6月2日にパリで起こった、アメリカのジョージフロイドという黒人男性が警察の暴力によって死亡した事件から派生したデモは、未だ、続いていて、デモは禁止されているにも関わらず、今週末にも再び、パリ、マルセイユ、ボルドーなどを中心に、再び、多くの人が集まりました。
パリでは、コンコルド広場から、エッフェル塔近くのシャン・ド・マルス公園などに約5500人、マルセイユでは、約3500人、ボルドーでは、約2500人が集まり、人種差別と警察の暴力に反対して集まりました。
もはや、このコロナウィルス感染のおさまりきっていない状態でのデモ、最初は、あまりにたくさんの人出を見たときには、開いた口が塞がらないほど仰天しましたが、もはや、1000人単位での集まりを、いつの間にか、前回のデモが20000人(パリだけで)という数字と比べたら、まだマシ・・と思うようになってきて、だんだんと、起こっている事態について、感覚が麻痺してきてしまっているような気がします。(週末のデモの人出は、フランス全土で23300人と発表されています)
コロナウィルスによる被害についても、4月3日あたりから、一日の死者数(感染者数ではなく、死者数です)が1000人を超える異常な日が半月以上続き、一日の死者数が100人を切り始めた最近では、まるで緊迫感が違ってきてしまい、昨日(6月6日)の死者数が31人だったというニュースをみて、少しホッとしてしまっている自分に気付いてハッとさせられます。
慣れというものは、怖いもので、考えてみれば、海外生活を最初に始めたロンドンで、(ずいぶん昔の話ですが・・)度々、起こるメトロなどでの爆弾騒ぎなども、最初は、戦々恐々としていたのに、周りがあまりにあっさりとしているのに驚いていましたが、次第に自分も驚かなくなってきて、今や、フランスでは、日常のようなデモや暴動のような騒ぎも、日常が戻ってきた・・ように感じるのですから、平和ボケならぬ、危機ボケ?の波に飲み込まれてしまいそうな自分に気付いて、時々、ハッとさせられます。
とはいえ、今回は、目に見えぬ、得体の知れないコロナウィルスに、やはり気を緩ませるわけには、いきません。
10人以上の集会が禁止とか、レストランは、店内の営業が禁止だったりして、営業がテラスだけに限られている中、テラスをかなり無理に拡張して、歩道や道路さえも通行止にまでして、なんとか営業を再開している人たち、横断歩道の脇に置かれたテラス席でも、意地でも(そんな無理矢理なテラスでも)カフェのテラスの場所を死守している人たちは、このデモの人出をどう感じているのでしょうか? この人出を回避せずに、レストランの営業に制限をかけられていることに、憤りを感じているに違いありません。
距離を取るために信号の先にテラス席を作っているビストロ |
確かに、人種差別は、フランスに根深く存在します。この問題に抗議の声をあげるのも理解はできます。しかし、今のタイミングは、いけない。フランスのマスコミも、このコロナの渦中のデモの是非ではなく、人種差別問題自体を取り上げています。多くの若者がこの問題に立ち上がって抗議をするということを讃える声も多く挙がっています。
しかし、今はまだ、多くの人が感染を控えるために仕事もできずにいるのです。
カフェでの和やかな時間を大切にするのも、デモなどで自己主張するのも、どちらもフランスの文化の一部で、通常ならば、どちらもある程度のバランスを保って、なんとか共存しているフランスですが、現在は、どうにもそのバランスが歪(いびつ)な状態です。
<関連>「レイシスト・差別的な言動」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_56.html