2020年2月9日日曜日

お兄ちゃんの婚約




 娘には、年の離れた腹違いのお兄さんが三人もいて、三者三様で、まったく似ていない三人です。三人ともいい年をしているのに(うち二人はアラフォー)、まだ独身です。

 一番下のお兄さんが一番まともで、しっかりしているのですが、仕事の都合上、スイスに住んでいるので、一番、会う機会が少ないです。彼には、長く付き合っている彼女がいますが、遠距離恋愛を続けています。

 一番上のお兄さんは、敬虔なクリスチャンで、神のため、人のために生きている人で、仕事もキリスト教関係の学校の先生をしているとかで、収入もあまりないのに、教師の仕事以外にも教会関係の仕事で何だか、いつも、忙しそうですが、本人が信念を持って生きているので、とても、充実した生活のようです。

 もう一人のお兄さんが、一番、曲者で、高校を卒業後、いくつかの学校に行っては、その度に、違う仕事につくのですが、長続きせずに、滅多に会うこともないのですが、もう、いちいち、今、何の仕事をしているのか? 聞くこともしないようになりました。

 優秀なお兄さんと弟に挟まれて、どれだけ、複雑な思いで育ったのだろうかと思いきや、なぜか、いつも根拠不明の自信満々で、なかなか手がつけられない感じで、なぜか、いつでも、誰に対してでも、上から目線で、なかなかなクズぶりで、私としては、できるだけ、距離を置くようにしていました。

 考えてみれば、その強気の態度もコンプレックスの裏返しなのかもしれません。

 娘とも、「一番上のお兄さんは、まともな収入がないので、教会関係の人以外との結婚は、無理そうだし、二番目のお兄さんも、あの調子じゃ、二人とも、無理だよね〜」と、見通しが暗そうなお兄さんたちの結婚について、話していたのです。

 それでも、昨年のノエルの前に、上の二人のお兄さんが、娘を映画に誘ってくれて、三人で会う機会がありました。

 映画から帰ってきた娘は、開口一番、映画の感想は、そっちのけで、「バンジャマンに彼女ができた!!」というのには、びっくりしました。

 私が冗談半分で、「まさかネットで知り合ったとか言うんじゃないでしょうね・・」と言ったら、まさかの大当たり!しかし、とにかくラブラブで、彼女は一緒には、来ていなかったものの、まだ、知り合って、一週間も立たないと言うのに、寸暇を惜しんで電話で甘い言葉を囁いていると言うのです。

 まあ、「彼のことだから、どうせ、長続きしないでしょ!」と娘と話していましたが、つい先日、娘から、「バンジャマン、婚約したんだって!!」と驚愕のニュース。

 嬉しさを抑えきれずに、娘にまで、報告してくるところが、彼の興奮ぶりを伺わせるところですが、出会って(しかもネットで)、わずか一ヶ月での電撃婚約。

 情熱的にくっついたり、離れたりするイメージのフランス人に、ネットでの出会いというのは、思ってもみませんでしたが、周りに聞いてみると、これが意外と少なくないのが、現代のフランスです。しかも、こんなに身近なところで・・。

 奇跡的に掴んだ幸せ、波乱含みでは、ありそうですが、彼は、もともと、優しくて、面倒見が良いところもあり、この恋愛・婚約で、その彼の良いところが、膨らんでいってくれるとよいなと思っています。

 

 

















2020年2月8日土曜日

宗教の教育




 私が未だに、考えさせられ続けている日本の事件のひとつに、オウム真理教の事件があります。私は、当時、日本の通信社におり、ニュースの一部始終を毎日毎日、どんなに小さなニュースも漏らさずに、全部を毎日毎日、見ていたこともあるかもしれません。

 教祖をはじめとした事件の死刑囚の刑が執行され、平成という時代が終わり、事件は終わったような片付けられ方をしていますが、実際のところ、肝心なところは、解明されていないように思います。
 首謀者である教祖や側近の幹部たちが、多くを語らないまま刑が執行されてしまったからです。

 なぜ、どのように、オウム真理教は、作られていったのか?、なぜ、あんなにも信者が増えたのか? そんなに多くの若者を惹きつけたものは、何だったのか? 私には、どこか、他人事では、済まされないような要素を感じているのです。

 日本は、神道、仏教が多くを締める国だと言われていますが、実際のところ、本当に信仰のある人は、どの程度なのか、甚だ疑問です。結婚式やお葬式などのセレモニーの際のみの、実質、無宗教の人が多いのではないかと思います。

 日本の教育の中で、圧倒的に足りないのは、宗教の教育だと思います。

 娘が通っていたフランスの学校は、カトリック系のキリスト教の学校でしたが、信仰を強制するものではなく、礼拝なども参加は、自由でした。

 しかし、学校では、宗教全般に関する「宗教」の授業がありました。「宗教」の授業では、キリスト教の他、いくつかの宗教について、また、宗教を信仰するということについての授業が行われており、宗教への向き合い方、宗教とはどういうものか?を学びます。

 その先の選択は、自由ですが、ある程度、宗教に対する知識や心構えを学ぶことができます。これは、私は、とても大切な教育であると思っています。

 日本人は、宗教に関して、免疫がなさすぎるのです。オウム真理教のような、新興宗教が爆発的に拡大したのも、そんなところにも理由があると思います。時代は変わっても、現代の若者が、オウム真理教のような危険な新興宗教に入ってしまうような不確かな、危険な側面は、現代の社会にも潜んでいます。

 私自身は、無宗教ですが、信仰があったら、どんなに楽だろうかと思うことはあります。大学で、お世話になっていた教授がキリスト教の神父さまでもあったので、キリスト教の講義も受けましたし、個人的に教授に相談に行ったこともありました。

 「キリスト教理論などは、理解はできるけれど、どうしても信じることができません。」と言う私に、教授は、静かにおっしゃいました。「必要ならば、その時が来ます。焦る必要はありません」と。

 日本では、宗教の話は、どちらかと言うとタブー視されているので、宗教について、語る機会があまりありません。フランスでは、キリスト教をはじめ、イスラム教やユダヤ教など、実際に礼拝や行事に参加している人は多いですから、宗教に触れる機会は日本よりも多いと思います。

 「宗教」を信仰したことがない私ですが、宗教とは、心の拠り所だと思っています。それがあるかないかは、その人の人生にとって、大きいことです。今のところ、私は、神様を信じることはできないのですが、人間ではない、大自然の力とか、何か、大きなものの力に委ねられていると感じることはあります。


 子供の成長過程で、宗教に関する教育を受けることは、生きていく上での、とても大切なことだと思うのです。












2020年2月7日金曜日

海外の日本人社会は、日本社会の縮図



海外で生活していれば、同じ国の人間として、その文化や習慣が理解しやすい日本人同士で助け合ったりして生きていこうとするのは、至極、当然のことだと思います。

 私は、日本人会に入ったことは、ありませんが、それでも、パリで出会った日本人から、「フランスって、〜〜なんだよ〜!」とか、「こちらの子供の学校は、〜〜なんだよ〜!」とか、日本とは、違うこちらの事情や、それには、どうしたらいいかなど、ずいぶんと教わり、とても、助けられてきました。

 何よりも、とりあえず、自分が生まれ育った環境とは違うことで、戸惑うので、たとえ、フランス人との関わりがあっても、フランス人にとっては、当たり前のことでも、私たちにとっては、びっくりするようなことだったりするのです。

 パリのような一応、都会で、日本人も多く、比較的、出歩くことも自由にできる街で、それぞれの生活から、自分自身の行動範囲を広げていくことも可能な都市ならば、あまり、必要はないかもしれませんが、それでも、日本人会や駐在員の社会などは、それぞれ存在しています。

 よほどの辺境の地でない限り、どこかしらに日本人はいるもので、私が以前いたアフリカのコートジボアールでさえ、日本人がおり、日本人会というものがありました。

 アフリカのような、日本人が一人で行動するのが、比較的、簡単ではない地域になればなるほど、日本人会なるものの繋がりは、濃くなります。

 アフリカでは、駐在員の奥様方が現地で仕事をしているというケースは、ほぼなかったので、夫の職種や地位がそのまま、奥様方の地位の優劣に直結している感があり、今から思うと、ホント、勘弁してもらいたい感じでした。(とはいえ、私は、一度、お茶会に参加させて頂いただけでしたが・・)

 先日、日本人は、外国人から、黙ってガマンすると思われているが、そのことを一番、利用しているのは、結局、日本人経営者が日本人を使う時だという記事を書きましたが、それは、実は、日本国内でも行われていることで、考えてみれば、海外で日本人同士の社会で起こることは、実際の日本の社会の縮図のようなものになっていることに気付かされます。

 海外というある意味、逃げ場の少ない不自由な環境が、それをさらに、凝縮したものにするのですが、それが、お互いに、純粋に助け合うだけの状態の場合は、良いのですが、ついつい、マウンティングになっていったり、見栄の張り合いになったり、いじめになったりもするのです。

 また、自分と違うものに対して不寛容になりやすく、攻撃的になりがちという側面も、海外での広そうで、実は、狭い日本人社会においては、時に悲惨な状況を生みます。

 私は、逆に日本でのママ友事情や、周囲の人とのお付き合いの事情は、具体的には、わかりませんが、きっと、同じようなことが起こっているのではないかと想像がつきます。

 ところ変われど、日本人が、寄り集まれば、同じような反応を起こすことに、国民性、気質などの根強さを思い知らされるのです。














2020年2月6日木曜日

フランスのゴミの収集 フランス人の衛生観念


フランス人には箱を潰して捨てるとか、そういう観念はない


 以前から、フランスのゴミの扱いについては、色々と疑問に思うことも多かったのですが、ここへ来て、コロナウィルス騒ぎの最中に、そのゴミ収集のストライキという、信じ難いことが起こっています。

 今は、アジア人が咳をするだけで、周りの人がさーっと避けていくとまで、言われている状況下で、ゴミ収集をせずにいれば、衛生上の問題は、それは、アジア人の咳どころではない不衛生な状況を生むわけで、日頃は、ストライキ・デモ・主張することを誇りとしているフランス人を、これもフランスの文化だと、どこか、諦めて眺めている私も、今度ばかりは、この状況の中のゴミ収集のストライキには、神経を疑います。

 コロナウィルスを恐れて、アジア人差別のようなことをやりながら、ゴミは放置して、ストライキを断行するのには、「おまえら、命がけなのかい!」と言いたくなります。でも、ゴミの収集とウィルス問題対策として結びつけて考えることができないフランス人の衛生観念は、極めて低いと考えざるを得ません。

 日頃から、駅のトイレや駅自体の汚さや、ネズミの多さなどから、間違ってもパリが清潔で衛生的な街であるとは、思っていませんでしたが、これは、やはり衛生に関する意識が根本的に欠如していると思わざるを得ません。

 普段のゴミの分別なども、なかなか大雑把で、箱などは、崩さずにそのまま捨てるし、きちんと仕分けされていないことを不満に思っていましたが、まだ、ゴミをゴミとして出すだけでもマシなのかもしれません。

 実際に、フランス人が日本へ行くと、街中にゴミ箱が少ないことを非常に不思議に思うようです。日本が、ゴミ箱を安易に設置しないのは、ゴミの分別をキッチリとするためなのでしょうか?

 そこへ行くと、日本のゴミ出しは、本当に大変です。ここのところ、日本へ行くと、家の片付けをしていることもあり、まず、チェックするのがゴミの収集日の確認です。

 曜日によって、ゴミを分別して出さなければならないし、しかも、ゴミの種類によって、やけに早い時間帯に来たり、昼近くまで、来なかったり、ゴミの収集車が来る時間帯も違ったりするので、下手をすると、ゴミを出そうとした時には、もうすでにゴミの収集車は行ってしまった後・・なんてこともあるので、慣れない私には、とても、複雑で厄介な作業です。

 私でさえ感じるのだから、高齢者にとっては、かなりの負担を伴う作業だと思います。

 日本では、ゴミにカラス除けのネットを被せたりしていますが、フランスでは、ゴミに寄ってくるのは、人間で、特に、粗大ゴミ、家具などが捨ててある場合は、驚くほどの速さで、ゴミ収集車が来る前に、誰かが拾っていきます。
 そして、いよいよゴミ収集車が来る頃には、ほんとうにどうしようもないものだけが残されています。

 フランスは、壊れても、古いものでも、直して使う人が多いのです。
これは、無駄を嫌い、古いものでも修理しながら、使うフランス人の考え方は、悪くはないと思うのですが、ゴミがなくなるスピードには、目を見張るものがあります。

 ですから、私がゴミを捨てる時には、もしかして、まだ使う人がいるかもしれないと思われるものに関しては、普通のゴミからは、よけて捨てるようにして、その自分の出したゴミが、あっという間に消え去っていることを見て、なんだか、無駄にせずに済んだと、妙な満足感を味わっています。

 それにしても、こんな日常のゴミ問題にもお国柄が現れるものだなあと思うのです。

 

 


2020年2月5日水曜日

まずいイギリスの食事の懐かしく甘い記憶




 今、娘が今年の夏のイギリスでのスタージュのために、ロンドンのアパートを探しています。しかも、娘の行く学校が、以前に、私自身がスタージュのためにロンドンで生活をしていた South Kensington(サウス・ケンジントン)という場所だという偶然も手伝って、最近は、もう、娘がどこへ行くとしても、あまり、首を突っ込まない私も、懐かしさもあって、娘のロンドンでのアパート探しの様子にちょっと首を突っ込んだりしました。

 アパートといっても、スタージュは、3ヵ月だけなので、短期の賃貸を見ていると、ロンドンは、物価も高く、なかなか手頃な物件が見つからない中、娘が学生向けのレジデンスのような物件に目をつけて、しかも、学校まで歩いて行けそうで、かつ手頃な値段の物件を探し出し、ジムなども付いていて、しかも、2食、3食付きとあるのに、ビックリしたのです。

 この値段で、2食、3食付き・・2食は、まだ理解できるとしても、3食とも、家で食事する人って、老人用のケアーホームじゃあるまいし、どんな生活を送る人なんだろうか? とか、この値段での3食って、想像するだけでも、恐ろしい食事だろうと思ったのです。

 イギリスでの食事を思い浮かべた時に、私には、以前、自分が体験したイギリスのまずい食事の記憶が鮮明に蘇ったのです。

 私がイギリスに渡って、最初の一ヵ月は、ホームステイで、イギリスの家庭の食事にほんとうにウンザリした記憶があり、その時のウンザリした食事をまざまざと思い出したのです。

 後にも先にも、あんなに食事にウンザリした記憶はなく、朝のカリカリに焼いたトーストやベークドビーンズや卵、ふにゃふにゃしたソーセージは、まだ、良いとしても、夕食の焼いたか煮たかわからないような、オレンジ色がかった茶色いソースがかかった肉に、溶けて半分、粉状になったようなグリンピース、噛めば、ジャリジャリと音がするようなケーキのデザートなど、1日も早く自炊できるアパートをと必死にアパート探しをしたものです。

 しかし、今から考えてみると、あれだけまずい未知の食事の経験は、決して、嫌な記憶ではなく、むしろ、長い一生のうちに、期間限定であるならば、後から、振り返ると、若い時だからこそできる、なかなか良い経験だったと思うのです。

 その後、一人暮らしを初めてからも、どうしたら、こんなにまずいものが出来上がるんだろうか?と不思議になるほどまずいカップヌードルや、何の肉を使っているのかわからないようなスコッチエッグなど、数々のまずいものに遭遇しましたが、今では、そんな、イギリスならではのまずい食べ物にも、おかしな郷愁を持っています。

 私が、未だに、パリでも、M&S(マークスアンドスペンサー)(イギリスのスーパーマーケット)が好きなのは、あの頃のことを懐かしく思う気持ちがあるからなのだと思います。

 とはいえ、M&Sは、それでも、高級な部類のスーパーマーケットで、しかも、その中から、自分の許容範囲内で懐かしい食品やクッキーなどを買うだけですが・・。

 しかし、あの頃のまずい記憶が、若い頃に体験した、一種の甘い記憶となっていることが、若い頃に、一定期間を異文化で生活した自分の中でのかけがえのない一生の思い出となっていることに、今、私は、しみじみと喜びを感じるのです。














 

2020年2月4日火曜日

日本人は、黙って我慢すると思われている




 私が、フランス人に対して、あまりにいちいち、突っかかって、モノ申すのを見て、「おまえら、やることやってから、言えっつーの!」と思うのと同じくらい、フランス人から見たら、日本人は、言うべきことを言わず、黙って我慢していて、「これだから、日本人は、ダメなんだ・・」と度々、フランス人の同僚から言われたものです。

 私など、「黙って我慢する」・・と言えば、聞こえは、いいのですが、相手に隙を付け込まれないように、キッチリとやることをやって、相手を追い込んでから、言うことを言うという、見方によっては、勝気で、たちの悪いものではあるのですが、とにかく、何か、あれば、瞬発力よく、言いたいことを言うフランス人には、理解しがたいことであり、これだから、日本人は・・と、日本人がバカにされている一面でもあります。

 とにかく、自分のことは、棚に上げて、言うことは言うフランス人の言うことを、説得力がない・・と私は、感じてしまいますが、海外のスタンダードにおいては、「とりあえず、やることやってから」よりも、「とりあえず、モノ申す」方が、世間を渡っていきやすいのかもしれません。

 とにかく、すぐに、「訴える!」とかいうことになるので、特に、フランスで雇用関係にあれば、雇用形態にもよりますが、正規採用の場合は、圧倒的に、雇われる側の方が強く、雇う側も訴えられることを常に恐れています。

 日本人は、和を重んじ、何かモノ申せば、その後、職場で気まずくなるとか、そんなことを考えがちですが、フランス人は、そんなことは、一向に憂慮している様子はなく、言いたいことを言った後は、意外にあっけらかんとしているのも、フランス人の気質なのだと思わされます。

 そして、モノ申すことに対しての瞬発力と粘り強いエネルギー、度々、行われるデモや長期間にわたるストライキなども、一体、この人たちのどこにそんなパワーが潜んでいるのかと思いますが、何より、彼らにとっては、主張するこそが誇りであり、そんなプライドが彼らのパワーの源なのです。

 訴えるとか、訴訟ということに、日本人は、慣れないということもありますが、日本人が、とりあえず、黙って我慢するというのは、ある種の傾向として、事実であり、そのように日本人が見られ、バカにされているのも事実です。

 そして、そんな、日本人が泣きを見るのは、意外にも、フランスの企業ではなく、フランスにある、日本人経営の会社に多いことも、また、悲しい現実です。

 フランスの企業は、とは言っても、日本人をそこまで知るわけではなく、フランスの法律は、尊守しているので、そこまで酷いことにはなりませんが、日本人を誰よりも知っている日本人経営者の方が、海外というある種、生きづらい環境と、日本人の「黙って我慢する気質」を利用して、横暴なことをする傾向にあります。

 「日本人は、黙って我慢する」ということを、一番利用しているのは、実は、日本人であったりもするのです。

 








2020年2月3日月曜日

コンビニのない世界




 フランスに、コンビニは、ありません。コンビニどころか、大抵のお店は、日曜日は、お休みです。コンビニもどきのお店はあっても、それは、ごくごくパリの街中のチェーンのスーパーマーケットのミニチュア版か、アラブ系の人がやっている種々雑多なものがおいてあるお店のことで、たいていは、日曜もやっているというだけのことで、大して、便利でもありません。

 フランスに来た当初は、日曜にお店が閉まっているということだけで、信じがたく、ほとんどの女性が働いているフランスで、どうして、お店を日曜日に閉めるのか、理解に苦しんだものです。

 どうやら、労働組合が強いフランスでは、日曜出勤を組合側が反対しており、なかなか、解禁にならないようです。これだけ失業者が多い国なのですから、日曜だけ働くという人を雇っても良さそうなものですが、そんなことも進まない国なのです。

 そこへ行くと、日本のコンビニは、凄まじいものがあります。始まりは、セブンイレブン=朝の7時から夜の11時までの営業だったコンビニが、あっという間に24時間営業、しかも、年中無休になり、しかも、その数もびっくりするほど増えて、そのサービスも、お金の振り込みから、荷物の配送まで、銀行や郵便局の代わりにもなる、本当に便利なものです。

 私が、海外に出て、20年以上が経ちますが、当時の日本は、ここまでではなかったにせよ、海外にでた当初は、コンビニどころか、生活ひとつひとつが全て不便で、しかも、ストレス満載でした。

 しかし、すっかり、そんな生活に慣れてしまった今では、日本帰国時には、「あ〜そうか・・日曜日もやっているんだ・・・」と、いつの間にか、思うようになっていました。

 日曜日にお店が休みなら、違う日に買い物を済ませて、日曜日には、他のことをすれば良いのです。代わりに日曜日には、家族とゆったり過ごす時間が得られます。

 「無ければ、無いなりに、なんとかする。」のは、海外生活の基本で、日本のような便利な国は、世界中、どこを探したって、そうそうあるものではないのです。

 必ずしも便利ではない暮らしだからこそ、代わりに得られるものがあることに、私は、最近になって、気付き始めているのです。