フランスは、18歳で成人を迎えます。
娘が18歳になった時は、6月生まれの彼女は、ちょうど、バカロレア(高校卒業認定試験)やプレパー(グランドエコールの準備のための勉強をする学校)の試験の真っ最中で、成人のお祝いどころではありませんでした。また、フランスでは、全国的に「成人の日」なるものもありません。
滅多に試験に動じることもない娘も、さすがにこの時ばかりは、緊張気味で、少なからず、ナーバスになっていて、とても、お誕生日のお祝いなどというムードではなかったのです。
しかし、私としては、少なからず、フランスにおいては、成人した、いうことで、ヤレヤレこれで、一応、法律的に...
2020年1月14日火曜日
2020年1月13日月曜日
食いしん坊の家系

私の父は、とても、わがままな人でしたが、特に食べ物に関しては、うるさいことこの上なく、良く言えば、亭主関白というか、いわゆる昭和の時代の父親で、お膳をひっくり返したりすることは、なかったものの、家の中で、父が家事をしたりすることはなく、仕事?で夜が遅い事も多く、早く帰って来れば、母と私とが、せっせと、父のための食事を用意し、父は、晩酌をしながら、食事をするのが常でした。
父は、自分の口に合わないものは、たとえ、母が一生懸命に作ったものでも、ひと口、箸をつけただけで、クソミソにけなして、お皿をよけて、決して食べようとはしませんでした。
しかし、そんな父の味覚は、大した...
2020年1月12日日曜日
断捨離と帰国の憂鬱

私が、初めて身近な人を亡くしたのは、私が二十歳のときでした。
私は、祖母が、亡くなってしまった祖父に触れながら、「まだ暖かい・・」と言った本当の意味を知ったのは、本当に冷たくなってしまった祖父に触れた時でした。
今から、考えると、私は、まだまだ子供でしたが、人の死というものに接して、充分に色々なことを感じたり、考えたりできる歳になってからのことでした。
あれから、祖母が亡くなり、母が亡くなり、父が亡くなり、実家には、誰もいなくなりました。
その間には、長い年月を経ており、親の介護の問題などで、色々と大変だった時期もありましたが、今、空き家だけが残されて、実際に、実家に帰っても、ひたすら、家の片付けと不用品となったものの処分をする帰国は、だんだんと気が重くなり、どこか憂鬱で、足が遠退きがちになります。
最後に亡くなった父にしても、あれほど、いざこざを起こして、喧嘩もずいぶんしましたが、いざ、いなくなってしまうと、やはり、虚しく、誰も住んでいない家に帰るというのは、こんなにつまらなくて、淋しいものだと実感しています。
また、まだまだ使えるものを捨てるのは、忍びなく、身内で、引き取ってくれる人があれば、使ってもらうようにしたり、メルカリに出品してみたり、買い取り業者の人にも、一体、何度、家に来てもらったかわからないほどです。
かといって、全てを業者に任せて、父や母のものを処分してしまうのは、あまりに忍びなく、また、片付けていると、母が大切に取っておいてくれたと思われる、私や弟の子供の頃のアルバムや、絵や、私が海外に出始めてから、両親に宛てて送った手紙などが、綺麗な箱にしまわれて、大事に取ってあるのを見つけたりするにつけ、熱い思いにかられます。
実家の片付けとともに、改めて感じる母の愛情をもう一度、かみしめることができるこの機会を、私は、どうしても、自分自身でやり遂げて、しっかりと胸に刻みたいと思っているのです。
と、同時に、人間は、生活していく上で、どれだけのゴミをため込むものかと、呆れるとともに、日頃からのシンプルな生活を心がけようと思うのです。
そして、祖父母、両親と亡くなってしまった今、次は、私の番だと、私も人生のラストステージにさしかかっていることを覚悟させられます。
そんなことを言うと、周囲には、まだ若いのに・・とか、また、言ってる・・とかいって、笑われるのですが、人生は、思っているほど長くはなく、自分が確実に死に向かっている存在であることや、残された時間をどのように生きるかを自覚して生きることは、とても大切なことだと思うのです。
なので、私は、最近は、パリに戻っても、少しずつ断捨離を始め、シンプルな生活ができるように心がけています。
leboncoin(ルボンカン)という、フランスのメルカリのようなものに出品したり、EMMAUS(エマウス)という不用品を引き取ってくれる団体(この団体は、チャリティーの団体で、不用品を引き取って販売してお金を集める慈善団体です)には、もうスーツケース何個分を運んだことか・・。
こうして、日本の実家に帰っても、パリに戻っても、ひたすら物を減らしていると、うっかりと、何か、新しいものを買いそうになっても、「待てよ!これも、また、捨てることになるのだ・・」と自分自身に歯止めをかけるようになりました。
奇しくも、母が私に宛てて、送ってくれた最期の手紙の「生活は、簡素に・・」どおりにしていることにハッとさせられるのです。
「お誕生日、おめでとう。◯◯年間、生きてきてくれてありがとう。世界のどこにいようが、存在しているというだけで、私にとっては、うれしいことです。あなたも、そろそろ人生の折り返し地点です。今までの生き方を見返して、ゆとりを持てる生活、時間と労力を簡素化していって下さい。私は、気がつくのが遅かったことを反省しています。でも、夢は持って下さい。”...
2020年1月11日土曜日
フランス人の熱量

よく、血の気が多いとかいう言い方をしますが、「やっぱり、フランス人は、血の気が多いなぁ・・」と感じることがあります。
それは、単に激しやすいとか、怒りっぽいとかいうことではありません。
よく言えば、感情表現が豊かで、ストレートに感情を表現することが多いので、良い時は、賞賛の嵐、また、非常にロマンチックで情熱的な演出に繋がるのですが、好き嫌いをシンプルに顔に出すので、逆の場合は、冷たい態度の表現も強烈なので、感じ悪いこと、この上ありません。
血の気が多いというと、一見、いわゆるキレやすい性格のような印象がありますが、それは、ちょっとニュアンスが違います。
別に、彼ら...
2020年1月10日金曜日
フランス人の年金への思い入れ
1月9日、デモが加熱して炎が上がるパリの街中
昨年、12月5日に始まった、年金改革に反対するストライキやデモは、一向に収束の兆しが見えません。
年が明けた1月9日でも、未だ、RATP(パリ営団交通)やSNCF(フランス国鉄)のストライキも続いており、フランス全土で、452,000人、パリだけでも、56,000人がデモに参加し、夕刻には、過激化する者も現れ、街中には、物が燃やされて、炎が上がり、けが人や拘束される人まで出て、昨年からの勢いは、衰えては、いません。
一ヶ月以上も、メトロもバスも電車も満足に動かない、この不安定で、不便な生活を強いてまで、デモやストライキを続け...
2020年1月9日木曜日
カルロスゴーン会見に見るフランス人流の自己主張の仕方

年末の、映画のような、派手な日本からの逃走劇から、年明け、仕事始め早々の機をてらったカルロスゴーンの記者会見を見て、日頃の私の周りのフランス人流の言い訳の仕方をいくつもを連想しました。
身振り手振りを交えながら、ひたすらに自分の非は、一切、認めないどころか、自分を優れた経営者であることを繰り返し、印象付けながら、自分の言いたいことをひたすら訴えるのです。
それは、規模もレベルも違いますが、私の日常に度々、遭遇する、自分の非は、おかまいなしに、ひたすら自分の言いたいことを言うフランス人と、基...
2020年1月8日水曜日
空港の荷物検査 異常につまらないことにこだわるわりには結構杜撰

カルロス・ゴーンの一件で、再注目された、空港の荷物検査。
他国への旅行の場合は、荷物も大して多くないので、ロストバゲージ以外は、ほぼほぼ、問題は、ないのですが、日本から帰ってくるときだけは、それこそ死活問題とも言えるほどの大荷物なので、私にとっては、スーツケース一つあたり、23キロの荷物を娘と二人で、2個ずつをどれだけ、ギリギリに詰め込むかで、帰国前日から当日にかけては、大わらわになります。
だいたい、荷造りの時点で、家で計量するのですが、それが、家での計量どおりかどうか、ヒヤヒヤものなのです。
チェックインを担当してくれるスタッフによって、やたらと厳しい人と、そうで...
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