2020年5月15日金曜日

フランス国内の7〜8月のバカンス予約解禁 政府のアクセル加速・コロナウィルス・ロックダウン解除


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 フランス政府のロックダウン解除モードには、国民が戸惑うほどに、アクセルがかかっている感があります。もともと、ロックダウンの解除は、地域ごとに段階的に行うはずだったのが、まさかのレッドゾーンまで含めた全面解除。

 しかし、ロックダウン解除の際は、レッドゾーンには、いくつかの条件がつけられ、レストラン、劇場、映画館、ホテル等の営業は、解禁されず、それ以上の解禁は、6月2日の段階で、感染状況を検討しつつ、追って発表するとしていたはずが、まだ、ロックダウン解除から一週間もたたないうちに、ここ数日、堰を切ったように新たな解禁が発表されています。

 一昨日は、ビーチの解禁が始まったと思ったら、昨日は、7〜8月のバカンス予約(フランス国内のみ・・とはいえ、フランスは、海外にも領土があり、それも含まれています)が解禁され、国民に向けて「7〜8月には、バカンスに行ける!」と発表したのです。

 バカンスのために生きていると言っても過言ではないフランス人にとって、これは、朗報には違いありませんが、感染の不安の残るこの状況でのバカンス解禁に国民は、どう反応するのでしょうか?

 今年の4月に旅行代理店Locatourが実施した調査によると、ロックダウンが解除されたら、フランス人の21%がバカンスに出ると答えており、ほぼ半数が30日以内にバカンスの予約をする予定と発表しています。

 今回のバカンス解禁の際には、「Plan Marshall(マーシャルプラン)」が同時に発表され、これにより、コロナウィルスの影響を大きく受けた観光業部門に180億ユーロが充てられることになりました。この連帯基金は、ホテル、レストラン、観光業の補填に年末まで続けて援助が行われ、ローンのメカニズムも強化されます。

 同時に、グリーンゾーンに関しては、カフェ、レストランが6月2日に再開されることになりました。

 これだけ、バカンスの解禁、観光業の援助に政府が力を入れるのも、単にフランス人がバカンス好きだからだけではありません。フランスは、世界でも有数の観光大国で、観光旅行者数が世界一多い国であり、観光収入は、国の収入の10%以上を占めています。

 それだけの観光収入があるということは、レストラン、ホテルなども含めて、それだけ観光業に携わる人が膨大な数に上るということです。

 現在の状況では、海外からの観光客を望むことはできませんが、観光業を再開することは、国の経済を大きく動かすことでもあるのです。

 とはいえ、こう毎日のように、たたみかけるように、解除モード満開で煽られれば、ただでさえ、2ヶ月間の監禁生活でストレス満載の国民が浮き足立つのは、目に見えています。

 現在、ICUの重症患者が減少傾向にあるのは、ロックダウンの成果であり、ロックダウン解除の結果が出るのは、少なくとも2週間後です。これが杞憂に終われば良いのですが、治療薬もワクチンもない今の段階では、不安は、拭えません。

 それにしても、ここのところ、学校の視察の様子の報道や戦勝記念日のセレモニーなどには、現れたものの、ロックダウンの解除の発表には、マクロン大統領が出てこなかったことを私は、少し疑問に感じています。

 ロックダウンの宣言は、国民に向けて、直接、大統領が発表したのに、なぜ、ロックダウン解除の発表は、彼が行わなかったのか? 日を追う毎の、リスクの高い、かなり大胆な急激な政府の決断に、マクロン大統領が表に出てこないことを、私は、訝しく、不可解に感じているのです。












 

 

 















 

2020年5月14日木曜日

楽観的な政府と悲観的な国民のチグハグな関係 コロナウィルス・フランスのロックダウン解除


Accès à la plage à Soulac sur le littoral Atlantique


 フランスのロックダウンが解除になって、まだ、数日しか経っていないのに、解除が、どんどん進んでいく様子が、伝わってきます。私の携帯にも、いくつものお店から、「再開しました!」とメッセージも来ているし、家の外では、工事が始まったらしく、機械を動かす、ドドドドド〜ッという音が聞こえてきます。

 しかし、工事の音とともに、反対側の窓からは、相変わらず救急車のサイレンが一日に何度も聞こえてくる、微妙な状況なのです。

 街が解放されるにしたがって、ロワールアトランティックのラボールとポルニシェのビーチ、およびヴァンデのサブルドロンヌとイルデューのビーチなどが、条件付きで営業が始まりました。後に続けと、その他の多くのビーチも営業解禁を求める動きが始まっています。

 これから気候が良くなっていき、バカンスシーズンに突入するに当たって、それぞれの地元も必死なのは、わかりますが、2ヶ月間の監禁生活が開けた、数日後にもう、ビーチの解禁とは、少々、面食らいます。

 また、クロロキン(本来は、マラリアの治療薬)を使ってのコロナウィルスの治療に成果をあげて、一躍、ヒーローのような存在になった、マルセイユの大学病院で、感染症専門医として研究を続ける Prof.DIDIER RAOULT(ディディエ・ラウルト教授)が、ロックダウン解除の翌日に、「ウィルスの感染は、じき、収まる」と再度、発表したり、政府も、ますます、楽観的な体制に入り、解除になる前の週から、明るい見通しのアピールのつもりか、マクロン大統領も一切、マスクをしなくなり、7月14日の革命記念日(パリ祭の行われる日)には、コロナウィルスと現場で戦った人に、メダルを捧げて、その貢献に感謝を捧げる、革命記念日は、その労いの場にもしたいと発表しています。

 そんな政府の対応とは裏腹に、13日に行われた世論調査では、国民の68%は、感染拡大の第二波が来ると答えており、もっぱら悲観的な意見が多くを占めています。

 政府がそこまで強気の姿勢でいるのは、ある程度のデータからの科学的な分析に基づいているものであるに違いないと思いつつも、サンマルタン運河での人出に続いて、マスクもせずに、サクレクール寺院の前の階段広場に多くの人が集まったりしているニュースを見ると、どうにも心配な気持ちは、拭いきれないのです。

 この政府の強気な姿勢と国民の悲観的な世論、それでも外に出て、人と集まることをやめないパリジャンのチグハグさが現在のフランスの微妙な状況を物語っています。

 












2020年5月13日水曜日

コロナウィルス・ロックダウン解除 フランスの学校再開とSNCF(フランス国鉄)のストライキ




 ロックダウン解除から一日後、フランスの学校の86%が再開されました。10歳以下の子供には、マスクは、義務付けられてはいませんが、やはり、親心でしょうか、マスクをつけている子供も少なくありません。厳しく、親にマスクの付け方、外し方を教えられているようで、それを得意げに話す子供の様子の背後には、心配しながら、子供を学校に行かせている親御さんたちの気持ちが垣間見えます。

 学校中が消毒され、街中のお店や駅のように、床には、子供たちが、人と人との距離を取りやすいように、テープが貼られています。教室の机も一つおき、もしくは、離れた席に座り、キャンティーン(給食)の時間も対面しないように斜めに席につくようにされていたり、時間ごとに手を洗うように指導されていたり、学校側の警戒も労力も相当なものです。

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 それでも、2ヶ月ぶりに学校に来れることを喜ぶ子供たちは、新しい環境に頑張って順応しようとしています。大らかな子供は、その変化をむしろ、楽しむようなところもありますが、ナイーブな子供は、すでに、その新しい異常な環境に馴染むことに難しさを訴えている子供もいます。

 休み時間に校庭で遊ぶ際にも、校庭には、一人一人が離れて遊ぶように四角い枠が書かれて子供同士が固まることができないように指導されていたりする学校もあるようです。


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 学校再開の初日は、概ね順調なスタートを切ったようですが、現在のところ、学校に登校している子供は、全体の22%のみで、少人数だからできる対応であるのかもしれません。これから人数が増えていった時の対応が案じられます。

 しかし、とりあえず、「ハイ!」と言うことを聞かないフランス人の大人と比べて、子供は、従順で、先生の言うことをよく聞いているので、小さい子供は、問題も少ないのかもしれません。www

 そんな中、公共交通機関であるSNCF(フランス国鉄)には、ストライキに向けた不穏な空気が流れています。SNCFのパリ東部地域にある組合は、5人の活動家を対象とする懲戒手続きに抗議し、組合抑圧を訴えるために、5月18日(月)に鉄道労働者にストライキを呼びかけています。このストライキには、パリの東駅、RER E, 首都東部郊外の列車が含まれます。

 ロックダウン解除から間もない特別な状況下でのストライキは、想像するにも恐ろしいような事態ですが、経営陣と労働者との間の軋轢は、深刻な状態です。

 というのも、あくまでも、私見ではありますが、ロックダウン解除の2日前までは、現時点でのロックダウン解除は、安全の保証ができないと公表していた公共交通機関が、ロックダウン解除に踏み切った途端に、急な方向転換をしたのには、経済活動を再開したい政府の相当な圧力があったと思っています。

 組合は、前例のない非常事態にも関わらず、リスクを追いながら働き続けている労働者に対して、経営陣は、話し合いの機会も持たずに、物申す労働者を一方的に懲戒処分を実施しようとしていると主張しています。まずは、交通機関の安全の確保に必死であるはずの経営陣は、安全確保以上にこの組合の反抗を沈めることに必死になっているとさえ言われています。

 公共交通機関の経営陣は、政府の圧力と組合の圧力に挟まれて、窮地の状況にあります。

 このコロナウィルスの蔓延し続ける状況の中、ストライキ大国のフランスがこの状況をどう切り抜けられるでしょうか?









 

 









2020年5月12日火曜日

コロナウィルス・ロックダウン解除・初日のフランス パリ・サンマルタン運河は早くもアルコール禁止の措置


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 緊張と不安と、ほんの少しの喜びと共に、フランスは、55日間のロックダウンの解除の初日を迎えました。心配された公共交通機関での混雑は、メトロ13号線や郊外線の一部で、一時、人と人との間隔を取れないほどの混雑に見舞われましたが、想像以上に多くの人が、リモートワークに留まっていることや、自転車やトロチネット、車を利用し、公共交通機関を避けたことで、とりあえず、初日は、大きな問題は、起こりませんでした。

 我が家の近くのVelib(パリの貸自転車)置き場には、先週末には、自転車が満杯に用意されていましたが、気がつけば、ガラガラ・・多くの人が、公共交通機関を利用する代わりに自転車を利用していることがわかります。

 会社によっては、自転車やトロチネット、車で通勤する人には、年間400ユーロの補助を出す会社もあると言います。

 私は、郵便局に用事があったので、近所のコマーシャルセンターに行ってきました。今となっては、外出証明書がいらない外出は、なんか、忘れ物をしているような気さえしてしまう自分に驚きました。

 コマーシャルセンターの入り口には、アルコールジェルが新たに設置されていました。

コマーシャルセンター入り口のアルコールジェル

 薬局とスーパーマーケット以外は、全てシャッターが下りている光景を見慣れてしまっていた私には、入ってすぐの美容院が開店して、すでにお客さんも入っている状態に、なんとなく、ニッコリしましたが、同時にいつもとは、明らかに様子が違い、ドアは閉まり、マスク着用と、完全予約制と書かれた張り紙に、今までと違う世界になったことを思わずには、要られませんでした。

ドアを閉じ、張り紙された美容院

 しかし、中に進んでいくと、Mariono(マリオノ)やKIKOなどの化粧品屋さん、いくつかの洋服屋さん、DARTY(電化製品のお店)などがオープンしていて、不安ではあったロックダウンの解除も、なんだか、とても、感慨深くて、急に一人で、うるうるしてしまいました。

 やはり、まだまだ、怖い、危険だ・・と思いながらも、見慣れていた日常生活の一部が戻ってきたことが、想像以上に嬉しかったのです。どこのお店の入り口にもアルコールジェルが置かれ、お客さんが、すれ違うことがないように、店内を一方通行で移動する誘導のテープが床に貼られ、お店の入り口には、人がいっぱいになった時のための店外で並ぶための配置のテープまでが貼られていました。
 
床に貼られた人と人との間隔の注意喚起のテープ

 そんな、細心の注意を払って、通勤したり、開店したりしている人々がいる一方、パリ・リパブリック広場では、黄色いベストの団体が暴走族のようにバイクで現れたり、(警察がすぐに現れて解散しましたが・・)夕刻になると、サンマルタン運河やセーヌ川岸には、大勢の若者が5〜6名の友人同士で、ワインやビールを持ち寄り、祝杯を上げ始め、結果的には、かなりの人数になり、これまた、警察が出動し、解散させられる事態が起きました。

 サンマルタン運河の騒ぎは、あっという間に広まり、また、あっという間(数時間後)に、パリは、翌日(12日)からのサンマルタン、セーヌ川岸での飲酒を禁止する通達を出しました。このパリの対応の早さは、凄いです。

 55日間のロックダウンの間、ブローニュの森やヴァンセンヌの森でのジョギングが禁止になったり、19区での路上でのパーティー状態に警察が出動したりしたこともありましたが、ロックダウンが解除になって、外出許可証なしに、友達と会ったり、話したり、飲んだり、食べたりしたいのも、気持ちは痛いほどわかるのです。

 人と話すことが好きで、人が集まって食事をするのが大好きなフランス人がこれまで2ヶ月近くもおとなしくしてきたのです。ロックダウン生活から解放されて、友達とひと息つきたいのもわかります。
 
 でも、パリは、未だ、レッドゾーンで危険な状態で、そんなことができる状態ではないのです。それでも、彼らは、もしかしたら、またロックダウンすることを予想して、ほんの少しの間だけでも、辛かった時間を忘れて、楽しいひと時を過ごしたいという刹那的な思いでいるのかもしれません。















2020年5月11日月曜日

自己責任に委ねられたフランスのコロナウィルス・ロックダウン解除


Des voyageurs munis d\'un masque en gare de Lyon, à Paris, le 7 mai 2020.


 5月11日のロックダウン解除が発表されたのが、5月7日(木)。地域による段階的な解除とのことだったのに、条件付きとはいえ、レッドゾーンまでの解除に、この三日間は、とにかく決まってしまったことゆえ、皆、必死の準備に追われていますが、特に公共交通機関の現場は、混乱状態のまま、ロックダウン解除に突入します。

 ここのところ、一日の死者数も70人(5月10日現在)までに下がっていますが、ICUにいる重症患者は、減少しているものの、未だ、2812人もおり、その半分以上がイル・ド・フランスに固まっている状態です。つまり、パリ近郊の病院は、未だ、満床状態です。

 そんな、現状を踏まえてか、フランス人の72%は、ロックダウンが解除になっても、再び感染が拡大して、また、ロックダウンになると思っていると言います。

 一番、心配されているのは、パリ、パリ近郊の公共交通機関は、5月11日の段階では、パリの大部分のメトロ、バスは、通常の75%の運行状態で、(1、14号線は、通常どおり、13号線85%、2〜12号線は75%)、郊外線は、60%だといいます。

 依然として、リモートワークが続けられる人が公共交通機関を利用しないことを差し引いても、人と人との距離を取らなければならないことを考えれば、充分な運行状態とは言えません。バスに関しては、乗客は、最大20人までとなっています。

 これまでのストライキの際などの公共交通機関の混乱ぶりを見ていると、今回の交通機関での混乱が起きた場合は、ことさら恐ろしいことになることが考えられます。(だいたい、平常時でも、ストライキでなくとも、パリの交通機関は何かと問題が多いのです。)

 このような規則や、外堀は、どんどん埋められえていますが、実際の労働者のリスクは、守られきれていないのが現状です。国や会社の経営者側は、これまでのロックダウンでのマイナスを少しでも埋めようとロックダウン解除には、前向きですが、実際の労働者たちには、不安が大きいようです。

 労働環境の安全の確保ができていないということで、組合からの物言いがつき、ルノーの工場などは、閉鎖されたままですし、大勢の人が不安に思っている公共交通機関(RATP)の職員(運転手)などからも、今のところ、安全確認への回答を得ていないと訴えています。

 ロックダウンが解除されるということは、保証もなくなるということで、リスクを侵してでも働かなければならないのですから、あとは、自分を守るための自分の保護は、各々が自分でしろ!と、そのリスクは、国民のモラルに大きく委ねられた感が否めません。

 学校の再開にも反対して、子供を行かせないと言っている人が、多いです。

 ここへ来て、ヌーベルアキテーヌ地方では、葬儀の参列を機に、また、オードセーヌでは、学校再開の準備に取り組んでいた人々からの感染の拡大が発表されています。

 しかし、ロックダウン解除になった午前0時、窓の外からは、歓声が聞こえ、まるで12月31日の年明けの瞬間を楽しむように、マルセイユでは、0時を待って、街に繰り出す若者まで・・。やはり、開放感を喜んでいる人も多いことに、あらためて、驚かされます。

 再び、ロックダウンになることを覚悟しつつも、とりあえずは、ひと息つきたいというのが、正直なところなのかもしれません。中には、今回のロックダウン解除は、次のロックダウンへの準備期間と言っている人までいます。

 通勤でなくとも、これからは、どんどん、人が街に溢れ出します。

 パリのジョルジュポンピドゥ病院の緊急責任者は、「今後5週間で感染拡大が再び始まる可能性がある」と警告を鳴らしています。

 しばらくの間、フランスは、ロックダウン中以上の混乱が続くでしょう。










2020年5月10日日曜日

コロナウィルス・ロックダウン中のインターネットのない世界




 ロックダウンから、50日ほど経って、突然、インターネットが使えなくなりました。
 
 ロックダウンで、外出できなくなっても、ネットが通じるおかげで、情報は、入るし、周りの人とも繋がることができたので、インターネットがある時代で、本当に良かった・・と思っていたら、突然、サーバーがダウンしてしまいました。

 ここのところ、ネットが遅くて、利用者が多いのだなぁと思っていたのですが、まさかのダウンとは・・。

 慌てて、サーバー会社に電話すると、現在、対応しきれないので、しばらくお待ちくださいとのこと。こんな時にもさすがのフランス・・ちっとも、対応を急いではくれません。外に出たところで、サーバー会社のお店もやっていないので、仕方なく、修復可能になるまで、インターネットのない生活を送ることになりました。

 インターネットのない生活は、何年ぶりだったでしょうか? 長いこと、ネットに頼った生活をしてきた私ではありますが、考えてみれば、私は、デジタル世代ではなく、人生の半分以上は、自宅では、ネットを使わない生活をしてきたのです。

 すっかりネットに頼る生活に浸かって慣れきって、習慣になってしまって、わからないことがあれば、ネットで検索して調べ、テレビを見ることよりも、YouTubeを見ることの方が多くなっていた生活(今は、非常時でもあるので、テレビでニュースを見るようにしていますが、普段は、ほとんどテレビは、見ません。)、そのYouTubeで、運動不足解消のためにやっていたダンスやヨガなどもできなくなってしまいました。

 毎日、書いていたブログも出せなくなり、一日のルーティーンも崩れそうになってしまいました。自宅の中での狭い生活の中でも、一日のスケジュールを決め、規則正しく生活を送ることで、何とか、自分を保ってきたのです。

 しかし、無理なものを恨んで、イライラしても、始まりません。

 ネットは、あれば、あったで、やたらと使ってしまうので、ネットのない世界を味わってみるのも良いかと腹を据えることにしました。

 実際に、なくなってみると、いつも、どれだけネットに費やしている時間が多いかと思わされるほど、最初は、なんとなく、手持ち無沙汰な感じもありましたが、慣れてくれば、ニュートラルな自分に戻れるような気さえしてきます。

 しかし、一方、自分で色々な情報を収集できないことは、自分での判断が下しづらいことなのだということも痛感しました。

 でも、以前は、こんな風に時間を過ごしていたんだな・・と、ネットのなかった、以前の生活を少しずつ思い出していきました。電気や水道が止まってしまったら、それこそ命に関わる大変なことですが、溢れかえる情報から絶たれた状況も、時には、あっても良いような気さえしてきます。

 考えてみれば、私にとっては、アフリカにいた頃の生活は、今と少し似ているところがありました。あの頃、家には、ネットは通じておらず、電話とて、国際電話などは、そうそうできるものでもなく、外出とて、そう気安くできる状況でもありませんでした。

 大学へ通ったりもしていましたが、それ以外は、家で、ひたすら勉強し、持って行った本を読み、日本語が聞きたくなれば、主人が持っていた日本語学習用のNHKのビデオ(その時は、それしかなかったので・・)などを何度となく、見ていました。

 アパートには、住民共有のプールもありましたが、マラリアの感染が怖くて、早朝か、夜、日が落ちてからしか行けないので、結局は、そんなにプールには、行けませんでした。マラリアの感染に関しては、街中は、普通に生活していれば、問題はありませんでしたが、ラグーンの近くや、貧窮地帯へ行く時などは、注意が必要でした。

 実際に、主人は、仕事関係の視察で、ラグーンの近くにある工場などに出かける機会もあり、何度かマラリアに感染していました。高熱を出して苦しみ、家にお医者様が来てくれたりしていましたが、その時に主人が飲んでいたのが、今、フランスでは、コロナウィルスの治療に希望をもたらしているクロロキンです。

 マラリアは、蚊に刺されることで感染するので、コロナウィルスよりは、わかりやすい病気なうえ、人から感染する病気でもなかったので、その点は、少し違いますが、外に出れば、病気に感染する危険があり、家の中は、毎日、ジャベルで消毒していましたし、感染を恐れるという意味で、今と少し似ているような気がするのかもしれません。

 アフリカに行く際にも、黄熱病の予防注射が義務付けられていて、私などは、その予防注射をしただけで、あまりにだるくて、体調が悪くなり、もう二度とごめんだと思ったものです。

 そういえば、私のベランダでの家庭菜園も、アフリカが初めてで、あの頃は、まだ、初心者で、一生懸命に育てた、わずかばかりの枝豆を、あっという間に一瞬で食べてしまったことも覚えています。

 今も静かな生活の中で、狭いベランダで、あれやこれやと野菜を育てる生活です。アフリカでは、日本語学習用のビデオを見たりしていましたが、今は、日本のドラマや映画などを録画してもらったDVDのストックがたくさんあるので、そんな昔懐かしいドラマを見たりしながら、あの頃(アフリカにいた頃)よりは、快適に家で過ごせるようになったと、ネットのない世界もたまには、いいかなと思い始めていました。

 そして、2日経って、朝、目覚めたら、ネットが繋がっていました。到底、しばらくは無理・・と居直っていただけに、肩透かしを食ったような・・嬉しいけど、ちょっと残念な気さえする妙な気分でした。


 




















2020年5月9日土曜日

フランスのコロナウィルス・ロックダウン中の戦勝記念日のセレモニーとロックダウン解除への混乱


     https://s.france24.com/media/display/10f43ffa-9111-11ea-affe-005056a98db9/w:1240/p:16x9/2020-05-08T094643Z_1721060431_RC29KG9BJHQU_RTRMADP_3_WW2-ANNIVERSARY-FRANCE-MACRON.webp


 フランスは、5月8日は、戦勝記念日で祝日で、毎年、凱旋門でセレモニーが行われています。今年は、75周年にあたる年でしたが、セレモニーは、コロナウィルスのロックダウンの中、ある意味、歴史的な、特別な状況で、行われました。

 セレモニーは、最小限に縮小され、例年は、凱旋門にある世界大戦での犠牲になった戦士のためのモニュメントに大きな花を捧げて慰霊をし、華やかにパレードが行われ、シャンゼリゼの沿道には、多くの見物客が押し寄せます。

 今年は、パリの街は、からっぽで、人の気配が全くない中、マクロン大統領、フィリップ首相、前任者であるニコラサルコジとフランソワオランド、パリのアン・イダルゴ市長、軍関係者等の最小限の出席者のみで、行われました。

 出席者は、敢えて?誰もマスクはせず、人との距離を置く形で行われました。伴奏の楽隊なしで歌われるマルセイエーズ(フランス国歌)が、からっぽの街に響いていました。

 奇しくも今は、戦時中のような状態で、戦争の勝利を記念するセレモニーは、ロックダウン解除を目前にしているフランスには、コロナウィルスに勝利したわけではないにしろ、一つの節目を迎えるタイミングで、ある意味、象徴的な意味合いも感じられました。敢えて、マスクをせずにこのセレモニーに臨んだマクロン大統領のコロナウィルスとの戦いへの勝利、あるいは、勝利への道へのアピールであった気がしています。

 しかしながら、ロックダウン解除に向けて、世間は、その準備に大わらわで、特に、パリ、イル・ド・フランスの交通機関は、必死に安全対策を行なっています。

 SNCF(フランス国鉄)は、50%、RATP(パリ交通公団)は、75%の運転を保証し、パリの60ヶ所の駅は、閉鎖状態のまま留められます。公共交通機関でのマスク着用の義務化(マスクをしていない場合は、罰金135ユーロ)、通勤時間帯とされる 6:30~9:30、16:00~19:00 は、雇用主発行の通勤証明書が求められます。

 駅には、人の間隔の目安になるためのテープやステッカーが床に貼られ、一日に最低でも2回、駅や電車の車両の消毒を行うとしています。

 それをコントロールする人の配置の都合や、準備などで、閉鎖状態の駅が60もあるのでしょうが、その分の人は、他の駅に流れるわけで、開けられた駅での人の密集が心配されます。

 ロックダウン解除となれば、これまでは、ほとんど無くなっていた交通事故などの発生も予想されることから、特に現在も満床状態のパリ、イル・ド・フランスの病院が耐えられるのかも心配されます。

 昨年から長いこと続いた交通機関のストライキの際などは、ほとほと国民も疲れ果て、RATPを文字って、(Rentre Avec Tes Pied)(自分の足で帰れ!)などと言われたほどです。今回も、安全を考えれば、自分の足で通勤しろ!ということになるかもしれません。

 また、昨年のストライキは、年金問題でのストライキでしたが、RATPでは、すでに職員が8名もコロナウィルスで亡くなっており、感染してしまった人も大勢で、この火事場騒ぎのような準備と、危険な状況下での仕事に、再び、ストライキが起こっても、何の不思議もありません。

 フランスのロックダウン解除は、まさに前途多難です。