2019年8月7日水曜日

パリのねずみ




 パリの建物には、旧建と呼ばれる、古い建物が多く、また、地下も意外と昔のまま残されていたりするためか、パリには、ねずみがとても多いのです。

 以前、会社のゴミ収集に来たおじさんが大きなゴミ箱をゴミ収集車に運ぼうとしているところに遭遇し、そのゴミ箱の中から、ねずみがピューッと飛び出してきたのを見て、悲鳴をあげてしまった私に、おじさんは、笑いながら、” ここをどこだと思っているの? ここは、パリなんだよ!” と言われたのには、返す言葉もありませんでした。

 ですから、場所にもよるのでしょうが、パリには、ねずみ駆除という仕事が存在し、会社には、定期的に、ねずみ駆除用の薬を置きに来る業者が入っていました。

 何やら、要所要所にスプレーみたいなものを撒いたり、ねずみが現れそうなところに、ピンクの毒薬のようなものを定期的に置きに来るのです。

 ですから、それを夜中に食べてしまった死にかけたねずみに朝一で会社の鍵を開けて入る私は、瀕死のねずみに遭遇して、悲鳴をあげる私に、嘲るような顔をして、とても美人なロシア人の同僚が、あっさりとねずみのしっぽをつかんで、通りのゴミ箱に捨てに行ったのにもびっくりしました。

 ある、お店の倉庫で、キャラメルをねずみにかじられ、キャラメル屋さんに、交換を頼んだところ、” うちのお店のキャラメルは、ねずみもこぞって食べるくらい美味しいんだ!” と自慢げに言われたとか・・。

 どうも、フランス人のねずみに対する感覚は、私の感覚とは、遠くかけ離れたものであるようです。

 おまけに、私がアフリカにいた頃の話を一つ。

 あるマルシェに買い物に行ったところ、ちょうど、昼食時にあたっていて、数人の店員さんたちが、クスクスか何かのテイクアウトのお料理を店番をしながら、食べていました。
 
 カラフルなプラスチックのお皿に盛られたクスクスには、同僚の分なのか、一皿だけ、手をつけられていないお皿が置いてありました。見ると、その一皿には、一匹のねずみが堂々とクスクスを食べているではありませんか!

 私が仰天して、そばにいた、別の店員さんに、おののきながら言ったのです。” あれ!!見て!!あそこで、ねずみが!!食べてる!!” と。

 すると、彼女は、涼しい顔をして答えたのです。
” ねずみも生きてるんだから、食べなきゃね・・” と。

 アフリカとなると、フランス人のさらに上を行く、ねずみとの共存関係なのでした。

2019年8月6日火曜日

フランス人のプライド




 フランス人といえば、プライドが高く、高慢なイメージを持つ人は、少なくないでしょう。実際に、フランス人は、愛国心が旺盛で、フランス語は世界一、美しい言語であり、パリは世界一、美しい街であり、フランス料理は世界一で、世界中の料理をリードしていると思っています。

 これは、少し、オーバーな言い方ではありますが、あながち、冗談ともいえず、多くのフランス人は、少なからず、そのように思っていると思います。

 そして、フランス人は、良くも悪くも、比較的、感情をストレートに表現する傾向にあり、好き嫌いをそのまま表現し、不快感を隠しません。

 良い場合には、それが賞賛の嵐、また、ロマンティックな演出に繋がるのですが、逆の場合には、それこそ、感じの悪いこと、この上ありません。

 運転をすると、その人の性格が出るなどと、よく言いますが、運転を始めた途端に、” ピュー、ターン、コーン!” (まあ、乱暴なフランス語で、” この、バカヤロウ !" くらいに訳しておきます)と始まり、思わず、顔を二度見してしまうこともあります。

 また、美意識が高く、格好つけたいところがあるので、みっともないところを見せたくないために、下手な英語も、" ここは、フランスなのだから、フランス語で話しなさい!" と高飛車に出て、話そうとしません。

 そして、子供の頃からの教育で鍛えられた議論を好み、自己主張をして、他人と意見が違うことでも堂々と語ることに誇りを抱いているので、友人、知人の間でも、答えの出ない会話にご満悦です。

 また、アメリカのものを毛嫌いし、ドイツには、対抗心を抱きつつ、負けたくないと思い、イタリアを下に見て、優越感に浸ります。実際は、アメリカには、どこをどうしても敵うことはなく、ドイツのように勤勉にも働けず、イタリアのように陽気に楽観的に人生を達観することもできない、愛国心とジェラシーの裏返しです。

 こう書き出してみると、なんと単純で子供っぽい人たちなのでしょうか?
良く言えば、子供のように純粋で、正直で、ストレートな人たちです。

 フランス人のプライドについて、書こうと思って書き始めたら、フランス人の大バッシングのようになってしまいました。

 そして、私には、同時に、主人のことも頭をよぎるのです。

 主人は、イタリア語も話すことができますし、イタリアに好意的なところと、ドイツ語も話し、赴任経験もあり、英語も話しますので、他言語、外国についての見解は、異なりますが、他の点に関しては、ほぼ、スタンダードなフランス人に当てはまります。

 だんだん、フランス人のプライドについてどころか、フランス人の悪口のようになってきて、しまいには、それが、主人の悪口のようになってしまったかもしれません。

 それでもなお、パリは、世界中から憧れを持って訪れる観光客人気、世界一の街であり、フランスのイメージは、決して悪いものにもならないのです。

 やっぱり、フランスってすごい国だと思いませんか?

 彼らのプライドの高さもうなずけるというものです。

 だって、フランス人なのですから。

 

 






2019年8月5日月曜日

長い独身生活の後の子育て・・ あなたは、少し、やり過ぎでした。




 私は、独身生活がけっこう長かったので、好き勝手に、ずいぶんと色々なことをしてきました。留学、海外旅行、本ばかり読んでいた時期もありましたし、友達との飲み歩き、おしゃれも楽しみ、テニス、ダイビング、モーターグライダー、ワインやカクテルの勉強などなど・・十分に独身生活を満喫していました。

 父には、” おまえは、空を飛んだり、海に潜ったり、今度は宇宙にでも行くのか?” と、呆れられていたくらいです。

 しかし、私は、独身生活を享受する中で、次第に、そこそこのことでは、満足しないようになり、無意識のうちに、自分のためだけに生きていることに、どこか虚しさを感じ始めていたのです。

 そして、運良く、そんな頃に、私は、主人と知り合い、家庭を持つことができました。まもなく、娘も産まれて、私は、自分以外の人間のために生きることになりました。

 それは、自分よりも大切な存在ができるということで、そのことが、まさに、自分にとっての画期的な変化を起こしていることに感動を覚えました。

 ですから、家庭を持って、子供を持った時、とりあえずは、もう思い残すことはなく、
子供のために自分の時間を持てないとか、自分のやりたいことができないとか、そういった不満を感じたことは一度もありませんでした。

 むしろ、子育ては、新鮮で、新しい喜びを私に与えてくれて、仕事以外の時間は、出来るだけ、娘と過ごせるようにと思っていました。

 娘を出産したのは、アフリカでのことだっったので、それなりに大変なこともありましたし、その後、パリに来てからは、仕事をしながらの子育てだったので、それもまた、それなりに大変でしたが、私は、とても幸せを感じていました。

 娘には、私は、あなたが産まれてきてくれたことで、私自身も産まれてきてよかったと思っているということ。そして、私にとって、あなたは、何よりも大切な存在だということをできるだけ、伝えるように心がけていました。

 それは、私が心の底から思っていることでもありますが、そう娘に伝えるのは、私が、子育てで一番大切なことは、自我の安定であると思っているからです。
 自分の存在が肯定されている、絶体的な安心感とでもいうのでしょうか? それを娘には、植え付けたかったのです。

 私は、この根本的な自我の安定は、親が担うものだと思っています。

 だから、娘には、” 時々、育児ノイローゼになったりして、子供がいるから自分のことが何もできない!という母親もいたりするけど、私は、あなたが生まれる前に充分、色々なことをやってきたから、全然、そんなことを思ったことはないのよ。" と話しました。

 すると、娘は、ひとこと、” あなたは、ちょっとやり過ぎでした。” と、冷静に言ってのけるのでした。

 どうやら、娘の自我は、しっかりしているようです。











 

2019年8月4日日曜日

海外で暮らす才能




 私の実家は、東京にあり、親戚は全て東京、学校も勤め先も東京で、今から考えると、私は、本当に狭い世界に、似たような環境にいる人たちとの中で暮らしていました。

 ところが、海外に出るようになってから、海外で知り合う日本人は、むしろ、東京の人は少なく、海外では、色々な所の出身の方に接し、日本の中でも世界が広がったような気がしています。

 しかし、長く、海外にいると、日本人でも本当に色々な方がいらっしゃるもので、パリには、まあ、なかなか、個性的な日本人が多いのも事実です。

 特に、団塊の世代の方は、数も多く、世代的なものもあるのか、なかなか強烈です。
外見からしても、恐らく、日本だったら、相当、人目を引くだろうと思われますし、パリの中でもかなりの存在感を感じます。
 しかし、それは、決して悪いことではありません。

 話は、少し逸れてしまいました。

 このように、海外在住の日本人にも、色々な人がいるのですが、そんな中でも、ある共通点が、あると思うのです。

 それは、自分というもの、自分なりのスタイルというものを強固に持っているということです。

 そして、異文化を寛容に受け入れつつ、それを上手にかわしていける能力を持っていることです。ゆる〜くかわしつつも、自分が持っているものは、貫いている。

 人の意見にも耳を傾けつつ、自分自身も主張するべきことは、主張する。

 それは、長い海外生活の中で培ってきたものであると同時に、その人の中にそのような素質があったと思わざるを得ないところもあります。

 海外で暮らすのは、日本の文化や習慣、生活との違いに事あるごとにぶつかります。
それを乗り越えていく強さがどうしても必要になります。そして、自分の中で、それを昇華させ、自分を支えていくものは、自分自身なのです。強い自分を持っていなければ、できることではありません。

 それは、一種の才能と呼べるものではないかと思うのです。

 日本に住んでいる私のいとこたちにも海外留学や転勤の経験のある人が多いのですが、日本で暮らしている様子を見ても、ものの見方や考え方が非常に柔軟です。

 海外で得た経験や能力を日本に持ち帰って、また日本という社会に立ち戻って、たくましく生きています。これはこれで、大変なことだと思いますが、その多くの人がしっかりと頑張れています。

 異文化に浸って生きて、また、日本に帰ることは、また、それなりに様々な葛藤や、今まで、日本にだけ住んていた頃には、見えなかったことも見え、逆に日本を異文化と感じて大変なことも多いでしょう。

 でも、海外生活の経験は、自分の中での何よりも、代え難い経験となったに違いありません。海外生活を乗り切る才能はまた、日本で生きていく事にも活かされると思うのであります。










2019年8月3日土曜日

フランス人のおしゃれの仕方




 ” おしゃれ " という言葉は、もう死語だと聞いたことがありますが、ここは、ちょっと恥ずかしながら、他の言葉も見つからないので、敢えて、” おしゃれ " という言葉を使わせていただきます。

 フランスでも、郊外や、地方の街に行って、パリに帰ってくると、” やっぱり、パリは、洗練されていて、おしゃれだな〜" と思います。まあ、パリのメトロなどに乗っていると、その路線によって、ある程度の違いはありますが・・一般的に言って・・の話です。

 バッグと靴の色の合わせ方とか、ちょっとした小物の使い方など、とても上手に組み合わせて、着こなしています。そして、それもまた、必ずしも、高価なものばかりを身につけているわけでもありません。

 街中でも、見知らぬ女性から、声をかけられることもあります。
” そのアクセサリー、素敵じゃない!?” とか、逆にこちらから、いいな、と思って褒めると、得意そうにどこで、いくらで買ったとか、自慢げに教えてくれたりします。

 むしろ、ブランド物は、それなりの人が身につけなければ、自分が引き立たないと考えていますし、ブランドに頼っておしゃれをすることは、自分自身で、おしゃれができないことだと思われてしまいます。

 ですから、フランス人は、アジア系の人たちがブランド物にたかって、買い漁る様子を冷たい目で見ています。

 ある程度は、今年は、このメーカーのものが流行っているな・・とか、この色が今年は、流行っているな・・というくらいのものは、ありますが、杓子定規にみんなが同じバッグを持って歩いているとか、そんなことは、まず、ありません。

 それは、きっと、個々の価値観と審美眼に自信を持っているからだと思うのです。

 また、日本の人は、” すごく、素敵だけど、この色は、ちょっと日本だと・・何を言われるかわからないから・・ ” と、大して目立つ色でもないのに、そう言って、比較的、地味で、無難な色を選ぶことが多いように思います。

 自分の好みよりも、人からどう思われるのかを、まず、第一に考えるようです。
 それも、時と場合によっては、大切なことであるかもしれません。

 でも、私は、おしゃれを楽しむなら、自分に似合う、自分なりのおしゃれができるものを選べばいいのに・・と思ってしまいます。

 たとえば、日本人は、世界遺産が好きですよね。
それは、ある種のブランド物好きと通ずるところがあるように思うのです。

 誰かが価値を認めたものに群がるような、そんな心理の働き方が、とても、似ているような気がするのです。

 もっと、自分のセンスに自信を持って、人と違う何か光るものを表現できるような、そんな、おしゃれができるようになりたいものです。































2019年8月2日金曜日

隔世遺伝 不気味なほど父にそっくりな娘 




 私は、娘をアフリカで出産し、その3ヶ月後にパリに引っ越してきて、それ以来、ずっと、フランスに住んでいるので、彼女は、フランスで育ちました。

 毎年、夏休みには、娘を日本語に触れさせたくて、そして、私の両親や親戚にも会わせたくて、日本へ行っていました。日本滞在時には、実家に寝泊まりはしていたものの、それも、せいぜい2〜3週間のことで、娘は、一度も日本に住んだことはなく、当然、私の両親とも一緒に暮らしたことは、ないのです。

 しかし、娘は、驚くほど、父に似ているのです。顔かたちではありません。
 まず、人並みはずれて、食い意地が張っていること。ケチなところ。そして、味覚がとても鋭いこと。食べ物の好み。辛辣な口の利き方。愛想のないところ。妙に手先が器用なところ。異様に耳がいいところ。

 私の父は、どちらかというと、気むづかしいタイプで、私が子供の頃は、私は、どちらかというと、父を敬遠しており、あまり好きではありませんでした。

 それが、まあ、孫は特別に可愛いと思うものなのでしょうか? それとも、同じ匂いがしたのでしょうか? 娘とは、すぐに打ち解け、父と娘は言いたいことを言い合い、娘の方も皆が敬遠する父を他の人と分け隔てなく? 無邪気に周りの人と同じように接して、パピー!パピー!(フランス語ではおじいさんのことをパピーと言います)と言って、懐いていました。

 父も娘には、至極、甘く、例えば、一時、DSが流行った時も、私は、”そう言うものは、絶対買いません!” と宣言し、頑として、娘に買い与えることは、ありませんでした。
 すると、娘は、ちゃっかり、父に自分でメールを送っていて、DSを買ってもらう約束を取り付けていて、日本に着くやいなや、二人でいそいそと、DSを買いに出かけたりしていました。

 パリで、娘と一緒に買い物に言って、私がダメ!と言っても、娘は駄々をこねるでもなく、” じゃあ、今度、日本に行った時に買おうか!” と言って、すぐに気持ちを切り替え、ちゃっかり日本で手に入れていました。

 いくら、こうして、父が娘を手なづけようとしていたとはいえ、普段は一緒に生活しているわけでもないので、言動や、食の好みまでは、父の真似をしているということも考えづらく、嫌味なことを言う、その言い方まで、そっくりなのには、本当にいつまでも父に取り憑かれているようで、気味が悪いほどです。

 例えば、仕事終わりに娘を迎えに行って、もう今日は、疲れちゃったから、何か、すぐ食べられるものを買って帰ろうかな〜? とお店の前につい、立ち止まって考えていたりすると、背後から娘が、ボソッと、” まずいよ! " と言うのです。
 それは、いかにも父が言いそうなことで、その言い方までがそっくりなのです。

 また、食べ物の好み、そして、その味覚の鋭さ、厳しさもまったく同じなのです。
例えば、あるお料理を食べると、これに何が入っているか、二人は見事に言い当てます。
水の好みまで同じです。

 また、まずいもの、嫌いなものに遭遇した時にも一緒です。
父は、よく言っていました。” まずけりゃ、食わない。”と。
 本当に嫌な言い方です。
それが、同じようなことを娘も言うのです。
 面と向かっては、さすがに私にはそうは、言えなくても、ちゃんと顔に書いてあるのです。” まずけりゃ、食わない。” と。

 そして、とにかく、二人は、食べ物に関しては、決して妥協しないのです。

 普通の人は、” まあ、あまり好きじゃないけど、一応、食べよう・・" となることもあるでしょう。しかし、二人は、決して、そうは、ならないのです。

 娘はコロニー(合宿)に行ったりして、フランス料理嫌いの彼女の口に合うものがなかったりすると、どんなにお腹が空いても、水を飲んででも、嫌いなものは食べずに、空腹を満たしてしまうのです。おかげで、コロニーから帰ってくると、いつも、3〜4キロは減ってしまっています。

 また、ある時、冷やし中華を作ったら、娘が、”冷やし中華” にトマトは入れないで!と言うので、ビックリしてしまいました。父も以前、同じことを言ったからです。そんな、ピンポイントなことまで、一緒のことを言うのです。

 ずっと、一緒に暮らしてきたならともかく、娘は父の好みなど知る由もないのです。

 だから、怖いのです。これが、DNAというものなのでしょうか?
だとしたら、まったく、嫌なDNAを引き継いでしまったものです。

 父は、数年前に他界しましたが、今でも娘の言動の端々から、父の存在を感じ、まるで、私は、父の死後も姿を変えた父に呪われるように生きているのであります。











2019年8月1日木曜日

理系の人間がまともな日常生活を送れない話 娘が理系の道に進んで・・





 私は、以前、日本のある大手メーカーの本社に勤めていたことがありました。
私のいたセクションは、研究所の上のセクションで、今後、会社全体が、どういう研究をしていくか、その研究をどのように進めていくのか、またその進捗状況などを統括していく研究開発の企画をする部署でした。

 当然!?その部署には、各部門から、社内でも有数の、その道の権威であるような優秀な人材が集められており、東大、京大、阪大の院卒、MITなどの博士たちが集結していました。

 それは、いわゆる理系のトップの人たちの集まりで、なかなか、ユニークな人材の集まりでもありました。最初は、ちょっと浮世離れした感じの人が多いなと思ったくらいでした。

 しかし、仕事を始めて、しばらくすると、彼らの言動に、ときに、おかしな点が見受けられることに気がつき始めました。彼らは、ごくごく普通のスーツを着て、ネクタイをして、メガネをかけたおじさんたちなのに、どうも普通ではないところがあるのです。

 ある日、私は、目撃してしまったのです。

 ファックスの前でファックスに付属した電話が鳴るのを、通りかかった博士の一人が、受話器を取っていいものかどうか迷って、前を行ったり来たりした挙句に、ファックスに向かって顔を近づけて、両手をあげて、” ハーイ!” と返事をしているところを・・。

 また、ある時、会社の地下に、とある業者がクリスマスプレゼントになりそうなグッズを売りに来ており、私は、誰にあげるというあてもなく、20センチくらいの大きさの何の動物だかわからないけれど、やけに愛嬌のあるお人形を買いました。

 その人形を部内に持って上がって、” これ!可愛いでしょ!" と周りの女性に見せびらかせて、周りの同僚からは、” なにこれ?カエル?・・でもないし、人間でもないし!また〜変なものを買ってきて!!” とからかわれていました。

 すると、そこに、博士の一人が通りかかったので、” 〇〇さん、これ、何だと思う?” と聞いたのです。すると、彼は、何のためらいもなく、即答したのです。
” うん、これは、ポリウレタンだな・・” と。

 最後の極めつけは、博士の一人が定年退職する際に、みんなでお花をプレゼントしようということになり、隣のパレスホテルの地下にあるお花屋さんに同僚とブーケを作ってもらいに行ったのです。あの人には、こんな色が合うとか、それなりに、苦心して、心を込めて、作ってもらったのです。

 そして、退社時刻になり、" 長い間、お疲れ様でした。・・" と、お花を渡したのです。
 すると、その博士は、”ありがとうございます。” と言って、頭を深々と下げたかと思うと、おもむろに、手にしたブーケをぐしゃぐしゃぐしゃーっと、カバンに押し込んだのでした。
 
 もちろん、彼には、何の悪気もありません。
 しかし、一同、絶句! まさに、大きく息を飲みました。

 私は、その博士たちの間で、しばらく働いていましたが、ある面では、恐ろしく優秀な人たち(特に理系)は、往々にして、ごく普通の日常生活が普通に送れないということがわかりました。ある一つのこと、研究にあまりに没頭して生活していくうちに、周りの普通のことに注意が行きにくくなるのかもしれません。

 そして、最近、娘がフランスで、理系の道を歩み始めました。
 まずまず、良い学校に入れて、ひと安心といったところです。
 当初は、日本での博士たちのことなどは、とうに忘れていました。

 ところが、ここ数年、娘にも、ある変化が訪れ始めたのです。
やたらと転ぶ、物を壊す、失くす、こぼす。

 こんな子では、なかったはずなのに・・!?
そんな時、ふと、私に、あの博士たちのことが頭をよぎったのです。

 まさか・・・!?。