2019年10月31日木曜日

涙もろいパパのギャップと夫婦の距離



 主人は、ガタイが良くて、どちらかというと、いかつくて、チョット見は、怖い感じさえするのですが、実は、すごく感情が豊かで、情に厚いというか、もろいところがあります。

 ホームレスなどが、路上で座り込んでいたりすると、黙って、通り過ぎることはできずに、自分があまり、お金を持っていないときでも、必ず、お金を渡してきたりするのです。

 感情表現が豊かなのですが、気難しいところもあり、一見、とても社交的なのですが、常に周りの誰とでもワイワイするようなことは、好きではなく、職場のお昼時なども、みんなで揃って食事に行ったりするのは、嫌いで、キャンティーンなども大勢で込み合う時間帯は、避けて、一人、新聞を片手に食事をしているらしいのです。

 家では、夕食後などは、テレビの前で、小さい娘を横にはべらせて、娘に番組を解説したりしながら、くつろぎ、サッカーはあまり好きではないと言いつつ、W杯などがあったりする際には、アパート中、響き渡るような声で、応援に興じます。

 でも、普段は、とても厳しいパパで、怒ると、声も大きく、とても怖いのですが、甘いところは、メロメロに甘いパパなのです。

 娘がまだ、小さかった頃に、おもちゃのキーボードで、初めて、かえるのうたを弾いた時には、感激して泣いてしまったほどです。

 いつだったか、主人の誕生日に、家の近くにあるフランスの俳優さんが自ら経営している、こじんまりとしたレストランに私が招待して、私がお店の人に今日は、主人の誕生日なんですと何気に話したら、お店の人がサプライズで、バースデイソングとともに、食事の最後にデザートのケーキにろうそくを立てて、サービスしてくれた時も、主人の目は、みるみる、うるうるして、真っ赤になっていました。

 そんな風に、とても愛に溢れた人ですが、同時に家庭の中でも、たまに、真夜中のひとときに、一人でいたい時間というものがあり、その時間を侵されることをとても嫌います。

 また、逆に、私自身が、たまに、真夜中の時間を一人で、考え事をしていたりする時間に決して、割り込んできたりすることもありません。

 家族をとても、愛おしみつつ、お互いが、一人の時間を侵さず、侵されない、そのあたりの、ギャップと距離感が、私には、とても心地よいのです。



 

 

 












 

2019年10月30日水曜日

パリに住む変な日本人




 パリに住んでいると、たまに、「変だな〜〜?」「何で? 」と思う日本人に会うことがあります。

 相手が日本人だとわかっているだろうに、頑なに、フランス語で推し通して、話し続ける日本人です。フランスで生まれ育って、日本語が話せないというのなら、まだしも、明らかにネイティブのフランス語ではないのです。

 一緒にフランス人がいる場合とか、周りの人にもわかるようにというシチュエーションならばわかりますが、一対一の場合は、意味がわかりません。

 せっかく、異国の地で、同じ、日本人同士なのに、なぜ、日本語を話すことを嫌うのか、そういう人に出会うと、(例えば、お店などで買い物をする場合など)一応、フランス語で要件を済ませるのですが、後には、妙なモヤモヤした気持ちが残ります。

 最近は、減りましたが、メトロの中などで、目があったりして、相手が日本人だとわかると睨みつけるような日本人もいます。

 フランス人は、一見、感じ悪くて、冷たい印象を受けることもありますが、メトロなどで、偶然、目があったりすることがあれば、たとえ、知らない人でも、ニッコリとしてくれます。

 それなのに、なぜ、同じ日本人を敵対視するような態度を取るのか、わかりません。

 これは、あくまでも、私の推測ですが、そういう人は、きっとプライドが高く、「パリに住む自分像」を頑なに持っているのではないかと思うのです。その自分像に、日本人は、邪魔な存在なのかもしれません。

 また、これは、その人の置かれた状況や教育に対する考え方などによる場合もあるかもしれないので、一概に否定はできませんが、一対一でも、自分の子供と変なフランス語で話している日本人のお母さんです。

 これは、意外と少なくないのにも驚きます。

 公文などに、日本語を習わせに来ているお母さんの中にもそういう人は、いるのです。日本語を学ばせようとしているにも関わらず、子供とは、変なフランス語で話す。まずは、お母さんと日本語を話すことでしょ!と思うのです。

 これでは、もう、公文は、ただのポーズのような、お稽古事でしかありえず、お母さんが子供と日本語を話すということをしなければ、日本語を話す機会は、ごくごく限られてしまうのです。

 子供が大きくなって、日本語が話せなくなってしまった場合は、もう、仕方がないことなのかもしれませんが、まだ、小さい自分の子供相手に、日本語で話すことを捨ててしまっているのは、私には、理解し難いことです。

 自分がフランス語を習得するために、フランス語を話そうとしていると、考えられないこともないのですが、まずは、子供が先でしょ!と思ってしまうのです。

 周囲が皆、フランス語を話しているときに、日本語を話せと言っているわけではありません。せめて、子供と一対一でいる時くらい、子供が身近に日本語に触れる機会を作ってあげたらいいのに・・と思うのです。

 私は、他のブログでも、さんざん、書いてきましたが、子供が日本語を話せなくなるということは、日本にいる自分の家族ともコミニュケーションが取れなくなるということなのです。

 小さい頃は、それでも、日本へ行っても、可愛い〜可愛い〜で済んでしまうから、良いかもしれませんが、大きくなるに連れて、会話が成立しなければ、関係を繋げて行くことは、困難になっていきます。

 日本語を捨てるということは、その子供の将来の日本の家族、日本との繋がりを切ってしまうことにもなりかねないのです。

 ここに挙げた二つの例に共通することは、日本人でありながら、日本語、そして、日本を捨ててしまっている、捨てようとしているということです。

 私が、感じる違和感は、そこだったのだと改めて感じています。














 

2019年10月29日火曜日

日本人とフランス人の子供との話し方の違い




 娘を初めて、日本に連れて行ったのは、娘が2歳になったばかりの時でした。

 久しぶりの日本行きで、一番、妙に感じたのは、日本人の女性が子供に話しかける時の、極端に高い声のトーンでした。

 特に、日本の航空会社のCAさんなどは、その最たるものです。

 日本にいた頃は、私には、まだ、子供がいなかったので、そんなことを、特に気に留めたこともなかったのですが、子供ができて、初めての里帰り、パリから、日本行きの飛行機に乗った時に、初めて、気付いたのです。

 CAさんが高い声のトーンで、「○○ちゃ〜ん!」と、娘に話しかける時、声も高ければ、テンションまで高いような感じで、なんだか2歳の娘の方が低い声で落ち着いているかのように感じたほどです。

 シートベルトのサインが出た時などは、「○○ちゃ〜ん!ちゃんとお座りしててね!」という、CAさんに、しらっと、娘が、「あなたもね!」と返した時には、なんだかな〜〜?? と、苦笑してしまいました。

 日本の育児書などには、子供には、赤ちゃん言葉で語りかけた方が、子供の語彙力がより、発達する。」などと、書かれているものもあるようですが、子育ての最初をフランスで始めてしまった私には、日本人の子供との話し方にとても違和感を感じてしまったのです。

 フランスでは、ある程度の赤ちゃん言葉は、あるものの、大人が子供に対して、猫なで声を出して、話すことは、あまり、ありません。

 特に他人の子供に対してならば、なおさらのことです。

 同じ、航空会社で比較するなら、一般的なサービスの良し悪しは、別として、フランスの航空会社のCAさんは、決して、子供に高いトーンで話したりすることは、ありません。

 大人と同じように、普通に話します。

 妙に、子供扱いしないというか、大人は、子供に対しても、対等な姿勢で話をします。

 なんだか、冷たいような印象を受けるかもしれませんが、猫なで声を出して、子供扱いをすることが、愛情表現ではないように思うのです。

 フランス人だって、子供に対しても、テンションが高い時もありますが、それは、あくまで、同等にテンションの高い時であって、子供に対してだからということではなく、一緒に感情を分かち合うということで、決して、一方通行ではない気がするのです。

 娘が大きくなった今でも、飛行機の中で、声のトーンをあげて、子供に話しかけている日本の航空会社のCAさんを見かけると、なんとなく、普通に話せないのかな?と思ってしまいます。

 そして、CAさんに、「○○ちゃ〜ん!お座りしててね〜!」と言われて、しらっと「あなたもお座りね!」と冷静に言っていた娘の姿を思い出します。

 もちろん、愛情を持って、子供に接してくださっているのは、わかるのですが、私は、どうにも苦手なのです。

 あの頭のてっぺんから出すような声で子供に話しかけている様子が・・・。

 









2019年10月28日月曜日

フランス人の夫との離婚の危機




 思い出というものは、嫌なことは、どんどん忘れて、楽しかったことばかり、覚えている私ですが、そういえば、私も、もう、主人とは、別れて、日本に帰ろうと思ったことがありました。

 アフリカからフランスへ転勤になり、海外では、外交官生活を送っていた主人が、その外交官生活を終え、フランスの財務省に戻った頃のことでした。

 主人は、まだまだ、海外生活を続けるつもりで、頑張って、仕事をしていたのですが、突如、フランスに転勤ということになり、フランスに戻って、しばらくは、うつ病のようになってしまった頃のことです。

 あの頃は、すべてがうまく行かずに、アパートもなかなか見つからず、親戚の持っていたアパートに仮住まいをし、娘の出生証明書は、アフリカで、発行してもらったものの、出生証明書に不備があったり、国籍の再申請をしたり、私のビザの手続きなどなど、すんなり進まない手続きに、気を揉みながら、なすすべもなく、ひたすら、時間のかかる手続きを待ちながら、毎日を過ごしていました。

 娘は、生まれて3ヵ月でパリにやってきましたので、まだ、ほんの赤ちゃんでした。

 何と言っても、私が一番、困ったのは、主人の鬱状態と、情緒不安定な生活でした。

 転勤先の仕事にも、行ったり行かなかったり、二人でさんざん話し合っても、やはり、主人の状態は、なかなか、好転せず、気分が上向きの時は、良いのですが、鬱状態になると、急に怒り出したり、起きられなかったりという日が長く続いていました。

 私のビザが取れて、娘を預ける保育園が決まって、私が仕事を始めた頃も、まだ、主人は、朝、起きれず、後から行くと言っていたのに、私が娘を連れて仕事に出かけて帰ってくると、結局、今日も仕事に行っていなかった・・という日が頻繁にありました。

 そんな主人の姿を見るにつけ、最初は、怒っていた私もだんだんと言葉を無くし、不安にかられる日が続きましたが、何もわからずに成長していく娘を放っておくことはできず、娘に対してできることを黙々と積み重ねる日々でした。

 幸いにも、義兄夫婦である家族が比較的、近くに住んでいましたので、折りに触れ、相談に乗ってもらったり、気分転換させてもらっていましたので、結果的には、ずいぶんと救われました。

 それでも、生まれたばかりの娘を、父親のいない子供にはしたくないと思いながらも、小さい子供を抱えて、働きながら、外国の地で暮らしていくのに、この主人の状態で、乗り切っていけるだろうか? と、少なからず不安ばかりが募り、一度は、もう主人とは、別れて、日本へ帰ろうと思ったことがありました。

 日本の両親も心配して、電話やファックスを送ってくれたりして、「もう、ダメだと思うなら、子供を連れて、もう日本へ帰ってきた方がいい。ただ、色々な書類だけは、きっちりしてきなさい。」と言われていました。

 困難な状態が続いて、さんざん悩んで、私も心身ともに疲れきって、意を決して、いざ、私が、「もう日本へ帰ろうと思う。」と母に話した時、電話口の母から帰ってきた言葉は意外なものでした。

 「日本へ帰ってくるのは、構わないけれど、あなたたちは、家で一緒に暮らせると思ってもらっては困る。」

 その時の母の真意は、わかりませんが、「子連れで、出もどりだ・・」と考えていた私には、いざとなると、世間体を気にする母に、少なからず、ショックを受けました。

 義姉からも、「しばらくは、日本のママのところに帰って、休んだ方がいいかもしれない。」と言われていたので、母から言われた言葉をそのまま義姉に伝えると、首をひねりながらも、「それでは、こちらでなんとか頑張るしかないわね・・。」と言われて、私も、「私には、もう、帰るところは、ないのだ。」と腹をくくって、フランスに留まることにしたのです。

 それから、しばらくして、パリにアパートが見つかり、様々な手続きも済み、娘も幼稚園に通い始めた頃に、ようやく、主人の鬱状態も回復し始め、仕事にも毎日、行けるようになり、なんとか、日常生活も順当に運ぶようになりました。

 それでも、毎日の生活は、仕事と子育てで、いっぱいいっぱいで、ささやかな娘の成長を糧に暮らしているうちに、時は過ぎて、いつの間にか、主人と別れようと思っていたことなどは、忘れていました。

 あの時の母の言葉の真意は、問いただすのも怖くて、母には、一生聞けず仕舞いで、母は、亡くなってしまいましたが、母が本当に、世間体を気にしてそう言ったのか、それとも、私をもう一度、奮い立たせるためにそう言ったのかは、今でもわからないままなのです。
















2019年10月27日日曜日

サマータイムの終わり




 2019年のサマータイムは、3月31日 am 2:00から、10月27日 am 3:00 までです。

 サマータイムの始まりは、1時間早くなるので、前日の夜、寝る前に1時間時計を進め、サマータイムが終わるときには、1時間時計を戻して寝ます。

 最近は、デジタル化が進み、テレビやパソコンや携帯電話などは、自動的に時間が変わりますが、家の中の時計は、デジタルのものばかりではないので、家中の時計をなおして歩きます。

 いつも、日曜日にかかるので、日曜日の1日を時差の調整をしながら、過ごすことになります。うっかりすると、時間がずれたことを忘れていて、日曜日に出勤しなければならなかったときに、一時間、早く出勤してしまって、呆然としたこともありました。

 もともと、サマータイムは、夏の電気消費量を少なくすることや、早い時間に仕事を終わらせ、余暇を充実させるために始められた制度だそうですが、時間を変えたところで、フランス(ヨーロッパ)の夏と冬の極端な日照時間の違いは、変わるわけではなく、子供や家族を抱えて、日常のルーティーンを淡々とこなして生活している分には、1時間早くなろうと、余暇に時間を当てるなどということは、出来るはずもなく、たった1時間の違いであろうとも、軽い時差には違いなく、身体が1時間の時差に慣れ、しゃんとするには、約一週間かかります。

 旅行したわけでもないのに、同じ国にいて、時間がたとえ、1時間でも、ずれるという軽い時差というのは、思いのほか、しんどいものなのです。

 それでも、夏から冬になるときには、1時間遅くなるので、慣れやすいのですが、夏になるときは、1時間早起きになるので、とても辛いです。

 ただでさえ、フランスは、夏は、朝5時には、明るくなり、夜は21時半から22時くらいまで明るく、子供を寝かすために、窓のシャッターを下ろして寝かせます。

 逆に、冬には、日が出るのは、8時半過ぎで、16時半には、もう暗くなってしまいます。ですから、まだ、暗いうちに起きて、子供を学校に送っていくのもまだ暗いうちで、帰ってくる時には、もう真っ暗になっています。

 夏は、気分も明るくなり、冬は、朝、暗いうちに起きて、仕事が終わるともう真っ暗・・という生活は、何だか、虚無感に襲われます。

 いつか、日本から、花火を持ってきたのですが、夏は、いつまでも暗くならず、冬の寒い時期にする気分でもなく、結局、やれずじまいになってしまっています。

 しかし、サマータイムで1時間ずらしたところで、この日照時間は、変わらないので、私個人的には、何のメリットも感じられないどころか、年に2回の軽い時差ボケ状態は、身体的に苦痛でしかありません。

 冬時刻になれば、日本との時差も7時間から8時間になり、日本と関わりがある仕事をしている人には、やはり、それなりの調整が必要になります。

 なんなら、ずっとサマータイムのままにしておいてもらえれば、少しでも日本との時差が少ないので、いいのになぁと思ったりもします。

 いくら、デジタル化が進もうと、人間の身体は、自動的には、簡単にリズムを変えられないので、もう、いい加減、やめて欲しいです。

 

































2019年10月26日土曜日

海外生活は、お金がかかる




 海外生活というと、優雅な生活をイメージされる方も多いかもしれませんが、実際は、全然、そんなことはありません。

 海外で生活していると、何かとお金がかかります。
私の薄給は、ほぼほぼ、日本への里帰りと、娘のために消えていました。

 日本でも、子供の教育費には、とても、お金がかかるのだと思いますが、日本に住んでいれば、ないであろう、学校や習い事などの教育費以外の出費は、子供の保育園の保育時間外のベビーシッターのお金と、長いバカンスの間を有効に使わせるための学校以外の時間を過ごさせるためのお金です。

 日本であれば、ちょっと、母に預かってもらって・・などということもできたと思うのですが、こちらには、当てにできる存在はなく、誰かにお金を払って、頼むしかありません。

 なにせ、フランスの学校は、バカンス期間が長いので、この長い期間をいかに有効に使うか、私自身が取れるバカンスの期間は限られていますから、それ以外の期間をなるべくバカンス期間だからこそできることを経験させようと思っていました。

 幸いにも主人の勤め先の運営する子供キャンプのようなものがあり、普通よりは、安い金額で、スキーやサーフィン、乗馬、ダイビングなどなど、あらゆるスポーツを体験させてもらえたので、私がお休みを取れない期間は、そのキャンプに参加させていました。

 黙々と仕事に行く私とは裏腹に、彼女は、そのキャンプに参加して、色々な場所を旅し、あらゆるスポーツをして、長いバカンスを過ごしていました。

 私は、娘に物を買い与えることよりも、何かを体験させることにお金を費やしてきました。
 
 あとは、何といっても、里帰り、つまり、日本へ行くのにお金がかかるのです。

 せっかく、行くのならば、少しでも、娘のバカンスが長い夏の期間、しかも、小学校の頃は、できたら、日本の小学校にも体験入学をさせたいと思っていたので、こちらの学校がバカンスに入って、まだ、日本の学校は夏休みに入る前の期間だったので、だいたい、日本に行くのは、夏でした。

 日本行きのチケットは、夏場は最も高く、安くても一人1200ユーロ、(15万円くらい)、(限られた私の休みを有効に使うために直行便を選んでいました。日本は遠いのです。)その他、日本で、行く先々(親戚や友人など)で、必ず、頂き物をすることを考えると、手ぶらで行くというわけにもいかず、お土産代も結構、かさみます。

 だいたい、娘と二人で、日本に行けば、一回、少なくとも50万〜60万、三人で行けば、100万くらいは、最低でもかかります。

 両親も年に一回の私たちの帰郷をとても楽しみにしてくれていましたし、私たちも家族と触れ合える短い期間でしたので、その時間を何よりも大切に思っていました。

 両親の晩年などは、特に、生きている間に、あと何回、会えるのだろうか?と、いつも思っていました。

 また、母が入院したとか、父の具合が悪いとかいうことが起こると、できる限りは、日本へ行っていましたので、1年に2回〜3回、となった年もありました。

 日本へ行かずにヨーロッパの中を旅行するならば、ずいぶん、色々なところへも行けただろうとも思いましたが、その時にしかできないこともあるのです。

 両親の介護の問題になった時などは、本当に心が痛みましたが、こちらに生活に基盤を置いてしまうと、お金の問題だけではなく、そうそう簡単に行くこともできません。

 親不孝と思いながらも、その時にできることをできる限りやっていくしかなく、状況は、いざとなれば、待ったなしの状況になるので、その時々でも、あまり、選択肢は、ありませんでした。

 そんなこんなで、海外生活をしている我が家は、常に自転車操業のような状態でした。

 しかし、私は、その時々にしてきたことに後悔はありません。

 

 

 











2019年10月25日金曜日

フランス人と車




 フランス人の車の運転の荒さは、有名です。

 特に、信号なしに複数の方角から、車が合流する地点などは、事故なしに、割り込んで車を進めていくところなどは、フランス人の性格の悪さが出るな・・と思われるほど、強引に前へ前へ出ていかなければ、前に進めません。

 中でも、パリの凱旋門の周りの車線なし、信号なしの道路から、放射状に伸びている12本の通りと繋がる通りから、入ったり出たりする車を縫って運転するのは、初めて見た時には、一生、ぐるぐると凱旋門の周りを走り続けるのではないかと思ったほどです。

 また、パリの路上の駐車スペースに、時には、バンパーで、前の車と後ろの車をぶつけながらでも、器用に?車を停める光景は、まるで、バンパーは、そのために存在するものとでも言いたげに見えます。(確かに、そう思っている人は、いるはず・・。)

 だからだとばかりも言えませんが、フランス人の多くは、中古車をよく利用します。

 この辺にもフランス人の経済観念、締り屋具合がよく現れています。車は、ある程度、走行距離を重ねたものの方が車の調子がいい・・などということをとうとうと語り出したりします。

 しかし、この点においては、パリでは、最近は、大気汚染対策のために、数年以内の新車でなくてはならない、さもなくば、毎年の車検などの厳しい規制が敷かれています。

 また、マニュアル車を好むのも、フランス人の車好きの特徴です。

 そして、愛国心旺盛なフランス人は、ルノー、シトロエン、プジョーなどのフランスの車を好みます。また、パリ市内は特に、駐車スペースの問題もあり、小型車が多いのにも驚かされます。

 パリ市内ならば、バスやメトロなどの交通機関が張り巡らされているので、(故障やストライキは多いですが・・)本当は、車など必要ないのですが、何よりもバカンスを大切にする彼らには、たとえ、中古車であっても、車は、必需品なのです。

 まるで、引っ越しをするが如く、たくさんの荷物を車に詰め込んで、自転車まで屋根に積んで、長期のバカンス、または、週末にセカンドハウスに出かけたりするのです。

 また、パリという街は、実際は、小さい街で、パリを少しだけ外れるだけでも、たちまち田園風景が広がります。郊外に住む人にとっては、車は、買い物に行くのも、通勤するのにも必需品です。

 最近は、日本では、運転免許をとる若者が減ったという話を聞きますが、こちらの若者は、現在でも、運転免許を取る人は多く、18歳になって、早々に、高校を卒業する前から、免許を取ってしまう人もいます。

 特に、地方の学生などは、質素な暮らしをしながらも、古い車を買って、乗っています。

 そもそも、昨年から、世間を騒がせている「黄色いベスト運動」のデモも、一年近く経つ今では、論点がずれてきている感もありますが、元はと言えば、燃料価格の上昇に端を発しているもので、フランス人と車の関係の深さが垣間見えます。