2019年9月26日木曜日

海外在住の日本人の子供には優秀な子が多い




 パリに住んでいる、私の知っている日本人の子供は、なぜか、進学先も軒なみレベルのかなり高い学校に進んでおり、結果、医者、法律家、エンジニアなどのいわゆるエリートになっている場合が多いのです。

 フランスで生まれ育ち、フランスで大学を出てから、日本の大学や、大学院を卒業した子供(もはや子供ではないが・・)も数名、知っています。日本の大学や大学院に入学できるということは、日本語のレベルも日本に住んでいる日本人と変わりないほどなのでしょう。

 日本人は、あまり、努力を表に見せないので、はたからは、一見、その努力がわかりづらいのですが、その努力は、相当なものだったと思います。

 これは、やはり、日本人の生真面目な生活ぶりと、親の教育への向き合い方のような気がするのです。

 また、外国で暮らしても、たとえ、読み書きは危うくても、子供をバイリンガルに育てようとしている場合も多く、バイリンガルの子供たちが、他の学業においても優秀である確率が少なくありません。

 脳科学的にバイリンガルが脳の働きにどう影響するのかというような、専門的なことは、わかりませんが、あながち、無関係とも言えないのではないかと思うのです。

 少なくとも、一日の時間は、限られているわけですから、子供といえども、現地の学校の勉強に加えて、日本語の勉強をするわけですから、自ずと、効率よく、勉強をする習慣がつくのです。

 それは、大きくなればなるほど、色々な教科の勉強を効率的に、こなしていかなければならないうえで、とても重要なことです。

 たとえば、誰かに、仕事を頼む時に、忙しい人に頼んだ方が、素早く、的確に仕事が進むのと似ているような気がします。

 なかには、例外的な場合もあるでしょう。

 しかし、海外にいて、フランス人をはじめ、様々な国の人と接しているからこそ思うのは、日本人の教育に対する意識の高さと真面目さなのです。








 











 

2019年9月25日水曜日

子供の急病




 娘は、幸いにも、とても健康に生まれて、健康に育ち、どんなに動いても疲れるということを知らず、虫歯の一本もなく、どちらかというと、溢れるエネルギーを発散させるのに苦労するほど元気に育ちました。

 ただ、一度だけ、あわや、入院!?という病気にかかったことがありました。

 それは、娘がまだ5歳くらいの頃でした。

 そのころ学校では、なわとびが流行っていて、暇さえあれば、ぴょんぴょんと家でも、なわとび、また、学校でも大流行していたようで、なわとび片手に通学し、休み時間になると、こぞって、みんなで、なわとびをやっているようでした。

 ある朝、起きたら、娘が足が痛いと言いだして、私たちは、てっきり、なわとびのやり過ぎだろうと思っていましたので、なわとびは、いい加減にしておきなさい!と注意して、そのまま、学校へ行かせました。

 ところが、なわとびをやめても、娘の足の痛みは治ることなく、治るどころか、翌朝、起きた時には、まるで、小児麻痺の子供のような、独特な足の引きずり方で歩くようになっていたのです。

 娘の歩き方を見て、焦った私たちは、慌てて、近所のかかりつけのお医者さんに連れて行きました。すると、彼女は、厳しい顔をして、”これは、救急で、病院に行った方がいいから・・”と言って、パリの12区にある小児病院への紹介状を書いてくれました。

 救急で、小児病院へなどと、思ってもみないことを言われて、私たちは、ビックリして、娘を車に乗せて、慌てて病院の救急へ向かいました。

 症状を見たお医者さまが、検査のために、軽い麻酔をしますからと、娘の口に、プラスチック性の簡易マスクを当てた時には、私よりも主人の方が動揺していました。

 私も、それなりにショックでしたが、娘の病状とともに、大きななりをして、娘が麻酔用のマスクを当てられただけで、卒倒しそうになってしまう主人にも、情けないと思う気持ちと、心底、娘を大切に思っている主人の気持ちの深さとが交錯する複雑な気持ちでした。

 結局、娘は、リュームダンシュという、日本語にすると腰風邪という病気で、風邪のウィルスが体内の腰の部分に入って引き起こされる病気で、投薬治療と、できる限り安静にということでした。

 お医者さまに、入院しますか?ご自宅に帰られますか?(まあ、どちらでもいいですよということだったのだとは思いますが・・。)と聞かれて、当然、私は、病院で見ていただいた方が安心だと思っていたのですが、主人が、まるで、不本意に娘を取り上げられるとでも言わんばかりに、半ば、強引に家に連れて帰ると言い張り、お医者さまも、”それでは、薬をちゃんと飲んで、できるだけ、歩かせないように・・。”とおっしゃって下さり、その日のうちに、娘を連れて、家に帰ってきました。

 タダでさえ、動き回ることが好きな娘も、さすがに、なわとびどころではなく、学校も一週間は、休み、家の中でさえ、できるだけ、歩かない生活を強いられました。

 私と主人も交代で休みを取りながら、なんとか、娘についていましたが、1日だけ、どうしても、数時間、娘が一人でいる時間ができてしまったのです。

 その日は、休みを取るはずだった主人が、どうしても空けられない仕事が入り、午後の数時間、私が早めに退社するまでの時間だったので、まあ、大丈夫だろうと思いつつも、私が、急いで、家に帰ってみると、珍しく、娘は、リビングの大きなソファに座って、” 寂しい・・” と言いながら、一人でシクシク泣いていました。

 こうやって書いていて、ああ、そういえば、彼女も泣いたことがあったんだな・・と思うくらい、普段は、明るく元気な娘でしたので、あの時の彼女の様子は、彼女自身も、急に足が痛くなったり、大きな病院に急に連れて行かれたり、自分の周りで大人たちがバタバタしたりと、それなりに不安定な気持ちだったのでしょう。

 幸いにも、その後は順調に回復し、以来、これまで、大きな病気もせずに元気に育ってくれました。

 子供は、やっぱり、元気すぎるくらいの方が良いと、心底、思わさせられた出来事でした。

 それにしても、あの時の主人の情けない動揺ぶりは、一生忘れません。

 









 

 

















2019年9月24日火曜日

フランス人と日本人のハーフの青年




 私がフランスで仕事を始めた時に、同じ日に入社した青年がいました。

 その青年は、当時、20代後半くらいだったでしょうか? お母さんは、日本人で、お父さんは、フランス人のハーフの青年でした。

 お母さんが日本人で、お父さんがフランス人のハーフということで、私は、最初、どこか、娘の将来をダブらせるような目で彼の様子を見ていました。

 彼は、親元を独立して、パリで一人暮らしをしているということでしたが、予想に反して、なんだか、ふらふらした青年で、日本語も、ほとんど話せず、(まあ、ここは、フランスなので、別に日本語ができないことは、本当は、問題ではないのですが、)忘れ物をしたら、母親が職場まで届けに来たり、何かあると、トイレにこもって、携帯をいじっているような青年でした。

 そんな様子でしたから、彼は、数ヶ月で、すぐに会社を辞めていきました。

 私は、そんな彼を見て、強い危機感を感じたのです。

 言い方は悪いですが、娘がこんなになってしまったら、大変だ!!と。

 放っておいたら、彼のように日本語も話せなくなってしまうし、甘やかしていたら、こんなにフラフラとした人間になってしまうのだと・・・。

 彼の容貌は、明らかに日本人ではなく、背も高くスラッとしていていて、見た目は悪くないのです。

 そして、親元を離れて、一見、自立しているようにも見えます。

 しかし、実のところは、家賃は親がかりで、ブランド物のバッグなどをチャラチャラと持ち歩いて、口から出るのは、ヨーロッパのデザイナーの話ばかりで、ロクに働かずに職を転々とし、ふらふらと生きているのです。

 最初は、お母さんが日本人なのに、日本語が話せないことにビックリした私でしたが、実は、彼のダメなところは、単に、日本語が話せないだけでなく、生き方からして、ダメダメなのでした。

 私は、実際には、彼とは、仕事上の接点は、ほとんどなかったので、あまり、直接話した記憶もほとんどないくらいなので、詳しい彼の生い立ちはわかりませんが、経済的には、かなりゆとりのある家庭なのでしょう。

 しかし、私は、彼を見るに、フランスと日本の間で、ちょうど悪い具合に掛け合わさって、育って来たように思えてならないのです。

 フランス人のように、イッパシの主張と言い訳は、ハッキリとし、親とは、同居せずに、独立している風でありながら、実のところは、親が甘やかして、いい歳をした子供にお金を出し続けているのです。

 どこの時点で、彼がそうなっていってしまったのかは、わかりませんし、現在、彼がどうしているかもわかりません。

 ただ、私は、彼と出会えたことをとても感謝しています。

 なぜなら、彼の存在は、反面教師として、私の子育てに大きな警鐘を鳴らしてくれたからです。

 私は、娘に、読み書きも含めて、しっかりと日本語を教え、「高校以上は、勉強をしたくなければ、しなくてもいい。けれど、何もせずにふらふらとしていてはいけない、しっかり、働いてもらいます!」と、小さい時から、きっぱりと言い続けて来ました。

 そんな娘は、現在、大学院大学に通っています。

 

 














2019年9月23日月曜日

フランスの貧乏大学生の質素な生活




 フランスでは、18歳で成人となるので、高校を卒業と同時に、これまでの全面的な親の庇護のもとでの生活から、少しずつ、巣立ちのステップを歩み始めます。

 進路によっては、さらに厳しい学業が控えている場合もありますが、多くは、大学に進むか、専門の道を進むか、いずれにせよ、大人への階段を登り始めます。

 フランスでは、よっぽどの良家の子女ならいざ知らず、一般的な家庭は、親は、学費は、負担しても、大学生以上の子供に対して、必要最低限以上のお金を出すことはありません。

 よって、フランスでは、学生は、概して、お金がなく、質素な暮らしをしています。

 大学にもよりますが、時間的には、少し余裕ができても、日本のように、学業を優先しつつも、学生が自分の空き時間に、都合よくできるようなアルバイトは、少なく、(夏休みのような期間は別として)せいぜい、マクドナルド、ウーバーイーツ、それでも、優秀な人は、家庭教師などの口にありつけますが、それも、ごく僅かで限られています。

 ですから、フランスには、学生割引のようなものが、多く存在します。映画館、美術館、博物館、プール、公共交通機関、マクドナルドなどのファストフード等、が、学生の恩恵を受けて、安く利用できます。

 とはいえ、学生は、限られた少ないお金で遊ぶわけですから、当然、その遊び方も質素です。おしゃれの仕方なども、お金をかけずとも、安くても良いものを探して、上手にコーディネートを楽しんでいます。

 外食が高いフランス(特にパリ)では、高いレストランなどでは、食事せず、せいぜい、ピザかパスタ、あとは、マクドナルドやケバブなどのファストフード、サンドイッチを買って、公園でピクニック・・なんてことになります。

 飲みに行くのも、ハッピーアワーとよばれる安い時間帯以外は、コップもいらず、値段も安いビールとポテトチップスなどのスナック類を買って、公園か、セーヌ川沿いや図書館のテラスや友人の家に持ち寄りです。

 日本は、安い居酒屋もあるし、低価格で遊べる場所もたくさんあるので、それなりに、比較的、お手軽に遊ぶことができます。

 きっと、日本の学生が、こちらの学生の様子を見たら、なんだか、貧乏くさくて、味気ないように感じると思います。

 でも、私は、こちらの生活をしてみて思うのです。

 人から与えられた場所でお金を出して楽しむことよりも、シンプルでも、自分たちなりの楽しみ方で、過ごす時間の方がどれだけ豊かな時間だろうかと。














 

2019年9月22日日曜日

フランス人の嫉妬心と日本人の嫉妬心 一時帰国の際の娘の日本の小学校への編入時のいじめ




 日本に一時帰国した際は、日頃、日本人と関わる機会があまりないので、親戚や友人に会うのも、必ず、娘を一緒に連れて歩きました。

 行く先々で、娘は、まるで、誕生日か、クリスマスのように、みんなから、色々なプレゼントを頂くので、連れて歩いている私としては、これでは、まるで猿回しのようだと思ったものです。

 その中で、ぼんぼりのついたキティちゃんの毛糸の帽子を頂いたことがありました。

 フランスに戻って、その帽子を、学校にかぶって行ったら、それを羨ましく思った同級生の子に無残にも、ぼんぼりを引きちぎられて帰ってきたことがあるので、それ以来、キティちゃんのものは、学校に持って行くことができなくなってしまいました。

 余計なことで、周りの子の嫉妬心を煽ってはいけないと思ったからです。

 正直、私は、フランスの子供の嫉妬心というのは、ずいぶんとダイレクトに行動に現れるものなのだと驚いてしまいました。しかし、まあ、帽子が羨ましくて、思わず、帽子を引きちぎってしまうなどということは、乱暴ではありますが、ある意味、わかりやすくて、シンプルです。

 娘が小学校、3年生くらいまでは、日本へ帰国する度に、私の実家の近所の小学校に、ほんの2週間程度でしたが、一時的に編入させて頂いていました。

 最初の1〜2年目くらいまでは、まるで、動物園にやってきたパンダのような感じで、娘は、日本の小学生にとっても、珍しい存在だったようです。

 2年目に、最初の日に学校に挨拶に行った際には、校長室で教頭先生と娘と三人で話をしていると、校長室の前には、”また、あの子が来てる!”と、校長室の前には、人だかりができるほど、一部の子供たちからは、珍しいパンダのようにチヤホヤされていました。

 そうして、チヤホヤされたりしていると、また、一部の女の子の中には、嫉妬して、娘をいじめようとする女の子も出てきたりしました。

 取り巻きを集めて、いつも同じ靴を履いているとか、ランドセルをもっていないとか、しょうもないことを影でコソコソと言い始め、娘を仲間ハズレにしようとしていた女の子がいたのです。ハッキリと本人には、告げずに、周りからジワジワと追い詰めていくような感じです。

 もともと、せいぜい、2週間程度の通学ですから、大したイジメに発展することもありませんでしたが、帽子が羨ましくて、取り合いになって、終いには、帽子を引きちぎってしまうフランス人に比べると、どうにも、日本人の子供の嫉妬心の方が、陰湿な気がします。

 状況と立場を変えて考えれば、それは、日本のママたちや、大人たちに、起こっていることと同じなのかもしれません。

 私自身は、日本の小学校でのママ友の世界に顔を出すことはありませんでしたので、巷に流れているニュースなどでしか、状況を知ることはできませんが、子育てにおいても、また、その他のことに関しても、自分と違うもの、自分がこうするべきだと思うことから外れている者を影からじんわりと攻撃して、自分の正当性を保とうとするやり方が子供のイジメと、とても似ているなあと思ったのです。

 これらのことも、自分と違うことを堂々とやろうとしている人への嫉妬心の裏返しで、陰湿で、結果的には、お互いの首を絞めあっているように思えてならないのです。

 日本人の美徳であるはずの、言わずとも相手の気持ちを読み図るとか、慎ましく、感情を露わにしないということや、個性的であることよりも、人の和を重んずる日本の教育が、逆に、日本人を息苦しくさせてしまっているように思えてならないのです。

 海外生活が長くなって、意見の違う人に対しても、はっきりと言うべきことは言い、他の意見をそのまま受け入れずとも、一応、相手を尊重はし、他は、他であるということを受け入れ、たとえ、意見が違ったとしても、とりあえず、放っておくということが習慣になってきてしまっている私としては、日本のお互いが首を絞め合うような息苦しさが、なんだか、とても、辛そうに思えて、ならないのです。

 

 








 

2019年9月21日土曜日

突如、現れた金融警察に衝撃!




 通常、朝の出勤時には、警備上、二人以上で鍵を開けることになっていました。私は、時間に遅れるのが、とても嫌いなので、パリのメトロなどの交通事情を信用していないこともあり、だいたい、20分前には、到着して、もう一人がやってくるのを待っていました。

 会社の鍵を開ける時には、まず、1枚目のドアを鍵で開けると、内側にもう一つの扉があり、暗証コードを入れて、もう一つの鍵を開けるようになっていました。

 暗証コードを間違えて、鍵を開けようとすると、サイレンのような、警報機が響き渡り、すぐに、警備会社から電話がかかってきます。私も一度、バカンス明けで、ボケっとしていて、間違えて、自分の銀行の暗証ナンバーを押してしまい、サイレンを鳴らしてしまったことがありました。

 警備会社からの電話では、合言葉のようなものが決められていて、どうして、サイレンが鳴ってしまったのかを話して、合言葉を言えば、警備会社の方で、すぐにサイレンを止めてくれるようになっていました。

 その日は、たまたま、会社の鍵を開ける時に、3〜4人いたでしょうか? はっきりとは、覚えていませんが、2枚目のドアを開けたところで、ものものしい4〜5人の制服姿の銃を持った一団がドーッとなだれ込んできて、” Police Financiere (金融警察)です。みなさん、すぐに、IDカードを出してください。” と、周りを取り囲まれました。

 鍵を開けている時には、まるで、その存在にも気付かなかった、ものものしい一団の突然の登場に、その場にいた者たちは、皆、騒然となりました。

 言われるままに、それぞれが、IDカードを提示して、それぞれの役職などを聞かれました。何の目的でその人たちが突然、やってきたのかは、わかりません。会社の責任者は誰か?と尋ねられましたが、ちょうど、その週は、社長も出張中で、パリを不在にしていたので、代わりに、社長の直属であったフランス人の女性が同行を求められ、一緒に出かけて行きました。

 映画のような、衝撃的なシーンに一同、何ごとだろうかとざわつきましたが、結局、その日は、彼女は、会社に戻ることなく、皆、彼女も直接、自宅に戻ったのだろうと思っていて、会社の業務は、通常どおりで、一日が終わりました。

 翌朝になって、出勤すると、連れていかれた彼女のパートナーの男性が、彼女が昨晩、帰って来なかった。連絡も全く取れない・・と、会社に駆け込んできました。携帯も持っているはずなのに、外と連絡を一切とらせてもらえないなんて・・怖い・・。

 結局、翌日になって、彼女は、げっそりとした顔をして、出勤してきましたが、何を聞かれたのかは、一切、口にすることは、ありませんでした。

 その翌週になって、社長がパリに戻った頃には、すっかり騒ぎは、落ち着いたようで、まるで、何もなかったかのように、金融警察の突入事件は、忘れ去られて行きました。

 私たち、下々の者には、結局のところ、何だったのかは、わかりませんでしたが、あの金融警察の突入の様子は、未だに忘れることはできません。

 普段、街で見かけるスリや泥棒を捕まえる警察とは違う、もっと、威圧的な感じの圧倒的な存在感のある警察もあるのだと、日常では、なかなか見ることのないフランスの一面を見た思いでした。

 





















 

2019年9月20日金曜日

ケタ外れに負けず嫌いな娘の話 親が心配すること




 娘が、10歳くらいのことだったでしょうか?

 いつもの通り、学校へ娘を迎えに行き、帰り道を、二人で、歩いていると、何やら、うつむきがちに歩いている娘の様子がおかしくて、顔を覗き込んでみると、ポロポロと泣いているではありませんか!

 娘は、比較的、情緒が安定している子で、娘が泣くことは、それまで、ほとんど、ありませんでした。なので、学校の帰り道に一人でうつむきながら、ポロポロと泣き出してしまったのには、とてもびっくりしました。

 これは、いじめにあっているのではないか? 先生にキツく叱られたのではないか? 私の方もハラハラしながら、娘に尋ねました。” どうしたの? " と。
すると、娘は、” 思っていた成績が取れなかった・・。” と答えたのです。

 それで、泣くのかい!と思いながら、その答えを聞いて、内心、私は、ホッとしていました。

 正直、私は、テストの点数よりも、学校でイジメにあったり、先生や、周りのお友達とうまくいかなくなってしまうことの方が、断然、心配なことだったからです。

 私は、娘の成績について、とやかく言ったことは、一度もありませんし、それでも、彼女は、いつでも、成績には、問題なかったので、何も言うことはありませんでした。

 私自身は、その子、その子に合った道があるのだから、成績は良いには越したことはないけれど、成績自体が何よりも重要だとは、思っていません。

 しかし、彼女は、点数が振るわないことを親や先生に叱られるからと言って、泣いているのではなく、自分が思っている点数を取れなかったこと、自分が思う実力を発揮できなかった自分が許せなくて泣いているのです。まだ、10歳なのに・・。

 何しろ、その負けず嫌いは、小さい頃から、今の今まで続いています。
これは、その子の個性としか言いようがありません。

 むしろ、彼女は、競争のある世界でなければ、面白くなくて、やる気が起きないと言うのです。

 彼女が高校まで、通っていた私立の学校は、これがフランス?と思うくらい、かなり、教育熱心な学校で、また、こまごまとテストのたびに点数や順位をネット配信で通知するような学校で、皆、休み時間には、自分の成績が 0.1上がったとか下がったとかを一喜一憂するような感じだったので、その学校の方針に見事に煽られた結果、娘の負けず嫌いは、ますます加速したとも言うことができるかもしれません。

 しかし、同じ学校に行きながらも、できないことをさほど気にせず、ほどほど(とは言っても、一般的にはかなり上のレベルではありますが)のところで満足している子もたくさんいます。

 彼女の負けず嫌いは、決して勉強だけではないのです。
スポーツにしても、日常生活の些細なことでも、できないと言うことが悔しくてたまらないのです。

 できないことは、できるまでやる。このしつこさ、まあ、よく言えば、粘り強さは、相当なものです。これは、彼女の個性です。

 高校卒業時のバカロレアの試験の際には、もうすでに、次の進学先は、決まっていましたので、” まあ、落とさなければ、良いから、気楽に行ってらっしゃい!" とプレッシャーを与えないように声をかけたのですが、娘は、大真面目に、” 私が落とすくらいなら、バカロレアをパスする人はいないから! どのランクで受かるかが問題なのであって、受かるかどうかは、心配してない!” と軽く交わされてしまいました。

 今となっては、彼女の、この自信過剰と過信が何よりも心配です。

 社会に出れば、本人だけの努力では、どうにもならないこともたくさんあります。
何もかもできる人など、いないのです。

 人は、己の力を過信して、慢心した時、ろくなことにはならないことを、これからの彼女がどうやって学んでいけるのか、今は、そんなことを心配しています。