2019年12月29日日曜日

絶対に入院したくないフランスの病院




 以前に、フランスの病院の救急外来でひどい目に遭った話を書きましたが、ひどいのは、救急外来だけではありません。

 私自身は、フランスの病院に入院をしたことはありませんが、家族や友人で、入院をした際のトラブルは、色々と耳にします。

 ひどい話だから、広がりやすく、話題にも登るのかもしれませんが、それにしても、日本では、聞いたことがなかった話なので、やはり、トラブルは多いのかと思ってしまいます。

 いくつか聞くのは、手術のミスです。
 実際に、私の主人も、私と出会うより、ずっと前に遭った大きな交通事故の手術の際の輸血の際に肝炎にかかり、その上、体内にガーゼを置き忘れたまま、閉じられてしまうという目に合い、事故のために、脾臓を切除された上に、肝炎にかかって、肝臓にも負担がかかり、その後、長いこと苦しむハメになってしまいました。

 また、私の友人もガンで数度にわたる入院をし、一度は、完治したように思われ、約一年後に仕事にも復帰していたのですが、ちょうど5年目ほどに再発してしまいました。

 定期的に検査を行い、5年間は、異常は認められなかったのですが、ちょうど5年目に入った頃の検査で、病院からは、一応、完治という診断を受けたのですが、血液検査の中のある数値の変化に彼女は疑問を感じ、再検査を彼女の方から依頼したところ、再発していることがわかりました。

 彼女自身が検査結果を注意深く見ていなければ、再発は、見過ごされていたわけです。

 それから、放射線療法や、化学療法、数回にわたる手術など、長期間にわたる彼女の闘病は、壮絶なものでした。そのうちの一回は、うまく縫合されておらず、長時間にわたる手術のやり直しなどもありました。

 ガンの疼痛も激しく、度々、医者や看護師が呼びつけられるのを避けるためなのか、モルヒネが点滴で常に繋がれているようになり、痛みを感じれば、自分の判断で、モルヒネは、好きなだけ、自分で投与できるようになっていました。

 痛みに耐えられなくなり、モルヒネを投与していくうちに、彼女は、幻覚を見るようになり、痛みよりも、自分自身を失っていくことが耐えられなくなり、モルヒネの投与は、断るようになりました。

 自分自身もこの治療をしたら、身体がどのような状態になるという説明が詳しくされておらず、治療に関しては、後から考えてみれば、まるで、実験材料にされたとしか、思えない状況でした。

 治療についての説明と話し合いは、とても重要で、この治療・手術をしたら、どのような、結果になる可能性があるかということは、しっかりと医者と話し合って、納得して、治療は、選ばなければいけないと、彼女のケースを見ていて、深く思い知らされました。

 治療に関してだけでなく、病院には、泥棒までいて、彼女が眠っている間だったのか、いつの間にかは、わかりませんが、彼女が病室に持ってきていた、お財布やカード、アパートの鍵などの入ったバッグが盗難にあったこともありました。

 病院にいながら、彼女は、クレジットカードを止めたり、保険のカードの再発行をしたり、アパートの鍵をつけなおしたりと、ただでさえ、体調が悪く、苦しんでいる彼女を狙うなんて、許せない!!ホトホト気の毒になりました。

 結局、苦しい闘病の末、彼女は、亡くなってしまったのですが、それから、意味のわからないことに、入院の記録があり、退院をした患者さんに対して、病院が事務的に送っていることなのかもしれませんが、これまた杜撰で、彼女の死後、しばらくしてから、その後の経過は、いかがでしょうか?というようなレターが彼女宛に届き、さすがに、あまりに失礼で呆れ果てました。

 こんな場面に、数々、遭遇してしまうと、たとえ、病気になっても、フランスの病院には、絶対に入院はしたくないと思うのです。

 

 









2019年12月28日土曜日

絶対に謝らないフランス人と謝ってばかりいる日本人




 昨日の午前中、携帯に複数の保険会社から電話がかかって来ました。どうやら、誰かが数社の保険会社に対して、自動車保険の見積もりを出すように頼んで、電話番号を伝えたところ、間違えたらしく、私の電話に立て続けに保険会社からの間違い電話が入り、最初は、「マダム〇〇ですか?」 と言われて、「違います・・」と言って、切っていたのですが、あまりに立て続けに何件も電話がかかるので、しまいには、うるさくなり、「今朝から、何件も同じ間違いでかかってくるけど、この番号は違うので、番号を記録から消してください!」と頼んだら、「それは、本当にすみませんでした!」と、間違い電話をかけて来た人が謝ったので、うわ!謝る人もいるんだ〜と、とても、びっくりしました。

 次にかけて来た人に、同じことを言ったら、「OK!」と言って、ガチャンと電話を切られました。こちらは、普通の応対ですが、いくら慣れても、やっぱり、感じの悪いものです。

 フランス人の接客、サービス業に関しては、とかく、間違いが多く、しかも、絶対に謝らず、常に、高飛車なのです。

 これに反して、日本は、とにかく、どんなに些細なことに対しても、すぐ謝るのが、当たり前で、もはや、謝罪があまりに日常的で、フランスのような、絶対に謝らない国に住んでいると、それは、それで、ちょっと妙な感じすらします。

 ほんのちょっとの間であっても、「お待たせして申し訳ございません。」、工事現場などで、よく見かける、黄色いヘルメットをかぶったおじさんがお辞儀をしている看板「工事中につき、大変、ご迷惑をおかけしております。」、何かミスでもあろうものなら、平身低頭で平謝りです。

 新幹線や、電車などの交通機関であっても、たとえ、数分間の遅れであっても、「大変、ご迷惑をおかけいたしました。」などと、必ず、アナウンスが入ります。

 それは、サービス業だけには、とどまらず、ごくごく日常の友人、知人関係などにおいても、知らず知らずのうちに、自分でも、「ごめんね。」とか、「すみませんでした。」とか、気づかないうちに、挨拶がわりのように、ちょっとのことでも、口癖のように、ついつい謝っていることに気づきます。

 フランスにいれば、ちょっとでも、謝ってくれたら、気分も和らぐのにと思うこともしばしばですが、逆に考えれば、ミスに対して、寛容だと考えることもできます。ですから、日本だと、どんなに少しのミスに対しても、厳しく、ミスを許さない厳格な社会なのだと考えることもできます。

 以前、日本に住んで長くなったアメリカ人の友達が、久しぶりにアメリカに帰って友人に会った時に、「どうして、おまえは、そんなに謝ってばかりいるんだ!?」と言われたと、苦笑していたことがありました。

 日本に長くなると、外国人でさえも、すぐに謝る習慣がつくようです。

 
























 

2019年12月27日金曜日

フランス人の男性のお買い物





 フランスでは、専業主婦というものが、かなり、少ないということからなのか、スーパーマーケットにお買い物に行くと、やけに、男性が多いような気がします。
 しかも、それが、日常のものになっているせいか、やけに楽しそうにも見えます。

 特に、土曜日の朝などは、一週間まとめての買い物なのか、男性が一人で、あるいは、子供を連れて買い物に来ているのが、目につきます。それは、オムツやベビーフード、トイレットペーパーなどのごくごく日用品から食料品までも含めたなかなかガッツリした買い物です。

 むしろ、夫婦揃って買い物をしているのは、どちらかというと、すでにリタイアをした老夫婦のような印象があります。
 歳をとっても、仲良く、二人でお買い物をしている姿は、こんな風に歳をとりたいというような、多くの女性にとって、憧れの光景ではないでしょうか?

 私は、混雑やレジでのトラブルを出来るだけ避けるために、なるべく、平日の朝、早い時間に買い物に行くようにしているので、余計、年配の夫婦などが多い気がするのかもしれませんが、まだ、若い共働きのカップルなどは、お休みの日に、買い物と家事を分担して、男性がお買い物に行っている間に、女性が家事をこなしているのかもしれません。

 我が家の場合は、主人に買い物を頼むと、まるで、余計なものしか買ってこないので、まるで、当てにできない上に、私自身も、食材などは、自分の目で見て、献立を考えながら、選びたいので、主人が買い物に行くことはあっても、それは、彼が好きな欲しいものを買ってくるだけです。

 しかし、彼は、お買い物が決して、嫌いではないのです。むしろ、大好きです。

 メモを片手に、奥さんから頼まれたものを忠実に買っていく人もあれば、電話片手に相談しながらだったり、自分の目で着々と慣れた様子で商品をカートに入れていく様子は、見事なもので、完璧に自分の役割としている様子でもあります。

 また、クリスマスなどの行事の際の食料品の買い物などは、明らかにワクワクした様子で、男性が買い物をしているのも、見ていて、こちらまで、嬉しさが伝わってきて、自然と笑みがこぼれます。

 また、毎年、秋に開かれるワインフェアの時期などには、ワイン好きの親父がカタログ片手にじっくりと、積み上げられたワインの木箱の中を延々とワインと向き合っている様子も、お酒好きの私としては、嬉しい光景でもあります。

 日本のスーパーマーケットなどに行くと、最近は、老夫婦の買い物姿が見られるようになったとはいえ、圧倒的に女性の買い物姿が多く、お国柄の違いを感じさせられます。

 以前に、「あなた作る人、私、食べる人」とかいうコピーが、女性蔑視として、問題になったこともあった日本ですが、あれからもう長い時が経った今でも、その実、実際は、あまり変わっていないのかもしれません。

 少なくとも、フランス人の男性のように、男性が嬉しそうに買い物をしている姿を私は、日本で見たことは、ありません。

 家族でのバカンスの過ごし方でもそうですが、家族の中でのありようが、男性のお買い物の様子からもうかがえるような気がするのです。

 

2019年12月26日木曜日

美食の国と言われるフランスの意外な落とし穴 パリのイタリアンレストラン



 
 パリのイタリアンは、ハズレが多いことで有名ですが、パスタ・ピザ等は、比較的、安いこともあり、学生などからは、気軽に食べられる人気の食べ物でもあります。

 また、観光客にとっても、メニュー自体がわかりやすいこともあり、また、あまり、当たりハズレもないように思われるため、気軽に入りやすいのでしょう。

 しかし、フランス人にとってのパスタの一番人気は、カルボナーラで、基本、イタリアン=トマトベースのものを連想する私などにとっては、やはり、フランス人の基本的な食の好みが生クリームとチーズに偏りがちなフランス人好みのものとは、相容れないところがあります。

 また、柔らかいものの好きなフランス人にとっては、アルデンテの感覚に乏しく、下手をすると、茹で過ぎの予想もしていないようなものが出てくる恐れがあります。

 普段、あまり外食はしない私ですが、あるとき、出先で、昼食どきになり、お腹が空いて、パリのあるレストランに入った時のことです。

 とりあえず、安くて、簡単で、素早く出てきそうで、ハズレがなさそうな、スパゲティボロネーゼ(ミートソース)を頼んだのです。

 お腹をすかして、待っていた私の期待に反して、私の待っているものではない、予想外のものが出てきたのです。なんと、トマトを使っていないミートソースに、アルデンテからは、かけ離れた柔らかいパスタなのです。

 つまり、ひき肉を炒めただけのミート?ソースとブヨブヨのパスタに私は、愕然としました。これなら、サンドイッチでも買った方が良かった・・と思ったものです。

 呆気に取られている私に、娘は、平然と、「学校のキャンティーンのミートソースにもトマトが入ってない、こういうミートソースだよ!」と言うではありませんか?

 それ以来、私は、パリでパスタを食べるのは、極力控えるようになりました。

 また、これは、パリに来て、当初に私が感じた、私の個人的な感想ではありますが、こんなにチーズ好きな国なのに、ピザのチーズが少ないのにもびっくりしました。
 逆に言えば、日本のピザはチーズが多いのです。

 そして、極め付けは、先日、娘が行ったイタリアンレストランでの酷い接客の話。
これは、何も、イタリアンだからと言うわけではなく、パリでよくあるレストランでの店員の態度の悪さの話です。

 まあ、学生で、友達と食事すると言えば、値段の安さから真っ先に選ばれるピザですが、チュイルリー公園の近くのイタリアンレストランだったそうです。

 ピザ自体は、美味しかったそうなのですが、その接客態度の悪さに、パリでは、よくあることながら、そういう場面に遭遇するたびに、嫌な思いをさせられるものです。

 まず、オーダーしてから、注文したものが出てくるまで、延々と待たされ、会計の際には、店員同士がおしゃべりしていて、再び、延々と待たされます。

 そして、いざ、会計の計算にかかると、どこのテーブルだったか、なかなか把握できずに、テーブルの場所の客側の説明が悪いと逆ギレ。

 そんな調子だから、言葉使いもなっていなく、フランス語だと英語のYOUに当たる言葉が、丁寧な言葉使いならVousを使うところが、接客にも関わらず、親しい間柄しか使わないTuを使って、接客する。つまり、敬語が使えないのです。
 要するにお客様に対する接客を舐めているのです。

 挙句の果てに、帰ってきて、お腹を壊した娘。

 娘は、友人と共に、トリップアドバイザーに書き込みをしてやると、息巻いています。

 やっぱり、パリでイタリアンに行くのは、気をつけた方が良さそうです。










2019年12月25日水曜日

2週間しか行かないの? フランス人のバカンス感覚




 クリスマスから、年末年始にかけて、海外在住者の日本への一時帰国は、少なくありません。

 こちらにフランス人の家族がいる人は、クリスマスは、家族で過ごす、一大イベントなので、この間、日本へ帰国、という人は、少ないかと思いますが、それ以外の人にとっては、やはり、日本でも年末年始のお休みで、家族や友人もお休みで会いやすかったり、日本で年越しをしたい、お正月を過ごしたいと思えば、一時帰国には、良いタイミングなのかもしれません。

 とはいえ、私自身は、海外に出て以来、年末年始に日本へ行ったことは、ありません。

 まあ、単純に、年末年始にかけて、長期間のお休みが取れなかったこともありますが、航空運賃も高く、気候も決して良くはなく、混雑する時期に何も行かなくても・・というのが正直なところです。

 私は、どちらかというとあまのじゃくなのか、お盆の時期や年末年始にかけては、皆がバカンスに出てくれて、少し、人の少なくなった街を楽しむ方が好きなタイプなので、パリにいても、メトロも空いていて、せっかく、ゆったりと通勤できる期間に何もバカンスなど取ることはないと思っているのです。

 それでも、子供がいれば、ただでさえ、年がら年中、バカンスに追い立てられているようなフランスの学校へ通っていれば、せっかく学校をやっている時期に学校を休ませてまで日本へ行くなどは、もってのほかで、日本へ行くといっても、子供の学校がバカンスの時期に、行くしかないわけです。

 ですから、大抵は、それでも、やっぱり航空運賃の高い夏の時期に行くしかないわけです。夏とは、いえども、お休みが長期間、取れずに、2週間、あるいは、10日間・・なんてこともありました。

 2週間のバカンスで、日本へ行くというと、フランス人は、まず、「2週間しか行かないの?」と驚きます。

 日本は、遠い国で、行くのには、時間もかかり、(直行便でも12時間、往復、最低でも24時間)航空運賃もそれなりに高いことを彼らも知っているので、それだけの移動時間とお金をかけて行くのに、2週間しか行かないということが、普通のフランス人にとっては、信じ難いことなのです。

 初めは、そんなに驚くか?と思うほど、彼らの驚きぶりに、逆に驚いた私でしたが、最近は、フランス人のバカンスも見慣れて、彼らが驚くのもわかるようになりました。

 しかし、逆に、日本人が、例えば、フランスに旅行に来るとしても、2週間も滞在する人というのは、恐らく、稀であることも事実です。

 日本の会社に勤めていて、2週間のお休みを取ることが、どのくらい大変なことなのか、今の私には、具体的には、わかりませんが、そうそう簡単なことではないでしょうし、せいぜい、一週間から10日間くらいなのでしょうか?

 日本から来る旅行会社が組むツアーなどでは、本当に弾丸ツアーのような、一週間くらいのツアーで、パリ、ロンドンを周り、しかも、パリに早朝に到着したと思ったら、いきなりパリを観光して、ベルサイユを経由して、そのまま、モンサンミッシェルへ、そして、翌日、モンサンミッシェルを観光したら、夕方には、ロンドンへ・・ロンドン最終日は、昼食がアフタヌーンティーになっている・・などという目まぐるしいツアーもあり、
参加している人は、何がなんだかわからないうちに、旅行が終わっているのではないかと思ってしまいます。

 私もフランスでの生活が長くなり、どちらかというと、バカンスは、フランス人よりの感覚になってしまっていますが、今となっては、私にとっては、日本行きは、バカンスというよりも、買い物(しかも食料品の調達)と所用を済ませるためとなってしまっているため、バカンスなら、日本ほど遠くなく、時差もなく、用事がなく、ゆったりとした時間を過ごせるイタリアなどのヨーロッパ周辺の国に行くことの方が多いです。

 行ったことに意義があると言わんばかりの日本人の旅行と、ゆったりと時間を過ごすフランス人のバカンス。

 二週間しか行かないの? 二週間も行くの?という言葉に、そのバカンス模様の違いが見えるような気がするのです。










 
















2019年12月24日火曜日

フランス人のプレゼント交換




 日頃、日本のようにお中元、お歳暮、お祝い、お礼、旅行などに行けば、お土産などなど、やたらと贈り物をする日本に比べて、日頃、あまり、贈り物をしないフランス人でも、一年に一度のクリスマスのプレゼントには、かなり、力を入れて準備します。

 クリスマスの日は、家族で過ごす日ですが、家族それぞれのプレゼントを用意し、それぞれのプレゼントをきれいにパッケージして臨みます。

 フランスは、一般的には、商品は、包装をしないのですが、プレゼント用に包装してくださいと頼めば、包装をしてくれます。しかし、お店で包装を頼んだところで、必ずしもきれいにパッケージしてもらえるとは限りません。

 自分で、包装紙を買って、プレゼント用に包装する人も多いですが、フランス人は、びっくりするくらい不器用な人が多いのです。しかも、それをあまり気にしないのも驚きです。

 子供のクリスマスプレゼントには、万国共通のサンタクロースがおり、フランスの子供は、サンタクロースに手紙で欲しいものを頼みます。

 クリスマスの前の晩には、各個人の靴をクリスマスツリーの木の根本に置いておくと、そこにサンタクロースが、なぜかオレンジと共にプレゼントを置いていってくれるという筋書きになっています。

 娘が小さい頃は、クリスマスの朝に、娘がクリスマスツリーに駆け寄ってプレゼントを見つけて、ワクワクした顔をしながら、プレゼントを開けて、飛び上がって喜ぶ様子を見るのが楽しみでした。

 ある年、起きるなり、クリスマスツリーに駆け寄っていった娘は、どこをどう探したのか、すぐにしょんぼりして戻ってきて、「やっぱり、ペーノエル(サンタクロース)に手紙出し忘れたから、届かなかったんだ・・・」と、ちゃんと見つけられずに、こちらの方が慌てたことがありました。

 きっと、娘の中では、今年は、ペーノエルに手紙を出し忘れているから、プレゼントは、来ないかもしれない・・という気持ちがどこかに潜んでいたのかもしれません。

 サンタクロースを信じている年頃にしか見られない、天真爛漫な、無垢な純粋さを垣間見れる瞬間でもあり、私にとっては、娘の喜ぶ姿が何よりのクリスマスプレゼントでした。

 また、フランスの学校などでの、クリスマスの時期のプレゼント交換は、ちょっと、日本とは違うやり方なのも、ちょっと興味深いです。

 日本だと、学校など、大勢の間で、プレゼント交換をする場合、皆がプレゼントを持ち寄って、あとは、みんなの間で、プレゼントをグルグル回して、そのプレゼントが誰に当たるかは、サプライズ、開けてみてのお楽しみ・・という場合が多いと思います。

 しかし、フランスの場合は、予め、参加者の名前を集めて、くじ引きして、誰にプレゼントをするかを選びます。
 くじ引きで引いた相手に合うプレゼントをそれぞれ選ぶのです。

 誰に何が当たるのか、全くわからないのではなく、相手をくじ引きしてからプレゼントを選び合うというのは、なんとも、フランス人らしい、合理的なプレゼント交換だと思うのです。


















 

 

 

2019年12月22日日曜日

お稽古ごとの範疇の私のピアノに対する過剰な反応をしてくれるフランス人




 私は、小さい頃から、ピアノのおけいこをしていました。母は、特に、私をピアニストにしたいと思ったわけでもなく、周囲の従姉妹たちや、学校のお友達などもピアノを習っている人は、多かったので、それは、単なる、お稽古ごとに過ぎなかったわけで、ピアノを弾くということが、特別なこととは、思っていなかったのです。

 当時、公立の小学校でも、音楽室には、一人一台、オルガンがありましたし、日本では、たとえ、オルガンといえども、キーボードに触れたことがない子供は、いないのではないかと思います。

 私は、毎日のピアノの練習をするのが、嫌な時期もあり、練習をあまりしていないと、一週間に一度、ピアノの先生のところに行く時には、わざと、忘れたふりをして、楽譜を持って行かなかったりしたこともありましたし、途中、ピアノの先生とケンカして、やめてしまったり、受験前には、中断をしたりしたこともありましたが、結局、二十歳くらいまで、ピアノのレッスンは続けていました。

 中学校の頃には、クラスで合唱をしたりする時に伴奏をしたりして、みんなと一緒に音楽を作り上げることが、とても楽しかった思い出もあります。

 母は、私に、何のためだったのかは、わかりませんでしたが、早くにピアノに触れさせてくれて、絶対音感を植えつけてくれました。嫌気がさすことがあっても、それだけ続けてこられたのは、やっぱり、ピアノが自分の楽しみのひとつになっていたからです。

 とはいえ、音大に進んだりするほど、集中的に学んできたわけではないので、私のピアノの腕前は、単なるお稽古ごとの範疇で、全く大したことはありません。

 しかし、始めて、イギリスに行った時、スタージュをさせてもらっていた施設で働き始めた時に、そこのマネージャーが私の履歴書をみて、(趣味の項目にピアノと書いていましたので)「ずっと、誰も触っていなかったピアノがあるから、調律を頼んでおいたから、いつでも、好きな時に弾いていいわよ!」と、言ってくれました。

 初めての留学で、寂しかったこともあり、せっかく、調律してくれたのだからと、私は、時間があくと、ピアノを弾きました。

 すると、周囲の反応が、どうも、日本とは、違うのです。周りの人がどんどん、集まってきて、大げさに感動してくれるのです。

 たしかに、全てに対して、日本人に比べて、リアクションが大きい人たちではありますが、プロは、別として、どうやら、普通の人がピアノを弾くということが、日本のようにふつうなことではないようなのです。

 「どこで、ピアノの勉強をしてきたの?」とか、「いつから、やっているの?」とか、たちまち、私は、質問責めにあいました。

 それからというもの、周囲の人たちは、私が息抜きに弾くピアノをとても楽しみにしてくれるようになりました。留学当初で、言葉の壁を感じていた私には、ピアノがずいぶんと気持ちをほぐすきっかけを作ってくれました。

 それは、フランスに来てからも同じで、何となく、時間がある時に、ピアノを弾きたいと思い、中古のピアノを買ってから、時々、家でピアノを弾くようになりました。

 誰に聴かせるわけでもなく、単なる自分の楽しみのためのピアノでしたが、もしや、騒音の苦情が来てはいけないと心配していたのですが、隣のおばさんが、友人を引き連れて、ベランダに出て、拍手してくれたり、「あなたが、ピアノを弾くとは、知らなかった・・ピアニストね!」などと言われたり、恐縮の極みでした。

 「これで、ピアニストって・・・」と、ちょっと、身の置き所を失くしていると、娘が、「フランスでは、この程度、弾ければ、ピアニストって言うんだよ!」と言われて、改めて、日本の文化的な教育のレベルの高さを感じさせられました。

 だって、日本では、私程度のピアノが弾ける人は、ゴロゴロいるし、私がピアノを弾いても、誰も驚かず、ましてやそれをピアニストなどと呼ぶ人は誰もいませんから・・。