進級できる人は、誰もいない・・」などと、のたまい、でも、「もし?落第したら、どうする?」と聞く私に、「一度、やったことだから、簡単で楽でいいかな?」と、まさかの余裕の発言。

 飛び級も落第も、親が思うほどには、重大事でもなさそうでした。

 結局、娘は、小・中・高と、飛び級も、落第もすることなく、終わりました。

 長い人生のうちで、一年早く行こうが、遅く行こうが、大差はないと、私は、思っているのですが、落第したときのために、飛び級をさせたいと言った、主人のセコさが、私としては、気になったのです。

 















2020年1月25日土曜日

娘の日本語教育と赤ちゃん言葉




 娘は、アフリカで産まれて、三ヶ月ほどで、主人の転勤で、フランスに引っ越して来て以来、ずっと、フランスで育ってきました。

 私にとっても、初めての子育てで、赤ちゃんというものを触ったこともなかった私にとっては、手探りの子育てで、抱っこして、ミルクをあげるだけでも、今になって写真を見ると、私が娘にミルクを飲ませている写真は、かなり、どことなく、ぎこちなく、ミルクを飲む娘の方が苦労したのではないかと思われるような有様でした。

 産まれたばかりの頃は、早く、首が座ってくれれば・・、座れるようになってくれれば・・、と、成長を見守っていましたが、ハイハイを始めたと思ったら、後ろにしか進まなかったり、髪の毛がのびなかったり、歯がなかなか生えてこなかったりしましたが、私は、まあ、髪の毛も歯も、そのうち、生えてくるだろうと、大して心配することもなく、悠々と構えていました。

 それよりも、私の頭を占めていたのは、娘になんとか、日本語を教えることでした。

 私以外は、日本語を話す人間のいない、圧倒的にフランス語の環境で、私は、ひたすら、娘には、日本語で話しかけ、日本語の絵本を読み、日本語のテレビを見せて過ごしました。

 私は、娘が一歳になった頃、まだ、娘がフランス語も日本語も発しない段階で、フルタイムで仕事を始めてしまったので、預ける保育園も、もちろん、フランス語で、私と過ごす時間=娘が日本語に触れる時間は、ますますもって1日のうちの、ごくごく限られた時間になってしまったため、余計に、日本語を教えることに一生懸命になり、正しい日本語を話すようにしていました。

 ですから、まだ、幼い娘に対しても、赤ちゃん言葉で話すことはせず、「あなたは、どうしたいの?」、「あなたと一緒に行きましょう。」など、主語は、「あなた」と「私」で通し、できるだけ、娘とは、きれいな日本語で話すことを心がけました。

 何しろ、日本語のサンプルは、私だけなのですから責任重大です。

 もともと、私は、赤ちゃん言葉というものがあまり好きではなく、子供とも普通に話すのが良いと思っていましたし、フランス語にも赤ちゃん言葉がないわけではないのですが、比較的、フランスでは、子供に対しても、同等に話をする傾向にあり、主人も娘に対して、フランス語でも、赤ちゃん言葉を使うことはありませんでした。

 娘が初めて日本へ行って、大勢の日本人と話す機会を持ったのは、娘が2歳の時でしたので、その頃は、年相応の日本語での意思の疎通は、できるようになっていましたし、多少のアクセントはあるものの、日本語で会話をすることもできるようになっていました。

 ところが、いつも、私としか、話していなかった娘は、相手に対しては、誰にでも「あなた」を使って話す、なんとも、こまっしゃくれた感じで、「あなた」「あなた」の大連発。

 また、娘が、いっぺんで気に入ってしまった、私の叔母が自分の家に帰ろうとした時には、「あなたといたい・・」と、うるうるとした目で訴え、妙な哀願の仕方に思わず叔母もドッキリ、ドギマギ。

 普段は、意識もせずに使っている日本語、「あなた」という言葉も、使い方によっては、上からの物言いのような感じになり、また、妙な色っぽさを感じさせる、微妙な言葉であるということを思い知らされたのです。

 こういう時には、〇〇ちゃんとか、名前や、おねえさんと呼ぶのよ・・と教えましたが、やはり、一対一だけの会話では、気付かなかった言葉のバリエーションを私自身も改めて思い知らされたのです。

 










2020年1月24日金曜日

フランス人の主人が突然、親友と絶交した理由




 主人には、エディという、とても親しくしている友人がいました。

 主人が前の奥さんと離婚する前に住んでいたアパートの近所に住んでいたのですが、私が、フランスにやってきた時も、主人のお兄さん夫婦の次に、彼が紹介してくれたフランス人の友人でした。

 彼が、外国に転勤になって、数カ国を渡り歩いて、フランスに戻ってきて、家が遠くなっても、彼らの関係は続いており、私も彼と一緒に娘を連れて、エディの家に招かれて、食事をしたりしたこともありました。

 エディは、ごくごく一般的な、会社勤めをする中流階級のフランス人で、彼には、少し年上の幼稚園の先生をしている奥さんと、当時、中学生くらいだったお嬢さんがいました。

 奥様は、とても、お料理が上手で、彼と一緒に行くと、彼女の得意料理であるシュークルート(フランスのアルザス地方の郷土料理)(細く刻まれたキャベツを白ワインやシャンパンなどで発酵させた少し酸味のあるものと、ソーセージなどの豚肉の加工品と一緒に食べる料理)を山ほど作って、もてなしてくれたりしました。

 彼とエディの付き合いは、長かったので、エディのお嬢さんにとっても、主人は、小さい頃から、知っている親戚のおじさんのような存在でした。

 彼の奥さんは、趣味で、絵を描く人でもあり、彼女がパリで友人と開いたグループ展のようなものに行ったこともありました。

 私が仕事を始めて、しばらくして、私の方は、どんどん忙しくなり、また、娘も成長するに連れて、私も彼も、お休みの日には、娘の公文の教室やお稽古事の送り迎えなどで、時間が取られるようになり、エディとは、あまり、会う機会がなくなっていきました。

 それでも、主人とエディは、時々、電話をしあったり、付き合いは、続いていたのですが、それが、ある時、突然、断ち切られたのです。

 それは、エディのお嬢さんから主人にかかってきた電話がきっかけでした。

 私が、最初に彼女に会ったのは、彼女がまだ、中学生くらいで、小柄で、フランス人にしては、珍しく、年齢よりも幼く見えるような感じの女の子でした。

 彼女が主人に電話をかけてきた時には、高校生か大学に入りたての頃だったと思いますが、電話の内容は、今まで、長いこと彼女が苦しんできた衝撃的な告白でした。

 なんと、彼女は、長いこと、父親から、性的虐待を受けてきたというのです。ずっと、誰にも言えず、苦しんできた彼女は、思い余って、彼の父親のことも、自分のことも知ってくれている主人に相談を持ちかけてきたのです。

 私自身は、あまり長い付き合いでもなく、なにせ、フランスに来たばかりの頃で、まだ赤ちゃんだった娘を連れて、右も左もわからない生活がスタートした頃でしたので、あまり、冷静に人を見ることができなかったかもしれませんが、少なくとも、ごくごく普通の、小柄ではあるけれど、少し威勢のいい、人のいいおじさんという印象でした。

 主人にとっては、長い付き合いでもあり、少なからず、ショックでもあり、何より、ショックというよりも、激しい怒りと憤りを隠せませんでした。しかし、これまでの長い付き合いからは、そんな素振りは、微塵も見えずに、エディの家庭の問題については、全く、気がつかなかったそうです。

 その衝撃的な電話以来、主人は、ピッタリとエディとは、付き合わないようになりました。その後、主人は、彼のお嬢さんが、家を出て独立することを勧め、父親から離れられるように手を貸してあげたようです。

 お嬢さんからは、しばらくは、時々、連絡があったようですが、以来、エディとの関係は、プッツリと切れてしまいました。

 ごくごく普通の平和そうに見えていた家庭に潜んでいた大問題に、改めて、恐ろしさを感じた出来事でした。

 それにしても、自分の娘をこんなに苦しめる父親って、許せない。














2020年1月23日木曜日

やっぱりフランス人は、肉食だなと思わされるパリのスーパーの魚売場




 買い物に行くと、フランス人は、肉食人種だなと、つくづく思います。

 我が家の近所には、マルシェがないので、買い物は、どうしても、スーパーマーケット頼りになってしまいます。

 スーパーマーケットは、比較的、値段も安定していて、買い物もしやすいのですが、肉か魚かと言えば、圧倒的に肉になってしまいます。

 なぜなら、ろくなお魚が売っていないからです。(マルシェに行けば、そこそこのものは、手に入ります。)
 しかも、パリのスーパーのお魚コーナーには、季節感がなく、クリスマスの前になると、生牡蠣の箱が積み上げられて、売られていたり、オマールやエビや貝が盛り合わせになったものなどが売られてはいますが、それ以外は、ほぼ、一年を通して、ほぼ、同じものが並んでいます。

 多分、彼らが一番、好きなのは、サーモンだと思いますが、サーモン以外だと、スズキ、ヒラメ、鯖、イワシ、茹でてあるエビ、ホタテ貝、ゴムのような肉厚のイカ、黒ずみかけたマグロの切り身、時にアンコウなどが、細かく砕かれた氷の上に、水と光を浴びて並べられています。

 魚が恋しい私としては、ろくなものがないと知りながらも、恨みがましく、スーパーに買い物に行けば、一応は、魚売り場を一回りして、間違って、新鮮で、美味しそうな魚がおかれてはいないかと、一巡してみるのですが、いつも結果は、虚しく、やっぱりないな・・と、諦めて、お肉のコーナーに戻るのです。

 日本のようにお刺身で生で食べるという習慣がなく、必ず火を通し、バターでソテーしたり、ムニエルにしたり、フランス料理のソースをかけて食べるので、新鮮さは、求められていないのかもしれませんが、日本なら、到底、売り物にはならないだろう代物が、しかも、結構な値段で売られているのです。

 それでも、何回か、買ったことはありますが、ことごとく裏切られ、最悪だったのは、大きな舌平目を奮発して買ってムニエルにしたら、牛タンのような味がしたことがあり、それ以来、ほとんど、このスーパーで、魚は買わなくなりました。

 我が家のお魚は、冷凍食品メーカーのPICARD(ピカール)頼り、ピカールの加工していないフィレになったお魚が唯一の頼みの綱です。特に、うちでは、鯖は常備しており、これは、なかなかの安定したクオリティーを保って、提供してくれています。

 最初に、多分、フランス人が一番、好きなのは、サーモンだと書きましたが、おそらく、フランス人が一番食べているお魚は、poisson pané (プアソン・パネ)といって、
冷凍食品で、(チルド状のものもありますが)細かいパン粉のついた、白身の魚のフライのようなもので、魚の切り身の形をしていることもありますが、その多くは、8cmくらいの棒状になったもので、軽くオーブンで温め直すか、揚げ直して食べます。

 これは、学校のキャンティーン(給食)などでも、定期的に登場するメニューでもあり、家庭でも(子供のいる家庭は特に)おそらく、一番、食べられている魚料理なのではないかと思います。

 ある時、フランスのマスコミで、「今の子供は魚を知らない、プアソン・パネが海を泳いでいると思っている子供がいる・・」などと揶揄されて、書かれていたことがありました。

 肉なら、まずまずのクオリティーで、たくさんの種類のものが簡単に手に入るのに、魚がこれほどまでに悲惨な状態なのは、やはり、圧倒的に、需要が少ないわけで、やはり、彼らは、肉食人種なのだと思わざるを得ません。

 うちの主人(フランス人)が、生きている牛を見て、「美味しそうだ!」と呟いた時には、思わず、主人の顔を二度見してしまいました。

 











2020年1月22日水曜日

フランス人のダンナはよく働く




 フランス人の男性は、家庭の中で、よく働くな・・と、よく思います。

 家庭内で、女性が強いのか? フランス人のダンナさんは、奥さんの言うことをよく聞くな・・とも思います。これは、女性も、あたりまえにかなりの確率で、仕事を持っていることもあると思いますが、とにかく、旦那のフットワークが軽いのです。

 家事や、育児、家庭内のことで、フランス人の家庭では、おそらく、家事や育児をダンナさんが手伝ってくれているという感覚は、ないと思います。

 お互いがやるべきことをやっている・・そう言う感覚なのだと思います。

 日本には、専業主婦も多いので、女性が家事をするのが当たり前のような風潮があり、それが、共働きになっても、その感覚を引きずったままの人(特に男性)が、少なくないのではないかと思います。

 日本のドラマなどで、夫婦喧嘩のシーンで、「ゴミ捨てをするくらいで、家事を手伝っているなんて、大きな顔しないでよ!」などという場面があったりするところを見ると、あまり、家事には、協力的な感じがしません。

 だいたい、協力的という言葉を使うこと自体、家事の主体は、妻が担っているということに他ならないのです。

 フランスでは、子供の送り迎えなども、特に、朝などは、男性が子供を送ってから出勤する家庭も多いですし、(我が家もそうでした。)、娘のクラスメイトの家族には、食事の支度は、パパ・・なんて、家庭もありました。

 娘が病気で一週間ほど、学校を休んだ時に、クラスメイトがその間のノートを貸してくれたことがあったのですが、そんな時に、せっせと、お嬢さんを連れてノートを届けてくれたのも娘の友人のパパでした。

 土曜日の朝のスーパーマーケットなどは、女性よりも、むしろ、男性の方が多く、奥さんに頼まれているのか? それとも自分でリストを作っているのか? とにかく、メモを片手に、男性が熱心に買い物をしています。

 しかも、彼らには、全く、やらされている感じがなく、むしろ、ニコニコ、ウキウキとやっているように見えるのです。

 先日も、ルボンカン(フランス版メルカリ=日本のように全て配送ではなく、交渉して、各々が手渡しをする場合もあります)で、品物の受け渡しの約束をしていて、メッセージでやり取りをしていた方の名前が女性だったことから、最初は、その人だとは、わからず、やってきた男性に、「???」と思い、「女性だと思っていました!」と言ったら、「妻に頼まれて、受け取りに来ました。」と爽やかに答える、非常に感じの良い男性でした。

 うちの場合も、はっきりと取り決めをしたわけではありませんが、子供を朝、学校に送っていくのは、主人、車関係、公的な書類、娘の学校に関して、アイロンかけ、靴磨き、などは、主人がやります。

 料理と洗濯は、私・・と、いつの間にかそれぞれに家庭内での仕事は、分担されていました。その他のことは、それぞれができる時にできる人がやるという感じです。私自身も主人に家事を手伝ってもらっているという感覚はありませんし、彼の方も手伝っているという気持ちは、ないと思います。

 どちらかが、病気になったりすれば、病院に連れて行ったり、看病したりは、お互い様です。

 なので、フランスでは、少なくとも、家事や家のことを男性がやっていても、奥さんにやってもらえなくて気の毒だ・・・などと思う人は、いません。

 自分の家族の家庭内のことをそれぞれが補い合いながらやっていく、そんなに不思議なことでもないと思うのです。自分のことは、自分でやる。自分という意識の中に自分の家族も含まれているのです。

 むしろ、大の大人が自分の家庭内のことを、奥さんにやってもらうことばかりを期待するのは、あまりに幼稚だと思うのです。