2019年11月14日木曜日

パリの公文 やってて良かった!




 私は、娘が生まれた時から、とにかく、日本語は、しっかりできる子供にしたいという気持ちがとても強く、主人もそのことに関しては、快く賛同してくれていたので、娘が生まれて以来、物心ついた頃から、パパは娘とフランス語で話し、フランス語を教え、私は、娘とは、日本語で話し、自分で、カードを作ったりして、日本語を教えていました。

 それでも、パリにいる日本人の先輩ママなどの話を聞き、フランスは、他言語に対して、かなり排他的であることや、パパがフランス人、ママが日本人とはいえ、放っておいたら、日本語は、どんどん、面倒臭い言語になってしまう、だって、こちらの生活では、必要ないんだから・・などという話を聞くにつれ、これは、私、一人だけで、日本語を教えるのではなく、誰か、他人の手を借りた方がいいと思うようになりました。

 私が、娘に望んでいたのは、ただ、日本語が話せるだけではなく、きちんと文章も読めて、書けるようになって欲しかったのです。

 周りの助言もあり、フランスの学校(実際には、幼稚園ですが、2才から始まります)で、フランス語を始める前に、(多少なりとも日本語を始めた方が、日本語を億劫に感じにくいだろう)ということで、2才から、娘を公文の日本語教室に通わせ始めました。

 当時は、公文は、シャンゼリゼにあった、日本人会の中の一室にあり、そこへ、毎週、土曜日、週一回、通い始めました。本当は、同じ料金で、水曜日と土曜日、どちらも行くことができるのですが、さすがに、私も仕事をしながら、両方は、無理なので、土曜日だけにしていました。

 最初は、本当に、鉛筆の持ち方から、線をなぞるような、お遊びのようなものでしたが、それでも、他に、日本人の子供に会う機会、私以外に日本語を話している人に会う機会のなかった娘にとっては、良い刺激になったと思います。

 そのうち、オペラ近辺にも教室があることがわかり、教室を変わりましたが、それこそ、幼稚園から上は、中高生まで、一緒の教室で、それぞれが違うレベルのプリントを黙々とやる中、数名の先生が、生徒の間をまわって、少しずつ見て下さるのです。

 大半は、日本語を学びに来ている現地校に通う小学生でしたが、中には、数学と日本語の二本立てをこなし、日本語とともにスラスラと計算問題をこなして行く子もいたりして、内心、舌を巻いていました。

 本当なら、数学もできたらとも思ったのですが、消化不良を起こしては、いけないと日本語だけをお願いしていました。毎週、土曜日の14時から17時までの時間帯の好きな時間に行って良いので、午後、バレエのレッスンが終わると、飛ぶようにして、公文に移動していたものです。

 土曜日の授業の他に、次の一週間分の宿題のプリントをもらうので、一週間、毎日、学校から帰ると公文の宿題をするのが日課になっていました。

 それでも、大きくなるにつれて、駐在でパリに来ている人の子供たちは、日本へ帰ってしまったりして、いつの間にか消えていき、フランスの学校の授業が大変になってくるとやはり続かないのか、高学年になるにつれて、生徒さんは、少なくなっていきました。

 結局、娘は、10年間くらい通ったでしょうか? 一時、日本語の勉強は、ストップした時期もありましたが、高校生になってから、再び、バカロレア(高校卒業資格試験のようなもの)の第二外国語のオプションを日本語で取ることに決めてから、再び、別の日本語の教室で勉強を再開しました。

 しかし、継続は力なりとは、よく言ったもので、毎日、少しずつでも、10年間、続ければ、おかげさまで、そこそこの読み書きもできるようになりました。

 親子二人きりでは、ここまで続けることは、できなかったと思います。

 お世話になった先生方には、とても感謝しています。

 今では、公文もすっかり立派になり、全世界に50ヶ国以上の国にあるそうで、パリ市内には、4ケ所、パリ近郊を合わせると6ヶ所もあるようです。

 以前は、日本人の生徒がほとんどでしたが、今は、数学、英語なども加えて、フランス人に向けても、METHOD KUMON (公文メソード)として、手広く、生徒を集めているようです。

 海外にお住いの方は、それぞれの国で、公文にお子さんを通わせている方も多いと思いますが、あまり、無理せず、続けられることが一番です。

 私は、公文のまわし者ではありませんが、本当に、CMどおり、「やってて良かった!公文!」です。












2019年11月13日水曜日

海外での新興宗教の勧誘




 私が初めて、アフリカに旅立った時、たまたま、隣に座ったアフリカ系のフランス人の女性が、話しかけてきました。何をきっかけに話が始まったのかは、覚えていませんが、私が日本人だと言うと、「私の弟も、日本に住んでいたことがあるのよ!」とその方がおっしゃいました。

 コートジボアールの人で、日本に住んでいたことがあるなんて、なかなか、珍しいと思った私は、(実際に、アフリカの現地の人は、日本へ行く航空券を普通に買い、日本で生活することなどなかなか難しいことなので・・)その方に、「なぜ? 弟さんは、日本に行かれたのですか?」と尋ねると、「弟は、統一教会の信者で、その仕事で、日本へ行ったのです。」と答えたのです。

 正直、私は、統一教会(現在の、世界平和統一家庭連合)が、アフリカまで進出していることを全く知りませんでしたので、とても驚きました。

 しかし、実際には、私が、コートジボアールにいた頃は、旅行はおろか、個人的に滞在するなどという日本人は、ほとんどおらず、当時、日本人の在住者は、200名程度で、海外駐在者の家族、また、大使館等の公務、JICAやJETROなどの国際公的機関に関わる人や、海外青年協力隊で来ている人、そして、残りは、統一教会関係者ということでした。

 200人という狭い日本人社会には、あまり関わりのなかった私ですが、アフリカ滞在中は、統一教会関係の日本人には、結局、一度も会うことがありませんでしたので、現地の人への布教活動等をしていたのではないかと思われます。

 パリに来てからは、在仏の日本人の数も桁違いで、出会う日本人も増えましたが、統一教会だけでなく、いわゆる新興宗教と呼ばれる宗教の信者が、ごくごく普通にいるのには、驚きました。

 私自身は、無宗教で、ましてや、新興宗教は、アレルギーといってもいいくらい、一切、受け付けないので、そういった宗教の勧誘を執拗に受けたことはありませんが、その手の宗教の信者である人に、仕事上で、関わる機会があったりしました。

 私のうがった見方かもしれませんが、あまり、親しくもないのに、異様に親切だったり、妙に馴れ馴れしかったり、やたらと他人のことを知りたがったり、その会の招待券やパンフレットなどを何気ないふりをして、置いていったりするのです。

 海外での生活は、言葉や習慣の違いから、ストレスも多く、孤独に感じがちで、そのような心の隙間に入り込みやすいのかもしれませんが、新興宗教の勢力が意外と強いのには、驚かされます。

 実際に、海外で一人暮らしをしていて、寂しくて、日本語で話せることが嬉しかったりして、うっかり、話に乗ってしまうようなケースもあるのではないかと思います。

 パリにある、ある日本食を扱うお店の店員は、ある宗教の信者がほとんどだというお店もあります。

 私の昔の同僚で、しつこく追い回されて、家にまで訪ねて来られるようになって、これ以上、続けるなら、警察を呼ぶからとまで言って、やっと帰ってもらうほど、とても困ったことがあるという人もいました。

 宗教は、個人の自由ですから、人に迷惑にならない限りは、自由だと思いますし、その宗教を深く信仰する人々にとったら、人助けをしているつもりなのかもしれませんが、宗教は、人から押し付けられるものではないと思うのです。









 

2019年11月12日火曜日

フランスの職場でのイジメと嫌がらせから、悲惨な結果になったリンダちゃんの話


   


 リンダちゃんは、主人の姪っ子で、主人の兄夫婦の5人の子供のうちの一人で、暖かい大家族の中で、育った、明るく、大らかな女の子でした。

 義兄夫婦の家族は、パリ郊外に大きな家を持ち、子供たちが独立した後も、兄弟姉妹が皆、近くに家を構えて、週末になると、皆が実家に集まってきて、食事をとり、仲良く暮らしていました。

 リンダちゃんは、お兄さんと弟、そして、妹がいる、ちょうど、真ん中の子供で、私がはじめて彼女に会った時は、どちらかというと、たくましく、どんと構えているタイプの印象の彼女でしたが、その後、彼女は、あることをきっかけに、みるみる変わっていってしまったのです。

 大方の兄弟は、若いうちから付き合っていた彼氏、彼女と結婚し、お互いを若い頃から知り合っていて、その家族とも家族ぐるみの付き合いをしている、いわゆる幼馴染みのような関係でした。

 リンダちゃんも幼馴染みの彼と結婚し、フランスの大きなチェーン展開をしている洋服屋さんで、働いていたのです。

 彼女の幸せな人生が崩れ始めたのは、子供が生まれてまもなくのことでした。

 彼女の職場で、陰湿なイジメが始まり、彼女は、みるみる不安定になっていったのです。悪いことに、ちょうど、彼女には、初めての子供が生まれたばかりで、そうでなくても、育児の不安などが重なり、精神的にも体力的にもキツかったことが、彼女をますます追い込んでいってしまったのだと思います。

 あっという間に、彼女は、重い、うつ状態に陥り、子供を育てられる状態ではなくなりました。しばらくは、ご主人が一人で、リンダちゃんと子供の世話をしていたのですが、そのうち、ご主人の方も音を上げて、リンダちゃんと子供は、実家に帰ってきました。

 状態が、落ち着けば、元に戻るだろうと思っていたのに、そのうち、ご主人に女の人ができ、結局は、離婚することになってしまったのです。

 そして、離婚してすぐに、今度は、ご主人との間での親権争いです。

 フランスでは、共同親権が認められていますので、親権を奪われることは、なかったものの、結局、彼女が精神的に不安定な状態ということで、子供は、お父さんと一緒に暮らすということになってしまったのです。

 職場での事件をきっかけに、明るかった彼女の暮らしは、あっという間に一変してしまいました。

 職場でのイジメがどんなものであったのかは、わかりません。

 一時は、職場のいじめた本人、あるいは、会社を訴えるという話も持ち上がっていましたが、その後の離婚、子供との離別を抱えて、さらに、うつ状態になってしまった彼女には、荷が重い話で、結局、裁判には、至りませんでした。

 私も職場で、仕事が増えていく私に、嫉妬半分で、嫌がらせをする年長の女性に辟易したこともありましたが、私は、もっと図々しく、自分でも、大人気ないなぁ・・と思いながらも、どうにも腹が立って、ボスの元へとその張本人を引っ張っていき、「私は、あなたに依頼されたことをやっているのです。彼女がこの仕事をやりたいならば、どうぞ、彼女にやってもらってください!」と激怒したことがありました。

 イジメや嫌がらせというものは、黙っていると、エスカレートしていってしまうのです。

 それ以来、彼女は、一切、私に嫌がらせをすることはなくなりました。

 話は、それましたが、人生、何がきっかけで、思わぬ方向に転んでしまうのか、わからない・・と、リンダちゃんの事件を見て、つくづく思わされたのでした。










2019年11月11日月曜日

フランスの学校に制服はない




 Liberté, Egalité, Fraternité (自由、平等、友愛)は、フランス中、ほとんど、どこの学校にも、学校の正面玄関の上に掲げられているフランスの国家の標語のように用いられている言葉です。

 フランスの社会が実際に、自由、平等、友愛に溢れる社会だとは、到底、思えませんが、学校がこれをスローガンのように掲げているのは、日本の学校と比べてみれば、何となく、わからないでもありません。

 例えば、この中の「自由」について、私がフランスと日本の違いについて、思うのは、日本の学校の、制服や、服装や髪型などに関する規則です。

 フランスの学校には、公立、私立ともに、ほとんど制服というものがありません。よほど、突飛な格好をしない限り、服装に関して、とやかく言われることはありません。服装や、髪型などに関しては、ほぼ、自由です。

 それでも、むしろ、フランスの学生の服装は、かなり、質素で、地味です。

 私自身も、日本でも、制服のある学校に行ったことはないので、制服を着るという感覚が今ひとつ、わからないのですが、制服があることによって、さらに、その制服のスカートの丈がどうだとかいう制服に付属してくる規則が生まれるわけです。

 また、フランスでは、髪の毛にパーマをかけてはいけないとか、染めてはいけないとかいうことも、ありませんし、(だいたいにおいて、色々な人種が混ざっているため、元々の髪の色や毛質も様々で、それを規制するのは、困難ですし、たとえ、できたとしてもそれをフランスの学校がやるとは思えません。)髪型がどうのこうのと言われることもありません。

 日本は、制服に憧れて、あの学校へ行きたいということもあるのだそうですが、制服を着ることによって、「みんな一緒、みんな同じが安心・・」という観念が、知らず知らずのうちに植えつけられているのではないかと思うのです。

 最近、ネット上で見る、就活ファッションをめぐる就活産業への批判も、集団から浮きたくない就活生の気持ちを巧みに煽った現象ではないかと思っています。

 就職という人生の岐路を何とか無難に乗り越えようと必死になっている学生の弱みに漬け込んで、スーツからバッグ、靴、髪型、メイク、ストッキングの色に到るまで、マニュアルのようなものを作り上げ、それに、就活生がまるまる乗っかってしまっているのです。

 確かに人に好印象を与えるヒントのようなものは、あるでしょうが、これほど見事に没個性、まるで、制服か校則のようにきっちりとみんなが同じ格好をして就活に臨む様子というのは、日本という国の異様な部分が浮き彫りになっているような気がしてなりません。

 実際には、日本の採用者側にとっては、必ずしも、就活ファッションが良いとは、思っていないのではないでしょう。

 もし、フランスで、就活ファッションなる情報が流れたとしても、それが広まることはないでしょうし、それは、ナンセンスで、それに煽られて、みんながあたかも制服のように同じ格好をして、就活に臨むなどという現象は、絶対に起こらないでしょう。

 必ずしも、制服ばかりが悪いとは、思いませんが、みんなが同じであることを良しとする概念に、子供の頃から着続けてきた制服というものも、少なからず影響しているのではないかと思うのです。



 









2019年11月10日日曜日

パリで犯罪から身を守る方法は、まず、犯罪の手口を知ること




 今年に入って、パリ市内の犯罪発生件数は、35000件を超え、昨年と比べて9パーセント以上、うち、暴力を伴う犯罪件数が増加傾向にあると発表されています。

 ことに、スリや置き引きだけでなく、盗難を目的とした暴力被害の増加は、深刻な状況にあります。スリや置き引きならば、ある程度、注意すれば、避けることは、可能ですが、身体的な危害を加えられての盗難は、狙われたら最後、避けることは、難しいでしょう。

 残念なことに、時には、昼日中、凱旋門の辺りにさえ、ナイフをチラつかせて、金品を奪おうとする一団なども現れたりします。

 特に、日本人観光客は、他国の観光客と比べて、高額の現金を持っている確率が高く、確実に狙われています。

 これから、クリスマス、年末年始に向けては、お金が欲しい人が多く、例年、犯罪件数も上がり、日本からの荷物が無事に届かなかったりすることが多いので、私自身は、12月の荷物の配送は、時期をずらすようにお願いしています。

 それでも、ある程度、犯罪には、こんな手口が、あったということを知っていれば、多少は、注意して、回避することができると思うので、ここでは、今まで私が耳にした犯罪を書いておこうと思います。

 メトロでのスリ被害で言えば、よく聞くのが1号線で、これは、パリの中の観光地をいくつも通っている線でもあり、日本語のアナウンスも入るくらいですから、きっと日本人観光客も多いのでしょう。

 一つ一つの駅の間隔が短いため、犯人が逃げやすいということもあるのだと思います。そして、メトロに乗る時には、ドア近辺には、できるだけ立たないことです。

 犯人が降り際にひったくって、逃げていくからです。

 また、最新型の携帯電話などは、狙われやすいので、注意が必要です。

 オペラ座界隈は、日本食のレストランや食料品などのお店も多く、日本人の集まることでも有名なので、常時、狙っているジプシーの子供達がいます。何度、捕まっても、子供なので、フランスでは、警察もすぐに逃してしまうのです。

 また、オペラ座前の広場には、アンケートを装って近づいてくるスリの一団もいます。親切にアンケートに答えていたりすると、仲間の一味がアンケートに気を取られている間にスリを働いていきます。

 また、スリがいるのは、路上だけではありません。デパートの中や、お店の中、レストラン、食料品店などにも、観光客になりすましたスリや、きちんとした身なりのビジネスマンを装った置き引きなどもいます。

 一時、日本人狙いなのか、日本食レストランや、日本食料品を扱うお店にスリや置き引きが多発して、必ずお店には、注意喚起の張り紙が貼られていました。

 よく、レストランなどでは、バッグを椅子の背にかけたりしますが、絶対にバッグは、そのように置いてはいけません。相手は、プロなのです。座って、おしゃべりをしながら食事をしている間にも、一瞬の隙を狙って、奪っていきます。

 駅では、切符を買うために並んでいたりすると、自分のカードが通らないから、その分の現金を渡すから、カードを使わせて欲しいと寄ってくる人がいます。その分の現金は渡すのですが、その間に、カードナンバーを控えられ、後日に多額の買い物で引き落とされていたりすることがあります。

 観光客の人は、あまり、パリで自分で運転をする方はいらっしゃらないと思いますが、パリで、自分の車を運転していて、運転中、うっかり車をロックし忘れて、車が停車した途端に車に強引に押入られたケースもあります。

 オートバイでのひったくりもあり、たすき掛けにしていたショルダーの紐が切れずにそのまま引きずられたり、高額の現金を持っていることを狙われたパリのガイドさんがホテルの前で早朝に強盗に殴り倒されて、死亡したという悲惨な事件も起きています。

 ここで、そのホテルの名前(パリの北部にあるホテルです)をあげることは、避けますが、驚くことに、日本の旅行会社は、その事故の起こったホテルの提供をやめていませんので、パリに来られる際は、ホテルの場所にも十分に注意された方が良いと思います。

 そういう私も、一度、知人のお葬式の帰りにお葬式でもらった花束を持って、ちょっと知人の亡くなったことに呆然としながら、歩いていたところ、(観光地でもなんでもなく、日頃、通勤で通っているオフィスビルが広場を挟んで立っているごくごく安全な場所です)、普通に黒人の男性が歩いてきて、いきなり、していたネックレスを引きちぎられたことがありました。

 お葬式だったので、そんなに派手な身なりをしていたわけではないのですが、どこか、我を失っているような私の様子が犯人には、目についたのでしょう。

 恐怖で、声も出ずに、一瞬、何が起きたのかもわからなかったくらいです。ハッと我に帰って、直後に「ぎゃ〜!助けて〜!」と叫んだのですが、時すでに遅しで、走って逃げていく犯人を追ってくれる人は誰もいませんでした。

 残念なことですが、パリの街を歩くときは、絶対に華美な服装は、避け、ブランド物などは、間違っても持ち歩かないことです。そして、ごく身近に知らない人が近寄ってくる場合は、避け、ある程度、他人とは、距離をとることが賢明だと思います。

 忘れ物をしても、かなりの確率で出てくる日本と違って、パリは、警察に被害届を出しても、(保険等の手続きに必要だと思いますが)戻ってくることは、まず、ありえません。

 何より、楽しいはずの旅行が気分、台無しになってしまいます。

 パリを旅行される方は、十分に気を引き締めて、歩かれることをおすすめいたします。

 


2019年11月9日土曜日

ユーミンは、お掃除の曲




 海外生活をしていると、その土地に馴染んで行こうとする、また、馴染まなくては暮らしづらい部分が多々ありながら、どこか、やはり、自然と郷愁にのような感覚を求めることが、生活の節々には、出てきます。

 日本のドラマなどのテレビ番組や、日本で好きだったミュージシャンの曲などは、日常で、どこかホッとさせてくれる力を持っています。

 ですから、私は、休みの日などは、昔、私が好きだった日本の音楽をかけながら、家事をしていたりしたものです。

 ですから、娘も、小さい頃から、私が家事をやりながら聴いていたユーミンなどの曲をいつの間にか、覚えてしまっていて、彼女なりの思い出を持っています。

 今は、大きくなってしまった彼女は、ある時、「ユーミンを聴くと、お掃除をしている場面が浮かぶんだよね・・・」と言うのを聞いて、なんか、笑ってしまいました。

 音楽というものは、それをよく、聴いていた背景を、その曲と共に、ぴっくりするほど鮮明に思い出したりすることがありますが、娘にとっては、ユーミンがお掃除の曲となっていたとは・・・。

 娘の年代で、しかも、フランスで、フランス人のように生活している娘がユーミンを知っているということだけでも、なんだか、ちょっと新鮮な感じがするのに、それが、お掃除を連想させる曲となっていることに、なんだか、娘にとっては、生活感溢れる曲となっていることに、なんだか、嬉しいような、照れくさいような、微妙な気分になった私なのであります。










2019年11月8日金曜日

フランスのシェアハウスで二年目を迎えた娘は、今年も寮長を続けているのか?




 昨年から、シェアハウスで一人暮らしを始めた娘。

 去年は、家を離れての初めての一人暮らしで、当初は、多少なりとも心配したものです。しかも、周りは、全てフランス人の、彼女より年上のかなり個性的な?男性ばかりで、うまく、みんなと仲良く暮らしていけるのだろうか? 

 家では、洋服は脱ぎっぱなし、何かを出したら、出しっ放し、お料理もこれから仕込もうと思っていたところに、突然のように学校の通学の問題から、一人暮らしをすることになってしまって、大丈夫だろうか?と、多少なりとも心配していたのです。

 ところが、同居人たちは、彼女よりも年長者ばかりにも関わらず、学生なはずなのに、学校に行っていない、仕事をしているはずなのに、すぐに辞めてしまう、四六時中、家にいて、暇なはずなのに、忙しいと言って、ゴミをちゃんと捨てない、大きな音で音楽を聴く、食器、調理器具を洗わない、片付けない、一応、共同スペースの掃除は交代で週末にやることになっているのにやらない・・などなど、だらしない人たちばかりで、そんな中に入ると、俄然、娘は、しっかりとし始めて、彼らにゲキを飛ばし、諸々の問題を取り仕切り、いつの間にか寮長のような存在になっていたのです。

 今年は、大家さんの方針で、シェアハウス内は、学生のみということになり、彼女以外の昨年の同居人は、全員退去となりました。

 なんでも、昨年の同居人の中に、マリファナを吸っている人が見つかったのだそうです。

 シェアハウスを運営している大家さんにとったら、シェアハウス内でマリファナ問題勃発・・となったら、これは、放置しておくわけにはいきません。

 彼女がスタージュと夏休みのためにパリに帰ってきていた間に、代わりの同居人の部屋は、全て埋まり、今年のメンバーは、彼女と同じか、少し年下の学生、スタージュ中で、学生と社会人の半々の生活をしている、比較的、おとなしめの人だけになっていました。

 彼女の学校が始まるのが、他の学生よりも少し遅かったため、彼女がシェアハウスに戻った時には、もう、すでに、他の全員が新しい生活を始めていました。

 今年の同居人の様子を聞くと、大家さんが、昨年のメンバーに懲りて、慎重に人選をしたのか、みんな、全然、まともな人たちで、みんなに去年の話をしたら、「そんな中で、よく我慢してきたね〜!」などと言われたとのことで、「もう、寮長は、引退だ〜!」と話していました。

 ところが、新学期も始まって、約二ヶ月経って、自分の部屋で勉強していた彼女は、隣のキッチンでの、同居人たちの話が漏れ聞こえてくる話を聞いてしまったのです。

 「ちゃんと、ゴミの分別やらないと彼女に怒られるよ!」とか、何か、同居人同士で、少し、揉めている様子の時は、「じゃあ、彼女にどうしたらいいか、聞いてみたらいいよ!・・」と話しているのを・・。

 やはり、娘は、今年も寮長を継続している模様です。

 しかし、シェアハウスで一人暮らしをしたことによって、彼女に植えつけられた寮長気質に母としては、複雑な思いなのであります。