2019年10月22日火曜日

ストライキ大国・フランス




 言わずと知れたストライキ大国であるフランス。

 公共交通機関であるパリの営団地下鉄や国鉄、飛行機、タクシーなどから、学校まで、四六時中、どこかがストライキをやっているような印象があります。

 私もフランスに住んで長くなり、一通りのストライキによる被害を被ってきました。

 だいたい、フランスの交通機関などは、ストライキをやらずとも四六時中、テクニカルプロブレムだとか、危険物があるとか言って、ストップするし、TGV(フランス国鉄の新幹線)などでさえも、大幅に時間遅れがあたりまえで、電車が2〜3分遅れただけで、「深くお詫び致します。」などとアナウンスの入る日本から考えたら、通常の状態がもうすでに、ストライキのような状態なのです。

 これだから、パリに通勤するとなると、日本なら、一時間以内の通勤圏は、余裕で大丈夫なところですが、しょっちゅう起こるストライキのことを考えると、郊外線などは、1時間に1〜2本のみという間引き運転になるため、車内は大混乱、通常、一時間の通勤時間のところが、その倍近く、時間を見積もって出かけなければならないのです。

 ましてや満員電車に慣れていないフランス人のすし詰め状態は、恐ろしいものです。

 それでも、パリは、家賃が高く、郊外に住んでいるフランス人はたくさんいるのです。

 私もパリに引っ越してくる前までは、郊外線を使って通勤しており、一ヶ月近く、ストライキが続いた時には、本当にヘトヘトになりました。

 SNCF(フランス国鉄)やRATP(パリ営団地下鉄)の職員よりも、ずっと悪い条件で働いている人たちが苦しめられて、どうなっているの? と思います。
 
 周りの乗客も長く続くストライキに積み重なる疲労と怒りでストレスが溜まりきっていました。

 そのストライキが終わって、すぐに、涼しい顔をして、検札にやってきた国鉄の職員は、乗客に「お前ら、さんざんストライキをやっておいて、検札とは、何事だ!!」と周りを囲まれて袋叩きにあい(手を出されていたわけではありませんが)、次の駅でトボトボと降りていったのを目撃したこともありました。

 また、娘が幼稚園(公立)の頃に、幼稚園が一ヶ月近く、ストライキで閉まり、子供を預けるのに右往左往したこともあります。

 そのおかげで、小学校からは、絶対にストライキをやらない私立の学校に入れました。

 日本にエアフランスで行った際、ストライキの予定の日にちをずらして、チケットを取ったのに、数日前のストライキの煽りを受けて、取っていたはずの直行便が変更になり、経由便になってしまったこともあります。

 また、日本から帰ってきた際に、空港からの交通機関は、全てストップ、タクシーですら、ストライキをやっていた・・ということもありました。

 どうにもならなくて、知り合いの運転手さんに電話をして、急遽、奥さんの車で迎えに来てもらったこともありました。

 もし、個人でフランスに旅行に来ている人だったら、そんな時はどうするのでしょうか? 考えただけでも恐ろしいことです。

 本当に、ありとあらゆることを予測して、対応できなければ、フランスで生活するのは、大変です。

 それでも、私がフランスに来たばかりの頃に、主人の友人に会った時、フランスの印象は? と聞かれて、「ストライキ!」と言った私の答えに、彼は、大変、満足そうに得意げな様子だったことは、今でも、忘れられません。

 その主人の友人だって、少なからず、ストライキの被害を被っているはずなのに、そうして、あくまで「主張」することを、どこか、誇りにしているフランス人なのです。

 











2019年10月21日月曜日

旅行先に着いた途端にスリ被害で一文無しになったらどうするか?




 パリでは、日常茶飯事のように起きているスリ被害ですが、私は、パリでスリの被害にあったことは、ありません。

 パリでの行動には、もう、周りの話をさんざん聞かされているので、注意して歩くことが習慣になっているのかもしれません。

 一度、母がパリに来てくれた時に、母がメトロの中で、ショルダーバッグから、お財布を抜かれたことがありましたが、それ一回のみ、しかも、私ではありません。

 しかし、そんな私も一度だけ、スリにあったことがありました。

 それは、リスボンへ旅行した時のことでした。

 ホテルへチェックインするには、少し、時間が早かったので、ホテルに行くまで、少し、観光しようとベレンの塔へ行った時のことです。

 早朝の飛行機で、パリを出発し、一旦、ホテルへ寄って、荷物を預けて、一息ついてから出かければ良かったのですが、小さなキャリーバッグとはいえ、荷物をゴロゴロと転がしながら、観光していたのです。

 これでは、旅行者丸出しですよね。

 途中、橋の上で、偽ブランド物を売りつける人が寄ってきて、頑なに、断り続けたのは、良かったのですが、多分、その時にやられたのだと思います。

 お財布を丸々、擦られてしまったのです。

 気が付いた時には、私は、一文無しで、飛行機の中で、お金も一部は、別に分けて持っておこうと思っていたのに、それも忘れていて、丸々、カードも現金も一切合切、取られてしまったのです。

 パスポートは無事だったものの、まだ、着いたばかりで、無一文でバスやタクシーにさえ乗れない!これから数日間、どうやって過ごしたらいいのか、娘を連れて、私は、途方に暮れました。

 トボトボと娘とリスボンの街を歩きながら、ジェロニモス修道院のあたりで、ようやく警察官をつかまえて、事情を話すと、とりあえず、街の中心にある警察署まで、パトカーで送ってくれました。

 戻ってくることはないと思いつつも、一応、保険等のために、被害届を作ってもらい、その担当をしてくれた警察官の人に、タクシー代の5ユーロを借りて、ホテルにどうにか、たどり着きました。

 ネット予約していたために、すでに、ホテル代は、支払いが済んでいましたので、最悪、ホテルに缶詰になっていれば、どうにか、帰りの飛行機までは、過ごすことはできますが、それでは、食事もできません。

 ホテルのジムにおいてあるリンゴを食べて過ごそうかとまで、一瞬、考えたぐらいです。

 そこで、私は、ホテルのフロントの人に事情を話して、控えてあったカードナンバーから、ホテルで、お金を引き落としてもらって、現金を手に入れてから、カードを止めることを思いついたのです。

 ホテルのフロントの人がとても、親切な人で、カードの手数料がかかるので、その分を負担していただければ・・ということで、快く引き受けて下さいました。

 そして、彼は、「ポルトガル人として、この国に訪れて下さったの方の中に、こんな被害に会う方が出てしまうことをとても恥ずかしく思います。」と言ってくれました。

 翌日、借りた5ユーロを返しに、警察に行き、前日に貸してくれた警官にお金を返しました。彼は、「お金を貸したと言っても、本当に返しに来てくれるとは、思っていなかった・・」と言い、お金もなんとか、カードから引き出すことができたと言ったら、そのことをとても、喜んでくれました。

 取られたカードもカード会社に電話して、ストップした時点で、使われている形跡はないことが確認できて、その後の観光は、なんとか、続けることができたのです。

 それにしても、日頃、パリでは気をつけていたのに、旅行先では、やはり、旅行者として、狙われてしまうのだと、旅行の際もますます、気を引き締めなければと学んだ、高い授業料でした。

 


























2019年10月20日日曜日

お金は、人を幸せにできるのか? ナタリーの話

 


 私の勤めていた会社のフランス人の社長は、とても、女癖の悪いことで有名な人で、結婚は、しているものの、常に複数の女性がいて、家庭は、崩壊状態のようでした。

 彼には、私とほぼ、同じくらいの年齢のナタリーという娘がいました。

 ナタリーのお母さんは、そんな旦那との日常の生活のストレスからか、アル中で、身体を壊して、亡くなってしまい、ナタリーは、軽い障害を抱えていることもあり、仕事には、付いていませんでした。

 しかし、金銭的には、何の不自由もなく、パリにアパートを持ち、一人で暮らしていましたが、彼女には、友人らしい友人もなく、孤独で、自殺未遂騒ぎを起こしたこともありました。

 そんな、彼女の孤独を紛らわせていたのは、買い物でした。

 羽振り良く買い物をすれば、店員は、機嫌をとって、その時だけは、優しくしてくれるからです。彼女の部屋には、買い物をして、持て余して、部屋に収まり切らなくなり、封さえ切られていない、山のような洋服や、バッグや小物類などが、あったのです。

 近づいてくる男の人も、明らかにお金が目当てで、たまに、ナタリーは、ここが私のお父さんの会社だと、妙な男性を会社に連れてくることもありました。

 それでも、男性とは、長続きするわけはなく、結局は、一人になってしまうのでした。

 そうなると、相手にしてくれるのは、父親の会社の人くらいで、彼女が会社に来れば、ある程度、皆、挨拶くらいはするし、会社に電話をしてきたりもするので、たまたま、電話を取ってしまえば、私も時々は、世間話の相手になったりもしていました。

 もう、とっくに成人している彼女ですから、父親が彼女に積極的に関わらないのも、わからないではありませんが、お金だけ無尽蔵に与えて、彼女に向き合おうとしない親子というのも、理解できません。

 現在は、もう社長も引退し、アメリカで別の女性と暮らしているそうで、パリにも滅多に現れることはありません。ナタリーが自殺未遂を起こしてからは、彼女の相手をしてくれる彼女より少し年下の女性を父親が雇い、それからは、少し彼女も落ち着いたようです。

 しかし、彼女は、このまま、一生をそんな風に送って行くのでしょうか?

 彼女にお金をかけるなら、彼女自身にお金を与えたり、その場しのぎの、退屈を紛らわす世話係のような人を雇うのではなく、まずは、彼女の精神的なケアーをしてくれる病院や専門家を探すことだったろうに・・と思うのです。

 社長は、先見の明も商才もあり、経営者としては、莫大な財産を築きましたが、幸せな家庭は、築くことができませんでした。彼は、お金に頼り、人任せにして、自分で家族と向き合わないことで、家族を傷つけ続けてきたのです。

 いくら、お金があっても、そのお金を上手に使えなければ、幸せにはなれません。
むしろ、お金がありすぎるから、不幸になることもあるのです。

 お金があるからこそ、不幸になることもあるのだというような話を聞くたびに、私は、ナタリーのことを思い出すのです。

 

 

 

  











2019年10月19日土曜日

日本の母からの小包




 私がフランスに来て以来、母は、毎月一度、小包を送ってくれていました。

 そして、母の体調が悪くなってからは、母の妹である叔母が、ずっと、その代わりをしてくれていました。

 当初は、フランスの郵便事情の悪さも、あまりピンと来ていなかったので、自宅宛で、日中は、仕事で家にいなかったため、その多くは、留守中に、不在通知が入っていて、休みの日に、郵便局に取りに行くことが多かったのです。

 私も娘も、とても、日本からの小包を楽しみにしていましたので、私が、お休みの日に、娘に、「今日は、どこに、お散歩に行きたい?」と尋ねると、迷わず、「郵便局!」と答えるほどでした。

 小さい頃の娘は、郵便局をドラえもんのポケットのように思っていたのです。

 毎月のことでしたので、大きな小包ではありませんでしたが、それでも、母は工夫して、娘の大好物の高野豆腐やひじき、切り干し大根、佃煮、おせんべいなどの日本の食品、日本のテレビ番組を録画したDVD、娘の洋服など、どれも、重量軽減のために、箱などは、取り除かれていて、クッションがわりに鰹節のパックや靴下などが使われていて、
小さいスペースにギッシリと詰められていました。

 小包には、必ず、母の短い手紙、時には、その時に庭に咲いていた花のスケッチなどが添えられていました。

 だんだんと、フランスの郵便事情などがわかり始め、紛失して届かなかったりしてしまったこともあり、小包は、私の勤めていた会社宛に送ってもらうようにしました。

 日中は、必ず、誰かがいるし、パリの中心地にある会社宛ての方が、国際郵便物の取り扱いにも慣れていて、紛失したりすることが、少なくなりました。

 それでも、クリスマスの時期などは、無くなってしまったこともありましたが・・。

 私の方からも、毎月とは言えないまでも、ずいぶんと母に小包を送りました。

 新しいシリーズの母に良さそうだと思われるお化粧品や、新作のスカーフ、マフラー、セーターなど、母に似合いそうなものを見つけると、必ずストックしておいたものです。

 そして、母や叔母の送ってくれた娘の洋服などを娘に着せては、せっせと写真を撮って、小包に忍ばせておきました。

 母の方も、出かける時などは、それを身につけて、娘が送ってくれたのよ!と嬉しそうに、孫の写真とともに、自慢していたのだそうです。

 今では、母も亡くなって、日本に帰国するたびに、少しずつ、実家の片付けをしています。私が母に送った洋服やスカーフ、マフラーなどを見つけるたびに、その頃のことを思い出しています。

 そして、私が母に送った走り書きのような手紙や、娘の写真なども残らず、大切に、箱に収められてあり、胸が熱くなりました。

 私の方も、母が小包にしのばせてくれていた手紙は残らずとってあります。

 私と母の往復書簡ならぬ往復小包でしたが、それは、離れていても、お互いのことを思って、品物を選び、短い言葉を手紙にしたためていた、親子の大切な軌跡のようなものであったのだと、実家の片付けをしながら、しみじみと思うのであります。

 

2019年10月18日金曜日

フランスのベビーシッターと子供のお迎え



 パリに引っ越してくる前の数年は、私たちは、パリ郊外の街に住んでいました。

 子供が一歳になったと同時に仕事を始めた私は、クレッシュ(保育園)に子供を預けて働き始めましたが、仕事場がパリだった私も主人も、保育園が終わる時間に迎えに行く事が、なかなか厳しかったので、代わりに保育園に迎えに行ってもらって、私が戻るまで、預かっていてもらうベビーシッターさんを頼んでいました。

 安い私のお給料で、クレッシュにベビーシッターを頼むのは、かなりの出費でしたが、後々は、パリに引っ越すことにしていたので、それまでの間は、仕方ないと考えていました。

 ベビーシッターさんは、クレッシュに掲示してあった広告で、主人が探してきました。彼女は、小学生二人を持つモロッコ出身の主婦で、とても、快く、お迎えという仕事を引き受けてくれました。

 パリであれば、日本人の留学生の方などを探せたのでしょうが、パリ郊外ともなると、そういうわけにもいきません。

 それから、一年くらいは、彼女にお願いをしていたでしょうか? 

 しかし、慣れてくると、馴れ合いというか、甘いことを考え始めたりするのかもしれませんが、ある時、何をきっかけだったかは、忘れてしまいましたが、彼女が小学生の自分の子供にお迎えをさせていたことが、発覚し、今から思えば、小学生の子供に子供を渡してしまうクレッシュもどうかとも思うのですが、すでに、その子供も母親と共に娘のお迎えに付いて行ったりしていたことで、顔見知りになっていたのでしょう。

 とにかく、近所とはいえ、何かあった時に、当時、小学校低学年だった彼女の子供に対応できるとは、思えませんし、彼女の、その責任感のなさに憤慨した私たちは、急遽、他のベビーシッターさんにお願いすることにしたのでした。

 それから、一ヶ月間くらいでしょうか? やめてもらったベビーシッターさんから、夜中に嫌がらせの電話が鳴り止まず、娘に何か仕返し等をされても怖いと思い、警察に通報し、ようやく、嫌がらせの電話はおさまりました。

 しかし、後になって、今度は、我が家の方が、あの家庭は、子供を放置して、学校(幼稚園)にも行かせていないと、警察に通報され、児童保護担当の警察が我が家にやってきたこともありました。

 そんなことは、学校の出席状況を調べればすぐ分かることですし、お休みの日なども、彼女のお稽古事などで、私もびっちり彼女とずっと一緒にいましたので、証人もたくさんおり、まるっきり、問題にはなりませんでしたが、全く、面倒なことをしてくれる人がいるものだと思いましたが、(通報した人の名前は教えてもらえませんでしたが、)考えてみれば、彼女の嫌がらせの通報だったかもしれません。

 私の同僚にも子供を持ちながら、働いている人がほとんどで、そんな話を職場ですると、皆、色々と苦労話を聞かせてくれました。

 ある人は、子供が幼稚園に通っている頃、ベビーシッターさんに子供を預けていたところ、家に帰ってから、子供が鼻水を垂らしていて、風邪を引きかけてしまったようだったので、子供に、” 今日は、何をしていたの?” と聞いたところ、子供は、無邪気に、”シッターさんと一緒に郵便屋さんごっこをしたんだ!” と言ったのだそうです。

 最初は、何の疑問も感じずに子供との会話を続けていた彼女ですが、それがあまりに具体的で、おかしい??と感じはじめ、子供を問い詰めると、何と、チラシをポストに入れて歩く仕事を子供に手伝わせていたことが判明し、即刻、シッターさんを変えたとの事でした。

 まあ、シッターさんからしたら、子供と一緒にいたのだからいいだろうと考えたのかもしれませんが、倫理観の違いとでもいうのでしょうか? 他人事ながら、全く呆れた話で、ベビーシッターさん選びも、気をつけて、子供から出来るだけ、話を聞きださなければいけないと痛感したものです。

 パリに引っ越してからは、学校のエチュード(学校の授業が終わった後に宿題等を見てくれる時間)の時間の終わりには、何とかギリギリで間に合うようになったので、ベビーシッターさんは、雇わなくてもいいようになりましたが、仕事が終わるのがギリギリになってしまったり、途中のバスが渋滞して、遅れてしまったり、ハラハラ、ドキドキの毎日でした。

 フランス人は、時間を守らないくせに、学校が終わる時間だけは、きっちりしていて、時間に少しでも遅れてしまうと、おっかない顔をして、”セ・パ・ポッシブル!!(ありえない!)マダム!” などと怒られ、こんな時だけ、時間を守るフランス人を恨めしく思ったこともありました。

 私自身は、時間には、キッチリしている方ですが、パリの交通事情は、そんなに生易しいものではありません。

 遅れそうになって、メトロの駅のエスカレーターを駆け上がって、転んで、すぐには、立ち上がれずに、転んだ状態のまま、ズルズルとエレベーターで、上に辿り着いた時の恥ずかしさは、今でも忘れられません。

 パリでは、普通は、子供が小学校卒業までは、子供の送り迎えが求められます。

 その年齢までは、送り迎えが求められるということは、それだけ、危険に遭遇する可能性があるということなのです。

 生まれたばかりの頃は、早く、首が座ればいい、次は、歩けるようになったら・・トイレに行けるようになったら・・と、次々と子供の成長を願いますが、本当に大変だった子供の送り迎え。

 子供が一人で学校へ行って、帰って来れるようになったら・・と、どれだけ思ったことでしょうか?

 でも、今から思えば、必死で送り迎えをしていた頃が、大変だったけど、一番、子供との濃密な時間を過ごせた期間だったのかもしれません。









 




























2019年10月17日木曜日

便利な生活がもたらすもの フランスへの修行ツアーのススメ




 フランスに長く住んでいて、日本に一時帰国すると、忘れかけていた日本の生活の便利さ、快適さを身に染みて感じます。

 当たり前のように届く郵便物や配送品、銀行や郵便局などの手続きのスムーズさ、時間通りに来る電車やバスなどの交通機関、感じ良く、親切な接客、そして、いつでもどこでも簡単に手に入る日本食、日本食材。

 日本に一時帰国時に、ある程度のスケジュールを立てて、銀行などの複数の諸手続きに、午前中・・などと、つい、フランスの感じで時間を見積もっていると、あっという間に用事が済んで、自分自身、えっ??と、呆気に取られてしまうこともあります。

 また、スーパーのレジなどでも、これ、ちょっと傷んでいますから、取り替えましょうね・・などと、言ってもらえて、思わず、” うわ〜ん!!親切〜〜!!” と叫んでしまったこともあります。

 フランスのレジなどでは、下手をすると、持って行った野菜に、レジの人の方から、”これ、何という野菜?" などと聞かれるくらいですから、もう比較の対象にすらなりません。

 日本では、ちょっとでも、まごついたりしたら、” お待たせいたしました。失礼いたしました。申し訳ございませんでした。” 、別にそんなこと、いいのに・・と思うことにまで、すぐに謝られます。

 一方、フランスでは、待たせることなど、何とも思っていませんので、そんなことでは、絶対に謝らないし、それ以上のことでさえ、まず、謝りません。

 何かの工事を頼んでいたり、家に水道・電気などの点検が入るという通知があったりしても、なかなかの確率で、時間に大幅に遅れたり、すっぽかされたりします。

 人間、便利で楽な環境に慣れるのは、簡単で、あっという間です。
 そして、もっと便利に、もっと快適にと、更に、上のサービスを求めるようになります。

 日本は、世界基準でも、ちょっと類稀なる、サービスが享受できる国です。

 と、同時に、日本は、クレーム大国でもあるのです。

 ファストフードやチェーン店、コンビニなどの挨拶がマニュアル通りで、目が笑っていない・・とか、ちょっと前に、猛暑の最中に運転しながら水を飲むバスの運転手さんに対してまで、クレームが入ったとか・・。

 マニュアル通りだろうが何だろうが、ちゃんと挨拶しているのだし、猛暑の中でも、ちゃんときっちり運転してくれているのではありませんか?

 お客様は、神様で、神様の声への対応を求められ、神様は、まるで、世直しでもしているかのごとく、踏ん反り返る、恐ろしい悪循環です。

 フランスでは、頼んだ荷物が届くかどうかがまず、不確かなフランスに住んでいると、日本で、宅配便の配送をしている人が走っているのには、仰天してしまいます。

 フランスの、このサービスの悪さもどうかと思いますが、日本のもっともっと便利で快適なものを求め続ける果てのクレームの蔓延も異常です。

 フランスで暮らすようになって、当初は、いちいち、腹を立てていた私ですが、いくら腹を立てても、仕方ないので、予め、不測の事態に備える、ないものは、自分で作る!という姿勢にシフトチェンジしました。

 すんなり、事が運んだだけでも万々歳です。

 より便利で快適さを求める生活は、人間から忍耐力と寛容さを奪います。
 すぐに、キレて、すぐに、クレームです。

 そして、その生活を支えているサービスを提供している、走って配達をしている宅配便の配達をしている人たちがいるのです。

 私は、いっそのこと、日本のクレーマーを集めて、フランスでの不便な生活の体験ツアーをせめて、一ヶ月くらいでいいから、やってみたらどうかと思うのです。

 きっと、どれだけ、日本のサービスが優れて、ありがたいものかを実感として、感じる事ができるでしょう。

 


















2019年10月16日水曜日

男尊女卑 日本人が思いがちな、男性だから・・女性だから・・という感覚





 私が、フランスで育った娘と話をしていて、時々、スイッチが入ったように、娘が怒りを示すことがあります。

 それは、日本人によくある、「男性だから・・」、「女性だから・・」という観念が、話の中に見え隠れした時です。

 彼女の中のセンサーは、実にその観点に敏感に反応します。

 彼女が以前に見ていた日本のドラマで、猛烈に働く女性を描いたドラマがあったのですが、その主人公が仕事モードに入る時、” 男スイッチが入って、寝食を忘れて働き出す。" というナレーションが入るのですが、”なぜ、猛然と働くのは、男スイッチなのか?” というのです。

 確かに、そのナレーションには、社会で、猛烈に働くのは、男性であるというニュアンスが含まれているのかもしれません。

 私も、娘に言われるまで気がつかなかったのですが、娘に言わせてみれば、そのことを見過ごしてしまう時点で、それが当然のことと思って、そのことを受け入れている!というのです。

 また、彼女が高校まで通っていた学校で、私が、泣いている子を見たことがあるのは、男の子ばかりだ・・という話をした時も、それは、ママの中で、男が人前で泣くなんて・・という固定観念があるから、男の子が泣いている場面が、特に印象に残っているのだ・・女の子だって泣いていることはある!と言われたこともあります。

 確かに、「男だから・・」、「女だから・・」という観念は、私の中に存在しているのかもしれません。それは、日本の社会で育ってきた私だからか、また、時代背景もあるのかもしれません。

 主人などは、古い世代の人間なので、フランス人でも、「男たるものは、女性を守らなくてはならない・・」というような観念が、あるようなので、一概に、フランス人は・・と決めつけることもできません。

 それでも、私自身は、自分では、長く海外生活を送る中で、男だから、女だから、という考え方は、ずいぶんと日本で生活していた時に比べると、少なくなっていると思っているのです。

 いずれにせよ、フランスで育ち、教育を受けてきた、今の世代を生きている娘には、男尊女卑とまでは行かないまでも、日本の男性、女性に対する固定観念のようなものに、とても違和感を感じるようなのです。

 フランスでも、全てが、男女平等とは、言えないとは思いますが、少なくとも、専業主婦というものが少ないことからも、女性も社会に出て働き、家事も男女が、分担して行い、家族は、男女二人で築き上げるもの、そして、男だから・・女だから・・という考え方は、ナンセンスだという意識が彼女には、根付いています。

 先日、日本で発覚した医学部の女性受験者に対する点数の差し引き問題なども、彼女は、非常に厳しい目で見ています。

 そのようなことが、まかり通ってきた日本は歪んでいる・・と。

 彼女も、実際に社会に出れば、日本ほどではないにせよ、フランスでも、少なからず、女性に対するハンディに遭遇することがあると思います。

 しかし、現時点では、男性だから、女性だから、こうあらなければならないということを激しく拒否する彼女ですが、そもそも、男性と女性というものは、違う性別を持っているもので、男らしさとか、女らしさとかいうものを彼女は、どう捉えているのか? と、ふと思うのであります。

 別の観点ではありますが、私としては、男らしさや、女らしさも、人間としての魅力のひとつだと思うのですけどね・・。