2020年2月4日火曜日

日本人は、黙って我慢すると思われている




 私が、フランス人に対して、あまりにいちいち、突っかかって、モノ申すのを見て、「おまえら、やることやってから、言えっつーの!」と思うのと同じくらい、フランス人から見たら、日本人は、言うべきことを言わず、黙って我慢していて、「これだから、日本人は、ダメなんだ・・」と度々、フランス人の同僚から言われたものです。

 私など、「黙って我慢する」・・と言えば、聞こえは、いいのですが、相手に隙を付け込まれないように、キッチリとやることをやって、相手を追い込んでから、言うことを言うという、見方によっては、勝気で、たちの悪いものではあるのですが、とにかく、何か、あれば、瞬発力よく、言いたいことを言うフランス人には、理解しがたいことであり、これだから、日本人は・・と、日本人がバカにされている一面でもあります。

 とにかく、自分のことは、棚に上げて、言うことは言うフランス人の言うことを、説得力がない・・と私は、感じてしまいますが、海外のスタンダードにおいては、「とりあえず、やることやってから」よりも、「とりあえず、モノ申す」方が、世間を渡っていきやすいのかもしれません。

 とにかく、すぐに、「訴える!」とかいうことになるので、特に、フランスで雇用関係にあれば、雇用形態にもよりますが、正規採用の場合は、圧倒的に、雇われる側の方が強く、雇う側も訴えられることを常に恐れています。

 日本人は、和を重んじ、何かモノ申せば、その後、職場で気まずくなるとか、そんなことを考えがちですが、フランス人は、そんなことは、一向に憂慮している様子はなく、言いたいことを言った後は、意外にあっけらかんとしているのも、フランス人の気質なのだと思わされます。

 そして、モノ申すことに対しての瞬発力と粘り強いエネルギー、度々、行われるデモや長期間にわたるストライキなども、一体、この人たちのどこにそんなパワーが潜んでいるのかと思いますが、何より、彼らにとっては、主張するこそが誇りであり、そんなプライドが彼らのパワーの源なのです。

 訴えるとか、訴訟ということに、日本人は、慣れないということもありますが、日本人が、とりあえず、黙って我慢するというのは、ある種の傾向として、事実であり、そのように日本人が見られ、バカにされているのも事実です。

 そして、そんな、日本人が泣きを見るのは、意外にも、フランスの企業ではなく、フランスにある、日本人経営の会社に多いことも、また、悲しい現実です。

 フランスの企業は、とは言っても、日本人をそこまで知るわけではなく、フランスの法律は、尊守しているので、そこまで酷いことにはなりませんが、日本人を誰よりも知っている日本人経営者の方が、海外というある種、生きづらい環境と、日本人の「黙って我慢する気質」を利用して、横暴なことをする傾向にあります。

 「日本人は、黙って我慢する」ということを、一番利用しているのは、実は、日本人であったりもするのです。

 








2020年2月3日月曜日

コンビニのない世界




 フランスに、コンビニは、ありません。コンビニどころか、大抵のお店は、日曜日は、お休みです。コンビニもどきのお店はあっても、それは、ごくごくパリの街中のチェーンのスーパーマーケットのミニチュア版か、アラブ系の人がやっている種々雑多なものがおいてあるお店のことで、たいていは、日曜もやっているというだけのことで、大して、便利でもありません。

 フランスに来た当初は、日曜にお店が閉まっているということだけで、信じがたく、ほとんどの女性が働いているフランスで、どうして、お店を日曜日に閉めるのか、理解に苦しんだものです。

 どうやら、労働組合が強いフランスでは、日曜出勤を組合側が反対しており、なかなか、解禁にならないようです。これだけ失業者が多い国なのですから、日曜だけ働くという人を雇っても良さそうなものですが、そんなことも進まない国なのです。

 そこへ行くと、日本のコンビニは、凄まじいものがあります。始まりは、セブンイレブン=朝の7時から夜の11時までの営業だったコンビニが、あっという間に24時間営業、しかも、年中無休になり、しかも、その数もびっくりするほど増えて、そのサービスも、お金の振り込みから、荷物の配送まで、銀行や郵便局の代わりにもなる、本当に便利なものです。

 私が、海外に出て、20年以上が経ちますが、当時の日本は、ここまでではなかったにせよ、海外にでた当初は、コンビニどころか、生活ひとつひとつが全て不便で、しかも、ストレス満載でした。

 しかし、すっかり、そんな生活に慣れてしまった今では、日本帰国時には、「あ〜そうか・・日曜日もやっているんだ・・・」と、いつの間にか、思うようになっていました。

 日曜日にお店が休みなら、違う日に買い物を済ませて、日曜日には、他のことをすれば良いのです。代わりに日曜日には、家族とゆったり過ごす時間が得られます。

 「無ければ、無いなりに、なんとかする。」のは、海外生活の基本で、日本のような便利な国は、世界中、どこを探したって、そうそうあるものではないのです。

 必ずしも便利ではない暮らしだからこそ、代わりに得られるものがあることに、私は、最近になって、気付き始めているのです。






 

2020年2月2日日曜日

死ぬ覚悟と死なせる覚悟




 「俺は、のたれ死んでもいいから、家にいたい。」父は、最後のギリギリまで、そう言って、粘っていました。父は、幼少期から、最後のギリギリまで、同じ土地に住んで、子供の頃に父親の転勤で、外地に数年いたことがありましたが、それ以外は、生涯のほとんどを同じ土地に暮らしてきました。

 父は、母が亡くなってからも、結局、10年間、同じ家に一人暮らしをしていました。
我が家は、私も弟も海外で生活していたため、一緒に生活するどころか、近くにいて、満足に世話をしてあげることもできませんでした。

 父は、脳梗塞を起こしたり、心臓の手術をしたりしたこともありましたが、最後の数年は、間質性肺炎という病気を患っていて、最後の一年間で、急速に弱っていきました。

 母が亡くなった当初は、それまで、家事らしい家事もしたことがなく、わがままに暮らしてきた父が、一人暮らしになることは、どうなることかと思っていたのですが、思いの外、父は、かなりの年齢になっての初めての一人暮らしをなんとか、過ごしてきました。

 もちろん、一人暮らしといっても、同じ敷地内に父の兄家族が住んでおり、叔母やその娘(私の従姉妹にあたります)が、こまめに家をのぞいてくれたり、食事を届けてくれたりしたことが、大きかったと思います。叔母と従姉妹には、本当に感謝しかありません。

 母の生前に、家に来てくださっていたヘルパーさんが、そのまま、父の介護として、来て下さるようになったことも、大変、幸運でした。

 父の死後、家を片付けていると、残された沢山の写真から、意外にも父には、度々、友人と旅行に出かけたりもしており、年齢のわりには、パソコンやインターネットをよく勉強し、それなりに使いこなしていたこともわかり、自分の生活を楽しんでいたと思います。

 しかし、持病の悪化と老化とで、急速に弱り始めてからは、度々、父は、入院した先で、トラブルを起こしたり、家に戻っても、食事を取れなくなったり、苦しくなって、隣に住んでいる私の従姉妹を呼びつけたり、周囲も手に負えなくなっていきました。

 弟も帰国時に宅配のサービスの契約をして、バランスの取れた食事を手配したりしてくれましたが、それとて、父の生活のごくごく一部でしかなく、父の急速な衰えを止めることは、できませんでした。

 父の方も、「周りには、迷惑をかけない!俺のことは、放っておいてくれていい!たとえ、のたれ死んでもいいから、家にいる!」と言って、ケアーホームに入ることを拒否し続けるわりには、心細くなって、結局、周りに頼る状態が続いていました。

 私も帰国時にケアーホームの個室の状態の下見に行って、食べ物には、殊更うるさい父の要望で、食事のメニューまで、見てきたりしましたが、結局、父がしぶしぶ、体調が改善されるまでという条件付きで、入所した時には、何も食べられない状態になっていて、最後の数ヶ月は、誤嚥性肺炎を恐れて、胃ろう(チューブでの経管栄養を施す)の処置をして、何も食べられない苦しい拷問のような数ヶ月を過ごしました。

 父の人生で、最も苦しかった数ヶ月だったと思います。

 それもこれも、父にも、死ぬ覚悟、私たちにも、死なせる覚悟が足りなかったことを今となっては、とても後悔しています。

 いざ、その時になれば、死に直面することを避けてしまい、とりあえずできる処置に頼ってしまいます。特に私たちのように、海外生活を送っていて、離れた状況にあれば、その決断に猶予はありません。

 余程、日頃から、真剣に死と向き合って、覚悟を決めておかなければ、いざという時に決断ができないのです。

 父は、従姉妹が施設に見舞ってくれる度に、「アイスクリームが食べたい。アイスクリームを食べさせて!」と何回も頼み込んでいたようですが、従姉妹にしても、医者から禁じられていることをするわけにもいかずに困ったと言っていました。

 食べることが何よりも好きで、貪欲だった父の最後の数ヶ月をこのようにしてしまったことは、残念でなりません。そばにいられなかった私が言えることではありませんが、アイスクリームを食べさせて、死なせてあげられればよかったと、今になってから、思うのです。

 人間、食べられなくなったら、もう生きてはいけないのだから、その時が来たら、自分も潔く、覚悟を決められるように、私自身も常に、自分の死の迎え方を真剣に考え続けることを自分に戒めています。

 






 

2020年2月1日土曜日

災害に免疫のないフランス人がパニックを起こして、アジア人全体を傷つけている

 

 
 出勤前の朝の時間は、食事の支度をしたり、夕飯の下ごしらえをしたり、バタバタしている中、我が家のキッチンのテレビが、つけっぱなしになっていて、ほとんど、ラジオのような状態になっていた中、「Japon(ジャポン)、Japon!」という単語が連呼され、朝から、トップニュースで日本について報じられることなど、珍しいので、何事か? と画面をふと見ると、波に流される車の映像が流されていました。

 一瞬、目を疑うような、映画でさえも、現実味がないような映像に、唖然として、突如、座り直して、ニュースを見たのが、東日本大震災の時のことでした。

 東日本大震災は、そのように、フランスでも、ニュースとして、大々的に取り扱われていましたので、フランス人の中でも、大変な話題となっていました。

 震災直後の避難所の様子なども含めたドキュメンタリーなども、テレビで放送されて、あのような災害時においても、決して騒がずに、礼儀正しく、配給される食料の列に並んだりしている我慢強い東北の人々に、胸に込み上げるものがありました。

 当時、私が、通っていたジムのサウナの中で、見知らぬ女性に、「あなた、日本人? ご家族は、大丈夫だった?」などと、話しかけられ、「日本人は、素晴らしいわね。あんな状況でも、礼儀正しくて!フランスだったら、きっと、殺し合いになるわよ!」と言われたことがありました。

 まさに、地震などの災害に慣れていないフランス人にとって、自分の身を脅かされるような状況に陥ることは、滅多になく、慣れていないこともあり、ストライキ等で間引き運転になって、混雑したメトロの中でさえも、譲り合うということをせずに、我れ先にと乗り込もうとする様子は、まるで、地獄絵図を見るようです。

 もともと、我が強く、感情的で、パニック状態をコントロールすることが苦手な人たちですから、実際に、危機的状況になると、本当に怖いことになるだろうと、その時の私は、思ったものです。

 それが、今回のコロナウィルスの騒ぎで、彼らは、パニック状態になりつつあり、中国人を初めとしたアジア人を極端に避け、緊急電話への電話相談が殺到していると言います。

 中国人のレストランで食事をしたが、大丈夫だろうか? 中国からの郵便物が届いたが、大丈夫だろうか? 中国人とすれ違ったが、大丈夫だろうか? 子供の先生がアジア人だが、大丈夫だろうか?

 私は、聞きたい! あなたたちの頭は、大丈夫だろうか?
 アジア人だろうが、あなたたちと同じようにフランスで生活している人たちなのです。
 自分たちの行動が人を傷つけていると、省みることは、できないのか?

 フランスでも、マスクが飛ぶように売れているというわりには、マスクをしている人は、それほどいるわけでもなく、(とりあえず、買ったはいいが、使っていないのだと思います。)イタズラにアジア人を避けるばかりのフランス人のパニックぶりは、どうにも理解しがたいのです。

 ウィルスが怖いのなら、正確な情報を収集し、自分で、できる限りの防御を淡々とするしかないのです。


 


















2020年1月31日金曜日

私はウィルスではない フランスでのアジア人差別




 世界中を騒がせている、新型コロナウィルスの広がりにより、ヨーロッパで、最初に感染者が確認されたフランスでは、中国人だけには、留まらずに、アジア系住民に対する人種差別が問題となっています。

 アジア系の人間だとわかると、すーっと周囲の人が遠ざかったり、酷いものでは、罵声を浴びせられ、メトロから降ろされたりするケースもあると言います。

 街中で、遠巻きに、「コロナウィルスが来た!」と騒がれたりしたという人もいます。

 もちろん、まだ、正体も定かではない未知の病気に感染したくないという恐怖が引き金にはなっていますが、私は、もともと、フランス人の中には、アジア系の人間に対する差別意識が、潜在しているものだと思っています。

 そもそも、フランス人にとって、アジアの細かい国は、十把一絡げなところがあります。

 例えば、日本という国も、最近、注目されつつあり、人気は急上昇しているとはいえ、一般的には、日本人が思うよりもずっと、フランス人は、日本のことを知りません。

 だからこそ、日本人も中国人も、その他のアジア諸国も、同じように扱われがちです。

 そもそも、日頃から、除菌に精を出し、ウォシュレットを使用し、マスクをして歩く、日本人の衛生観念は、世界的にもトップレベルであり、フランスの汚いトイレ事情などから比べると、天と地ほどの差があると思われるのですが、我が身を省みずに、アジアを一括りにして、アジア人全体を差別する彼らには、日本人を中国人と区別するようには、コミットできません。

 日頃、パリを訪れる日本人観光客が街中で、マスクをしているのを奇妙な気持ちで眺めているフランス人には、度々、「日本人は、なぜ、マスクをしているのか?」と尋ねられることもしばしばです。

 逆に言えば、「マスクをしているのは、日本人だ・・。」という風には、思っているらしいところもあります。

 そもそも、フランス人は、外国人に対して排他的なところがあり、逆に言えば、フランスを愛するあまりに、他を蔑視するようなところがあります。そういう意味では、フランス人は、差別体質の部分を持っているとも言えるかもしれません。

 ごくごく平和な日常には、表面化はしにくい差別問題ですが、今回のコロナウィルスの騒ぎには、自分たちの健康が脅かされる危機的感情もあり、このところ、表面化してきているのです。

 とあるアジア人女性が、SNS上で、差別被害を訴え、ハッシュタグを付けて、「#私はウィルスではない」(#JeNeSuisPasUnVirus)を発信して、アジア人差別問題を投げかけ、広まりを見せています。

 アジア人を見かけて、「コロナウィルスが来た!」などと騒ぎ立てるなど、今どき、小学生でもやらないようなレベルのことで、そもそも差別というものは、人を尊重することができない思いやりのない、幼稚な言動であることを理論好きな彼らは、どう考えているのか、知りたいところです。

 考えてみると、フランス人は、理屈をこねまわすわりには、論理的ではなく、とかく感情的で幼稚。差別されていると思うと、こんな風にフランス人の悪口も言いたくなるのです。

 














 

2020年1月30日木曜日

パリでのクレーマーがヤバい奴になるまで


 彼女は、とても、几帳面な人で、コツコツと地味な努力を重ねる人でした。

 最初から、あまり、明るい印象は、なかったのですが、パリでの生活も私よりも長く、時たま、娘に手作りのアクセサリーを作ってくれたり、親切で、面倒見が良いところもありましたが、私よりもかなり年長でもあり、さほど親しくなることもなく、顔を合わせれば、時折、話をする程度の関係以上に踏み込むことはありませんでした。

 彼女のご主人は、日本人のシェフで、フランスでレストランをやっていたらしいのですが、日本でお店をオープンすることになり、ご主人は、日本へ帰国、お子さんたちの希望で、彼女と子供たちは、パリに残りました。

 ところが、日本に帰ったご主人に女性ができて、結局、離婚。彼女は、パリで一人、三人の子供を育てていました。

 ただでさえ、世知辛い、トラブルの多いパリでの生活ですから、何か起これば、黙っていられないのは、パリで生活する人なら、仕方のないことで、ましてや、一人で子供三人を抱えての生活は、さぞかし、気が張り詰めたものであったのだろうと思います。

 私自身もパリに住むようになってから、随分とハッキリと物事を言うようになったことも確かです。

 しかし、彼女には、元来、明朗なイメージがなかったせいもあってか、どこか、彼女の文句? の付け方は、陰湿に感じられ、しかも、あまりに細部にわたるもので、それをいちいち、自慢げに、周りに報告するので、ちょっと、これは、ヤバい奴なのかも?? と、遠巻きに眺めていました。

 次第に、彼女のクレームは、スーパーで買った品物を製品を出している会社に送りつけたり、あたりのお店やレストランなどの店員の接客の態度などにまで及ぶようになっていきました。

 ハッキリ言って、パリのお店など、そんなに細かいことにいちいち目くじらを立てていては、あまりにツッコミどころがありすぎるのです。

 そして、最も、怖かったのは、会社で上司などに、何か言われたり、理不尽と思われる出来事があるたびに、○年○月○日○時、○○と言われた・・などと全部、記録し、出勤簿などもコピーをとって、きっちりと保管し続けていたことです。

 まあ、正当な自己防衛といえば、そうなのですが、会社の場合、その場では、ほとんど、怒りを発することはなく、ひたすら、恨みを募らせながら、記録をしたためている様子は、やはり、ちょっと、そら恐ろしい感じでした。

 やがて、彼女が退職した後、彼女の会社に対する攻撃が始まったのです。
彼女は、会社を訴えたのです。

 フランスの労働法は、基本、労働者を保護する立場をとるので、ある程度、根拠のある裁判ならば、労働者側が強いのです。彼女は、長年の恨みをその日のために、几帳面に記録を取りながら、着々と準備を進めてきたのです。

 果たして、彼女は、勝訴し、大金を得ました。

 彼女が恨みを募らせながら、記録し続けた様子を遠くから、眺めていましたので、彼女の執念と努力が勝訴を勝ち取ったとは、思いますが、傍目にも、後味が悪く、あちこちに恨みつらみを抱き続ける彼女の生活に疑問を抱かずには、いられませんでした。

 彼女は、きっと、行きつけの店では、ブラックリストに載っていて、彼女が行くと、「ヤバい奴が来た!」と言われているに違いありません。

 トラブル満載のパリでも、言うことは言いつつも、決して、「ヤバい奴」には、ならないようにと、改めて、思い知らされる彼女の生きようでした。

 

 

 










2020年1月29日水曜日

実践よりも、まず、理論のフランスの教育




 私が日本の小学生だった、はるか昔でさえ、区立の小学校でも、学校の音楽室には、一人一台のオルガンがあり、その他の楽器も色々ありました。

 音楽の授業では、楽器を分担して合奏をしたり、皆で歌を歌ったり、文字通り、音を楽しむ授業で、私は、音楽の授業は、半分、遊びのような楽しいものでした。

 それに比べると、フランスの学校の音楽の授業では、オルガンはおろか、楽器を演奏する機会は、ほとんどなく、授業は、いわゆるクラッシック曲の歴史や作曲家、その時代背景に関する、いわゆるアナリゼと言われる、理論的なことを学ぶ授業が主で、娘は、音楽の授業は、まるで、楽しくないと言っていました。

 専門的に音楽を学ぶ人には、アナリゼも必要だと思いますが、普通の小学生には、退屈なことに違いありません。

 また、驚いたのは、娘がバカロレア(高校卒業資格試験)の際にオプションでとった水泳の試験です。

 これがまた、複雑怪奇なシステムで、ただ、早く泳げば良いというわけではなく、(早いに越したことはないのですが・・・)一定の距離を、自分で、定めたタイムに出来るだけ、近いタイムで泳ぐという、意味不明なもので、(無駄に難解にしているところが、フランスっぽい)しかも、水泳の試験には、面接・口頭試験まであり、フランスの水泳の歴史などを答えなければならないのです。

 また、筆記試験においても、フランスでは、論文形式のものが多く、非常に受験にも採点にも時間と手間暇がかかる難解なものです。

 高校生になると、これらの口頭試験や論文での試験に向けての準備の授業が長期間に渡って組み込まれています。

 本来ならば、あまり、頭を使わずにすむ、体育や音楽の授業や試験でさえ、これですから、フランス人がいちいち、理屈をこね回すのもわかるような気がします。

 とりあえず、黙っていない、たとえ、自分が充分な仕事をしていなかったり、自分に非があろうとも、微妙に理論をすり替えながら、自分の理屈をとうとうと述べるフランス人に、「まず、やることやってから言えっつーの!」 とか、「話をすり替えてんじゃねーよ!」と、私が感じるのには、彼らの受けてきた教育が背景にあることを思い知らされるのです。