2020年3月7日土曜日

娘の帰省




 娘が一人暮らしを始めて、一年半が経ちました。学校が一週間以上のお休みに入るとパリに帰ってきます。それは、さながら、私が日本に帰国するときの様子のようで、とにかく、食べることに真剣で、一食も逃すことなく、食べることに重きを置いています。

 日頃、自炊をしている彼女にとって、普段、自分で作ることができない料理をここぞとばかりに食べて行くのです。

 私が日本に帰国する時と違うのは、彼女が出来るだけ、外食を避けていることで、フランス料理嫌いで、何よりも和食党の彼女にとっては、パリでは、いくらでも和食も、外で食べられるとはいい、彼女曰く、「たとえ、ラーメン一杯であっても、安くて12〜15€(1500円程度)の和食は、コスパが悪すぎ・・」だそうで、できる限りを、家で食事をできるようなスケジュールの組み方をしているのには、苦笑してしまいます。

 それは、家で食事をすれば、自分の好きなものが、出てきて、しかも、お金を払うわけではないし、自分の慣れ親しんだ、好みのものが出てくるのですから、そのほうがいいに違いありません。

 ましてや、今回のように、私が日本から帰ってきたばかりで、日本食品がたくさんある状況においては、なおさらのことです。

 私の従姉妹が娘へと持たせてくれた娘の好きなお店の揚げまんじゅうなども、滅多にニコリともしない彼女が、溢れんばかりの笑顔で、それはそれは愛おしそうに、わざわざ、そのために日本茶なども入れ直して、じっくりと味わい、しかも、その後、しばらくは、余韻を味わいたいからと、他のものは、口にしません。

 その食への情熱には、我が家の遺伝子をひしひしと感じさせられます。

 そんな娘の様子に刺激されるのか、猫のポニョまでが、エラいがっつき様で、自分のキャットフードは、そっちのけで、私たちの食事に突進してくる様子は、我が家の遺伝子が乗り移っているようで、ちょっと怖いほどです。

 あまりの勢いで私たちの食事に突進してくるポニョに閉口して、食事をしている部屋からポニョを締め出したら、今度は、その仕返しとばかりに娘の部屋のベッドの上で、💩をするという恨みを込めた行動に出て、しかも、悔しくて、どうしても💩をしようとしたけれど、なかなか出ないのを絞り出そうとしたような形跡。

 猫のそんな食い意地までもを湧き起こす娘の帰省時の食への執念は、凄まじいものであるに違いありません。

 考えてみれば、娘の帰省は、私の日本への帰国と同じ、里帰りのようなもの。

 自分の日本への帰国時のことを省みれば、娘やポニョの様子にも、何も言えないなと思いながら、明日は、娘のために何を作ろうかと考えています。

 










2020年3月6日金曜日

新たに娘が見つけた居るだけでいいというフランスでのアルバイト




 依然として、失業率が高く、若年層においてさえも厳しいフランスの雇用情勢の中、若者の学生アルバイトとて、見つけるのは、容易ではありません。

 これは、フランスの経済が低迷していることはもちろん、その雇用形態と、本来ならば、労働者を守るための法律に起因しています。

 つまり、一度、雇ったら最後、解雇することも容易ではなく、若者を含めた新規の雇用が難しい状態になっているのです。

 そんな中、いわゆる日本には、有り余るほどある学生アルバイトのような仕事でさえ、なかなか、若者にもその機会が巡って来ないのが現状なのです。

 こういった状況の中、娘は、一人暮らしを始めて以来、彼女の現在の住まいの近くの私立の学校と契約している、エチュード(正規の学校の授業が終了した後の補習授業)を提供する会社と個人契約して、補習授業の講師のアルバイトをしています。

 ある程度、自分の学校の授業などのスケジュールと調整できることもあり、彼女は、やる気のない生徒に対しても、かなり厳しい、おっかない先生として、アルバイトを続けてきました。

 それが、昨年末あたりに、もう一つ、土日をメインにしたバイトを見つけたといって、新しいアルバイトを見つけてきたのです。学校の先輩がこれまで続けてきたアルバイトで、彼女が留学を機会にその仕事を辞めるために、後任を探しているとのことで、何やらとにかく楽そうな仕事だとか・・。

 果たしてそれは、ほぼほぼ、居るだけでいい、というアルバイトでした。先方は、「とにかく、時間だけは、きっちりしてくれればいい」ということで、駐車場のモニタールームで、モニターを監視して、たまにやってくる駐車場の利用者の質問に答えるだけで、その間は、勉強をしていても構わないし、食事もその場所で取ってくれれば、いつ、いくらでも食事の時間をかけても構わないという、またとない楽チンなアルバイトでした。

 モニターを眺めて、何か問題があれば、連絡をするだけ、(しかし、問題など、そうそう起こるものでもありません。)決して危険なことに自分で対応しようとしてはいけないというお仕事です。

 時間をキッチリ守ってくれる人というだけでも、フランス人の場合は、かなり絞られるのかもしれませんが、それにしても、そんなアルバイト、そうそうあるものではありません。

 以来、彼女は、自分のパソコンやレポートを抱えて、せっせとアルバイトに通っているのです。アルバイトでお金をもらいながら、彼女は、せっせとレポートを仕上げ、自分のしたい勉強をし、たまにやってくる駐車場のお客さんから、「勉強していて、エライね〜!」などと、お褒めの言葉を預かるのだそうです。

 この失業率の高い国で、こんなに楽チンなバイト、しかし、これも6月から始まる彼女のスタージュのためにあと3ヵ月ほど。

 美味しい話は、そう長くは続かないものです。

 
















2020年3月5日木曜日

理系の人間がまともな日常生活を送れない話 その2 娘が理系の道に進んで・・・




 以前、昔の私の職場にいた、ある意味、その道では、恐ろしく優秀な理系のトップの人たちが、なかなか、ユニークな人材の集まりでもあり、彼らが、ちょっと浮世離れした感じというレベルからも、かなり逸脱しており、往々にして、ごくごく普通の一般人の送る日常生活を普通に生きられないという話を書きました。

 そして、そんな昔の職場の理系の博士たちを懐かしく思い出した時に、自分の娘が理系の道に進み出したとたんに、まさかまさかで、その兆候が見え隠れし始めて、ヤバいというところまで、書きました。

 彼女は、小学校から高校まで、家の近所の私立の学校に通い、高校卒業後、プレパー(グランドエコールの準備学校)に進み、その後、グランドエコールに入学しました。彼女が選んだのは、バイオ系の理系の道でした。

 彼女は、高校生の段階で、すでに理系の道を選んでいたので、その時は、理系=以前の職場の博士たちの奇行・・という発想には、私の中では、まるで繋がらなかったのです。

 ところが、ここ数年、彼女は、ある程度、優秀であるはずにも関わらず、ごくごく普通の日常生活で、かなりの欠落した部分が目立ち始めたのです。

 毎日のことなのに、「いってきま〜す!」と家を出て、必ずといっていいくらいの割合で、何か忘れ物をしたといって、すぐに家に戻ってくるだけでなく、物を失くす、壊す、忘れる、転ぶ、駅を間違えて電車に乗り遅れる・・などなど、枚挙にいとまがありません。

 それも、年々、その度合いも頻繁になってきて、今回も、家に帰ってくるのに、鍵を忘れるし、定期券も何度失くしたことか、携帯も壊しては、失くし、歩いていれば転び、自転車に乗っていれば、車と接触事故を起こし、日頃の言動については、もはや、彼女の日常は、うかがい知れないので、わからないのですが、なかなか、きっと、一日、密着してビデオでも撮っていたら、さぞかしおかしなことをやっているのではないかと思われます。

 もともと、周囲の目を気にして、自分のやりたいことを控えるタイプではありませんでしたが、一人でも、自分のペースで堂々と自分を貫いて日常を過ごしているらしいのは明白で、いわゆる周囲の空気を読んで思い煩うといったことも一切ありません。

 きっと、この辺りが、常人との境目で、今から思えば、理系の博士たちの歩まれてきた道を着々と歩んできていたのです。

 普段は、親元を離れて学校の近くのシェアハウスで暮らしている彼女ですが、現在、冬休みでパリに帰ってきており、また、休み中に次の留学手続きの書類を揃えていたのですが、締め切りの期日を間違えており、今週中に提出しなければならない書類をシェアハウスに忘れてきており、あわや、TGVで数時間かけて、シェアハウスにトンボ帰りしなければならないところを、同居人になんとか連絡をとり、彼女の部屋にある書類をメールで送ってもらう手筈をなんとかつける算段をしているところに、彼女の部屋から、ガラガラガッチャ〜ンという派手な音。また、何かを破壊した模様。

 心優しい同居人のおかげで、留学手続きの書類は、無事に送ることができたのですが、万事がこの調子のズボラ加減で、一体、どうして彼女の学業に支障が出ないのかは、不思議でなりません。

 昔は、職場の博士たちの奇行に、呆気にとられて笑っていた私ですが、これが我が娘のこととなれば、笑ってばかりはいられません。

 親としては、そんなに優秀でなくてもいいから、無事で、つつがない人生を歩んで欲しいと思うばかりです。

 
⭐︎よろしければ、前編もご覧下さい。
「理系の人間がまともな日常生活を送れない話 その1 娘が理系の道に進んで・・」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post.html

2020年3月4日水曜日

コロナウィルスにも屈しないフランス人のデモ・ストライキ






 私が日本から帰国した翌日、猫の世話を頼んでいたジャン・ピエールという元同僚のフランス人から電話がかかってきました。

 「無事、予定どおり、帰れたんだね。日本は、どうだった? コロナウィルスで日本は、患者がたくさん出ているんでしょ! 」そう言って、彼は、ほとんど、一人で、フランスのテレビで報道されているであろうことをほとんど一人で滔々と話し続けていました。

 日頃からおしゃべりで、話し出すと止まらない人ですが、それにしても、手をこまめに洗った方がいいとか、うがいをした方がいいとか、そばにいる彼の奥さんも加わって、説教じみたことを言い始めたので、内心、うんざりしながらも、彼の現在の関心事は、コロナウィルスなんだ・・と思わずには、いられませんでした。

 翌日に、彼は、預けていた鍵を返しに来てくれたのですが、昨日の饒舌っぷりとは、打って変わって、いざ、家にやってくると、私が日本から帰ってきたばかりで、感染している危険性があるとでも思っているのか、彼自身、口には、出しませんでしたが、明らかに私を恐れている感じで、いつになく、落ち着かずに、鍵だけ渡すと早々に帰って行きました。

 コロナウィルス騒動の当初から、アジア人がウィルス扱いで、差別されているという報道を目にしてきましたが、こういうことが発端になっていくのだろうなと、初めて、身近なこととして感じたのです。彼の場合は、差別というよりは、単純に恐怖なのでしょうが・・。

 とはいえ、フランスは、早々に中国・香港・上海へのフライトをストップして、ウィルス感染の対策をとり、今のところは、日本のように多数の感染者は出てはいませんが、それでも、室内など閉鎖空間で5000人以上が集まるイベントを禁止する政府方針を発表しています。

 実際に、パリで予定されていたハーフマラソンなども中止になっています。

 しかしながら、私が疑問に思うのは、パリでも、薬局でマスクが売り切れになっているとか、消毒薬が売り切れているとかいう話を聞くわりには、街中でマスクをしている人は、あまり、見かけないどころか、昨日も年金反対のデモが行われていて、彼らのウィルスへの危機観念というのは、年金問題のデモとなるとすっ飛んでしまうものなのかと、大いに疑問に思ったのです。

 たしかに、デモは、閉鎖空間ではありませんが、大勢の人と接触する場面であることに変わりはないと思うのです。それも、また、なかなかの人出でなかなかの騒ぎだったようです。

 彼らは、それなりにウィルスに対して、恐怖心を抱いたり、アジア人を差別するような行動に出つつも、根本のところでは、自らマスクをしたり、大勢の人との接触を避けるほどの危機感はなく、年金問題での怒りが高まり興奮すれば、デモに走るほどの危機感しか持ち合わせていないのです。

 しかし、一応、フランスでは、コロナウィルスの予防対策として、
・定期的に手を洗う ・握手をしない ・ビズー(挨拶のキス)をしない 
・咳やくしゃみをする際は、肘で口を押さえる ・一度使用したティッシュは使わない
・病気の際は、マスクを着用する
といった呼びかけをしています。

 肘で口を押さえるとか、一度使用したティッシュは使わない・・など、日頃の基本的な衛生観念にツッコミを入れたくなるような内容であることも、「ああ、私は、フランスに帰ってきたのだな。」としみじみ思わされるのです。

 3月31日には、再び、大掛かりな、ストライキ・デモが予定されているそうです。
フランス人にとってのストライキやデモは、コロナウィルスにも屈しないのです。

 




2020年3月3日火曜日

潤沢な日本食材を目の前にして思うこと 満ち足り過ぎると幸福に鈍感になる




 今は、日本から帰国したばかりで、山のような日本の食材を持ち帰り、ニコニコの生活を送っています。たくさん持ち帰ったとはいえ、この限られた食材を、少なくとも、向こう半年は、日本へは、行かないと思われる間に、少しずつ、少しでも無駄のないように、使っていくのですから、決して多すぎることはありません。

 こちらで手に入る食材と掛け合わせながら、愛おしい気持ちで、この食材を大事に大事に使っていきます。

 それは、日本に行った際にも同じようなことを感じるわけで、食事のたびに、今日は、何を食べよう?とか、買い物に行けば、新鮮な気持ちでワクワクします。一食一食を感動しながら頂き、幸せな気持ちに浸ります。

 日本での私たちは、恐らく、はたから見れば、滑稽なほどに一食一食に感動して過ごします。

 もし、私たちが日本に住んでいて、当たり前に手に入るものだったら、大した感動も覚えることは、なかったでしょう。それが、ごくごく小さなことで、感動することができるのです。

 人は、満たされれば、満たされるほどに、もっともっとと欲が出て、不満が膨らみ、幸せに鈍感になるような気がします。

 食べ物くらいで、大げさだとも、思いますが、あらゆることは、これに似ているように思うのです。

 自虐的でもありますが、海外生活において、日頃、不便で、理解しがたいことに囲まれている生活の中だからこそ感じられる幸せもあるのです。

 最初に長期で海外生活を始める時に、「手に入らなければ、自分で育てたらいいじゃない!」と母が、いくつかの日本の野菜のタネを持たせてくれました。

 日本に行くと、たくさんの日本食材とともに、いくつかの野菜のタネを持って帰るのも、それ以来の習慣のようになっています。

 「手に入らなければ、自分でなんとか作る。」精神で、春になり、自宅の狭いベランダで、プランターの土を耕して、野菜を育てるのも、楽しくもあり、喜びでもあります。

 日本にいたら、きっと、決して感じることのなかった当たり前のことや、当たり前のものに対する感動や喜びを感じられる生活を私は、なかなか気に入っています。

 

 

 











 

2020年3月2日月曜日

叔母の美徳




 私の両親は、すでに他界してしまいましたが、日本には、叔父、叔母や従姉妹たちがたくさんいます。日本に行けば、ありがたいことに、この日本にいる親戚の面々が本当に暖かく迎えて、支えてくれています。

 特に、私にとっての叔母たちは、母のいなくなってしまった今、私がこれから、年齢を重ねていく上での、ある意味での指標となってくれます。

 もしかしたら、母という近すぎる存在よりは、もう少し、客観的に眺めることができるかもしれません。

 親に育ててもらい、教育を受けさせてもらい、就職して、結婚して、子供を持ち、子供も成人し、まだ学生ではありますが、一応、独立する目処がたった今、これからどのように、自分の時間を過ごし、人生の終盤に向けて生きていくのかを考えます。

 残念ながら、体力的にも衰えを感じ始めながら、これまで当たり前のようにできていたことが、少しずつではありますが、できなくなり、努力なしには、なんとか、体力的な衰えの進行を遅らせることすらもできません。

 そんな意味では、私の10年先、20年先を生きている叔母たちの生活ぶりを垣間見ることは、私に色々なことを示唆してくれます。

 何人かいる叔母の中で、とても、明るく、朗らかな叔母がいます。
 彼女は、高齢にも関わらず、今も友人がたくさんいて、誰に対しても、物怖じすることなく話しかけ、何かしてくれた人には、必ずその人の名前を聞いて、丁寧に改めてお礼を言うのです。

 彼女は、どこでも朗らかに、その人の地位や立場は、関係なしに、明るく、分け隔てなく、時には、無邪気とも思えるような態度で接するので、どこでも、みんなに好かれて、人気者なのです。

 レストランで食事をしても、彼女は、必ず給餌の人にでも、「とても、美味しかったわ。ごちそうさま。」と言い、ほんの些細なことをしてくれた見ず知らずの人にも、彼女は、必ずその人の名前を聞いて、「〇〇さん、ありがとう。」と言うのです。

 若い頃は、いちいち、仰々しくお礼を言ったりすることは、なんだか、大仰で、いかにもおばさんのすることみたいで、照れくさくもあり、なんだかなぁ〜??と思っていた私ですが、最近になって、これは、とても大事なことだなと思うようになったのです。

 人に感謝して、その気持ちをその度に、言葉に出して伝えることは、ごくごく当たり前のことのようで、意外にも、それを当たり前にやってのける人は、少ないのです。

 感謝されて、嫌な気持ちになる人は、いません。

 考えてみれば、そういう面では、フランスの方が、見ず知らずの人に気さくに話しかけたり、挨拶したりということが多いかもしれません。

 今、この歳になって、あらためて、生きていく上では、意外にも、「ありがとう」とか、「ごめんなさい」とか、ごくごく当たり前の幼稚園の子供に教えるようなことが、自然とできることが、なかなか、大切だったりするのかもしれないと、彼女を見ていると、思うのです。

 フランス人は、この「ごめんなさい」の方は、あまり言えてませんが・・。

















2020年3月1日日曜日

お留守番していた猫は、とても寂しかったらしい





 我が家には、もう今年で12歳になる猫が一匹います。名前は、ポニョと言います。

 とても、気が強く、プライドの高い猫で、うちにお客様が来ても、気に入った人の場合は、顔を出して、そばをウロウロしたりするのですが、嫌いな人が来ると、容赦なくカ〜ッと威嚇します。

 一度、ポニョが病気になり、入院させたことがあるのですが、入院当初は、グッタリしてしまっていたのですが、点滴をして、回復すると、ものすごい勢いで、お医者様にもカーッと威嚇をはじめ、2日目に面会に言った際には、「とっても、怒ってます。まあ、少し回復してきたし、連れて帰った方がいいでしょう。」と言われるほどで、違う状況に馴染むことが苦手です。

 普段は、ツンデレで、自分の気ままに、好きな時に寝て、好きな時に起きてくる自由気ままな猫ですが、飼い主同様、食い意地だけは、人一倍で、食事の際には、必ず出てきます。食事どころか、冷蔵庫をあけるとすっ飛んできます。

 それでも、ポニョは、我が家の危機的状況の時に、生まれてすぐにやってきたためか、私たちの気持ちには、とても敏感で、こちらが落ち込んでいたりするときは、すぐにそれを察して、寄り添ってくれるようなところもあります。

 娘がまだ、小学生の頃だったので、娘とは、姉妹のようで、どちらかというと、ポニョは、娘のことを妹のように思っている節があります。
 性格も二人は、とても似ています。

 日本に帰国するような、比較的、長期で家を留守にする時には、ポニョの厄介な性格を考えると、とても人に預けることは、考えにくく、ポニョは、家に残し、知人に鍵を渡して、毎日、ご飯と水とトイレを掃除してもらうように頼んで行くのです。

 もう、ここ何年も、日本行きの際には、この方法で過ごしているのですが、今年は、なぜか、とても、寂しかったようで、私が帰ってくるなり、ニャーニャーではなく、ギャーギャー鳴いて、まるで喋るかのごとく私に何かを訴えかけます。

 私の後をずっと、付いて回り、夜中にふと私が目を覚まして、トイレに行こうとすると、私の部屋の前で待っていたポニョとぶつかり、夜中まで見張っていたのかとびっくりさせられました。

 昨晩は、私の部屋の中のちょうどベッドが見渡せる椅子の上に、場所に陣取って、私を見張りながら、寝ていました。今もべったりと私にくっついています。

 昨日、留守を頼んでいた知人が鍵を返しに来てくれたのですが、2週間の間に彼が家に来ても、ポニョは、2度しか顔を見せなかったとか・・、自分の命綱とも言える存在なのに、逆にそんなに彼が嫌いなのかとちょっと、訝しく感じてしまいます。

 2日経っても、私にベッタリでいつもと違う様子のポニョに、よっぽど寂しかったのね・・と申し訳ない気持ちと、それでも、世話をしに来てくれていた人が来ても、顔を出さなかったあたり、その頑なさを切なく思うのです。