娘は、アフリカで生まれましたが、生後、3ヶ月でフランスに来て、それ以来、ずっとフランスで育ってきました。
娘が初めて、日本へ行ったのは、彼女が2歳になった時で、それからは、ほぼ、毎年、夏休みの度に、娘を日本に連れて行っていました。
娘は、チヤホヤと甘やかしてくれるパピーやマミー(おじいちゃんとおばあちゃん)や、私の叔父や叔母、従姉妹などの私の家族や友人にもとても、なついていて、日本が大好きでした。
娘は、日本にいるのが楽しくて、楽しくて、仕方がない様子で、帰りの飛行機に乗るときには、仏頂面で、パリに着いた時には、空港に迎えに来てくれているパパにも、まるで、「パパのせいで、帰らなくちゃ、いけなかった・・」と言わんばかりに不機嫌になるほどでした。
特に、食事に関しては、全くの和食党で、普段、パリにいるときにも、我が家の食卓は、どちらかというと、和食よりの食事が多く、娘は、フランス料理が好きではありませんでした。
日本語にも、ほとんど不自由はなく、周囲とのコミニュケーションは、日本語のみで、「フランス語を話してみて!」などと言われても、決して、日本では、フランス語を話すことはありませんでした。
日本へ行けば、そんな風に、日本にどっぷりと使っている娘でしたが、ところどころで、娘の妙な行動が見受けられるようになりました。
街中で、パン屋さんを見つけると、娘は、しばらく、パン屋さんにいたがるのです。
娘は、フランスでも、特に、パンが好き、という方ではなかったので、最初は、どうして、娘が日本で、パン屋さんにいたがるのか、わかりませんでした。
しかし、そのうち、娘が、ほのかに香ってくるパンの香りに、うっとりと浸っていることに気が付いたのです。パンの香りに、無意識に、どこか、彼女を落ち着かせるようなものがあったのです。
また、娘がトイレに入っているときに、時折、聞こえてくる、ブツブツとフランス語でつぶやいてる声が聞こえてくることもありました。周囲の人たちがいるところでは、頼まれても、話さないフランス語を一人、トイレにいるときに、つぶやいているのです。
幼いながらも、どこか、フランス語で、ブツブツと呟くことで、自分自身をリセットしているような感じでした。
また、いつの間にか、ケンタッキーのお店の前に置いてある、カーネル・サンダースの立像に近寄って行ったかと思うと、ポッとした顔をして、「パパ・・・」と言いながら、
立像と手を繋いでいたこともありました。
ケンタッキーのおじさんは、体格が良い主人と心なしか、似ているのです。
パリでお留守番しているパパのことも、忘れてはいなかったのです。
フランスのことなど、まるで忘れたように、日本を楽しんでいる娘が、無意識のうちに、フランスを引きずっている面が現れる、ちょっと、ホッコリする場面でした。