今からだいぶ前のことになりますが、日本から、叔母二人がパリに来てくれたことがありました。
二人とも、フランス語は、できないので、到着当日に、空港まで迎えに行くことができなかった私は、彼女たちに不自由な思いをさせてはいけないと、いつもお願いしている運転手さんに空港送迎をお願いしました。
彼女たちは、一週間ほどの滞在でしたが、私は、その間、数日しかお休みが取れずに、ちょうど、学校がバカンスでお休みだった、当時、10歳だった娘が、叔母たちがパリを観光して歩くのに付いて回って、行く先々で、買い物をしたり、食事をしたりするのに、通訳のようなことをしてもらおうと思っていました。
山ほどの日本食を持ってきてくれた叔母たちも、せっかくパリに来たのだから・・と、自ら、パリのスーパーマーケットなどで買い物をしてきて、夜は、食事を作ってくれて、家でワインを飲みながら、一緒に食事をし、楽しい時を過ごしました。
二人の叔母のうち、一人は、母の妹で、もう一人は、母の兄嫁さんに当たる人で年齢も当時、70代半ばくらいだったでしょうか?
この年長の方の叔母の堂々とした振る舞いが、まさに、圧巻だったのです。
念の為、彼女の名誉のために、先に申し上げておきますが、彼女は、お茶の水女子大を優秀な成績で卒業した才女で、その後、保育士として数年働いたのち、夫と共に、都内に保育園を立ち上げて、今では、複数の保育園を持ち、ずっと幼児教育に携わっているスゴい人なのです。
彼女は、とにかく、純粋で、何事にも真面目で前向きで、一生懸命で、それでいて、とても明るく、大らかで親しみやすい人柄なのですが、いかんせん、その真面目さと自分の世界が、かなり、ストレートで、ちょっと浮世離れした感じのところもあるのです。
それが、パリに来て、全開になった感がありました。
私が仕事を終えて、家に帰って、「今日は、どこへ行ってきたの?」と娘に聞くと、「オー・シャンゼリゼを歌いながら、シャンゼリゼを散歩してきた。」これには、娘も苦笑い。彼女は、コーラスをやっていて、とても、良く通る声なのです。
また、私がお休みの日に、ショッピングに付き合った時も、彼女は、堂々と店員さんにも日本語で話しかけ、帰りの混み合ったバスで、バスを降りる前にドアが閉まりそうになった時も、バスの後方から、大きな声で、運転手さんに向かって、「すみませ〜ん!降りま〜す!」と、良く通る声で叫び、ドアを開けてもらっていました。
普段、パリでは、ことごとく、駅などでも、「ここは、フランスなのだから、フランス語で・・」などと言われている観光客を横目で見ている私は、そんなフランス人をさえ、圧倒して、日本語を堂々と使う叔母に、あっぱれ!と思わされたものでした。
彼女の口から出るのは、英語でさえなく、日本語なのです。
きっと、彼女の純粋さが、パリの人たちをさえも圧倒してしまうのでしょう。途中で、フランス語で割って入った私たちにも、彼女のペースにすっかり巻き込まれた店員さんたちは、珍しく感じよく、終始、笑いに包まれ、彼女のオーラの凄さに改めて、感心したものです。
それでも、周りに全く不快感を与えないところが彼女のスゴいところなのです。
彼女の嫌味のなさ、伝わるかな〜?
私は、後にも先にも、あんなに堂々とフランス人に、パリで、ためらいなく日本語で話しかける人を見たことは、ありません。
彼女に国境は、無いようです。