2020年9月10日木曜日

フランスのインターネット・携帯電話の乗り換え

  我が家のインターネットを引いてから、かれこれ15年(いや、もっとかも??)くらいが経つのですが、その時は、どこの会社のインターネットにしようかと、当時、会社に出入りしていたネット整備をしてくれていたエンジニアの人に、「どこの会社のものがいいですか?」と、聞いたら、「少し高いけど、一番、故障やトラブルが少ないのは、圧倒的にフランステレコムのやっているオランジュ(Orange)」だというので、トラブルはごめんだ!と思って、それ以来、ず〜っと我が家はオランジュを利用してきたのです。 フランスでは、何かの修理とか工事などを頼んで予約しても、まず、時間どおりに来てくれるか? たとえ時間どおりではないとしても、来てくれるだけまだマシで、時には、すっぽかされることもあり、さらに来てくれた人がちゃんと仕事ができるかというリスクもあるので、できるだけ、故障等のトラブルは少ないに限るのです。 たしかに、この15年間で故障は一度だけ、それも、ほぼボックスの寿命のようなものだったので、致し方なく、その一度でさえ、1回目に来てくれた人は、問題が何かがわからず、結局、2回分の時間を割くことに・・。 それでも、故障はその一回だけだったので、マシな方だったのだと思います。 ところが、ロックダウン中に一度、ネットが繋がらなくなったのですが、問い合わせの電話さえ留守電のメッセージのみで、一体、いつ復旧するのやら、途方にくれました。 まあ、2日ほどで、いつの間にか復旧したのですが、それ以来、「ん〜〜??」と思うようになったのです。 だいたい、トラブルがないから少々高めなのはわかっていたのに、そのまま継続してきたのに、同じようにトラブルがあるのでは、あまり意味がありません。 この15年の間に随分と色々なインターネットサービスの会社もでき、後続のネット会社のシステムもサービスも向上し、ほとんど、フランスでは先発で、独占状態であったオランジュとも遜色のない状態になってきました。 しかも値段は、圧倒的に安く、これでは無駄な高額を支払う必要はなく、娘が一人暮らしをしていた際に使っていたSFR(フランスの携帯・インターネットの会社・フランスではオランジュに次いで国内シェア第2位に成長している会社)に乗り換えることにしました。 今のネットは、家の電話・インターネット・テレビサービス・携帯と全てが連携しており、これまで私は、ネット会社を変えることは、家の電話番号から何から全てが変わることで、それはそれで、厄介なことと尻込みをしてきました。 正直、家の電話はいらないも同然なのですが、住所の証明の他、すでに色々な機関に家の電話番号で登録している機関がたくさんで、ほとんど使わないながらも、なぜか、家の電話を全く、切ってしまうのもちょっと躊躇われるのです。 ところが、現在は、携帯もネットも乗り換えても、電話番号をキープすることも可能で、しかも、ネットを通じての電話なので、家の電話からなら、フランス国内はもちろんのこと、国際電話でも(どこの国でもというわけではありませんが、主要な国・例えば日本への固定電話への電話料金などは、)無料なのです。 今は、電話自体をあまりすることもなく、LINEやWhat's...

2020年9月9日水曜日

娘には幼少期の記憶がほとんどない! 小さい頃は可愛かったのに・・

              ペコちゃんと同じサイズだったのに・・ 最近、このコロナ渦の中、娘もスタージュがリモートワークになったりして、彼女とこんなに一緒にいるのは、幼少期の頃以来のことです。私は、娘が1歳になると同時に仕事を始めたこともあり、彼女の幼少期には、仕事以外の時間は、ほとんど彼女と一緒の時間を過ごしてきました。 私にとっては、初めての子育て、しかも海外で仕事をしながら・・。私のような人間が、子供を持ってしまった・・出産の時に、まさに赤ちゃんの頭が出ようにもなかなか出なかった時くらいから、もしかしたら、私は、大変なことをしてしまった・・一人の存在しなかった人間が私から生ま...

2020年9月8日火曜日

恩師との別れ 死生学のすすめ アルフォンス・デーケン教授

        偶然、その前日に、普段はあまり思い出すこともなくなっていたのに、ふと、デーケン先生に、「使命感を持って頑張ってください!」と言われた時のことを思い出していました。あの頃の私は、先生がおっしゃっていた本当の意味の「使命感」ということを全然、わかっていなかったなぁ・・と、なぜか、ふと先生の言葉が心に浮かんで、ぼんやりとその時のことを考えていたのです。 そんなことを考えていた翌日に、先生の訃報を目にすることになるとは、なんだか虫の知らせとでもいうのか、とても不思議な気持ちでした。 アルフォンス・デーケン先生は、日本で、死を忌み嫌うものとしてではなく、死ぬことを見つめて、生きることを学ぶ、「死生学」を広め、「死の準備教育」を提唱し、当時、日本では数少なかったホスピスを広めていった上智大学の教授でした。 おそらく彼は、私の人生に最も大きな影響を与えてくれた恩師でした。 私は、ちょうど、初めて身近な人を亡くしたばかりの頃で、それまで人の死に接したことがなかった私は、死について、考えるようになりました。世の中に絶対ということはない・・絶対おこることは、誰もがいつかは必ず死ぬということ、人間の死亡率は100%です・・・言われてみれば、当然のことなのに、当時の私は、大発見をしたような気分になったものです。 いつか訪れる死をどうやって迎えるかを考えることは、とても大切なことですし、死について考えることは、生きることについて考えることでもあるのです。死は恐れるものではないことも彼の講義から学びました。 死についての話となると、どこか怪しげな宗教と誤解されがちなこともあり、実際に先生は、大学の教授であったとともに、カトリックの神父様でもあったのですが、死生学の講義では、宗教色を強く出すことはありませんでしたし、彼の講義は、ところどころに必ず、ユーモアが組み込まれていて、思わずクスッと笑ってしまうようなジョークまでが含まれているのです。 私は、どの宗教にも属していませんが、デーケン先生にかなり傾倒して、彼のキリスト教の講義も受講しました。若かった私は、今よりもずっと繊細?で、迷うことも多く、何かを信じることができたら、どんなに楽だろうか?と思ったこともあったのです。 当時、日本では、オウム真理教などの新興宗教が拡大していた時期でもあったので、私が持っていた漠然とした不安も、当時の若者の多くが抱えていたものと似ていたかもしれません。私は、先生の講義を聞いたり、本を読んだり、実際に先生とお話ししたりすることで、ずいぶんと救われていました。 先生は、忙しい中、個人的に面談の時間も設けてくださり、漠然とした私の悩みなどもずいぶん聞いて下さいました。キリスト教を信じたくても、信じられない・・という私に、先生は、「大丈夫、自然に信じられる時が来るまで、無理に信じようとしなくても良いのです」と優しくおっしゃり、張り詰めていた私を静かに抱き寄せて下さいました。 私は、キリスト教を信じることはできませんでしたが、デーケン先生は信じることができる・・今は、それで、充分ではないか?...

2020年9月7日月曜日

フランスのPCR検査 感染者を責めないフランス人のラテン気質

  フランスの新規感染者数は、8月に入って以来、ウナギ登りに上昇し、9月に入ってからは、さらに拍車がかかり、先週末には、9000人に迫る勢いになっています。毎日、8000人、9000人の新規感染者がいれば、自ずと身近なところにまで、感染の渦が迫ってきていることを感じずには、いられません。 実際に、友人が・・または、友人の家族が・・などと言う話を頻繁に聞くようになってきました。このウィルスの厄介なところは、感染しても、最低5日間は、待たなくては、検査に陽性として表れずに陰性として判定されてしまうことが多く、例えば、自分の友人が感染したとして、その友人に会っていたとしても、一定の期間がたたなくては、検査を受けても無駄なわけで、その整合性も決して高くはないところです。 フランスでは、PCR検査を広範囲で行うようになってからは、予約なしで費用もかからないことから、比較的、積極的に検査を受けようとする人が増えたため、パリ市内でも検査をしている試験場では、どこも長蛇の列で、検査が間に合わずに、本当に検査が必要な人が検査ができなくなっている状況が起こっています。 ロックダウン中ならば、いざ知らず、通常の社会生活を送っていれば、今、感染していなくても、もうその次の日には、感染している可能性もあるわけで、それでも、このキリがないような検査をずっと続けなくてはならないことには、もどかしさを感じますが、それでも、検査を少しでも多くして、感染者を隔離していく以外は、方法がないのです。 フランスでは、ここまで感染状況が悪化しているわりには、全体的に危機感が薄く、ここのところは、さすがにほとんどの人がマスクをするようになりましたが、それは、マスクが義務化され、マスクをしていないと罰金を取られるからであり、こんな状況になっても、まだ、マスクの必要性の有無を語り続けています。 この時期の感染拡大の大きな原因は、バカンスであるのは、間違いないのですが、皆がバカンスに出ていたために、バカンスに出ていたことを非難するような風潮は全くなく、したがって、感染したからといって、感染した人を責めるようなことも全くありません。 どんなに気をつけていても(大して気をつけていない人が多いのも問題ですが)、かかる時にはかかるもの・・長期戦になることを考えれば、息抜きは必要だから、バカンスにも行くし、カフェにも行く。ポジティブにコロナと付き合って行くしかない・・と、深刻になりすぎることは、ありません。 良くも悪くもコロナによる閉塞感というものも、あまりありません。 今回のコロナウィルスの大災害のさなかにフランスにいて、フランス人を見ていると、改めて、彼らはラテン気質の人たちなんだということをつくづく思い知らされます。 3月から4月にかけての大惨事を経てきたにも関わらず、これだけ、切り替え?が早く、バカンスに出かけられるのも、ある程度、気をつけて、それでも感染してしまったら、その時は、その時のことだと思っているようなところがあり、たとえ感染してしまったとしても、それは、その人のせいではないと鷹揚な態度なところも、彼らの根っこには、ラテン気質が備わっていることをまざまざと感じるのです。 これまで私は、ラテン系というと、どちらかといえば、イタリアとかスペインとか、南米とかのイメージがあり、フランス人は、ちょっと格好つけたがりで、一見、小難しいことを理屈っぽく、滔々と語って、ラテン系ど真ん中の感じとは、少し違うように感じていたのですが、今回のパンデミックを見ていると、この深刻な状況でも、お祭り騒ぎをしたり、怒りに震えてデモに集合したり、しかも、その感情の発散の仕方がまさに血が騒ぐという感じの桁違いのものであったり、なるようになるしかないと、深刻になりすぎることなく、あくまでも緩い感じでいるのも、彼らの根っこには、ラテンの血が流れていることを感じずにはいられません。 フランス人は、よく、「C'est...

2020年9月6日日曜日

娘のフランス人のDNAが活性化するとき・・生ハムの塊が消えた・・

消えた生ハムの塊  冷蔵庫・冷凍庫というのは、厄介なもので、中のものが減ってくると、補充しなければと思うし、満杯になっていれば、なんとか、消費していかなければと食材に追い立てられるような気持ちになります。 我が家の冷蔵庫は、きれいに整頓されてはおらず、そもそも冷蔵庫には、調味料に近い瓶詰めの調味料やお味噌、ピクルスやお漬物、佃煮等、また、冷凍庫にも日本から持ってきている大切な日本食の一部など(明太子や塩辛、しらす、うなぎなどなど)の長期保存の食料がかなりの割合を占めていて、まずまず大きな冷蔵庫でありながら、少し買い物をすれば、あっという間に満杯状態になってしまうのです。 特に肉類などは、まとめて買って、小分けにして冷凍したり、作り置きしたお料理を冷凍してあったり、おまけに、たまにPICARD(ピカール・冷凍食品店)に行ったりすれば、場所を取ることはわかっていても、ついつい買ってしまうと、かなり、満杯状態であることが多いのです。 約2年間、時々、バカンスの時期には、帰ってくることはあっても、しばらく家を出て、一人暮らしをしていた娘が帰ってきて、しかも、リモートワークで一日中、家にいて、我が家の食料のサイクルが大幅に崩れ、なんだか、冷蔵庫の中身を満たしたり、減らしたりするペースがせわしなくなって、日頃から乱雑な我が家の冷蔵庫は、ここのところますます酷いことになっていました。 そんな言い訳をしつつ、我が家の冷蔵庫の中は、とても人様には、お見せできるような状態ではなく、しかも、夏の終わりに、ベランダで育てていたきゅうりも、もうそろそろ終わりに近づいて、去りゆく夏の日本のきゅうりを惜しむ気持ちから、パンとビールと昆布を使ってぬか床などまで作ったことから、ますます冷蔵庫は、混雑状態なのです。 現地の食材をできる限り使いつつも、和食に偏りがちな我が家の食卓ですが、フランスのものが、全く嫌いなわけでもなく、ここのところ、しばらく食べていなかった18ヶ月のコンテ(チーズ)やカマンベール、ミモレット、サラミなどを買ったりしていました。 そんな、俄かに起こっている我が家のフランス食品フェアの中でのハイライトは生ハムの塊でした。 いつもは、生ハムは、薄切りになっているものを買うのですが、大きな生ハムの原木に憧れがあったものの、さすがにまるまる原木を買うのは少々ためらわれ、単行本ほどの塊を買ってきたのです。 少しずつ自分で削るように切って食べる生ハムは、赤ワインにもよく合い、切りたてのものを食べられるので、風味もよく、しかも、薄切りのものを買うより、結局は割安なのではないか?と大変、満足していました。 毎日、食べたくなる気持ちを抑えつつ、(ということは毎日、飲むことになるので・・)今日は、もう夜は、お料理したくないから、冷凍のピザでも焼いて、あとは、生ハムとサラダ、あとは、ミモレットがあったね・・と言いながら、ごちゃごちゃの冷蔵庫の中、生ハムの発掘作業に取りかかったのです。             久しぶりのミモレット・・美味しい 切りかけの少し小さくなった生ハムの塊は、ラップに包んで、ジップロックに入れて、冷蔵庫に入れておいたのです。ところが、どこに埋まってしまったのか? いくら探しても見つかりません。とにかく、満杯の冷蔵庫、もしかして、場所がなくて、野菜室に入れてしまった? と野菜室まで探しました。(だいたい、自分の記憶にも自信がない) まさか??と思って、娘に問いただしたところ、あの生ハムの塊は、いつの間にか全部、彼女が食べてしまったとのこと!「えっ??全部??」「ソースィソン(サラミ)もあったよね!...

2020年9月5日土曜日

新規感染者が9000人に迫るフランス フランスにやってきたバカンスのツケ

  昨日のパリは、マスクをしていると、少し汗ばむくらいの晴天で、朝のうちは、それでも涼しいので、今の季節は、真夏のようなサンダル履きの人から、早々にマフラーをしたり、ダウンを着ている人までいる、多分、一年のうちで一番、街を歩く人のファッションがちぐはぐで、様々な格好をしている人がいる季節です。 銀行から頼んでおいた小切手ができたという連絡をもらったので、銀行の用事に加えて、いくつかの用事を済ませるために、久しぶりにパリの中心に出かけてきました。私もすっかり、最近は、今までバスに乗っていた区間も歩くようになり、メトロに乗らなければ行けない最低限の区間だけに限って、メトロを利用するようになりました。 久しぶりのパリの街は、お天気がいいこともあってか、とてもきれいで、街中には、本当に自転車やトロチネット(キックボード)などがどこに行っても置いてあって、すっかり交通手段の一つとして、定着したな・・そして、ものすごく増えた・・しかも電動のものも増えた!!すごい!!と思いました。 ...

2020年9月4日金曜日

日本は海外に住んでいても教科書を無料でくれる

  新年度に入って、学校が始まれば、フランスの学校でも、一年の始めには教科書が配布されます。しかし、それは、ほとんどの場合、一年間、教科書を借りるということで、新年度には、その一年間お借りする教科書のブックカバーをする仕事が待っています。 借り物なので、汚したり、破損したり、紛失したりした場合は、弁償しなければなりません。一年の始めには、学校からクラスごとに揃えなければならないノートやファイル、ペン、定規、計算機などの細かいリストが配られ、そのリストに従って、一通りの買い物をしなければなりません。 ノートの大きさ、ページ数、様式など、細かい指定で、だいたいカーフールなどのスーパーマ...