2020年1月31日金曜日

私はウィルスではない フランスでのアジア人差別




 世界中を騒がせている、新型コロナウィルスの広がりにより、ヨーロッパで、最初に感染者が確認されたフランスでは、中国人だけには、留まらずに、アジア系住民に対する人種差別が問題となっています。

 アジア系の人間だとわかると、すーっと周囲の人が遠ざかったり、酷いものでは、罵声を浴びせられ、メトロから降ろされたりするケースもあると言います。

 街中で、遠巻きに、「コロナウィルスが来た!」と騒がれたりしたという人もいます。

 もちろん、まだ、正体も定かではない未知の病気に感染したくないという恐怖が引き金にはなっていますが、私は、もともと、フランス人の中には、アジア系の人間に対する差別意識が、潜在しているものだと思っています。

 そもそも、フランス人にとって、アジアの細かい国は、十把一絡げなところがあります。

 例えば、日本という国も、最近、注目されつつあり、人気は急上昇しているとはいえ、一般的には、日本人が思うよりもずっと、フランス人は、日本のことを知りません。

 だからこそ、日本人も中国人も、その他のアジア諸国も、同じように扱われがちです。

 そもそも、日頃から、除菌に精を出し、ウォシュレットを使用し、マスクをして歩く、日本人の衛生観念は、世界的にもトップレベルであり、フランスの汚いトイレ事情などから比べると、天と地ほどの差があると思われるのですが、我が身を省みずに、アジアを一括りにして、アジア人全体を差別する彼らには、日本人を中国人と区別するようには、コミットできません。

 日頃、パリを訪れる日本人観光客が街中で、マスクをしているのを奇妙な気持ちで眺めているフランス人には、度々、「日本人は、なぜ、マスクをしているのか?」と尋ねられることもしばしばです。

 逆に言えば、「マスクをしているのは、日本人だ・・。」という風には、思っているらしいところもあります。

 そもそも、フランス人は、外国人に対して排他的なところがあり、逆に言えば、フランスを愛するあまりに、他を蔑視するようなところがあります。そういう意味では、フランス人は、差別体質の部分を持っているとも言えるかもしれません。

 ごくごく平和な日常には、表面化はしにくい差別問題ですが、今回のコロナウィルスの騒ぎには、自分たちの健康が脅かされる危機的感情もあり、このところ、表面化してきているのです。

 とあるアジア人女性が、SNS上で、差別被害を訴え、ハッシュタグを付けて、「#私はウィルスではない」(#JeNeSuisPasUnVirus)を発信して、アジア人差別問題を投げかけ、広まりを見せています。

 アジア人を見かけて、「コロナウィルスが来た!」などと騒ぎ立てるなど、今どき、小学生でもやらないようなレベルのことで、そもそも差別というものは、人を尊重することができない思いやりのない、幼稚な言動であることを理論好きな彼らは、どう考えているのか、知りたいところです。

 考えてみると、フランス人は、理屈をこねまわすわりには、論理的ではなく、とかく感情的で幼稚。差別されていると思うと、こんな風にフランス人の悪口も言いたくなるのです。

 














 

2020年1月30日木曜日

パリでのクレーマーがヤバい奴になるまで


 彼女は、とても、几帳面な人で、コツコツと地味な努力を重ねる人でした。

 最初から、あまり、明るい印象は、なかったのですが、パリでの生活も私よりも長く、時たま、娘に手作りのアクセサリーを作ってくれたり、親切で、面倒見が良いところもありましたが、私よりもかなり年長でもあり、さほど親しくなることもなく、顔を合わせれば、時折、話をする程度の関係以上に踏み込むことはありませんでした。

 彼女のご主人は、日本人のシェフで、フランスでレストランをやっていたらしいのですが、日本でお店をオープンすることになり、ご主人は、日本へ帰国、お子さんたちの希望で、彼女と子供たちは、パリに残りました。

 ところが、日本に帰ったご主人に女性ができて、結局、離婚。彼女は、パリで一人、三人の子供を育てていました。

 ただでさえ、世知辛い、トラブルの多いパリでの生活ですから、何か起これば、黙っていられないのは、パリで生活する人なら、仕方のないことで、ましてや、一人で子供三人を抱えての生活は、さぞかし、気が張り詰めたものであったのだろうと思います。

 私自身もパリに住むようになってから、随分とハッキリと物事を言うようになったことも確かです。

 しかし、彼女には、元来、明朗なイメージがなかったせいもあってか、どこか、彼女の文句? の付け方は、陰湿に感じられ、しかも、あまりに細部にわたるもので、それをいちいち、自慢げに、周りに報告するので、ちょっと、これは、ヤバい奴なのかも?? と、遠巻きに眺めていました。

 次第に、彼女のクレームは、スーパーで買った品物を製品を出している会社に送りつけたり、あたりのお店やレストランなどの店員の接客の態度などにまで及ぶようになっていきました。

 ハッキリ言って、パリのお店など、そんなに細かいことにいちいち目くじらを立てていては、あまりにツッコミどころがありすぎるのです。

 そして、最も、怖かったのは、会社で上司などに、何か言われたり、理不尽と思われる出来事があるたびに、○年○月○日○時、○○と言われた・・などと全部、記録し、出勤簿などもコピーをとって、きっちりと保管し続けていたことです。

 まあ、正当な自己防衛といえば、そうなのですが、会社の場合、その場では、ほとんど、怒りを発することはなく、ひたすら、恨みを募らせながら、記録をしたためている様子は、やはり、ちょっと、そら恐ろしい感じでした。

 やがて、彼女が退職した後、彼女の会社に対する攻撃が始まったのです。
彼女は、会社を訴えたのです。

 フランスの労働法は、基本、労働者を保護する立場をとるので、ある程度、根拠のある裁判ならば、労働者側が強いのです。彼女は、長年の恨みをその日のために、几帳面に記録を取りながら、着々と準備を進めてきたのです。

 果たして、彼女は、勝訴し、大金を得ました。

 彼女が恨みを募らせながら、記録し続けた様子を遠くから、眺めていましたので、彼女の執念と努力が勝訴を勝ち取ったとは、思いますが、傍目にも、後味が悪く、あちこちに恨みつらみを抱き続ける彼女の生活に疑問を抱かずには、いられませんでした。

 彼女は、きっと、行きつけの店では、ブラックリストに載っていて、彼女が行くと、「ヤバい奴が来た!」と言われているに違いありません。

 トラブル満載のパリでも、言うことは言いつつも、決して、「ヤバい奴」には、ならないようにと、改めて、思い知らされる彼女の生きようでした。

 

 

 










2020年1月29日水曜日

実践よりも、まず、理論のフランスの教育




 私が日本の小学生だった、はるか昔でさえ、区立の小学校でも、学校の音楽室には、一人一台のオルガンがあり、その他の楽器も色々ありました。

 音楽の授業では、楽器を分担して合奏をしたり、皆で歌を歌ったり、文字通り、音を楽しむ授業で、私は、音楽の授業は、半分、遊びのような楽しいものでした。

 それに比べると、フランスの学校の音楽の授業では、オルガンはおろか、楽器を演奏する機会は、ほとんどなく、授業は、いわゆるクラッシック曲の歴史や作曲家、その時代背景に関する、いわゆるアナリゼと言われる、理論的なことを学ぶ授業が主で、娘は、音楽の授業は、まるで、楽しくないと言っていました。

 専門的に音楽を学ぶ人には、アナリゼも必要だと思いますが、普通の小学生には、退屈なことに違いありません。

 また、驚いたのは、娘がバカロレア(高校卒業資格試験)の際にオプションでとった水泳の試験です。

 これがまた、複雑怪奇なシステムで、ただ、早く泳げば良いというわけではなく、(早いに越したことはないのですが・・・)一定の距離を、自分で、定めたタイムに出来るだけ、近いタイムで泳ぐという、意味不明なもので、(無駄に難解にしているところが、フランスっぽい)しかも、水泳の試験には、面接・口頭試験まであり、フランスの水泳の歴史などを答えなければならないのです。

 また、筆記試験においても、フランスでは、論文形式のものが多く、非常に受験にも採点にも時間と手間暇がかかる難解なものです。

 高校生になると、これらの口頭試験や論文での試験に向けての準備の授業が長期間に渡って組み込まれています。

 本来ならば、あまり、頭を使わずにすむ、体育や音楽の授業や試験でさえ、これですから、フランス人がいちいち、理屈をこね回すのもわかるような気がします。

 とりあえず、黙っていない、たとえ、自分が充分な仕事をしていなかったり、自分に非があろうとも、微妙に理論をすり替えながら、自分の理屈をとうとうと述べるフランス人に、「まず、やることやってから言えっつーの!」 とか、「話をすり替えてんじゃねーよ!」と、私が感じるのには、彼らの受けてきた教育が背景にあることを思い知らされるのです。

 








2020年1月28日火曜日

決死のお迎えで、ある日、気付いたこと・・フランス人は、走らない






 フランスでは、小学生の間は、送り迎えをするのが普通です。小学校低学年のお迎えは、必須ですが、高学年になれば、保護者が承諾している場合は、一人で通学できることになってはいます。しかし、実際には、ほとんどの人は、小学校卒業までは、送り迎えをしています。

 日本ならば、子供が小学校に上がった時点で、親は一段階、子供の送り迎えがいらなくなって、手が離れる感があると思います。

 私立の小学校に通う小学生が、制服を着て、ランドセルを背負って、電車やバスに一人で乗っている姿は、今、思うに、日本独特の光景なのではないかと思います。

 日本の感覚であれば、娘の小学校は、充分に、彼女が一人で通学できる距離ではあったのですが、やはり、皆が送り迎えをするのは、それだけの理由があるのだと思い、もし、何か起こってしまったら、後悔してもしきれないと思い、小学校卒業までは、送り迎えを続けたのでした。

 朝は、主人が娘を送って行ってくれましたが、お迎えは、私がしていました。

 仕事が終わって、お迎えに行くのは、本当に決死の覚悟で、業務終了後、お迎えの時間までは、ギリギリで、少しでも仕事が立て込んで、会社を出るのが遅れてしまったり、メトロがテクニカルプロブレム・・とかで、途中で止まってしまうことも少なくありません。その場合は、スゴい勢いで、走ることになるのです。

 ものすごい勢いで駅を駆け抜け、エスカレーターを駆け上り、エスカレーターの途中で、転んで、無様な格好のままで、上に辿り着いたこともありました。

 自分たちは、時間にルーズなくせに、学校のお迎えの時間だけは、やたらときっちりで、遅れてゼイゼイしながら行くと、怖い顔をした、子供の受け渡しをしている先生に、「C'est pas possible ! Madame ! (セ・パ・ポッスィーブル・マダム!ありえない!)と怒られるのです。

 元来、私は、日本人であり、時間には、かなり、きっちりしている方で、交通機関のトラブルを考えて、出勤の際には、かなり余裕を持って出かけているので、長年、パリで働いていて、一度も遅刻したことは、ありません。

 しかし、お迎えの場合は、出られる時間がギリギリのために、トラブルが起これば、もう決死の覚悟で、ひたすら、走るしかないのです。

 でも、ある日、私は、そういえば、駅でも、街中でも、走っている人を見かけたことがないことに気付いたのです。

 例えば、朝など、みんな出勤時間が決まっているだろうに、メトロが度々止まって、しばらくメトロの中でカンヅメになっても、慣れていることもあり、みんな携帯で会社に連絡を入れるだけで、誰も急ぎません。

 駅では、メトロの遅延証明書を発行してくれますが、そんなものをもらおうと長蛇の列を並んでいれば、さらに遅くなるわけです。

 私は、時間に遅れないように、ひたすら、急いで、走るのです。

 そういえば、主人が駅まで車で迎えに来てくれたりした時も、車を見つけて、駆け寄って行こうとする私を見つけた、車の中にいる主人は、手のひらを広げて、下に向けておろし、「ゆっくり、ゆっくり、走らないで・・」と、合図するのです。

 フランス人にとって、急いで走ったりすることは、はしたないことだと思っているところがあります。

 年間10万本以上を運行する東海道新幹線の年間平均遅延時間が50秒を超えたことをJRが謝罪したことで、話題になったことがありましたが、これは、フランスに住む人間からしたら、嫌味としか思えない謝罪です。

 宅急便のお兄さんでさえ、走って配達をする日本。

 そんな日本を、さぞかし息苦しいだろうと思いつつも、未だに、その部分を引きずっている私は、何があっても急がず、走らないフランス人を少し、うらめしく思いつつ、遅れそうになれば、ついつい走ってしまうのです。

 









 

2020年1月27日月曜日

エステルのパパの浮気





 「エステルのパパ、帰ってきたんだって!!」と娘から聞いて、私もびっくりしました。エステルは、娘の高校までの同級生の女の子で、フランス人にしては、おっとりとした、わりと裕福な家のお嬢さんなのです。

 フランス人の家庭に多い、三人兄弟の長女で、若い頃は、モデルさんをしていたというスタイル抜群で美しいママは、今は、バリバリに、フランスの大手企業で管理職についています。才色兼備のパーフェクトウーマンで、どちらかというと、パパの方が冴えない感じでした。

 エステルの家では、小さい子供のベビーシッターを雇っていましたが、お料理は、パパがやるの・・と言っていたし、フットワーク軽く、子供の送り迎えなどもしていて、さぞかし、優しく、家庭的なパパなんだろうと思っていました。

 それが、どうも、見かけによらず、エステルのパパは、浮気ぐせがあり、「女の人ができて、家を出て行ってしまった・・」と最初に聞いた時には、びっくり!!家を出て行ったのか、浮気が見つかって、追い出されたのかは、定かではありませんが、とにかく、家からいなくなっていたのです。

 ほとぼりが冷めて、その時は、わりとすぐに帰ってきたパパですが、それから、一年くらいして、また、再び、女の人ができて、今度は、本格的に他にアパートを借りて出て行ったというのですから、周囲も子供たちも、当然、今度ばかりは、離婚するだろうと思っていたのです。

 それにしても、浮気するにも相手がいることで、他人事の私は、「意外にもエステルのパパは、モテるんだな・・、外の女性にもマメなんだな・・」などと、思っていました。

 フランス人の離婚は、多いので、周りにも、母子家庭は、少なくなく、子供たちも、度々、浮気するパパには、愛想をつかして、もう、パパとママは、離婚するものと、わりと、あっさりと腹をくくっていたようです。

 夏には、娘は、エステルや他の友人とともに旅行に3週間ほど旅行に出て、パリに帰ってくると、なんと、「パパが帰ってきていた!」と、またまた、びっくり!!

 あんなパーフェクトウーマンのママが、度々のパパの浮気をなぜ許すのか? 子供たちも理解不能なようでしたが、そこは、ママが許せば、パパが戻ってくることも、黙認するしかありません。

 とかく、フランスでは、離婚の話をよく聞くのですが、懲りずに、再婚するという話もよく聞きます。

 離婚は、せずに、家を出たり入ったりというこのケース。

 なかなか、タフな人たちです。

 












2020年1月26日日曜日

フランスの学校の飛び級と落第






 娘が小学生の頃、主人は、度々、娘に飛び級をさせたいと言い出して、その度に私は、反対して主人を止めました。

 飛び級というのは、成績が優秀で、一般的に定められている学年を飛び越して進級することで、フランスでは、学校と相談して、IQテストの結果や日常の学校の成績などを参考にして、希望する生徒は、飛び級をすることができるようになっています。

 現に、娘の友人で、飛び級をしてきた子がクラスに何人かいましたので、彼らは、実際には、娘より一つ年下だったわけです。

 また、希望者には、飛び級をさせてくれると同時に、落第の方も容赦なく、成績が芳しくない場合は、同じ学年を再びやることになります。

 実際に、娘の口から、あの子は、ソテ(sauter la classe 飛び級)してきている子だとか、あの子は、ルドゥーブレ(redoubler la classe 落第)しちゃったとか、わりと良く聞くことがあったので、飛び級や落第は、小学校の時点から、そんなに珍しいことではありませんでした。

 主人は、娘の成績がわりと良かったこともあり、やたらと飛び級をさせたがりましたが、娘が学校の授業が簡単すぎて、退屈すぎるほどに優秀とも思わなかったし、何もそんなに急がなくとも、勉強だけでなく、その年齢にできる、一見、無駄と思えるようなことをするのも必要だと思っていたので、私は、頑なに反対しました。

 「一体、どうして、そんなに、飛び級をさせたいの?」と、主人を問い詰めると、彼からは、信じられない答えが帰ってきました。

 「落第したときのために、飛び級できる時にさせておいたほうが良い。」と。

 はっきり言って、私は、主人が娘に過大な期待をしすぎているのではと心配していたのですが、彼の回答は、私にとっては、あまりにズッコケたものでした。

 落第するのは、その必要があるからするわけで、そこで、一年、余計に時間がかかろうと、構わないと、私は、思うのです。

 その落第したときのために、本来、娘が過ごすはずの学年で体験できるはずのことを一年飛び越えてしまうなど、あまりにナンセンスで、即、却下しました。

 娘の成績の良し悪しに関して、ほとんど、私は、口出しすることはありませんでしたが、一応、年度末には、「進級できる?」とだけ、娘に確認していました。

 娘の方もまた、傍若無人というか、自信過剰なところがあり、「私が進級できなかったら、進級できる人は、誰もいない・・」などと、のたまい、でも、「もし?落第したら、どうする?」と聞く私に、「一度、やったことだから、簡単で楽でいいかな?」と、まさかの余裕の発言。

 飛び級も落第も、親が思うほどには、重大事でもなさそうでした。

 結局、娘は、小・中・高と、飛び級も、落第もすることなく、終わりました。

 長い人生のうちで、一年早く行こうが、遅く行こうが、大差はないと、私は、思っているのですが、落第したときのために、飛び級をさせたいと言った、主人のセコさが、私としては、気になったのです。

 















2020年1月25日土曜日

娘の日本語教育と赤ちゃん言葉




 娘は、アフリカで産まれて、三ヶ月ほどで、主人の転勤で、フランスに引っ越して来て以来、ずっと、フランスで育ってきました。

 私にとっても、初めての子育てで、赤ちゃんというものを触ったこともなかった私にとっては、手探りの子育てで、抱っこして、ミルクをあげるだけでも、今になって写真を見ると、私が娘にミルクを飲ませている写真は、かなり、どことなく、ぎこちなく、ミルクを飲む娘の方が苦労したのではないかと思われるような有様でした。

 産まれたばかりの頃は、早く、首が座ってくれれば・・、座れるようになってくれれば・・、と、成長を見守っていましたが、ハイハイを始めたと思ったら、後ろにしか進まなかったり、髪の毛がのびなかったり、歯がなかなか生えてこなかったりしましたが、私は、まあ、髪の毛も歯も、そのうち、生えてくるだろうと、大して心配することもなく、悠々と構えていました。

 それよりも、私の頭を占めていたのは、娘になんとか、日本語を教えることでした。

 私以外は、日本語を話す人間のいない、圧倒的にフランス語の環境で、私は、ひたすら、娘には、日本語で話しかけ、日本語の絵本を読み、日本語のテレビを見せて過ごしました。

 私は、娘が一歳になった頃、まだ、娘がフランス語も日本語も発しない段階で、フルタイムで仕事を始めてしまったので、預ける保育園も、もちろん、フランス語で、私と過ごす時間=娘が日本語に触れる時間は、ますますもって1日のうちの、ごくごく限られた時間になってしまったため、余計に、日本語を教えることに一生懸命になり、正しい日本語を話すようにしていました。

 ですから、まだ、幼い娘に対しても、赤ちゃん言葉で話すことはせず、「あなたは、どうしたいの?」、「あなたと一緒に行きましょう。」など、主語は、「あなた」と「私」で通し、できるだけ、娘とは、きれいな日本語で話すことを心がけました。

 何しろ、日本語のサンプルは、私だけなのですから責任重大です。

 もともと、私は、赤ちゃん言葉というものがあまり好きではなく、子供とも普通に話すのが良いと思っていましたし、フランス語にも赤ちゃん言葉がないわけではないのですが、比較的、フランスでは、子供に対しても、同等に話をする傾向にあり、主人も娘に対して、フランス語でも、赤ちゃん言葉を使うことはありませんでした。

 娘が初めて日本へ行って、大勢の日本人と話す機会を持ったのは、娘が2歳の時でしたので、その頃は、年相応の日本語での意思の疎通は、できるようになっていましたし、多少のアクセントはあるものの、日本語で会話をすることもできるようになっていました。

 ところが、いつも、私としか、話していなかった娘は、相手に対しては、誰にでも「あなた」を使って話す、なんとも、こまっしゃくれた感じで、「あなた」「あなた」の大連発。

 また、娘が、いっぺんで気に入ってしまった、私の叔母が自分の家に帰ろうとした時には、「あなたといたい・・」と、うるうるとした目で訴え、妙な哀願の仕方に思わず叔母もドッキリ、ドギマギ。

 普段は、意識もせずに使っている日本語、「あなた」という言葉も、使い方によっては、上からの物言いのような感じになり、また、妙な色っぽさを感じさせる、微妙な言葉であるということを思い知らされたのです。

 こういう時には、〇〇ちゃんとか、名前や、おねえさんと呼ぶのよ・・と教えましたが、やはり、一対一だけの会話では、気付かなかった言葉のバリエーションを私自身も改めて思い知らされたのです。