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2019年7月16日火曜日

アメリカのものが嫌いなフランス人の夫




 海外生活が長かった夫は、英語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語、とほんの少しの日本語を話せる、フランス人にしては、外国に対して排他的なところは、比較的、少なく、わりと、寛容な方であるとは思うのです。

 好奇心旺盛で、アフリカにいた頃も、現地のスタッフの知り合いの村の村長さんの長寿を祝うお祭りに出かけたり、アグチとかいう現地の人が食べるというモグラのようなものを食べてみたりと異文化に対しては、果敢に挑んでいました。

 しかし、そんな彼も対アメリカとなると、姿勢がガラッと変わります。

 彼の年代より上の多くのフランス人のように、アメリカのものは、とかく避け、バカにする傾向があり、はたから見ても、しばしば、バカバカしいなあと思うのであります。

 例えば、マクドナルドを異常にバカにしています。

 本当は、ハンバーガーは、大好きなくせに・・・。

「あんな、手づかみで食べる食事なんて!!」 とめちゃくちゃなことを言い出します。

 フランスのバゲットのサンドイッチだって、手づかみで食べるではありませんか!!

 私だって、特にマクドナルドが好きなわけではないけれど、たまに、セットメニューを買うとコカコーラのグラスが付いてくる!なんていうキャンペーンがあったりすると、グラス欲しさにセットメニューを買ってきたりします。

 うちは、三人家族なので、一人除け者にするのも何だな・・と思って、一応、3人分、セットメニューを買って、グラスを3つもらいます。すると、誰よりも早く、美味しそうに平らげるのは、主人なのに、やっぱり、「マクドナルドは、嫌いだ! 美味しいよ!でも美味しいけど、食事としては、ナンセンスだ!」などと言い張るのです。

 その他には、コカコーラとケチャップとマヨネーズとポップコーンを異常に敵対視しています。まったく、無理矢理なこじつけが子供じみています。

 しかし、これらも主人には、アメリカを象徴するような、食べ物に映るらしいのです。

 彼の場合、ケチャップとマヨネーズの代わりは、フランスご自慢のマスタードが担っています。アメリカ人がとかく、何にでもケチャップやマヨネーズをつけるように、何にでもマスタードをつけて食べます。

 私は、フランス人がアメリカを認めつつも、嫌うのは、ジェラシーに他ならないと思っているのですが、それは、同時に、伝統や歴史を大切にしているフランスへの愛情の裏返しのようなものだと思っているのです。

 つまり、彼は、フランスが大好きな愛国心あふれるフランス人ということなのです。















2019年7月11日木曜日

夏の一時帰国時の日本の学校への編入体験 バイリンガル教育の生体験







 私は、娘が生まれた時から、いや、生まれる前から、娘にパパの母国語であるフランス語と私の母国語である日本語をしっかりと話せる人になってほしいと思っていました。

 ですから、娘が生まれてから、すぐにフランスに引っ越して、いよいよ、娘の母国語の基盤は、フランス語となっていきましたが、私は、娘には、常に日本語で話し、”ママは、日本語しか話しません。” を通してきました。

 また、単に会話だけではなく、読み書きもきちんとできるように、日本語を学ぶことが億劫に感じないように、フランス語の読み書きを学校で習い始める前に、日本語の読み書きも教え始めました。

 だいたい、フランスに普通に暮らしている分には、日本語は必要ないわけですから、娘が日本語なんて、いらない!と思わないように、先手先手を打っていきました。

 小学校就学の学年になると、日本国籍を持っている子供は、義務教育の間の9年間は、予め申し込みをしておけば、日本の教科書を無料でもらうことができます。一年に2回、(教科書の上巻と下巻)9年間に亘って、大使館に受け取りに行っていました。

 これは、日本のすごいところです。一体、世界中のどのくらいの国がこのような、教科書の無料配布を海外在住者にも行っているでしょうか?

 さて、話は、小学校の編入体験についてに戻ります。
手続きは、簡単でした。通わせたい学校(私の場合は、実家の学区域内の近所の小学校でした)の教頭先生に、予め、連絡をとり、子供の名前、年齢、学年、住んでいる国、言語、通わせたい期間等の連絡をします。

 当日、学校へ行って、所定の用紙に書き込みをしたり、登校する日にち分の給食費を支払い、登下校時に着用が義務付けられている帽子と防犯ブザーを買い、準備は、ほぼ完了。教科書などは、フランスで頂いていた教科書とは、違うものだったので、その期間だけ、学校から貸していただきました。

 私は、先生との打ち合わせの中で、フランスの学校にはない、給食係や、掃除当番などもお客様扱いはせずに、やらせてほしいとお願いしました。些細なことではありますが、給食係や掃除当番などの仕事は、フランスの学校にはなく、(フランスでは、給食は、キャンティーンの仕事をする大人が、また、お掃除は、お掃除の仕事をする大人がやるので、生徒は一切関わることがありません)これも、日本の文化の一つだと思ったからです。

 それは、ほんのわずかなことですが、後になって、たとえ、外からでも日本人を見るときに、日本人がこのように教育されて育ってきている人たちなのだということが何か一つのヒントとして、わずかでも、娘の中に刻まれていればと思ったのです。

 実際に、教頭先生も最初から、とても、好意的、良心的で、最初にお話をした時も、快く、受け入れてくださり、逆に、”フランスですか〜 フランス語かあ〜 英語ができる教師はいるんですが・・”と、あくまで、寄り添ってくださる姿勢で、こちらの方が恐縮し、”  日本語は、話せますから、大丈夫です。日本語での生活を同世代の子供たちと経験するために、お願いするのですから・・全て、日本語でお願いします。”とお話ししたのでした。

 実際の学校生活では、日本語で困ることは、なかったようですが、近所の同じ学校に通う子供が一緒に登校してくれたり、クラス内で、”ボンジュール!”という挨拶が流行ったりと、クラスのみんなも半分フランス人の娘が珍しいのもあってか、ともに楽しい時間を過ごしてくれたようです。

 こうして、娘は、日本の同学年の子供たちが、どんな風に学校生活を送っているのか、名前を苗字で呼び合うことや、給食や体育の着替えや授業までを全て同じ教室でやることなど、フランスではない生活を日本語で身をもって体験させていただいたのでした。

 そこから、彼女の中に何が残ったのかは、わかりませんが、違う国の学校を体験することなんて、そうそうできるものではありません。夏の間にお子さんを連れて、日本に帰るご予定の皆さま、ぜひ、体験させてあげては、いかがですか?

 その年頃にしか、できない、貴重な経験となると思います。