2022年6月3日金曜日

まだまだハードルが高い日本行き JALは運行なのに、ANAは欠航のパリー羽田便

  


 在仏の友人が日本行きの飛行機が急にキャンセルになったと、慌てています。日本に行くとなったら、それなりの期間の休暇もとらなくてはならないし、平常時でさえ、航空券以外にもいろいろと準備することがあるのに、急なキャンセルには、本当に面食らいます。

 私も今年の3月に日本に一時帰国していたので、その際にも再三、予約していたチケットがキャンセルになったり、変更になったり、その上、サイトのアクセスができなくなったりしていて、電話するしかなく、電話が繋がるまでうんざりするほど、電話をし続けたことを思い出します。

 調べてみると、いつの間にか、ANAのパリからの直行便はとりあえず6月30日まで欠航となっていて、しかも、欧州路線の欠航はパリだけではなく、ミュンヘン、デュッセルドルフ、ウィーンが全て欠航になっています。その上、なぜか、デュッセルドルフ便は、なぜか欠航の予定が2022年10月29日までとなっています。

 しかし、欧州路線全てが欠航というわけではなく、ロンドン便は週3日、フランクフルト便は週5日、ブリュッセル便は週2日運行しているようです。

 ですから、パリからの直行便がキャンセルになったとしても、経由便に変更することは可能なのでしょうが、そこは黙っていれば、バッサリキャンセルのままになってしまいます。

 これだけの欧州路線が欠航になれば、欠航になった分の予約をその他の欧州路線と組み合わせて経由便の予約を入れていくのは、大変なことです。

 前回の私の一時帰国の際も行きに2回、帰りに1回キャンセルになり、特に日本からの帰りの便を取り直すのが本当に大変でした。電話を何回、かけ続けたかもわかりませんが、それでも私はまだ運が良かったようで、帰りの羽田→ロンドン→パリの経由便は、私は、ロンドンでの待ち時間が2時間程度で済みましたが、偶然、隣に乗り合わせた日本人の女性は、同じパリまで行くのに、ロンドンでの待ち時間が8時間近くだということで、仰天してしまいました。

 日本の水際対策が少し緩和されて、日本到着後の空港でのPCR検査はなくなりましたが、依然として、出発前72時間前の検査の陰性証明書は義務付けられたままで、飛行機がとれていても、もし、この検査で陽性になれば、問答無用に日本行きは不可能になってしまいます。

 その場合は、自らチケットはキャンセル、または変更しなければなりません。

 今回のANAの欧州路線の欠航はウクライナの戦争の影響のようですが、同じところに行くのに、JAL(パリ⇄羽田便)は6月中は週5日、今のところ、7月からは毎日運行の予定になっています。同じ場所に行くのにANAは欠航、JALは運行なのは、どうしてなのでしょうか?

 どちらにしても、現在の状況を考えると、予約したチケットがキャンセル・変更になることは、十分に考えられるので、旅行会社のサイトなどを通さずに直接、航空会社からチケットを購入した方が無難です。

 変更、返金などの場合は、旅行会社などを通すと返金にも時間がかかり、余計に話がややこしくなります。

 これらの変更・返金などの手続きは、本来ならば、サイトでも可能なはずなのですが、私の場合は、変更された便にロンドン→パリの分が抜けており、結局、電話をするハメになりました。前回の私のチケットは、JALでしたが、延々と電話をかけ続け(延々とお話中になる)、ようやく繋がって、ロンドンからの便を探してもらい、待ち時間があまり長くないものを探してくださいと粘りに粘り、ようやく、なんとか納得できる経由便に変更してもらいました。

 先方からすれば、忙しいところ、さぞかし、しつこくて嫌な客だと思われたかもしれませんが、ここで引き下がらないのは、フランスでの暮らしから培った「言うことは言う」「簡単には引き下がらない」精神。ただでさえ、迂回ルートで長距離フライトでキツいのに、これ以上、異常な待ち時間を過ごすのは、耐え難い苦痛です。

 しかし、まあ、無事に変更できたところで、私はひと安心したのですが、娘に直行便が経由便になったのに、料金は一緒なの?(普通なら経由便の方が安い)と言われて、あ〜そうだった・・さすが、フランスで育っただけのことはある娘には、まだまだ敵わないことを思い知らされたのでした。

 いずれにせよ、チケットがキャンセルになったり、変更になったりするリスクもなかなか高く、そのうえ、72時間前の検査で陽性になるリスク・・まだまだ、日本行きはハードルが高いのです。


航空券キャンセル 変更 パリー羽田便欠航


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2022年6月2日木曜日

ルーブル美術館 モナリザ襲撃 モナリザは結構災難に遭っている

  


 世界で最も有名な絵画の一つと言われるパリのルーブル美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザは、恐らく、ルーブル美術館を訪れる人なら、誰でも見る絵画だと思います。

 正直、私が初めてモナリザを見たのは、ずいぶんと昔だったと思いますが、「えっ?こんなに小さいの?」というのが第一印象でした。しかも、モナリザの絵はガラスケースに入れられ、さらに、絵の周辺には、ロープが貼られ、絵に近づくことはできません。

 そして、そのうえ、なんといってもモナリザのある部屋はいつも凄い人で大混雑。これでは、絵を見にいくのか、人を見にいくのかわからない感じがしたものです。

 しかし、昨年、パンデミックのために美術館なども長い間閉鎖されていて、観光客もまだほとんどパリに戻っていない時期に、今なら!そう今しかない!と思い立って、ガラガラのルーブル美術館を堪能してきました。

 あれから、1年近く経って、パリに観光客も少しずつ戻り始めたと思ったら、なんとモナリザが襲撃されたというニュースが流れ、その場に居合わせた観光客が一斉にSNSで発信し、あっという間に世界中に拡散されました。

 犯人は、きれい?にメイクをほどこし、ウィッグをつけて老婦人に扮装して車椅子に乗って絵に近づき犯行に及びましたが、これは、ルーブル美術館が障害者に対してとっている、移動に支障のある人々が収蔵品の主要作品をはっきりと見ることができるように車椅子などが絵画に近付けるシステムを利用したもので、この男は、車椅子でモナリザに近づいたところで、急に立ち上がってモナリザが覆われているガラスを壊そうとしましたが、これには失敗(モナリザは防弾ガラスで守られている)。

 壊せなかったガラスにケーキを投げつけ、ガラスはクリームでグチャグチャ、最後に赤いバラを散らすという奇行に走りました。

 すぐに男は取り押さえられましたが、それでもかなりの興奮状態のまま、周囲に「地球を破壊している人々よ!全ての芸術家たちよ!地球について考えよ!」と叫びながら、連行されていきました。

 地球環境保護について訴えるにしてもかなりの奇行、この男は文化財損壊未遂の疑いで逮捕され、警察の精神科施設に収容されました。

 その時の模様は、その場にいた来場者の映像を見ると、そのクリームで汚された(ガラスケースが)モナリザはもとより、そのクリームに汚されたモナリザの写真、映像を撮るために、周囲は一斉に携帯を掲げているのもなかなか妙な光景で、その場の美術館員が「撮影やめてください!」と叫んでいます。


 それはそれでなかなかカオスな光景ですが、モナリザは無事でした。

 しかし、これだけの有名な絵画ともなると、モナリザは、これまでにも結構、災難に遭ってきており、1911年には盗難に遭い、1956年には銃撃されて絵の一部が破損(それ以来、防弾ガラス入り)、1974年には赤いペンキのスプレーで襲撃され、2009年にはマグカップを投げつけられています。

 フランスにとって、この国宝級の絵画は、1518年にレオナルド・ダ・ヴィンチがフランチェスコ1世に贈って以来、この絵画はフランス国家の所有物となっていますが、意外なことに、このモナリザの絵画は、「国家が保険である・・国が所有する作品については国が保険者となる・・」というわかるようなわからないような理由で、厳密には保険に加入していないのだそうです。

 「モナリザ(フランス語では、Joconde(ジョコンド)と呼ばれています」は1797年からルーヴル美術館に所蔵されており、これまでほとんど貸し出されることはありませんでした。モナリザの最後の旅は1974年東京です。

 そういえば、モナリザが日本に来た!と騒いでいたことがあったのを記憶していますが、日本に来たモナリザは、これまたすごい人で、私は見にいきませんでした。

 現在では、ほとんど貸し出されることがないと言われるモナリザの最後の旅が日本であったことがなんか、ちょっと嬉しい気もしています。

 しかし、逆に考えてみれば、モナリザが貸出中には、ルーブルに来た人がモナリザを見られないことになるわけで、やはり、モナリザはルーブルというあの美術館の建物自体が芸術品のような空間にあってこそでもあり、モナリザには、安全にルーブルに居続けてもらいたいと思うのです。


モナリザ襲撃時件


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2022年6月1日水曜日

フランス人ジャーナリストの死亡に関するロシア・タス通信の嘘の報道に遺族が公に出したメッセージに感動

  


 週明けにウクライナの戦場を取材中に撃たれて死亡したフランス人ジャーナリストをロシアのタス通信社(ロシア公式通信社)は、記者死亡発表のわずか数分後に、ルガンスク人民共和国の分離主義者の指導者の発言として、「フレデリック・ルクレール・イムホフ(死亡したフランス人ジャーナリスト)はウクライナ軍への武器搬入に従事する傭兵(雇兵)だった」と断言した放送を流しました。

 これは、ロシア国内向けの彼の殺害を正当化しようとする全く根拠のない嘘ですが、これに対して、亡くなったジャーナリストの母親はこれを黙殺せずに、この嘘の報道をしたロシア・タス通信社とLPR(ルガンスク人民共和国)関係者に向けて、公にメッセージを発表しました。

 「私は、あなたが昨日殺した若いジャーナリストの母親です。あなた方の発言、報道を聞いていると、言いようのない不快感を感じます。あなた方は卑怯にも自分の疑い、過ちを晴らそうとしていますが、彼の記憶・記録を汚すことは決してできません。民主主義、人間尊重、そして何よりも自由、公平、正直な情報という、あなたを突き動かすものとはかけ離れた概念に、彼がプロとして、また個人として取り組んできたことは、誰もが知っています」

 「今、私は自分の子供のために泣いているすべてのウクライナの母親、両親のために泣いているすべてのウクライナの子供、そして、あまりにも早く逝ってしまったロシアの若い兵士たちの母親と思いを共にしています。二度と彼らに会うことができず、なぜ、死ななければならなかったのか? 何のために死ななければならなかったのか?皆、その理由を考えています」

 「私は、苦しみながらも、少なくとも、息子がなぜ死んだかを知っています。いつか、この犯罪の本当の責任者が責任を取らされる日が来るでしょう」

 自分の息子を殺されたばかりで、悲しみに打ちひしがれているはずの母親が、このような毅然としたメッセージを発表できる毅然とした強さには、感服させられるばかりですが、同時に、このお粗末な嘘に対する怒りが息子を亡くした彼女自身を奮い立たせているとも思います。

 このメッセージの中では、同時に、ウクライナの人々にも、ロシアの人々にも心を寄せて、この戦争全体を非難しています。

 彼女のメッセージでは、自分自身の悲しみはもちろんのこと、むしろ、意味がわからないままに戦争に駆り出されて命を落としている人々、そして、その母親たちの無念さまで訴えている懐深いメッセージとなっていることは、さすがにジャーナリストだった彼の母、息子の仕事を引き継いで行っているようにも思えます。

 それにしても、これに始まったことではありませんが、ロシアのつく嘘の本当にお粗末なこと。彼がジャーナリストであったことは、彼のジャーナリストとしての取材時の映像が彼の死の直前まで収録され、放送されているのですから、あまりにもナンセンスな嘘。

 しかし、報道規制が行われているロシアでは、そんなお粗末な嘘にも騙される国民も少なくないのでしょう。

 彼が命を落としたことは、本当に悲劇ではありますが、彼の母親の言うように、意味もわからず戦場に行かされて命を落としているロシア兵やその家族の悲痛はさらに収拾のつかないものかもしれません。

 プーチン大統領にとって、人の命は、自国の国民の命でさえ、軽すぎる気がしてなりません。



フランス人ジャーナリスト死亡 ウクライナ ロシア タス通信


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2022年5月31日火曜日

フランス人ジャーナリスト ウクライナの戦地で取材中に撃たれて死亡

  


 週明けの月曜日、フランスBFMTV(フランスのニュース専門チャンネル)のジャーナリストがウクライナ東部のセベロドネツクでBFMTVの取材中に榴散弾に当たって死亡しました。彼はBFMTVに入社して6年目の32歳のフランス人フォトジャーナリスト、ウクライナ戦争勃発以来、ロシアの侵攻を取材するためウクライナに赴き、2回目の任務で走行中の車両がロシアの爆撃の標的になり、首を撃たれて致命的な傷を負って死亡したということです。

 彼はパートナーのマキシム・ブランドシュテッターとともに、できるだけ前線に近い東部での紛争を取材していました。当日も彼は民間人の避難を記録中にロシアの榴散弾で首を撃たれたとのこと。

 BFMTVの局長によると、「彼は熱血漢ではなく、冷静着実に勤務を遂行してきた人で、この戦場という危険な取材において、彼は任務の一分一秒を秤にかけて行ってきた」と彼の行動が決して無謀な行動ではなかったことを語っています。

 彼に同行していた同僚も脚を負傷して、すぐにフランスに送還されることになっています。



 このフランス人ジャーナリストの死亡の報せに、マクロン大統領は、自身のツイッターを通じて、「人道的救助のバスに乗り、ロシアの爆撃から逃れるために逃げざるを得なかった市民と並んで、彼は致命的な傷を負った」と説明。「フレデリック・ルクレール・イムホフ氏は、戦争の現実を伝えるためにウクライナに滞在していた」「戦地で情報提供という困難な任務を遂行する人々に対して、フランスの無条件の支援を改めて表明したい」と記し、「ルクレール・イムホフの家族、友人、同僚の悲しみを共有する」と追悼の意を表明しました。 

 他の報道には、載っていませんでしたが、マクロン大統領のツイートによると、彼が取材していたのは、ウクライナ民間人の人道的救助のバスでの出来事。民間人の人道的救助に使用されているバスがなぜ、標的になっているのか?

 献身的に真摯に仕事に取り組んでいた若者の死は衝撃的で、この悲劇は、3ヶ月以上前からこの紛争を命がけで報道しているすべてのジャーナリストが直面している危険をあらためて再確認させられます。

 彼が2014年にボルドー・アキテーヌ・ジャーナリズム学院(IJBA)を卒業したのは、そんなに昔の話ではありません。同時に卒業したジャーナリスト仲間からも悲しみの声があがっています。


 添付したツイートの写真は、5月21日、ミコライフの町で周囲で「大爆発」が起こっている中、廊下でレポートを編集している姿です。彼の仕事に向きあう真摯な姿勢がみえる貴重な写真です。

 彼の親の立場からしたら、なぜ、そんなに危険な仕事に就く学校に進ませてしまったのか?と後悔の念にかられそうなところですが、彼の母親は、BFMTVに対して、「彼は確かにとても献身的で、私は彼の選択を誇りに思います」と短いメッセージを送っています。

 BFMTV報道局長は、記者が2回目のウクライナ訪問をしたのは「本人の希望によるもの」、「これは、私たちの汚名を晴らすためではなく、彼の決意を表明するために発表したのです」と述べ、フレデリック・ルクレール・イムホフの母親と電話で話をした模様を「彼女は明らかに涙を流していた。彼女は明らかに、私たちBFMTVと同じようにプライドを持って、息子の仕事が何であるかを知っていたのです」と静かに語っています。

 この戦争は、報道戦などとも言われていますが、私たちは、彼らのような使命感をもったジャーナリストのおかげで、この悲惨で卑劣な戦争という状況を知り、考えることができるのです。

 ウクライナ戦争開始以来、ジャーナリストの死亡はこれで8人目です。NGOが発表した数字によると、他に9人のジャーナリストが負傷し、13人が拉致または恣意的に拘束され、そのうち4人が拷問や虐待の犠牲になっています。

 キエフに滞在しているフランスの外務大臣は、彼の死は「深く、衝撃的であり、透明性のある調査を要求する」と述べました。

 今日は、彼の取材した映像がBFMTVで流れ続けています。


フランス人ジャーナリスト死亡


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2022年5月30日月曜日

サッカー ヨーロッパチャンピオンリーグ決勝戦 試合よりも話題沸騰のスキャンダル


 サッカーのヨーロッパチャンピオンリーグの決勝戦、レアル・マドリード対リバプールの試合が先週末にパリ北部郊外サン・ドニのスタッド・ド・フランスで行われました。

 結果は1対0でレアル・マドリードが勝ち、史上最多14回目の優勝を飾りました。

 しかし、フランスでは、決勝戦にフランスが残っていなかったこともあるとは思いますが、試合以上に試合開始までの会場での大混乱の模様について、欧州の周囲の国(特にイギリスとスペイン)で、この大混乱へのフランスの警察の対応が「行き過ぎ、やりすぎ、完全に管理不足、大スキャンダルであると報じられている」と問題視されていることをに注目が集まっています。

 ヨーロッパでのサッカーの試合、しかもチャンピオンリーグの決勝戦といえば、それに集まってくるサポーターたちの熱狂ぶりは、身の危険を感じることもあるほどのイベントで、前日には、在仏日本大使館から、「ヨーロッパチャンピオンリーグの決勝戦がスタッド・ド・フランスで行われるため、熱狂的なサポーターによる破壊行為や衝突を避けるため、多数の警察が出動する予定になっており、思わぬ騒動が発生する恐れがあるので、今週末、特に夜間の外出の際には十分に注意してください」とお知らせが来ていました。

 以前、私が、ロンドンにいた頃に一時、障害者施設でスタージュをさせていただいていたことがあり、その中にいた悲しいほどハンサムなイギリス人の青年が半身不随で車椅子生活、まともに話もできない状態で、施設の方に事情をうかがったところ、サッカーの試合を見に行って、熱狂するサポーターの暴力でこのようになってしまったという話を聞いて以来、ますますヨーロッパでのサッカーの試合には、警戒感を強めるようになりました。

 一面では、あんなに熱狂できることが羨ましいような気もするのですが、とてもあの爆発的な熱狂ぶりには、ついていけません。ヨーロッパの人々が全て同じではありませんが、どうにも熱量の違いを思い知らされます。




 今回のスタッド・ド・フランスでの騒動は、多くの警察が警戒する中、何千人ものイギリス人サポーターがチケットを持たずに、あるいは偽チケットで入場しようとしたことから起こったもので、これらの観客をチェックするために入場ゲートを一旦、閉じたところ、一部のサポーターがボルダリングのように壁をよじのぼって侵入しようとしたりする騒ぎになったのを機に、警察は催涙ガスまで使用して、かなり強硬なやり方で騒動を沈静化しようとした模様で、パリ警察は、スタジアムへの無謀な侵入者は「難なく」退散させたと、むしろ得意気に発表したものの、その場にいたチケットを持っていたにもかかわらず入場できなかったサポーターの怒りは大変なもので、また、その場の模様を撮影していた人も大勢で、映像はSNS上でもあっという間に拡散され、このパリ警察の強引な対処法やスタジアムの管理問題を恥ずべき光景、恐ろしい・・衝撃的だと非難しています。

 フランスでは、頻繁におこるデモやデモが暴徒化した場合に催涙ガスや放水車などが出動するのは、もはや珍しくない光景ですが、これらをサッカーの観戦のために集まった人に同じ対応をするのは、妥当であったのかどうか、いくら相手が興奮状態であったとしてもチカラで押しのけようとするのは、やり過ぎの気もします。

 リバプールのサポーター組合は、この大会を運営するUEFAに対して、ファンの安全をないがしろにしたと述べ、フランス警察が「無差別」に催涙ガスを使用したことを「強引」だと非難する声明を発表し、翌日には、イギリスの文化・スポーツ長官が「何が悪かったのか、なぜそうなったのか、公式な調査を開始するようUEFAに要請する事態にまで発展しています。

 しかし、一方では、勝者スペインサッカー界の重鎮であるアルフレッド・レラーノ氏は、リバプールと「チケットを持たない野蛮人の大群」を糾弾し、「スタジアムのゲートでスキャンダルを起こし、大惨事につながる可能性が十分にあった」と厳しい意見を述べています。

 フランスの報道の一部では、なんとこの日のチケット2万枚分が偽チケット、あるいはチケットなしで入場していたとも言われており(スタッド・ド・フランスの収容人数は8万人)、このチケットについても大きな問題があったとも言われています。

 この日の夜、パリ警察は、このスタジアムで105人を逮捕、39人が身柄を拘束しています。楽しんで観戦するはずのサッカーの試合でこの騒ぎには、閉口してしまいます。

 何より私が驚いたのは、自分自身がこのような催涙ガスが使われるような騒動になっている映像を見ても、あまり驚いていない自分自身で、「あっ・・また・・」という感じで、フランスの日常の物騒な光景を見慣れてしまっていることです。


サッカーヨーロッパチャンピオンリーグ決勝戦 スタッドドフランス


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2022年5月29日日曜日

マクロン大統領、今度はドイツのショルツ首相と共にプーチン大統領との電話会談

  


 これまで、ウクライナ戦争の危機が起こって以来、定期的に粘り強く一人でプーチン大統領との会談に臨んできたマクロン大統領は、昨日は、ドイツのショルツ首相とともに、プーチン大統領との80分にわたる電話会談を行ったことをエリゼ宮が伝えています。

 マクロン大統領とショルツ首相は、プーチン大統領に対して、「できるだけ早く、ウクライナのゼレンスキー大統領と真剣に直接交渉し、紛争の外交的解決策を見出し、「戦争のいかなる解決策も、ウクライナの主権と領土の一体性を尊重しつつ、モスクワとキエフの間で交渉されなければならない」と強調したと伝えています。



 そして、ウクライナとロシアの話し合いのためにも、ロシアのウクライナに対する攻撃を停止し、ロシア軍を撤退させることを求めています。

 同時に、フランス・ドイツ両首脳は、世界の食糧危機を回避するために、黒海経由でウクライナの穀物輸出を可能にするために、オデッサの封鎖解除の緊急性を主張しました。

 この提案に対し、プーチン大統領は、「黒海の港からウクライナの穀物を含む、妨げのない穀物輸出のオプションを見つけるのを助ける準備ができている」と述べたとされており、フランス・ドイツ側は、ロシア大統領が、「同港の地雷除去を行えば、ロシアに軍事利用されることなく穀物輸出のための船舶アクセスを認めると約束した」と発表していますが、一方では、プーチン大統領は、「世界の食糧危機は、「西側諸国の誤った経済・金融政策と、これらの国々によって課せられた反ロシア制裁」によって引き起こされたこと」でもあるとし、ロシアの肥料や農産物の納入が増えれば、国際農産物市場の緊張が緩和される可能性があり、モスクワに対する「もちろん、適切な制裁の解除も必要だ」と強調しています。

 マクロン・ショルツ両首脳は、このプーチン大統領との約束を国連を介して早急に進めるとしていますが、プーチン大統領の言っている「ロシアに対する適切な制裁の解除が必要」という部分については、言及されていません。

 もともと、今やロシアとの間に約束というものが成り立つものなのかどうかすら、疑問ではありますが、こうして何らかの話し合いの場がもたれることは、重要なことだと思われます。

 しかし、これまで1対1で行われてきたプーチン大統領との電話会談が2対1と客観的に見ても、対等ではない話し合いが、どの程度、プーチン大統領を圧迫するかという危険も孕んでいるとは思いますが、1対1では、どうにも埒が明かないことに業を煮やしたのか、長く続いてきたマクロン対プーチンの電話会談には、ついにショルツ首相が参戦し始めました。

 もっとも、プーチン大統領は、フランスもドイツも西側諸国の一括りに考えていると思われるところもありますが、戦争の中心はあくまでも「ロシアとウクライナ」でありながら、ロシアは一体、どこの国と戦争しているのか?と思われる節もあります。

 また、この会談では、マクロン・ショルツ両首脳は、ロシア軍によって捕虜となった約2,500人のアゾフスタル防衛隊員の解放も要求しています。

 まさかの戦争が始まって、すでに3ヶ月が経過していますが、問題は世界中を巻き込んで大きくなるばかり。とりあえず、プーチン大統領が約束したと言われている経由でのウクライナの穀物の輸出も「ロシアへの制裁の適切な解除」が行われないなら、プーチン大統領がそれを呑むとは考えづらく、結局、うまく進むとは考え難いような気がしています。

 マクロン大統領とショルツ首相は今後もこの件で緊密な連絡を取り続けるとしていますが、2対1の電話会談の方が良いのか悪いのか? 依然としても、まだまだ終結への道のりは長そうな気がしています。


マクロン大統領 ショルツ首相 プーチン大統領 3首脳電話会談


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2022年5月28日土曜日

6月からの日本入国水際措置緩和について 外国人観光客受け入れ再開

 

 

 先日、世界経済フォーラムが2年に1度を目処に世界117カ国を対象に行った調査により、観光資源や、交通インフラの利便性や自然や文化の豊かさなどが評価され、2007年の調査以来、初めて日本が1位になったというニュースに日本の観光産業が世界に認められたと、日本人として、とても嬉しく思いました。

 ちなみに、2位はアメリカ、3位スペイン、フランスは4位でした。

 海外に住んでいても日本が世界的な評価を受けることは、「ほらね・・そうでしょ・・」と誇らしい気持ちなのです。しかし、2年に一度ということは、このパンデミックで日本がほぼ鎖国状態だった期間以来の調査。ちょっと複雑な思いがないこともありません。

 しかし、パンデミックで観光がストップしてしまう前までは、フランス人も本当に日本に行く人が増え、2年前までは、日本行きの直行便などは、乗客のほとんどがフランス人だらけというちょっとびっくりするような状態になっていました。

 しかし、パンデミック以来、日本の水際対策措置により、外国人は外国人であるというだけで、ほぼ完全シャットアウト状態が続き、この制限の仕方もいかがなものか?と思ってきました。

 もっとも、この間、日本人でさえも、日本への入国制限は厳しく、その時の感染状況によって、出発前のPCR検査に加えて、日本の空港到着後の検査、そして強制隔離施設での隔離、公共交通機関使用禁止、その後の自宅隔離期間などが義務付けられていて、日本に行くのはとてもハードルが高い期間が続きました。

 ようやく日本到着後に隔離がいらなくなったのが、今年3月に入ってからで、その後も外国人の日本入国は、原則認められていませんでした。

 それが、ようやく6月10日から、日本も外国人観光客を受け入れることを発表。それぞれの国や地域を青、黄、赤に区分して、地域ごとに入国条件を区別しています。

 日本への観光客が期待できそうな国(欧米、アジア、豪州など)は、ほぼ全て青に区分されています。もちろんフランスも青です。

 青に区分された国からの入国に関しては、ワクチン接種の有無に関わらず、72時間前の陰性証明書などの書類は現状通りに求められるようですが、入国時の検査は行われません。

 赤の国からの入国は3日間の強制施設での隔離、黄の国からの入国は7日間の自宅等施設での隔離(3日後に検査をして陰性の場合はその後解放)が求められます。

水際対策強化に係る新たな措置に基づく 国・地域の区分について

 この日本政府の決定により、多くの外国人が出発前72時間前の陰性結果で、到着時検査なしに日本に入国することになります。また、外国人、完全シャットアウトをしていた日本が極端な方法をとったものだと、ちょっと驚きでもあります。

 しかし、よく見てみると、一応、「外国人の観光目的の日本入国は、旅行代理店等を受入れ責任者とする場合に限る」とされているので、ツアー客のみの受入れとなっています。旅行代理店を介しての観光とはいえ、色々なケースがあるので、これでどの程度、外国人観光客を管理できるのかは甚だ疑問ではありますが、基本的に日本人のように従順な国民はいないので、いくら旅行代理店を介在させたところで、そんなに甘いものではないのではないか?とも思います。

 だいたい、一番、驚くのは、おそらく外国人観光客で、海外ではほとんどノーマスクの世界で生きている人々が日本のマスク率には、きっとビックリすることでしょう。そこで、日本に来ているのだから、日本のルール?に従う・・と思う人もいるかもしれませんが、そうはならない人もきっと、大勢いることでしょう。まあ、双方で、こんな世界もあるんだ・・ということを知り合うこともよいかもしれませんが、受け入れる日本側からしたら、ギョッとさせられることもありそうな気がしています。

 日本は日本で、いい加減、もう少しゆったり構えてもいいと思うし、緩みきっているフランスのような国もいかがなものかとも思うのです。

 一方、出発前72時間前の陰性証明書はともかく、「誓約書」や「質問票」などの不要な書類が引き続き求められることも、疑問です。現実的には、まだ入国時の検査を行った方が意味がありそうなものの、経費削減のために検査を省略するのだとしても、やっている感を醸し出すための「誓約書」や「質問票」なのではないか?と思ってしまいます。

 これらの書類についてにしても、集めるだけでなく、本当にチェックしたりしているならば、結局は、それを何重にもチェックする人はいるわけで、人件費は必要なはずで、ちょっと理解不能です。

 私が日本に行ったのは、今年の3月から4月にかけてでしたが、手続きを簡素化するはずのアプリをダウンロードして、必要な情報は入力しているにも関わらず、それとダブった内容の書類を提出し、そのチェックを何重にも行い、何のためのアプリなのか?と思いました。

 せっかく世界経済フォーラムが日本を世界一の観光国と認めてくれたのですから、これから、再び、日本の観光産業が復活してくれることを祈っています。

 しかし、考えてみれば、日本から海外旅行をする人に対しても青に分類されている国に行く限りは、日本に再入国の際の検査がなくなるということで、ハードルは少しだけ下がるので、日本からの観光客も少しは増えるかもしれない・・と期待もしています。

 もっとも、禁止されているわけではなくとも、逆に日本人がマスクなしの世界に旅行するのは、やっぱりまだ怖い・・と考える人も少なくないのかもしれません。

 どうにもこうにも、このギャップ、私はその両方をなんとなく微妙な気持ちで眺めている気持ちです。

 しかし、コロナとは別の新たなハードルの一つを忘れていました。現在、パリ⇄日本のフライトは、ウクライナ戦争のために、直行便は再開したものの、迂回経路による長距離フライトのままでした。ただでさえ長いヨーロッパ線、長距離フライトは結構キツいのです。


6月から日本入国水際措置緩和 外国人観光客受入れ再開


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