2020年10月23日金曜日

新規感染者数4万人突破のフランス 夜間ロックダウン54地域に拡大

 

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 ヨーロッパのコロナウィルス感染第2波が叫ばれ始めていますが、やはり、フランスは、他のヨーロッパ諸国の追随を許さないことを示すかのごとく、また新記録を更新し、とうとう昨日の1日の新規感染者数は、41,622人。4万人を軽々と超えてしまいました。

 この一週間のフランスの新規感染者数は189,359人、約19万人もの感染者が出ているのです。もう数字の感覚が麻痺してきて、何の数字だかよくわからなくなります。

 ヨーロッパ全体の感染状況が悪化しているのは事実ですが、同日の、ヨーロッパ諸国の新規感染者数は、スペイン20,986人、イタリア16,079人、イギリス 21,242人、ドイツ 5,780人と、フランスの4万人とは比べものになりません。

 ほんとうに、フランスは、一体、どこまでいくの? か 不安です。

 現在のフランスでは、1日に200件以上のクラスターが発見され、過去7日間で10,166人がコロナウィルスのために入院し、そのうちの1,627人が ICUでの集中治療を受けています。

 現在、集中治療を受けている患者の総数は2,248人、集中治療室での平均滞在期間は8週間近いため、このまま患者数が増え続ければ、患者が積もり重なって、パンク状態になる日もそう遠くはありません。

 この一週間のフランスのコロナウィルスによる死者は1,085人、一日150人近くが亡くなっている計算です。

 ジャン・カステックス首相は、会見で、「コロナウィルス感染の流通は非常に高いレベルに達し、15日間で症例数は2倍、65歳以上の症例数は3倍になっている。事態は深刻です」と発表し、パリ・イル・ド・フランスなどで、すでに開始されている9時以降の外出禁止(夜間ロックダウン)を前回指定された地域に、さらに38地域を加えた、合計54の地域に拡大することを発表しました。フランスの地図が再び真っ赤に染まり始めました。

 すでに先週から夜間外出禁止の措置が始まっているイル・ド・フランスを含む8つの大都市圏では、毎晩12,000人の警察と憲兵隊が動員されチェックが行われていますが、すでに一週間で、4,777人が違反として切符を切られており、それぞれ135ユーロの罰金が課せられています。

 これだけの深刻な状況にも関わらず、深刻な状況を認識せずに、一週間でこれだけの違反が摘発されることがさすがフランスだなと思います。

 この一週間のフランスの新規感染者数は189,359人、約19万人の感染者が出ているのです。

 これだけの感染者がいるということは、もう夜間の外出を禁止したところで、日中でさえ、普通に感染のリスクが高まっているということ・・そりゃ、やらないよりはやったほうがいいに決まっていますが、この感染者上昇の波がそれだけで抑えられる状態なのかは疑問が残ります。

 イル・ド・フランスの病床のコロナウィルス患者の占拠率は60%を超えている状態です。

 しかも、此の期に及んで、地域間の移動に関しては、放置されたままです。

 感染者追跡については、開発したにも関わらず、わずか3.5%しかダウンロードされることなく失敗に終わったアプリ「STOP COVID」に変わって、新しいアプリ「TOUS ANTI COVID」が新しく開発されたことを発表し、ダウンロードを呼びかけています。

 しかし、フランスのこと、少なくとも検査で陽性となった人には、アプリのダウンロードを義務化するなどの措置を取らなければ、ただでさえ縛られることを嫌う彼らに、いくらアプリが新しくなったとて、ただ、普通にダウンロードを呼びかけるだけでは、それが浸透するのは難しいのではないかと思っています。

 義務化するか(罰金を課すか)、何らかの利点がなければ自らを締め付けるようなことをフランス人が積極的にするはずがありません。

 このところ、1日の感染者数が一週間ごとに1万人単位で増えているフランス。

 夜間外出禁止の効果がいつ表れて、これが減少してくれるのか? それとも、もはやそれを上回る勢いに乗ってしまったのか? 今後の新記録更新がさらに心配されます。


<関連>

「フランスの新規感染者3万人超えの中の医療介護者のデモ」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/10/blog-post_16.html

2020年10月22日木曜日

テロの犠牲者サミュエル・パティの国葬

 


 先週金曜日に起こったテロ事件により首を掻き切られて死亡した表現の自由を担当していた教師、サミュエル・パティの国葬が昨夜、パリソルボンヌ大学で行われました。

 イスラム過激派の犯行であったことから、テロに屈しないフランスの姿勢を明確に世間に知らしめるべく行われたセレモニーは、マクロン大統領をはじめとする政府首脳が勢揃い、故人の教え子や友人、家族なども参加しての、荘厳なものでした。


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 セレモニーの場所にソルボンヌ大学が選ばれたのも、教育の現場での授業がもとで起こった事件に対するフランスの国としての威厳と確固とした姿勢を示したと言えます。

 毎回、国単位のセレモニーを見るたびに、フランスは、本当にセレモニーの演出が上手でセンスがいいなと感心します。


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 棺が運ばれてくる際には、家族の希望で、彼の好きだったアイルランドのグループ「U2」の曲「National Tribute」が会場に流されました。1992年にリリースされたこの曲は、愛だけでなく、協調と団結についても歌われています。

 正装に身を包んだ兵士たちが棺を中央に運ぶと、棺には Légion d’honneur(彼の名誉を讃えるメダル)が置かれた赤いクッションが乗せられました。

 故人の友人、同僚、教え子が弔辞を述べた後に、マクロン大統領も弔辞を述べました。

 「サミュエル・パティは悲惨な陰謀と他者への憎悪の犠牲者になってしまいました。私たちは、あなたが教えた自由を擁護し続けていきます。彼は、フランスの顔・自由の顔として私たちの中に生き続けます。」と。


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 安全上の理由からか、故人の家族は、テレビで放映されることはありませんでしたが、あまりに大きな波紋を生んだ彼の死を家族はどう受け止めているのでしょうか? 一教師の葬儀が国葬となり、政府の首脳が首を揃える葬儀。

 家族も教え子たちも友人でさえも、身近な人が亡くなったというだけでも痛ましいことなのに、しかもテロにより殺された・・しかも、想像さえつき難い陰惨な殺され方で・・。

 私の祖父が亡くなった時には、会社をあげての、かなり大規模な葬儀で、立派な葬儀がすごいなと思った一方で、何か家族だけで祖父の死を傷めないことも少し残念に思ったことがありました。今回のサミュエル・パティの場合は、テロによる被害者ということもあり、テロリストに向けてのフランスの圧倒的な力と団結を示すという意味も大きかったと思います。

 きっと、家族にとっては何が何だかわけがわからないうちに事が進んでいく・・そんな感じかもしれません。

 事件から数日が経って、犯人の背後には、数人の協力者がいた事が発覚してきています。犯人であるとはいえ、若干18歳の青年が人をこれほど陰惨な形で人を殺すほどの恨みや怒りを持地ながら生きていたのかということがある意味、気の毒にも感じられます。

 実際に犯行に及んだ18歳の青年はその場で射殺されていますが、その背後にいた大人たちの卑劣さが空恐ろしく、彼らがどんな気持ちでこの国葬を見ていたのかと思います。

 今、フランスはコロナウィルス感染も大変な状況、世間の注目が一気にこのテロ事件に持って行かれています。

 今、フランスでは、「表現の自由を守ろう」そんなテレビコマーシャルまで流されています。


<関連>

「閑静な住宅街で起きた路上で首を掻き切られる陰惨なテロ事件発生 18歳のテロリスト」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/10/18.html

「フランス全土で行われた先週末に殺された教師の追悼デモ」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/10/blog-post_19.html




2020年10月21日水曜日

好きと嫌い 感覚的なものに頼る選択

 


 例えば、好きな人ができたとして、どこが好きかと言われると、なんとなく、ぼんやりとしたものであることが多い一方で、嫌いになる場合は、かなり事細かに詳しく述べることができるような気がします。

 たまたま、カーペンターズの曲が流れてきて、なんとなく英語の音がきれいだ・・と思いながら、母を思い出しながら、好きと嫌いということについて考えていました。

 母は、英語が好きで、大学でも英語の勉強をし、しばらくお勤めをしていましたが、その後、結婚して、専業主婦になりましたが、(まあ、母の時代は、専業主婦が当たり前の日本でしたから・・)私が生まれて、物心つく頃には、私に英語を教えてくれていました。

 私は、小さい時から、寝る前には、英語の物語のテープを子守唄がわりに聴きながら、寝ていました。絵本も付いているそのお話は、「ぐるんぱのようちえん」や、「たろうのおでかけ」など、いくつかありましたが、子供の頃ですから、吸収も良く、今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、当時は、暗唱できるほど、物語を英語で記憶していました。

 単語一つ一つの意味や、文法などはわからなくても、歌を覚えるように、文章を覚えてしまうのですから、子供の時の記憶力というのは、すごいものです。

 母は、その後、私だけでなく、私と同じ年頃の近所の子供を集めて家で英語を教えるようになりました。それはそれは、熱心で、丁寧で、楽しそうで、母が亡くなる数年前まで、母は、家で英語を教えるとともに、子供に英語を教えるための教材を作ったりして、その教材のための講演なども時々やっていました。

 私が成人してからは、そんな母の教材のテープの録音に付いて行ったり、講演会の時は、手伝いに行ったりしていましたが、母のその楽しそうな感じは、ちょっと羨ましいほどでしたし、講演会などとなると、もう止まらない・・といった勢いで話し続けるので、私は、母に聞いたことがありました。

 「英語のどこがそんなに好きなの?」と・・。

 すると、母から帰ってきたのは、意外な答えでした。「英語の音が好き・・」と・・。

 そんな感覚的な理由が母の口から出てきたことは、その時は、とても意外でしたが、そもそも「好き」ということは、感覚的なことに根ざしているのかもしれません。そして、その感覚的なものというのは、なかなか根強く、あながちバカにできないものだということも、過去のいくつもの場面を振り返ると思いあたります。

 音楽などでも英語の歌詞は、きれいにメロディーにのって響くように私自身も感じますし、そして、何よりも私自身も英語の音が好きだな〜と、いつの間にか思うようになっていたのです。

 私が子供の頃は、我が家の車の中は、母が好きだったパットブーンの曲がよく流れていました。英語の音がきれいだ・・心地よい・・と、最近、時々、音楽を聴いていると思うのは、そんな風に知らず知らずのうちに、私の中で慣れ親しんでいた音だからなのかもしれません。

 音が好き、心地よい・・そんな感覚的なものは、友人、恋人、仕事、職場など・・何かを選択するうえでも、一見、漠然としているようでも、結構、大事なポイントだったりするかもしれません。

 娘の幼少期、(2歳くらいの頃)彼女は、出会った人を一瞬で見抜く力がありました。もう動物的といってもいいくらいな反応でした。

 初めて日本に行った時、初めて会うたくさんの親戚の中から、一目で信頼できる人を見つけてベッタリ・・また、逆にフランスで、家族で散歩に出かけた時に、たまたまローラースケートで遊びに来ていた少年たちと写真を撮ってもらおうと主人がその少年の一人に抱っこを頼んだら、火がついたように泣き出し、困ってしまったこともありました。その泣き方の強烈さは、ちょっと周りの人も驚くほどでした。

 海外生活をしていると、日本では、決して出会うことがなかったであろう色々な人に遭遇します。そんな時、「ん???なんか、変だな・・この人・・何かどこか妙な感じがする・・」と、思うことがたまにありますが、ちょっと話してみると、慣れてくることもあって、違和感が薄れるのですが、よくよく知っていくうちに、やっぱり、あの時の違和感は、こういうことだったんだ・・と思うことがあります。

 直感とか、なんとなく感じることは、あながち、間違いでもないのです。直感だけで動くというのは何ですが、こういう感覚的に感じるものは、長い目で見てみると、あながちバカにしたものでもないかもしれません。

 ちなみに私は、フランスに住んで20年以上になりますが、フランス語の音がきれいだとか、好きだとか思ったことは、今のところ、ありません。


<関連>

「母の英語教育

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2020年10月20日火曜日

コロナ禍中のフランスの歯医者 ② インプラントと入れ歯

 


 前回、コロナ禍中に感染が怖くて行くのをためらっていた歯医者さんに、どうしても行かざるを得なくなって、渋々、出かけたら、思いの外、衛生管理がなされていて、(体温チェックやプラスチックのガウンとハットの着用や荷物のお預かりなどなど・・)めんどくさいな〜と思いつつも、やっぱり、この方が安心かな?と、思いなおして、着ていたガウンとハットを返して、帰ろうとしたら、次の患者さんがやってきて、なんの躊躇いもなしに私がさっきまで着ていたガウンとハットを次の患者さんに着るように促したのには、絶句しました。

 感染回避のために着用するガウンって普通、使い捨てだろ!あまりに唖然として、その場で言葉が出てこなかったのですが、あれから家に戻ってからも、モヤモヤして・・やはり、違うよな・・と思いながら、着ていたものを洗濯したり、シャワーを浴びたり・・今度、行った時には、あのガウンについて、確認しなければ・・と強く心に決めていました。

 そして、2回目の診察の日がやってきました。「絶対にガウンが新品かどうか確認しなきゃ! 」もしかして、使い回しのものを出されたら、「それは、おかしいでしょ!・・とちゃんと言わなきゃ!」と思いながら行くと、あっさり、新品のプラスチックのガウンがダンボールの中に雑に置かれており、「あっ!今日は、大丈夫だ〜」と、肩すかしを食ったのでした。

 前回は、もう土台もダメになってしまった歯を抜かれたので、さて、今日は、どうするのか?と思っていると、前回、歯を抜いた箇所をちょっとイジって終わり・・しばらく、傷が塞がるまで待たなければいけないとのこと・・。

 いつまでも、治療が進まず、見通しが立たないのも、嫌なので、このまま放っておくわけには行かないし、この先、どういう選択肢があるのか、恐る恐る聞いてみました。

 歯医者といえば、なかなかな金額を請求されるので、予め、見積もりを出してもらって、それから、その見積もりをミューチュエル(健康保険でカバーされない分をカバーしてくれる保険)の会社に送って、どのくらい保証されるのかを聞いてみてから、どの程度の治療にしてもらうのかを決めるのです。

 結局のところ、インプラントにするか、つけ外しのきく器具にするか?どちらかだと言うのです。つけ外しのきく器具???よくよく考えてみれば、それって入れ歯のこと???入れ歯って入れ歯??・・ショックでした。

 インプラントが高いのだけは知っていたので、はなから、「インプラント???ムリムリムリムリ!!!お金ないもん!」と言うと、「それだと、入れ歯になるけど・・取り外しのきく入れ歯ならセキュリテソーシャルも一部はきくけど、インプラントは、セキュリテソーシャルは効かない・・」と、絶望的な回答。

 つけ外しができると言うと、なんだか、一見、便利そうな気もしてしまうのですが、考えてみれば、歯など、本来、つけ外しの必要がないもので、エラく面倒に違いありません。

 そして、私は、何より「入れ歯??」というものについて悩む日が来たことがショックでなりませんでした。

 金額は、インプラントで1本、2000ユーロ(約25万円)、入れ歯で1200ユーロ(約15万円)、どちらにしても、なかなかな出費ですが、正直、インプラントと入れ歯の値段は、もっともっと違うのかと思っていました。

 まだ、保険会社に見積もりを送っていないので、どのくらいカバーされるかはわかりませんが、保険会社の回答を待つまでもなく、毎日毎日、面倒な思いをすることを考えれば、1000ユーロの違いは、目を瞑るべきかと思い始めています。

 それにしても、入れ歯について悩む日が来たことに、何よりショックを受けている私なのであります。

 動物は、歯が弱り始めることで、衰弱していくと言いますが、まさに私もそんな年齢に達しているのかと思うと「ガウンを使い回すな!」と息巻いていた私も、入れ歯ショックで、しょぼんとして帰ってきたのです。

 そして、家に帰ってきてから、思い返してみると、そういえば、体温チェックがなかった!と、また後になってから、思い出すのでした。

 一つのことが気になると、その他には、注意が行かなくなる・・これも老化の一部です。


<関連>「コロナ禍中のフランスの歯医者 ①」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/10/blog-post_9.html



2020年10月19日月曜日

フランス全土で行われた先週末に殺された教師の追悼デモ

                                                                                                                                

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 サミュエル・パティは、今やフランスで最も有名な教師になりました。

 この週末は、パリ、マルセイユ、ボルドー、リール、リヨンなどの多くの都市で、金曜日の夕方に路上で首を掻き切られるという衝撃的な殺され方をした教師サミュエル・パティの追悼デモが行われました。このデモは、フランス全土で数万人規模のデモになり、その衝撃の大きさを物語っています。

 彼が行った表現の自由についての講義が物議を醸し、結果、テロリストの標的になったことから、全国から、多くの教師や教師を志している人々が参加し、追悼デモということもありますが、いつものデモとは、少々異なるものでした。

 コロナウィルス感染の第二波を迎えているフランスで、また・・デモ・・と憂鬱な気分になりましたが、様子を見ると、暴れる人もおらず、何よりマスク率が高くて、行儀が良い・・さすがに教育者が多いデモなのだと変なところに感心しました。

 パリのリパブリック広場には、ジャン・カステックス首相、パリ・アン・イダルゴ市長なども参加し、テロに屈しないと声明を発表しました。

 表現の自由の講義を担当していたこの教師が殺されたのは、いくつかの誤解も重なっているようで、彼が惨殺された原因となったマホメットの風刺画を表現の自由の講義で使用した際に、イスラム教徒の生徒には、「ショックが大きいかもしれないので、退席してもよい」と言ったことが、「イスラム教徒は教室から出て行け!」と言ったとSNSで拡散されており、実際の犯人も実際の授業に参加していたわけではなく、この間違った情報により、この凶行に及んだと思われます。

 しかも、犯人は、標的であった教師を自分で確認することができず(それほどよく知らない相手だということ)、同校の学生に300ユーロを現金で支払い、ビデオを撮りたいから、彼が出てきたら、教えてほしいと頼んでいます。

 教えた生徒も、知らなかったとはいえ、まさか、このような殺人事件の片棒を担いでしまったことにさぞかし後味の悪い思いをしていることでしょう。 

 それにしても、反抗したり、話し合ったりするわけでもなく、いきなり首を掻き切られるのですから、恐ろしいことです。

 このデモには、イスラム教徒も参加しており、これはイスラム教がやらせた凶行ではない、これはテロリストの犯行だ!と訴えているグループもありました。

 私の周りにも、娘の元同級生で、敬虔なイスラム教徒のママ友家族がいますが、パパ、ママともにお医者さんで、至極、真っ当で、本当に親切で勤勉な優しい家族です。あの人たちがこれらのテロリストと同じに見られることには、とても納得がいきません。

 確かに過激派とされるイスラム教徒がいるのは確かですが、イスラム教全体をアンチとすることには、注意しなければなりません。

 宗教の話題は、なかなかセンシティブで、誰とでも気軽に宗教の話ができるわけではありませんが、表現の自由を教えるならば、違う宗教、違う意見の人それぞれを認め、話し合うことができるということを教えて欲しいと思うのです。

 フランス人は、一般的に数人が集まって話していても、それぞれが自分の言いたいことを言って、話全体としては、収集がつかなくなっていることが多いのですが、それは、それで良いのです。それぞれが自分の言いたいことを言って、スッキリ、討論になっても根に持つことはあまりありません。

 そんな一般的なフランス人の討論会のようなことにはならずに、意見をぶつけあうこともなく、いきなり凶行に及ぶのがテロだと思うのですが、やはり、彼らの社会的な居心地の悪さが鬱屈した結果なのではないかと思うのです。

 犯人の18歳の青年は、射殺されてしまいましたが、関係者と見られる周囲の人11人が拘留されています。実際に亡くなった犯人よりも周囲の人の方が危険人物としてマークされていた人が多かったようで、周囲に洗脳されて犯行に及んだのか?煽られて犯行に及んだのか? どちらにしても、一人の犯行ではなさそうで、さらなる追求が待たれます。

 この手の事件に関しては、事件そのものは大々的に報道されるのですが、その後に発覚したであろう犯行の背景にあるものなどを報道してくれないので、すぐに事件も忘れられていきます。本当は、そこのところまで、しっかり報道して世間に疑問を投げかける・・そんな風に報道してほしいものです。


<関連>

「閑静な住宅街で起きた路上で首を掻き切られる陰惨なテロ事件発生 18歳のテロリスト」

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2020年10月18日日曜日

もうカーフールで魚は買わない

    


 我が家の近くにはマルシェがないので、食料品の買い物は、ほぼカーフールで済ませています。

 フランス人は、圧倒的に肉食で、スーパーマーケットで買える魚は一年を通して、ほぼ季節感のない、いつもいつも同じ魚ばかり、サーモン、スズキ、舌平目、鯛、アンコウ、イワシ、マグロ、見事にオレンジ色に茹で上がったエビ、プラスチックのような肉厚のイカなどなど、結構な値段がするにも関わらず、そのクォリティには、今まで、ほとほと散々な目にあってきました。

 いつか、たまには、ちょっと贅沢に舌平目のムニエルでも・・と思って、高いな・・と思いつつも買ったのに、身はコチコチ、味は、なぜか牛タンの味というショッキングなことがありました。

 それ以来、カーフールでは、滅多に魚を買うことはなく、魚といえば、もっぱらPICARD(ピカール)の冷凍のサバを食べています。このPICARDのサバばかりは、本当にいつ買っても安定のクォリティで、間違いがないのです。

 それでも、日本人、魚好きの私としては、買い物に行けば、いじましく、一応、魚売り場を確認し、もしかしたら、美味しい魚があるかもしれないと儚い希望を捨てきれないのです。

 昨日、いつも通り、魚売り場をのぞいてみると、なんと、珍しいことにアジを売っていたのです。なぜか、フランスでは、アジという魚が売っていることは、稀で、しばらくアジの目の前であれこれと考え、パックになっているものだと量が多すぎるので、売り場で直接おじさんに頼んで、アジを2匹だけ買ったのです。

 「え??2匹??って言った?」と聞き返されましたが、「ハイ、2匹だけ・・生で食べても大丈夫?」と確認して、一匹は、アジのタタキに、もう一匹は、焼いて食べようと、いそいそと家に帰って来ました。

 さっそく、買ってきたアジの一匹を開き、皮を剥ぎ、細かく刻んで、生姜をすり、ネギと紫蘇の葉を刻んで、アジのタタキを作りました。カーフールで買ったとは思えないほど、身はプリプリしていて、まことに美味しいアジでした。

 思わず、2匹しか買わな買ったことを悔いて、追加に買いに走ろうと思ったくらいでした。

 しかし、その日は、アパートの排気口の点検の人が来ることになっていたので、外出はできずに思い留まったていたのです。こんなに美味しいならば、アジの干物も作ろうかな?アジフライもいいな・・小ぶりのものなら、南蛮漬けもいいなと、アジを使ったお料理をぐるぐると考え始めていたのです。

 しかし、とりあえず、あともう一匹あるのだし、欲張るのは止めようと、デザートを食べながら、最近、また一人暮らしを始めた娘に「ちょー美味しい!食べさせてあげられなくて、残念!」などと、アジのタタキの写真を送ったりしていたのです。

 ところが、食事が終わって3時間後くらいに、急にムカムカ、気持ちが悪くなってきて、ちょっと吐いたら、楽になるかな?と思って一度、吐いたのを機に、もうそれからは吐き気が止まらなくなり、トイレに駆け込むことになったのです。

 強烈な胃の痛みと、吐き気と下痢に、アブラ汗が止まらず、もはやトイレに座っているのも辛い状態になりました。身体を支えるために、トイレにスーツケースを引っ張り込んで、バケツ片手にぐったり身体をスーツケースにうつ伏せて、ひたすら耐え続けたのです。

 これまで何かを食べて食あたりしたりしたことはまるでない私です。いつもと違うもので、食べたといえば、間違いなくアジ・・あんなに美味しかったアジを今では、恨めしく、もう二度とカーフールでお魚を買うものか!!と思いながら、なんとか、ベッドに這っていける状態になって、ひたすら、水を飲みながら、ベッドに横たわりました。

 もはや、ipadでYouTubeを見たりする元気もなく、あぶら汗をかいていたと思ったら、今度は、強烈な寒気に襲われ、手足が冷たくなってくるのを震えながら、いつの間にか眠ってしまったのでした。

 夜中に目を覚ますと、少し、症状はおさまっていましたが、さすがに何かを食べる勇気はなく、また、ひたすら水を飲んで、今日はもうダメだ・・寝よう!と思いましたが、こんなに昼間に寝てしまって、また眠れるか?と心配でしたが、身体はぐったりしていて、横になると、たちまち、グッスリ眠りました。

 こんな状態では、一人で医者に出かけることもできない・・ひたすら、おさまるのを祈るように待ち、翌日、冷蔵庫に残っていたもう一匹のアジを再び、顔を見るのも怖いくらいで、そのまま捨てました。

 食あたりのあまりに暴力的な痛みと恐ろしさに今後、二度とカーフールで魚を買うものか!!と私は、固く心に誓ったのでした。


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「やっぱりフランス人は、肉食だなと思わされるパリのスーパーの魚売場」

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2020年10月17日土曜日

閑静な住宅街で起きた路上で首を掻き切られる陰惨なテロ事件発生 18歳のテロリスト


         Neuf personnes interpellées dans le cadre de l'enquête sur l'assassinat d'un professeur d'histoire vendredi à Conflans-Sainte-Honorine dans les Yvelines.


 閑静な住宅街で突如起こった陰惨な事件にフランスは、震撼としました。金曜日の午後5時頃、パリ近郊のイブリンにあるコンフラン-サンテ-ホノリンで中学校の歴史の教師が路上で首を掻き切られて殺されたのです。

 犯人は犯行に使った長さ数十センチのナイフを手に、通りすがりの通行人を人質にとり、逃げようとしていたところを数分後、ヴァルドワーズの隣の町エラニーで警官に射殺されました。

 殺された教師は、表現の自由に関する講義を行っており、授業中にモハメッドの風刺画などを引用したことから、その講義がイスラム教徒の生徒やその家族などの間で、物議を醸しており、その様子などがSNSで取り上げられていたようです。

 授業には、イスラム教徒には、特に出席を促されており、かなり挑発的であったことも確認されています。だからと言って、殺す理由には、なりませんが・・。

 この授業に関しては、教育顧問(CPE)と校長との話し合いの時間が持たれたりしましたが、今週初めに喧騒は落ち着いたように見られていました。 

 犯人の18歳の青年は、その教師の講義を直接に受けていたではなく、さっそく、彼がこの凶行に及んだ経緯の捜査が始まり、関係したと見られる9名(犯人の家族が中心)が拘留されました。

 この青年は、警察も全くノーマークだった人物で、新たな背景が調査されています。

 政府はこの事件をテロと認定し、当日、ベルギーに出かけていたマクロン大統領もその日の夜のうちに現場に駆けつけ、現場から非常に厳しい面持ちで、国民に向けて、「このようなテロ行為を放ってはおかない 国民の安全を守る」と宣言しました。

 フランスでは、今年に入ってからのテロ事件は5回目で、つい3週間前もパリ11区にあるシャルリー・エブド(風刺週刊紙)の元本社前で、休憩中であった数名がナイフで襲われ、うち2名が重傷を負うテロと思われる事件が起こり、パリ11区は俄かにロックダウン状態になりました。

 あの時も凶器はナイフで、被害者は、顔を切りつけられており、数時間のうちに逮捕されています。

 共通するのは、18歳という年齢と、前回の犯人もパキスタン出身だったり、アルジェリア出身だったりの移民で、今回の犯人もロシア出身のチェチェン国籍、彼ら個人だけの犯行とは考え難く、背後にいる人間の存在が認められることです。

 フランスでは、18歳は成人ではありますが、まだほんの大人の入り口に立っている若者、前回の犯人たちは、逮捕されていますが、今回の青年は、命を落としています。

 まだ、人生において、経験も少なく、未来があったはずの18歳の青年たちが、自分の人生を台無しにしてまで、人を傷つけ、命を奪うほどの怒りや恨みにかられて凶行に及んでしまう背景は何なのでしょう?

 今回の犯人は、射殺されてしまいましたが、彼がどのように育ち、何を考えていたのか?なぜ、このような凶行に及んだのかを知ることができないのは、とても残念です。

 18歳という年齢は、血気盛んな年齢ということもあるのかもしれませんが、ある意味、純粋に思い込む年齢と考えることもでき、また、移民ということで、その虐げられた生い立ちなどにも原因があるかもしれません。

 彼らは、加害者ではありますが、別の観点からすれば、被害者でもあるかもしれません。特に、イスラム教という宗教がらみだと、闇はなおさら深いのです。テロ行為が宗教のもとでは、正当化されるのも恐ろしい現実です。

 そして、しかも、実際に凶行に及ぶのが、まだ大人になりきっていない若者であることにやり切れなさを感じるのです。

 今回のテロは、到底、事件とは、無縁と思われている住宅街で起こったことがさらに衝撃を大きくしていますが、National Antiterrorist Prosecutor's Office(PNAT)は、「テロに関連する暗殺」と「刑事テロ協会」のために開設された調査を直ちに開始したと発表しました。

 しかし、この事件をテロと認定して抑えつけるだけでは、この種の事件は、永遠に続きます。彼らが犯行に及ぶ背景を詳しく知ること、そして、これを正しく報道することも何らかの解決の糸口になるのではないかと思っています。


<関連>

「シャルリー・エブド元本社前でのテロ事件でパリ11区、俄かロックダウン」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2020/09/11.html