ウクライナ・キエフから退避するための電車を待つ人々 |
久しく話をしていなかった友人と電話でおしゃべりをしていて、お互いの近況や家族のことや、少し先の予定の話などをして、話はロシアとウクライナの話になり、そういえば、この間、彼女と話したよ・・という話になったのです。
彼女とは、ロシア人の元同僚の女性の共通の知人のことでした。私は、その職場を離れて以来、連絡を直接取ってはいなかったのですが、私の友人は時折、彼女と連絡をとりあっていました。
私は、彼女とはそれほど親しくはなく、彼女はてっきりロシア人だと思っていたのですが、友人によると、彼女は、ウクライナ人で、彼女の家族はまだウクライナに残っているとのことでした。
一緒に仕事をしている時は、彼女は自分がロシア人であると言っていたし、実際にロシアのパスポートもウクライナのパスポートも持っているということで、つまりロシア人でもあり、ウクライナ人でもあったわけです。
ロシアは、公式に外国人は、現存の国籍の保持を誓約するか?それを放棄してロシア国籍を取得するかどちらかを選択することになっているようですが、実際には、彼女のように、2つ以上のパスポートを持ち続けている人は少なくないのではないかと思います。
ウクライナが独立したのは、ソビエト連邦が崩壊した1991年。私と同年代(中年)の彼女は、おそらく、その前からロシアのパスポートを持ち、もともと、ウクライナ出身の彼女は、ロシアのパスポートに加えて、ウクライナのパスポートを取得したのではないかと思われます。
実際に法律上で厳しく二重国籍を禁じられているのは政府関係者と法執行関係の職員、裁判官などの公職者であり、一般市民に関しては緩い対応がなされているようです。
なので、彼女はロシア人であると同時にウクライナ人でもあったわけです。彼女は、以前は自分がロシア人であると公言していたし、深く関わることがなければ、彼女のルーツを知る機会もなく、職場ではロシア人として生活していたわけです。
しかし、今回のウクライナ戦争で、実は彼女はウクライナ人でもあったことがわかり、ウクライナ北部に残されている兄弟の家族がお風呂場に隠れて生活しているという写真を送ってきました。日本でも地震などの災害の際は、トイレかお風呂場に避難するという話は聞いたことがありますが、ウクライナでも、地下室がなければ、相場はトイレかお風呂場なようで、その写真は家族全員がお風呂場で寝ている写真だったそうです。
彼女の両親はすでに他界しており、残るは兄弟姉妹とその家族、その兄弟一家は、退避勧告が出てすぐに退避しなかったために、18歳から60歳の男性は出国できなくなり、家族が離れ離れになるよりは・・とウクライナに残っているのだそうです。
フランスのテレビなどでも、ウクライナから退避する妻と子供を見送る男性の様子が報道されたりしていますが、彼女の兄弟は、家族とともにウクライナに残る決断をしたようです。
それにしても、まさに戦争の中心にあるウクライナとロシアの両方のパスポートを持っている彼女の心情はいかばかりかと胸がつまされます。
彼女自身、現在、パリで生活をしていますが、ウクライナ出身ですが、パリに来る前は、ロシアのウラジオストックで働いていたというロシア人でもあり、ウクライナ人でもあります。
ソビエト連邦崩壊から約30年、ウクライナ人の中には、彼女のように、ウクライナ人であると同時にロシア人であるという人も少なくないのではないかと、この話を聞いて思ったのでした。
自分が国籍を持つ2つの国の戦争。危険に怯えながら、祖国のお風呂場で生活する家族。
ウクライナとロシアの間で苦悩する彼女の気持ちは、当事者でなければわからない、はかりしれない複雑な思いに違いありません。
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