2019年11月7日木曜日

パリでも日本語を堂々と話す叔母 そして、それが通じる不思議






 今からだいぶ前のことになりますが、日本から、叔母二人がパリに来てくれたことがありました。

 二人とも、フランス語は、できないので、到着当日に、空港まで迎えに行くことができなかった私は、彼女たちに不自由な思いをさせてはいけないと、いつもお願いしている運転手さんに空港送迎をお願いしました。

 彼女たちは、一週間ほどの滞在でしたが、私は、その間、数日しかお休みが取れずに、ちょうど、学校がバカンスでお休みだった、当時、10歳だった娘が、叔母たちがパリを観光して歩くのに付いて回って、行く先々で、買い物をしたり、食事をしたりするのに、通訳のようなことをしてもらおうと思っていました。

 山ほどの日本食を持ってきてくれた叔母たちも、せっかくパリに来たのだから・・と、自ら、パリのスーパーマーケットなどで買い物をしてきて、夜は、食事を作ってくれて、家でワインを飲みながら、一緒に食事をし、楽しい時を過ごしました。

 二人の叔母のうち、一人は、母の妹で、もう一人は、母の兄嫁さんに当たる人で年齢も当時、70代半ばくらいだったでしょうか? 

 この年長の方の叔母の堂々とした振る舞いが、まさに、圧巻だったのです。

 念の為、彼女の名誉のために、先に申し上げておきますが、彼女は、お茶の水女子大を優秀な成績で卒業した才女で、その後、保育士として数年働いたのち、夫と共に、都内に保育園を立ち上げて、今では、複数の保育園を持ち、ずっと幼児教育に携わっているスゴい人なのです。

 彼女は、とにかく、純粋で、何事にも真面目で前向きで、一生懸命で、それでいて、とても明るく、大らかで親しみやすい人柄なのですが、いかんせん、その真面目さと自分の世界が、かなり、ストレートで、ちょっと浮世離れした感じのところもあるのです。

 それが、パリに来て、全開になった感がありました。

 私が仕事を終えて、家に帰って、「今日は、どこへ行ってきたの?」と娘に聞くと、「オー・シャンゼリゼを歌いながら、シャンゼリゼを散歩してきた。」これには、娘も苦笑い。彼女は、コーラスをやっていて、とても、良く通る声なのです。

 また、私がお休みの日に、ショッピングに付き合った時も、彼女は、堂々と店員さんにも日本語で話しかけ、帰りの混み合ったバスで、バスを降りる前にドアが閉まりそうになった時も、バスの後方から、大きな声で、運転手さんに向かって、「すみませ〜ん!降りま〜す!」と、良く通る声で叫び、ドアを開けてもらっていました。

 普段、パリでは、ことごとく、駅などでも、「ここは、フランスなのだから、フランス語で・・」などと言われている観光客を横目で見ている私は、そんなフランス人をさえ、圧倒して、日本語を堂々と使う叔母に、あっぱれ!と思わされたものでした。

 彼女の口から出るのは、英語でさえなく、日本語なのです。

 きっと、彼女の純粋さが、パリの人たちをさえも圧倒してしまうのでしょう。途中で、フランス語で割って入った私たちにも、彼女のペースにすっかり巻き込まれた店員さんたちは、珍しく感じよく、終始、笑いに包まれ、彼女のオーラの凄さに改めて、感心したものです。

 それでも、周りに全く不快感を与えないところが彼女のスゴいところなのです。
彼女の嫌味のなさ、伝わるかな〜?

 私は、後にも先にも、あんなに堂々とフランス人に、パリで、ためらいなく日本語で話しかける人を見たことは、ありません。

 彼女に国境は、無いようです。
















2019年11月6日水曜日

画家を志してパリへ来た日本人




 芸術の都と言われるパリならではなのか、パリには、日本から、絵を志して、移住している人が少なからずいます。

 私も少しですが、パリで絵を描いている日本人を知っています。

 画家を志してフランスに来ても、それを生業に出来る人は、ほんの一握りもいないでしょう。その多くは、一時の留学に留めるか、しばらくいても、結局は、諦めて、日本へ帰るか、そのままパリに留まるために、何か他の職業に付いて、絵を描き続けています。

 今は、長期滞在するビザを取ることは、そんなに簡単ではないようですが、一時期は、フランス政府の政策で、移民を積極的に受け入れるために、ビザを取りやすかった時期や、また、不法労働者から、税金を徴収するために、一定期間中に、自己申告して、雇い主との契約ができれば、ビザが取得できるという期間があったようです。

 実際に、この期間中に、移住、もしくは、長期滞在に切り替えている人は、かなり多く、それまで、学生ビザなどで、滞在していた人なども、この時期から、パリに長期で滞在、居住することになった人も多いのです。

 その中には、画家を志していた人も少なからずいたのです。

 その世代の人たちの中で、ある絵描きさんの御一家がいます。

 ご主人の方が絵を描き続けていらっしゃる方で、最初は、ご夫婦二人で、パリにやって来たようです。ご主人の方がかなりの資産家なのか? ご両親にブローニュの方に家を買ってもらって、当初は、生活費も送ってもらっていたようです。

 しかし、数年して、子供ができて、生活も拡大していくと、生活費もかかるようになり、かと言って、絵では、お金にはならず、でも、絵は諦められず、そのうちに、奥さんの方が働き始めました。

 外野の私が言うことではありませんが、子供ができた時点で、ご主人は、少なくとも、生活の糧を得られる道を探すべきだったと思うのです。

 あくまで絵を追求するというような、難しい芸術のことは、私には、わかりませんが、人として、子供に対しては、責任があると思うのです。

 こもりっきりで、売れない絵を描き続ける父親のせいかは、わかりませんが、上の子供は、優秀で、医学部に進んだものの、周囲の人と関わることが苦手で、医学の研究の道に進みましたが、下の子供は、自閉症だとのこと。

 唯一、社会に出て働いている奥さんの方も、あまり、そのことを公にしたくないのか、本来なら、自閉症のようなハンディキャップのある子供なら、フランスの場合は、色々な社会的な保障を受けられるところを、それも受けずに、子供は、大きくなりました。

 ご本人たちが納得して、こういう生活をしているのでしょうから、外野があれこれ言うことではありませんが、この御一家を見るにつけ、芸術で身を建てるということの難しさを考えてしまうのです。

 芸術を志すということは、結局は、日本にいても同じことなのかもしれませんが、言葉の問題や、何か少しでもお金になるような仕事を探すにしても、簡単にままならないのが海外生活です。

 現実の日常生活と芸術の兼ね合い。
海外だと、余計に、厳しそうだと思うのは、私だけでしょうか?

 

 

 









2019年11月5日火曜日

満員電車とフランス人のパーソナルスペース




 東京のラッシュアワーの満員電車は、おそらく、体験した者でなければ、わからないであろう世界的にも驚異的な空間のひとつだと思います。

 東京ほど、人の多い街は、なかなかありません。
 パリなど、都会とはいえ、小さい街で、日常的な人の混雑といっても、東京の比ではありません。

 私もかつては、東京のラッシュアワーの電車に乗って通勤していましたから、逆に、こちらに来て、メトロが混んでいると、東京の電車の混み方から考えると、混雑といっても、まだまだ、乗れる電車を見送って、次の電車を待つ人々にびっくりしたものです。

 でも、よく考えてみれば、少し待てば、次にやってくる電車に乗れるものを無理やり乗り込もうとするのもおかしな話ですが、東京の場合は、一本、見送って、次に乗ったところで、次の電車もギューギュー詰めな訳で、それはそれで、致し方ないのかもしれません。

 私が東京で乗っていた地下鉄も、駅員さんが乗り込もうとする乗客の背中を押し込んで、乗せていましたから、ヨーロッパの人たちから見れば、クレイジーだと思うに違いありません。

 パリでは、渋滞などで、バスがなかなか来なかったりすると、当然、バスを待つ人は、膨れ上がり、やっと来たバスに、たくさんの人が乗り込もうとすることがありますが、先に乗った人が、もっと奥に詰めれば、まだまだ人が乗れそうな場合でも、すでにバスに乗っている人々は、さほど、人との距離を詰めようとはしません。

 最初は、なんて、利己的な人たちなんだ!と思いましたが、これは、おそらく、フランス人の他人との距離の取り方、パーソナルスペースの習慣の違いなのではないかと思うようになりました。

 海外では、日本と比べると、スキンシップも多くて、一見、人との距離は、近そうに感じるかもしれませんが、実のところ、他人との距離は、常に彼らなりの一定の距離を取っているのです。

 しかし、たまに、ストライキなどで、間引き運転・・などとなったパリ近郊を走る電車などの混雑の折りには、さすがのフランス人も混んだ電車に、必死で乗り込もうとするのですが、混雑した満員電車に乗り馴れてない彼らの乗った満員電車は、恐ろしい状態になるのです。

 東京の満員電車は、日々の鍛錬からか?みんな、それなりのマナーがあり、全員が同じ方向を向いて、あれだけの数の人が乗っているにも関わらず、異様に静かで、大人しく乗っていますが、日頃、満員電車は、避けて次の電車を待っている彼らは、混雑にも慣れておらず、混んだ電車に乗っている人々も銘々があっちを向いたり、こっちを向いたり、非効率な乗り方で、エラい騒ぎになるのです。

 一概に、どちらが良いとも言えませんが、電車の乗り方ひとつを取ってみても、お国柄というのは、出るものだ・・とつくづく思います。

 もし、日本のような災害がフランスで起こったら・・と思うと、ちょっと、怖い・・とフランスの満員電車を見るたびに頭をかすめるのです。

 












2019年11月4日月曜日

海外に出ることで離れてしまった家族と友人





 海外で生活を始めた時には、残してきた日本の両親の将来とか、その後に起こってくる介護の問題、そして、仲の良い友人とも滅多に会えなくなることなどを、正直、私は、ほとんど考えていませんでした。

 その頃の自分のやりたかったことで、私の頭の中はいっぱいで、振り返れば、自分のことしか考えていなかったと思います。海外へと旅立っていく、そんな私を両親や友人たちは、どう思っていたのだろうか?と、 今になって、少し考えます。

 いずれは、両親も私自身も、歳をとっていくということを知ってはいましたが、何一つ具体的なことは、考えていませんでした。

 しかし、自分のしてきたことを無理矢理に肯定するわけではありませんが、あの頃には、いくら考えても、きっと答えは、得られなかったと思います。

 両親にしても、私自身にしても、人生には、思いもよらないことが起こり、病気になったり、誰かが亡くなったりすることは、思いどおりに予め予定できることではないからです。

 結局は、その時々で、できることをするしかないのです。

 私が海外で生活を始めて、約2年後に子供ができて、それから、さらに一年後に仕事を始めて、それからは、もう子育てと仕事であっという間に時は過ぎて行きました。

 その間に、子供を連れて、毎年のように帰国してはいましたが、そのうち、母が病気になったり、亡くなったり、父が弱っていって、介護の問題が勃発したり、その間、こちらでも、色々なことがあり、結局、今では、父も母も亡くなり、あっという間に20年以上経ってしまいました。

 遠くなってしまったのは、日本の家族だけでなく、日本にいる友人も同じです。

 もともと、そんなに友達の多いタイプではありませんでしたが、帰国時にも全ての友人に会えるわけでもなく、同窓会のようなものにも出席したことがありません。

 いつの間にか、疎遠になってしまった友人も少なくありません。そう考えると少し、残念な気もしますが、たとえ、日本にいても、時の流れとともにいつの間にか疎遠になってしまう友人というのも私の場合、ありそうです。

 その代わりと言っては何ですが、海外に出てからの友人というのも少しずつですが、できました。ロンドンにいた頃の友人、アフリカでできた友人、フランスでできた友人、職場、または、仕事関係で知り合いになった方々。

 こうなってくると、もはや、日本に残してきた友人というよりも、友人は、世界に散らばっているのが普通な感じになりました。

 結局、その時々の生活によって、付き合う人は変わっていきますが、国が変わってもなお、付き合いが続いている友人は、結局は、かれこれ、もう長くなるので、この長く続いているご縁にとても感謝しています。

 人生の中で、色々なことが起きるたびに、私の歴史を知ってくれている友人は、離れていても、私にとって、とても貴重な存在です。

 子供が生まれる前から知っている友人たちは、娘よりも付き合いが長く、私の人生のそれぞれのタイミングのなかで、同じ、確かな時間を共有し、私の人生のページに追随してくれている生き証人のようなもので、どこか安心感があります。

 今は、ラインやメールなどで、どこの国にいても繋がれますから、時々、思い出したようにお互いに連絡を取り合ったり、近況を報告しあったりできます。

 人生の中で、多くの人と知り合う中、付き合いが自然と継続している友人は、あまり多くは、ありませんが、私は、そんな友人関係にとても満足しています。

 




2019年11月3日日曜日

フランスには、日本のような贈答品の習慣はない




 思うに、日本ほど、年がら年中、贈り物をし合っている国も珍しいのではないかと思います。お中元、お歳暮、お年賀、入学祝い、結婚祝い、結婚式の引出物、お香典、お香典返し、お見舞い、快気祝い、御礼、手土産、そして、旅行に出れば、旅先からのお土産。

 確かに私自身も日本に帰るときは、必ずお土産を持って行っていますし、パリに旅行に来る日本人なども、家族や友人、職場へのバラマキ用のお土産まで、きっちり買って行く人が多いです。

 フランス人は、自分たちがバカンスに行ったからといって、取り立てて、お土産を広範囲の知人に渡って配り歩くようなことは、ありません。

 たまに、日本に行くと、年がら年中、何かを贈りあっている印象をあらためて感じます。以前、私も日本にいた頃には、そのサイクルの中にいたはずなのに、そんなことを感じるのは、フランスには、そのような習慣があまりないからなのです。

 一度、帰国時に親戚の新年会に急に参加することになった際、従姉妹の車に乗せて行ってもらった時に、「ちょっと途中で、お年賀を買うから、和菓子屋さんに寄らせてね。」と言われて、初めて、お年賀というものの、存在を思い出し、慌てて、私もそこで、親戚の家族分のお年賀を買ったことがありました。

 果たして、新年会では、それぞれの家庭がお年賀を贈り合い、それらの家庭の数のお年賀が戻ってくるのでした。

 まことに日本らしい光景を久しぶりに見た気がしました。

 何かのお礼を送ったりすると、お礼のお礼がまた、送られてきたりして、なんだか、これって、エンドレス??と思ってしまったりもします。

 そこへいくと、フランスというのは、シンプルで、形式張った贈り物をしあうということは、ありません。まあ、あるのは、家族や親しい間柄での、クリスマスプレゼントやくらいでしょうか?

 それでも、どこか、日本の習慣を引きずっている私は、ちょっとお世話をかけたり、子供が頻繁に遊びに行って、ご馳走にばかりなっていたりすると、お礼にちょっとしたものを差し上げたりしていました。

 「こんなこと、フランスでは、いちいちしないよ!」と娘に言われながらも、受け取る方は、決して嫌な気がするものではないらしく、あとで、お礼の電話をくれたり、「これは、日本の文化なのね〜。」と言ってくれたりします。

 この日本の贈り物というのは、確かに、外国から見たら、日本独特な習慣、文化の一つなのかもしれません。











2019年11月2日土曜日

フランスの冬の定番料理 ラクレット


フランスの家庭には、必ず一つはあるラクレットマシーン
手前は、ラクレットチーズと一緒に食べる生ハム、ハム類


 現在、バカンスで帰省中の娘の元に、シェアハウスの住人たちのグループラインからメッセージが入りました。

 「みんなが帰ってきたら、ラクレットやろう!」と。

 フランス料理があまり、好きではない娘には、あまり、嬉しくないお誘いのようですが、フランスでは、冬に、大勢で食べるお料理の定番がラクレットなのです。

 日本で言う「今日、うちで、みんなでお鍋やろうよ!」「寒くなってきたし、今晩は、お鍋にでもするか・・」というくらいの感じで、冬になると、頻繁に登場するのが、ラクレットで、だいたい、フランス人のどの家庭でも、電気のラクレットのマシーンを持っています。

 お料理自体は、いたってシンプルなもので、お料理とさえ、言えないような単純なものなのですが、チーズ好きのフランス人には、堪らない冬の定番メニューなのです。

 元来は、フランスのサヴォア地方の郷土料理ですが、現在は、フランス中、どこの家庭でも見られる家庭料理のようなものになっています。

 どこのスーパーに行っても、すでにスライスされたラクレット用のチーズが、売られていますし、それに、茹でたじゃがいも、ハムやサラミなどがあれば、もうそれで、準備OKの簡単定番メニューです。

 上の写真にあるような、ふちの付いた小さな鉄板のヘラのようなものに、銘々が、チーズをのせて溶かし、じゃがいもやハムにトロ〜っとかけて食べます。

 そして、茹でたじゃがいもが冷めないように、その上の鉄板の上にのせておくのです。

 一緒に、ピクルスなどをつまんだりしますが、メインは、あくまでチーズ(とじゃがいも)のとても単純なお料理です。

 とろ〜っと溶けたチーズが魅惑的な冬の暖かい食べ物です。

 白ワインと合わせて、頂きます。

 日本でも、一つの鍋を囲むなどと言いますが、フランスでは、家族や友達同士でラクレットを囲みます。

 ラクレットのマシーンさえあれば、誰にでも簡単にできる、安上がりな、フランス人の大好きな冬の定番メニューなのです。

 冬になると、フランス人のお友達から、だいたい、この "ラクレットやろうよ!” のお誘いがやってきます。

 バカンス期間中、家で和食ばかり食べていた娘も、シェアハウスに戻って、同居人たちとともにラクレットで、シェアハウスの生活を再開するようです。

 ちなみに我が家では、主人が興奮状態になって、異常に食べ過ぎるので、ラクレットは、あまり、やらないようにしています。(笑)


ラクレット

 

 
 

2019年11月1日金曜日

フランスの弁当(BENTO)ブーム


※写真は、パリ3区(マレ地区近辺)マルシェ・アンファンルージュ内にあるお弁当屋さんのお料理。
これは、イートインですが、テイクアウトの場合は、これをお弁当箱に詰めてくれます。
手前は、揚げ出し豆腐、奥は、アジフライ。トンカツや唐揚げなどが人気のようでした。



 娘は、小さい頃から、大の和食党、というよりも、フランス料理が苦手、白いご飯におかず・・という食事が好きで、たまに、学校で遠足のような機会があっても、サンドイッチではなく、「ご飯とおかずの入ったお弁当を持っていく!」と言い張り、周りの子供たちは、遠足、ピクニックといえば、サンドイッチだろうに、「自分だけ、違うのって嫌じゃないの?」と、私がいくら言っても、「他の人と違っても、全然、いいの!」と言い張って、私に、ご飯におかずの入ったお弁当を作らせるのでした。

 案の定、帰ってきた娘に聞くと、物珍しいお弁当には、みんなが寄ってきて、見せて見せて!と人だかりができたとのこと、それでも、全然平気な娘から、フランスは、みんなと同じじゃなくていいんだ・・(日本だったら、人と違うお弁当を持っていくことは、ためらいがちになりそうなところ・・)などと思わされたものでした。

 あれから、随分と時は、経ち、日本ブーム、日本食ブームからか、パリにも日本のお弁当屋さんが随分とできました。

 かつても、日本人街と言われるオペラ界隈ならば、お弁当屋さんもあったのですが、今では、その辺りでは、中華や韓国などのお弁当屋さんまでできました。(単なるテイクアウトではなく、それがお弁当の様相を呈していることからも、お弁当人気が伺えます。)

 そして、今では、日本人が特に多いと言われる地域ではない、サンジェルマンデプレやマレ地区などにもお弁当屋さんができ、お昼どきなどは、器用にお箸を使う地元のフランス人で賑わっています。

 トンカツや唐揚げなどの揚げ物が人気があるようでしたが、必ず、野菜をたっぷりと使った副菜が数種類、添えられており、健康にも気を配られているメニューが、フランス人にもウケているようです。

 お弁当の値段は、15ユーロ(1800円)前後と日本のお弁当と比べると高めですが、総じて外食の高いパリでは、昼食の値段としては、妥当な線だと思われます。

 また、お弁当箱も大変な人気で、パリのギャラリーラファイエットのメゾン館には、Mon Bento と銘打ったお弁当箱のコーナーが設けられ、フランス仕様に改良されたナイフ、スプーン、フォークなどがセットになったおしゃれでキレイなお弁当箱が、30ユーロ〜50ユーロ(3600円〜6000円くらい)のなかなかなお値段で売られています。

 それに目をつけた人がフランス人向けにネットでお弁当箱を販売し、大成功をおさめた人もいるくらいです。日本なら、100均でも買えるお弁当箱と比べたら、随分と高いですよね。

 ケチなフランス人がそれでも買うお弁当箱・・スゴいですね!

 ツイッターなどで、流れてくる日本人のお弁当は、栄養のバランスも配慮され、彩り豊かで、かなりのハイスペックですが、日頃、大したお料理をしないフランス人が、その高価なお弁当箱に何を詰めているのか、大変、興味深いところです。

 ちなみに、元同僚であったフランス人のお弁当は、ガサッとパスタが放り込まれているお弁当でした。

 お弁当は、日本の文化の一つだと思いますが、今や、BENTO(ベントー)は、スシやテンプラと同じように、フランス語に訳されることなく、そのまま、BENTOとして使われる言葉になり、親しまれるようになりました。

 日本のものがフランス人に広く受け入れられていることは、日本人として、ちょっぴり誇らしく、嬉しいことです。